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第8章決―――成功のための第七のステップ速やかに決断せよ

目次

●大敵は「優柔不断」

二五〇〇人もの人々を調べた結果、三〇項目にわたる失敗の原因のうち、決断力の欠如が最大の原因であった。「決断力」と正反対の意味を持つ「優柔不断」は、誰もが克服しなければならない大敵である。

※決断は早く、素早く決断して実行に移す。

あなたがこの本を読み終わったとき、どのくらい「素早く」、「明確な」決断を下せるようになったかを試してみるとよい。

もしそうなっていたら、いよいよあなたはこの本に書かれている成功のノウハウを実際の行動に移す準備ができたことになる。

億万長者など問題にもならないほどの巨額の富を築いたウルトラリッチの何百人かの人々を分析して明らかになったことは、彼ら全員が例外なく素早い決断力の持ち主であったということである。

※高速に判断していく。

また半面、一度下した決定を変更しなければならないときは、慎重に時間をかけて新たな決断をしていることもわかった。

※決定を変更する場合は、慎重に時間をかけて新たな決断を行う。

それに反して、富を築くことに失敗した人々は、例外なく決断を下すのが非常に遅く、また一度下した決定を変更しなければならないときはとても素早く、しかも頻繁に行っていることであった。

※逆に頻繁に変更することは失敗につながる。

ヘンリー・フォードの際立った才能の一つは、素早い明確な判断力と、また決断を変更するときには十分な時間をかける、ということである。

このため彼は〝頑固者〟と呼ばれていた。

※頑固になるべき時もある。

その頑固さゆえに友人や顧客からモデル・チェンジを勧められていたにもかかわらず、あのT型フォード(世界で最も醜い車と言われていた)を生産し続けたのである。

おそらくフォードは、T型のモデル・チェンジについての決断が遅かったのかもしれない。だが別な見方をすれば、車のモデル・チェンジが〝絶対必要条件〟となる前に、フォードは信じられないほどの巨万の富を築いたのである。

フォードの明確な決断力は、その頑固さから発したものだろう。それでも、〝決断することが遅く、変更は素早く、かつ、たびたび〟という性格の持ち主に比べれば、格段の相違であることは言うまでもないだろう。

●決断の秘訣

必要な金銭ですら満足に手に入れることのできない人は、気持ちに余裕がなくなって、一般的に他人の意見に影響されやすい。彼らは新聞記事や近所の噂話にすら容易に影響されてしまうのである。〝意見〟とは、この地上で最も安い商品である。

※無責任な意見には耳を傾けない。

人間は誰でも山ほどの意見(無責任なものが多いが)を持っている。受け入れてくれさえすれば、いくらでも放出するものだ。

※山ほど意見を持っていてそれを放出していくる。

あなたが自分の信念をポケットに入れて、他人の意見に惑わされて結論を出すとしたら、何をやるにしても成功することはないだろう。金儲けなど及びもつかないことだ。

他人の無責任な意見に振り回されるということは、あなたにまだ真剣な願望が確定していないことを意味する。

あなた自身が、この成功のノウハウを実行するのだという自分自身の意見を持っていただきたい。そして自分自身の決断に従わなければならない。

あなたが選んだ「マスターマインド」以外の意見に惑わされてはならない。

※マスターマインドは例外。

そのために、マスターマインドの人選にあたっては、あなたの目標や願望を完全に理解し、それに賛同してくれる人を選ばなければならないのだ。

だが、あまりにも親しすぎる友人や親戚などは、ほんの軽い気持ちで冗談半分の意見であなたの邪魔をするかもしれない。

多くの人々が失敗してしまったのは、善人ではあるが無知な人たちによって自信を喪失させられたからである。

あなたは自分の頭脳を持っている。だからさまざまなところから正しい情報を集めることができるだろう。また意思も持っている。したがってそれを使って決断を下せばよいのだ。

だが、その決断を下す前に、身近な人々からの情報や事実を集めたかったら、あなたの目的を明らかにせずに、必要な情報だけを集めるようにすればよい。

生半可な知識しか持たない人ほど、知ったかぶりをしたがるものだ。そのような人は他人の意見を聞こうとはせず、しゃべりすぎるのが特徴だ。

敏速な決断をしたければ、まず目と耳を大きく開き、口は閉じておかなければならない。しゃべりすぎは概して無能な人に多い。

※しゃべりすぎは無能な人に多い。

もしあなたが、聞くことよりもしゃべることのほうが多いタイプなら、あなたは有益な情報を集めるどころか、アイデアを盗まれてしまうこともある。

※しゃべりすぎはアイデアを盗まれていることになる。

そして、あなたを妬んでいる人は、あなたを陥れたことに快哉を叫ぶことだろう。

このあなたを陥れる行為は、意識的なこともあるが、無意識に、いつまでも自分の仲間に入れておきたい、という考えが底流にあってなされる場合も多い。

また、これは覚えておいていただきたい。豊富な知識を持った人の前で口を開くということは、あなたに正確な知識が備わっているか、それとも欠落しているかを披露することなのだ。

