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第四章富を分かち与えると、よりいっそう多くの富を得る

目次

彼は、自分の仕事時間の九〇パーセントを人のための奉仕に用いた

PMAプログラム(旧版)の利用者の一人であるエドワード・チョートは、ニューイングランド生命保険会社のロサンゼルス支社で働いていた。

第二次世界大戦中に政府の助けになるようにと、戦争債権を売ることに決めた。彼は、自分の時間の八〇パーセントをその仕事にあてた。だが、それによる直接の報酬は何もなかった。

そのうえ、自分の一〇パーセントの時間を、彼の直接の競争相手であるほかの保険マンの相談にのってやったり、指導したりするのに使った。

残りの一〇パーセントだけを、自分のための保険セールスに使ったのだ。仕事時間の九〇パーセントもよそへやってしまっては、自分の仕事はめちゃめちゃだろうと思うに違いない。

生命保険のセールスパースンは、当時一年に一〇〇万ドルの契約をとれば、かなりの成績と考えられていた。

彼は、あの戦争が始まった年の最初の三カ月の間に、一五〇万ドル以上の契約をとっていた。そしてそのほとんどは、事務所へ持ち込まれる契約だった。彼を頼って申し込み書のサインをしに来た人たちとの契約だ。

彼が自分の時間の九〇パーセントを割いて行ったサービスに関連して、彼のことを思い出した人たちだった。

時間を割いてサービスをしていたときに、チョートは見返りがほしいとは、おくびにも出さなかった。

しかし、仕事には必ず見返りがある。それが『代償の法則』だ。チョートはそれを知っていた。

『代償の法則』とは、次のように考えてもよい。あなたが他人と幸福を分け合うたびに、相手に対して貸しをつくることになる。その貸しは必ず返される。

相手のためになるものを提供することは、自分のためにもなる

誰に対しても与えられる貴重な贈り物の一つは、「人生の指針」という名の贈り物だ。

ある人に、その人自身の力の集め方と、希望する方向への力の集中のさせ方を教えれば、一〇〇万ドルのお金を渡すことよりももっとその人のためになる。

アンドリュー・カーネギーが、図書館の寄贈のために何百万ドルも使ったのは、こうすればあらゆる知識が普及し、国民全体の知的レベルが高まるだろうと願ってのことだった。

そのうえ、彼は自ら編み出した「成功の秘訣」をより実用的なものとするため、私にその作業を委託したが、これもやはり万人にその秘訣を伝授したいという彼の願いから出たものである。

私のいちばん大きな報いの一つは、私の著書『思考は現実化する』が、成功哲学を広めるための手段として配られるのをこの目にしたことだ。

チョートも、この本を何百冊も配った一人だ。またPMAプログラムを自分を含め多くの人々に実践させた一人でもある。彼はよく人に本を配った。自分を見極めるのに役立つからと配ったのだ。

するとどういうわけか、その相手は生命保険の有望な客となった。それが彼に収入をもたらしたのだ。

あの本は、生命保険の必要性を直接的にも間接的にも説いているわけではないが、結果としてそうなったのである。

もう一人の男の話をしよう。彼は二〇〇ドル足らずの金を資金として、カリフォルニアのオークランドへやって来た。彼はその資金の半分を使って『思考は現実化する』を買った。

そしてこの本を近所の人たちに一人一週間ずつに限って貸し出した。期限が来ると、彼は本を受け取りに行って、次の人に回した。彼は私のところへやって来て、どうしてそんなことをしたのかという理由を話してくれた。

「人生が変わる素晴らしい哲学をみんなに分けてやりたかったからですよ」彼はさらに続けた。

「あなたの本をみんなに貸したのは、友情のいっぱい詰まった哲学を近所の人たちに紹介して、仲良くしたかったからです。それ以外に目的はありませんでした」ところが、〝それ以外のこと〟が起こったのだ。

彼はそのとき、小さなドリル盤一台で仕事をしていたのだが、近所の人たちが彼のことを宣伝し始めたのだ。

もちろん、いい宣伝である。そのため、注文がどんどんくるようになった。宣伝費としては一セントも使っていないにもかかわらず、仕事が増えた。そのため、セールスをする必要はなかった。

