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第二章トラブルに強いタフな「段取り力」

目次

1列車ダイヤに見る〝カゲスジ〟の「段取り力」

ダイヤを組む「スジ屋」の「段取り力」さらに気の遠くなるような段取りが描かれているのが、『定刻発車』(三戸祐子著・交通新聞社)だ。

これはいろいろな面で面白い本だ。

まず最初に、日本の鉄道が時刻通りに運行されていて、寸分の遅れもないのは世界でも非常に稀だという驚きから出発している。

この厳密さはどうして可能だったのか、歴史から紐解いていくのだ。

『定刻発車』によると、明治30年代は列車は相当遅れていたらしい。正確な着発にしたのは結城弘樹さんという人だった。

彼は自分の受け持ち区間である軽井沢、直江津間で運転の正確さを徹底して追求し、その運動を日本中に広げた。今、中央線は2分間隔、山手線は2分半間隔で走っている。

新幹線も5分、10分間隔でどんどん出発しているが、どこかで列車が渋滞したり、衝突することはない。

流れのよさ、すなわちダイヤの組み方が「段取り力」の極致で構成されているからだ。今はダイヤを作る作業をコンピューターも使ってやっているが、かつてはすべて手作業で行っていた。

皆で旅館に泊まりこんで、いっせいにやったそうである。この正確無比のシステムの信頼性は、ダイヤを作るという設計段階で組み込まれるという。

列車のダイヤは時間的に広がりがあると同時に、空間的にも広がりがある。自分が乗る列車は一つしかないが、列車会社のほうは大量の列車を同時に動かしている。

われわれが列車に遭遇するのは一瞬でしかないが、その同時刻に日本全国で膨大な数の列車が走っている。背後には想像を絶するような膨大な時間的、空間的な広がりが存在するのだ。

その壮大な計画を作るために、国鉄時代にはダイヤの白紙改正作業に2年も費やしたそうだ。

すなわち、需要動向を把握し、編成方針を決定し、目の粗いダイヤを作って、設備投資計画に基づき設備装置を用意し、地域ごとの要望を調整し、詰めの編成会議ともなると100名近い関係者が缶詰になって寮や旅館に一カ月間泊まりこんだという。

とにかく大変な作業だったわけだ。こうした作業の中で、要求されたのがスジ屋と呼ばれるダイヤを組む専門家の存在だった。なぜスジ屋かというかというと、彼らはダイヤを作るとき、線を引いて考えたかららしい。

過密ダイヤの中でも、何とか1本特急のダイヤの筋を引くことができないか、列車ダイヤをにらんで、筋を書き入れては消しゴムで消す。だからダイヤ用紙は非常に丈夫なケント紙を使っていたそうだ。

トラブルを吸収する「段取り力」

ダイヤは運行の時間割だから、段取りであるのは間違いない。

ダイヤ作りの最も基本的な発想は、トラブルが起きたとき、列車がなるべく駅の間に止まらないようなダイヤの組み方をすることだったという。

かなり高度な段取りである。単に列車がぶつからないよう走らせるといった生易しいレベルではない。トラブルがあったとき、影響を受ける電車すべての動きをシミュレーションして、作り出す。

可変性のあるダイヤは回復しやすいという。この辺が「段取り力」としては奥深いところだ。

列車ダイヤに「スケジュール」ではなく、「段取り力」という言葉を使っているのは、融通が利くというイメージを大事にしたいからだ。

完全にきっちり決まったものは融通が利かないので、トラブルが起きたとき、ダメージが大きい。精密機械のように一つが壊れたらすべてダメということになる。

しかし、現実には予測しないトラブルが起きるものだ。

そのトラブルを吸収して、いち早く回復できるものがよいプログラム、すなわちよい段取りである。いくら緻密で完璧にできていても、トラブルにもろいプログラムではダメなのだ。

これは電化製品にもあてはまる。すべて指でタッチする方式のスイッチだと、タッチボードが壊れたら全部動かなくなってしまう。

しかし、指で一つ一つ押す力学的なスイッチだと、スイッチが一つ壊れても、故障はそこだけですむ。だから本当に大事な部分には力学的なところを残しておく製品もある。

つまり完璧に細かく組み込んでしまうよりは、ある程度フレキシブルに余裕を持たせておくことが大切なのだ。

ダイヤにはトラブルが起きたときのために、あらかじめ代役のダイヤを基本ダイヤに組み込んでしまうこともあるという。

「直通運転をしている横須賀・総武線も、異常時には東京駅で折り返し運転することをあらかじめ想定したダイヤをつくっている。

あるいはカゲスジといって、実際にそこには列車が走っていないのだが、あたかもそこに列車が走っているかのようにダイヤを組むこともある。

そこに本当の列車を走らせるのは、盆暮れのラッシュ時であったり、ゴールデンウィークであったり、大イベントによる突然の需要増が起きた時であったりするわけだ。いま起きた需要増に対して急遽、臨時列車を走らせるのは、大変に複雑な作業である。

しかし、カゲスジがあれば、すぐさま臨時列車が出せるのである(カゲスジは通常時はシステムの余裕として働く)。」(p231~232)

「カゲスジ」とはなかなか渋い言葉だ。要するにそのカゲスジがあれば、すぐさま臨時列車を出せる。普通は、急に特急列車を1本入れようとしても入らない。特急列車は速いから、いろいろなものとぶつかってしまう。

しかし事前に1本列車を通せるように作っておくと、非常に便利だ。またダイヤは毎日違うものが作られているそうだ。

「実は日本の鉄道では、年に一度のダイヤ改正とは別に、ダイヤは毎日毎日、違うものがつくられている。

列車ダイヤには『基本ダイヤ』(年に一度改正されるダイヤ)と『実施ダイヤ』というものがあって、実施ダイヤは毎日違うのである。

今日は線路の補修工事があるので、どこどこ線の、どこは徐行運転になる。

その分、行き違い駅や待避駅は、このように変更するといったダイヤの修正は毎日どこかしらであるのである。こうしたダイヤの修正変更は、JR東日本で一日およそ二〇〇〇件にものぼる。」(p232)

読めば読むほど、列車が時刻通りに走っているのはありがたいことに思える。

私たちは当たり前のように新幹線の時刻表を信用して、仕事のスケジュールを組んでいるが、その背後には恐るべきトラブルにも対処できる高度な「段取り力」が隠されていたわけだ。

