人格、この認識しやすいが定義しにくい、しかし誰もがもっている魅力的で謎めいた存在は、外部から獲得するものでなく、むしろ内部から解き放たれるものだ。
「人格」は、神に似せてつくられたユニークで創造的な自己、すなわち私たちのなかに潜む神性のヒラメキが、内から外に現れたものだ。
どんな人の内部にも存在するこの真の自己は魅力的だ。まさに人を惹きつける存在で、他人に多大な影響を及ぼす。赤ん坊が、誰からも愛されるのはなぜだろうか。ありのままだからこそ、愛されるのだ。
赤ん坊には「人格以上の何か」があるのだ。嘘や建て前や偽善はない。赤ん坊の表現方法には、泣くか笑うかのどちらかしかないが、それで真の感情を表現している。思っていることをそのまま伝えているだけなのだ。
よく言われる「本来の自分であれ」を完璧に体現し、何のためらいもなく自分を表現し、まったく抑制するところがない。
赤ん坊を見ていれば、抑制は学習をとおして自己イメージに教え込まれるものであって、自己イメージのなかで自然に生まれるものではないことがわかる。
慎重すぎると歩みは止まってしまう
誰でも、人格という謎めいたものをもっている。あの人は「良い人格」の持ち主だ、と言うとき、その人は自分のもつ創造的な才能を解放し、真の自己を表現できている。
反対に「悪い人格」とは、「抑圧された人格」のことだ。
悪い人格の人は、内に秘めた創造的な自己を発揮せずに、それを抑えこみ、手錠をかけて牢に入れ、牢の鍵を投げ捨ててしまっている。
そういう人は、何らかの理由で自分を表現することや自分自身を恐れ、真の自己を心の牢獄に閉じ込めてしまっている。抑圧の症状はさまざまな形で現れる。
内気、臆病、自意識過剰、敵意、過剰の罪悪感、不眠症、神経質、短気、付き合い下手などだ。サイバネティクスという科学理論は、抑圧された人格について新たな知見をもたらしてくれる。
抑圧から脱して自由になる方法や、自ら牢獄に閉じ込めてしまった精神を解き放つ方法を示してくれる。サーヴォ機構における負のフィードバックは、「批判」に当てはまる。
つまり、「あなたは間違っている。針路から外れている。軌道修正をして正しい方向へ戻れ」というシグナルを出しているのである。
その本来の目的は、反応を修正して進行方向を変更することで、進行を停止することではない。
負のフィードバックが適切に働いていれば、追尾式ミサイルや魚雷は「批判」にきちんと反応し、軌道修正して、ターグットヘ向かって前進しつづけることができる。
このときのコースは、前にも説明したとおり、ジグザグの連続になる。ところが、負のフィードバックに対して敏感になりすぎると、サーヴォ機構は修正をしすぎてしまう。
そうなると、ターグットヘ向かって前進するのでなく、ただ横方向へ大きくジグザグに動いたり、前進をやめてしまったりする。負のフィードバックは、常にこう言っている。
「いま進行中のそのやり方をやめて、ほかのことをしろ」その目的は、反応を修正したり前進の度合いを変えたりすることであって、決して動作を完全に止めてしまうことではない。
負のフィードバツクは「止まれ!」とは言わない。「いましていることは間違っている」とは言っても、「何をするのも間違いだ」とは言わない。
ところが、負のフィードバックに対して敏感になりすぎると、反応を修正するのでなく、完全に抑圧してしまう。抑圧とは、負のフィードバックがかかりすぎることだ。
「批判」に過剰に反応しすぎると、現在のコースが正しい針路から逸れている(間違っている)と判断するだけでなく、前進を望むことさえ間違っていると結論づけしやすい。
ハイキングや狩猟で山に行く人は、何キロも離れた場所から見える背の高い木など、目印になるものを駐車地点の近くで見つけておく。
車に戻るとさ、その木(ターグット)を探し、それを目指して歩きだす。ときどき視界からその本が消えることがあっても、自分の進行方向と木の位置を比較すればコースを確認できる。
進行方向が本から一五度左に逸れていたら、行動に「間違い」がある。その場合、すぐにコースを修正し、再び木を目指して歩く。歩くこと自体が間違っているという、愚かな結論づけはしない。
ところが私たちの多くは、実のところそうした愚かな結論を下している。
自分の表現の方法が的外れだったり、間違っていたりすることに気づくと、自己表現そのものや、自分が成功する(ターグットの本にたどり着く)ことを間違っていると結論づけてしよう。
負のフィードバックがかかりすぎると、適切な反応を妨げたり、完全にストップさせたりしてしまうが、それは愚かなことだと肝に銘じておこう。
