精神安定剤は、心に安らぎや平静をもたらす薬として一般的なものになっている。この薬の効能は、「傘状作用」によって神経症状を軽減・除去することにある。
つまり、傘が人を雨から守るように、私たちを厄介な刺激から守る心の衝立をつくってくれる。だが、安定剤は外部の環境を変えるわけではない。
厄介な刺激は依然としてそこにある。その存在を頭では「認知」できるものの、心は「反応」しないのだ。
第7章で、感情は、外部のものではなく自らの態度や反応によって決まるという話をした。
安定剤はまさにそのことに対して説得力のある証拠を提供している。事実、安定剤には負のフィードバックに対する過剰反応を緩和する働きがあるのだ。
ただ、現代の医療現場では、子どもの注意欠陥障害から大人の不安症まで、ありとあらゆる心の病に対して、あまりにも安易に薬に頼る傾向があるようだ。
しかし、おそらくあなたも含め、多くの人の不安症には、薬や高度な治療は必要ない。
サイコ=サイバネティクスという、すでにあなたがもっている自前の安定剤の使い方をマスターするだけで十分なのである。
コントロールされない生き方をする方法
部屋で静かに座って本を読んでいるときに、電話のベルが鳴ったとする。これまでの習慣や経験によって、それについて考えをめぐらせたり、意識的に決断したりすることなく、無意識のうちに反応する。
くつろいでいた椅子から立ち上がって、急いで電話に出る。この場合、外からの刺激があなたを「動かした」ことになる。あなたの心理状態や自分で決めていた行動計画を変えさせてしまったのだ。
もともとは、静かに座ってのんびり読書をする心積もりでいた。ところが、外からの刺激に反応することで、突然すべてが変更を余儀なくされたのだ。ここで、私はあえて訴えたい。ベルの音に従わず、電話に出ず、それを完全に無視する選択もできる。
シグナルに反応しなければ、最初の計画どおり静かに座ってのんびり読書を続けられるのだ、と。次のようなメンタル・イメージをはっきりと思い浮かべてみよう。
あなたの邪魔をする外からの刺激のパワーに打ち勝つために、とても効果的だからだ。静かに座っている。電話のベルが鳴っているが、そのシグナルを無視し、動かない。ベルの音に気づいているが、気にしたり従ったりはしない。
外からのシグナル自体に、あなたをコントロールしたり動かしたりするパワーはない。にもかかわらず、これまでそれに従い、反応してきたのは習慣のせいにすぎない。
その気になれば、それに反応しないという新しい習慣を身につけることもできるのだ。また、この点も注意してほしい。
反応しないということは、何かをしたり、努力したり、抵抗したりすることではない。何もしないこととは、何かをするのをやめてくつろぐことなのだ。
あなたはただリラックスして、シグナルを無視して、呼びかけに応えなければいい。電話のベルはひとつの象徴的なたとえである。
これと同じように、あなたはさまざまな外からの刺激に習慣的にコントロールされているが、そうした習慣を意図的に改めることができる。いわゆる渋滞でのイライラも、外からの刺激に感情がコントロールされてしまっている状態にすぎない。
やるべきことが多すぎて、つまり、あまりに多くのことを一度にやろうとしてストレスが生じると、自分がコントロールされてしまうことになるのである。
自己主張をする
電話のベルに自動的に反応してしまうのと同じように、私たちは身の回りのさまざまな刺激に対して何らかの反応をするよう条件付けられている。「条件付け」という心理学用語は、有名なパブロフの実験から生まれた。
この実験でパブロフは、大に餌を与える直前にベルを鳴らすことによって、ベルの音だけで唾液が出るように大を「条件付け」することができた。
実験ではこのプロセスが何度も繰り返された。まずベルが鳴る。数秒後に餌が出てくる。すると大は、ベルの音を聞くと餌がもらえるのだと期待して、唾液を出すという反応を学習した。
当初、その反応は理にかなっていた。ベルの音はもうすぐ餌が出るという合図だったから、大は唾液を出して食事に備えていた。
ところが、これを繰り返すうち、大は餌が出てきてもこなくても、ベルが鳴ると常に唾液を出すようになった。こうして大は、ベルの音だけで唾液を分泌するように「条件付けられた」のである。
こうなるとその反応は、もはや理にかなってもいないし、何の役にも立たないが、大は習慣的に同じ反応をしつづけた。
私たちの身の回りには、実にたくさんの「ベル」がある。そうした刺激に反応するのが理にかなっていようがいまいが、私たちは反応するように「条件付けられ」、習慣的に反応しつづけている。
だが私たちは、無意識のうちにあっさリコントロールされる生き方しかできない哀れで愚かな動物ではない。創造的なパワーと理性的な思考のパワーをもち、しっかりと自己主張のできる人間だ。
