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第7章教育──マインドセットを培う

第7章教育──マインドセットを培う知っておきたい成功・失敗のメッセージ/優れた教師・親とは/しなやかマインドセットの教師はどんな人か

第7章教育──マインドセットを培う「うちの子を、勉強嫌いで努力をしたがらない、できない子にするには、今日何をすればいいかしら」。

そんなことを思っている親はひとりもいない。

普通の親ならば「わが子がシアワセになるためなら、何でもしてやりたい、何でも与えてやりたい」と思っている。

ところが、良かれと思ってしたことが往々にして裏目に出てしまう。

子どものためを思って発した小言や励ましの言葉が、親の意図とは裏腹のメッセージを伝えている場合が少なくないのである。

実際、どんな言葉も行動も、何らかのメッセージを伝えている。

子ども(または生徒)はそのメッセージから、自分がどのように思われているかを感じとる。

「おまえの資質はもう変えようがない。

私がそれを評価してやろう」という硬直したメッセージの場合もあれば、「あなたはこれからどんどん伸びていく人間。

私はその成長ぶりに関心があるのよ」というしなやかなメッセージの場合もある。

子どもたちは、こうしたメッセージに驚くほど敏感で、しかも、そのメッセージに大きな関心を寄せている。

1950年代から70年代にかけて活躍した育児の達人、ハイム・ギノットがこんな話を紹介している。

5歳のブルースが、お母さんに連れられて幼稚園の見学に行ったときのこと。

部屋に入るなり、ブルースは壁に貼ってある絵を見上げて言った。

「あのへたくそな絵はだれがかいたの?」母親があわててたしなめた。

「すてきな絵じゃない。

へたくそなんて言うんじゃありません」。

けれども先生は、ブルースが何を知りたいのかちゃんとわかっていて、こう答えてくれた。

「ここでは、じょうずな絵なんて描かなくていいのよ。

うまくなくていいから、好きな絵を描いてね」。

ブルースは先生に向かってにっこりほほえんだ。

絵がじょうずに描けない子はどうなるんだろうという本当の疑問に答えてくれたからだ。

次に、ブルースは壊れた消防車を見つけ、それを拾い上げて、とがめるような口調で言った。

「だれ、この消防車をこわしたのは?」またもや母親があわててやってきて、「だれが壊したのかわかっても仕方ないでしょ。

知らないお友だちばかりなんだから」でも、先生はちゃんとわかってくれた。

「おもちゃは遊ぶためにあるのよ。

だから、ときには壊れちゃうことだってあるわ」。

今度も先生は、おもちゃを壊した子はどうなるんだろうという、ブルースの疑問に答えてくれた。

ブルースは元気よく幼稚園に通いはじめた。

この幼稚園は自分に優劣の評価を下すような場所ではないとわかって安心したからである。

では、まず最初に、親がわが子に伝えているメッセージについて考えてみよう。

それは、教師が生徒に伝えているメッセージにも共通することである。

知っておきたい成功・失敗のメッセージ成功したときにどんな言葉をかけるか次の言葉にひそむメッセージを聴きとってほしい。

「そんなにはやく覚えられたなんて、あなたはほんとに頭がいいのね!」「マーサ、あの絵をごらん。

あの子は将来のピカソじゃないだろうか」「あなたはすごいわ。

勉強しなくてもAが取れたんだから」たいていの親は、こうした言葉を、子どもの自尊心を高める励ましのメッセージと思うだろう。

でも、もっと注意深く耳を傾けてほしい。

別のメッセージがひそんではいないだろうか。

子どもたちが受けとるのは、次のようなメッセージだ。

・はやく覚えられなければ、頭がよくないんだ。

・なにかむずかしいものを描こうとしないと、ピカソとは思ってもらえないんだ。

・勉強しないほうがいい。

さもないと、すごいと思ってもらえない。

第3章で述べたことを思い出してほしい。

子どもをほめる親たちはみな、子どもをどんどんほめれば、自信がついて成績も上がると考えていた。

頭がいい、才能がある、アスリートの素質十分、等々。

でもちょっと待ってほしい。

頭の良し悪しや才能の有無にこだわるのは、硬直マインドセットの子──裏を返せば、挫折しやすい子──ではないだろうか。

親がいつもそういうことを口にしていると、子どもはますますそれに取りつかれてしまうのではないだろうか。

私がこの研究をはじめたそもそもの動機はまさにここにある。

何百人もの子どもたちを対象に、7回にわたる実験を行なった結果はきわめて明快だった。

頭の良さをほめると、学習意欲が損なわれ、ひいては成績も低下したのである。

どうしてだろう。

ほめられて嬉しくないのだろうか。

もちろん、子どもはほめてもらうのが大好きだ。

特に、頭がいい、才能があると言われると、嬉しくて天にも昇る気分。

でもそれはほんの一瞬にすぎない。

思わぬ障害に出くわしたとたん、それまでの自信はどこへやら、すっかりやる気をなくしてしまう。

成功するのは賢いからだとすれば、失敗するのは頭が悪いせい、という硬直マインドセットに縛られてしまうからだ。

励ますつもりで子どもの頭の良さをほめていると、どんなことになるか。

ある母親からの報告を紹介しよう。

私の体験をお話しします。

うちの小学5年生の息子はとても頭が良く、学校の算数、国語、理科のテストはいつもほとんど満点なのですが、「自尊心」にどうも深刻な問題があります。

夫は優秀な人なのですが、自分の両親に一度もほめてもらえなかった不満から、息子のことをやたら「頭がいいね」とほめます。

以前から私は、それが息子の問題の原因ではなかろうかと思っています。

学校の勉強では楽に良い点数がとれるのに、失敗を恐れて難しい勉強や課題には手をつけようとしないのです。

うぬぼればかり強く、(勉強にせよ運動にせよ)やればみんなよりうまいんだと言いながら、実際にやってみようとはしません。

失敗したら立ち直れなくなるからでしょう。

コロンビア大学の私の研究室の学生も、子ども時代を振り返ってこう述べている。

頑張ったね、ではなく、頭がいいね、とほめられることが多かったように思います。

そのうちにだんだんと、でも着実に、難しい課題に挑戦するのを避けるようになっていきました。

何かを学ぼうとするときに最大のネックとなったのは、まさにこの点──つまり、成績の良し悪しで自分の価値が決まってしまうかのように思いこみ、すぐ完璧にできること以外には手を出さず、どうせくだらないことだとバカにしてかかること──でした。

努力と成長に注目したメッセージを送ろう

子どもが何か素晴らしいことをしても、ほめてはいけないのだろうか。

ほめたい気持ちをぐっと抑えなければいけないのだろうか。

そんなことはない。

ただし、ある種のほめ方──知的能力や才能を愛でるほめ方──だけは避けた方がいい。

お父さんやお母さんは、自分がどれくらい頑張ったかではなく、自分の頭の良さや才能が自慢なんだ、と子どもに思わせるようなほめ方はやめよう。

しなやかな観点に立ったほめ方はいくらでもある。

うまい方法で粘りづよく勉強や練習を重ねて何かを成しとげたことをほめればいい。

また、問いかけの仕方を工夫すれば、子どもの努力や選択を評価する気持ちを伝えることができる。

「今日はずいぶん長い時間、一生懸命に宿題をやってたな。

集中して終わらせることができてえらいぞ」「この絵、きれいな色をとてもたくさん使って描いたのね。

色の使い方のことを話してくれるかな?」「この作文には自分の考えがたくさん書いてあるね。

シェークスピアが別の角度から見えてくるようだね」「心をこめて弾いてくれて、ほんとうに嬉しいわ。

ピアノを弾いているときってどんな気分?」最近知って興味をそそられたのだが、子どもの研究に生涯をささげたハイム・ギノットもやはり、「ほめるときは、子ども自身の特性をではなく、努力して成しとげたことをほめるべきだ」という結論に達している。