「真に賢明な人は、その慎み深さと沈黙で目立つものである」という言葉を記憶しておいて欲しい。

あなたの周りにいる人も、あなたと同様に、皆チャンスを探し求めているのだ、ということを心に留めておかなければならない。

もし不用心に自分の計画を漏らしたりすれば誰かに先を越されることにもなりかねない。これを「みみっちいこと」と思う人もいるかもしれない。また他人を信用しないのか、という気持ちを持たれるかもしれない。

しかし私の述べていることは理想論でも精神論でもないのだ。これが現実なのである。良い、悪いの問題と混同してはいけない。

というわけで、今すぐあなたがやらなければならないことは、口を閉じることと目と耳を開けておくことである。

次の言葉を大きく書き写して、よく見える所に貼っておくとよい。あなたにとって適切なアファーメーション(自己宣言)になるだろう。

「やりたいことは、まず行動によって示せ」これは、何かを実行するにあたって、「大切なのは言葉ではない」という意味をポジティブに表現したものである。

●自由か死かの選択が歴史を変えてきた

決断の価値というのは、それを下すためにどれだけの勇気が必要だったかによって決まるものである。現代文明の基礎は、生死をかけた偉大なる決断によって築かれたものである。

※どれだけ勇気を持って決断するかが、決断の価値になる。

リンカーンのあの奴隷解放令は、何千人もの友人や支持者たちの猛反対を押し切って決断された。その決断によって、アメリカの黒人たちは解放されたのだ。

ソクラテス(前四七〇~三九九)はコップの毒をあおった。それは妥協を潔しとしない勇気ある決断の結果であった。彼の決断は歴史を一〇〇〇年も進歩させ、人類に思想の深みをもたらしたのである。

●五六人の縛り首候補者

アメリカの歴史の中で最大の決断は、一七七六年七月四日、フィラデルフィアで起こった。

五六人の人々が、ある書類に署名をしたのだが、この行動は全アメリカ人に自由をもたらすか、さもなくば五六人が一人残らず縛り首になるかというとてもきわどい、文字どおり生命を賭けた決断であった。

私たちは、その決断がなされた日のことはよく覚えている。だが、それにはどれだけの勇気が必要だったのかを知る人は少ない。

私たちは教えられたとおりの歴史は覚えている。その記念すべき日や、そのために戦った人々のことだ。

だが知っているのは人名や日付や地名だけである。その背後に隠されている真の力については、ほとんど無知なのだ。

地球上の全人類に新しい概念である〝独立〟という考え方を生ませ、自由をもたらした不思議な力について、歴史家が何も研究してこなかったことは悲しむべきことである。

なぜなら、この力こそあらゆる困難を克服し、価値ある人生を築こうとする人にとって同じように必要な力だからである。

それではここで、その力を生み出すことになった事件について振り返ってみよう。この物語は一七七〇年三月五日、ボストンで起こった事件に端を発している。

アメリカがイギリスの植民地だったころ、イギリスの軍隊が町中を徘徊し、住民を恐怖に陥れていた。

植民地の住民は、そうした兵隊の姿を憎らしげに眺めていた。だが、やがて市民たちはその敵意をあからさまにし始めた。

行進する兵隊に投石したり、ののしったりしたのだ。そのため、指揮官はついに「銃に弾を込めよ!」と命令したのである。こうして戦争が始まった。そして多数の死傷者が出た。

この事件はイギリス政府がアメリカに移住した住民を刺激しすぎたことが原因で、元はといえば憎しみから起こったことである。

そのため英領アメリカ諸州議会(アメリカ各地に散った植民地開拓者の代表者によって構成)は、このイギリスの行為に対して断固とした行動を起こすための緊急会議を招集した。

この会議には、ジョン・ハンコック(米国独立宣言書に最初に署名した人物。一七三七~一七九三)やサミュエル・アダムズ(独立宣言書の署名者の一人。一七二二~一八〇三)の二人も議員として出席した。

