MENU

第2章マインドセットでここまで違う

マインドセットのことがわかりはじめると、新しい世界が開けてくる。

能力を固定的にとらえる世界では、自分の賢さや才能を証明できれば成功、自分の価値を確認できればそれが成功だ。

一方、能力は伸ばせるものと考える世界では、頑張って新しいことを習得できれば成功。

自分を成長させることができれば成功なのだ。能力を固定的に考える世界では、つまずいたらそれでもう失敗。

落第点を取る、試合に負ける、会社をクビになる、人から拒絶される──そうしたことはすべて、頭が悪くて才能がない証拠だ。

それに対し、能力は伸ばせると考える世界では、成長できなければ失敗。

自分が大切だと思うものを追求しないこと、可能性を十分に発揮できないことこそが失敗となる。

能力を固定的に見る世界では、努力は忌まわしいことである。挫折と同様に、頭が悪くて能力に欠ける証拠だからである。頭が良くて才能があれば、そもそも努力する必要などない。

それに対し、能力は伸ばせると考える世界では、努力こそが人を賢く、有能にしてくれる。

どちらの世界を選ぶかは、あなたしだい。マインドセットは信念にすぎない。

強いパワーを持つ信念だが、結局のところ心の持ちようであり、それを変える力はあなた自身が握っている。

ぜひ本書を読みながら考えてみてほしい。あなたはどちらの世界に生きたいと思うか。そのためにはどちらのマインドセットを選べばよいだろうか。

目次

新しいことを学べたら成功か、賢さを証明できたら成功か

著名な社会学者ベンジャミン・バーバーがこう述べている。

私は人間を弱者と強者、成功者と失敗者とには分けない。……学ぶ人と学ばない人とに分ける」人間はいつから学ぶのをやめてしまうのだろうか。

だれもがみな旺盛な学習意欲を持って生まれてくる。赤ちゃんは日々新しいことをマスターしていく。歩く、しゃべるといった困難きわまりない課題にもどんどんチャレンジする。

難しくて無理だとか、努力してもムダだなんて決めつけない。間違ったらどうしよう、恥をかくんじゃないかなんて気にしない。歩いてはつまずき、また起きあがる。よろけながらも、ひたすら前に進んでいく。

このあふれんばかりの学習意欲をつぶしてしまうもの、それこそが硬直したマインドセットなのである。

自分自身を評価する力が芽生えたとたんに、チャレンジを恐れる子どもがでてくる。

自分は頭が悪いのではないかと怖じ気づくようになるのだ。

私は何千人にも及ぶ子どもたちを就学前から追跡調査してきたが、せっかくの学ぶチャンスを退けてしまう子どもがあまりにも多いことに驚かされる。

4歳児に次のように尋ねてみる。

「簡単なジグソーパズルをもう一度やる?それとも難しいのに挑戦してみる?」すると、まだこんなに幼くてもマインドセットがこちこちの子──能力は変わらないと信じている子──は、安心してできる簡単な方を選んだ。

そして、「かしこい子はまちがったりしないんだよ」とも言った。マインドセットがしなやかな子──もっと賢くなれると信じている子──はそうは考えない。

「なんでそんなこと聞くの、先生。同じパズルを何度もやりたい子なんているわけないでしょ」。

そして次々と難しいパズルに挑戦していった。「あぁ、もっとやりたいなぁ!」幼い女の子が嬉しそうな声をあげた。ある中学1年の女の子はこう語った。

「頭がいいかどうかは初めから決まっているんじゃなくて、頭が良くなるように勉強するんだと思うな。

……ほとんどの子は、答えに自信がないと手を挙げて答えようとはしないけれど、私は進んで手を挙げることにしているの。

間違っていたら直してもらえるから。

手を挙げて『どうやって解けばいいんですか』とか『私にはわかりません、ヒントをください』と言うこともあります。そうやって、頭を良くしていくの」パズルに限ったことではない失敗を恐れて、難しいパズルに挑戦しそびれるだけならまだしも、将来にかかわる大切な機会を逃してしまうことはないだろうか。

それを調べるために、特殊な状況を利用して調査を行なった。香港大学ではすべてが英語で行なわれる。授業も英語、テキストも英語、試験も英語。

入学してくる学生の中には英語が苦手な者もいるが、早い時期に英語力アップをはかれば、大きなメリットになる。

新入生が初年度の手続きにきたとき、明らかに英語が苦手とわかる学生に、「英語力アップが必要な学生のための講座を設けたら受講しますか」と質問した。

同時に、その学生たちのマインドセットを判定した。次のような意見にどの程度賛成するかを尋ねたのだ。

「知能の量は一定で、それを根本的に変える方法はあまりない」という意見に賛成する学生は、硬直マインドセットの持ち主。

それに対し、「知能はいつになってもかなり伸ばせる」という意見に賛成する学生は、しなやかマインドセットの持ち主と考える。

そのあとで、どの学生が英語講座を受講すると答えたかを調べた。

その結果、しなやかマインドセットの学生は迷うことなく受講を希望したが、硬直マインドセットの学生は英語講座にあまり興味を示さなかったことが明らかになった。

学ぶことを重視するしなやかマインドセットの学生は、学べるチャンスをしっかりとらえて逃さなかった。

ところが、硬直マインドセットの学生は、自分の弱点をさらすのを嫌った。つまり、目先のことにとらわれるあまり、大学生活を危機にさらして平気でいたのだ。

硬直マインドセットは人間を学習から遠ざけてしまうのである。

違いは脳波にも現れるマインドセットの違いは脳波にも現れる。

両方のマインドセットの人たちに、コロンビア大学の脳波実験室に来てもらった。

難しい問題に答えさせ、それが正解か否かを知らせて、どのようなときに興味や注意が喚起されたことを示す脳波が現れるかを調べた。

硬直マインドセットの人たちの関心が高まるのは、「あなたは正解です」と言われたときだった。

答えが正解か否かを告げられる瞬間に最大の注意が払われることが、脳波から明らかになった。

一方で、学習に役立つ情報が提示されても興味を示す気配はみられなかった。答えが間違っていたときでさえ、正しい答えを知ることに興味を示さなかったのである。

知識を広げてくれる情報にしっかりと注意を向け、学習に重きを置いているのはしなやかなマインドセットの人たちだけだった。

どちらを優先させるか

どちらか一方を選ばなくてはならないとしたら、あなたはどちらを選ぶだろうか。

失敗せずにすむ安全な道をゆくか、それとも、苦労を覚悟でチャレンジするか。

このような選択を迫られるのは、知的な領域に限ったことではない。どのような人間関係を求めるかについても、やはり選択を迫られることがある。

自尊心を満たしてくれる関係か、それとも、成長への意欲をかきたててくれる関係か。

若者たちに理想のパートナーの人物像を尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。

硬直マインドセットの若者が理想のパートナーと考えるのは、・自分をあがめてくれる人・自分は完璧だと感じさせてくれる人・自分を尊敬してくれる人言いかえると、自分の資質をそのまま温存してくれる人が理想の相手なのである。

しなやかなマインドセットの若者が望むのは別のタイプだった。

彼らにとっての理想のパートナーは、

  • こちらの欠点をよくわかっていて、その克服に取り組む手助けをしてくれる人
  • もっと優れた人間になろうとする意欲をかきたててくれる人
  • 新しいことを学ぶように励ましてくれる人