ところで、わが子をほめるときは、しなやかな観点に立ったほめ言葉を心がけているのに、よその子を批評するときの言い方で、それを台無しにしている者もいる。

わが子の目の前で友だちのことを「生まれつきの失敗者」「天才児」「頭の足りないおばかさん」などと評する親たちである。

自分の親がよその子にこちこちの評価をくだすのを聞かされていると、その子にも硬直マインドセットが伝染してしまう。

そして、こう思わずにはいられなくなる。

次は自分の番か。

教師もやはり、こうした点に注意する必要がある。

私たちはある実験を行なった。

数学の授業中、生徒たちに、偉大な数学者の業績と生涯について話して聞かせた。

半数の生徒には、その数学者たちはやすやすと数学上の発見をした天才だと紹介した。

すると、それだけで生徒たちは硬直マインドセットになってしまった。

次のようなメッセージが伝わったのである。

「生まれつき数学的能力に優れている人は、何でも簡単にできてしまう。

そもそもきみたちとは違うのだ」。

残りの半数には、その数学者たちは情熱を傾けて数学と取り組んだ末に偉大な発見をした人たちだと紹介した。

すると、生徒たちのマインドセットはしなやかになった。

次のようなメッセージが伝わったのである。

「一生懸命に努力してこそ、技能をみがき、何かを成しとげることができる」。

大人が何げなく発した言葉から、こうしたメッセージを嗅ぎとる子どもたちの敏感さにはまったく驚かされる。

ほめ方について、もうひとつ付け加えておきたいことがある。

子どもに「あら、すいぶんはやくできたのね!」「まあ、ひとつも間違えなかったじゃない!」と言うと、どのようなメッセージが伝わるだろうか。

親はスピードや完璧さを高く評価している、というメッセージである。

けれども、スピードや完璧さは、難しいことに挑戦する場合の敵。

こういうほめ方をすると、「すばやく完璧にできれば賢いと思われるのなら、難しいことには手を出すまい」と思うようになる。

では、子どもがすばやく完璧に、たとえば数学の問題などを終えたときには何と言えばいいのだろう。

ほめずにおいた方がいいのだろうか。

そのとおり。

そういうとき、私ならこう言う。

「あら、簡単すぎたようね。

時間をムダにさせちゃったわ。

今度はもっと実になるものをやりましょう」子どもを元気づけるにはテストや何かの発表を前にして緊張している子どもを安心させるには、どうすればいいだろうか。

この場合も、今までお話ししてきた考え方が当てはまる。

つまり、頭が良いのだから、才能があるのだからと言って子どもを励まそうとしても、逆効果にしかならない。

ボロを出したらどうしようかと、ますます不安な気持ちにさせてしまうからだ。

クリスティーナはとても聡明な高校生なのだが、試験の結果は惨憺たるものだった。

日ごろからきちんと勉強し、内容をしっかり理解しているのに、試験になると緊張して頭が真っ白になってしまうのだ。

当然、成績は落ちて、先生を失望させ、両親をがっかりさせてしまう。

自分が志望する大学で特に重視されている大学入学資格試験が迫るにつれて、その傾向はひどくなるばかりだった。

これまで、試験の前の晩になるといつも両親は、動揺しきっている娘の姿を見て、何とか自信をつけさせようとした。

「ほら、あなたは頭がいいってこと、自分でよくわかっているでしょ。

私たちだってわかってるわ。

絶対に大丈夫だから、もう心配するのはやめなさい」両親はあの手この手で励まそうとするのだが、逆効果になるばかり。

両親はどんな言い方をすればよかったのだろうか。

「自分がみんなから評価されているのに、自分の力をうまく出せないって思うとつらいわよね。

でもけっして、あなたを評価しようとしているわけじゃないのよ。

私たちは、あなたが学んで伸びていってくれることを願っているの。

あなたがしっかり勉強してることはよくわかってるわ。

こつこつと努力を続けているあなたを誇りに思っているのよ」失敗したときにどんな言葉をかけるか成功したときにほめるのは、それほど大変なことではない。

失敗したときにどんな言葉をかけるかの方がはるかに難しい。

子どもはすでにがっくり落ちこんで、傷つきやすくなっているかもしれないからだ。

では次に、子どもが失敗したときに、親はどんなメッセージを送ればよいかを考えてみよう。

9歳のエリザベスは、初めての体操競技会に向かうところだった。

すらりとして、しなやかで、エネルギッシュなからだは体操選手にぴったりだったし、本人も体操が大好きだった。

もちろん、競技に出場することにちょっと不安はあったが、体操は得意なので、きっとうまくできると思っていた。

入賞してリボンをもらったら部屋のどこに飾ろうかしら、なんてことまで考えていた。

最初の種目は床運動で、エリザベスは1番目に演技した。

なかなか素晴らしい演技だったが、途中で採点方法が変わったりして、入賞をのがしてしまった。

他の種目でも健闘したが入賞には手が届かず、結局、1日を終えてリボンをひとつももらえなかったエリザベスはすっかり落ちこんでしまった。

あなたがエリザベスの父(母)親だったらどうするだろうか。

①おまえがいちばんうまいと思う、と言う。

②おまえがリボンをもらうべきなのに判定がおかしい、と言う。

③体操で勝とうが負けようがたいしたことではない、と慰める。

④おまえには才能があるのだから次はきっと入賞できる、と言う。

⑤おまえには入賞できるだけの力がなかったのだ、と言う。

今の社会では、子どもの自尊心を育むことの重要性ばかりが強調され、さかんに子どもを失敗から守りなさいと言われる。

そうすれば、そのときは子どもを落ちこませずにすむかもしれないが、長い目で見た場合には弊害が出てくるおそれがある。

なぜだろう。

では、先ほどの5つの反応を、マインドセットの観点からとらえて、そこに潜むメッセージに耳を傾けよう。

①(おまえがいちばんうまいと思う)は、そもそも本心を偽っている。

1位でないことは、あなた自身よくわかっているし、子どもだって知っている。

こんな言葉をかけても、挫折から立ち直ることもできなければ、上達することもできない。

②(判定がおかしい)は、問題を他人のせいにしてしまっている。

入賞できなかったのは本人の演技に問題があったからで、審判のせいではない。

わが子が、自分の落ち度を他人になすりつける人間になってもいいのだろうか。

③(体操なんてたいしたことではない)は、少しやってみてうまくできないものは、バカにしてかかることを教えている。

子どもに伝えたいのはそんなメッセージ

だろうか。

④(おまえには才能がある)は、この5つの中でもっとも危険なメッセージかもしれない。

才能がありさえすれば、おのずと望むものに手が届くのだろうか。

今回の競技会で入賞できなかったエリザベスが、どうして次の試合で勝てるだろうか。

⑤(入賞できるだけの力がなかった)は、この状況で言うにはあまりに冷酷な言葉のようにも思われる。

あなたならそんなふうには言わないのではないだろうか。

けれども、しなやかマインドセットのこの父親が娘に言ったのは、そういう趣旨のことだった。

実際にはこう言ったのだ。

「エリザベス、気持ちはわかるよ。

入賞めざして思いっきり演技したのにダメだったんだから、そりゃ悔しいよな。

でも、おまえにはまだ、それだけの力がなかったんだ。

あそこには、おまえよりも長く体操をやってる子や、もっと懸命に頑張ってきた子が大勢いたんだ。

本気で勝ちたいと思うなら、それに向かって本気で努力しなくちゃな」父親はさらに、楽しむためだけに体操をやりたいのなら、それはそれでかまわないが、競技会でみんなよりも優れた成績を取りたいのなら、もっと頑張る必要がある、ということもエリザベスに言って聞かせた。

その言葉を肝に銘じたエリザベスは、これまでよりもはるかに長い時間をかけて繰り返し繰り返し練習し、特に苦手種目に力をいれて完璧に仕上げた。

次の競技会には、その地区の80名の女子が出場したが、エリザベスは種目別で5つのリボンを獲得したほか、総合優勝も果たし、家に大きなトロフィーを持ち帰った。

今ではもう、部屋の中がメダルやトロフィーやリボンでいっぱいで、壁が見えないほどだ。

つまり、エリザベスの父親は、娘に本当のことを告げただけでなく、失敗から何を学ぶべきか、将来成功を勝ち取るには何をしなくてはならないか、ということも教えたのである。