前もってトラブルに対するシミュレーションができているのは、「段取り力」の理想といえる。段階を踏んで目的を達するのが普通の「段取り力」だとすると、突発的なトラブルが起きたとき、回復できるようなシステムを作っておくのは、高度な「段取り力」だ。

「トラブル吸収段取り力」とでも言えようか。これを持っていると強い。

経験と技術の集積が高度な「段取り力」を作るトラブルが吸収できるのは、ダイヤに余裕を持たせているからだが、その余裕はそれぞれ「〇〇屋」と呼ばれている専門家、たとえば土木屋、設備屋、機械屋、電気屋、通信屋、スジ屋といった専門家の技術を結集して成り立っている。

それら数多くの要素、技術を統合する要の役目を果たしているのが列車ダイヤだということだ。

列車ダイヤとは乗客に対してはサービスの内容を保証する商品仕様書であり、鉄道企業にとってはシステムの設計図であり、現場の鉄道員に対しては具体的な輸送サービスの供給量や質を指定した生産指示書である。

だからダイヤが持つ意味は、それぞれにとって違う。ダイヤが基本の骨格になっていて、その周りにそれぞれの立場に応じて細かな段取りがついてくるわけだ。

たとえば日本の鉄道は非常にきっちりした運行がなされているが、それは運転手たちの緻密な「段取り力」によって支えられている。

運転手たちは、つねに速度や時間、次の駅までの距離を計算しながら運転しているので、東京~新大阪間でプラスマイナス5秒、停車位置はプラスマイナス1センチの範囲内で運転できるのだという。

また山手線の運転士の話として、『定刻発車』には次のようなエピソードが書かれている。

「何をしているのかと、よくよく観察してみると、ホーム先頭部に引かれた列車の停止位置を示す白線と、実際の停止位置とのずれを確認しているのだ。

彼にはどうやら、一一両編成の列車が決められた停車位置から一〇センチばかりずれて停車していることが、気に入らないらしい。」(p121)

運転士にとって10センチは大きな距離で、1秒はつねに大きな時間であるということだ。

時間と距離を体に覚えさせるイメージトレーニングをどのように行っているのかというと、「線見」といって、まず線路の下見をする。

そして始点から終点まで、運転操作のプロセスとして把握する。つまり運転操作の要所要所を、線路の状態や景色とともに詳細に記録し、頭に入れる。それを全区間、頭の中でトレーニングするのだ。

五感をフル活用するから、夜間まったく見えなくてもダイヤ通り運転できる。大雨が降り、線路の状況が違っても時間ぴったりに運行できるのは大変に高度な技術である。

それどころか、メーターを見なくても線路の音や体に受ける抵抗で、列車の速度や列車の混雑状況が分かるというからすごい。

いわば職人芸とも言える技能や気質は、指導員とともに合宿し、寝食を共にするという徹底したマンツーマン教育で教え込まれるそうだ。

スパルタでもないのにきっちり伝わっているのは、とても教育力のあるシステムだ。

システムといえば、部品のシステムを直列ではなく並列につなぐことによって、全体の信頼性を上げるやり方も面白い。

直列につないでおくと、一つでトラブルが起きたとき、すべてがダメになってしまうが、並列的、あるいは並列と直列を組み合わせて作っておけば、トラブルが吸収できる。

この並列性を、鉄道では人間の仕事の流れにも取り入れているという。その最も基本的なものは「指差喚呼」だ。安全を目で見て、指で指して、声に出して確認するやり方だ。

同様に、鉄道員は連絡事項を必ず復唱したり、メモにとったりする。

「異常事態が生じ、実際に復旧のための作業に掛かるときにも、現場の作業員はまず気持ちを落ち着かせるため、一つ深呼吸をする(こういうこともマニュアルに書いてある)。

マニュアルを目で見ながら、マニュアルを指で差して、声に出して確認しながら作業をする(マニュアルはむしろ覚えてはいけない。覚えると勘違いが起きる可能性がある)。

作業の完了を確認したら、たとえば駅長に報告する。報告される駅長の側も、これを復唱して確認する。」(p180)

要するにそれだけのシミュレーションを行って、トラブルが起きたときに吸収できるような段取りを作っているわけだ。

そこには、多くの経験と個々の技術の集積が溶かし込まれている。

2「刑務所のリタ・ヘイワース」に見る長大な「段取り力」

段取りを意識することが上達の早道スティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」(『ゴールデンボーイ』・新潮文庫)という作品も、「段取り力」を学ぶ上で面白いテキストだ。

この作品は『ショーシャンクの空に』というタイトルで映画化され、大ヒットしたからご存じの方も多いだろう。

30歳で大銀行の副頭取になった信託部門の責任者のアンディー・デュフレーンという男が、妻と間男を殺した罪で終身刑の判決を受け、刑務所に入れられる。

だが彼は無実であり、自由を求めて最後に脱獄する。その脱獄までの段取りを描いた小説だ。

脱獄は人気がある主題で、スティーブ・マックィーンが主演した『大脱走』も穴を掘っていくプロセスが実に面白かった。

準備段階から実行まで明確な計画のもとに行われるという意味では、「段取り力」が際立つテーマだ。

「刑務所のリタ・ヘイワース」の面白さは、主人公が刑務所にいながら、その中で一歩一歩自分のポジションを上げていくことにある。

たとえば鬼看守と言われている人物に投資関係の指導をし、やがて所長にまで指南するようになる。相談に乗ってやることで看守と囚人という関係を変えてしまうのだ。

その関係が決定的に変わった瞬間が小説に描かれている。鬼看守ハドリーのために彼が無料で書類を作ってやると申し出たときだった。「おれたちがそこに見たものはおなじだった……感じたものもおなじだった。とつぜん、アンディーが優勢になったんだ。」(p63)

鬼看守は腰に拳銃、手に棍棒を持っている。さらに仲間や全権力が後ろに控えている。しかし関係が変わった。

「男対男の一騎打ちで、アンディーはやつをねじ伏せたんだ」と書かれている。

普通、囚人は管理されるだけだが、アンディーは看守側に自分の専門知識を提供することで、相手との関係を有利に進めていった。

そして刑務所の中で図書館係になる。

「アンディーはブルックスの仕事をひきつぎ、二十三年間司書をつとめた。図書室をよくするために、バイロン・ハドリーに対して使ったのとおなじ意志力を使い、リーダーズ・ダイジェストの要約本とナショナル・ジオグラフィックの並んだ小さい一部屋を(一九二二年まで塗料室だったその部屋はまだ松脂のにおいがしたし、ろくに風もはいらなかった)ニュー・イングランド一の刑務所図書室へとだんだんに改良していった。」(p68)