彼らは勇気を持って話し合い、そしてボストンからイギリス軍を追い払うことを誓ったのである。このことは覚えておいていただきたい。

この二人が決断したことは、現在のアメリカで満喫している自由のスタートだったということである。

この決断には非常な危険が伴っていた。そのために、確固たる信念と勇気が必要だったのである。

会議が終わって、サミュエル・アダムズが代表してイギリス軍のトーマス・ハッチンソン総督(一七一一~一七八〇)にイギリス政府軍の撤兵を申し入れた。この要求は受け入れられた。

そしてイギリス兵はボストンから撤退した。だが、これで一件落着とはいかなかった。それから間もなく、文明の流れを根底から変えてしまうほどの事件が起こったのである。

●マスターマインドの組織

リチャード・ヘンリー・リー(独立宣言書の署名者の一人。一七三二~一七九四)がこの物語の中で重要な役割を担うことになったのは、彼がサミュエル・アダムズと文書を交わしていたことによってである。

彼らはともに恐怖と希望を抱きながら、それぞれの地方の住民のために活躍していた。その経験からアダムズは、一三州の植民地の間で相互に連絡を取り合うことを思いついた。

そうすればお互いに協力して、それぞれがかかえている問題の解決に役立つと考えたからである。ボストンでイギリス兵と衝突した事件から二年後の一七七二年三月、アダムズはその計画を議会に提案した。

そして各州の賛同によって、植民地通信委員会が設立された。その目的は、「イギリス領植民地改善のために協力しよう」というものだった。この委員会が、現在のアメリカに自由をもたらしてくれた強力な組織の基礎となったのである。

協力者、つまりマスターマインドが組織されたのだ。アダムズ、リー、ハンコックらが主要なメンバーであった。植民地通信委員会はこうして組織されたのである。

一方、住民たちは、ボストン茶会事件(一七七三年一二月、アダムズをリーダーとする住民の一群が、インディアンに扮して英国の船に積まれていた茶箱を海に投げ捨てた事件)のようなやり方でイギリス軍に反抗を続けていた。

だが、そのようなやり方では得るものは何もない。各州で起こった小競り合いにしても、マスターマインドのメンバー一人の力ではどうにもならなかった。

だが、メンバーたちは誰一人として知恵と勇気と情熱を持ってみんなで力を合わせてイギリスと戦おうとする者はいなかった。

そこでアダムズ、リー、ハンコックが手を握り合って立ち上がったのである。しかしイギリス側も、手をこまねいていたわけではなかった。

彼らも住民を抑え込む対策を立てたり、豊富な資金と軍事力を背景に、彼らなりのマスターマインドを組織していたのである。

●歴史を変えた決断

英国国王は、ハッチンソンを更迭して新しいマサチューセッツ総督としてトーマス・ゲイジ(一七二一~一七八七)を任命した。

新総督の最初の仕事は、サミュエル・アダムズに使いを送り、反政府運動をやめるように脅迫することであった。

使者となったフェントン大佐とアダムズがどのような会話を交わしたかを再現すれば、その間の事情がよりはっきりすると思う。

フェントン大佐「ミスター・アダムズ。私はゲイジ総督の命によって貴下に保証しよう。貴下が反政府活動を鎮めてくれたら、総督は貴下に満足していただけるだけの謝礼を提供すると約束しておられる。

これは総督からの忠告だが、これ以上、国王陛下のご不快を招くような行動は慎んでもらいたい。今まで貴下がとってきた行動は、ヘンリー八世の法律によれば、十分罰せられて然るべきものである。

その法律によれば、貴下は反逆罪のかどで本国送りになるか、総督の判断一つで処断されるだろう。

しかし、貴下が考えを変えるなら、大金を手にするだけでなく、国王のご愛顧を受けることになるのだ」ここでサミュエル・アダムズは二つに一つの決断を迫られることになったわけだ。

反政府活動をやめてワイロを受け取るか、あるいは縛り首になる危険を犯してまで活動を続けるかのどちらかであった。

アダムズは自分の生命を賭けざるを得ない恐るべき決断を迫られたことになる。

アダムズは、これから言うことを正確に総督に伝えてもらいたい、と強く念を押してから、フェントン大佐に次のように答えた。

アダムズ「それでは、ゲイジ総督に伝えていただこう。私は今の今まで、王の中の王(すなわち神)に対して反抗したことは一度もないことを誓っておく。

どのような人間の申し入れも、私の国の正義を侵害することはできない。そこで、私サミュエル・アダムズから総督に忠告をしておきたい。

苛立っている住民たちをこれ以上、侮辱することはやめていただきたい」アダムズの痛烈な返事を受け取った総督は、激怒して次のような布告を出した。

「私は国王陛下の名において、反政府運動に加担した全市民を許し、平和な生活に戻ることを約束する。ただし、サミュエル・アダムズとハンコックについてはこの限りではない。極刑が相当と見なす」