「犬のように言われるままに働く」か自由に生きるか、コントロールされるかコントロールするかを決めなくてはならない。
この決断の影響は広範囲に及ぶ。それは「敬意のない世界でいかにして自尊心を失わずにいるか?」という問いへの答えにもなっているのだ。
親から知らない人とかかわってはいけないと教育されて、見知らぬ人を恐れるようになる。「よその人からお菓子をもらっちゃだめ」とか、「知らない人の車に乗っちゃいけません」などと、よく注意される。
見知らぬ人を避けるという反応は、小さな子どもには役に立つ。しかし多くの大人も、初対面の人を前にして居心地の悪い気分を味わう。敵ではなく友好的な相手だとわかっていても、である。
見知らぬ人が「ベル」となり、怖がったり避けたり逃げ出したくなったりという、学習させられた反応が現れるのだ。
セールスパーソンのカウンセリングをしていると、抑圧され、考えられるかぎりの言い訳や策を弄して「客探し」の仕事を避けようとする人に出くわす。
そうした人のサーブォ機構には、こうした反応がプログラミングされていることが多い。友達や恋人ができにくい男女にしても、同じ傾向が見られる。
あるいは、大勢の人、閉所や高所、「上役」のような偉い人などに対して、恐れや不安を抱いてしまう人もいる。恐れや不安を感じる対象が何であれ、それらは「危険が迫っている。逃げろ。怖がれ」と伝える「ベル」として働いているのだ。
こうして私たちは、いつもどおりの反応を習慣的に繰り返している。そんな「べル」との関係はもう絶つべきだろう。
怒りを10秒間先延ばしにする
反応せずにリラックスする練習をすれば、条件付けられた反応(条件反射)をなくすことができる。
電話の場合と同じで、その気になれば、「ベル」の音を無視して鳴りっぱなしにしておけるのだ。
大切なのは、どんなに気がかりな刺激を受けても、「電話が鳴っているけれど、出ないといけないわけじゃない。放っておいていいのだ」と自分に言い聞かせることだ。
この考えは、静かにリラックスしたまま反応せず、電話を鳴りっぱなしにしておくという自分のメンタル・イメージに焦点を絞るものとなる。
電話を鳴りっぱなしにしておくときと同じ態度を心に呼び起こす引き金となるのである。
条件反射をなくそうとしても、最初は、とくに思いがけないときにベルが鳴ったら、その音を完全に無視するのは難しいかもしれない。
そういうときには反応を先延ばしにするのもいい方法である。結局は同じ効果を得ることができる。反応を先延ばしにすると、条件反射の自動的な作用を中断し、阻害できるのだ。
怒りたくなったら「一〇まで数えろ」というのも、同じ原理に基づいた素晴らしいアドバイスだ。ゆっくり数えれば、ただ叫んだり机を叩いたりするのと違って、事実上反応が先延ばしになる。
怒りの反応は、叫んだり机を叩いたりすることのほかに、筋肉の緊張としても現れる。人は、筋肉が完全にリラックスしたままでは、怒りや恐怖の感情を湧かせることができない。
そのため、怒りを一〇秒間先延ばしにして反応を遅らせれば、自動的な反射をなくせるのであるc第二次世界大戦の末期、第二三代ハリー・トルーマン大統領はある人からこんなことを言われたという。
「あなたは、歴代大統領の誰よりも、その任務に伴うストレスや緊張に屈していないように見える。仕事で老けたり元気をなくしたりしていないようだ。
戦時中の大統領として多くの困難に直面していることを考えれば、実に驚くべきことである」それに対するトルーマンの答えはこうだった。
「私は心のなかに避難壕をもっているんだよ。兵士が避難壕にこもって身を守ったり、休んだり、体力の回復を待ったりするように、自分もときどき誰にも邪魔されない心の避難壕にこもるのだ」あなたも時間をとり、イマジネーションを駆使して、自分自身の「心の避難壕」をつくろう。
ときには現実逃避も必要
外回りの途中でバスに乗っているときなど、ほんの少しでも時間ができたら、あなたのなかの静かな部屋にこもろう。
緊張が高まったり、せわしなく感じたりしはじめたときにも、しばらくそこへ引っ込もう。こんなふうに忙しい日常からほんの数分間離れるだけで‐ずいぶん効果がある。
それは時間の無駄ではなく、時間の投資になるのだ。「心のなかの静かな部屋で少し休むぞ」と自分に言い聞かせよう。それから、静かな部屋へ向かって階段を上っている自分を想像する。
そのとき、「いま、階段を上っている。いま、ドアを開けている。いま、中に入った」と自分に語りかける。
イマジネーションのなかで、室内の静かで落ち着いた様子を、すべて思い浮かべよう。お気に入りの椅子に腰掛け、すっかリリラックスし、安らいでいる。部屋は安全で、邪魔は入らない。何も心配することはない。心配は階下に置いてきたのだから。