どんな段取りで変えていったかというと、投書箱を設けて囚人たちの関心事を調べ、ブッククラブに手紙を書いて本を特別割引価格で送らせたり、皆が彫刻や手品やカードの一人占いといったホビーの情報に飢えていることを知り、趣味の本をたくさん集めたりしたのだ。

さらには、州議会に図書室予算に関する請願の手紙を送り始める。

それはいつも判で押されたように却下されたが、1960年になって200ドルの小切手が刑務所に送られてきた。

州議会はこれを割り当てればアンディーが口をつぐむと考えたのだが、「とうとう片足がドアの中に入った」と自信を持ったアンディーは、さらに努力を倍増させ、毎週1通だった請願の手紙を2通に増やした。

この辺がなかなかうまいところだ。うまくいき始めたときは、そこで休まないことが大切である。普通は200ドルもらったら、めでたし、めでたしでやめてしまうものだが、アンディーは違った。

ドアに片足を突っ込めたのだから、今度はドアを全部開けさせようとむしろ手紙を増やしたのだ。そして1962年には400ドルが届き、だんだん増えていって71年には1000ドルになっていった。

何事もそうだが、一つ道をつけるところまで到達するのが大変だ。そこまでが仕込みの段階で、あとは一度道がついたところを増幅していけばいい。

道がないところに道を開くという質的変化を起こすまでが大変だが、しかしその質的変化も実は量的な蓄積の結果である。

手紙を1回出すだけではだめで、毎週毎週、手紙を出し続けなければいけない。この記述によると1954年から出し続けて、60年になって初めて200ドルが来た。毎週といえば膨大な数になる。200通を超える手紙だったろう。

100通では効果がなかったが、200通を超えたときに相手がうんざりしたに違いない。そういう量的な蓄積があって、初めて質的な変化が起きたわけだ。ここが非常に大事なところだ。

段取りを意識することのよさは、先を見越しているので、反復する努力をいとわなくなることだ。先が見えない努力はつらい。

しかしこれを続けていれば、必ず質的な変化が起き、少しでも変化すればそこを増幅すればいいと分かれば、反復も続けていける。

これが上達の基本だ。たとえば最初は自転車に乗れない、それがある瞬間乗れたとする。質的な変化が起きた瞬間だ。

すると1回だけ乗れた瞬間を増幅すればいいのだから、あとは簡単である。まったくできないのと、1回できたことは大きな違いだ。

そして初めて1回できたとき、これは100回のうちたまたま1回できただけだと考えるのではなく、「1回できた」を繰り返せば、100回できるようになる、というふうに考え方を変えていく。

すると見通しが立つ。段取りが見えてくれば、1回できるところまで持っていくために、反復してコツコツ努力を続けられる。

そして質が変わったら、1週に1度を2度にする。この呼吸が事態を大きく変え「段取り力」を鍛えていくコツなのである。

根気や持続は見通しによって支えられているなぜアンディーが図書室を充実させたかというと、刑務所にいる間に囚人たちが勉強し、社会復帰したときに、少しでもまともな職につけるようにと考えていたからだ。

事実、図書室の本を使って高校卒業の学力検定に合格した者が20人以上もいたという。それだけの見通しを持って、請願を続けたわけである。

そしてその実績を持って、図書室という自分の部屋を確保し、図書室を管理するポジションを得るのだ。

もちろん、看守や所長に対して投資指導や税金対策、所得申告の代理も続けたから、刑務所内における彼のポジションはますます上がっていった。

その一方で何をやったかというと、セクシー女優のポスターを買い、自分の房の壁に貼った。小説の題名になった「リタ・ヘイワース」というのは、そのポスターの女優の名前である。

刑務所内における彼の高いポジションがあったからこそ、そうした特権も許されたわけだ。彼がポスターを貼ったのにはわけがあった。

ポスターの裏の壁に少しずつ穴を掘っていたのだ。アンディーの特徴は根気が続くということだ。

音がしないよう、少しずつ壁を削って穴を掘り、最終的に脱獄するのだが、図書室の予算を上げることにしても、穴を掘ることにしても、とにかく異常な根気強さが一貫している。州議会に手紙を書き始めたときも、彼は同僚の囚人スタマスにこう言っている。

「アンディーは例のおちついた微笑をうかべて、スタマスにこうきいた。もしコンクリート・ブロックの上に、毎年一回、ひとしずくの雨だれが落ちるとして、それが百万年つづいたら、どうなると思いますか?」(p70)

このやり方が、彼の一貫したパターンだ。スタイルとしては非常にシンプルで、まず戦略、つまり仕事の段取りを決める。

脱獄するにしても、壁のどの部分を掘ったら下水道につながるのかということを分かった上で、大きな戦略を立てる。

それがなく、雨だれで一滴ずつうがっていっても、外に通じる下水道まで5センチなのか、5メートルなのかでは結果は大違いだ。

だから最初の大きな戦略、つまり見通しは重要だ。その上でやることは、一滴方式というか、ひたすら続けることだ。すると必ず変化が起きる。無限に作業が続くわけではなく、どこかで穴があいて光が差してくる。

だから、自分の決めた段取りを信じてひたすらやることができる。続けるコツとは、段取りを遂行している最中は考えるエネルギーを無駄遣いしないということだろう。

つねに考え続け、工夫するのもよい考えだが、一方で脳はエネルギーを消耗する。非常に意志力があると見える人でも、実は脳を使いっぱなしにしているのではなく、ある期間は自動運動している。

黙々と穴を掘り続けるアンディーの行為も意志の力でやっているように見えるが、それは自分で決めたプログラミング、つまり段取りに乗っかってオートマティックにやり続けているにすぎない。

掘っているときはある種の集中状態に入ってしまうので、趣味のようなものである。趣味だから、習慣として楽しんでやれる。

この小説にも、その象徴的なエピソードが書かれている。ある日、同僚のスタマスはアンディーからプレゼントをもらった。それは石英を丁寧に磨き上げた美しいものだった。その恐るべき根気のよさについて、次のように記されている。

「その箱の中には石英がふたつはいっていて、どっちもていねいに磨いてあった。どっちも流木の形にけずられていた。……(略)/そのふたつの作品をこしらえるのに、どれだけの労力がつぎこまれたんだろう?消灯のあとの何時間も何時間もだ、それだけはわかる。