店に、一〇万ドルもする大型の機械を据えつけたのは、それから間もなくのことだった。総売り上げはたちまち一〇〇万ドルを超えた。

「すごいことです。ほかではこんな話を聞いたことはありませんし、私自身も驚いています」と彼は言う。

あなたも、「与える」という素晴らしい技法が当たり前に聞こえるようになれば、こんな話は珍しいものではなくなるだろう。だが、これは何も新しい考え方ではない。

歴史上の偉大な哲学者たちのほとんどは、人間が自分の持つ富(金、時間、サービス、親切、そして愛)を分け与えるとき、自分も豊かな富を手に入れるものだと説いている。

金はその使い方を知っている人のところにやって来る

大金持ちで有名な人のところには、寄付の依頼がひっきりなしにくる。ところが寄付を申し込む人というのは、その実態がよくわからない人たちが多い。

金持ちはそのことを知っている。だから応じていいのかどうか迷う。だが、いちいちふるいにかけるのは非常に面倒なことだ。

簡単なのは、多額の金を慈善事業に寄付してしまうとか、基金を作ってしまうことだ。金の価値とは金額の多寡ではなく、その使われ方にある。

そのことは、働いて金を得た人なら知っている。この真理は、金額が一〇セントだろうと一億ドルだろうと変わりはない。

あるとき、ヘンリー・フォードのもとへ寄付の依頼があった。依頼したのは、ジョージアに住むミス・マーサ・ベリー(一八六六〜一九四二)だった。

彼女はマーサ・ベリー・スクールの創立者である。学校への寄付を依頼したのだった。だが、フォードはその申し出を断った。

「それでは……」と彼女は言った。

「私たちにピーナッツの種子を一袋くださいませんか」フォードは、生のピーナッツを一袋買って彼女にプレゼントした。

ミス・ベリーは学校の生徒たちに手伝ってもらい、農場にそのピーナッツを蒔いた。そして収穫したものを売った。

売り上げは六〇〇ドルの現金になった。彼女は再びフォードを訪れ、六〇〇ドルを渡して言った。

「私たちがお金の使い道を知っていることが、これでおわかりでしょう?」フォードは彼女に六〇〇ドルを返し、それに二〇〇万ドルを添えて彼女に渡した。

その資金で学校には、立派な石造りの建物が建った。その建物は、ジョージアのベリー山麓にあるマーサ・ベリー・スクールのキャンパスを美しく引き立てた。

フォードは、この種の寄付は滅多にしない人だった。

それまでの経験から、寄付をしてもその金は、うまく運用することに疎い人の手に渡ることを知っていたからである。

マーサ・ベリーの存命中、フォードの自家用車が毎年一回、彼女の学校近くの空き地に現われた。フォード夫妻が学校を訪問しているのだ。

現代の億万長者、ヘンリー・クラウンはリトアニアからアメリカにやってきた貧しい移民の一人だった。今では、あの巨大なゼネラル・ダイナミックス社の指導者である。

クラウンは、野心のあふれる若い人たちに金の扱い方を教えることに多額の資金をそそぎ込んでいる。

かなりの数の大学に、クラウン基金を作った。ある大学では、毎年、経済学のクラスでこの金を株式などの投資に使っている。資金運用の勉強をしているわけだ。そして利益が出ると、浮いた分をみんなで分ける。基金はそっくり次の学年に引き継がれている。

富が富を呼ぶということ

一人の人間の手に多額の金があるよりも、複数の人間の中で金が回るほうが、富を増やすことができる。

ただし、この回ってくる金を取り扱う人間が、富を増やすことに関心を持っていなければならない。

人間の幸福と心の平安は、さまざまな形の富を分かち合うことにかかっている。ビジネスの関係では売り手と買い手との間に何かしらの「愛」の関係があるのが望ましい。

愛の関係というと、おかしく聞こえるが、「同胞に対するサービスの心」と考えればよい。

それが人間関係の中に入ってくると、双方にとって有益なものとなる。ヘンリー・フォードはこう言っている。

「私自身の心のごく一部が、ほんの少しずつ、組み立てラインから出て行く車の一台一台に入っている。

私は『売った車はわれわれに利益をもたらしてくれた』とは考えない。

買い求められた車は、『買ってくださった方々に差し上げるサービスだ』という観点から見ているのだ」また、トーマス・エジソンは、「私は、発明がほかの人にもたらすサービスのことを考えずに、発明を完成させたことはない」と言っている。