気落ちしている娘を深く思いやりながらも、まやかしのほめ言葉で慰めたりはしなかった。

そんなことをしても将来の失望を招くだけだからである。

失敗したときには建設的批判を建設的批判という言葉をよく耳にする。

進歩をうながす前向きの批判という意味だ。

ところで、わが子を批判するときはだれでも、建設的な批判だと思って言っているのではないだろうか。

役に立たないと思いながら批判する親などいない。

けれども実際には、何の役にも立たない批判がごまんとある。

それは、子どものことを決めつけてかかるような批判である。

それに対して建設的批判とは、子どもが悪い点を改めたり、もっと努力したり、優れた成果を出したりするのをうながすような批判をいう。

ビリーは大急ぎで宿題を終えたものだから、問題をいくつか飛ばしていたり、いいかげんにしか答えていないところがあったり。

父親はかんかんに怒った。

「これがおまえの宿題か?きちんとやりとげることもできないのか?頭が悪いのか、無責任なやつなのか、どっちなんだ?」この父親の反応は、息子の知的能力と性格の両方を俎上に載せ、それをもうどうしようもない欠陥のように言っている。

子どもの資質に批判を向けることなく、自分の不満や落胆を伝えるには、どう言えばよかったのだろう。

いくつか言い方がある。

「こんないいかげんなやり方をしているなんて、父さんはほんとにショックだよ。

どのくらい時間があればきちんとできるのかい?」「その宿題、わからないところがあるんじゃないか?いっしょに見てやろうか?」「せっかくの勉強のチャンスを逃しているなんて、父さんは悲しいよ。

これほどためになる課題ってほかにあるかい?」「たしかにつまらなそうな宿題だな。

父さんでもいやになりそうだ。

これを面白くやる方法ってないかな?」「なるべく楽しく、きちんと宿題を終わらせる方法を考えよう。

何かいいアイデアはないかな?」「長たらしくて退屈な課題は、集中力をつける訓練になるって前にも話したろ。

これは本当に大変そうだ。

集中力を総動員しないとやってられないな。

最後まで持ちこたえられるかどうかためしてみよう」ときには、子どもが自分で自分を値踏みしてレッテルを貼っていることがある。

ギノットの話にでてくる14歳の少年、フィリップは、父親と一緒に大工仕事をやっていて、うっかり釘を床にばらまいてしまった。

すまなそうに、父の顔を見て言った。

フィリップあーあ、ぼくってほんとにドジなんだ。

父釘をばらまいたからって、そんなことを言うもんじゃない。

フィリップじゃあ、なんて言うの?父釘をばらまいちゃった。

拾って集めよう。

そう言えばいい。

フィリップそれだけ?父それだけ。

フィリップありがと、父さん。

メッセージに敏感な子どもたち硬直マインドセットの子どもたちは、親からひっきりなしに、自分の優劣を評価するメッセージを受けとっており、四六時中、品定めされているような気がしている。

こうした生徒たちに一連の質問をしたところ、次のような答えが返ってきた。

Qお母さんやお父さんが、宿題を見てやろうと言ったとします。

どんな気持ちからだと思いますか?A宿題をやっているのを見て、ぼくがどれくらい頭がいいか確かめたいから。

Qあなたが良い成績を取ったのを、お母さんやお父さんが喜んだとします。

なぜだと思いますか?Aぼくが頭のいい子だとわかったから。

Q成績が振るわなかった科目について、お母さんやお父さんがあなたと話しあおうとしたとします。

どんな気持ちからだと思いますか?Aぼくは頭が良くないんじゃないかと心配だから。

成績が悪いのは賢くない証拠かもしれないと思っているから。

こうした子どもたちは、言葉をかけられるたび、そこに優劣評価のメッセージを聞きとる。

でも、それって普通じゃないの?子どもに小言を言ったり評価を下したりするのが親だと思われるだろうか。

そんなことはない。

しなやかマインドセットの生徒たちはそうは考えない。

学習意欲を育み、勉強の習慣をつけさせようとしているのだと思っている。

しなやかマインドセットの生徒たちに、先ほどと同じ一連の質問をしたところ、こんな答えが返ってきた。

Qお母さんやお父さんが、宿題を見てやろうと言ったとします。

どんな気持ちからだと思いますか?A宿題からできるだけたくさんのことを学んでほしいから。

Qあなたが良い成績を取ったのを、お母さんやお父さんが喜んだとします。

なぜだと思いますか?A良い成績がとれたのは、一生懸命に頑張った証拠だから。

Q成績が振るわなかった科目について、お母さんやお父さんがあなたと話しあおうとしたとします。

どんな気持ちからだと思いますか?Aもっとうまい勉強方法を教えてやりたいと思っているから。

品行や人間関係についても、硬直マインドセットの子は、親に評価を下されていると感じ、しなやかマインドセットの子は、親に応援してもらっていると感じていた。

Q言いつけを守らなかったために、お父さんやお母さんに叱られたときのことを想像してください。

なぜ、あなたを叱るのだと思いますか?硬直マインドセットの子ぼくが悪い子なのではないかと不安だから。

しなやかマインドセットの子この次はちゃんとできるようになってほしいから。

悪いことばかりやらかすのが子どもというものだ。

調査によると、一般的な幼児は3分に1回、何かしら悪いことをしているという。

それを品定めの場にしてしまうか、大事なことを学ばせるチャンスにするか。

Qお友だちと遊んでいるときに、何かを独り占めして、お父さんやお母さんに叱られたとします。

なぜ、あなたを叱るのだと思いますか?硬直マインドセットの子独り占めするのは、ぼくが悪い子の証拠だと思ったから。

しなやかマインドセットの子友だちと仲良くするにはどうすればよいかをわかってほしいと思ったから。

子どもたちは幼い頃からこうした教訓を学んでいる。

よちよち歩きの頃からもう、親の発するメッセージを敏感にキャッチしている。

そして、間違いをしでかすとダメな子のレッテルを貼られて罰を与えられるんだ、と学んでしまう子もいれば、間違えたときにはアドバイスしてもらえたり正しいことを教えてもらえたりするんだ、と思うようになる子もいる。

相手の反応を見て学んでいくのは、子どもだけではない。

親の方も、わが子のちょっとした行動を読みとって、それに応答することを覚えていく。

新米ママが赤ちゃんにおっぱいを飲ませようとしても、赤ちゃんは泣くばかりで、なかなか乳を飲もうとしない。

ちょっと吸ってみただけであきらめてしまい、またぎゃーぎゃー泣きだすこともある。

赤ちゃんて、こんなに扱いにくいものなの?こんなに手がかかるものなの?それにしても、おっぱいの飲み方なんて、生まれつき知っているんじゃなかったの?赤ちゃんは、おっぱいを飲む名人のはずじゃないの?うちの赤ちゃんはどこかおかしいのかしら?こんなふうにあれこれ悩んだ新米ママが、こんな話をしてくれた。

