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第18章恐―――成功のための第一七のステップ 不安という名の七つの亡霊

目次

●三つの敵を一掃せよ!

この成功哲学を最大限に有効に活用するためには、まずあなたの心の受け入れ準備をしておかなければならない。準備といっても難しいことではない。

あなたの心を曇らせている優柔不断、疑惑、不安の三つの敵について研究し、分析し、理解し、そしてそれらを心の中から一掃しておけばよいのだ。

※優柔不断、疑惑、不安の3つの敵を一掃すること。

この三つの敵が一つでも心に残っているかぎり、第六感は機能することができない。この三つの敵は、非常に親密な関係にある。

だから、一つでも発見されたなら、必ず他の二つも近くに巣くっていると考えて間違いない。優柔不断は不安の苗木である!このことは忘れないでいただきたい。

※優柔不断、疑惑、不安の3つは連鎖していて、1つでも発見されたら全て湧き出てくる。

優柔不断とは決断力が欠けていることだが、これが疑惑を呼び起こすのである。そして、この優柔不断と疑惑が結合すると、不安というモンスターになるのだ!普通、このようにして不安が成長していく過程は非常にゆっくりとしたものだ。

そのため、これら三つの敵がきわめて危険な代物であることに気がつかないことが多いのである。不安はやがて、気がつかないうちに芽を出し、目に見えないところで成長していくのである。

そこで、この成功ノウハウを実践する前に、最後の章として不安のすべてについて詳しく述べておこうと思う。

特に、なぜ多くの人々が貧困から脱出できないかについての話は重要である。このことは、金銭的なものよりもさらに大きい精神的な豊かさを求めるすべての人に理解されなければならないことだ。

この章では、七つの基本的な不安の原因と、その治療法にスポットライトを当てていくことにする。

その敵を屈伏させる前に、私たちはその敵について名前と習性と存在する場所などを知っておかなければならない。

また単にこの章を読み通すだけでなく、この七つの不安のうちどのような不安があなたにとりついているのかを、注意深く分析していただきたい。

それでは私たちは、敵の巧妙な手口にだまされないよう注意深く研究を進めていこう。

不安は、私たちの潜在意識の中に潜んでいることが多いものだが、このように入りにくい所に隠れているものは、追い出すこともまた困難なものである。

不安はいついかにして、それに屈服するかあるいは払いのけるかによって、祝福にもなり呪いにもなるものである。失敗するかもしれないという不安はそれだけで失敗の原因にもなり得るし、負けるかもしれないという不安は敗北を誘引する。

不安というものは、非常に強力なので、それとは正反対に位置する信念が善行を行うときと同じ程度の力を持っている。

実際、不安は信念というギアを反対方向に入れたもの以外の何物でもない。

※不安は信念というギアを反対方向に入れたもの以外の何者でもない。非常に強力であり、信念が善行を行うときと同じ程度の力。

人間を一生の間とらえているこの七つの基本的な不安は、そのすべてを克服しなければ、どんな素晴らしい、そして長続きする成功もないのである。

●七つの基本的な不安

不安には七つの基本的なものがある。それらが同時に混じり合うか、あるいは別々に混じり合って人間を苦しめているのである。

そのうちのどれにも苦しめられたことのない人がいるとするならば、その人は非常に幸運な人といわなければならない。

この七つの不安を、最も影響の強い順に並べてみよう。このほかにも人を苦しめる不安があるが、ここでは基本的なものについてだけ述べることにしよう。

不安とは、心の状態以外の何物でもない。そして心の状態というのは、常に何かによって支配され、方向づけられているものである。

※不安に支配されているとひらめかない。

人間は、心の中でひらめかないものを創造することはできない。言い換えれば、心のヒラメキこそが、すべてを創造する力を持っているのだ。

意識的なものであろうと無意識的なものであろうと、心のヒラメキこそ、具体的な何かを創造する力があるのだ。

私たちは偶然に訪れた心のヒラメキ(あるいは他人の心から発信されるヒラメキ)によって、経済面はもちろんのこと、事業、ビジネスあるいは社会的地位などの運命が決定されることが多いものである。

それらは、たとえ偶然のヒラメキであっても、計画的に設計されたアイデアと同じ影響力を持っているのだ。ここである重要な事実を紹介しておこう。

それは、一方では幸運にも「成功」を手にしている人がいるにもかかわらず、もう一方ではそれと同じ脳力、同じ訓練、同じ経験、同じ技能を持ちながら、多くの人がなぜ不運に見舞われて成功の輝きを見ることなく終わってしまうのか、ということを理解するためである。

この事実を披露する前に、知っておいていただきたいことがある。それは、すべての人々は、自分の心を完全に支配する脳力を持っているということである。

※自分の心を完全に支配しなければならない。

またその支配の仕方によって、人は自分の心を開いて他人の頭脳から発信されるものを受信して利用することもできれば、かたくなに心を閉じてしまって、自分の心のヒラメキだけしか使えないことにもなる、ということである。

大自然は、私たち人間を完全に支配しているが、たった一つだけ例外がある。それは「思考」である。

この事実は、人間が創造するものはすべて思考から始まるという事実と合わせ考えるとき、不安を取り除く方法の手がかりとなるであろう。

「すべての思考は、それを現実化する力を持っている」ということは、まったく疑うことのできない真実である。同様に、不安や貧困から出たヒラメキは、決して勇気や富をもたらしてはくれないのである。

※不安や貧困から出たひらめきは決して勇気や富をもたらしてくれない。

●貧困に対する不安

貧困と富は決して妥協することのできない関係にある。貧困に向かう道と、富への道は正反対なのだ。もし富を得たいと望むならば、貧困を招くようなことのすべてを拒絶しなければならない。

ここでいう「富」とは経済面、精神面、心理面、物質面、人間関係面、レジャー面、家庭面などのすべてを含む広い意味で用いられている。

富への道の第一歩は、願望である。

このことは、第1章で詳しく述べたとおりである。この章では、願望と不安の関係について徹底的に解明したいと思う。これによって、あなたがどの程度この「成功哲学」を身につけているかが明らかになるだろう。

もっともそれは、あくまでもあなた自身の判断材料とするためである。しかし、本書を何度か読んだ後では、意味合いが違ってくる。

そのときもやはり同じことが明らかになるであろうが、その結果、あなたが将来どの程度の富を得ることができるか、予測できるのだ。

だが、もしこの章を何度か読み終わっても、まだ貧困を受け入れる気持ちを取り除くことができなければ、あなたは貧困(言い換えれば、富と縁のないもの)を甘んじて受け入れざるを得ないだろう。

もしくは再度、この本を最初から読み直していただきたい。富を得たいと思うなら、いかなる形で、どのくらいの金額を得たいのかをはっきりさせておかなければならない。

※金額も明確にしなければならない。

これができれば、あとはあなたは富へ向かって出発するだけである。

あなたはすでに、富の世界へ到達するための「成功哲学」という完全な地図を持っているのだから、それに素直に従って前進していけばよいのである。出発をためらったり、途中で止めてしまうのは、実際誰のせいでもない。