ここでは何の決断もしなくていい。急ぐ必要も、悩む必要もない。そう、これは現実逃避だ。寝るのも現実逃避だし、雨に濡れないように傘をさすのも現実逃避だ。
雨風をしのぐ家を建てるのも、休暇を取るのも、現実逃避なのである。私たちの神経系は、ある程度の現実逃避を必要としている。
外界の刺激のとめどない攻撃から身を守り、そこから解放されることも、ときには必要なのだ。肉体に家が必要なように、心や神経系にとっても、休息や回復や防護のための部屋が欠かせない。
あなたの心のなかにある静かな部屋は、毎日、神経系にちょっとの休息を与えてくれる。
そのあいだ、義務や責任や決断や重圧に満ちた日常の世界から「去り」、心のなかのプレッシャーのない部屋に引きこもって「一切のものから逃避する」のだ。
かつてイエロー・ストーン国立公園を訪れた私は、「オールド・フェイスフル」というおよそ一時間おきに活動する間欠泉の噴き上がるのを、いまかいまかと待っていた。
すると突然、まるで安全プラグが吹っ飛んだ巨大なボイラーのように、間欠泉から大量の水蒸気が噴出した。そのとき、そばにいた小さな男の子が父親にこんな質問をした。
「どうしてあんなふうになるの?」父親は答えた。
「たぶん、地球がぼくたち人間と同じだからじゃないかな。地球もストレスがたよるのさ。だから健康のために、ときどき余分な蒸気を逃がしてストレスを発散しているんだ」私は思った。
人間もストレスがたまったとき、こんなふうに何の害も及ぼさずに発散できたら素晴らしいのに、と。
私の頭には間欠泉も蒸気弁もなかったが、イマジネーションならあった。そこで、心のなかの静かな部屋に引きこもるときに、このメンタル・イメージを利用することにした。
「オールド・フェイスフル」を思い出し、感情の蒸気が頭のでっぺんから噴き出して、何の害も及ぼさずに蒸発してしよう様子を思い描いたのだ。
イライラしたり緊張したりしたときに、あなたもこのメンタル・イメージを試してみよう。ストレス発散と怒りの爆発には、あなたの心のメカニズムに組み込まれた強い結びつきがあるのだ。
反応しないことも「適切な反応」
ベッドは休むための場所なのに、そこにまで悩み事をもち込んでしまう人が多い。何かをすべきではないときに、心のなかで何らかの対策を練ろうとするからだ。
私たちは日中、臨機応変に感情や心を入れ替えないといけない。上司と話すときと顧客と話すときとでは、違う姿勢で接する必要があるように。
怒っているお客の相手をしたら、次のお客に会う前に気持ちを入れ替えるべきだ。ある状況で生じた感情は、別の場所にはそぐわないのである。動揺するか落ち着いていられるか。
あるいは恐れるか冷静でいられるかを決めるのは、外からの刺激ではない。あなた自身の反応なのだ。あなたの反応が、恐怖や不安を感じさせるのである。
あなたが反応を示さず、ただ「電話を鳴りっぱなしにしておけば」、周囲で何が起ころうと、心が乱されることはない。
あなたが目指しているのは行動する人であって、″何にでも反応する″人ではない。人間は、第一に反応する生き物ではなく、「行動する生き物」なのだ。
風向きしだいでどこへでも流されてしまう船長のいない船のようにただ環境にその場その場で反応する生き物ではない。
目標へ邁進する生き物として、まず行動を起こそう。自ら目標を設定し、進むべき道を決める。
そして、日標へ邁進するメカニズムに基づいて、環境に適切に、つまり、自らの進歩を促し、目的にかなうようなやり方で反応しよう。
負のフィードバックに反応すると目標へ行き着けなかったり目的にかなわなかったりするのなら、そんなものに反応する必要はない。
どのような反応であれ、そのせいで針路を逸れ、支障が生じるようなら、反応しないことこそが適切な反応なのだ。
習慣的・自動的で無意識な反応を先延ばしにすれば、過剰反応の習慣が直り、条件反射をなくせる。リラクゼーションは、人間本来の安定剤だ。それは反応しない状態のことだ。
身体のリラクゼーションを日々の実践によって身につけよう。そして、日常の活動で反応せずにいるべきときは、リラックスしているときの行動をとろう。
神経質な反応を抑える日々の安定剤として、また感情のメカニズムから不適切な感情をクリアする手立てとしても、心のなかの静かな部屋を活用しよう。
自分でこしらえたメンタル・イメージでむやみに自分を怖がらせるのはやめよう。妄想を相手にしてはいけない。いまここに存在するものにだけ感情として反応し、それ以外は無視しよう。
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