「初めのうちは本当にいらいらしたのですが、あなたの研究を思い出しては、赤ちゃんにこう語り続けたんです。

『あなたもママも、どうすればうまく吸えるか、今、学んでいるところなのよ。

おなかがすいたよねえ。

つらいよねえ。

でも、あなたもママもだんだんうまくなっていくからね』。

こんなふうに考えると、いらいらすることもなくなり、うまく飲めるようになるまで落ち着いて導いてやることができました。

この考え方は、他のことを教えるときにも応用できて、赤ちゃんのことを理解するのにとても役立ちました」優劣や善悪の判断をくだすのはやめて、教え導いていこう。

今まさに学んでいる最中なのだから。

子どもから子どもにメッセージが伝わる親からのメッセージを、子どもが敏感にキャッチしていることは、その子がそれを別の子に伝えている様子からもわかる。

幼児でさえ、自分が学んだ知恵を、さっそく他の子に伝える。

小学2年生の子どもたちに「算数が苦手で困っているクラスの友だちに、あなたならどんなアドバイスをしますか」と質問した。

次に載せるのは、しなやかマインドセットの子からのアドバイスである。

ちょっと考えただけであきらめちゃってない?もしそうだとしたら、もっとじっくり考えてごらんよ。

2分間くらい。

それでもわからなかったら、もう一度問題を読み直すの。

それでもわからなかったら、手を挙げて先生にきくといいよ。

素晴らしいではないか。

これ以上のアドバイスはない。

けれども、硬直マインドセットの子には、こんな役に立つアドバイスはできない。

そもそも苦手を克服する手立てなど持っていないのだから。

ある子は、哀れみをこめてひとこと「かわいそうに」と言っただけだった。

乳幼児でさえ、自分が受けとったメッセージを他の子に伝えている。

メアリー・メインとキャロル・ジョージは、虐待を受けてきた子どもたち──泣いたり騒いだりしたために、親から悪い子だと言われて、罰を与えられてきた子どもたち──についての調査を行なった。

子どもが泣くのは、欲求が満たされていないサインで、命令して泣きやむものではないのだが、子どもを虐待する親はそれを理解していないことが多い。

親の言うことを聞かないわがままな子、泣いてばかりいる悪い子だと決めつけてしまう。

メインとジョージは、虐待を受けてきた1歳から3歳の子どもたちを保育所で観察し、他の子が苦しんだり泣いたりしているときにどんな反応を示すかを調べた。

虐待を受けてきた子どもたちは、苦しんでいる子を見ると怒りだすことが多く、なかには相手に殴りかかろうとした子もいた。

泣く子は悪い子だからお仕置きを受けるべき、というメッセージをすでに受けとっていたのである。

虐待の連鎖が起きるとしたら、それは虐待を受けた子どもが親になった場合だけだと思っている人が多い。

けれども驚いたことに、子どもは幼いうちから教訓を学び、それを実行に移すものだということが、この研究から明らかになったのである。

ところで、虐待を受けたことのない子どもたちは、苦しんでいる仲間に対してどんな反応を示しただろうか。

彼らが見せたのは、思いやりの情だった。

泣いている子のところに行って、どうしたのと尋ね、何とかして助けようとする子が多かった。

それはしつけではないの?わが子に罰を与える親の多くは、それをしつけだと思っている。

「もう絶対に忘れないように思い知らせてやらないと」。

ではいったい何を思い知らせ、何を教えこんでいるのだろう。

親の決めた規則や価値観に逆らう子は悪い子だから罰を受けることなる、と教えているのである。

自分の力で考え抜いて、倫理にかなった、分別ある決定をくだす方法を教えているわけではない。

また、コミュニケーションの経路は開かれている、ということも教えてはいないと思われる。

16歳のアリサが母親のところにやってきて、友だちと一緒にお酒を飲んでみたいと言い出した。

「みんなを呼んでカクテルパーティーをやってもいい?」ちょっと聞くと、とんでもないことのように思われるが、アリサが考えているのはこういうことなのだ。

友だちとお酒の出るパーティーに行こうと思ったのだが、初めてお酒を試すときは、安心できる場所で試したい。

そこで、それぞれの親の許可を得て、大人の監督のもとで飲んでみたいと思ったのだ。

アリサの両親が承諾したかどうかはともかく、ここで重要なのは、親子3人で納得のいくまで話しあったことである。

もしも、両親が激怒して、はなから取りあわなかったとしたら、そのような実りのある議論は絶対にできなかっただろう。

しなやかマインドセットの親は、子どもを甘やかして、好き放題にさせているわけではけっしてない。

高い基準を設け、どうすればそこに到達できるかを教えようとする。

そして、あくまでも子どもを尊重しつつ、公正で思慮に富んだ判断に立って、ダメなときはダメと言う。

あなたが今度、子どもをしつけようと思ったときには、自分が子どもにどんなメッセージを送ろうとしているかをよく考えよう。

「優劣や善悪の評価を下して罰を与えてやろう」というメッセージだろうか、それとも「じっくりと考えて何かを学びとることに力を貸してやろう」というメッセージだろうか。

子どもをダメにする親のマインドセットわが子のためを思ってとった親の行動が、その子を危機に追い込んでしまうことがある。

コロンビア大学心理学部の学生課長時代、私は、問題を抱える学生をたくさん見てきた。

もう少しで落第するところだったある学生の例を紹介しよう。

サンディは卒業の1週間前になって、私のところにやってきた。

専攻を心理学に変えたいというのだ。

どうにもめちゃくちゃな話だが、何かせっぱつまったものを感じたので、よく話を聞いてみることにした。

成績表を見ると「A+」と「不可」ばかり。

いったいどういうことなのだろう。

サンディの両親はずっと、ハーバード大学をめざして娘を育ててきた。

硬直マインドセットの両親にとって、サンディの教育目標はただひとつ。

ハーバード大学に合格させることによって、娘の(そして、おそらくは自分たち夫婦の)価値と優秀さを証明することだった。

ハーバード大学に入るのは、頭の良さを証明するためであって、そこで娘が何を学ぶのか、好きな学問を追求できるのかどうかといったことは、両親にはどうでもいいことだった。

ましてや、社会に貢献ができるかどうかなど、まるで問題ではなかった。

重要なのはハーバードのレッテルだけ。

ところが、サンディは入学試験に落ちてしまった。

それをきっかけに抑うつに陥った彼女は、以来ずっと抑うつに悩まされ続けている。

何とか懸命に勉強して「A+」を取ったかと思うと、まるで勉強が手につかなくなって「不可」。

その繰り返しなのである。

私が援助しないかぎり、サンディは卒業できない。

卒業できなければ、両親に顔向けできない。

そうなったら、どんなことになるか。

結局、サンディは何とか卒業することができた。

それはいいとして、サンディのような可能性あふれる子どもたちが、こうしたレッテルの重みに押しつぶされてゆくのを見るのは本当に悲しい。

子どもの興味や成長や学習意欲を損なうことなく、正しい方向に「ベストを望む」ことがいかに大切かがわかっていただけたらと思う。

間違った方向にベストを望む親サンディの両親が発していたのはこんなメッセージだった。

あなたがどんな人間か、今何に関心があるか、学んで成長できるか、将来どんな人間になれるか、なんてどうでもいい。

ハーバード大学に入れた場合にだけ、あなたを愛し、あなたを尊重しよう。

マークの両親も同じような考えだった。

マークは、数学がずば抜けて得意な生徒で、中学を卒業したらスタイベサント高校(理数系の強化カリキュラムのあるニューヨークの有名高校)に進学したいと希望を膨らませていた。

スタイベサントに行って、最高レベルの教師陣に数学を学び、最高レベルの友人たちと数学について語りあうのが夢だった。

スタイベサントには、基礎を終えたらすぐにコロンビア大学の数学のコースを履修できるプログラムもあった。

ところが受験の直前になって、両親が断固反対したのだ。

スタイベサント高校からハーバード大学への進学は難しいという噂を耳にしたからだった。

両親は彼を別の高校に行かせた。

息子が興味のある学問を追求できるかどうか、才能を伸ばすことができるかどうかはどうでもよく、Hではじまる大学に入れるかどうか──それだけが重要だったのである。

このケースでは、おまえの優劣を評価してやろう、と言っているだけではない。

おまえを評価して私の期待にかなっていれば愛してやろう、というメッセージを送っている。

私たちが6歳から大学生までの子どもについて調査を行なったところ、硬直マインドセットの子は、自分に対する親の期待を満たさないかぎり、愛されもせず、注目もされないと感じていた。