もちろん、あら探しをしたり、自尊心を傷つけたりするような人を望んではいなかったが、自分の成長をうながしてくれる人を求めていた。

自分は完全無欠な人間で、もう学ぶことなどないとは思っていないからだ。それでは、マインドセットの異なる2人が一緒になったらどうなるのだろう。

硬直マインドセットの男性と一緒になった、しなやかなマインドセットの女性が、その結婚生活をこんなふうに語っている。

結婚式の後片づけも終わらないうちに、自分が重大なあやまちを犯したことに気づきはじめました。

私が「もう少し努力してみましょうよ」とか「決める前に相談してほしいな」と言うたびに、彼はがっくり打ちのめされてしまうのです。

そうなったらもう、こちらの提案について話しあうどころではなく、心の傷をケアして元気を回復させるのに、たっぷり1時間かかってしまいます。

それだけならまだしも、すぐに母親に電話をかけに行くのです。いつも母親からほめそやされていないとダメなようでした。

2人ともまだ若く、結婚生活はどちらにとっても初めての体験。私は話しあえる関係を求めていたのですが。

おわかりのように、夫が理想とする関係──批判せずに、丸ごと受け入れてくれる関係──は、妻の求めるものとは違っていた。

そして、妻が理想とする関係──ともに問題に立ち向かってゆく関係──は夫の求めるものとは違っていた。

一方にとっての成長が、もう一方にとっては悪夢でしかなかったのである。

CEO病

周囲からあがめられて采配をふるい、完璧な人間と思われたがる──おわかりのとおり、これは「CEO(最高経営責任者)病」と呼ばれているものだ。

リー・アイアコッカがその典型だった。

1980年代にクライスラー社のトップとして成功をとげたとたんに、彼は先ほどの硬直マインドセットの4歳児そっくりになってしまった。

目先を少し変えただけの同じ型の車ばかり作り続けたのである。そんな車はもうだれも買いたがらなかった。

その間に日本の自動車メーカー各社は外観デザインや走行性能の徹底的な見直しをはかっていた。

その結果どうなったかは、もうご存じのとおり。あっという間に日本車に市場を席巻されてしまったのである。

CEOは常に選択を迫られている。自分の欠点と向きあうか、それとも、欠点の見えない世界を作り上げてしまうか。

アイアコッカは後者を選んだ。自分の崇拝者で周囲を固め、批判する人びとを追放していったのである。

たちまち現場の情報が入ってこなくなって、リー・アイアコッカは学ばない人に成り下がってしまった。

しかし、だれもがみなCEO病にかかるわけではない。優れたリーダーの多くは常に自らの欠点と向きあっている。

ダーウィン・スミスはキンバリー・クラーク社での素晴らしい業績を振り返りながらこう語る。

私は職務に要求される資質を身につける努力を片時も怠ったことがない」と。

このような人びとは、しなやかマインドセットの香港大学生と同様に、補習科目の受講を見送ったりはしない。

CEOはまた別の面でも選択を迫られている。

短期利益を追求する経営戦略をとって自社の株価を急騰させ、いっときの英雄を装うか、それとも長期的な業績向上に努めるか。

つまり、ウォール街の批判を覚悟で、その後もずっと会社が健全に成長していくための基盤を築くか。

サンビーム社の経営再建のために招かれたアルバート・ダンラップは、硬直マインドセットの持ち主だった。

短期戦略を選んだ彼はウォール街の寵児となる。株価はいっとき急上昇したものの、結局、サンビームは経営破綻に陥ってしまった。

IBM社を窮地から救うために呼び寄せられたルー・ガースナーは、しなやかマインドセットの持ち主だった。

IBMの企業文化や方針を徹底的に改めるという、とてつもない課題に着手したとたんに株価が低迷。

彼はウォール街の冷笑を浴び、さんざん失敗者呼ばわりされた。けれどもそれから数年後、IBMはふたたび業界トップに返り咲いたのだった。

可能性の限界に挑むマインドセットがしなやかな人は、自ら進んで困難に挑戦するだけでなく、それを糧にしてどんどん成長してゆく。

立ちはだかる壁が厚ければ厚いほど、力を振りしぼって頑張ろうとする。それがよくわかるのがスポーツの世界である。

選手たちは限界に挑戦しながら実力を伸ばしてゆく。米国女子サッカー界のスター、ミア・ハムはずばりこう言う。

「私は小さい頃からずっと、自分より年長で、体も大きく、技術的にも上で、経験も豊富な、つまり自分よりも優れた選手たちに負けないように頑張ってきたの」。

まず兄たちに混じってサッカーをはじめ、10歳のときに11歳の少年チームに入り、やがて米国ナンバーワンの大学サッカーチームに飛びこむ。

「まわりのレベルに追いつこうと毎日必死……自分でも驚くほどのスピードで上達したわ」パトリシア・ミランダは、レスリングの選手らしからぬポッチャリ型の高校生だった。

みっともない負け方をして「お笑いね」とからかわれ、初めて涙を流した。

「あれで本当に決意が固まったの……ここでやめるわけにはいかない。努力と集中力と信念とトレーニングで本物のレスラーになれるかどうか試してやるって」彼女のこの不屈の精神はどこで芽生えたのだろう。

ミランダはチャレンジなどとは無縁の幼年期を過ごした。ところが10歳のとき、40歳の母親が動脈瘤で他界。ミランダの心にある信条が刻みつけられる。

死ぬ前に『自分は可能性の限りを尽くした』と言って死んでいきたい──母を亡くしたとき、そういう張りつめた思いに駆られたの。楽なことだけして人生を終えたのでは申し訳が立たないと思う」。

だから、レスリングが試練を課してきたとき、ミランダにはそれを受けて立つ覚悟ができていたのである。

24歳にして、ついに努力が報われる。

米国チームの48キロ級代表としてアテネ五輪に出場し、銅メダルを携えて帰国した。そのあとどうしたか。なんと彼女はイエール大学ロースクール(法科大学院)に入学したのである。

そのままトップの座にとどまればよいのにと惜しまれつつ、もう一度ゼロから出発して自分の可能性を試してみる道を選んだのだった。

安全確実なことはお手のものしなやかマインドセットの人が意気揚々としているのは、言うまでもなく、何かに全力で取り組んでいるとき。

では、硬直マインドセットの人はどんなときだろう。ものごとが完全に自分の手中にあって、順調に進んでいるときである。

手に負えなくなると──自分を賢い、デキると感じられなくなると──たちまちやる気が失せてくる。

それを目の当たりにしたのは、医学生の化学の成績を1学期のあいだ追跡調査したときだ。

医師をめざして頑張ってきた学生たちばかりだが、この課程を修了しなければその道は閉ざされてしまう。

しかも、化学は難関コースの中でも特に苦労する科目。A以外の成績など取ったこともない学生たちなのに、試験の平均点は毎回C+だった。

化学の授業がはじまった当初は、大多数の学生が意欲満々だった。ところが学期の途中で異変が生じた。

硬直マインドセットの学生は、すんなりうまくいっている間だけは関心が保たれていたが、難しくなったとたんに興味もやる気もガクンと落ちこんだ。

自分の賢さが証明されないと、面白く感じられないのである。ある学生はこう語った。

「難しくなると、読書や試験勉強がたいへんになる。前は化学が面白くてたまらなかったのに、今は化学のことを考えるたびに胸がむかつく」それに対して、しなやかマインドセットの学生は、勉強が大変になってもやる気が低下することはなかった。

想像していたよりはるかに難しいけれど、それは望むところ。ますますやる気が湧いてくる。きみには無理だと言われると、やってやるぞという気になる」手ごわいほど、興味をそそられるのだ。

もっと年少の子どもたちの間でも同じ現象がみられた。小学校5年生に楽しいパズルを与えると、全員が面白がってやろうとする。

ところがパズルを難しくすると、硬直マインドセットの子はまったく興味を示さなくなり、家に持ち帰ってやりたいとも言わなくなった。

「もうやったからいい」と噓をつく子も現れた。そんなに早く終わるはずはないのだが……。パズルが得意な子でもそれはまったく同じだった。

パズルの才能があっても意欲の低下は避けられなかったのである。それに対して、しなやかマインドセットの子どもたちは難しい問題に釘付けになった。すっかり気に入って、家に持ち帰りたがった。

「このパズルの名前を教えてくれる?全部終わっちゃったら、ママに別のを買ってもらえるように」と言ってきた子もいる。

先ごろ、ロシアの偉大な舞踊家・指導者であるマリーナ・セミョーノヴァにかんする記事を読んでいて、たいへん興味をそそられた。

彼女は、独自に編みだした選考方法で、志願者のマインドセットをテストしていたのだ。

元生徒の話によると「志願者にはまず仮入学期間が与えられます。その期間に、先生は、志願者がほめられたときや欠点を指摘されたときにどのように反応するかを観察し、指摘された点をしっかりと直す者を選ぶのです」つまり、セミョーノヴァは、楽なこと──すでに習得していること──を好む生徒と、難しい課題に挑戦することに喜びを感じる生徒とを選別しているのだ。

私は、自分の口から初めて、「これは難しくて、面白い」という言葉が出たときのことをけっして忘れない。

それは、自分のマインドセットが変化しつつあるのを自覚した瞬間だった。

自分を賢いと感じるのはどんなときか硬直マインドセットの人は、とりあえずできたくらいでは満足しない。

ちょっと頭が良く有能そうに見えただけではダメ。完璧にできなくてはいけない。しかも、即座に完璧にこなせなければいけないのである。

小学生から10代後半までの人たちに「どんなときに自分を賢いと感じますか」と尋ねたところ、明らかな違いが現れた。

硬直マインドセットの人の答えは、「ひとつも間違えずにできたとき」「何かをすばやく完璧にこなしたとき」「人にはできないことが自分には簡単にできるとき」つまり、即座に完璧にこなせるときなのだ。

