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第五章「段取り力」の鍛え方

目次

1すでにある完成体から段取りを推測する

「キシリトールガム」ができるまで

「段取り力」を鍛えるには、優れた「段取り力」によって作られた完成体から、その「段取り力」を見抜く訓練をするのが最も効果的だ。

「段取り力」を見抜く練習のテキストとして面白いのが『デザインの解剖①=ロッテ・キシリトールガム』(美術出版社)という本だ。

ロッテ・キシリトールガムのデザイン開発の段取りを解剖した本だが、まず最初の段取りは、虫歯にならない甘味料を使用しているガムという明快な考え方に基づき、デンタルというイメージを具現化することだった。

「パッケージグラフィックデザインは、『デンタルというイメージを具現化する』という考え方が数あるデザイン案の中から採用された。

Dental(デンタル)とは、『歯の』または『歯科の』を意味することばであるが、ここでは『歯磨き粉や歯ブラシなどのデンタル関係に見られるデザイン』を意味している。

お菓子をお菓子としてデザインするのではなく、まず『デンタル』という別のジャンルのイメージでデザインしてみる。

その後お菓子として相応しいかを検証する。このような手順でパッケージグラフィックデザインの作業が進められた。」(p20)

最初に明確なヴィジョンやコンセプトを打ち出し、それからイメージできるものを他の領域から探してアレンジして、今必要なものにあてはめていってしまう。

要するに歯磨き粉のチューブのイメージをガムにしてみたら、というように無理矢理アレンジをしていくわけだ。するとまったく新しいものが生まれる。

たとえば、ロッテのキシリトールを象徴するマークも斬新だ。上から見た歯をイメージしている。

しかもコンビニや駅の売店に置かれるとき、縦横どちら向きに置かれてもいいように、マークは左右対称、上下対称に作られている。

色は自然な色ということで緑になったが、ただの緑ではあまり目立たないのでメタリックにしたという。

この『デザインの解剖』という本は、商品としてまとまった完成体であるロッテ・キシリトールガムが作られるまでの段取りを、あらゆる方面から解剖していて面白い。

普通はそういうプロセスを読み取ろうとして商品を見る人は少ないが、こういう解剖を一つずつやってみると、身の回りの小さな製品の中にもものすごいアイディアが詰まっていることが分かる。

すると、ものの見方が変わってきて、完成体から逆に作る段取りを推測できるようになる。これが「段取り力」を鍛える重要な訓練になる。

「デザインシート」に段取りを書いてみる完成体から、それが作られてきた段取りをエックス線のように透視できるようになると、自分が段取りを組むことができるようになる。

私はこの方法を自分のゼミや授業で積極的に取り入れている。

学生にすでにある商品を見せ、それがどうやってできたのか、「デザインシート」(図⑥参照)に段取りを書かせてみる。

たとえばもしウオークマンの企画書があるとすればこういうものだろう、というものを自分で書かせてみるのだ。

それが「段取り力」を鍛える。

段取りの本質は時間的なものだが、完成体は時間を吸い込んでしまったあとのものだから、それがどういう順番と優先順位で、どういうコンセプトからそうなっていったのかを逆に引きずり出す訓練は、頭を鍛える。全部の段取りは必ずしも均等ではない。

キシリトールガムなら、「虫歯になる甘味料を使わない」という明確なコンセプトが真ん中にあり、これを中心にすべてが段取られていく。

だからねらいとキーコンセプトは外せない。そこにいろいろな段取りがくっついてくるわけだ。大きく言えば明確なコンセプトを絞り込めるかどうか。

そこがぐらつくと、他のことが全部決まらないが、そこがうまく設定できれば、細かい色や包装やマークも、おのずとそのコンセプトから導き出されてくるのである。

最初からこの世にない商品を自分で考えるよりも、すでにある優れたヒット商品やアイディアを逆に「デザインシート」に落としていく練習を何度でもするほうが、段取りを把握するためには近道だ。

これはやればやるほどうまくなる。「デザインシート」は実に簡単なものだ。先日、私は小学生の塾で段取りを鍛える練習をした。

まず『日本語で遊ぼ』(NHK教育)という10分番組のビデオを流し、「デザインシート」に段取りを書かせる。

オープニングから始まって、コニシキさんが出て来て、野村萬斎さんが出て来て……などどんどん区切っていくと、小学生でもすぐに10数個の段取りに分けられる。

普段は番組を流して見るが、そういうふうに番組を見ると、作るほうはどういう順番でどういう組み合わせにするのか、クリアに意識をして作っていることが分かる。それをシートに落とすだけで、番組の流れや構造が分かる。

さらにその授業では体育館でしこを踏んで、暗唱したり、3色ボールペンで線を引いたりということもやった。それを最後に今日やったこととしてすべて「デザインシート」に落としてもらった。すると、小学生でも自分たちがやっていることの構造が分かったのだ。構造が分かれば、私の代わりに授業をすることも可能だ。

つまり、段取りが立てられないといつまでも生徒のままだが、自分のやっていることを「デザインシート」に落としていくだけで、生徒から先生の立場に変われるのだ。

「デザインシート」はシンプルだが、大変使いやすい。あらゆるものをすべてここに落としていけばいい。上手な人と一緒に仕事をしたとき、その人の仕事の段取りを落としていく。

すると格段に成長する。上手な人は神秘的な力で仕事をこなしているのではなく、こういう段取りを踏んでいるからこそ、うまくやれるのだということが必ず分かるようになる。

カリスマと言われる人も、なんとなくできているのではなく、うまい段取りを組んでいるだけなのだということが分かる。

それが分かれば、自分だってカリスマになれるのだ。「デザインシート」は、さまざまなアイディアを出すときにも使える。すでにある商品やシステムを「デザインシート」に落としていく。