まず割って形をととのえる。

それからあのロック・ブランケットを使って、果てしない研磨と仕上げ。

見ているうちに、どんな人間でもなにかきれいなもの、なにかコツコツと手で作りあげたものを――それが人間と動物とのちがいだとおれは思うんだが――見たときに感じるほのぼのとした気持ちになった。

それと、もっとほかのことも感じた。あの男のおそろしい根気のよさに対する尊敬の念だ。」(p51)

目標を決めたら、あとは自動運動のようにやり続ける。すると一種の瞑想状態に入ってくる。この場合は石英がどんどん美しくなっていくから、気分もいい。

趣味をやっている人は分かると思うが、段取りが分かっている仕事のうちのある工程は、脳が休まる。この場合は一つの精神安定にもなっていると思う。

「段取り力」があって見通しがあるほどに、途中の作業はシンプルになる。ヴィジョンをつねに意識しイメージを具体化する段取りには仕込みという要素も大切だ。

アンディーは起訴されるまでの間に時間があったので、その期間に自分の財産を確保している。ピーター・スティーブンスという架空の人物を作り、その人間のためにきちんと税金を納め、投資をした。

一万四〇〇〇ドルからスタートして、最後は三七万七〇〇〇ドルまで増えたという。脱獄したあと、そのお金でメキシコのホテルを買い取って、悠々自適に暮らすという段取りだ。

これは先を見越した楽しい物語である。段取りを組むときのヒントにもなる。アンディーはこんなふうに含蓄のある言葉を言っている。

「わたしは最善を願い、最悪を予想していた――ただそれだけだ。あの偽名も、自分が持っているわずかな資本を、ふいにしないためだった。わたしはハリケーンの進路から家財を運び出した。しかし、思ってもみなかったよ。そのハリケーンが……こんなに長くつづくとは」(p117)

彼は暴力で問題を解決しない。肉体的な強さが彼にはないからだ。あるのは段取りのすごさだけだが、皆はそれに舌を巻く。その意味では段取り小説というか、段取りが一つの魅力であり、セクシーでさえある物語だ。

段取りがいいということは、気持ちがいい。デートの段取りがよいというだけで、女性にとっては気分がいいもののようだ。

ちなみに私は苦手だが、段取りのいい男性は非常にモテる。頼りがいがあるというのだろうか。デートの最中、段取りが悪くあたふたすると、女の人はその男性に幻滅する。

なぜなら、「私のためにこの男は何も準備をしてくれなかった。この人はもしかしたら、あらゆることにあたふたとするのではないか?結婚しても、きっと行き当たりばったりの人生だわ」と思うからだ。

しかしまともに仕事をしていたら、デートの準備にそれほどエネルギーを注ぐ余裕はないはずだ。女性の評価は逆だと思う。

アンディーの場合、デートという小さな段取りではなく、もっと壮大な「段取り力」が人間的な魅力になっている。

そこには、自分の実現したい夢やヴィジョンが明確にある。何としても脱獄して国境を越え、メキシコのホテルのビーチで太陽を浴びながら過ごしたい。

そのために、海岸でポーズを取っている女優のポスターを貼っていたのだ。セクシーな女優が目的だったのではない。背景の浜辺の風景がよかったのだ。

そういう写真を見ながら、ヴィジョンを抱く。小学生が九九の表を壁に貼るのと同じで、ポスターは毎日見ていると、イメージが習慣化され定着する。

アンディーはメキシコのあるリゾート地で過ごすという具体的なイメージを持って、そこに至るまでを逆算し、今やるべきことに関してはひたすらシンプルに事を進めていった。

ヴィジョンを明確にして逆算し、やるべきことを進めるのは、事をなし遂げるための鉄則だが、わりにできていないケースが多い。

何のために何をやっているのかが分からなくなってしまうのだ。すると、もう駄目だ。

自分は今、何のために何をやっているのだとつねに意識できる人間でないと大きなことは成し得ない。「何のために何をやる」というのは根本的な「段取り力」だ。

それがないと、努力しても的外れになってしまうし、努力が無駄になる。

だから「段取り力」を鍛えるやり方としては、今何のためにこれをやっているのか、ということを意識して口で言う、あるいは自分で意識化するということだ。

人にそれを聞くようにしてもいい。

たとえば、上司は仕事を覚えたての新入社員に向かって「今何のためにこれをやっているのか、最終形をどこに設定しているのか」を聞き続ければいいのだ。

いちいち細かい指導をしなくても、部下に今何をしているか意味を聞いたり、今はどの段階にいるのか質問し、部下が答えられればいい。

しかし細かいことに気を煩わせすぎて、消耗してしまうと結局何をやっているのか分からなくなってしまう。それが一番まずいことだ。

3スポーツ選手に見る超人の「段取り力」

清水宏保の「感覚を意識化して研ぎ澄ます段取り」

スピードスケートの清水宏保選手と雑誌で対談をしたことがあった(『ターザン』2003年5月28日号)が、「何のために何をやっているのか」という準備について、彼の頭脳がクリアでびっくりした。

彼は小学生のときから自分は今何をしようとしているのか、つねに意識していたそうだ。彼によれば、腰の中のある感覚を使うと速く滑ることができるという。

腸腰筋という筋肉らしいが、当時は誰も言葉でそれを指摘する人はいなかった。清水は感覚を研ぎ澄ませ、そこだけを意識化した練習メニューを組んでいったという。

彼は小学生の頃から自分で練習法を編み出していたというが、なぜそれができるのかというと、「自分はどの部分を何のために鍛えようとしているのか」という感覚がはっきり意識化できていたからだ。

人に言われたメニューで練習をしているだけだと、結果的に筋肉はつくが、筋肉の使い方までは分からない。

練習器具を使ったトレーニングをしても、基礎体力はつくがそれをスケートに活かす回路がまだできていない。

だから筋肉を全部鍛えたとしても、どの部分をどう使い、つなぎ合わせてスケートに活かすかはまだ分からない。

ちょうど部品を適当に作っておいて、それから機械に適当につなぎ合わせて動かそうとしても無理があるのと同じである。

そうではなくて最終的にどういうつなぎ方をして、どういう動かし方をしたいから、そのためにはこの部分のこの部品はこうでなければいけない、という具合に作りこんでいかなければいけないのだ。

同じ筋力トレーニングをするのでも、使うための筋肉を意識してトレーニングするのと、とりあえずそのあたりの筋肉を鍛えてみる、というのとでは、最終的に使う段になったとき、大きな違いが出てくる。