商売とは、ある価格で売る商品以上のものを顧客に与えるべきだという考え方は、ことさら新しいものではない。

それが良いビジネスと良い顧客を生み出すものだということは、歴史が証明している。今日、億万長者の数ははるかに多い。この一〇年間の税務申告では、新たに億万長者になった人が数千人、名乗りを上げている。

今日の億万長者は、昔の金持ちがかつてほしがっていたような世間の注目は望んでいないようだ。したがって、ほとんどの読者の方々は、その人たちの名前をご存じないだろう。

昔の金持ちは、ほかの人が新しく自分たちの仲間に入ってくることを嫌っていた。それで暗黙のうちに上流社会を形づくって、ほかの人たちを寄せつけなかった。だが、今日の金持ちには、そういう意識はあまり強くない。

富の分配が昔よりもうまくいっているため、チャンスが多くなっている。経営者たちは、労働者を企業のパートナーと考えたほうが、自分たちにも労働者にも、また社会全体にとっても価値があるということがわかってきたのだ。

成功哲学の勝利分かち合うことの素晴らしさ

R・G・ル・トゥルノ会社には、多数の社員が働いている。何年か前、私はこの会社の重役から電話をもらった。彼は、かつてPMAプログラムを修了した一人である。

「すぐこちらに来てください。あなたにしか扱えない問題が起こってるんです」ル・トゥルノの工場に着いてみてわかったのは、企業そのものを壊滅にまで導きかねない過激思想が労働組合という外形を装って入ってきているということだった。

会社はこの「思想」に対して社員たちに抵抗力をつけてやりたいと思ったらしい。それで私が呼ばれたのだ。私は報酬額について尋ねられたが、こう答えた。

「私に自由に行動させてください。もし問題を解決できなかったら、料金はいりません。事が解決したあとで料金を言います」この条件で話は決まった。

私は工場の中に簡易ベッドを持ち込み、そこで昼も夜も過ごした。基本的な問題は二つあった。

第一に、社員たちは、自分たちの働きで作った利益を会社がどのように還元してくれているのかをわかっていないこと、第二に、社員自身が自分たちの脳力について考えていなかったこと、の二つである。

彼らには、いろいろな恐怖がつきまとっていた。特に貧困の恐怖である。それらの恐怖が、彼らの機能を損ねていた。

否定的な考え方、つまりNMA(NegativeMentalAttitude)によって、自分たちが持っている脳力さえも信じられなかったのだ。

その脳力こそ、自己の富を得るため、また自己の幸福を作り出すために万人が持っているものなのだ。

過激思想の中心人物たちは、社員たちに、彼らの将来は他人の手に握られている、ということを説いてまわっていた。

そして、社員は経済機構の歯車にされてしまっているのだ、と信じ込ませていた。私は過激思想の持ち主との直接の論争は避けた。

代わりに、社員たちにPMAプログラムのエッセンスを教えた。それこそ、私が教えなければならないものだった。

間もなく、ル・トゥルノ社の社員たちは、自分たちが心の中にいかに素晴らしいものを持っているかに気がついた。

その素晴らしいものは、ほかの誰も自分に代わって扱うことはできないし、してはならないものだ。彼らは、働くということが本当はどういう意味を持っているかを理解した。

また、仕事が人間に対してもたらしてくれるメリットの意味も理解した。彼らは、今の時代の金持ちは生まれつきのものではない、ということもわかってきた。

自己繁栄のためには、自分たちの脳力を見出し、それを使うしかないのだということを理解したようだ。私は成功した。私は報酬額を告げ、その支払いを受けた。八カ月後にはボーナスまでもらった。

富とは、誰かからむしり取るものではないことがわかってもらえたと思う。

それは他人へのサービスの中で築くものであり、あなた自身の積極的で楽しい、内部からの原動力によって築かれるものでなくてはならないのだ。

私はときどき、結婚カウンセリングを頼まれることがある。その中で、離婚したほうがよいと判断するときもある。そんなことを勧めるのは、理由があってのことだ。決して小さな理由ではない。