他方、しなやかマインドセットの人の答えは、「すごく難しくても本気で頑張って、以前にはできなかったことができたとき」「ずっと考えていた問題の解き方がようやくわかりはじめたとき」即座に完璧にできたときではなく、時間をかけて何かを習得しているとき、困難に立ち向かいながら前進しているときなのだ。

能力があるのなら、学ぶ必要なんてない?学ばなくても、能力はおのずと現れるもの。

結局、能力のある人はあるし、ない人はない──硬直マインドセットの人がそう考えるのを、私はいつも目の当たりにしている。

コロンビア大学心理学部では、世界中の入学志願者の中から、毎年6名の大学院生を受け入れている。

みんな驚くほど試験の点数が良く、成績はほぼ完璧で、有名教授のべたぼめの推薦状を携えてやってくる。

他の一流校からの誘いも受けていたりする秀才ぞろいである。ところがたった1日で、自分を別人のように感じはじめる学生がいる。

昨日まで自信満々の優等生が、今日はみじめな劣等生。いったいどうしたというのだろう。

教授たちの長い出版物リストを見ては「うわぁ、自分にはとてもそんなことはできない」。

学会で発表する論文を提出したり、助成金申請のための研究計画案を作成している上級生を見ては「うわぁ、自分にはとても無理」。

試験の点数やA評価の取り方は知っていても、どうすればこんなことができるのかはまだ知らない。

学生たちはこの「まだ」という点を忘れているのである。まだ知らないから、それを教わるために学校があるのではないか。

そのやり方を学ぶために入学したのであって、すでに何もかも知り尽くしているから来たわけではない。

60年代によく言われた言葉に「完成品より途上品」(Becomingisbetterthanbeing)という言葉があるが、凝り固まったマインドセットは、こつこつ学んでいく贅沢を許さない。すでに完成していることを求めるのである。

1回のテストで決まってしまうのか硬直マインドセットの人はなぜ、今すぐ完璧にできなくてはいけないと思うのだろうか。

それは、1回のテストや1回の評価で自分の価値が永遠に決まってしまうと思っているからだ。

ロレッタは、20年前、5歳のときに家族とともに米国に移住してきた。

その数日後、母に連れられて新しい学校に行き、さっそくテストを受けさせられたのを覚えている。

そして次に思い出すのは、幼児クラスに入れられたこと──でもそこはエリート幼児クラスの「イーグル」ではなかった。

その後、ロレッタはイーグルクラスに移されて、高校卒業までずっとイーグルで過ごし、その間に数々の成績優秀賞を獲得した。

にもかかわらず、彼女は自分をイーグルの一員だと思ったことは一度もない。あの最初のテストで、自分の固定した能力が測定されて、イーグルではないとの判定が下されたのだと思いこんでしまった。

よく考えてみれば、当時まだ5歳。しかも、慣れない国に来て急激な変化を体験したばかり。

もしかしたら、当座はイーグルに空きがなかったのかもしれないし、やさしいクラスの方がなじみやすいだろうという学校側の配慮だったのかもしれない。

考えられる理由はいろいろあるのに、残念ながらロレッタは勘違いをしてしまった。

硬直マインドセットの世界では、イーグルになるなんてことはありえない。本当にイーグルならば、試験で満点を取ってすぐにイーグルに入れてもらえたはずなのだ。

こんなふうに考えてしまうのは、ロレッタだけだろうか。それとも、案外多くの子どもたちが同じように考えるのだろうか。それを調べる実験をしてみた。

小学校5年生に、閉じたボール紙の箱を見せて、「この中にテストが入っています」と伝える。

そして、「このテストは学校での重要な能力を評価するものです」とだけ言って、それ以上のことは一切言わずにおく。

その後で、そのテストについていくつか質問する。

まず、こちらの説明が伝わったかどうかを確かめるために、「このテストは学校での重要な能力を評価するものだと思いますか」と尋ねる。

全員がこちらの説明を言葉どおりに受けとめていた。次に、こう尋ねてみる。

「このテストは、現在どのくらい頭が良いかを測定するものだと思いますか」「このテストは、将来どのくらい頭が良くなるかを予測するものだと思いますか」しなやかマインドセットの児童は、こちらの言葉どおり、そのテストは重要な能力を評価するものだと受けとめていたが、現在どのくらい頭が良いかを測定するものだとは思っておらず、ましてや、将来どのくらい頭が良くなるかを予測するものだとは全然思ってもいなかった。

「わかりっこないよ!テストでそんなこと」と言った子もいる。

ところが、硬直マインドセットの児童は、そのテストで重要な能力が評価できると信じていただけではない。

現在どのくらい頭が良いかも、さらに、将来どのくらい頭が良くなるかもわかると確信していた。

彼らは1回のテストで、現在と将来の基本的な知的能力がわかると信じていた。

つまり、そのテストで自分の価値が決まってしまうと思っており、だからこそ、彼らは1回でもしくじるわけにはいかないのである。

潜在能力とはここで「潜在能力」についてもう一度考えてみよう。

私たちの持つ潜在能力や可能性、それから将来どうなるかということまで、テストでわかるのだろうか。

硬直マインドセットの人はイエスと答えるだろう。現在の固定的な能力を測定すれば、将来のことまでわかってしまう。テストを受けて専門家に尋ねれば、水晶玉なんて必要ないと。潜在的な可能性も今の時点でわかると思っている人は少なくない。

しかし、今の時代に大きなことを成しとげた人の多くは、その道の専門家からまったく見込みがないと思われていた人びとである。

ジャクソン・ポロック、マルセル・プルースト、エルヴィス・プレスリー、レイ・チャールズ、チャールズ・ダーウィンみなしかり。

その分野の潜在能力など皆無に等しいと思われていた。たしかに、最初からキラリと光るものなどなかったのだろう。

けれども、潜在能力とは、こつこつと時間をかけて自分の技能を伸ばしていく能力のことではないのか。

だとしたら、努力と時間でどこまで到達できるかなんてどうしてわかるのだろう。

ポロック、プルースト、プレスリー、ダーウィンらの駆けだし時代の腕前などだれも知らないが、まだ、あのプルーストやプレスリーではなかったはずだ。

しなやかマインドセットの人は、潜在能力が開花するには時間がかかることを知っている。

最近、私たちの調査に参加したある教師からお怒りの手紙をいただいた。

その調査とは、数学のテストで65点を取ったジェニファーという架空の生徒について、あなたならどのように指導しますかと、先生方に尋ねる調査だった。硬直マインドセットの先生方は喜んで答えてくれた。

テストの得点をみれば、ジェニファーがどんな子かも、どれだけの能力を持っているかもすっかりわかると思っているからだ。

さまざまな提案がなされたが、リオーダンという先生は憤慨して、次のような手紙をくれた。

関係各位殿先日の調査にお答えはしましたが、私の答えは除外していただきたい。

研究そのものが科学的根拠に欠けると思うからです……残念ながら、この調査は誤った前提のもとに行なわれています。

たった一度のテストの点数にもとづいて、ある生徒について考えよとのことですが……1回の評価ではその子の力はわかりません。

1点だけが与えられても、そこから伸びる直線の傾きは決まらないように、時間軸上の1点だけでは、その子の傾向も、進歩のぐあいも、努力する子かどうかも、数学的才能の有無もわかりません。

マイケル・D・リオーダンわが意を得たりとはまさにこのこと。私はリオーダン先生の批判が嬉しかった。

ある一時点での評価は、人の能力を知るのにほとんど役立たない。いわんや、これから伸びていく潜在能力などわかるはずもない。

困ったことに、そうは考えていない教師が多い。それを調査するのが研究の目的だったのだ。

1回の評価で先々のことまでわかってしまうと思うから、硬直マインドセットの人は切迫感に駆られる。今すぐに完璧にできなければいけないと思ってしまうのだ。

すべてがここで決まってしまうというときに、これから少しずつ学んでいこうなんて、だれがそんな悠長なことを考えるだろうか。

ところで、なにか潜在能力を測定する方法はないものだろうか。

NASA(米航空宇宙局)も同じことを考えて、宇宙飛行士候補生を募るときに、順風満帆の人生を歩んできた人は採用せず、大きな挫折体験からうまく立ち直った人を採用するようにした。