そして慣れてきたら、ねらいや素材だけを別のものに変えていく練習をする。知っているもので練習しておいて、そこから変化させていくのだ。

条件を固定して段取りを考える先日、学生に授業を作らせる講義をしたが、「デザインシート」を使い、時刻表という素材で授業を作るよう課題を与えた。

するとけっこう面白いアイディアが出た。

たとえば殺人事件を想定して、犯人はどの電車を乗り継いで逃げたのか問題を出し、生徒に時刻表をめくりながら正解を当てさせるというものや、決められた所持金でどれだけ遠くの駅に行けるのか、時刻表を駆使しながら考えさせるものなど、いろいろだった。

あえて素材を固定したほうが、段取りを組むのにアイディアがわきやすいことがある。

使う素材も段取りもすべてゼロから自分で考えるとなると、慣れていなければ難しいが、ある程度素材が固定化された状態で、段取りを組む練習を繰り返し、慣れてきたら自分で素材を見つけるというやり方をしていけば、「段取り力」も鍛えられるだろう。

あるいはある部分を固定してみんなで考えると、各人のアイディアの違いや段取りの組み方の違いがはっきりして比較ができる。

全部を変えてしまうと各アイディアをつき合わすことができないが、ねらいだけを固定化したり、キーワードを固定化したり、素材を固定化すると、それぞれの段取りを組むときのアイディアが層をなす。

それらを持ち寄って話し合いをすることで磨き合いが可能になり、よりよい段取りができ上がっていくのだ。

これは商品開発において、鉄則だと私は思う。アイディアは必然的に生み出すことができると強く感じている。

ちょうど今『週刊ダイヤモンド』という雑誌でアイディア商品についての解説をしているのだが、アイディアは、きっちり段取りを組んで考えるとかなり生まれてくるものだ。

何となく無のところからふっとアイディアが生まれてくるよりは、条件を固定化したほうがアイディアが出てくる。

うまい限定をした上で、この「デザインシート」を使えば、アイディアは相当量、必然的に生み出されるものだ、と思う。

商品の開発にこの「デザインシート」を使うと分かりやすい。ここにヒット商品を入れ込み、アレンジした商品を新しく考えてもらう。すると段取りよく新しい商品が出てくる。

アイディアを引きずり出してくるのに段取りが役立つ、ということだ。アイディアは天から降ってくるのではなく、むしろ降ってくるまでの段取りが必要だということだ。

2「段取り」という包丁で切る視点を持つ

完成体から段取りを見抜くトレーニングは、「デザインシート」がなくても、それを心がけさえすれば、いつでもどこでもできる。

身の回りにあるものや起こる出来事を、すべて「段取り力」という目で見ていけばいいのだ。

料理を作るときも、レシピに従ってただ作るのではなく、レシピを作った料理上手な人の段取りを見抜く練習をしていると、何をするにしても「段取り力」が活きてくる。

テレビを見るときも、番組がどういう構成で進んでいるのか、裏ではどんな仕込みが行われているのか考える。

そういう練習が「段取り力」を鍛えていく。「段取り」という包丁で切る練習が大切なのだ。そうした視点で小説を読み解いていくと、思わぬ発見もある。

『ドン・キホーテ』(ちくま文庫)がいい例だ。ドン・キホーテは妄想にかられた人物、というイメージがある。

騎士道小説を読みすぎて妄想で頭がいっぱいになり、現実感覚を失ったと思われている。およそ「段取り力」のイメージとはかけ離れた男だろう。

だが実は彼は非常に行動的な人物で、彼が動くところはみな現実が動いていく。その意味では彼は新しく現実を作り出す大変な「段取り力」の持ち主だった。とにかく、きっちり道具を準備しているのだ。

馬を検分しに行って、ロシナンテを手に入れたり、自分自身にもひとかどの騎士らしい名前をつけたくなって、1週間考えた末、「ドン・キホーテ」と名乗ることにするなど、しっかりした段取りをとっている。

さらに思い姫を想定して名前をつけたり、お金の調達をするためにいろいろなものを売ったり、非常に具体的な「段取り力」を発揮しているのだ。

しかも従士を持たないと騎士として恰好がつかないからと、サンチョ・パンサを誘う。

「ドン・キホーテは自分の近所に住む、正直者で(といってもこの称号が一般に貧乏な男に与えうるものとしての話であるが)、そのくせひどく脳味噌の足りない一人の百姓をそそのかした。

とどのつまり、さんざんに口をすっぱくして言いきかせ、説き伏せ、さては約束したりしたおかげで、この気の毒な田舎者も彼といっしょに出発して、従士として仕えようと決心することになった。」(p117)

他人に大きな影響を与え、人生を変えてしまう強い「段取り力」を持っていた男だということがこの短い文からも分かる。

「段取り力」という概念がなければ、『ドン・キホーテ』もただ面白おかしく読み飛ばしてしまったかもしれない。

あれだけの準備作業、つまり「段取り力」があったから、ドン・キホーテは冒険に出かけられたのである。

すべての構造の基礎がそこにあったと認識できるのは「段取り力」というコンセプトがあったからだ。言葉の威力はすごい。この言葉を使うだけで、成長するところがポイントだ。