良かれと思った行動が、悪印象を与えることもある
針に糸を通したことがあるだろうか?初めは糸をしっかり固定できていた手が、針の穴に近づいてそこへ通そうとすると震えだす。
糸を通そうとするたびに、どういうわけか手が震えだし、糸が穴からずれてしまう。日の細いビンに液体を注ぐときにも、同じようなことが起きやすい。最初は手を固定していられるのに、いざ注ごうとすると、不思議なことに手が震えてしまう。
しんせん医学用語ではこれを「ocむo∽①一お日o【(企図震頭)」という。この症状は、何か目的を達成しようとして、「失敗しないように」と注意深くなりすぎたときに起こる。
脳のなかのある部位を損傷していたりすると、震えがさらに激しくなることもある。
たとえばある患者は、何もするつもりがなければ手を震わせずにいられるのに、ドアの鍵穴に鍵を差そうとすると、手が二〇センチ前後もジグザグに動いてしまう。
また、最初はペンをしっかり握っていられるのに、サインをしようとすると手が震えてどうしようもなくなる。このことを恥ずかしがって、見知らぬ人の前で失敗しないように「注意深く」なると、サインができなくなるのだ。
こうした場合、リラクゼーションのテクニックを訓練すると、たいていは驚くほどの効果がある。
このテクニックでは、努力しすぎたり意図しすぎたりするのをやめ、失敗を避けようとして注意深くなりすぎないことを学ぶ。
注意深くなりすぎ、誤りを犯すまいと考えすぎることも、過剰な負のフィードバックのひとつだ。どもリグセがあって失敗しないように注意深くなりすぎる人の場合と同じで、行動を抑圧してだめにしてしまう。
過剰な注意深さと不安は同類なのだ。
どちらも、失敗の可能性を気にしすぎ、間違いを恐れ、正しいことをしようと意識的に努力しすぎることと関係している。
「私はこんな厳格でつまらない完璧主義者が嫌いだ。失言しないように何も話さず、失敗しないように何も行動しない人が」とヘンリー・ウォード・ビーチャーは言った。
他人の思惑を気にしすぎたり、他人を喜ばせようと気を配りすぎたり、(事実であれ、思い過ごしであれ)他人の不満に敏感になりすぎたりすると、負のフィードバックが過剰に働いて抑圧が生まれ、失敗してしまう。
常に、自分の行動や言葉や態度を意識してモニターしていても、抑圧を受け、自意識過剰になる。良い印象を与えようと気を回しすぎると、創造的な自己が締めつけられ、抑圧される。
そのため結局、かなりまずい印象を人に与えてしようことになる。他人に好印象を与える最善の方法は、「意識的に他人に好印象を与えようとしない」ことだ。
意図的にこしらえた結果のためにだけ、何かをしたりしなかったりするのではいけない。他人にどう思われているか、どう評価されているかと考えるのをやめよう。
必要なのはバランスと調和
私たちは、他人が実際よりもはるかに自分のことを考えていると思いがちだ。テレビの人気コメディー・ドラマ『フレイザー』でこんな話があった。
心理学者の主人公(フレイザー博士)が生涯功労賞を受賞したとき、昔世話になった大学教授から花束と祝い状が届く。
祝い状には「おめでとう。君もさぞかし誇らしいことだろう」と書いてある。かつては師と仰いだ人からの祝いの言葉に、フレイザーも最初は喜ぶ。
だが、そのうちに、教授の言葉に隠れた意味があるのではないかと勘ぐりだす。なぜ「私も誇りに思う」ではなく、「君もさぞかし誇らしいことだろう」なんだ,・と。
やがて彼は教授の研究室へ出かけていき、その短い言葉にこめられた意図について、疑問や自分なりの解釈を並べ立てる。
フレイザーの話がひと息ついて、ようやく口をはさめるようになると、教授がおずおずとこう言う。
「私はただ、秘書に花とカードを送るように言っただけだよ。メッセージを書いたのも秘書なんだ」誰もが同じことをしている。
もちろん、私もだ。ある晩、友人宅でのパーティーが終わり、車で家へ向かっていた。そのとき、パーティーである男性から言われたひと言に隠れた意味があるのではないかと気になり、妻のアンに尋ねた。
「あの男がああ言ったのは、こういうつもりだったのかな?。それともこんなつもりか?なんで僕のことをそんなふうに思ったのだろう?」アンは言った。
「あの人は何も考えちゃいないわ。酔っぱらっていたんだから」他人の発言(あるいは視線)の真意に心を悩ませて、どれほど多くの時間を費やしてきただろうか?・あなたが気をもんでいる一方で、当の相手はとっくにその出来事を忘れ、いろいろな人や場所や物事に関心を移しているものなのだ。