富の世界を否定したり、途中で挫折をしたからといって、言い訳は何の役にも立たないことを覚えておいていただきたい。

富を得ることができるのは、心の中で、できると思うか、あるいはできないと思うかによって決まるのである。

※できるできるできる!自分自身をコントロールする。

そしてこれは、あなた自身がコントロールできるものなのだ。心の状態は、あなた自身がつくり出すものなのだ。金では決して買えない。それはあなたが創造するものなのである。

●最も破壊的な不安

貧困の不安は、心の状態以外の何物でもない。しかもそれは、すべての人から成功のチャンスを奪い取り、人生を破滅させるのに十分な力を持っているものである。

※貧困の不安は、すべての人から成功のチャンスを奪い取り、人生を破滅させる。

およそ不安というものは、すべての理性を麻痺させてしまう。またすべての創造力を破壊し、すべての自信を喪失させ、すべての熱意を消し去り、すべてのヤル気を失わせ、目標を粉砕し、一日延ばしを助長し、セルフ・コントロールの脳力を失わせる力を持っているのである。

※不安は、全ての理性を麻痺させる。想像力を破壊し、自信を喪失させ、熱意を消し去り、すべてのやる気を失わせ、目標を粉砕し、一日延ばしを助長し、セルフコントロールの能力を失わせる力を持っている。個人的な魅力を失わせ、思考力を破壊し、集中力を低下させてしまう。忍耐力を弱め、石の力を無力にし、大志をくじき、記憶をいい加減にさせるのも、不安の感情である。

また、不安は個人的魅力を失わせ、思考力を破壊し、集中力を低下させてしまう。忍耐力を弱め、意思の力を無力にし、大志をくじき、記憶をいい加減にさせるのも、不安の感情なのである。

それは、あらゆる手段で失敗を呼び込もうとしているのだ。不安は愛を殺し、繊細な心の動きを抹殺し、友情を破壊し、すべての人に絶望をもたらすものだ。不眠症を招き、惨めさと不幸を招き寄せるのも、不安の感情である。

この世は、どんなものでも望みさえすれば手に入れることのできる豊かさを持っている。それにもかかわらず、不安の感情のために何物も手に入れることのできないままに生涯を過ごしてしまわなければならないのだ。

貧困の不安は、疑いもなく七つの不安の中で最も破壊的なものだ。これが不安のリストの中で最初にあげられているのは、克服するのに最も困難だからである。貧困の不安は、仲間をも経済的に破壊してしまう。

それは本能的なものであり、人間というよりはむしろ動物的本能なのだ。動物には「思考力」がないため、共食いをすることがある。

人間には思考力や理性が備わっているので、仲間と実際に血を流し合いながら争うことはないが、経済的にはやはり「共食い」をしているのだ。人間はあまりにも貪欲であった。

そのため、昔から経済的に身を守るためにあらゆる方法を考えてきたわけである。

貧困ほど、人々に苦しみをもたらすものはほかにはない!これを経験した人々だけがこの言葉の意味を理解できるだろう。

人々が貧困を恐れるのは無理もないことだ。金や財産がなければ、世間から信用してもらえないのが現実だ。そのことは、人生の長い経験で身にしみている。

だから人間は、もし必要なら、いかなる手段を講じても富を手に入れようとしているのだ。自分を分析することで、本来なら知りたくもない自分の弱点が暴露されるかもしれない。

だが、平凡で惨めな一生を送りたくないなら、あえて自分と直面しなければならない。

そうした一項目ごとに丹念にチェックするときは、あなたは法廷における裁判官であると同時に検察官にもならなければならない。

また、弁護人でもあり、原告人でもあり、被告人でもあり、傍聴人でもあるわけだ。あなたは、それに対して真っ正面から対決しなければならない。

あなたは、自分自身に厳しい質問を行い、それに正直に答えなければならない。このような自己分析を行って初めて、真の自分の姿を知ることができるのだ。

もし自分では公平な判断ができそうもないと思うなら、あなたをよく知っている友人に立ち会ってもらうといい。

このテストは、あなたを一時的には困惑させるかもしれないが、どんな代償を払ってでも受けておかなければならないものだ。

何がいちばん不安か、という質問に大部分の人は「何も不安はない」と答えるかもしれない。だが、この答えは真実ではなさそうだ。彼らはその不安の実態を知らないからである。

不安は人間の心の奥底に巣くっていて、それにとりつかれた人は、精神的にも肉体的にも打ちのめされているはずなのに、誰もその実態を見たことがない。

だから自分は不安にとらわれていないと思っているだけなのだ。勇気を出して、この隠れた大敵を白日のもとにさらけ出さなければならない。あなたが自分の分析を始めるなら深層心理を探らなければならない。次に掲げたのは、あなたも見ることのできる貧困の不安の兆候である。

■貧困の不安の兆候

★無関心

これは一般には、「大志の欠如」とか「貧困を受け入れる寛容」などと言われているものである。このようなあてがいぶちの生活こそが無抵抗主義や精神的・肉体的に怠惰な人間をつくってしまう。

自発心や創造力の欠如、情熱や自律心までもなくしてしまう。

★決断力の欠如

これは、自分で考えるべきことまでも、他人をアテにすることをいう。いわゆる「風見鶏」のことだ。

★猜疑心

これは、自分の失敗に対して言い訳をしたり、弁解したりする習慣のことである。多くの場合、これは成功者に対する悪口や批判として使われている。

★苦労性

他人のアラ探しをすること、収入以上の浪費をすること、しかめっ面をしたり、眉をひそめるといった表情を顔に出すこと。ときには酒びたりになり、麻薬に走ることもある。神経質になったり、バランス感覚が欠落する。

★過敏症

どんな状況でも否定的な面だけしか見ないという習慣をいう。考えることも話すことも、成功の可能性についてではなく失敗の可能性についてだけだ。

失敗の道ばかり探していて、それを避ける道を探そうとはしない。また、どんな場合でも「時を待つ」ばかりで、最後まで行動を起こそうとはしない。

失敗者の例はよく覚えてはいるものの、成功者のことは忘れ去っている。ドーナツの穴ばかり見つめて、ドーナツ全体を見ようともしないのだ。悲観主義者なのだ。消化不良、便秘、自家中毒、呼吸困難、悪癖などを誘発する。

★一日延ばし

これは、一年前にもできたことを明日に延ばそうとする悪い癖だ。四六時中、言い訳や弁解のことばかり考えている。この兆候は、過敏症や猜疑心、苦労性と密接な関係がありそうだ。

責任を回避しようとして逃げ回る。簡単に妥協してしまう。困難に出合うとすぐ挫折してしまう。決してそれと対決しようとしない。

自分の人生をたった一ペニー〔訳注…約一円九〇銭(一九九九年一月現在)〕で安売りしてしまい、財産も富も幸福までも放棄してしまう。

困難を克服しようとしないで、逃げ道ばかり考えるようになる。自信をなくし、目標を不明確にし、自律心、ヤル気、情熱、希望をなくし、理論的な思考力をなくしてしまう。

富は望まず、貧乏でいいのだと自分に言い聞かせている。成功した人と付き合おうとはせず、落伍者とだけ仲間になろうとする。

■金は語る

ある人はこんなことを聞くことだろう。「どうして金に関する本を書いたのかね?どうして幸福を金で測ろうとするのか?」富は金以上のものであることは知ってもいるし、それは正しいことだ。