大学生たちはこんなふうに語っている。

「両親の期待に添えなければ、自分の価値を認めてもらえない気がする」「うちの両親は、何でも好きなことをしていいと口では言っているけれど、実際には、両親が高く評価する職業に就かないかぎり、ぼくを認めてはくれないと思う」有名なヴァイオリン教師、ドロシー・ディレイは、子どもにプレッシャーをかける親たちを何人も見てきた。

わが子の成長を気長に見守るのではなく、才能の有無や評判ばかりを気にする親たちだ。

ある夫婦が8歳の息子をディレイのところに連れてきた。

そういうことはしないようにと注意してあったのに、2人は息子にベートーベンのヴァイオリン協奏曲を暗譜させてきた。

その子はひとつも間違えずに弾き終えたが、まるでおびえたロボットが弾いているようだった。

その夫婦は自分たちの勝手な理想に合わせるために、わが子の演奏を台無しにしていることに気づかない。

「うちの8歳の坊やはベートーベンのヴァイオリン協奏曲が弾けるんですのよ。

おたくのお子さんは?」息子をタレント事務所と契約させようとする母親と、何時間もかけて話しあったこともある。

その母親はディレイのアドバイスに従っただろうか。

ノー。

レパートリーの数がまだ十分ではなく、時期尚早なのでやめた方がいいと、ディレイは何度も説得した。

けれども、その母親は専門家のアドバイスになど耳を貸さず、息子の成長を育むことにはまるで無関心だった。

レパートリーが少ないくらいのことで、こんな才能のある子がタレント事務所に断られるはずはないと言い張るのだった。

それとまったく対照的なのがユラ・リーの母親だった。

リー夫人はユラがレッスンを受けている間、他の親たちのようにピリピリカッカすることもなく、いつもゆったりと腰掛けていた。

おだやかな笑顔を浮かべ、音楽に合わせてからだを揺らしながら、自分もその時間を楽しんでいた。

そのおかげでユラは、過大な期待を背負わされている子たちのように、無用な不安をつのらせることもなかった。

「ヴァイオリンを弾いているときはいつも幸せ」とユラは語る。

理想の子ども像わが子にはこんな人になってほしいと目標を定めたり、理想を描いたりするのは、親として当然のことではないのだろうか。

確かにそうなのだが、子どものためになる理想と、そうでない理想とがある。

私たちは大学生たちに、理想の学生とはどのような学生だと思うか、さらに、自分はその理想にかなっていると思うかどうかを尋ねた。

硬直マインドセットの学生の描く理想の学生像は、努力して近づけるようなものではなかった。

「天才的に頭が良くて運動能力抜群の人……それは生まれつきの能力によるものだ」。

デキるやつはデキるし、ダメなやつはダメ、というのが彼らの考え方だった。

では、自分はその理想にかなっていると思うかと尋ねると、大多数の学生がノーと答えた。

むしろ、そういう理想と自分をひき比べてうつうつとしたり、物事を先送りにしたり、もうダメだとあきらめたり、ストレスに苛まれたりしていた。

絶対に手の届かない理想に意気をそがれていたのである。

一方、しなやかマインドセットの学生の描く理想の学生像は、次のようなものだった。

「知識を広げよう、世の中について深く考察する手段を学びとろうとしている学生。

良い成績を取るのが目的ではなく、それをもとにさらに伸びていこうとする

学生」「知識を道具として利用するだけではなく、知識そのものを大切にし、社会全体の役に立ちたいと望んでいる学生」では、自分はその理想にかなっていると思うか、と尋ねると、それに近づこうと努力していると答えた。

「できるかぎり理想に近づきたい。

それには努力が必要だが」「成績や試験の点数が何より重要だとずっと思っていたが、今は、それ以上に大切なものに向かって進んでいる」。

自分の思い描く理想像が、やる気を奮いたたせてくれていた。

硬直マインドセットの理想を描く親は、自分の子どもが才能あふれる完璧な子でないと気がすまない。

そうでなければ、クズだと思ってしまう。

だから、子どもには間違いを犯すゆとりもなければ、その子特有の個性──興味、くせ、願望、価値観──が芽生えてくる余地もない。

うちの子はちっとも言うことをきかないとか、決められたことができないとか、硬直マインドセットの親たちがいらいらしながら話すのを何度聞いたことかしれない。

ハイム・ギノットが、17歳のニコラスのこんな言葉を紹介している。

父の頭の中には理想の息子像があるんだ。

それとぼくをひき比べて、父はひどく落ちこむ。

ぼくには父の夢をかなえられるだけの力がないから。

幼い頃からぼくは父の失望を感じてきた。

父はそれを隠そうとしたけれど、声の調子、言葉づかい、沈黙といったちょっとしたところにしょっちゅう表れた。

ぼくを理想像のコピーに仕上げようと頑張ったものの、それは無理だとわかった瞬間に、父はぼくに見切りをつけた。

けれど、父が残した深い傷は消えず、自分は失敗者だという思いにつきまとわれている。

子どもの心にしなやかマインドセットの理想を植えつけようとする親は、頑張れば手が届くような目標を子どもに与える。

そして、長い目でその成長を見守ろうとする。

生き生きと活動しながら社会に貢献できる豊かな人間に成長してくれることを願うのである。

しなやかマインドセットの親が「わが子にがっかりだ」と言うのは聞いたことがない。

晴れやかな笑顔を浮かべて、「わが子がこんな人間に成長するなんてびっくりです」と驚きを語る。

これまで親についてお話ししてきたことは、すべて教師にもあてはまる。

といっても、教師について語るときには、別の要素も考慮しなくてはならない。

教師は、クラスという大勢の生徒の集団を相手にしているが、1人ひとりの技能レベルは異なるし、それまでの学習に自分はタッチしていない。

そのような子どもたちを教育するには、どのようなやり方がいちばん良いのだろう。

優れた教師・親とは到達基準(つまり努力目標)を下げれば、生徒に成功体験をさせて、自尊心を高め、学力を伸ばすことができると考えている教育者が少なくない。

これは、子どもの頭の良さをやたらとほめて、やる気を引きだそうとするのと似た考え方だが、そんなことをしても効果はない。

お座なりにやってもほめてもらえると高をくくっている学力の低い生徒を増やすだけだ。

シェイラ・シュワルツは35年間にわたり、向上心あふれる国語教師を育ててきた教育者である。

次の世代の子どもたちに知識を伝える使命を負っている以上、教師を志す学生には高い到達基準を設けようとしたのだが、学生たちは憤慨した。

シュワルツは言う。

「文法やスペルの間違いだらけの作文を書いた学生が、ウエストポイントから夫を引きつれて──胸にどっさり勲章をつけた礼装軍服姿の方でしたけどね──私の研究室に抗議にやって来たの。

スペルミスを注意され、感情を傷つけられたというのです」また別の学生は、ハーパー・リーの『アラバマ物語』(偏見や人種差別と闘いながら無実の殺人罪を着せられている黒人を守ろうとして、結局失敗に終わる南部の弁護士の物語)の要旨をまとめるように言われて、「どんな人間も根本は善良である」と書いた。

シュワルツにそれはおかしいと言われたその学生が、授業を抜けだして校長に告げ口に行ったものだから、シュワルツは要求水準が高すぎるとの叱責を受けるはめになった。

シュワルツは不安に思う。

教師を目指す学生の教育基準を下げてしまっては、将来彼らが教職に就いたとき、子どもたちに十分な教育を与えられないのではないか、と。

とはいえ、教育基準を高くするばかりで、そこに至る手段を与えなければ不幸な結果を招いてしまう。

心構えやモチベーションに欠ける生徒たちが落ちこぼれていくばかりだからである。

基準を高く設定し、なおかつ、生徒をそこに到達させる手立てはあるのだろうか。

第3章では、しなやかマインドセットの教師の指導で、成績不振の生徒の多くが優秀な成績を取るようになったというファルコ・ラインベルクの研究を紹介した。

また、ハイメ・エスカランテのしなやかマインドセットの教育で、スラム地区の高校生たちが大学数学をマスターした話や、マーヴァ・コリンズのしなやかマインドセットの教育で、スラム地区の小学生たちがシェークスピアを読めるようになった話も紹介した。