さまざまな場面に「段取り力」という包丁を持ち込み、スパスパ切っていくことによって、「段取り力」のコンセプトが技となって自分の中にしみ込んでくる。

この視点を生活のあらゆる場面で相互に使い合うことによって、「段取り力」自体がいっそう高まってくるし、気持ちが楽になる。

人格が否定されたり、根源的な能力を否定されない。根本的な人間性はなかなか変わらないが、「段取り力」は明らかにちょっとした意識化と練習で伸びる。

人生に希望が持て、仕事が楽しくなる。今までなかったのが不思議になるくらいの言葉だ。

3小段取りから始めてスケールを大きくする

段取りには小段取りと中段取り、大段取りがある。つまりスケールがあるのだ。

何十年、何百年の長期的なスパンで考える人がいるかと思うと、非常に細かい段取りが得意な人もいる。

レストランの予約や休日の計画を立てさせたら、右に出る者がいない人というのは後者の短期的スパンの小段取りがうまい人だろう。

組織を運営したり、団体の幹事を上手に務める人は中段取りがうまいといえる。

大統領や首相になると、もっと大人数を動かさなければならないから、システム全体を見抜く長期的なスケールの大段取りが必要になる。

最初は小さなスケールから練習していき、だんだんにスケールを大きくしていくのが上達論としては王道だ。

ホテルのトイレ掃除から始めて、客室のことも覚え、フロントをやり、だんだんに資金調達や人事のことも経験していき、最後はホテル全体を統括する支配人になるというような道筋だ。

絵でも、最初からいきなり何十号もある大きな絵を描くことは普通しない。最初は手だけといった小さな部分を練習する。それを徹底的に練習して、うまくなったら今度は顔を練習する。

そういう基礎があって、初めて人物を描き、その周りの背景も描きという具合に大きくしていく。そうしなければスカスカな大きな絵ができ上がるだけだ。

今の自分はどのスパンの「段取り力」が得意で、どのスパンの「段取り力」が苦手なのか、大段取りなのか、中段取りなのか、小段取りなのか、スパンという観点で「段取り力」を見ていくことも重要だ。

段取りのスケールを図化すると図⑦のようになる。

人生の段取りなど大段取りが得意だが、スケジューリングなど小段取りが不得手だという人は左上Bゾーンになる。

このゾーンは「ズボラだが節目節目の大切なツボはおさえている人」だ。コツコツと器用にこなすが、大きな段取りは逃すという人のゾーンは右下Dになる。いわゆる「器用貧乏」と言われる人がここにあたる。

料理や家事など細かい段取りは不得手だが、結婚の段取りは間違えず、ちゃんと旦那は捕まえるという人はBゾーンだ。

仕事ができる才色兼備の女性なのに、人生の段取りはうまくいかない人はDゾーンだろう。器用貧乏と言われるように、明らかに段取りがいいとほめられている人ほど危険なケースがある。

「小段取り力」も大切だが、それより人生の大枠を考える「大段取り力」のほうが重要だろう。つまり理想は大段取りも小段取りもおさえる右上Aゾーンだ。

私たちは「段取り力」と言ったとき、個々の小さな段取りにとらわれがちだが、構造的なものをとらえる大きな段取りをつねに意識する必要がある。

4ヴィジョンと素材を結ぶ回路を作る

段取りには、ヴィジョンからおろしていくやり方と素材から入っていくやり方がある。

料理でいえば、すでに大根と人参があってこれで何か料理を作る、という素材から作っていく方法もあるし、すでに料理は決まっていて、これを完成させるために何と何が必要か用意していく方法もある。

いわゆる「素材主義」と「ヴィジョン主義」だ。

ヴィジョンがA、素材がBとすると、単純な話、このAとBの両方からトンネルを掘っていくやり方が一番間違いのない王道だ。

「段取り力」をどうやってつけるかと言ったとき、ヴィジョンと素材がきちんと対応しているのか、に目を向け、両方をつないでいくのが「段取り力」の鍛え方だ(図⑧参照)。

自分の「段取り力」がダメなのは、最終ヴィジョンがないまま取りかかっているからなのではないか、とか、素材が用意されていないのにヴィジョンだけが空回りしていたのではないのか、といったことが、この「ヴィジョンと素材」という概念を導入することでクリアになる。

そのいい例が彫刻だ。

作りたいと思う最終形がクリアにあれば、それに合わせて素材を削りながら作っていく。これがもしヴィジョンなきスタートをしてしまうと、あまりに段取りが悪いということになる。

だが素材を見て、いいヴィジョンがひらめいて作っていくというやり方もある。要するに素材が先でもヴィジョンが先でもいいが、素材とヴィジョンの間をつなぐ段取りが大切なのだ。

この間を埋めない人がいる。ずっとヴィジョンだけを言っていたり、ずっと素材のところでうろついている。

やみくもに資料探しばかりしていて、何をやりたいのか分からない研究者とか、反対に抽象的なヴィジョンばかりを言って、実証しない人がいる。

スポーツで言うと、基礎技術とプレースタイル、最終目標を統合するのが大事だが、マニアックに特殊な技術だけ練習していて、強くならない人などがそのいい例だろう。

そうした人には統合する回路が欠けているのだ。回路はつねに意識することで鍛えられ、その道筋が作られていく。

「料理の鉄人」のような人は、素材を見ただけで料理の完成図が目に浮かぶ。一瞬にして回路がつながるわけだ。素材をアレンジしていく力、あるいはヴィジョンを柔軟に再構築していく力が優れているのだ。