幸福は決して金で測ることはできないものだ。だが、多くの人は「私にお金さえくれれば、私はきっと幸せになれるのに」ということだろう。

私がこの本を書いた最大の理由は、何百万人もの人々が貧困の不安と闘っているからである。

この貧困が人々にどのような不安を与えているかということについて、ウェストブルック・ペグラー〔訳注…アメリカの著名なジャーナリスト。一八九四~一九六九〕は次のように書いている。金というのは、ただの貝殻だとか丸い金属とか紙きれにしかすぎない。

たとえ宝物ではあっても、心とか魂までは買えない。だが、破産した人間にとっては、ノドから手の出るほど欲しいものだ。無一文になって倒れたり、仕事を求めて町をさまよう人の肩には、人生の悲哀が滲み出ている。

たとえ知識や知性や脳力では負けないとは思っていても、定職を持った人々に対する劣等感はどうしようもない。

定職を持っている人たちは、無職の人(たとえ友人であっても)には優越感を持ち、無意識ではあっても、その人を脱落者と見なしてしまうのだ。

仕事を失った人は、一時的には借金で暮らすことができるかもしれない。しかし、そんな生活は満足できるものではなく、いつまでも続けるわけにはいかない。

今晩の食事代を借金しなければならないと考えることは、人生を絶望させるばかりではない。金を稼ごうとする意欲まで奪ってしまうのだ。

もっとも本物の浮浪者や怠け者には絶望などはない。だが、大志と自尊心のある正常人にとって金がないということは耐え難い苦痛だ。

同じ無一文でも、女性の場合はちょっと違ってくる。私たちは「絶望者」というと、男性のことばかり考えて女性のことは忘れてしまいがちだ。

食料の無料配給所に女性は並ばないし、町なかで施しを受けている人の中にも女性を見かけることは少ない。

また、男の失業者なら群集の中でもすぐ見分けがつくが、女性は外観だけではわからない。そうした理由によって、今まで女性を除外して考えてきたわけである。

この場合、物乞いが病みつきになった男と連れ添って歩く足の悪いお婆さんのことをいっているのではない。

うら若くて、上品で聡明な女性のことをいっているのだ。女性の失業者だって大勢いるはずだが、見た目ではわからないだけのことである。

彼女たちは、あるいは自分の真の姿を現そうとしないだけのことかもしれない。男性が時間を持て余すのは、落ちぶれたときだけだ。

仕事を求めるために何キロもの道を旅したあげく、その仕事がすでに埋まっていたり、そっけなくされたりすることもあろう。

せっかく手に入れた仕事も、誰も買ってくれそうにないガラクタ商品のセールスだったりすることもある。

しかも、固定給ではなくコミッション・セールスだったりする。それを断ってしまうと、もはや何をする気力も失せてしまう。夢遊病者のように町をうろつく。われに返ったとき、通りを後戻りしている自分に気づくだけだ。

彼は、うろつき回ることしかできない。商店のウィンドーを、自分とは無縁の商品をうつろに眺めるだけだ。そして、熱心にウィンドーをのぞいている人に劣等感を持ち、彼らを避けてしまうのだ。

駅構内をうろついたり、図書館に入って無為な時間を過ごし、しばらくの間、体を暖めてから、また町なかへと歩き出す。

図書館に長居をしていても、職は見つからないからだ。彼は気がつかないかもしれないが、彼の全身から失望感が滲み出ているのだ。

定職に就いていたころの洋服を着て、身なりこそ立派に見えてはいても、その正体は隠しおおせないのである。

彼は、多くの人々が、たとえば帳簿係や店員、化学者や車引きなどの仕事でせっせと働いている姿を見て、心の底からうらやましいと思っている。

働いている人には独立心や自尊心、人間らしさがある。

振り返って自分を見つめると、いくら弁解のために百万言を費やしたところで、自信が持てないのである。

彼をこのようにさせたのは、疑いもなく金だ。少しでも金があれば、彼は自分を取り戻すことができるのだ。

●批判を受けることの不安

どんなきっかけから、人間はこの不安に取りつかれるようになったのだろう。このことについて明確な答えの出せる人はいない。だが、確かなことがたった一つだけある。

この不安は人間の心の奥深い所に巣くっているということだ。私は、この不安は多分に先天的なものだと思う。

※不安は先天的に備わってしまっているもの。

この性格は、親友の財貨を奪うだけでなく、その親友を打ちのめすことによって自分の行為を正当化しようとするものだ。泥棒が盗んだ相手の悪口を言うのは、よく知られている。

政治家の場合、自分の美徳や特質をアピールするのではなく、政敵をやっつけることで当選を勝ち取ろうとしているのだ。

この不安をうまく利用しているのが、アパレル・メーカーである。世の人々はみな、その餌食になってきた。シーズンごとに新しい流行が生み出されている。

誰がこの流行を決めたのか?もちろん、それは消費者ではない。メーカーなのだ。なぜ、そんなにもひんぱんに流行を変えなければならないのか?答えは明らかだ。

スタイルを変えればそれだけ新しいものの売れ行きがよくなるからである。同じ理由で、自動車メーカーもシーズンごとにモデルチェンジをする。誰もが、新しい型の車に乗りたがるからだ。

他人から批判されるのが恐ろしい、という理由で私たちはつまらないことに神経を使って生きているのである。

その昔、幽霊を信じなかったばかりに、火あぶりの刑に処せられた人々がいる。そのため、人々はこの批判に対する不安を持たざるを得なくなった。

過去においては、いや、つい最近まで、批判は厳しい罰をともなっていた。今日でも、それがまかり通っている国もある。

批判を受けることの不安感は人々から自発性を奪い取ってしまう。創造力を破壊し、個性をつぶし、自尊心を奪ってしまう。その他の面でもダメージは多い。

親は、無神経に子どもを批判することによって、子どもの心を傷つけていることを反省しなければならない。

私が子どものころ、仲良くしていた友人の母親が毎日ムチで彼を折檻していたのを覚えている。そのとき、母親はこんなふうに叫んでいた。

「お前は二〇歳になる前に刑務所に行くことになるよ!」その彼は一七歳のとき、少年院に送られてしまった。

人間は誰でも、他人を批判したがる傾向を持っている。相手が求めるかどうかに関係なく、提供したがる過剰サービスなのだ。注意しなければならないのは、身内の者に対する批判である。

子どもに対する無神経な批判は、子どもに劣等感を植えつけてしまう。たとえ親であっても許されるものではない。これは、最も大きな罪だ。

人間の本質をよく知っている経営者は、部下の脳力を引き出すために、批判するのではなく、建設的なアドヴァイスによって脳力を発揮させている。

親としても、子どもに対してこのような真のリーダーシップを身につけなければならない。批判は、人間の心に不安や憎しみを植えつけるのである。決して愛情や感動は生まないのだ。