本章では、そのような例をもっとたくさん見ていこう。

しなやかマインドセットの教え方が子どもの心をどのように解き放っていくかがわかると思う。

ここでは3人の優れた教師を取り上げるが、そのうちの2人は、「恵まれない」境遇にあると思われている子どもたちの教師で、もう1人は、輝かしい才能に恵まれていると思われている子どもたちの教師である。

この3人に共通する点は何だろうか。

優れた教師のやり方優れた教師は、知力や才能は伸ばせると信じており、学ぶプロセスを大切にする。

先に登場したマーヴァ・コリンズが教えたシカゴの子どもたちは、レッテルを貼られ、見切りをつけられた子どもたちだった。

たらいまわしにされた末にそこにたどり着いた子も多かった。

ある少年は、4年間に13の学校を入退学していた。

何人もの子を鉛筆で刺して傷つけ、精神保健センターから追いだされてきた子もいた。

ある8歳の子は、鉛筆削りから刃を抜き取っては、クラスメートの上着、帽子、手袋、マフラーを切り裂く常習犯だった。

作文や日記を書かせると、必ず自殺をほのめかす子もいた。

入学初日に他の子をハンマーで殴った子もいた。

こうした子どもたちは、学校できちんと勉強していなかったが、それは本人が悪いのだとみんなから思われていた。

けれども、コリンズはそうは考えなかった。

米国CBSのニュースショー番組『60(シツクステイ)ミニッツ』がコリンズの学校を取り上げたとき、レポーターのモーリー・セイファーがある子をつかまえて、何とか「学校なんて嫌いだ」と言わせようとした。

「ここはとてもつらいだろう。

休み時間もないし、体育館もない。

1日中勉強させられて、ランチはたったの40分。

なんで好きなの?きつすぎるでしょ」。

ところが、その子はこう答えた。

「なぜ好きかっていうと、脳が大きくなっていくからだよ」『シカゴ・サンタイムズ』の記者、ザイ・スミスが取材に訪れたとき、ある子はこう語った。

「ここでは、脳の中身をいっぱいにしてるんだ」コリンズはこの学校を創設した経緯を振り返りながらこう語る。

「学ぶことに──新しい何かを発見するプロセスに──ずっと魅せられてきた私は、教え子たちが発見した喜びを他の子にも伝えたいと思ったの」。

コリンズは、新しい子が入学してくるとかならず第1日目に、あなたはきっと今までわからなかったことがわかるようになるわ、と約束した。

子どもたちと契約を交わしたのである。

「みなさんが名前も書けないのはわかってます。

アルファベットも知らない。

本も読めない。

同音異義語も、音節の分け方も知らない。

でも必ずできるようになります。

みなさんはダメな子なんかじゃない。

学び方が間違っていたのです。

さあ、失敗にさよならしましょう。

成功を呼び入れましょう。

ここでは難しい本を読んで、それを自分のものにします。

毎日作文も書きます……先生はみなさんの手助けをしますから、みなさんも先生に協力するんですよ。

ただ与えてもらえると思っていたら大まちがい。

成功は待っていてもやってきません。

自分でつかみに行くのですよ」子どもたちが新しいことを学び、成長していく姿を見ることが、コリンズにとって何ものにもまさる喜びだった。

入学当初は「表情も硬く、目もうつろ」だっ

た子どもたちに意欲がみなぎってくるのを見て、コリンズは「聖ペテロが私に計画されたことが何であれ、あなたたちは私に地上の天国を与えてくれている」ともらした。

レイフ・エスキスは、犯罪の多発するロサンゼルスの貧困地区で小学5年生を教えている。

麻薬やアルコール依存症その他の問題をかかえる家族といっしょに暮らしている子どもがほとんどだ。

エスキスは毎日、子どもたちにこう語る。

「ぼくはきみたちよりも頭がいいというわけじゃない。

ただ経験をたくさん積んできただけなんだ」と。

自分だって初めから難しい問題ができたわけではなく、一生懸命に練習してようやくできるようになったのだということを、いつも子どもたちに話して聞かせている。

コリンズやエスキスの学校とは違って、ジュリアード音楽院は世界最高水準の生徒しか受け入れていない。

才能に恵まれた生徒たちばかりなら、何の支障もなく知識や技能の習得に専念できるだろうと思うかもしれない。

ところがこの学校では、才能や素質の問題がますます重く生徒にのしかかってくる。

実際この音楽院には、手間をかけて育てる気になれない生徒のことははなから相手にしない教師が多かった。

しかし、イツァーク・パールマン、五嶋みどり、サラ・チャンを育てた素晴らしいヴァイオリン教師、ドロシー・ディレイはそうではなかった。

やってできないことはないと信じるディレイは、夫からいつも「中西部魂のかたまり」とからかわれていた。

「何もない大草原に町を創る」──これこそが教える喜びだとディレイは思う。

彼女にとって教育とは、目の前で何かが成長していくのを見守ることだった。

その成長をうながしてやれるかどうか。

教師としての腕が問われるのはそこだ。

生徒がうまく演奏できていないとしたら、それは正しく学べていないからなのである。

ディレイの師でもあり、ジュリアード音楽院の教師仲間でもあったイヴァン・ガラミアンからは、「あの子には耳がない。

時間を浪費するのはやめておけ」とよく言われた。

それでもディレイは、教え方を変えてみればうまくいくかもしれないと言って譲らず、たいてい何らかの方法で上達させることに成功した。

ますます多くの生徒に指導をこわれ、ますます長い時間をこうした努力に「浪費」するようになると、ガラミアンはジュリアード音楽院長にディレイを辞めさせるように進言した。

興味深いことに、才能を重んじる点は、ディレイもガラミアンも共通していたが、ガラミアンが才能は持って生まれたものだと信じていたのに対し、ディレイは努力によって獲得できる資質だと信じていた。

「教師たるもの、『この子には天性の素質がないから、私の時間をムダ遣いするのはやめよう』と言ってすませてはいけないと思う。

けれども、そう言って自分の無能さを隠している教師がどれほど多いことか」ディレイは教え子の1人ひとりに全力を投入した。

イツァーク・パールマンとその妻のトビーはともにディレイの教え子だが、そのトビーが次のように語っている。

「イツァークのような境遇の生徒を、あのように何から何まで世話する先生なんていないでしょう。

でも私もやはりディレイ先生から、イツァーク以上ではないにしても、同じくらいのものを与えてもらった気がしています……きっと大勢の教え子がみんな、そんなふうに感じているんでしょうね」あるとき、ディレイは別の生徒のことで、「どうしてまるで見込みのない子にそんなに時間をかけるのか」と尋ねられてこう答えた。

「あの子には、ほかの子にはない何かがあると思うの……人柄からにじみ出てくるもの、そう気品のようなものよ」。

それが演奏に表れるようにしてやることができたなら、だれにもないものを持ったヴァイオリニストになれるというのである。

高い基準と温かい雰囲気を持つ教師たち優れた教師は、できる生徒に対してだけでなく、すべての生徒に対して高い基準を設ける。

マーヴァ・コリンズは、最初からきわめて高い基準を設け、児童がまるで理解できない言葉や概念をも取り入れて授業を進めていった。

その一方で、入学初日から、愛情に満ちた温かい雰囲気で児童を包み、必ずできるようになるからねと約束した。

どうしても努力しようとしない少年には、「あなたのことを大切にするわ……もうすでに大切に思ってます。

あなたが自分を愛せないときでも、先生はあなたを愛しますからね」と語りかけた。

教師は生徒全員を愛さなくてはいけないのだろうか。

そんなことはない。

けれども、どの生徒にも分けへだてなく目を配る必要がある。

硬直マインドセットの教師には、生徒を品定めするような雰囲気がある。

実際、こうした教師たちは生徒の最初の成績を見ただけで、この子は賢い、この子は鈍いと決めつけてしまう。

そして「鈍い」生徒には見切りをつける。

「この子ができなくても私の責任ではない」と。

こうした教師たちはそもそも、子どもは進歩するものだということを信じていないのだ。

だから進歩をうながそうともしない。

第3章で紹介した、硬直マインドセットの教師たちの言葉を思い出してほしい。

「私の経験では、生徒の成績は1年を通してほとんど変わらない」「教師としての私が、生徒の知的能力に影響を及ぼすことはない」そんなふうに考えるのは、固定観念にとらわれているからである。