つまり「段取り力」は柔軟にアレンジして力がついていくことで、さらに磨かれていく。

自分は「段取り力」が劣っている、と言った場合、ではどんな「段取り力」が得意で、どんな「段取り力」が不得手かに気づくことが最初のスタートだ。

次に段取りがうまくいかなかったのは、ヴィジョンをちゃんと見ないでスタートしていたのか、ヴィジョンしか見ないで細かいことをやらなかったのか、検証してみることだ。

素材しか見ない素材主義を、細部にこだわる「はい回り系」、ヴィジョンしか見ないヴィジョン主義を、大きいところからしか見ない「俯瞰系」と言うこともできる。

両方できるという人もいる。

優秀な建築家は建築物を建てるという大きな段取りもできるが、業者との細かいやり取りもできる。

私の感覚では細部にこだわることができる「はい回り系」の中には、明らかにプロフェッショナルな大規模なものもできる「俯瞰系」が存在する。

その逆、つまりもともと「俯瞰系」の人が、一方では、はい回りもできるという例はあまり見かけない。

やたら大風呂敷を広げたり、天下国家のような大きいことを論じるが、実行が伴わないという人もいる(図⑨参照)。

ヴィジョンはあるが、打つ手はない。

具体化する方法がない、ということはよくある。

商品開発のときも、「こういう商品がほしい」というヴィジョンがあっても、技術がなければ需要に応えることができない。

技術系のはい回りがないと、ただの机上の空中戦になってしまうのだ。

技術だけで大きな視点がないと、需要のない商品を作ってしまい失敗する。

ヴィジョン主義と素材主義の回路をつなぐ意識を持つことが、「段取り力」を鍛える方法だ。

5視点や切り口を明確にする

視点や切り口を明確にすることも「段取り力」を鍛える近道だ。

そのトレーニングになるのが論文である。

論文は段取りが命だ。

「はじめに」という形で問題提起がありそれに続く論の組み立てもしっかりしており、最終形もきっちりあり、キーワードもいくつか出しておくのが論文の形だ。

文章と言われるものの中で、形式がしっかり決まっているのが論文のよさだ。

しかし論文には、そういう形で仕上げる前に資料を集める段階がある。

研究者の中には資料集めばかりしていて、なかなか書けない人がけっこういる。

書ける人と書けない人の大きな差は、論文を貫く視点や切り口を持っているかどうかである。

それがないと論文にはならない。

何かについてとりあえず書いてみた、というのでは、まとまりがない文章になってしまい、論文にはならない。

逆に言うと、切り口があることで段取りがものすごくよくなるのだ。

しっかりした切り口を持っていれば、自分にとって必要な資料がどういうものか分かるので、100冊資料があっても、そのうち自分の切り口に関係があるものは3冊だけだと分かる。