■批判を受けることの不安の兆候

この不安は、貧困の不安と同様に万人に共通しているものである。この影響は、成功にとって致命的だ。これは指導性を破壊し、想像力を減退させてしまう。この不安についての代表的な兆候を列挙してみよう。

★臆病

神経質になってオドオドした話し方をし、人と会うのをためらう。それは手足の動きにも現れ、視線が落ち着かない。

★落ち着きのなさ

声に張りがなく、他人の前では神経質になる。姿勢が悪くなり、記憶が正確でなくなる。

★個性の欠如

決断力が欠落し、人間的魅力が失せる。自分の意見を堂々と発表できなくなる。物事に正面から対決しようとはせず、安易な道を探しにかかる。他人の意見を聞こうとはしないくせに、すぐ同意する。

★劣等感

劣等感を補おうとして、口から出まかせを言ったり、勝手な行動をする。他人からの注目を集めたいばかりに、ホラを吹く。そして、たいていの場合、そのホラの意味を知らないのだ。

他人の服装や話し方や動作などを真似たがる。空想上の成功を吹聴する。うわべだけの優越感を保とうとする。

★消費

収入以上の金を使って、見栄を張ろうとする。

★指導性の欠如

自分の意見を発表することを恐れて、自己主張の機会を失ってしまう。自分の考えに自信が持てない。上司から質問を受けると、それに正しく答えようとはせず、逃げようとする。動作や話し方にためらいがあり、言葉や行動にごまかしがある。

★大志の欠落

精神的にも肉体的にも、怠けがちになる。自己主張が欠落しているため、決断が遅くなる。他人からの感化を受けやすくなる。他人には表面でお上手を言い、陰にまわって中傷をする。人々の反対に出会うとすぐに自説を曲げ、敗北を認めてしまう。理由もなく人を疑う。

動作や話し方から機敏さが欠落し、失敗に対する責任を取ろうとはしない。何か新しいことをしようとするとき、批判は必ずついてまわるものだ。

しかし、批判者が何を言おうと、また何を思おうと、あなたの目的が本書でいう「成功の定義」にかなうものであるならば、それらに惑わされることなく、強い決意を持って前進しなければならない。

それでこそ、あなたはあなたの人生を生きていることになる。

●病気に対する不安

この不安の根源を探ると、肉体的なものと社会的なものがある。これは老齢への不安と死への不安と密接に結びついているようだ。

私たちはそのどちらの実態も知らないのに、ただやたらに世間の脅し文句に乗せられて、恐怖の道に追い込まれてしまうのだ。

世の中には、病気への不安を利用した「健康産業」なるものがはびこっているが、これなどはまさに非論理的な事業である。

私たちが病気を恐れる最大の理由は、死への観念的な不安である。もう一つは、病気になったときに支払わなければならない莫大な費用に対してなのだ。

ある調査によると、病院に治療にやってくる患者の七五パーセントは、想像上の病気なのだそうである。本当は病気でもなんでもないのに、その病気と同じ症状が現れてしまうのだ。

人間の心というのは、常に力にあふれ、強大なのだ!それを生かすのも殺すのも私たち自身なのである。私たちの病気への不安感をあおったり、弄ぶことによって、薬屋は大もうけをしてきた。

この傾向は四〇~五〇年も前から続いている。最近では、特に悪質な業者に対して一部の週刊誌がキャンペーンを展開して人気を博しているものもある。

数年前のことだが、このことに関して一連の実験が行われた。それは、健康な人間を暗示によって病人にしてしまうという実験であった。その実験では、三人の人間が重要な役割を果たす。

まず、一人が「犠牲者」を訪問して、「どこか悪いのかね?顔色が冴えないようだが」と暗示をかける。この一人目の暗示に、彼は「別になんともないよ」とのんきに構えている。

やがて二人目が訪れる。そして同じ暗示をかける。すると彼は、「はっきりとはわからないが、なんとなく気分がすぐれないようだ」と答える。

さらに三人目が同じ暗示をかけると、彼ははっきりと自分は病気なんだと言い、その症状を呈するようになる。

この実験結果に納得がいかなければ、誰か知り合いの人を「犠牲者」に見立てて、同じ実験をしてみるとよい。

その人が病気になっていくのがわかるだろう。ただし、深入りしすぎてはいけない。世の中には「魔力」によって人に復讐する宗教団体がある。犠牲者に「呪い」という暗示をかけるやり方である。

これらは、否定的な暗示によって病気がもたらされることの証明である。私たちは、他人から受ける暗示や、自分自身でつくった暗示によって本当の病気になってしまうことがある。

これらの暗示には絶対にかからないという賢明な人がいたとする。その人は多分、こう言うだろう。

「もし誰かが私の顔色のことについて何かを言ったら、私はそいつにパンチで答えてやるよ」医者は、患者の健康のために転地を勧めることがある。

それは、患者の気分転換が必要だからである。病気への不安の種子は、誰の心にも巣くっているのだ。

愛情や事業に関する不安や恐怖、挫折感、絶望感などは、この種子が芽を吹き出し、成長することによってもたらされるものである。

事業や愛における絶望は、病気に対する恐怖の原因の中でもトップにあげられるものだ。愛への絶望から、入院を余儀なくさせられた若者がいた。

その若者は病院のベッドの上で数カ月間も生死の境をさまよっていた。そのため、心理療法の専門医が招かれることになった。

この専門医は、担当の看護婦を若くて美しい女性に代えた。医者は彼女に、その若者に一目惚れするように命じた。

もちろん、芝居である。すると、三週間もたたないうちに、その若者は退院できるまでに回復したのである。

だが、すべてが完全に治ったわけではなかった。彼は別の病気にとりつかれてしまったからである。彼の心の中には再び愛の感情が生まれた。

芝居が本物になってしまったのだ。やがて二人は結婚して彼の病気は完治したのである。

■病気に対する不安の兆候

病気に対する不安の兆候は、次のとおりである。

★深層自己説得

あらゆる種類の病気の兆候を探しまわって、否定的な深層自己説得をかけたり、想像上の病気を楽しむ癖がある。それをいかにも本物の病気のように吹聴したがる。

今流行の治療法や、なんとか式の治療法を試したがる癖。手術とか事故とか病気についての話が好き。専門家のアドバイスなしにダイエットやエアロビクス、減量法に凝る癖。家庭療法や新薬、はては迷信療法まで何でも好き。

★神経症

いつも病気の話をし、病気のことばかりに集中している。そして、病気になることを期待し、神経がやられてしまう。この性癖を救済するのは難しい。

これは否定的な考え方の結果であって、肯定的な考え方を身につけさせる以外に治療方法はない。神経症は、本物の病気と同じ苦痛を伴うものだ。いわゆる、神経の病気は想像上の病気が原因となっている。