固定観念にとらわれて、この子は頭がいい、この子は頭が悪いと決めつけてしまう。

だから、硬直マインドセットの教師は、実際に会いもしないうちから、この子はダメと見切りをつけている。

ベンジャミン・ブルームは、120名にのぼる世界的なピアニスト、彫刻家、水泳選手、テニス選手、数学者、神経学者を調査して、非常に興味深いことを発見した。

彼ら彼女らのほとんどが、驚くほど温かくて度量の大きい教師に最初の手ほどきを受けていたのである。

けっして基準を下げたりしないが、生徒に評価を下すのではなく、信頼しあえる雰囲気で生徒を包みこむ教師たち。

「才能を値踏みしてやろう」ではなく、「教え導いていこう」というメッセージを発している教師たちだった。

コリンズやエスキスが生徒たちに──それも全員に──課した目標を知って驚かされる。

コリンズは、学校を拡大して幼児も入学させると、9月に入ってきた4歳児全員に、クリスマスまでに本が読めるようになることを求めた。

できなかった子はひとりもいなかった。

3〜4歳児が『高校生のための語彙』という単語帳を用い、7歳児が『ウォールストリート・ジャーナル』を読んでいた。

さらに年長の子たちは、プラトンの『共和国』にはじまって、トックヴィルの『アメリカのデモクラシー』、オーウェルの『動物農場』、マキアヴェリ、さらにシカゴ市議会について話しあった。

コリンズの高学年向け必読書リストには、シェークスピアをはじめとして『アントン・チェーホフ戯曲全集』『実験物理学』『カンタベリー物語』などが挙げられていた。

初めのうち、飛びだしナイフを向けてきたような少年たちでさえ、シェークスピアが大好きになり、もっと読みたがるようになったという。

その一方で、コリンズはつねに温かい雰囲気を絶やさなかった。

規律は厳しいが、愛情にみちた学校だった。

子どもの欠点をあげつらうのが仕事のような教師のもとにいた子どもたちだということがわかったコリンズは、とにかくまず、自分は教師として、人間として、徹底的に愛情を注ぐつもりであることを子どもたちに伝えたのである。

エスキスも教育基準を下げることに批判的だ。

最近、彼の学校では、全国平均を20点下回るリーディングスコアに大喜びした。

前年よりも1、2点上がったからなのだが、彼はそれを嘆いてこう語る。

「良いところを見つけて楽天的になることも大切だろう。

でも、真実から目をそむけていても解決にはならない。

低い成績に甘んじる教師は、低賃金のバイトに甘んじてしまう昨今の生徒たちの力にはなれない……遅れているならば、その事実を子どもにはっきりと告げて、追いつくための積極的な学習計画を立ててやれる人間が必要なのだ」エスキスのクラスの小学5年生全員が必読書リストを制覇したが、それには、スタインベックの『二十日鼠と人間』、リチャード・ライトの『アメリカの息子』、ディー・ブラウンの『わが魂を聖地に埋めよ』、エイミー・タンの『ジョイ・ラック・クラブ』、アンネ・フランクの『アンネの日記』、ハーパー・リーの『アラバマ物語』、ジョン・ノウルズの『友だち』などが含まれていた。

また、中学2、3年でもほとんどの生徒が落ちる代数の最終試験に、6年生がひとり残らず合格した。

しかし、何度も言うが、このような成果はすべて、1人ひとりに対する細やかな愛情と、深い人間的なかかわりの上に達成されたものなのであ

る。

「難しい課題を与えて、惜しみなく愛情を注ぐ」というやり方は、ディレイの教育方法とも共通する。

ディレイのかつての教え子がこう述べている。

「ディレイ先生の指導を受けると、だれもが自分の最大限の力を発揮できるような気持ちになってくる──それが先生のすごいところです。

可能性の限界に挑戦しようという気にさせる先生などめったにいませんが、ディレイ先生にはそういう才能があります。

難しい課題を与えますが、同時に、自分は愛され育まれているという気持ちにさせてくれるのです」そしてしっかり導くけれども、課題を与えて愛情を注げばそれでいいのだろうか。

答えはノー。

優れた教師たちはみな、いかにすればその高い努力目標に到達できるかをきちんと生徒に教える。

コリンズもエスキスも、子どもたちに必読書リストを渡しっぱなしではなかった。

コリンズは、『マクベス』をひとくだり読むごとに、それについて話しあいながら授業を進めていった。

エスキスは、本のどの部分を授業で取り上げるか、何時間もかけて計画を練った。

「あの子なら、このもっとも難解な部分も読みこなせるだろうとか、入ってきたばかりで尻込みしているあの子にもわかる部分を入れておこうとか、いろいろなことを考えあわせて、けっして成り行きまかせにはしない……ものすごいエネルギーを必要としますが、授業中、古典のひとことひとことに耳を傾け、私がやめるともっと読んでとせがんでくる子どもたちのことを考えると、まるで苦にならない」そのようにして、この教師たちは生徒に何を教えているのだろう。

勉強を好きになること。

自分の力で学び、自分の力で考えられるようになること。

そして基本をおろそかにしないこと、である。

エスキスのクラスではよく、始業前や放課後、それから休暇中に集まって、国語や算数の基本を徹底的にマスターする。

勉強が難しくなってくると特にひんぱんに行なう。

勉強に「近道はない」というのがエスキスのモットーである。

コリンズもまったく同じ趣旨のことを、クラスの子どもたちにこんなふうに伝えている。

「ここでは魔法なんて起こりません。

先生は魔法使いじゃないから、水の上を歩いたり、海を2つに分けたりはできないわ。

ただ、あなたたちが大好きだから、ほかの人よりもよけいに頑張っているだけ。

だから、みんなも頑張ってね」ディレイは生徒に大きな期待をかけるが、同時に、その目標達成に向かってしっかりと教え導く。

ほとんどの生徒は、才能という考え方におびえ、硬直マインドセットから抜けだせなくなっている。

ディレイは生徒たちに才能の神秘性をはいでみせることもした。

たとえば、ある曲をイツァーク・パールマンほどの速度で弾けるわけがないと思いこんでいる生徒には、その曲が完全に仕上がるまでメトロノームを出さなかった。

「初めからメトロノームなんて使わせたら、絶対に無理だと思って、やめてしまうに違いないと思いましたから」また、名ヴァイオリニストたちの奏でる美しい音色にただただ圧倒されていたある生徒は、ディレイからこんな指導を受けた。