ところが切り口がないと、100冊全部を読んだ上で考えるから、膨大な時間がかかるわりには論文としてまとまらない。

何かをやるときは、いつも「自分がどういう角度で、何に向かうのか」意識していることが大切だ。

視点や切り口を明確にすると、段取りがシンプルになって労力が削減される。

6優先順位で組み替えていく

段取りが悪いと悩む人の中には、時間的な順序にとらわれ過ぎて失敗するケースが多い。

特に日本人は最初からきっちりやろうとするので、時間切れになって、肝心のものにたどりつかないことがある。

よく勘違いするのは、緻密に時間的な順番をこなしていくことが、段取りだと思ってしまうことだ。

会議でも報告事項の二番目から始めて延々と続き、肝心な審議事項に到達する頃には疲れ切っている。

順番を入れ替えるということが重要だ。

本当に「段取り力」がある人は、時間的な順序関係ではなく、優先順位で組み替えていく。

試験問題でも出題された1問目から解いていく人と、組み替えて自分が解ける問題や配点の大きいものから解く人とでは、結果がまったく違う。

できない人は、与えられた順序をそのままやってしまうことが多い。

本を読むのでも、最初からずっと読んでいって50ページで行き倒れてしまう。

同じ50ページでも、重要なところをあちこちつまんで50ページ読むのとでは大違いだ。

たとえば、そんなふうに優先順位による組み替えが自分でできることが大事だ。

組み替えられる力がある人は、けっこう「段取り力」がある。

「段取り力」は、つまるところエネルギー配分だ。

一番エネルギー値の大きいものを最重要なところにぶちこむ。

勝負事で言えば、相手の一番弱いところに自分の最大エネルギーをぶつけるということだ。

相手のスキに焦点を定めて、最大のエネルギーを注ぎ込めば、それだけで高度な技術を持つ相手に勝つことができる。

たとえばエネルギーがあるうちに何をするか、が大切だ。

その人のエネルギーが朝、満ちているようなら、朝に仕事を持っていくのがいいし、夜型なら夜に重要な仕事をあてればいい。

段取りの順番を言うなら、やはり大枠をおさえてから、細部を整えるのが順序だ。

絵を描くのに、手の形はすごくよくできたが全体のバランスが悪い、というよりは、全体像はできていて、最後に細部を整える人のほうがうまくできる。

うまい人の絵は全体のバランスがいい。

まずアウトラインは押さえてあって、その中で徐々に細部をつめていく。

するといつ「そこで、はい終わり」と言われても絵になっている。

段取りがいいという感じがする。

英文解釈でもそうだ。

複雑な文章があった時、どれが主語でどれが動詞か大枠が捕まえられていれば、その中に入っている関係代名詞や細かい名詞が分からなくても何とかなる。

最初から出てくる順番に単語を辞書で引いていると疲れてしまうが、「これを引けばだいたいの意味は分かる」という単語から引いていけば、早く意味がつかめる。

単語を出てきた順に引くのは、時間的順序関係に従ってしまうやり方だ。

大枠をおさえて優先順位を決めるのが、「段取り力」を鍛える大事なポイントだ。

7場を設定したり、型を整えてみる

シチュエーションを整えると持てる以上の能力が引き出されるというイメージを持つことで、「段取り力」が鍛えられる。

追い込まれれば、人間はたいがいのことはやれるものだ。

ある問題を時間制限なしでやるのと、5分間の時間制限でやるのとでは、能率は格段に違う。

納期を決めなければ、いつまでたっても製品はでき上がらないのと同じだ。

だから自分で自分を追い込むような設定をするわけである。

それが段取りである。

そして段取りのいいところは、一度決めてしまうと、自分の日々ゆれ動く感情ややる気の変化とは関係なく、段取りに従って動くしかなくなるという点だ。

その段取りを人に決められてばかりだとやる気がなくなるのなら、誰かと組んで段取りを決めればいい。

学習効果をあげるには、2人で勉強する方法がけっこうおすすめだ。

自分1人だと気持ちが崩れてしまうが、2人で決めたことだとやり切ることができる。

私も高校受験、大学受験、大学院受験をすべて友人と2人でやってきた。

何日までにここまで読んでおこうと2人で段取りを決めると、張りが出る。

つまり段取りとは、一度決めてしまうと自分の外側にあって、自分の力を引き出す働きをしてくれるものである。

しかしそれを押し付けられたと感じると、その力は出てこないから、何かしら自分が納得できる状況に組み替えることが大切だ。

全部を組み替えなくても、段取りを組む作業に少し関わっただけでも、自分が作った段取りだという自信と誇りが生まれる。

それに従うことは潔しということになる。

ともかく状況や場の威力をしっかり認識し、やらねばならない状況や場を設定することが「段取り力」を鍛えることになる。

私はポジショニングや時間設定にかなりうるさいのだが、それは会議においても座り方や開催時間によって、その後の生産性がまったく変わってしまうからである。

座り方や時間を決めるというのは、まさに段取りそのものであり、これをないがしろにすると、あとでものすごく後悔することになる。

最近、厄介な仕事を始業前にやってしまう朝型仕事術というのが流行っているようだが、それも段取りの一つだろう。

朝6時半ごろ会社に着いて、皆が出社して来るまでの約2時間の間に難しい仕事を片づけてしまう。

考えてみると、朝2時間、それだけ静かな時間とスペースを都心の一等地に確保できるのは、家賃や光熱費から見ても大変な得である。

あとは余裕をもって仕事をこなし、夕方の3時か4時に仕事を終える。

すると非常にリッチな時間が過ごせるわけだ。

自分の能力は変わっていないが、段取りがいいことによって能力の配分がうまくいき、いかにも仕事ができる人という評価になる。

仕事の種類の中にも、疲れていてもできる仕事とできない仕事があるから、仕事の順番を考えるのは非常に大切なことである。

スティーブン・キングの著書に、彼自身の仕事の仕方をつづった本(『小説作法』アーティストハウス)がある。

彼は午前中は他の用事を完全にシャットアウトして、執筆にあてると決めている。

午後は手紙を書いたり、人に会い、夜はゆっくりして過ごす。

仕事をするのは午前中しかないらしい。

確かに本を読むことは疲れていてもできるが、書く活動は疲れているとできないから、自分のゴールデンタイムに持ってきたほうがいい。

ゴールデンタイムが真夜中の人は、夜中に活動すればいいのだ。

スティーブン・キングの場合は、ドアを閉めるというやり方でそれを実行していた。

つまり電話を取り次がせない。

人を完全にシャットアウトして、音楽をかける。

音楽をかけるのは自分の世界に閉じこもるためである。

そういう段取りがいくつかあって、自分を外側の枠から追い込んでいくと、いろいろなアイディアが出てくるわけだ。

彼はそれを習慣化している。

そういう時間を必ず取ることによって、あの膨大な作品が生まれるのだ。

作家の宇野千代も、「作家になりたい人はとにかく毎日、机の前に座りなさい」と助言している。

内容の指導ではない。

とにかく座る習慣が大切なのだと言っている。

スティーブン・キングが「必ずシャットアウトする時間を作れ」と言うのと同じである。

私も大学の研究室の電話をつながないように切ってある。

なぜかというと、集中して書いているとき電話で分断されると、また集中してその水準に持っていくのに膨大なエネルギーがかかるからだ。

人と話している時間と、自分が集中して書く時間とはあまりにも活動の質が違いすぎる。

前者は自分を放出する時間で、後者は自分の内側に入り込んでいく時間である。

その活動の質の違いを段取りとして組み分けて、この時間は外部をシャットアウトして自分のために使おうとか、この時間は自分を開放して効率よく人に会おうとか、割り振っていくわけである。