★運動

病気への恐怖は、本物の病気を引き起こす。それはまた、戸外の運動の妨げになり、太りすぎの原因にもなる。

★感受性

病気への恐怖は、人間本来の病気に対する抵抗力を破壊してしまう。そして病気を受け入れやすい条件を自らつくり出してしまう。この恐怖はまた、貧困の恐怖と関連して、治療費、入院費などの心配ばかりするようになる。

この恐怖にとりつかれた人は、病気や死についての話で一日の大半を過ごし、墓地や埋葬費のための貯金をしようとしている。

★自己溺愛

病気をデッチ上げては他人の同情を買おうとする。仕事をサボるときによく使う手だ。怠けの言い訳に病気を使ったり、大志の欠如の弁解の材料にする。

★不摂生

アルコールや麻薬の力を借りて現実から逃げようとする。原因を追究しようとはしない。

●失恋に対する不安

愛を失うことの不安は、人間の心が本来、気まぐれであるということを当人が十分知っていることから生じる。

同時にまた、競争相手(横取りしようといつもねらっている人々)が多いことも、この心配にさらに輪をかけるもととなっている。むろん、実際に競争相手が存在するかしないかは別問題だ。

人は、異性に愛を感じると、実際にそんなことは起こりそうにもない場合でも、「誰かに取られやしないか」と嫉妬の卵を抱えるものである。

嫉妬心やその他類似の感情は、男性が〝愛を失うこと〟の不安の代わりに持っている生来の習性である。愛を失うことの不安は、七つの不安の中でも最も苦痛に満ちたものだ。

男が愛を失うことを恐れるのは、石器時代からの名残なのである。

その時代、男は力ずくで女性をさらっていた。今日でも、その習慣は形を変えて残っている。力の代わりに説得とか美しいドレス、新車その他の「えさ」が使われている。

そのほうが腕力より効果的なのだ。男の習性はこの文明時代になっても少しも変わってはいない。手段が変わっただけのことだ。

しかし、注意深く分析してみると、女性のほうが男性よりも愛を失うことの不安を強く感じていることがわかる。

女性は、男性がすべて一夫多妻的傾向を持っていることを経験から熟知している。だから、男性がライバルの手中にあるときは、決して男性を信用してはならないことを知っている。

■失恋に対する不安の兆候

この不安の兆候は次のとおりである。

★嫉妬心

正当な理由もないのに、友人や恋人を疑ってかかる習性。根拠もないのに、妻や夫を疑ってかかる癖。誰にでも疑いを持ち、信用することはない。

★アラ探し

ほんのちょっとしたことから、あるいは正当な理由もないのに、友人、身内、仕事仲間、恋人などのアラ探しをする癖が表れる。

★ギャンブル

愛情を金で買おうとして、そのためにギャンブルや盗みや詐欺を働こうとする。愛人にいいところを見せようとして贈り物をするため、収入以上の金を使う。そのため、借金を背負うことになる。

不眠症や神経質になり、忍耐力がなくなり、意思の力が弱まり、自制心がなくなる。また自信を喪失し、感情が乱れる。

●自由を失うことに対する不安

人は誰でも生まれながらにして自由を求める欲求が心の中に深く根を下ろしている。この自由はおそらく大自然が人間に与えた賜物である。

同時に大自然は、人間がこの世で自由に自分自身の運命を全うすることを可能ならしめるために、精神力を十分に使う権利も与えてくれた。

この自由を失うことに対する不安は、七つの基本的な不安の中でも、人間が自分ではどうすることもできない環境によって生じるものである。

●老いに対する不安

老齢になることを恐れる原因は二つある。一つは、老人になったとき収入がなくなるのではないかという心配。

もう一つは、周囲の人たちから邪魔者扱いにされるのではないかという心配だ。過去において、老人が邪魔者扱いにされる寓話をいやというほど聞かされてきた。

それがわが身にふりかかってくることへの不安である。また、老齢への不安には、それを裏づける理由が二つある。

その一つは、仲間に対する不信感である。自分が持っているものを奪われるのではないかという心配だ。

そして、もう一つは、あの世について自分が思い描いている恐ろしい地獄絵からくる不安感である。年をとると体が弱ってくるということも、老齢の不安をかきたてる原因の一つになっている。

性的魅力の減退も、原因の一つに数えられるだろう。老齢を最も恐れさせているのは、何といっても収入の激減への恐れである。

つまり、貧困に対する不安なのだ。養老院という言葉は、惨めな連想を浮かばせる。

もし人生の最後の数年間を養老院で過ごさなければならないとしたら、それは人の心を暗くし、寂しくさせるに違いない。

これらの原因の他にも、老人になると肉体的にも経済的にも自由がきかなくなり、自立できなくなるという心配が、不安の根源になっているのだ。

■老齢への不安の兆候

この不安についての兆候は次のとおりである。

★若年寄り

四〇代といえば、精神的に最も円熟している年代である。しかし、そのころから年寄り気分になり、仕事の面はスローダウンし、劣等感にさいなまれる人間が出始める。実をいえば、心理的にも精神的にも最も役に立つ年代は、四〇歳から六〇歳の間なのだ。

★年のせいにする

やっと四〇歳、五〇歳になったばかりだというのに、「もう年だから」と弁解をする人がいる。その年代は人生の中で最も賢明であり、間違うことも少なくなっているものだ。その年代に到達したことを感謝すべきなのだ。

★遠慮

自分が年をとりすぎたと思い込み、指導性を押し殺してしまい、創造力も自信も喪失してしまう。四〇歳になった男女が、自分を若く見せるためにハデな格好をしたり、若者の振る舞いを真似たりして、友人などから嘲笑を受ける。

●死に対する不安

この不安は、すべての不安の中で最も残酷なものだ。この死への不安による耐え難い心痛は、人々を宗教に対する狂信へと駆りたててしまうほどのものだ。

一般に、いわゆる「未開人」のほうが「文明人」よりも死に対する不安が少ないのは、自分以外の何か大きな偉大なものに対する信仰が強いためであろう。何千年も前から、人類はいったい自分は「いつ」「どこで」死ぬのだろうかと問い続けてきた。

「私はどこからきたのか?」「私はどこへ行くのか?」人類の未開時代〔訳注…この点に関しては今日でも〝未開〟であるといってよい〕には、この種の質問に対して、ずるくて巧妙な答えが用意されていた。

「私の集会に加わりなさい。そして私を信じ、私の教えを信じなさい。そうすれば、あなたがこの世を去るとき、何の迷いもなく天国への切符が手渡されます」いかがわしい宗教界の長老たちはこういって信者から金を巻き上げたのである。

その長老は、こうも叫んだ。

「私の集会に入らなければ、あなたは悪魔にさらわれ、地獄で火あぶりの刑に処せられるでしょう」私たちの人生設計を狂わし、幸福の追求を不可能にしているのは、罪の思想である。