ストレッチングや筋力トレーニングは、その部分を細かく意識化することで効果が大きく変わってくるそうだ。

清水の感覚も研ぎ澄まされている。

彼のソルトレイクシティ・オリンピックでの闘いを描いた『神の肉体清水宏保』(吉井妙子著・新潮社)を読むと、すさまじいまでの感覚の鋭さに驚かされる。

彼はこう語っている。

「試合中に、ネックレスなどをしている選手たちを見ては『あんなもの身体につけて、よく重く感じないですよね。僕も練習の時はしますけど、でも試合になったら絶対に外す。たとえ一㎎のものでさえ、コーナーなどでは凄く重く感じるんですよ』と言っていた。」(p117)

また靴に関しても、「靴の紐は使用して五日目のものが一番フィットする」とか、「はと目の位置を0・何ミリずらした」など、普通ではとうてい感じられないものが、筋肉を意識化することで認知できるということだ。

「『人間には、普段知覚しない筋肉がまだあるんですよ。腸を覆っている腸腰筋などもそのひとつかもしれない。知覚されていないから鍛えることはできないと思うかも知れないけど、そこに意識を集中させることによっていくらでも鍛錬することが出来るんです』……(略)……で、一度鍛えれば筋繊維が太くなるというか、面積が広くなるわけですから知覚しやすくなる。」(p142)

それがどんどん積み重なって、さらに感覚が研ぎ澄まされる。清水はマッサージを受けるとき、「そこの筋繊維の隣の裏側」などというリクエストの仕方をするそうだ。

なぜそこまで知覚できたかというと、問題意識があるからだ。なおかつ、知覚するだけなら一瞬のあの感覚かなあと思う選手はいるかもしれないが、清水はそれを練習メニューにまで高めていく。

そこを強調した練習メニューをやることによって、その知覚が鮮明になり、技になっていくということだ。

彼は昔から氷上をザーッと滑っていると、サボっていると思われることがけっこうあったと言っている。

じっくりその感覚だけを確かめながら滑っているので、他の筋肉や感覚は全部休ませるらしい。すると外から見るとサボっているように見えたのだという。

4年後に照準を合わせる高度な「段取り力」

面白いのは「筋肉はずるくて賢い」という話だ。清水は1年にマッサージ師やトレーナーを何人も変える。

同じ人だとマッサージやトレーニングの特徴を筋肉が覚えてしまい、効果が薄くなってしまうからだという。

「筋肉って、結構賢いんですよ。それにずるいし。何度も同じような負荷を与えていると、筋繊維に組み込まれた知覚神経が学習してしまって、それほど変化しなくなってしまう。だから毎年、トレーニングの内容は変えています。スポーツ選手が間違いを起こしやすいのは、自分に満足してしまって同じメニューを何年もずっとやってしまうとか、昔調子良かった頃のものをやってしまおうとするから、スランプに陥ってしまうんだと思う。常に新しいものに挑戦して行くと、それが自信にもなる。トレーニングで一番大事なのは、やったことによる自信を得ることなんです」(p123)

世界記録を作ったときの話を対談でしてくれたのだが、その日はあまり勝ちたくないレースだったという。なぜならそのレースに勝ってしまうと、遠征に行かなければならない。

彼はそろそろシーズンを終わりにしたかったので、レースに負けるつもりだった。そこで今までやっていたコンディショニングをまったく変え、普段と違うことをやってみた。

速く滑らないようにサボりながら、いいかげんに手を抜いてやっていたわけだ。だがレースが近づくに従って、どんどん調子が上がっていくのが分かったという。

それでも無理をしないように8分の力で滑り始めたら、あまりにも調子がよくて、それでもほどほどで滑ろうと思っていたが、途中100メートルの記録があまりによかったので、一応がんばってみると世界記録が出たという話だった。

「筋肉はずるくて賢い」というのと同じで、同じ刺激に慣れてしまうと、最善の工夫だと思っていても、それが最善にならなくなることがある。

違うことをやれば、筋肉も緊張感を持つし、感覚も鋭くなって、自分のテンションが上がってくる。

ワンパターン化したものではなく、常に組み替え、変化させ続けていくことが大切だと、その時分かったと語っていた。

だから、彼は一度決めた練習のやり方にもこだわらない。自分の感覚を研ぎ澄まし、その場その場でやり方を変えていく。毎日少しずつマイナーチェンジをするくらいのつもりで変えていくらしい。

これは高度な「段取り力」、つまりアレンジをしていく力と言える。アレンジすることによって緊張感を持たせ続けている。

何しろ、清水の場合、オリンピックで勝つという目標がある。

ソルトレイクシティ・オリンピックでは腰痛を抑えるために行った神経ブロック注射に失敗し、靴下も穿けないという状況だった。

それでも一位と0・03秒差の銀メダルという成績はすごいのだが、0・03秒届かなかったのは何かを、次のオリンピックまでの4年間の課題にした。

オリンピックの借りはオリンピックでしか返せないと彼は語っている。4年間という時間は面白い。非常に長い時間だが、無限の時間ではない。

きっちり準備すればそれなりに成果が出るが、失敗すると次は4年後になってしまう。スポーツ選手にとって、4年間の時間差は大きい。その間に全盛期を過ぎてしまうことが十分あり得る。

オリンピックは実に「段取り力」が問われるスポーツだと言える。

毎日試合がある野球のようなスポーツにも「段取り力」は必要だが、4年後に勝つための「段取り力」はもっとすごい。

「欲しかったのは金メダルではない」という意識の高さ普段の試合では勝てるが、オリンピックでは勝てない選手と、その逆の選手がいる。

プレッシャーを力に換える勝負根性と、オリンピックに照準を合わせた段取りを組んでいるかどうかがポイントだ。

清水選手くらいになると、さらにオリンピックで金メダルを取ることの向こうに目標がある。彼は長野オリンピックで金メダルを取ったが、「欲しかったのは金メダルではなかった」と言っている。

彼が目指しているのは、まだ人類が到達していない感覚や力である。それを他の人に分かるような形で伝えるようにしたいと話している。

スポーツ雑誌の『ナンバー』で彼は次のように語っている。

「金メダルは、僕にとってあまり価値あるものではないと確信しました。僕の競技生活の目的は金メダルの獲得ではなく、金を獲るためのトレーニングの過程で、人間の潜在能力を引き出すことだということが、金メダルを獲った今、あらためて明確になりました」(『ナンバー』565号)