だから自分の活動の質が分からないと、先にさんざん本を読んでしまって、さあ書くぞと言ったときには、もう脳はバーストして使いものにならないという事態も起きてしまう。

場の設定が脳の力を引き出したり、消耗させたりするわけだ。

8「裏段取り」を意識する

段取りには表の段取りと裏の段取りがある。

表の段取りとは外側から見える時間的な流れのことを言う。

たとえば小料理屋さんがあるとすると、店が開いて、お客さんがいる時間に小料理屋さんが注文を受けたり、料理を作ったり、出したりしている。

それらはみな表の段取りだ。

では裏では何が起こっているかというと、開店する前に仕込みが行われているのだ。

仕込みとは裏段取りである。

あらかじめ仕込んでおくのは、段取りがいい典型だ。

素人は、仕込みに関する意識がない。

仕込みの意識のあるなしが、「段取り名人」と素人の分かれ道だろう。

いい表段取りには必ずいい裏段取りが存在している。

仕事ができる人を見ると、表と裏、両方の段取りがスムーズにいっている。

表の段取りは分かりやすいが、裏の段取りは見落としやすい。

裏を見るとは、それをやっている側の立場に立つということである。

テレビドラマを見ると、登場人物がいて、スト―リーがあって、いろいろな展開が工夫されている。

それが表の段取りだ。

裏は脚本の書き込みや稽古、スポンサーへの根回しや他局との駆け引きなどさまざまな要素がある。

プロは仕込みの意識がしっかりしているが、素人で勘違いしている人は裏の段取りについて意識がない場合が多い。

モデルになりたいと言ったとき、ファッションショーや撮影など表に出ている仕事ぶりだけを見ると自分にもできるように思うが、モデルの裏の仕事は大変なことが多い。

いくつもオーディションを受けて回ったり、待ち時間が多かったり、体型を維持するために食事をコントロールするなど、大変な苦労をしている。

面倒な裏の段取りが見えると、果たして自分に向いている仕事かどうか見極めがつくだろう。

実際に仕事をしてみると、必要な力は実は仕込みのほうに多くあることに気づく。

裏段取りを意識することも「段取り力」を鍛える絶好のトレーニングになる。

裏段取りが見抜けるようになれば、かなり「段取り力」がついたと言えるだろう。

料理の例で言えば、料理の「段取り力」が身についている人は、ある料理が出たとき、どういう段取りで作られたものか、素材まで含めて見通せる。

これは本当に職人技が必要な高度な料理なのか、自分にもできる簡単な料理なのかがすぐに分かる。

すると、この店にお金を払う価値があるのかないのかまで分かってしまう。

本当に優れた料理に出会えれば、食べるほうはわざわざ店に行ったかいがあるし、料理を作るほうも価値が分かる人に食べてもらい、作ったかいがあるというものである。

どの領域にも言えることだが、総じて完成形がシンプルに見えているほうが、裏の仕込みは複雑であることが多い。

形をシンプルにしていくためにそぎ落としていくことが多いので、仕込みはその分大変である。

私は『声に出して読みたい日本語』(草思社)という本を出したが、この本はテキストの引用が多く、解説として書く分量は比較的少なかったので、自分で丸々一冊書くより楽だったのではないかと思う人がいる。

しかしそれはまったく逆で、自分の言葉だけで書くほうがはるかに楽だった。

『声に出して読みたい日本語』では取り上げた60~70のテキストを選ぶために捨てたものが膨大にある。

さらにその解説を書くために参考書を何冊も読まなくてはいけなかったし、文章をページの区切りごとに終わらせる、というシンプルな形にまとめあげるために想像を絶する努力を要した。

まさに裏段取りに支えられて、あの本は完成したのだ。

9メイキングビデオは「段取り力」トレーニングに最適

「段取り力」をつけるには、裏の段取りを見通せるかどうかが非常に重要な差になってくる。

裏段取りを見抜くトレーニングとして、メイキングビデオが面白い。

映画の作品を作っていくときのプロセスを一つの商品にしたものだ。

私はスタジオジブリの『もののけ姫』のメイキングビデオを見たが、膨大なものだ。

発想の段階からキャラクターデザイン、色の選択、コピーの作り方など、でき上がりからは想像できないくらい細かい段取りがあって、膨大なエネルギーが注入されていることが分かる。

スタジオジブリの場合、その流れがかなり完成されている。

行き当たりばったりでなく、大きな流れでしっかり仕上がっていくシステムになっている。

私が面白いと思ったのは、メイキングビデオそのものが商品になって売り出される時代になったということだ。

アニメや小説のファンには2通りあって、出てきた現物を純粋に楽しむファンと、それを自分で作る立場になって、準備はどうだったのか、キャラクター作りや声優選びはどうしたのかというような見方で楽しむファンがいる。

メイキングビデオを買う層は後者にあたる。

私はそのどちらでもなく、ただああいう質の高いヒット商品が生まれてくる段取りを見て、ものの作り方を学びたいと思ったのだが、メイキングシリーズをうまく使うと裏段取りを見抜く目が養われる。

メイキングを見るとき、裏話を知りたいと思ってみるのもいいが、「段取り力」という観点で見てみると、恰好の「段取り力」トレーニングになるだろう。

テレビで放送されていた『料理の鉄人』(フジテレビ系列・1993―2002)は、番組自体がメイキングを見せる趣向で成り立っていた。

今まで料理は食べるだけで、上手な料理人の作業を見ることはできなかったが、それを素材選びやメニュー作りから調理、盛りつけまですべて見せてもらえた、という意味では非常に現代的な番組だったと言える。

料理以外の分野の人も、あの番組からヒントを得た人は多かったのではないだろうか。

今は自分の領域だけをやっていればいいのではなく、作っていく段取りをいろいろな分野から吸収し、「段取り力」を練り上げていく時代に来ているのだ。

『料理の鉄人』はその象徴だった。

段取りにシフトしてメイキングビデオを見ると、スタジオジブリの宮崎駿とプロデューサーの鈴木敏夫との関係がよく分かる。

2人の力がどのように作用したから、この作品がヒットしたのかが見えてくる。

ちょうどホンダの本多宗一郎と藤沢武夫との関係にも似ている。

本多宗一郎は自分のアイディアでガンガン社員を引っ張っていき、あまり経営のことを考えなかった。

しかし藤沢はひたすら経営のことをきっちりやった。

表と裏の段取りがうまくかみ合ったから、世界のホンダになれたのだ。

鈴木プロデューサーと宮崎駿監督の関係もそうである。

商品として売り出すのは鈴木の仕事、よい作品を作り出すのは宮崎の仕事である。

10倍率を変えるように物の見方を変えてみる

段取りとは、質的に違うものを組んでいくことだ。

だからこの期間は何をやる、それがどこで変わるのか、ということを大きく区切ることができなければ、段取りを組むことができない。

質の違いを見分けながら段取りを組むことが「段取り力」には大切だ。

私は授業で、学生に課題を与え段取りを書かせてみるのだが、同じ質が続いているのに、それを違う段取りとしてあげてしまうことがよくある。

12個の手順があったとして、4つずつは同じ種類の質であれば、段取りとしては大きく3工程であり、その中に1-1・2・3・4があり、2-1・2・3・4、3-1・2・3・4があるのだが、すべてを1、2、3、4と並列して12個並べてしまう人がいる。

まずは全体を3工程だと見抜く力が必要なわけだが、それを12工程だととらえてしまうような人は「段取り力」は弱いはずだ。

「段取り力」を鍛えるには、望遠鏡や顕微鏡の倍率を変えるように物の見方を変えてみることだ。

細かすぎる物はあえて見ないようにすることによって、構造が見えてくる。

起こったことを時系列に、ただ並列して12個メモしてしまうのではなく(メモをしないよりはいいが)、4つずつ同質の3工程でできているという構造を見つけられるような発想に切り替える。