宗教家が天国への道を案内してくれなかったり、地獄へ落ちるのを救わなかったりすれば、人々の不安はまさに極限にまで達してしまう。

宗教家によって救われなかった人々は、死後の世界を想像して不安にさいなまれ、死は避けられないものだと知って、なおいっそう不安をつのらせるのだ。

だが、この世の中に立派な大学が存在しなかったころと比べれば、死に対する不安はかなり薄らいできている。

大学の科学者たちが、死後の世界に真理研究のスポットを当てたのだ。その業績によって、多くの人々が恐ろしい不安から救われたのである。

いま大学に通っている学生たちは、そう簡単に「地獄の業火」などは信じはしない。暗黒時代に人々の心を支配していた不安は、生物学、天文学、地質学およびその他の関連科学によって追い払われたのである。

この世の中は二つのもので構成されている。一つはエネルギーであり、もう一つは物質である。私たちが学んだ物理学では、物質もエネルギーも人間が創造したり破壊したりすることのできないものだということになっている。

物質とエネルギーは変化させることはできても、消滅しはしないのだ。人生とはエネルギーである。エネルギーも物質も消滅しないものだとしたら、生命もまた、他のエネルギーと同様、不滅である。

他のエネルギーに変化するだけなのだ。死とは、単なる変化にすぎない。死が単なる変化ではないにしても、平和な永遠の眠りには違いないのだ。

何も起こりはしない。眠りには何の不安もない。死への不安は、永遠にぬぐい去ればいいのだ。

■死への不安の兆候

この不安の兆候は次のとおりである。目標が欠落し、満足すべき職業に就けなかったため、もっぱら死のことばかりを考える。

この傾向は老人に多く見られるが、たまには若者たちもこの不安の犠牲になっていることがある。この不安を克服する特効薬は、他人への奉仕に情熱を燃やすことだ。

忙しい人間は、死について考え込んでいる時間など持てない。死後のことを心配するより、現実のほうがずっとスリルがある。

死への不安はまた、貧困の不安と密接に関係することがある。それは自分が死ねば、愛する人の生活がどうなるかという心配である。

また、病気や健康への不安が死への不安を引き起こす場合もある。

一般的には、不健康、貧困、失業、失恋、精神の錯乱、特定宗教への狂信などが死への不安を呼んでいる。

■老人の悩み

悩みとは、不安による心の状態である。悩みが心の中でつのる状態は、非常にゆっくりとしたものだが、いつまでもしつこくこびりつくものだ。悩みは陰険でずる賢い。

心の中に塹壕を掘り、人間の論理的な脳力を錯乱させ、自信とヤル気を破壊してしまう。悩みはまた、決断力を鈍らせる。

一度下した決定についても心がぐらついてしまう。心のぐらつきは救いようがない。優柔不断は心をぐらつかせる。

多くの人は、即座に結論を出す脳力やその決断を維持する脳力に欠けている。私たちは明確な結論に達したなら、周辺の事情などを気に病む必要はない。

私はかつて、二時間後に電気椅子で処刑されようとしている囚人と会ったことがある。彼は、他の八人の死刑囚の中で最も落ち着いていた。

そのため、私は彼にいくつかの質問をすることができた。間もなく永遠の眠りにつく今、どんな気持ちなのかを聞いたのだ。すると彼は、自信に満ちた顔でこういった。

「気分は最高さ、兄弟。考えてもみなよ、オレの悩みはもうすぐ全部消えてしまうんだぜ。オレの一生なんて、苦労ばっかりだった。食い物と着る物を手に入れることだってやっとだった。

もうそんなものはいらなくなるからな。死ななきゃならんと聞いてからは、すっかり気分がよくなったぜ。そこでオレは決心をしたんだ。覚悟を決めて運命という奴を受け入れたのさ」彼はこう言って、運ばれてきた三人前の食事を一気にほおばり、楽しそうに平らげてしまった。

彼をこのような心境にさせたのは、「決心」だったのである。決心こそ、どんな境遇をも受け入れさせるものなのだ。七つの不安は、優柔不断と結びついて、悩みに変わってしまう。

だが、私たちは決断することによって、避けられない死をも克服することができる。決断することによって、貧困に対する不安さえも追い払ってしまうことができる。

何の悩みもなく、金持ちになるのだという決心をすればよいのだ。他人がどう思おうと、何を言おうとそんなことは気にしないで、固い決心を持ち続ければよい。

それが批判を受け入れることの不安を追い払ってくれる。老齢への不安も、決断によって吹き飛ばすことができる。

老齢をハンディキャップとしてあきらめず、若者が持っていない賢さと自制心と理解力を持っているものと思えばよい。

病気の兆候を忘れる判断をすれば、その病気への不安をなくすことができる。愛がなくても生きていけるのだと思えば、失恋への不安なども克服できるのだ。

人生には、悩むほどの価値のあるものなど何もないのだということを悟らなければならない。この悟りを持つことができれば、心の平和と安定を保つことができ、幸福になれるのだ。

心の中が不安に満ちてしまうと、すべての知的行動が破壊されてしまう。それだけではない。周りの人々にも伝染し、その人たちの人生まで破壊してしまう。

犬や馬でさえ、主人が気落ちしている状態を敏感に感じ取ることができる。主人が発している不安の振動を受信し、反応するのだ。犬や馬よりももっと知能の低い動物ですら、そのような検知能力を持っている。

●破壊的思考による不幸

不安の振動が周りに伝播していく状態は、その速さの点で、その正確さの点で、放送局から発信される電波が受信される状態と非常によく似ている。

否定的で破壊的な思考を言葉でばらまく人は必ずやその「お返し」を受けることになろう。また、破壊的な思考は、言葉でなくても伝染するものである。

そして、そのお返しのほうがはるかに大きいものだ。その第一は、思い出してもらえばわかることだが、創造的想像力が低下することである。

第二に、破壊的な思考は人々を遠ざけ、破壊的な人格を形成して、すべての人を敵にまわしてしまう。

第三に、その破壊的な思考は他人に害を与えるばかりでなく、その人たちの潜在意識に深く入り込み、人格の一部にしてしまうことだ。

あなたの人生における望みは、成功することにあるだろう。そう思っているなら、心の平安を保たなければならない。

生活に必要な物を手に入れなければならないし、わけても幸福にならなければならない。これらはすべて、思考から始まるものだ。

あなたは自分の心をコントロールすることができるだろう。自分の考えを心に植えつけることができるだろう。あなたは、それを建設的に利用する特権を持っている。

あなたは自分の思考をコントロールする力を持っている。このことは、自分の運命をも支配できるということを意味しているのだ。あなたは、自分が望む人生を築くことができる。