現代の俗語で言うなら、アダムズとハンコックは見つけ次第「消して」しまうということだ。しかしこの布告は、かえって二人に決死の決断をさせることになった。二人は絶対に信頼できる仲間と緊急の秘密会議を開いた。

全員が集まったところで、アダムズはドアに鍵をかけ、その鍵をポケットにしまい込んでこう言った。

「どうしても全植民地を組織化しなければならない。その結論が出るまでは、誰もこの部屋を出ないでいただきたい」激しい議論が続いた。

ある人は急進的な意見、つまりすぐに行動を起こすべきだと主張し、またある人はイギリス国王との和解を模索した。

アダムズとハンコックはすでに何の恐怖も感じなくなっていたし、失敗の可能性すら見えなくなっていた。

この二人の情熱が他のメンバーにも燃え移って、他のメンバーたちは二人の意見に同調するようになった。

そして一七七四年九月五日、フィラデルフィアにおいて第一回大陸会議を開催することを決定したのである。

この日付のことを忘れないでいただきたい。この日は一七七六年七月四日の独立宣言の日よりも重要な意味を持つのだ。

なぜなら、この日の決断がなければ、独立宣言もあり得なかったからである。

この第一回大陸会議が開催されるに先立って、ある州の代表の手によって『イギリス領アメリカにおける権利の概要』と題する冊子が発行された。

その代表は、ヴァージニア州代表のトーマス・ジェファーソン(のちの第三代米国大統領。一七四三~一八二六)であった。

そのことでジェファースンは、ヴァージニア州のイギリス政府代表である第四世アール・オブ・ダンモア卿(=ジョン・マレイ。一七三二~一八〇九)との間が険悪になった。

それはちょうど、ハンコックやアダムズがゲイジ総督との間で険悪になったのと同じであった。

この『──権利の概要』が発行されると間もなく、ジェファーソンもイギリス政府から反逆罪で起訴されてしまった。

そのことで逆に勇気づけられたのは、パトリック・ヘンリーであった。

そして彼は大胆な発言をした。それは非常に古典的な表現ではあったが、次のように締めくくられた。

「もしこれを反逆と言うなら、これからはあらゆる反逆を犯そうではないか」植民地の運命を左右すべき立場にいたこれらの人々には、力も権力も軍事力も資金もなかった。

だが彼らは、第一回大陸会議の開催と同時に行動を開始したのである。その激しい活動は二年間にわたって続けられた。

そして一七七六年六月七日、会議の席上でリチャード・ヘンリー・リーが立ち上がって次のような演説をした。

それは議場を驚かせるに十分な内容だった。

「諸君、私はこの植民地連合は自由と独立の国家であり、またそうあるべきものだと思います。したがって私たちは、イギリス国王への忠誠を放棄し、大英帝国とはあらゆる政治的関係を断絶すべきものと思います」

●決断の締めくくり

リーの爆弾宣言で議場は騒然となった。それから何日もの間、リーの発言をめぐって白熱の論議が交わされた。そのため、リーはすっかり消耗しきってしまった。

五日後ようやく論議が終わったとき、彼は再び立ち上がった。そして、しっかりとした声でこう言った。

「議長、私たちはこの問題についてもう何日も議論してまいりました。次にやるべきことはたった一つです。

なぜこれ以上引き延ばしをする必要があるでしょうか?なぜこれ以上考える必要があるでしょうか?今日のこの日をアメリカ共和国の誕生の日にしようではありませんか。荒れ果てた植民地ではなく、平和と法秩序のある国として再建しようではありませんか」

だが、この動議が評決される前に、リーは家族の危篤を知らされ、ヴァージニアへ戻らざるを得なくなってしまった。

しかし出発にあたって、彼は友人に自分の信念を伝えた。その友人とは、トーマス・ジェファーソンである。リーとジェファーソンとは、最後までともに戦うことを誓い合った仲だった。