分かち合うという気持ちの欠如は必ず表面化するものだ。分かち合う気持ちがなくなると、そこからいろいろな問題が発生する。あなたは、これから財を成すだろう。

そのとき、あなたの奥さんには好きなように使える彼女専用の資金が持てるようにしてほしい。それは、厳密な意味で彼女だけの資金ではないかもしれない。

というのは、あなたが経済的に一時的な不運に遭ったら、彼女もそれをまた分かちあうからである。

あなたが妻を自分の召使いとしてではなく、彼女自身を権利を持つ人間、パートナーとして認めているなら、それはまさしく彼女自身のお金である。

聞くところによると、アメリカでは美容院でのお喋りの話題は、妻が夫からうまくお金を引き出す方法に関するものがほとんどだという。

ヘアドライヤーを頭に乗せながら彼女たちが打ち明けたところによると、食料品を買うお金をちょっとした娯楽に使ってしまい、夫にそれを言えないでいる女性がかなりいるらしい。

損をした金額は大したことはないし、娯楽は罪悪ではない。事態を悪くしているのは、夫に正直に言えないということなのだ。そういう女性の言い分はこうだ。

「夫がどんなに怒ることか!それを知っていれば、私がどうして彼に言えないか、あなたにもわかると思うわよ」悪い状況を作り出すには人間が二人いればよい、ということがわかる。

それに加えて多くの夫には、自分の給料の額や自分が酒に使ったり、マージャンで負けた額などを絶対に妻には教えないという特質がある。

概して夫が分かち合おうとするそぶりを見せると、妻も素直に分かち合いたいと思うものである。夫婦が分かち合うべき情報の中で重要なのは、夫がいくら稼ぎ、何をしてお金を得ているかということだ。

分かち合うこと、それが結婚というものだ。分かち合うことを避けたいなら、一人で生きていったほうがまだましである。

人は一つの分野で成功すると、それが助けとなって、そのほかの分野のすべてで成功を収めやすくなるような社会で生きている。

なかでも特に、家庭内で心の平安を持っている人は、どこででも心の平安を持てるようになる。

道で見知らぬ人があなたを呼び止めて道を聞いたとき、それを教えてあげれば、あなたは知識を分け合うことになる。これをするのに、あなたは金銭的に豊かである必要はない。

あなたが人間の親切さという点で豊かであるなら、あなたはその人にていねいに説明するかもしれないし、次の角まで一緒に歩いてあげてから、行く道を教えるかもしれない。

いくら貧乏でも分かち合うものはたくさんある。ある点では、貧乏な人も金持ちと同じくらい分かち合うものを持っている。愛や親切などについては、これがあてはまる。誰にでもできる一般的な分かち合いの方法を三つ挙げてみよう。

そのままの形では応用できないかもしれないが、この三つは、金を分かち合うこと以上に価値のあることだ。

1あなたも特別な技術や知識を無報酬で分かち合うことができる

私たちの多くは、特別な技術や知識を持っているが、それが金儲けに役立つことになる。私たちは知識を売ることに慣れている。今度はその技術を、「報酬」を考えずに提供してみよう。ある大都市のスラム街に子供のためのクラブハウスができた。地域の人は大喜びした。

この基本的な建設費は基金でまかなわれたが、それにもまして、いろいろな人の知識や技術の提供がなければ、建てられなかっただろう。

弁護士は法人登記の書類をそろえたり、必要な手続きを買って出た。大工たちはロッカールームの仕切りを作ってくれた。

ペンキ屋は自分の仕事をこなしたうえに、ボランティアのペンキ班が内部を明るい色で塗るのを監督してくれた。

石工は、入口の一つにコンクリートのスロープをつけ、車椅子の出入りが楽になるようにした。

それぞれの得意分野を分かち合った人々は、報酬を得て商売として自分の技術を売ったときより、何倍もの心の平安を感じたという。

2ミゾがあれば、分け合って埋める

エイキンズ氏は、新しく越してきた隣のビバッツ氏が、まだ芝刈り機を買うひまがないというので、自分の芝刈り機を貸してやった。

それが二つの家族の素晴らしい隣人関係のきっかけとなった。もっとも一時は、逆の事態が発生しそうになったこともある。

ビバッツ氏が芝を刈ったあと、芝刈り機を返したのだが、刃の一枚が欠けていた。それに気づいたエイキンズ氏は、相手を傷つけまいとして静かに言った。

「お宅の庭には、見えないところに石があるようだよ。刃が欠けているところをみると……」するとビバッツ氏は「貸してもらったときからかけていたけどね」と、突っけんどんに言うと、ぷいと帰っていった。