だが反対に、大洋に浮かぶ木片のように、人生を成り行き任せにするのもあなた自身なのである。

●悪魔の仕事場

七つの不安のほかに、人々を苦しめているもう一つの悪魔を紹介しておこう。それは肥えた土壌に、失敗の種子を蒔こうとするものだ。

それはあまりにもずる賢いので、発見するのに大変な苦労をする。またこの種子は、不安としてキチンと分類することさえできないものだ。

この悪魔は、他の七つの不安よりもずっと奥深い所に根を張っている。そこでこの悪魔を「伝染性否定思考」とでも呼ぶことにしよう。

※伝染性否定思考

莫大な富を築こうとしてきた人は、常にこの悪魔から身を守ろうとしてきた。だが、貧乏になった人は、この悪魔に反抗しなかったのである。

※伝染性否定思考を否定しなかった人は貧困になる。

どんな分野でも成功しようと思うなら、この悪魔に抵抗しなければならない。

富を築くためにこの本を読むなら、この悪魔に侵されていないかどうかをまず確かめなければならない。

その分析を怠ってしまうと、あなたが望みを果たす前に足元をすくわれることになってしまう。自己分析を始めよう。

五〇三ページ()以降に自己分析のための質問項目を掲載しておくので、それに正直に答えていただきたい。

敵を待ち伏せるときのように注意深く、敵と戦うときのように勇気を持って分析を進めていただきたい。追いはぎから身を守ることなんかは簡単なことだ。というのは、法律があなたの権利を守ってくれるからである。

しかし、この八番目の悪魔を撃退するのは困難なのだ。

なぜなら、この悪魔は油断をしているとすぐ侵入してくるものだし、眠っているときでも起きているときでもあなたに襲いかかろうとねらっているからである。

しかも、姿さえも見えない。心の状態だからだ。この悪魔は、あらゆる経験の中に混じり込んで、形を変えて侵入してくるので、極めて危険である。

ときには、あなたの身内の甘い言葉に乗って心の中に侵入してくることもある。また、心の中で自然発生することもある。

確かなことは、この悪魔はただちに命取りにはならないにしても、毒薬と同じくらい危険だということである。

伝染性否定思考から身を守るのは、それが自分が生み出したものであろうと、他人から伝染したものであろうと、それは自分自身の意思であることには変わりはない。

あなたは「意思の力」があることを認識しなければならない。あなたはその「意思の力」を引き出し、自分の心の中に免疫をつくっていかなければならない。

人間は誰でも、自分の弱点を改善しようとすることについては、本質的に怠け者であることを知っておかなければならない。あなたもやはり同じだろう。

七つの不安に侵されやすい性質を持っていることを認めたうえで、これらの不安と戦わなければならない。

伝染性否定思考はあなたの潜在意識の中に食い込んでいるため、それらを駆除することは非常に難しい。

※伝染性否定思考は、潜在意識の中に食い込んでいる。

そこで、すべての破壊的な思考をあらゆる方法で徹底的に心の中から追い出す作戦を開始しなければならない。

あなたは救急箱を空にし、薬瓶は捨ててしまうことだ。そうすれば風邪をひくこともないし、頭痛を起こすこともなくなる。まして、想像上の病気にかかることもなくなるだろう。

あなたの思考によい影響を与える人たちや独立心を与えてくれるような人たちを探し出し、仲間になることだ。

全人類が持っている最大の弱点は、他人からのマイナスの影響に対して、自分の心を開け放しておくことである。

これほど大きな損害をもたらす弱点はないのだが、この弱点に気がついている人は少ない。それを認めようとしないため、日常の習慣の中でもそれをコントロールする脳力を失ってしまうのだ。

正直に自分を見つめようとしている人に、次の質問を準備した。この質問を声に出して読み、その答えもはっきりと声に出していただきたい。自分の声を自分で聞くことによって、正直な答えが得られるだろう。

以上の質問に正確に答えてきたなら、あなたは他の誰よりも自分自身を知っていることになる。この質問表に毎週、取り組んでいただきたい。そして数カ月間、続けることだ。

そうすれば、この質問がどれだけ有効な価値を生み出すか、経験から知ることができる。この質問の中に、答えにくいものがあるなら、あなたをよく知っている人の協力を求めるとよい。

第三者の目を通して自分を見つめることが大切である。その場合は、お世辞を使わない人を選ばなければならない。

●完全にコントロールできる一つのこと

あなたは、たった一つのことを除いて、すべてをコントロールされている。たった一つのこととは「思考」である。

人類が知り得る事実の中で、これほど重要なものがほかにあるだろうか!それは人間の天性の反映だ。天から与えられた特権によって、私たちは自分の運命を定めることができるのだ。

あなたがもし自分の心のコントロールを失うなら、あなたがコントロールすべきものは、何も存在しなくなってしまう。

もしあなたの財産が少ないなら、関心を持たなくてもよかろう。あなたの心が財産なのだ。あなたが心の中にある自分の財産を使うときだけ、注意すべきである。価値あることに使うべきだ。

そのために、意思の力が備わっているのではないか。不幸なことに、他人からの否定的な暗示の害に対して、それを防いでくれる法律はない。このことは本来なら、法律によって罰してもらいたいものだ。

富を作るチャンスを奪ってしまうのだから、法律が保護をしてくれて当然なのである。

否定的な心を持った人は、トーマス・エジソンに「人間の声を録音する機械などできるはずはない」と、しつこく迫ったものだ。

そのとき彼らが言い出した論拠は、「今まで誰一人としてそんなものを作った人はいない」というものだった。

※誰もそんなことをしたことがないということを実現したい。

エジソンはそんな言葉を信じなかった。というのは、心の中で想像し、信じていることは必ず実現できるという事実をエジソンは知っていた。その知識がエジソンを並以上の人間にしたのである。

また、フランク・W・ウールワースに対して、ある人々は「五セント均一、一〇セント均一などの店は絶対成功しないよ」と言ったものだ。

だが、ウールワースは、そんな言葉を信じようとはしなかった。信念と理論に裏付けられた計画は必ず成功すると信じていたのである。

他人からの否定的な暗示を追い払う権利を行使して、ウールワースは一〇億ドル以上の資産を築いたのだ。

ヘンリー・フォードがデトロイトの路上で「第一号自動車」の試運転を行ったとき、〝常識人〟たちは冷笑を浴びせたものである。

ある人は「そんなのは実用的にはならない」と言い、別の人は「そんなものに金を払う人はいない」と言った。

それに対してフォードは、「そのうち地球には、自動車のベルトができるさ」と言い切った。現実はフォードの言ったとおりになった。真剣に富を望んでいる人に、これだけは言っておくことにしよう。

ヘンリー・フォードと常識人との違いについてである。フォードには心があり、それをコントロールしていたのだ。一方の常識人たちは、心のコントロールをしようとさえしなかったのだ。

心のコントロールができるかどうかは、自己訓練と習慣によって決まる。あなたが心をコントロールするのか、心があなたをコントロールするのか、そのどちらかなのだ。どっちつかずということはあり得ないのだ。

心をコントロールする最も具体的な方法は、明確な計画に裏づけられた目標の中に自分を没頭させることである。有名な成功者の記録を研究してみると、その人は必ず自分の心をコントロールしていたことがわかる。