それから間もなくのこと、大陸会議の議長であるハンコックは、ジェファーソンを独立宣言文起草委員長に指名したのである。委員会は独立宣言の作成に必死にとりかかった。

この宣言文に署名をする人にとっては、もしイギリス国王との戦いに敗れた場合には、直ちに死を意味するものであった。

六月二八日に原案が完成し、大陸会議で発表された。そして数日間かかって慎重に内容が検討された。そしてついに一七七六年七月四日、トーマス・ジェファーソンは、宣言文を発表した。そこには何の恐れもなかった。

「われわれは生まれながらにして神の前に平等であり、神聖にして奪いがたい天賦の権利を付与され、その中には、生命・自由そして幸福の追求をする権利が含まれている……」ジェファーソンの宣言文朗読が終わるや、直ちに投票が行われ、全員一致で承認された。

そして死を覚悟した五六名の人々によって署名されたのである。この決断によって、永遠に人類の権利を保障する国家が誕生したのである。

この独立宣言が行われるまでの経過を分析すれば、世界で個人の自由と権利を保障している国は、この五六人の協力者(マスターマインド)によって勝ち取ったものを引き継いでいるといっても過言ではない。

ワシントン率いる独立軍が成功を収めることができたのも、このマスターマインドの決断があったからである。

なぜなら、この決断がワシントンとともに戦った一人ひとりの兵士たちの心の中に燃えるような闘志をかきたて、決して負けないという固い決意を持たせたからである。

そして忘れてはならないことは、国家に自由をもたらしたこの決断力は自分の人生を自分で決める私たちにとっても同じ意味を持つ力であるということである。

注意してみると、この独立宣言文が発表されるまでには、次の六段階の過程を一つずつ経ていることがわかる。すなわち……、願望、決断、信念、忍耐、マスターマインド、計画の組織化、である。

※願望→決断→信念→忍耐→マスターマインド→計画の組織化

●欲しいものを知れば、それは得られる

この哲学を通じてわかることは、強い願望によって裏づけられた思考は、それ自体が具体的な価値を生むものだということである。

このアメリカ独立の経緯を読んでも、USスチール社発展の物語を読んでも、思考が不思議な転換をしていく姿を見ることができるだろう。

まさに思考は物質化するのだ。

この思考の不思議な転換について研究を進めていくと、そこに見出されるのは奇跡でもなんでもないことがわかる。

自然の法則が働いただけなのだ。その自然の法則は、信念と勇気のある人なら誰でも手に入れることのできるものなのだ。この法則はまた、国に自由をもたらすものであり、人間に富を与えてくれるものでもある。

素早く明確な決断を下せる人は、自分が何を望んでいるかを知っている人であり、それを達成することのできる人である。

言い換えれば、明確で具体的な目標を持っている人は、断固として決断を下せる人なのだ。どんな分野の指導者でも、その人は素早く確固とした決断を下せる人である。だからこそ、彼らはリーダーになり得たのである。

自分の進むべき道をよく知り、それを目標にして行動する人だけに、世の中はチャンスを提供しているのだということを決して忘れてはいけない。

※世の中はチャンスを提供してくれている。

優柔不断は、幼年時代から習慣づけられたものである。そのような子どもたちは、中学校から高校、果ては大学まで何の目標も持たないままに進学してしまうのだ。断固とした決断を下すには勇気が必要である。ときには思い切った勇気が必要である。

独立宣言に署名した五六人は、自分たちの命をその決断に賭けたのである。

希望する仕事を得、希望する人生を得るために決断を下す人々は、生命を、その仕事や人生に賭けるのではなく、〝経済的自由〟のために命を賭けているのだ。

経済的独立、富、やりたい仕事、地位などは、期待し、計画し、熱望しない限り到達しないものだ。

サミュエル・アダムズが植民地の自由を熱望したのと同じ心で熱望するなら、誰でも必ず成功する、と私は断言できる。

◇決断を妨げる要因

1感情の喪失

アルベール・カミュの『異邦人』に出てくる主人公が典型的な例。主人公は自らに対して異邦人であり、自分の人生の傍観者である。

これほどまでに至らなくとも、知らず知らずのうちに「薄められた感情」を持ったまま生きている人間は多い。

2無関心

何かに積極的にかかわったり、新しい状況(世界)を自分の力でもたらすときに生じる不安を回避するために、「無関心」という安全地帯でうたた寝をきめこむ。

3問題

解決のために優先順位をつける、ということに関してその価値を知らないこと自分自身で今、何が重要なことか、ということが理解できなければ、決断は下せない。これらの人々には、「目標」を作ること自体、無縁である。