必要なのはバランスと調和だ。医者は、体温が上がりすぎたら下げようとし、下がりすぎたら上げようとする。また、なかなか眠れない人にはよく眠るための薬を処方し、眠りすぎてしよう人には起きていられるような興奮剤を処方する。
高い体温か低い体温か。よく眠れるかよく起きていられるか。どちらがいいという問題ではない。治療は、症状と反対の方向へ向かわせることなのである。
ここでまた、サイバネティクスの原理の出番となる。目標は、自己実現のできる適切で創造的な人格である。
その目標に到達するルートは、抑圧の「しすぎ」と「しなさすぎ」の間の道となる。抑圧がひどければ、抑圧を無視してなくしてしまうようにして、軌道修正をするのだ。
抑圧しすぎないための5つのエクササイズ
ここで、抑圧の「しすぎ」や「しなさすぎ」によって針路から逸れているのかどうかのシグナルを紹介しよう。
自信過剰で、たえずトラブルに巻き込まれる。無鉄砲なことをするクセがある。衝動的で考えの浅い行動をするせいで、いつも厄介な状況に陥る。行動が先で疑問は後回しにするため、物事が裏目に出る。自分の間違いを認められない。他人の秘密を吹聴する。このような人は、きっと抑圧の「しなさすぎ」だ。
だが、大多数の人はこの部類には属さない。逆に、見知らぬ人の前で内気になる。慣れない新しい環境を恐れる。
結果をよく考えてから行動しないといけない。無神経な振る舞いをやめて、あらかじめもっと注意深く行動することを考えないといけない。
自分は不適切だと感じ、なにかと心配ばかりする。神経質で自意識過剰。顔面のチックや過剰なまばたき、震え、入眠障害などの神経症状がある。
社交的な場でくつろげない。遠慮がちで、常に目立たないようにしている。こうしたシグナルはすべて、抑圧しすぎていることを示す症状だ。
何事にも慎重になりすぎ、事前に考えすぎている。
そんなあなたは、新約聖書で聖パウロがフィリピの信徒に与えた助言「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい……」を実践する必要がある。
「抑圧しすぎない」ために、次のエクササイズを実践しよう。
①何を話そうかと事前に思い悩んではいけない。
ただ口を開いて話しだそう。その場で話をつくっていくのだ(キリストはこぅ教えている。審間の場に引き出されるときに、何を言おうかと考えてはならない。そのときに言うべきことは聖霊が教えてくれる)。
②計画を立ててはいけない(明日のことは考えない)。
行動する前に考えない。行動しながら軌道修正をしよう。極端なアドバイスに聞こえるかもしれないが、サーブォ機構は実際そのように働くものなのだ。魚雷は、前もって誤りを「考え」、あらかじめ修正するわけではない。まず行動を起こし、つまり目標に向かって飛び出し、それから生じる誤りを修正するのだ。
③自分を批判するのをやめよう。
抑圧された人は、批判的な自己分析ばかりしている。どんなにささいな行動でも、したあとに「ああすべきだったのだろうか」と思い悩む。自分を責めるのはやめよう。
有益なフィードバックは、無意識に、自然に、自動的に働く。自己批判や自己分析、内省は、一年に一度ぐらいなら有効かもしれない。
しかし、自分の行動をいちいちあとから批判するのは破滅的だ。この手の自己批判に気をつけて、阻止することを心がけよう。
④大きめの声で話す習慣を身につけよう。
抑圧された人は、えてして話し声が小さい。声のボリュームを上げよう。人を怒鳴りつけたり、激しい口調でしゃべったりする必要はない。
ただ意識して、常にいままでより大きめの声で話すようにする。大きな声で話すこと自体に、抑圧をなくす強力な効果がある。
大声でうなりながら物をもち上げると、声を出さないでそうするときよりも最大で一五パーセントもパワーアップし、より重い物をもち上げられることが実験で確かめられている。
大きな声を出すことで抑圧が解け、これまで抑えつけられていた分も含めたすべてのパワーが発揮できるようになるのだ。
⑤人に好意を抱いたら、それを相手に伝えよう。
毎日、最低でも三人はほめること。結婚しているのなら、日に最低三度は、相手に「愛している」と言うこと。
人の行為や服装や発言が気に入ったら、正直にそれを伝えよう。「それ気に入ったよ、ジョー」「メアリー、その帽子、すごくかわいいわ」「ジム、さすがに君は賢いね」という具合に。
注記*1ヘンリー・ウォード・ビーチヤー…一八一三〜八七年。アメリカの牧師・説教家。当代随一の説教家として有名。ヒューマニストで、奴隷制度に反対した。
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