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「砂時計」の砂の音に耳を傾ける/一瞬

「砂時計」の砂の音に耳を傾ける若き日に「死生観」を身につけるためには、もう一つ、方法があります。

それは、「砂時計」の砂の音に、耳を傾けることです。では、「砂時計」とは、何か。それは、皆さんのそばにある「砂時計」です。

しかし、この「砂時計」は、目に見えません。けれど、この「砂時計」の砂は、さらさら、さらさら、いま、落ち続けています。そして、この砂がなくなったら、命は終わる。この砂が全部下に落ちたら、この命は終わりなのです。

皆さんの命も、終わり。私の命も、終わり。だから、その「砂時計」の砂の落ちる音に、耳を傾けてください。

しかし、この「砂時計」は、目に見えない。そのため、この「砂時計」の残りの砂の量は、分からないのです。

もちろん、「平均寿命」という言葉は、世の中にあります。

しかし、「平均」や「統計」という言葉ほど、我々に幻想を与える言葉はありません。平均寿命が八〇歳と聞くと、自分も八〇歳まで生きると、無意識に考えてしまう。

しかし、実は、誰も、それを保証していない。私もすでに、同世代の友人を、何人も失いました。平均寿命から見たら早い年齢ですが、逝くときは、逝く。

だから、分からないのです。この砂時計の砂が、いつ落ち切るか。誰にも分からないのです。

そのことを思うとき、一つの言葉が心に浮かびます。一期一会。良い言葉です。そして、この言葉は、誰でも知っている言葉です。

しかし、この言葉は、難しい言葉です。何が難しいか。この言葉の意味を「理解」することは、決して難しくありません。

この言葉の意味を「体現」して生きることが、難しいのです。例えば、この講義での皆さんとの出会いも、今日これ限りかもしれない。

「では、また来月」と言って別れても、次は来ないかもしれない。紀野一義師の修行のごとく、本当に、明日はないのかもしれない。

しかし、誰もが、根拠のない期待感の中で、生きている。そうは言っても、明日もある、来月もある、来年もある。一〇年後も、二〇年後もある。誰もが、そう思っている。

その根拠のない期待感だけで、皆さんも、私も、生きている。

しかし、本当は、「一期一会」です。だから、私は、本気で「一期一会」と思い定め、この場を務めています。

もちろん、来月もお会いしたい。けれども、実は、今日これ限りかもしれない。しかし、もしそうなっても、悔いはない。

今日の講義に、全力を尽くしました。それだけは、悔いがありません。皆さんとの、この一度の講義の、深いご縁。

全身全霊で、力を尽くしました。その言葉を言える自信は、あります。だから私は、今日、最初から全力投球をしている。なぜか。それが、礼儀だからです。

相手に対して、全力を尽くす。それが、皆さんに対する礼儀です。そして、それが覚悟だからです。

いつ、砂が落ち切っても、悔いはない。それが、私の覚悟だからです。

私にもまた、「砂時計」の砂の音が、聞こえています。だから、皆さんもまた、「砂時計」の砂の音に、耳を傾けていただきたい。

皆さんのそばにある、目に見えぬ「砂時計」。それを忘れないでいただきたい。皆さんの「砂時計」も、いつ砂が落ち切るか、分からない。

されば、その「砂時計」の砂の落ちる音に、深く耳を傾けながら、日々を過ごしていただきたい。

しかし、これは決して、暗い話をするために申し上げているのではない。逆です。

もし、その砂の音に、深く耳を傾けることができるならば、我々は、この一瞬を、最高に充実して生きることができる。

最高に光り輝いて生きることができる。そのことを、申し上げたいのです。

だから、今夜、床に入って寝るとき、考えていただきたい。今日という一日を、精一杯に生き切っただろうか。そのことを、考えていただきたい。

今日という一日を、精一杯に生き切る。これは「生きる」ではなく、「生き切る」です。この「生き切る」という言葉の、「切る」という意味は、何か。

それは、決して悔いのない一日を過ごす覚悟を、意味しています。今日という一日は、今日しかない。だから、このかけがえのない一日というものを、どれほど大切にして、生きたか。

そのことを考えるということです。そして、この「砂時計」の砂の音に耳を傾けるとき、やはり大切なのは、「想像力」です。

例えば、「三〇日と三〇年」という話があります。「想像力」を働かせて、考えてみてください。

ある日、皆さんが、体の調子を崩して病院に行く。そこで、精密検査を受け、医師の診断が下されます。お気の毒ですが、末期癌です。そう、医師が宣告します。皆さんは、すぐに聞くでしょう。

先生、あとどれくらい生きられるでしょうか。医師が答えます。あと三〇日の命です。

そうした状況を想像してみてください。

皆さん、「あと三〇日の命です」と言われたら、どのように今日を生きるでしょうか。あと三〇日しかない。

その一日が今日だと思ったら、今日という一日を、どのように生きるでしょうか。おそらく、皆さん、一日一日を、一生懸命に生きていかれるでしょう。

あと三〇日となったら、遺言を書き、身辺を整理し、家族と一緒に想い出の旅に出る。

また、お世話になった方々一人ひとりに、心を込めて挨拶をする。そうして、瞬く間に三〇日が過ぎていき、終わりがやってくる。おそらく、そのようにして、生きていかれるでしょう。

一日一日を慈しむようにして、生きていく。一日一日を抱きしめるように、生きていく。

それは、ほんの少し想像力を働かせれば、お分かりになるでしょう。

しかし、人間の心とは、不思議なものです。医師からこう宣告されても、皆さん、動じないのです。あと三〇年の命です。

あなたの命はあと三〇年、と言われても、驚かないのです。

しかし、この二つに、違いがあるのでしょうか。三〇日と、三〇年。その二つの時間の長さに、違いがあるのでしょうか。本当は、違いはない。そのことに気がつくか、否かです。この二つに、違いはない。

三〇日でも、三〇年でも、「砂時計」の砂は、どんどん落ちていく。今日一日分の砂が落ちた、この「砂時計」。かけがえのない一日分の、砂が落ちた。だとすれば、自分はこの一日を、どれほど真剣に生きただろうか。

どれほど一生懸命に生きただろうか。どれほど悔いなく生きただろうか。そのことを考えるべきでしょう。

しかし、こうした話は、聞いていて、あまり愉快な話ではない。どこか、つらい思いが湧き上がってくるでしょう。

けれど、耳をふさがれても、目をふさがれても、私の申し上げたことは、真実です。

皆さんのそばにある、目に見えぬ「砂時計」。その砂は落ちている。どんどん落ちている。そして、かけがえのない一日、一日が、過ぎていく。

では、どのように生きるか。

そのことを考えることから、原点が生まれてくるのです。「思想」というものの、原点が生まれてくるのです。

それが、「仕事の思想」の第一の原点です。

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