また、ゼネラル・エレクトリック社(GE)の名高いCEO、ジャック・ウェルチは、経営幹部を選ぶにあたって成長の可能性を秘めた人を選んだ。

著名なバレエ指導者のマリーナ・セミョーノヴァもまた、欠点を指摘されて発奮する生徒を入学させた。

こうした人たちはみな、能力を固定したものとは考えず、マインドセットに注目して人材を選んでいたのである。

特別であることを証明したい硬直マインドセットの人が、成長よりも成功することを選ぶのは、いったい何を証明したいからなのだろう。それは、自分は特別だということ、人よりも優れているということだ。

彼らに「自分をかっこいいと感じるのはどんなときですか」と尋ねると、多くの人が、自分を特別な人間のように感じるとき、人と違っていて、人よりも優れていると感じるとき、と答える。

テニスのジョン・マッケンローは硬直マインドセットの人だった。才能がすべてだと思っており、学ぶことが嫌いだった。逆境を糧にして奮起するのではなく、うまくいかなくなるとすぐに酒に逃げこんだ。

だから、本人いわく、可能性を出し切ることができなかった。とはいっても、並みはずれた素質の持ち主だったので、4年間、テニス界の世界ナンバーワンの座にとどまり続けた。

当時の様子を本人が次のように語っている。マッケンローは試合中、手の汗を吸収するためにおがくずを使っていた。そのおがくずが気に入らなかったときのこと。

彼はおがくずの缶に近づいていき、ラケットで殴ってそれをひっくり返した。エージェントのゲーリーが驚いて駆け寄ってきた。

「注文したのは君だろ」。ぼくは怒鳴りつけていた。「おがくずが細かすぎるぞ。これじゃまるで猫いらずじゃないか。ちゃんとしたのを持ってこい」。

ゲーリーは飛びだして行って、20分後、もっと粗いおがくずの入った新しい缶を持って戻ってきた……ポケットから20ドルが減っていた。

組合従業員に金を払って、断面5×10センチの木材を挽いてもらったのだ。世界ナンバーワンの実態はこんなものだった。

また、接待してくれた品位ある日本人女性に難癖をつけたこともあった。翌日、その女性は詫びの品を携えて頭を下げに来た。

「すべてが自分を中心にまわっていた……『ご入り用なものはございませんか。不都合なことはございませんか。これはわたくしどもが支払いましょう。それはわたくしどもがやって差し上げましょう。どんなことでもいたしますよ』と言われて、自分はやりたいことだけをやっていればよく、それ以外のことは『とっとと失せろ』。長いこと、それを当然のように思っていた。あきれてしまうけれど」なぜ、そんなふうに思ってしまうのだろう。

成功している人間は、人よりも優れている。だから、人をこき使っても、ひれ伏させてもかまわない──硬直したマインドセットの世界では、このような考え方が自尊心の名のもとにまかり通ってしまうのだ。

それとは対照的なマイケル・ジョーダンを見てみよう。彼はしなやかなマインドセットを持った超一流の運動選手。

だれもが一様に「スーパーマン」「人の姿をした神」「バスケットシューズをはいたイエスキリスト」とほめたたえる。

自分を特別だと思っても不思議はない人間がいるとしたら、彼をおいてほかにない。

それなのに、バスケットボールに復帰するという噂がセンセーションを巻き起こしたき、ジョーダンはこう語った。

「試合に復帰するくらいでこんなに騒がれるなんて……カルトの教祖か何かみたいに持ち上げられて恥ずかしくてたまらない。ごく普通の人間なのに」

ジョーダンは、自分が努力によって能力を伸ばしてきた人間であることを知っていた。苦労を重ねながら成長をとげてきた人であり、生まれながらに秀でた人間ではなかった。

トム・ウルフは『ライト・スタッフ』の中で、マインドセットが硬直したエリート空軍パイロットたちの姿を描いている。

次々に厳しいテストに合格するうちに、彼らは自分を特別な人間だと思うようになっていく。生まれながらにして人よりも賢くて勇敢な人間なのだと。

しかし、『ライト・スタッフ』のヒーロー、チャック・イェーガーはそれに異を唱える。

「生まれつきのパイロットなんていやしない。私にどれほど適性や才能があっても、熟練パイロットになるのは並大抵のことじゃない。それこそ一生かけて学び続けるのさ……ベスト・パイロットはだれよりも飛行経験が多い。だからこそベスト・パイロットなのさ」。

マイケル・ジョーダンと同じく彼も人間だった。限界を超えてまで能力を高めた人間だった。

話をもとに戻すと、能力を固定したものと思っている人は、しくじってはならないという切迫感にいつも駆られている。

そして成功すると、誇らしさが優越感にまで膨れ上がる。なぜなら、成功するのは、固定的な能力が人よりも優れている証拠だからである。

けれども、硬直したマインドセットの自尊心の裏には、単純な疑念が潜んでいる。

それは、成功すればひとかどの人物だが、失敗したらどうなるのかということだ。

マインドセットしだいで変わる失敗の意味マーティン夫妻は3歳の息子のロバートがご自慢で、いつもその手柄話ばかりしていた。

こんなに聡明で創造力あふれる子は見たことがないと。ところがその後、ロバートが許しがたいことをやらかしてくれた。ニューヨークでいちばんの幼稚園に入れなかったのである。