倍率を大きくして全体を見渡してみると、場所ややり方がはっきり変わる瞬間が分かる。

質的な変化が起きた後と前では明らかに違う。

その質的な変化がどこで起きるのかを見越すことが段取りを組むときのコツだ。

これが分かれば、その大きな段取りの中では、同じ質の作業をし続ければいいので、楽にできる。

見通しもあるので、不安にもならない。

余計なことを考えないのは、仕事が速く上手にできる人の特徴のような気がする。

高度な仕事をしているのにもかかわらず、考え方は実にシンプルなことが多い。

自分のやっていることを単純化できるので、無駄な脳のエネルギーを使わない。

しかし、仕事ができない人は、こんなことをやっていても大丈夫なのだろうかといろいろ考え過ぎてしまい、そのことで脳のエネルギーを消費してしまい、ことを成すまでの量的な蓄積ができない。

だから仕事が遅い。

根気よく続けて量を蓄積しブレイクスルーする人は、根気がいい性格だったと言うよりは、むしろ見通しのよさに支えられていると言ってもいいだろう。

どんな人でも見通しのないことに関して根気は出せない。

勉強に根気が出せない人間でも、好きな趣味の分野では恐ろしいくらい根気を見せる。

根気強いか否かではなく、それが楽しいか楽しくないかである。

楽しい見通しが立てば、根気が続く。

高校野球や高校サッカーではそれがはっきりしている。

いい監督がいる学校が一番強い。

その監督が違う学校に移れば、そこが県下で一番強い学校になる。

なぜかというと、生徒が皆、その監督の段取りを信じているからだ。

監督の言う通りにして、ひたすら努力をしていれば、間違いなく甲子園に行ける。

だからがんばる。

生徒の質以前に、その監督の「段取り力」が優先されているわけだ。

それを信じて、努力をするので、いっそうよい循環が生まれてくるのだ。

根気や根性、やる気や持続力といったものは、段取りの確信があってこそ加速する。

11「ずらし重ね」の技「段取り力」の技の中に「ずらし重ね」の技がある。

いい例が、出版でいう日刊、週刊、月刊、季刊、年刊のサイクルだ。

これを仕事にあてはめれば、1週間でやる仕事もあるし、月間で毎月やらなければならないものもある。

全部が同じ時期に重ならないよう、ずらしながら重ねて段取っていくやり方が「ずらし重ね」だ。

タイムスパンの異なる段取りをうまく回していくわけだが、それぞれの段取りに優劣があるわけではない。

友達にも年に1回会うのがほどよい人と、季節に1回くらい会う人と、毎週会う友達がいる。

しかし、年に1回の友達は毎週会っている友達より大事ではないかというと、そうでもない。

それと同じだ。

私は今、週刊誌の連載を抱えているので、週単位で追われている仕事があるが、それと並行して月刊誌、季刊誌、1年でやる研究、5年でやる研究、10年かけてやる研究にそれぞれ分けて回している。

ものによって仕上がるタイムスパンが違うから、ウイスキーの仕込みと同じで、12年ものを作るのであれば早めに仕込まなくてはいけない。

やみくもに目の前に現れた仕事をこなしていくのではなく、これはどれくらいのタイムスパンで仕上がるのだから、いつごろから取りかかっていつごろに終えるかという大体の見通しを立てて、それぞれの段取りを重ねていく。