刃の欠けた部分は新しく、まだ光っていた。だから前からかけていたのではない。

しかしエイキンズ氏はそれ以上何も言わなかった。

彼は、この新しい隣人と通りで会っても会釈をするだけにしておこうと思った。ある日、ビバッツ氏が真新しい芝刈り機を持ってやって来た。

「これ買ってきたんだけど、使ってくれないかい」とビバッツ氏は言った。

「実は、あの刃を壊したことはわかっていたんだ。でも、あのときちょっとフトコロがさみしくてね、すぐ修理に出すのは無理だったんだ。

そう言えばよかったんだろうけど……。でもそっちのほうは何とかなってね。

それで、僕が折った刃を修理してもらうだけでは僕の気持ちがすまないんで、これはお詫びのしるしということで受けとってくれよ」現金を貸したわけでもないのに、利子がふくらんで返ってきたようだ。

しかし、芝刈り機自体よりはるかに価値のあることは、このときからこの二つの家庭の間に培われた親密の情である。

3相手を認め、評価することはとても重要なことだ

自分がある役割を持つ者として認められることは嬉しいことだ。そこで立場を逆にして、相手を認めることにしよう。分かち合うとは、そういうことである。

例えば、暑い日にガソリンスタンドへ車を入れたとする。サービスマンが飛んできて、汗を拭いながら素早い対応をしようとする。

あなたはサービスマンも苦労しているのだと思い、「ゆっくりやっていいよ。急ぐことはないから」と言う。

そうするとそのサービスマンは、次にあなたがガソリンスタンドに立ち寄ったときには、あなたのことを覚えていてくれるだろう。

あなたが雇い主なり、監督の立場の人間だとしよう。部下の一人に非常にいい仕事をするのがいる。仕事をさせるために雇ったのだから、いい仕事をして当たり前だという雇い主がいるかもしれない。

だが、それは愚かな雇い主というものだ。賢明な管理者は、部下がいい仕事をしているのを見ると、そのことを本人に言う。

人間は自分を認めてくれる相手に好感を持つものだ。そしてそれ以後は、自分の仕事より高いレベルに保とうとするのが常である。

誰かに親切にしたり、無料奉仕をしたとしても、その見返りは目に見えない。だが、心の中にはいつも見返りがある。

あなたが〝自分自身を与える〟と、自分を大きくできるからだ。

いつでもあなたに有利に働く『代償の法則』があることを忘れないで欲しい。富を分かち合う方法についても話をしたが、「どんな富を?」とは聞かないでほしい。

分かち合えば、自分が思っている以上の富が回りまわって戻ってくることに気づくだろう。それは金銭にかぎられるものではない。

〝大いなる秘密〟は半ば埋もれた宝のようなもので、あなたは一日に一〇〇回以上もその上を通っているが、気がつかないだけだ。

目の隅っこにはちゃんと見えているはずなのだが……。

サクセス・エッセンス④

1多く与えるほど、多く戻ってくる自分の仕事時間の九〇パーセントを渡してしまった人でも、そのことによって金持ちになった。

利益をほかの人々と分かち合うと、あなたはその人々の債権者となり、当然その「貸し」はあなたに返される。

「人生の指針」を分かち合うこともできる。それも心の平安と大いなる富へと導いてくれる。金の使い方をよく知っている人に分け与えるのは、きわめて建設的な与え方である。

2富が富を呼ぶビジネスライクに売ったり買ったりする人間関係に、「相手に対するサービスの心」という考え方を導入すると、双方にとってよりいっそう有益なものとなる。

3富を築くがごとく、自分自身の心の中に幸福を築くことができるまた、積極的心構え、PMAの力を通して、自分の人生にいかに無尽蔵の富を築けるか、多くの人は気づいていない。金持ちは、生まれつきの力を持っているわけではない。偉大な脳力は誰でも持っている。

その偉大さを生み出すことのできる唯一の人間はあなた自身であり、いかなるよい知恵も、あなたの決意と行動なくしては活かされることはない。

4富を分かち合うことの素晴らしさ夫がすすんで分かち合おうとすれば、妻もまた分かち合おうとするものだ。分かち合うことがいやなら、一人で生きていったほうがましだ。

5誰にも、分かち合えるものがあるいくら貧しくとも、愛情や優しさは分け与えることができる。誰でも三つの分野で自分自身を何度でも提供することができる。分け与えることができるものは……その欠落部分、、である。

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