それ以来、マーティン夫妻はロバートに冷たく当たるようになり、それまでのように息子について話すことも、誇りと愛情を持って接することもなくなった。

もはや才能輝くロバート坊やではなく、親の面目を丸つぶれにしてくれた信用のならない子。ロバートはわずか3歳にして失敗者の烙印を押されてしまったのである。

これは『ニューヨーク・タイムズ』の論説記事にあった話だがそこで指摘しているように、近年、「失敗」の意味あいに変化が生じている。

私は失敗した、というひとつの出来事に過ぎなかったものが、私は失敗者だ、というアイデンティティにまでなってきているのだ。

とりわけ、硬直マインドセットの人の場合にはその傾向が著しい。偉大なるゴルファー、アーニー・エルスも、敗北者になってしまう不安を語っている。

出る試合、出る試合、負け続けた時期を経て、ようやく5年ぶりにメジャートーナメント優勝を果たした。

けれども、もしこの大会も落としていたら「自分は違う人間になっていただろう」と彼は言う。負け犬になっていただろうと。

毎年4月になると、大学からぺらぺらの封筒──不合格通知──が届いて、全国津々浦々に無数の失敗者が発生する。

優れた才能を持つ何千という若き学徒たちが、「プリンストン大学に入れなかった女の子」「スタンフォード大学に落ちた男の子」になってしまうのである。

しなやかマインドセットの人にとっても、失敗がつらい体験であることに変わりはない。けれども、それで「失敗者」になってしまうことはない。

彼らにとっての失敗とは、それに立ち向かい、それと取り組み、そこから教訓を得るべきものなのだ。

アメリカンフットボールチーム、ミネソタ・ヴァイキングズの元ディフェンスプレーヤー、ジム・マーシャルは、もう少しで失敗者になりかけたときのことを語っている。

サンフランシスコ・フォーティーナイナーズ戦でのこと、転がるボールを拾ったマーシャルは走り切ってタッチダウン。

観衆は沸きたった。けれども走る方向が逆だった。彼は相手チームに点を入れてしまい、その大失態が全国ネットのテレビで放映されてしまった。

人生最悪の瞬間。

あまりの恥ずかしさに打ちのめされそうになった。けれどもハーフタイム中に考えた。

「ミスをしたら、その分を取り返さなくては。ただ悲嘆に暮れていることもできるけれど、挽回することもできる。すべては自分次第じゃないか」。

すっかり立ち直って後半を迎えたマーシャルは、選手生活屈指の素晴らしい働きをしてチームを勝利へと導いた。

それだけで終わらなかった。大勢の人々にその体験を語ったのである。

その勇気に励まされて、やっと自分の恥ずかしい失敗を告白する気になった人々から、続々と手紙が寄せられた。

マーシャルはその一通一通に返事を書く一方で、試合中、集中力を高めることに努めた。

失敗体験のなすがままにされるのではなく、それを逆手にとって自分を鍛えたのだ。

失敗を糧にして、プレーヤーとしても、人間としてもひとまわり成長したと彼は思っている。

「どうせ〜」「〜のせい」では成功は逃げていくばかり

マインドセットが硬直していると、挫折が大きな心の傷として残るだけでなく、それを乗り越える手立てを見つけることもできない。

失敗するのは、自分が能力や可能性に欠ける──失敗者である──証拠だとしたら、もうどうしようもないではないか。

中学1年生に、学校の勉強でしくじったとき──新たにはじまった科目のテストで悪い点数を取ったとき──にどうするかを話してもらった研究がある。

しなやかマインドセットの生徒たちは、予想どおり、次のテストに備えてもっとしっかり勉強すると答えた。

ところが、硬直マインドセットの生徒たちは、次のテストの勉強はあまりしないだろうと答えた。能力がないのに勉強したって時間のムダではないかという。

冗談ではなしにカンニングの方法を工夫すると答えた生徒もいた!能力がないのだから、何か別の手を探すしかないと考えたのだ。

硬直マインドセットの生徒たちは、失敗から学んで次に挽回しようとせずに、ただ自尊心を満たすことばかり考えようとする。

たとえば、自分よりもさらに出来の悪い者を探して安心するといったやり方だ。

試験の成績の悪かった大学生に、他の学生の答案を見る機会を与えたところ、しなやかマインドセットの学生は、自分よりもはるかに成績の良かった学生の答案に目を向けた。

いつものように、自分の欠点を改めようとしたのだ。

ところが、硬直マインドセットの学生は、全然できなかった学生の答案にばかり目を向けた。みじめな気持ちを少しでも和らげる方法を選んだのである。

ジム・コリンズは、著書『ビジョナリー・カンパニー2飛躍の法則』(日経BP社)の中で、企業について同じようなことを述べている。

プロクター・アンド・ギャンブル社が紙製品事業で躍進をとげたとき、当時業界トップのスコットペーパー社はただ手をこまぬいているだけだった。

総力を結集して戦いに乗りだすのではなく、「まあ、この業界にはうちよりも業績の悪いところだってあるんだし」というぐあい。

硬直マインドセットの人が失敗したときに、自尊心を取り戻すために用いるもうひとつの手は、何かのせいにしたり言い訳したりすることだ。

ジョン・マッケンローの場合をもう一度見てみよう。マッケンローは自分の落ち度で試合に負けたことは一度もない。あるときは、熱のせい。あるときは、腰痛のせい。

あるときは、過大な期待がプレッシャーになったせいで、あるときは、大衆ゴシップ紙のせい。

あるとき、友人と対戦して負けたのは、相手が恋愛中で自分はそうでなかったから。

あるときは、試合直前に食事をとったせい。あるときは、太りすぎのせいで、あるときは、やせすぎのせい。あるときは、気候が寒すぎたからで、あるときは、暑すぎたから。あるときは、練習不足のせいで、あるときは、練習しすぎのせい。

今でも思い出すと夜眠れなくなるほどくやしい敗北を喫したのは、1984年の全仏オープン決勝戦だ。

2セット先取でイワン・レンドルをリードしていながら、なぜ負けたのだろう。マッケンローいわく、それは自分のせいではなかった。

NBCのカメラマンにヘッドホンをはずされて、コートサイドの騒音が耳に入ってきたからなのだ。悪いのは自分ではない。

だから、集中力を高める訓練も感情をコントロールする努力もしなかった。

伝説的なバスケットボールコーチ、ジョン・ウドゥンは、失敗を何かのせいにしないかぎり、その人は失敗者ではないと語る。

つまり、自分が間違いを犯したことを認めることができれば、そこから教訓を得てまだまだ成長していけるということなのだ。

以前、米国のエネルギー販売最大手のエンロン社が放漫経営のせいで倒産したのは、いったいだれの落ち度だったのだろうか。

エンロンを巨大企業に導いた当事者で、CEOでもあったジェフリー・スキリングは、断じて自分の過ちではない、悪いのは世の中だと主張して譲らなかった。

エンロンのやろうとしていることを世間が理解してくれなかったのがいけないのだという。

では、会社ぐるみの粉飾決算を司法省が調査したことについてはどう考えているか。それは「魔女狩り」だという。

しなやかマインドセットのCEO、ジャック・ウェルチは、GEの失策に対してまったく違った反応を示した。

1986年、GEはウォール街の投資銀行、キダー・ピーボディーを買収した。

ところが、その取引終了直後に、キダー・ピーボディーは大がかりなインサイダー取引疑惑で打撃を被ることになる。

それから数年後にも同社のジョセフ・ジェットの件でまたしても災難に見舞われる。

このトレーダーは総額何億ドルにもおよぶ空取引で私利を得ていたのだ。

この2回とも、ウェルチはGEの経営陣14名に電話してその悪いニュースを伝え、1人ひとりに謝罪した。

「今回の不祥事の原因は私にあります」と。

マインドセットと抑うつ心理学者であり教育者でもある私は、抑うつという状態にたいへん興味を持っている。

大学のキャンパスにはこれが蔓延しており、とりわけ2月、3月には猛威をふるう。

冬が居座っていて、夏はまだまだ遠く、勉強や仕事がたまってきて、人間関係のもめごとに悩まされがちな時期だからだ。けれども、ずっと以前から、はっきり気づいていることがある。

それは、抑うつに陥ったときの対処の仕方が、学生によってまったく異なるということだ。

投げやりになってしまう学生がいる一方で、落ちこみながらも、めげずに頑張り通す学生もいる。

そういう学生は、何とか授業に出席して勉強に遅れないようにし、身のまわりのこともきちんとやっているので、復調したとき生活に何の支障もきたさずにすむ。

そこで、このような対処の仕方の違いに、マインドセットが関与しているかどうかを調査することにした。

まず、学生たちのマインドセットを評価し、2月から3月にかけての3週間、学生たちにオンライン日記をつけてもらった。

毎日、気分はどうか、何をしたか、問題にどう対処しているかという質問に答えてもらったのだ。

その結果、次のことが明らかになった。まず、硬直マインドセットの学生たちの方が抑うつの程度がひどかった。

その原因を分析したところ、自分の問題点や失敗が頭から離れないせいであることがわかった。

もっと言うと、失敗したのは自分が無能で役立たずの証拠だ、という思いで自分を苦しめていたのだ。

「おまえはバカだという言葉が頭の中でぐるぐるまわり続ける」「自分はろくでなしだという思いにつきまとわれる」。

やはり、失敗者という烙印を押されて、そこから抜け出せなくなっていたのである。

そして、気分が落ちこめば落ちこむほど、ますます投げやりになり、問題解決の手段を講じようとしなくなった。

たとえば、しなければならない勉強をさぼる、課題を期限までに提出しない、掃除や洗濯などの雑事をほったらかしにする、などだ。

調査期間が抑うつのピークシーズンだったので、硬直マインドセットの学生ほどではないにせよ、しなやかマインドセットの学生の中にも、かなり暗い気分に陥る学生が大勢いた。

ところがここで、私たちはじつに意外なことを発見したのである。

しなやかマインドセットの学生は、気分が落ちこめば落ちこむほど、なおいっそう問題解決の手立てを講じ、勉強に遅れないように注意し、身のまわりのことに気を配っていた。

気が滅入れば滅入るほど、ますます意志を強く持とうと奮起していたのだ!たぶん、彼らの行動を見ただけでは、本人がどれほど意気消沈しているかはわからなかっただろう。

ある男子学生が次のような話をしてくれた。

ぼくは1年生で、家を離れるのはこれが初めてでした。

まわりは知らない人ばかりだし、授業は難しいし、時がたつにつれてどんどん気分が落ちこんでいき、とうとう朝ベッドから起きられないほどになりました。

でも毎朝何とか起きあがって、シャワーを浴び、ひげを剃り、やらなくちゃいけないことをこなしていました。

ある日、もう本当にどん底まで落ちこんだぼくは、助けを求めようと思って、心理学科の助手の先生を訪ねて相談したんです。

「授業には出ていますか」と聞かれたので、「はい」と答えました。「必読書はちゃんと読んでいますか」「はい」「試験で及第点を取っていますか」「はい」「それなら、あなたは抑うつではありませんよ」