神経ブロック注射に失敗した後遺症で、彼は腰椎の5番目の骨を骨折してしまうのだが、彼はそんな状態で試合に出場し、リンクレコードまで出してしまう。

普通なら一歩も歩けないはずなのに、彼の場合、筋肉が異常に発達しているので、腰椎の周りの筋肉が骨の代償作用をしているのだという。

何ともすごい話だ。0・03秒差で負けたことについても課題を見つけたという。

「ソルトレイク五輪で、0・03秒差で負けてしまった意味を考えると言ったじゃないですか。その課題が見つかったんです。トリノに向けてのテーマは、神経回路の再生です」(同)

彼の左側太股の重要な部分の神経は、神経ブロック注射の失敗で死んでしまっている。そのため、左右の太股の太さは2㎝も違ってしまったそうだ。だが、清水のスポーツトレーナーはこう言う。

「安心してください。メインの神経回路が死んでもサブの回路を使えばいいんです。目的地に着くのに大通りが使えなくとも、裏道からでも行けるじゃないですか。そう考えてもらうと分かり易いですかね」(同)

それを受けて清水も言う。

「神経回路の新たな伝達方法を見つければ、脳血栓の人やリウマチ、膠原病、交通事故など神経系の病気の人たちの回復にヒントとなることが見つけられると思うんですよ。トリノまでに必ず摑んでみせますから」(同)

そして、「この挑戦に正確性や説得性を持たせるためにも五輪で金メダルは必須でしょう」と語るのだ。

問題意識のレベルが違う。神経系の病気の人たちの回復のヒントになるものを、トリノ・オリンピックまでに見つけるという。金メダルをとる目的が違うのだ。

このくらいのレベルで生きている人はめったにいないので、目的に向けた準備も違う。あえてサボる時間も作るが、集中する時間も作る。気絶するまでトレーニングをする。

誰も到達したことのない感覚から練習メニューを作り、それを組み替えていく。日本で一番意識的でハイレベルな「段取り力」だと思う。

イチローの「らせん的に向上していく段取り」

同じくスポーツ選手のハイレベルな「段取り力」の例として、メジャーリーガーのイチローの話も引用したい。

『ナンバー』576号に「イチロー屈辱の1カ月」という記事がある。2003年4月の1カ月間、イチローは非常な不調に陥った。打率は2割5分。イチローとしては考えられないくらい低い打率だ。だが、イチローがこだわったのは打率ではなかった。

「30試合で30本のヒットというのは、もちろん、屈辱です。まぁ、2割5分という打率は別にどうでもいいんですよ、僕はそこにフォーカスはしませんから。ただ、30試合で30本のヒットというのは、とても納得できませんね。もう、ストレス溜まりまくりですよ」(『ナンバー』576号)

ヒットが出ないことに屈辱を感じていたのだが、なぜそんなことが起きてしまったかというと、オープン戦まで彼はとても調子がよかった。

ヒットできると思うポイントが劇的に増えたそうだ。そのため、今まで手を出さなかったようなボールにまで体が反応してしまうようになった。その結果、試合では打ってはいけない球まで打ちに行くようになり、そのことでリズムを壊してしまったのだ。

しかし5月には打率を戻しているので、調整ができたのだろう。イチローの不調について、同じチームメイトの佐々木主浩が印象深いことを言っている。

「開幕してしばらくは、ギリギリまで引きつけて打ってましたね。わざと詰まらせていたみたいでした。……もともとの天才が、いろいろ考えているんだから、まあ、すごいですよ。」(『日刊スポーツ』2003年5月15日)

5月に調子を戻したということは、イチローが違うレベルに到達したことを意味している。キャンプ中にステップアップする鍵をつかみ、それを広げていって、新しい技術に到達したのだ。

シーズンが始まった当初はそれがアジャストできなかったので、調子が落ちたが、そこでまた折り合いをつけて、次のステップに行く。

昔の技術も活かしながら、そこからもう少し上に行く。これは大変難しいことだ。

昔の技術でやっていてもそこそこは打てるわけだが、それだけだと相手も研究するし、もう一つ上に行けない。

しかしもう一つ上に行こうとすると、一時的に昔の技術より下になってしまう。これはよくあることで、そこであわてて昔のやり方に戻すのではなく、螺旋的にスパイラルアップしていく見通しを持ってやるのが上達するコツだ。

イチローは、自分がどうして不調に陥っているか原因や事情がよく分かっているから、打席に立ったときも、どこで折り合いをつけて次のステップに上がるかつねに意識しながら、ボールに向かう。

その辺の意識の高さはさすがだ。

日々組み替えていくハイレベルな「段取り力」と言えよう。

江夏の「ピッチングを熟知した配球の段取り」「江夏の21球」(『スローカーブを、もう一球』山際淳司著・角川文庫)に描かれている江夏の話も面白い。

79年、近鉄バファローズと広島カープの間で行われた日本シリーズ第7戦は、この日の勝負で日本一が決まる、まさに天下分け目の決戦だった。

9回裏、4対3でカープが1点のリード。カープのピッチャーは江夏だった。ここを守りきれば、カープの優勝が決まる。しかし彼はノーアウト・フルベースのピンチを迎えてしまう。ここからがすごかった。

土壇場に追い込まれた江夏は、一球一球に意味を持たせて打者を3振に打ち取る。

最後のバッターを3振に打ち取ったときは、その前に空振りを取った球と同じ軌道でそこよりやや下に沈む球を投げたが、それには布石があって、違うバッターのとき、江夏は同じ球でストライクを取っていたのだ。

「この球は使える」という判断をして、彼は重要な場面でもう一度、同じ配球をする。すべては最後のバッターを3振に打ち取るための段取りだったと言える。

このように、マウンドでは江夏がピッチングの段取りを考えて一生懸命投げていた。一方ベンチでも、若いピッチャーにウォーミングアップをさせるという別の段取りが動いていた。その段取りのレベルが違う。

つまり、江夏は目の前の打者を打ち取ることだけを考えていたが、当時のカープの古葉監督は、同点のまま延長にもつれ込んだ場合を考えていた。

延長戦になれば、江夏まで打順が回ってくる可能性がある。

カープはその裏まで守らなければならないので、江夏に代打を出さなければいけないことも考えて、ピッチャーを用意するという段取りを考えたわけだ。

しかし、江夏は若いピッチャーがウォーミングアップするのを見て、非常に腹を立てた。

「なにしとんかい。ここまで来てそれはないだろう」。これは誤解と言えば誤解だ。古葉監督は監督として実務的に段取りを考えただけだ。

ところがピッチャーの段取りは一球一球、相手をどう打ち取るかを考えている。

全体を大枠でとらえる古葉監督の段取りと、瞬間を判断する江夏の段取りが相いれなかったのは、当然だった。

しかし、幸運なことにこの段取りの違いは、組織の力と即興的な出来事によって解決される。チームメイトの衣笠が、マウンドの江夏に駆け寄ったのだ。

「オレもお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな」。この一言で、江夏は救われたという。この一言で集中力がよみがえった。まず相手のスクイズを見破る。