そのうえ、自分の目標に向かってまっしぐらに進んでいたこともわかる。心のコントロールなしには、成功は不可能なのである。

●五四の有名な言い訳

成功できない人々には、共通した特徴が一つだけある。彼らは失敗の理由を知っている。その上、成功できなかったことの完全な言い訳を用意していることだ。

その言い訳の中には気の利いたものもある。絶対に正しいと思われるものも、少なからずあるのだ。しかし、言い訳が富を作るはずはない。

大切なことは、成功したいのか、したくないのかということだ。ある精神分析の専門家が、代表的な言い訳のリストを作った。ここにそれを紹介してみよう。

このリストを読んで、自己分析に役立ててみていただきたい。あなたもこのような言い訳をしたことがないかどうか。この本で提供した成功ノウハウが、これらの言い訳をすべて破棄してしまうことを期待している。

  1. もし、女房・子どもがいなかったら……
  2. もし、コネがあったら……
  3. もし、金さえあったら……
  4. もし、いい学校を出ていたら……
  5. もし、仕事にありつけたら……
  6. もし、体さえ丈夫だったら……
  7. もし、時間さえあったら……
  8. もし、タイミングがよかったら……
  9. もし、私のことをよく知っていてくれたら……
  10. もし、事態がいくらか違っていたら……
  11. もし、人生をもう一度やり直せたら……
  12. もし、世間の噂を気にしなければ……
  13. もし、運に恵まれたら……
  14. もし、今何かの偶然が起これば……
  15. もし、他の人から目のかたきにされなければ……
  16. もし、引き止められさえしなかったら……
  17. もし、もう少し若かったら……
  18. もし、望みどおりにやってさえいたら……
  19. もし、金持ちの家に生まれていたら……
  20. もし、ましな人間と知り合っていたら……
  21. もし、私に人並みの脳力があったら……
  22. もし、自己主張ができたら……
  23. もし、あのときうまく機会を利用していたら……
  24. もし、人々が私の気にさわることをしなければ……
  25. もし、家庭のことや子どもの面倒を見る必要がなかったら……
  26. もし、貯金がいくらかでもあったら……
  27. もし、上司が私を正しく評価してくれたら……
  28. もし、誰かが私を助けてくれていたら……
  29. もし、家族が私を理解してくれたら……
  30. もし、大都市に住んでいたら……
  31. もし、そのとき始めてさえいれば……
  32. もし、私が自由の身なら……
  33. もし、私にあの人たちのような個性があったら……
  34. もし、私が肥満体でなかったら……
  35. もし、私の才能が知られていたら……
  36. もし、休息することができたら……
  37. もし、借金さえなかったら……
  38. もし、失敗さえしなければ……
  39. もし、やり方さえ知っていれば……
  40. もし、誰も反対しなければ……
  41. もし、そんなに多くの心配事さえなければ……
  42. もし、もっといい人と結婚していれば……
  43. もし、人々がこれほどばかでなかったら……
  44. もし、家族がもう少し節約していたら……
  45. もし、私に自信があったら……
  46. もし、ツキに見放されていなかったら……
  47. もし、悪い星のもとに生まれていなかったら……
  48. もし、「成せば成る」というのが噂でなければ……
  49. もし、苦労しなくてすんだら……
  50. もし、あのとき損をしていなかったら……
  51. もし、近所の人がいい人だったら……
  52. もし、私に「過去」がなかったら……
  53. もし、これが私だけの会社だったら……
  54. もし、人が私の話を聞いてさえくれていたら……

もし──という言葉の中で、最も重要なのは……もし、自分自身の姿に直面する勇気があったら、自分の欠点を知ることができるし、改善することもできる。

また、自分の失敗や他人の経験から、利益を生み出す機会を持つことができるのだ。なぜなら、自分の欠点がどこにあるかを知っているからである。

もし自分を分析するために多くの時間を費やすなら、言い訳のための時間はもっと少なくてすむことだろう。

失敗を覆い隠すために言い訳をすることは、暇つぶしでしかない。言い訳は人類の誕生とともに生まれたものだが、この言い訳こそ、致命的なのだ。

なぜ人々は、この言い訳に固執するのだろうか?答えは明らかである。人々は、自分がつくり出した言い訳に縛られているのだ。

※人は言い訳するようにできている。

人々は言い訳を弁護するために、新たな言い訳を考えなければならなくなったのである。言い訳をしたがる習性は、習慣に深く根づいたものである。だから、それを克服するのは難しい。

ことに私たちのやっていることが正当らしく思われるときは、なおさらだ。プラトンは次のように言っている。

「最初で最高の勝利とは、自分自身を征服することである。自分に征服されることは、最も恥ずかしく、卑しむべきことである」また、別の哲学者はこんなふうにも言っている。

「私が他人の中に見出した最も醜いものを自分の中に発見したときほど、驚かされたことはない」「そのことは、私にとって神秘的なものだった」と、エルバート・ハバートは言っている。

「自分の弱点を覆い隠すために言い訳を考えるのはばかげたことだ。どうして人間は自分をばかにするのだろうか?そんなことに使う時間があるなら、その弱点を改善するために使えばいい。そうすれば、そんな言い訳は考えなくてすむのだ」最後に、どうしても言っておきたいことがある。

「人生というものは、チェス・ゲームのようなものである。そして、対戦相手は時間なのだ。もしあなたがためらっていたら、相手はどんどん先へ進んでしまう。あなたの駒はすっかり取り払われてしまうだろう。あなたが戦っている相手は、決して優柔不断ではないのだ」

私たちはかつて、もっともらしい言い訳をしたことがあるかもしれない。だが、この本によって「成功哲学」をマスターした今では、もうその必要はない。

人生の富へ通じるマスター・キーをあなたは手に入れたからである。さらにより深く掘り下げ、またより実践的な成功へと歩みたいのなら、ナポレオン・ヒル・プログラムがある。

ぜひ活用してほしい。このプログラムにもマスター・キーがついている。このマスター・キーはさわることができない。

だが、強力なものだ!それは、心の中で、燃えるような願望として確立されているのだ。このマスター・キーを使うのに遠慮はいらない。いくら使っても罰せられることもない。

だが、マスターしたものを使わなければ、逆にその代償を支払わなければならない。その代償とは、失敗である。そのキーを使えば、膨大な報酬がもたらされる。

私たちは「成功の科学」によって自己を征服し、満足すべき人生を自分のものにできるのだ。「もし縁があったら、また会おう」と、エマーソンは言った。

この本の終わりに当たって、私も彼の言葉を借りることにしよう。「もし縁があったら、この本のページの中で、また会おう」

エッセンス⑱()

▼不安という心の状態は誰でもが感じるものであるが、その多くは、優柔不断と疑惑という二つの敵のために、自らつくり上げてしまったものである。

▼言い訳は、あなたを縛りつけるだけである。成功のためのノウハウを実践するのに、言い訳はいらない。

▼われわれは、形のある富も形のない富も得ることができる。形のある富であるお金は、幸福や長寿、楽しみや心の平安を得るのに役立つ。

▼人生において最も貴重な宝は健康である。その健康は、病気をもたらす不安をあなたの心の中から取り除くことによって得ることができる。健康はあなた自身の努力によって手に入れることのできる財産なのである。

▼不安を克服すれば、成功への道をどこまでも進むことができる。

 

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