いや、彼はたしかに抑うつ状態だったのだが、しなやかマインドセットの人がたいていそうであるように、気持ちをしっかり持ってそれに対処していた。

このような違いには、気質が大きく影響しているのではないだろうか。

人によって、生まれつき気を病みやすい人もいれば、わりあい平気でいられる人もいるのではないか。

たしかに気質の影響もあるにはあるが、ここでもっとも重要なのはマインドセットなのだ。

しなやかなマインドセットを教えられた人は、気分がふさぎこんだときの身の処し方ががらりと変わってくる。

気分がふさげばふさぐほど、ますます奮起して、立ちはだかる問題と取り組むようになる。

人間の資質は変わりようがないと信じていると、失敗したら最後、それで自分の評価が決まってしまう。

頭が良かろうが才能があろうが、マインドセットが凝り固まっているかぎり、そこから抜けだす手立ては見出せない。

人間の基本的資質は伸ばせるものだと信じていても、失敗すればつらいのは同じこと。しかし、それで自分の評価が決まってしまうことはない。

能力を伸ばすことができるのなら──自分を変化させ、成長させることができるのなら──成功への道筋はまだまだたくさん残されているからだ。

マインドセットが変われば努力の意味も変わる

子どもの頃に読んだ「ウサギとカメ」の物語では、足は速いけれどもそそっかしいウサギと、足はのろいけれども着実なカメが競争すると、地道に努力するカメの方が勝つんだよと教わった。

でも、実際、カメになりたいと思った子なんていたのだろうか。だれもが望んだのは、もう少し慎重なウサギ。

疾風のごとく足が速くて、ゴール前でうっかり昼寝などしないウサギ。勝つためには、やはり足が速くなければいけないことくらい、みんな知っている。

ところで、この「ウサギとカメ」の物語は、地道な努力の大切さを教えることを意図していながら、結果として、努力というものによくないイメージを与えてしまった。

つまり、努力はのろまなやつがすることだが、たまにできるやつがヘマをすると勝利が転がりこむこともある、という印象を与えてしまったのだ。

このような物語の難点は、天賦の才の持ち主か、才能に恵まれない努力家か、そのいずれかでしかないと思わせてしまうところにあるが、これこそが硬直マインドセットの考え方なのだ。

「努力なんて才能に恵まれない人のすること。頑張らなければできないのは能力に欠ける証拠。真の天才ならばおのずとできて当たり前」と、硬直マインドセットの人は思っている。

著述家で、『ニューヨーカー』ライターのマルコム・グラッドウェルによると、私たちの社会では、骨を折って何かをなしとげるよりも、苦もなくあっさりやってみせる方が高く評価されるという。

とてつもないことを、こともなげにやってのける超人的能力の持ち主こそが、現代のヒーローなのだ。これぞまさしく、硬直マインドセットの考え方にほかならない。

デューク大学の研究者たちは、「苦労せずに何でも完璧」でありたいと望む女子学生に不安や抑うつが蔓延しているとして警鐘を鳴らしている。

彼女たちは泥臭い努力などせずに(少なくとも、そういう臭いを感じさせずに)、美しさ、女らしさ、教養と三拍子そろった女性を演じなくてはいけないと思いこんでいる。

努力の価値を軽んじるのは、アメリカ人に限ったことでない。

ワイン醸造所を経営するフランス人、ピエール・シュヴァリエもこう述べている。

「あくせく働くなんてフランス人の流儀ではない。商売のコツをつかめば、骨を折らなくてもやっていける」しなやかマインドセットの人はそうは考えない。

天才であっても、何かをなしとげるためには汗を流して努力する必要があると思っている。

「才能があるってそんなに偉いこと?」と言うかもしれない。才能があればたしかに素晴らしい。けれども努力を侮ってはいけない。どれほど才能があろうとも、放っておけばそのまんま。

努力することによって初めて才能に火がつき、そこから素晴らしい業績が生まれるのだから。

本気で努力するのが怖い努力は欠陥人間のすることだ、というのが硬直マインドセットの考え方だ。

自分の欠点を自覚している場合はともかく、自分を完璧な天才のように思っている場合には、努力などしたら自分の価値を下げることになりかねない。

ナージャ・サレルノ・ゾネンバーグは弱冠10歳でフィラデルフィア交響楽団のヴァイオリン奏者としてデビューした。

といっても、優れたヴァイオリン教師、ドロシー・ディレイの指導を受けるためにジュリアード音楽院に入ったときには、まだ、とんでもない癖がたくさんあった。

指使いや弓使いもおかしいし、ヴァイオリンの持ち方も間違っていた。けれども、どうしてもそれを改めようとしなかった。

何年かすると、他の生徒たちに追い越され、10代の後半には自信を失ってぼろぼろになってしまう。

「それまで、成功して当たり前、新聞に神童と書かれて当たり前だと思っていた私が、敗北者の気分を味わうことになった」この神童は努力することを恐れていた。

「頑張ろうとすると怖くなった。やってみてやっぱりダメだったら、と思うと恐ろしかった。……オーディションを受けて落ちても、本気で挑戦したのでなければ、とことん練習して臨んだのでなければ、全力を尽くしたのでなければ、まだ言い訳ができる。

……でも、『自分のすべてを出し切ったのに、やはりダメだった』と言わなくてはならなくなったら、それ以上つらいことはない」精一杯やってもダメだったら、言い訳しようのない状況に追い込まれたら、という、硬直マインドセットにとって何より恐ろしい不安に駆られた彼女は、レッスンにヴァイオリンを持ってくることすら止めてしまったのだ!いつか立ち直ることを信じて、何年間もじっと見守ってきたディレイ先生だったが、とうとうある日、こう言いわたした。

「いいですか、来週もヴァイオリンを持ってこなければ、私のクラスから出て行ってもらいます」。

サレルノ・ゾネンバーグは冗談かと思った。けれども、ディレイ先生は椅子から立ち上がって穏やかに言った。

「私は本気ですよ。才能をみすみす台無しにするような人に協力するつもりはありません。もうやめにしましょう」なぜ、努力することがそんなに怖いのだろうか。

理由はふたつある。

まずひとつには、硬直マインドセットの人は、才能に恵まれている者に努力は不要だと思っている。だから、努力が必要というだけで自分の能力に疑念を抱いてしまうのだ。

もうひとつには、サレルノ・ゾネンバーグが述べているように、言い訳のしようがなくなるからである。それほど頑張ったわけでなければ「やればできたはずなのに」と言える。

けれども懸命に努力した結果がそうだと、もう何も言い訳はできなくなってしまう。

サレルノ・ゾネンバーグにとって、ディレイ先生に見捨てられる以上に恐ろしいことはなかった。

そんなことになるくらいなら、一か八か、死に物狂いで頑張ってみよう。

やってみてダメなら潔くあきらめよう──ようやく腹がすわった彼女は、次のコンテストに向け、ディレイ先生について練習をはじめた。

生まれて初めて、持てるかぎりの力を注いで練習に励んだ。ちなみに、結果は優勝。当時を振り返って彼女はこう語る。

「ようやくわかったの。大好きなことに努力を惜しんじゃいけない。音楽を愛しているのなら、捨て身で挑まなければいけないんだと」

ほんとうに恐ろしいのはどちらか

心から望んでいることを実現できるチャンスがあるのに何もせずにいるなんて、しなやかマインドセットの人には考えられないことだ。

「やればできたのに」なんて、その方がよっぽどつらい。

1930年代から50年代にかけての米国で活躍した女性の筆頭といえば、クレア・ブース・ルース。

作家・脚本家として名を成しながら、下院議員に二度当選し、イタリア大使も務めた。その彼女がこう語っている。

「私には『成功』という言葉の意味がよくわからない。みんなが私のことを成功者だと言うけれど、いったいどこが成功なのだろう」

公務と私生活のごたごたに追われて、心から愛する脚本の仕事には戻れずじまい。

『ウィメン』などの戯曲で大成功を収めていながら、政界の大物になってからはもう、辛辣なセクシーコメディを書いている余裕などなかった。

独創的な作品を生みだすことにこそ最大の価値を置いていたのに、それとは無縁の政治の世界に身を投じてしまった彼女は、来た道を振り返っては、演劇への情熱を追求しなかった自分を許せない気持ちに駆られた。

「自伝を書くとしたら、タイトルは『失敗者の自伝』しかないといつも思っていた」アメリカの女子プロテニス選手、ビリー・ジーン・キング(キング夫人)は、「人生を振り返ったときに何と言いたいか、それですべてが決まる」と言う。