「石渡を見たとき、バットがスッと動いた。来た!そういう感じ。時間にすれば百分の一秒のことかもしれん。いつかバントが来る、スクイズをしてくるって思いこんでいたからわかったのかもしれないね。オレの手をボールが離れる前にバントの構えが見えた。

真っすぐ投げおろすカーブの握りをしてたから、握りかえられない。カーブの握りのまま外した。キャッチャーの水沼が、多分、三塁ランナーの動きを見たんやろね。立つのが見えた……」(p57)

野球をやっている人ならわかるが、カーブの握りで外すということはとうてい考えられない。スクイズを外すときは、ストレートで外すものだ。しかも、あらかじめキャッチャーが立って用意しておく。急に外したら暴投になる。

しかし、彼はキャッチャーが立ち上がるのを見て、カーブの握りのまま、スクイズを外すという神業をやってのけたのだ。

そして気落ちするバッターに対して、とどめの一球は、彼がこの日「使える」と判断した、内角へ沈んでいく勝負球だった。

この21球目で最終打者を打ち取って、カープは日本シリーズ優勝という栄冠を手にした。

スクイズを外したのは、段取りを超えた瞬間的な判断力だったかもしれないが、江夏が自分のピッチングについて熟知していなければ、ここまで完璧な21球を配球できなかっただろう。

自分が持っている球を活かすための配球、相手が今どういう気持ちでいるかを考えて、どこに勝負球を持ってくるかを判断し、その前の布石を打っておく。これがプロの読みであり、ハイレベルの「段取り力」というものだ。

プロの一流選手同士だと、打者とピッチャーで対話ができるという。ただ投げるのではなく、一球一球に配球の意味があって、それで対話が楽しめるものらしい。すごい世界だ。

4アポロ13号に見る〝鬼〟の「段取り力」

人類史上、最も複雑な「段取り力」1970年、月面着陸を目的にヒューストンから打ち上げられたアポロ13号は、宇宙空間で信じられない事故に見舞われる。

酸素タンクと燃料電池、電力供給ラインが故障し、水の供給ができなくなった。

この絶望的な状況を、地球の管制官たちと宇宙船の中にいる宇宙飛行士は力を合わせて乗り越え、無事地球に帰還する。

『アポロ13号奇跡の生還』(ヘンリー・クーパーJr.著・立花隆訳・新潮社)は実際に起きたこの事件を克明に追った興味深い本である。

なぜこの話を取り上げたかというと、宇宙船で月に行くという壮大なプロジェクトを遂行し、かつ酸素なし、水なし、エネルギーなしという危機的状況下で無事地球に帰還させたという「段取り力」がすごいからだ。

まさに〝鬼〟の「段取り力」と言える。立花隆はこう言う。

「有人宇宙技術はというと、いまだに日本はゼロである。アポロの成功から、もう四半世紀以上たっているのに、日本はあの時代のアメリカのまだ足元にも及ばないのである。

単なる技術力だけでなく、アポロ計画のような壮大なビッグ・プロジェクトのマネジメント能力もなければ、まして、このアポロ13号で起きたようなとてつもない危機に対応する危機管理能力もない。」(p3)

宇宙に人を打ち上げ、無事帰ってこさせる技術は、人類が構築した中で、最も複雑な段取りだろう。これを数えていくと、膨大な量のステップがある。

もちろんその中にはトラブルが起きたときのシミュレーションもある。通常のトラブルならその手順を踏めばいい。

しかし、アポロ13号に関しては予想もしないトラブルが起きてしまったため、シミュレーションにない手順を短時間で新たに組み直し、膨大な手順を再構築しなければならなかった。

宇宙船のすべてのデータが集まってくるのは、地上の管制センターだった。

地上スタッフは宇宙飛行士以上に全体の状況が分かっていたので、帰還に向けてのシミュレーションを行い、新たに手順を再構築してマニュアルを作るのは地上スタッフが担当した。

それを宇宙船にいる飛行士に伝達し、飛行士は忠実に実行する。

つまり段取りを組むのは地上スタッフのほうで、宇宙船が無事帰還できるかどうかは、主に管制官の決断と「段取り力」にかかっていたのだ。

その手順の伝え方だが、宇宙飛行士の方はものすごく疲労しているから、一つ一つの手順を紙に書き、その文字を復唱しながら確認していくという最も原始的な方法をとったのである。

「『クルーにデータを送るときに何がだいじといって、正確性ほどだいじなものはない』。」(p157)

「この読み上げでマッティングリーがいちばん気にかけていたのは、疲労の極にあるスワイガートが、まちがいなくチェックリストを書き写すようにすることだった。

マッティングリーは読み上げのスピードを落とすことにした。一行一行ゆっくりと読み、一行おわるごとに間をとり、スワイガートが復唱するのを待った。」(p158)

「オーケイ」「オーケイ」と確認しながら進めたが、チェックリストをすべて読み上げるのに3時間がかかったという。

読み上げて復唱する、という古典的な方法で、技術の最先端を行く宇宙船を操縦していたのが興味深い。

意外に面白かったのは、間違ってスイッチを押さないよう、大切なスイッチに大きく赤字で「NO」と書いて貼っておいたことだ。

着陸船を切り離すスイッチが、支援船の切り離しスイッチのすぐ隣にあったらしい。

支援船を切り離すとき間違ってスイッチを押してしまえば、自分たちがいる着陸船のほうが切り離され、宇宙の彼方に飛んで行ってしまう可能性があった。

そこで最終手段として「NO」と赤で書いて紙で貼り付けておいたというが、ここでも最も原始的な方法がとられていて面白い。

とにかく、電気系統も燃料も酸素供給システムも故障した状態で、残されたシステムを使って宇宙船を帰還させなければならなかったから、ものすごく複雑な手順が必要だった。

事前に想定されたシミュレーションにない手順だから、間違いが起こらないよう管制官はいくつもチャートを作った。

「ある作業のときはオンのままでよかったスイッチを、別の作業のまえには切らねばならない、というように、パワーアップの手順は全く複雑きわまりないものだった。

この日の午前九時に、リフトオフ時の各スイッチのオン・オフ状態がどうであったかの記録がスワイガートに送られていた。

いま管制官たちが手にしているチャートには、それと同じオン・オフ状況が印刷されていた。

技術者たちは、これを『スクェア1』配列と名づけ、さまざまなチェックリストを作成する際には、つねにこの配列を参照基準とした。」(p123)