「先生と一緒に自分の出す音の響きを研究しているとき、ある音を出したところで、ディレイ先生がぼくを止めて、『そう、それが美しい音よ』とおっしゃいました」。

ディレイはさらに、どの音にも美しいはじまりと真ん中と終わりとがあり、その終わりが次のはじまりへと続いていかなくてはならないのだと説明した。

それを聞いた彼は「そうか!ひとつできたら、それをすべてに応用すればいいんだ」と思った。

突然、パールマンの奏でる美しい音色の秘密がわかり、ただ圧倒されるだけではなくなったのである。

他人にはできるのに、自分にはやり方さえわからないと、その間にはとてつもないへだたりがあるように感じられてしまう。

教育者の中には、あなたはそのままで素晴らしいのよと、気休めを言う者もいる。

しかし、しなやかマインドセットの教師は生徒に真実を伝えて、さらに、そのへだたりを縮める方法を教える。

マーヴァ・コリンズは、授業中にふざけている少年にこう告げた。

「6年生だというのに、あなたのリーディングの得点は1・1です。

私はその得点を紙ばさみに隠したりしません。

はっきりと言います。

あなたが何をすべきかわかるようにね。

もうふざけている日は卒業よ」その日を境に、少年は真剣に勉強に取り組むようになった。

やる気のない生徒の教え方やる気のない生徒や勉強嫌いの生徒はどうすればいいのだろう。

次に示すのは、コリンズとゲーリーのやりとりの一部である。

ゲーリーは勉強が大嫌いで、宿題もやってこなければ、授業にも参加しない。

コリンズは、何とかして黒板で問題を解かせようとしている。

コリンズゲーリー、これからあなたはどうするの?人生をムダにするの?ゲーリーつまらない勉強なんて絶対にやるもんか。

コリンズ私はあなたがやる気になるまであきらめません。

自分に見切りをつけるようなことはさせないわ。

1日中、そうやって壁に寄りかかっていると、一生涯、だれかや何かにすがって生きることになるのよ。

あなたは、その優れた頭脳を封じこめたまま、ムダにしようとしているのよ。

そう言われて、ゲーリーは黒板のところまで出ていったが、問題を解こうとはしなかった。

しばらくして、コリンズが言った。

「どうしてもやりたくないのなら、お母さんに電話していらっしゃい。

『ここは勉強するところで、ふざける場所じゃないってコリンズ先生が言うので、迎えに来てください』って」ついにゲーリーは黒板に答えを書きはじめた。

それをきっかけに、ゲーリーはまじめに授業に参加するようになり、熱心に作文を書くようにもなった。

その学年の終わりに、授業でマクベスを取り上げた。

誤った考えがマクベスを殺人にかりたてたのだという話になったとき、ゲーリーが口をはさんだ。

「先生、ソクラテスがそういうことを言ってたね。

マクベスも『正しい心の持ち方をしてこそ、正しい生き方ができる』って知っていればよかったのに」あるときゲーリーは宿題にこんな詩を書いた。

「眠りの神、ソムヌスよ、われらを目覚めさせたまえ。

まどろんでいる間に、無知が世界を乗っ取ってしまう……われらをそなたの呪縛から解き放ちたまえ。

無知が世界を占領するまでに残された時間はもういくばくもない」教師が生徒に優劣の評価をくだしていると、生徒は努力を拒むことで教師の邪魔をしようとする。

けれども、学校は自分のためにある──自分を成長させてくれるところだ──とわかれば、そんなことはしなくなる。

研究を進める中で私は、腕白坊主たちが、勉強すれば賢くなれると知って涙を流すのを目の当たりにしてきた。

学校にそっぽを向いて、やる気のないふりをしている子どもは大勢いる。

けれども、そういう子どもたちがみな勉強に関心がないと思ったら、大間違いなのである。

しなやかマインドセットの教師はどんな人かしなやかマインドセットの教師は、なぜあれほど献身的に、どうしようもない生徒たちに多くの時間をかけられるのだろう。

聖人君子なのだろうか。

だれでも聖人になれると思っていいのだろうか。

じつは、彼らは特に献身的なわけではない。

学ぶことが大好きなのだ。

そして、教えることこそが最高の学びの場なのである。

教えることを通じ、人間について、人を動かす動機について、自分が教える内容について、自分自身について、そして人生について学び続けるのである。

硬直マインドセットの教師はたいてい自分を完成品のように思っている。

そして、自分の役割はたんに知識を分け与えることだと思っている。

けれども、毎年毎年同じことを繰り返して飽きないのだろうか。

違った顔ぶれを前にして、まったく同じことを伝える。

なかなかつらい仕事である。

私の大学院時代の指導教官、セイモア・サラソンは素晴らしい教育者だった。

そのサラソン先生がいつも言っていたのは、まず前提を疑ってかかるようにということだった。

「学校は生徒が学ぶところだと思われていますが、教師の学びの場でもあるんじゃないかしら」この言葉を私は忘れたことがない。

マーヴァ・コリンズも、教師の道を歩みだした頃に出会った師のひとりに、やはり同じことを──優れた教師とは、まず何よりも、生徒とともに学び続ける人間だということを──教わった。

そして、自分の生徒たちに次のようにもらしている。

「おとなって、私はあんまり好きじゃないの。

自分は何でも知っていると思っているから。

私は何でも知っているわけじゃないけれど、つねに学び続けることができる人間よ」ドロシー・ディレイが秀でた教師だったのは、教えることにではなく、学ぶことに関心があったからだと言われている。

では、優れた教師というのは、生まれつきなのだろうか、それとも努力のたまものなのだろうか。

だれでもコリンズやエスキスやディレイのようになれるのだろうか。

それは、自分と生徒について、しなやかな考え方をしているかどうかで決まる。

どの子にも可能性があると単に口先だけで言うのではなく、1人ひとりの心に触れ、それに火を灯したいという深い思いがあるかどうかなのである。

親も、教師も、人間を育てるという任務を負っており、その使命は代々受け継がれてゆく。

その使命を果たす上でも、相手に最大限の潜在能力を発揮させる上でも、マインドセットのしなやかさこそが重要なカギを握っている。

マインドセットをしなやかにするには?▼親が子どもに対して発する言葉や、取る行動の1つひとつに何らかのメッセージがこめられている。

明日、わが子に何かものを言うときは、送っているメッセージにチャンネルを合わせよう。

こんなメッセージを送っているのではないか。

「おまえの資質はもう変えようがない。

私がそれを評価してやろう」。

それとも、こんなメッセージだろうか。

「あなたはこれからどんどん伸びていく人間。

私はその成長ぶりに関心があるのよ」▼子どもをどのようにほめているだろうか。

頭の良さや才能をほめてしまいがちだが、そうすると、硬直マインドセットのメッセージを送ることになり、結果として、子どもの自信や意欲をそいでしまう。

そのようなほめ方はやめて、どんな方法で、どれだけ努力し、どんな選択をしたかというプロセスに目を向けよう。

子どもとのやりとりの中でプロセスをほめる練習をしていこう。

▼子どもがヘマをしたときの、自分の行動や言葉に注意しよう。

建設的な批判とは、どうすれば悪いところを直せるかを、子どもに理解させるようなフィードバックである。

レッテル貼りや、ただ責めるのととは違う。

毎晩床に就く前に、今日1日、わが子にどんな建設的批判(やプロセスをほめる言葉)を与えたかを書きだしてみよう。

▼親ならば、わが子をこんな人間にしたいという目標があるものだ。

とはいえ、天賦の才に恵まれた人間を目標にしても意味がない。

技能や知識をどんどん習得していくことができる人間に育てよう。

わが子をどんな人間にしたいと思っているか、その目標にしっかり注意を払おう。

▼教師の方へ。

到達基準を下げたからといって、生徒の自尊心が高まるわけではない。

しかし、高い基準を設けるだけで、そこに到達する道筋を教えなければ、やはりうまくいかない。

マインドセットをしなやかにすれば、高い基準を設け、なおかつ生徒をそこへ導く方法が見えてくる。

生徒の成長を見越して課題を出し、プロセス(どんな方法で、どれだけ努力し、どんな選択をしたか)に対するフィードバックを与えてみよう。

きっとうまくいくはずだ。

▼あなたは、のみこみの悪い生徒を、勉強のできない子と決めつけていないだろうか。

その生徒自身、自分の頭の悪さは治しようがないと思っていないだろうか。

そう考えるのではなく、何がわかっていないのか、勉強の仕方のどこがまずいのかをはっきりさせよう。

優れた教師はみな、才能や知能は必ず伸びると信じており、学びのプロセスをとても大切にする。

▼親や教師の使命は、1人ひとりの持つ可能性を十分に発揮させること。

しなやかマインドセットの教えを忘れずに、その他にもできることを何でも採り入れて、この使命を果たしていってほしい。

 

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