私もその通りだと思う。

使わずじまいの才能を大事そうに磨きながら「やればできたのに……」とぼやくのがよいか。

それとも、「自分が価値を置くことに全力を注ぎこんできた」と胸を張って言えるのがよいか。

よく考えてマインドセットを選びとろう。

もちろん、硬直マインドセットの人だって、次のような教訓をたれる本を読んでいるはずだ。

  • 「成功とは自分の最善を尽くすこと。他人に勝つことにあらず」
  • 「失敗を嘆くなかれ。失敗こそチャンスなり」
  • 「努力こそ成功のカギ」──。

ところが、頭ではわかっても、なかなか実行に移せないのはなぜか。

それは、信念の根本にあるマインドセット──硬直マインドセット──がまるで正反対のことを語っているからなのだ。

「成功を決するのは才能。失敗は能力が劣る証拠。努力は才能なき者の悪あがき」と。

マインドセットにまつわる疑問に答えます

ここまでの話の中で疑問に思われたことがあるのではないか。それに答えよう。

Q人間の資質は変えようがないと信じている人は、自分の賢さや才能を一度証明できたら、もうそれでいいのでは?なぜ、ずっと証明し続けなくてはならないのか。

勇敢であることを証明した王子さまは、お姫さまと末永く幸せに暮らしました。毎日ドラゴンをやっつけに行かねばならなかったわけではありません。

自分の有能さを証明できた硬直マインドセットの人が、生涯心安らかに暮らせないのはなぜですか?それは、日々新たな、より手強いドラゴンが現れるからだ。

昨日証明した能力では、今日の相手には太刀打ちできないかもしれない。

たとえば、代数は解けても微積分は解けなかったり、マイナーリーグではピッチャーが務まってもメジャーではダメだったり、校内新聞にはそこそこの記事が書けても『ニューヨーク・タイムズ』では無理だったり。

毎回自分の力量を示すことにこだわっていたらどうなるだろう。当座は安心した気分になるが、いつまでもたっても堂々めぐり。結局、めざす場所には行き着けずに終わるのではないか。

Qマインドセットは人となりの一部で、変えようがないのでしょうか、それとも、自分の意志で変えることができるのでしょうか?マインドセットは性格の重要な一部分だが、自分の意志で変えることもできる。

2通りのマインドセットの違いがわかれば、今までとは違った考え方や反応ができるようになる。

マインドセットがこちこちのときは、失敗すると自分はもうダメだと思いこんだり、努力が必要になると落ちこんだり、せっかくの学ぶチャンスを逃してしまったり。

ところが、マインドセットがしなやかになると、試練をしっかりと受けとめて、失敗から学びつつ、こつこつと努力を続けられるようになる。

それからもうひとつ重要なのは、マインドセットがこちこちの人でも、いつもそうとは限らないということだ。

実際、私たちは、マインドセットをしなやかにする研究を数多く行なってきた。

たとえば、「能力は伸ばすことができます。この問題にチャレンジすれば頭が良くなります」と教えたり、あるいは、しなやかマインドセットの偉力を伝える科学記事──天賦の才には恵まれずとも素晴らしい能力を発揮した人たちの話──を読ませたりするとどうなるか。

その人はマインドセットがしなやかになって、少なくともしばらくの間は、しなやかなマインドセットの人と同じ行動を取るようになる。

最後の章では、マインドセットを変えることに成功した人の話や、マインドセットを変えるために考案されたプログラムを紹介する。

Q両方のマインドセットが半々という人もいるのでしょうか。

私の中には両方が混在しているような気がするのですが?ほとんどの人が両方のマインドセットを併せ持っている。

単純に2つに分けて説明しているのは、話をわかりやすくするためにすぎない。同じ人でも分野ごとにマインドセットが異なる場合もある。

私自身はどうも、芸術的才能に対してはこちこち、知能についてはしなやかな考え方をするようだ。

また、性格は変えようがないけれども、創造力は伸ばせると思っているふしがある。

能力は伸ばせると信じている分野の能力は、実際に伸びていくことが、私たちの研究からわかっている。

Q努力の大切さはわかりましたが、失敗するのはどんな場合でも本人のせい、つまり努力が足りなかったからなのでしょうか?そんなことはない。

努力が大切なのは確かだが、だからといって、努力ですべてが解決するわけではない。

恵まれた境遇にある人もいれば、そうでない人もいる。

たとえば、お金に余裕のある人や親から経済的援助を受けられる人は、生活のことを気にせずに納得のいくまでチャレンジを続けることができる。

十分な教育を受けられる人、知り合いに有力者がいる人、力の入れどころを心得ている人は、同じだけの努力を投じても大きな成果が得られる。

財力、教育、人脈が、努力の効果を倍増させるのである。

境遇に恵まれない人は、最善を尽くしているにもかかわらず、さんざんな目に遭うこともある。

たとえば、長年実直に勤めてきた地元の工場が突然閉鎖され、その折も折、子どもが病気になって借金を抱えこんでしまう。

それに追い打ちをかけるように、妻が子どもたちと請求書類を残したまま、なけなしの貯えを持って家を出て行った──なんてことになったら、もう夜、学校に通うどころではない。

そんなわけで、努力すれば何でもうまくゆくわけではないこと、努力しても同じように報われるわけではないことも心に留めておこう。

Qしなやかなマインドセットの力で素晴らしい業績を上げ、トップにまで上りつめた人の話をいろいろ聞いてきました。

でも、しなやかマインドセットの人が目指すのは、他人に勝つことではなく、自分自身の成長ではないのですか?トップに上りつめた人の例を取り上げたのは、しなやかマインドセットの偉力を示すため、つまり、才能は伸ばせると信じていると潜在能力が最大限に発揮されることを示したかったからだ。

さらに言うと、勝敗にこだわらず、自分に納得のいく生活を送っている人の例を挙げても、硬直マインドセットの人には説得力に欠けるからでもある。

楽しく生きるか、人に勝つか、ふたつにひとつなら、やはり人に勝つ方がよいと思うかもしれない。

しかし何と言っても重要なのは次の点だ。

つまり、マインドセットがしなやかな人は、自分のやっていることを愛していて、困難にぶつかってもいやになったりしないことだ。

マインドセットのしなやかなスポーツ選手、実業家、音楽家、科学者はみな、自分のやっていることを心から愛していた。

それが、硬直マインドセットの人たちとの違いである。

しなやかマインドセットの人には、その道のトップになろうなんて考えてもいなかった人が多い。

好きで好きでたまらないことに打ち込んでいるうちに、いつの間にかそうなっていたのだ。

何とも皮肉な話だが、硬直マインドセットの人が必死で追い求めているトップの座を、情熱を傾けて取り組んだことの余得として手に入れてしまうのである。

もうひとつ重要なことがある。

硬直マインドセットの人にとっては、結果がすべてなので、失敗したり1位になれなかったりすると、それまでの努力がすべて水泡に帰する。

他方、しなやかマインドセットの人は、結果がどうなろうとも、今、力を注いでいることそれ自体に意義を見出すことができる。

たとえば、ガンの治療法を求めて研究を重ね、結局は有効な治療法が見つからなかったとしても、研究してきたことそれ自体の価値が薄れることはない。

ある弁護士は、預金をだまし取られたと主張する預金者にかわり、州最大手の銀行を相手取って訴訟を起こした。

7年の歳月をかけた闘いの末に敗訴したとき、こう語った。

「この裁判に悔いはない。どうしても闘うことが必要だったのだから。

そうでなければ最初から提訴などしなかっただろう」Q出世街道まっしぐらの仕事人間で、マインドセットがこちこちではないかと思われる人を大勢知っています。

自分はデキる人間であることをひけらかしたがりますが、仕事は熱心だし、チャレンジ精神も旺盛です。

硬直マインドセットの人は努力を嫌うというお話と矛盾しませんか?硬直マインドセットの人はだいたいが、労せずして成功することを好む。

自分の才能を見せつけるにはそれがいちばんだからである。

けれどもおっしゃるとおり、人の資質は変わらないと信じ、たえず有能さを示そうとしながらも、精力的に仕事に取り組む人も大勢いる。

ノーベル賞に人生を賭けている人や、世界一の大富豪を目指している人はそうかもしれない。目標の達成に必要ならば努力をいとわないのだ。

この種の人たちは、懸命に努力することが能力に欠ける証拠だとは思っていない。

けれども、それ以外の硬直マインドセットの特徴はすべて持ち合わせている。

たえず才能をひけらかす。才能がある分だけ自分は人よりもエライと思っている。ミスや失敗、批判をひどく嫌う、などである。

ちなみに、しなやかマインドセットの人だってノーベル賞や巨富が嫌いなはずはない。

けれども、そういうものを手に入れることで、自分の価値を確認したり、自分の優越を誇示したりしようとは考えない。

Q自分の硬直マインドセットに不満を感じていない場合はどうなのでしょう。

自分にはどのような能力や才能があり、それがどの程度のもので、何ができそうか、そうしたことがよくわかっている場合でも、マインドセットを改める必要があるのでしょうか?満足しているのならば、どうぞそのままで。