それぞれの段取りのずらし方が重要だということだ。

「ずらし重ね」の技を習得するのに、手帳はひじょうに優れた道具だと思う。

手帳を見ていると、1日、1週間、1か月、1年という単位が図形として頭に入ってくる。

私は1週間ごとになっている手帳を使っているので、1週間が基本の単位になる。

そこに3色のボールペンで、スケジュールを重要度に応じて色分けしてある。

それを四角で囲うようにしているのだ。

四角で囲った中に、やらなければならないことを書き込む。

すると「この時間のこのパックが終わればあとは楽」という具合に、ビジュアルに見通しが分かる。

非常に便利だ。

私は手帳を見る時間が大変長い。

電車の中でも、会議の最中でさえ手帳を見ている。

それはシミュレーションをしているからだ。

手帳を見ているとけっこう精神衛生にいい。

追い込まれていても、手帳を見ることで整理できる。

もし手帳なしで生活したら、脳が混乱して、ものすごいストレスに陥っていただろう。

最近は電子手帳を持つ人も多いが、仕事に追われている私が、この小さな手帳1冊で用を足せるということは、手帳は意外に原始的なようでも機能的なのだろう。

コンパクトだし、書き込めるし、色もつけられる。

1週間を色つきで把握し、何度でも見返して、いつも臨戦態勢に意識を持っていくことができるのは、手帳のよさではないだろうか。

手帳の効用はそれだけではない。

繰り返し手帳を見ることで、ずらし重ねの技が上達する。

1週間の動きはこう、1か月の課題はこう、1年の課題はこう、という具合にタイムスパンでさまざまな段取りが考えられる。

大枠の中で物事を考えながら週単位、月単位、年単位でグレード分けをしていけば、崩れが少ない段取りが組めるようになるだろう。

私の場合、仕事はできるだけ前倒しでやってしまう。

たとえば10月でも12月でも出版できる本なら10月に出してしまう。

すると11月と12月が活きることになる。

もちろん12月までかけて出してもいいのだが、2カ月早く終えることで、新しい現実が生まれるのだ。

その本が成功する、あるいは失敗するにしても2カ月早く結果が分かるから、次の仕事に活かすことができる。

仕事が高速回転に入っていくのだ。

前倒していくとなると、どうしても段取りを上手に組まなければならなくなる。

10月に出すために逆算して追い込まれた感じで仕事をやるので、非常に効率的だ。

反対に余裕を持った計画はかなり危険だ。

下手をすると本が出ないことがある。

2カ月ずつのずれがどんどん大きな違いになっていってしまうことがあるのだ。

エピローグ「段取り力」は領域を超えるものである。

何かに秀でた「段取り力」があれば、必ずそれは他のものに応用できる。

料理を例にとると、料理の段取りとは素材を集めてくる段階から始まって、片づけまで含んでいる。

上手な人は料理が終わったときには片づけまで終わっていることが多い。

そういう時間的な順序はもちろん、素材の組み合わせや優先順位、あるいは万一、素材や調味料の一部がなくても、とっさの判断でクリアして最終的な形にする。

そうした「段取り力」のいろいろな局面が料理に出てくるのである。

料理が得意な人は、仕事をすべて料理の比喩で見てしまえばいいわけだ。

要するに、自分の得意なものの比喩で他のことも見ていけばいい。

自分の得意なスタイルで仕事をするのが一番エネルギーを発揮しやすい形だから、ヴァイタリティが生まれるだろう。

好きな領域でも自分のスタイルがつかめないとエネルギーが出し切れないが、得意なもののイメージで向かうと、いつもの自分の得意なスタイルで臨むことができるのでうまくいく。

段取りを組むときに、段取り同士の間に極端な違いがあることはない。

世間が思うほど領域ごとの才能に差があるとは、私は思わないのだ。

会社経営とスポーツ体験の関連がいい例だ。

両者はまったく無関係の領域だが、経営者に聞くとスポーツの体験が自分のバックボーンになっている人が多い。

特に山登りはバックボーンになりやすい活動のようだ。

何人にも聞いたことがあるが、山に登るには「段取り力」がとても必要だそうである。

日帰りでさえも、時間を設定し自分の力量を推し量って行程を決定する。

ましてや泊りがけの登山なら、「段取り力」がないと遭難してしまう。

山の何合目まで登るのか。

そのために何を準備していかなくてはいけないのか。

私だったら山に登り始めてから、あわててテントを買いに行くというようなことをやりかねないが、山登りをやる人は、そういうことのないようにあらかじめきっちり決めて臨むわけである。

何しろ命がかかっているから、「段取り力」は鍛えられる。

経験とはそのまま仕事に活きるものだ。

誰でも思い当たると思うが、学生のときエネルギーを注ぎ込んでやった活動が後の人生で必ず活きてくる。

その経験で根性を養ったという言い方もできるが、そこで「段取り力」を養ったから、今自分はその「段取り力」に助けられていると思うようにすれば、話は精神論だけに陥らない具体性を持ってくる。

気の持ちようも大切だが、どんなにやる気にあふれて前向きになろうとしても、「段取り力」がないと空回りする。

そのうちにあまりうまくいかなくて、やる気も失う。

やる気とは、段取りがうまく回転することによって増幅してくるものだと私は思う。

やる気のあるなしを最初に問うより、「段取り力」をうまくつけていくほうに力を注ぐべきだ。

これは、子どもを教えていれば明らかに分かる。

子どもに最初からやる気があればいいのだが、そういう子どもばかりとは限らない。

しかしやる気は、教師が段取りを組んで、上手に誘い込んでやれば、どんどん引き出されてくる。

やる気とは「段取り力」の中から生まれてくるのだ。

だから自分の中にある「段取り力」に目覚めることが、「段取り力」を技化する第一歩である。

自分の中に必ずいい「段取り力」があったはずという確信のもとに探してみる。

探すときは「あるかもしれない、でもないかもしれない」と思って探すと、たいがい見つからないが、「必ずある」と思って探すと見つかるものだ。

この世の中に「段取り力」のない人はいない。

皆、それぞれ生活して、生きているのだから、何らかの「段取り力」が必ずあるはずだ。

自分なりのいい「段取り力」は何だろうと、まず考えてみよう。

仕事ではダメだが、趣味の領域になったとき、恐るべき「段取り力」を発揮する人がある。

映画化もされたが『釣りバカ日誌』という漫画に登場する主人公のハマちゃんは会社ではまったく仕事ができない無能のサラリーマンだ。

ところが釣りになると恐ろしく手回しがいい。

そこで、皆がハマちゃんを頼ってくるというストーリーだ。

自分は全部がだめなのではなく、ある領域においては恐るべき「段取り力」を発揮していることに気づけばいいのだ。

「ああ、これも段取り力なんだ」と分かると、自信が出て前向きに取り組めるようになる。

自分が得意な「段取り力」を仕事にも応用していけばいいのだ。

ハマちゃんなら釣りのイメージを仕事にあてはめていけばいいのである。

自分が得意とする比喩で、無理やりにでも全部を見てしまう。

そこに領域を超えて「段取り力」を磨いていくコツがある。

齋藤孝(さいとう・たかし)一九六〇年、静岡県に生まれる。

東京大学法学部卒業。

同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。

専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法。

『身体感覚を取り戻す』で、二〇〇一年、新潮学芸賞を受賞。

暗誦、朗誦を提唱する『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞受賞)がベストセラーとなり、話題を呼ぶ。

『質問力』『コメント力』『恋愛力』『子どもたちはなぜキレるのか』『「できる人」はどこがちがうのか』『読書力』『齋藤スタイル』『絶対感動本50』『三色ボールペン情報活用術』『理想の国語教科書赤版』『スラムダンクな友情論』『スポーツマンガの身体』『自己プロデュース力』『齋藤孝の実践!日本語ドリル』『ちびまる子ちゃんの音読暗誦教室』『CDブック声に出して読みたい日本語』など、著書多数。

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