つまり基準になるチャートを作って、他の複雑な配列と付け合わせ、手順を書き込んでいったわけだ。チャートにして図化するのは非常に大切なことだ。

文章や話し言葉ではだらだらとつながってしまい、区切りがはっきりしない。

話を聞いていると分かったような気になるが、実際の行動はアナログ的というよりはデジタル的で、結局はボタンを押すか押さないか、スイッチをONにするかしないかだ。

行動ははっきりしているのに、指示がだらだらしていると、前後関係が混乱することがある。しかも手順が20段階も30段階もあれば、もう覚えていられなくなる。

そのときチャートにして、はっきり項目分けしていくと分かりやすい。図式化することでやるべきことがクリアになる。図式化の能力は「段取り力」の根幹をなすものだ。

段取りができるということは図式化もできるということだ。

藁人形スケジュールで危機を回避「アーロンたちはこのチャートを使って、なすべきことの概略という意味で、彼が『藁人形スケジュール』と命名したものの作成にとりかかった。

(『なぜ藁人形かというと、石をぶつけてかまわないもの、ということだ』というのが、アーロンの説明だった。)とりわけ、着水直前の電力配分の調整が最優先課題だった。

宇宙船のどの部分を、いつパワーアップするか、いつ支援船と着陸船を切り離すか、こうした作業のそれぞれに、どれだけの電力を配分するかといったことが、この藁人形スケジュールに盛り込まれていった。」(p123~124)

要するにたたき台になるものを作って、そこに細かいものを盛り込んでいったわけだ。たたき台を「藁人形スケジュール」と命名したのが面白い。

日本では藁人形は別の意味になってしまうが、この場合はラフなスケジュールという意味だ。

「アーロンの藁人形スケジュールはいたってラフなもので、いずれにしても多くの変更が加えられることになるはずだった。

しかし、少なくとも、他の管制官がそれぞれ詳細なチェックリストを書き込むための枠組は、これが提供した。」(p124)

詳細なものを書くためのラフなたたき台を作ることが、段取りとしては非常に重要なことがここで分かる。

アポロ13号の場合も、とにかくプランを立てておかないと、事態に圧倒されてしまう。プランがあっても圧倒されそうなのに、プランがなければ事態はどんどん進み、精神的に追いつめられてしまう。

ラフでもいいからとりあえず作っておいて、精神の安定を確保してから細かいところを微調整していく。そういう段取りだ。

これは仕事を進めていくためには重要なことだ。私も仕事をするとき、どこまでやれば、その仕事を中断しても後戻りしないのかということをまず考える。どこまでやっておくと、後戻りしないのか。

あるいは休んで忘れてしまっても、すぐに次の段階の作業に取りかかれるのか、これがポイントだ。

盛り上がって話しているときはテンションが高くなっていて、そのことについてよく分かっているので、要点をまとめておかなくても、次の日ならすぐに始められるが、それを半年おいたらゼロになってしまう。

経験知や暗黙知は消えてしまうのだ。それが消えないところまで形にしておくことが重要だ。つまりチャートにしておく。それも非常に細かな手順のチャートにしておくと、後戻りしない。

本作りでいえば、章立てまでしか考えていないと、時間をおくとゼロになってしまうが、章の中の節や項目まで細かく出して、配列し直しておくと、半年、1年、間をあけても後戻りしないですむ。

チャート化できるまで煮詰めることが成功の秘訣アポロ13号では、あらゆるアイディアを駆使して事態に対処している。

地球の大気圏に突入する際、宇宙船に搭載されている月着陸用の着陸船を切り離さなければいけないのだが、それを切り離すはずの支援船をすでに切り離しているので、別の方法でやらなければならない。その方法が奇抜である。

「着陸船のハッチと司令船のハッチを閉めると、キャビンと同じ気圧の空気が、両者をつなぐトンネルの中に閉じ込められることになる。

そこでドッキング機構を解除すると、『宇宙クシャミ』とでもいったものが起こり、トンネル内の空気圧で、二つのモデュールは引き離されることになる、というのだった。/ラッセルはこのアイデアが気に入った。」(p130~131)

「宇宙クシャミ」とは面白い。まさにアイディアだ。段取りが壊れてしまったときは、アイディアによって新しい段取りを組み直すのだ。アポロ13号では実にさまざまなアイディアが登場する。

たとえば水不足に対して、「あるクルー・システム技術者が、宇宙服が水の詰まった毛管で縫われているのを思いだした。

宇宙服の踵の部分を切りとるだけで、まるで皮袋からワインを飲むようにして、この水を飲むことができるようになっていたのである。」(p133)

実際にはそこまでしないですんだが、宇宙服はいざというときのために、そこまで考えて作られていたのだ。自分たちがいる位置を測定する方法も面白い。

コンピューターなど計器類が使えなくなったとき、スターチェックといって特定の星を基準に位置を割り出す方法があるが、アポロ13号が地球に接近したとき、その星が見えない位置にあった。

そこで地球が明と暗に分かれる境界線、これを明暗境界線と言うらしいが、その線を利用して分度器のようなものを当て、自分たちの位置をチェックするやり方をとった。

これは、アポロ8号のときに緊急時の方策として考え出された非常に原始的で大雑把なやり方で、アポロ13号の飛行士たちはいちおうシミュレーションをやっていたらしいが、まさか本当にそれを使うことになるとは思わなかったらしい。

しかしその練習をやっておいたおかげで、実際のトラブルの際も正確に位置を決めることができた。

その他手動で六分儀を使い、星の観測データと実際の位置を計算してみたところ、誤差はすべてゼロだったという。全体として言えることは、段取りのすごさである。

トラブルが起きることをあらかじめシミュレーションして、徹底して準備してあり、かつ地上スタッフが危機的状況に対して新たな段取りの組み替えを行い、飛行士に指示するときは、明確な段取りをチャート化して伝えている。

だからミスが起きない。

地上の管制官がこれほどしっかり段取りを煮詰めておかなかったら、アポロ13号は無事地球に帰還できなかったろう。

恐ろしく複雑な手順をチャート化できるまで煮詰めることが、〝鬼〟の「段取り力」を成功させる鍵だ。

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