本書の目的は、2つのマインドセットとそれが生みだす世界を描きだし、どちらの世界に住みたいかを考えてもらうこと。

重要なのは、マインドセットは自分の意志で選びとることができるという点なのだ。

硬直マインドセットだと、自分のことがすっかりわかっているような気分になれるので、その方が気が楽かもしれない。

どうせ才能がないのだから努力しても仕方ないとか、才能があるのだから必ずうまくいくとか、そんなふうに考えられるからだ。

けれども、硬直マインドセットの落とし穴に注意しよう。

自分の才能を過少評価してせっかくのチャンスを逃したり、逆に、才能にあぐらをかいて成功の機会を逃したりということにもなりかねない。

ところで、しなやかマインドセットを選んだからといって、無理して何かを追求する必要はない。

能力は伸ばすことができると言っているだけで、実際にどうするかは自分で決めればよいことだ。

Q努力しだいで自分のすべてを変えられるのでしょうか。

変えられる点は何もかも変えようと努力しなければいけないのでしょうか?能力は伸ばすことができると信じるのがしなやかマインドセットだが、どれくらい伸ばすことができ、どれほど時間がかかるかについては何も述べていない。

また、すべてを変えられると言っているわけでもない。好みや価値観など、なかなか変わらないものもある。変えられる点は何もかも変えなければ、と思う必要はない。

だれにでも、どうしようもない欠点がある。自分の人生や他人の生活に差し障りがなければ、あえて変える必要はない。

硬直したマインドセットは成長や変化の妨げになる。マインドセットをしなやかにすれば変化への道が開けてくる。

けれども、どの部分を変えるのがもっとも有意義かは、自分で判断すべきことだ。

Q硬直マインドセットの人は、単に自信不足なだけではないのですか?ノー。

硬直マインドセットの人もしなやかマインドセットの人も、自信の量に違いはない。といっても、それはものごとが順調に運んでいる間だけ。

何かに失敗したり、努力が必要な場面に出くわしたりしたとたんに、硬直マインドセットの自信はもろくも崩れ去る。

ジョセフ・マルトキオは、コンピューターの短期訓練コースを受講する従業員を対象にある実験を行なった。

受講者の半数には「上達するかどうかは生まれつきの能力によります」と告げて、硬直マインドセットを植えつける。

残りの半数には「練習しだいでどんどん上達します」と言って、しなやかマインドセットを植えつける。

それぞれのマインドセットが定着したところで訓練に入った。

コンピューター技能にかんする自信の程度を調べたところ、スタート時には両グループで差は見られなかったのに、コース終了時には大きな差が生じていた。

しなやかマインドセットの従業員は、学習すればするほどコンピューター技能に自信をつけていった。

どんなにミスをしても自信は損なわれなかった。

ところが、硬直マインドセットの従業員は、そうしたミスを気に病んで、学習するほどに自信を失っていったのである!硬直マインドセットの人が自信を守ろうとやっきになるのは、そういうところに原因がある。

それほどにもろい自信なのだ。

ジョン・マッケンローが言い訳ばかりしていたのも、崩れそうになる自信を何とか食い止めるためだった。

女子ゴルファーのミシェル・ウィーは、ティーンエージャーながら、世界中の一流男子プレーヤーが集まるPGAツアー、ソニー・オープンにエントリーした。

硬直マインドセットの人たちはこぞって彼女を止めにかかった。

もし手も足も出なかったら、自信を失って立ち直れなくなるかもしれない。

あまり若いうちから強豪相手に惨敗を繰り返すと、後で伸びなくなるおそれがある、と。

著名なプロゴルファー、ビジェイ・シンは、「勝てない試合に出てもダメージを受けるだけ」とツアー出場を見合わせるよう警告した。

けれどもミシェル・ウィーは承知しなかった。

自信をつけようなどとは少しも考えていなかった。

「ジュニアトーナメントで一度優勝すると、ジュニアではもう楽に勝ててしまう。

だからこのツアーに出場して今後に備えたい」。

彼女が望んでいたのは学習体験だった。

世界の強豪たちとプレーする実戦の雰囲気をつかんでおこうとしたのである。

試合後、ウィーの自信は少しも揺るがなかった。

求めていたものをしっかりつかんで帰ってきた彼女は「世界に伍して戦えることがわかった」と述べている。

勝者の仲間入りをするのはしばらく先のことだが、もう試合の勘をつかんでいた。

何年か前には、世界レベルの競泳選手から次のような手紙をいただいた。

ドゥエック先生私はずっと、自信が持てなくて悩んできました。

コーチにはいつも「100パーセント自分を信じろ。

疑念の入りこむ隙を与えるな。

自分が人より優れている点だけを考えろ」と言われました。

でもどうしても、自分の欠点や、試合で必ずやらかす失敗のことが頭に浮かんでしまう。

自分は完璧だと思おうとすればするほど、ますますダメ。

そんなとき、先生の本を読んで気づいたのです。

失敗から学んで前進することだけに専念すればよいのだと。

それ以来、私はすっかり変わりました。

欠点があるなら治せばよい。

ミスを犯すのを恐れることはない。

そう思えるようになりました。

それを教えてくださった先生にお礼を言いたくてお手紙を差し上げました。

どうもありがとうございました。

メアリー・ウィリアムズ注目すべきことに、マインドセットがしなやかならば、必ずしも自信など必要としないことが、私の研究から明らかになった。

つまり、得意だとは思っていないことにでも、果敢に飛びこんでいってやり抜いてしまえるのだ。

得意ではないからこそ、あえて挑戦しようとすることさえある。

これはしなやかなマインドセットの素晴らしい特徴のひとつと言えるだろう。

うまくできる自信がなくても、尻込みせずに、楽な気持ちでトライできるのだ。

マインドセットをしなやかにするには?▼人はみな、学ぶことが大好きで生まれてくるのに、硬直したマインドセットのせいでそれが嫌いになってしまう。

さあ、何かを楽しくやっていたときのことを思い出そう。

クロスワードパズル、スポーツ、ダンス、なんでもよい。

ところが難しくなるといやになって、急に疲れを感じたり、めまいがしたり、退屈になったり、何か食べたくなったりしたのではないか。

今度そうなっても、自分を責めないこと。

それは硬直マインドセットのしわざなのだから、しなやかなマインドセットに切り替えればよい。

困難に打ち克って何かを学ぶたびに、脳に新たな回路が形成されていく様子を思い描こう。

その習慣を続けていこう。

▼私たちはどうしても、自分を完璧だと思える世界を作り上げたくなる。

パートナーを選ぶとき、友だちを作るとき、人を雇うとき、自分には欠点などないと思わせてくれる人を選ぶこともできる。

けれども、それでは人間的な成長は望めない。

今度、追従者に取り巻かれたくなったら、あえて建設的な批判を求めるようにしよう。

▼自分の価値がもう決まってしまったように思った経験はないだろうか。

テストで赤点を取った、人に冷たくあしらわれた、仕事をクビになった等々。

そのことに注意を集中しよう。

そのときに湧いてきた感情をすべてもう一度味わおう。

さあ今度は、しなやかマインドセットの世界からそれを眺めてみよう。

自分の置かれている立場をありのままに認めた上で、自分の知的能力や人間的資質がそれで決まってしまうわけではないことを理解しよう。

肝心なのは次の点だ。

その体験から何を学んだか、あるいは学べるか?どうすればそれを成長に結びつけることができるか?そう考える習慣を身につけよう。

▼気分が落ちこんだとき、あなたはどのように行動するだろうか。

普段以上に日々の生活をきちんとこなそうとするか、ほったらかしにするか。

今度気分が落ちこんだら、しなやかマインドセットに切り替えよう──失敗から学び、試練を受けとめ、それに立ち向かうのだ。

努力を重荷と考えずに、何かを生みだす前向きの力だと考えよう。

そして行動に移そう。

▼いつもやりたいと思っていながら、うまくできる自信がなくて、やらずにいたことはないだろうか。

それを実行に移してみよう。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次