4低い自尊心

卑屈な心や自信のなさは、優柔不断を招く。「あなたにすべてお任せします」ということで相手に「判断のボール」を投げ返し続けていれば、自尊心はますます低下する。

5絶望と抑鬱

自分自身をコントロールできない状態では、決断すること自体が論外である。

6現実を極端に離れて肥大化させた「理想的自己像」

これらの人々は「自分を知らない」。あまりにも高く優れた人格をセルフ・イメージの対象として持つと、逆に現実の自分に直面したとき、自分自身が貧弱に見えてくる。

自分を大きく見せながら、同時に自分を低く評価するという、この一見矛盾したセルフ・イメージを持つと、判断力を狂わせ、自分では正しい決断をしたと思っていても、結果的には誤断を犯していることになる。

7自己否定、不適切な「他人への依存」、人に好かれたいと思う強迫観念

「穴があったら入りたい」と言って、実際に(自分の心の穴に)入ってしまう人がいる。この自己否定には、心のバランスを求めるために、自分を消し去ろうとする心理が働いている。

このような人が決断をする場合、世間に受け入れられたい、という動機が決断するときに強く作用するため、決断の結果はゆがめられたものになりがちである。

他人への依存心から出る決断の放棄や、人に好かれたいと思う心で決断を放棄することも自己否定そのものであり、したがってその結果も、同じものとなる。

8尊敬されたいと思い、見栄を張ること

尊敬されたいと思うことは健全なことであるが、そう思いすぎることは危険である。

このような場合、失敗したり傷つくことを恐れるようになるため、決断はそのことによってゆがめられたものとなる。

9完全主義、理想主義

10さらにより良いものが現れるという確信

オーディオ製品は日進月歩で、次々と新しい高性能なものが市場に出てくる。より良い製品にあまりにも執着すると、彼らは結局何も買えないことになってしまうだろう。

同様に、「さらにより良いものがあるはずだ」という観念にとらわれると、結局、ずるずると決断を引き延ばし、最悪の場合、決断すること自体を忘れてしまう。

11自分の想像の中で育てられたものに、とらわれること

過去の「素晴らしかったあの人」の面影を心に抱いて、新しく目の前に現れる異性を、その面影と対比すると、どうなるだろう。

「過去の素晴らしいこと」は、えてして理想化され、心の中でさまざまに飾られていくものである。

つまり、それはもはや現実の世界では求め得ないものとなっていく。こうして、現実の世界における決断は、不可能なものとなる。

12「もし失敗したら」と考え、惨めになることを恐れること

自信のない人で、自責の念の強い人は、万が一うまくいかなかったことによって生じる激しい自己嫌悪を回避しようと、決断を躊躇する傾向にある。

13自分に対して過剰な要求をすること

過剰な要求(期待)は、かなえられるはずもないがゆえに、常に自分に対する非難を自ら招く。

「ああすればよかった」「こうすればよかった」というこの自己非難を持ち続けると、正しい判断はできなくなる。

14何を選択したらよいかわからないこと

強いストレスの下にあるときに、しばしば選ぶべきものが見えなくなるときがある。この場合にはストレスが減少するまで決断を延ばすことだ。ただし、これを引き延ばしの口実として用いてはならない。

人は、何の目標も持たないときも、このような状況に陥ることがある。「目標を持たない」ということは、それ自体、ストレスであり得るのだ。

15時間がない、という幻想にとらわれること

よく考えてみれば時間はたっぷりあるにもかかわらず「時間がない!」という観念にとらわれると、人はパニック状態になる。

他人から故意に、判断に要する時間を制限されるときも同様である。

16判断力が低下していること

心の動揺、絶望的気分のときばかりでなく、とても機嫌の良いときも判断力は狂うものである。このようなときに正しい決断はできない。現実と自分自身の二つの要素を客観的に見ることができない状態にあるからだ。

17精神統一ができないこと

注意力、集中力が散漫になっているときは、正しい判断は当然できない。まず心を落ち着かせるセルフ・コントロールが必要である。

エッセンス⑧

▼決断力の欠如が失敗の最大の原因である。他人の意見も大切だが、それに惑わされてはならない。あなたの人生はあなたの意思で決まるのである。

▼決断力は強大な力を発揮する。成功者は例外なく素早い決断力の持ち主である。

▼アメリカの独立の経緯など、偉大な決断にまつわる物語を調べ、あなたの人生の指針としていただきたい。

▼自由を求める強い願望が自由をもたらすのと同様に、巨富を求める願望は巨富をもたらす。

▼力強い人とは、自分の力を信じている人である。

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