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序章求―――ナポレオン・ヒル博士の「成功哲学」が完成されるまでの軌跡思考は現実化する!

ナポレオン・ヒル財団よりあなたに()本書はナポレオン・ヒル財団が版権を所有するナポレオン・ヒル著、『アクション・マニュアル付‘THINK AND GROW RICH’』の改訂新版である。

この改訂新版の『思考は現実化する』は、これまで出版された‘THINK AND GROW RICH’のいくつかのバリエーション(日本語版では『成功哲学』という名で出されていた)の中で、最も新しく、かつ最も優れたものとして評価されている。

とりわけ注目すべき点は、レベルをまったく落とすことなく、しかも最も理解しやすく、かつ洗練された内容となっているところであろう。

また説明もこれまでのものより詳細になっている。

しかしヒル博士も言っているように、本書をただ漠然と読むなら、いくら最良の書物といえども、ただそれなりの知識がいくらか吸収できるに過ぎないだろう。

「なるほど、これは素晴らしい内容の本だ!」という程度なら、あなたの心はしばしの間、くすぶるだけで決して燃えあがることはない。

燃えあがるエネルギーというものは、それが物であれ心であれ、他人がどうこうしようもないほど強烈なものである。どれほど強烈か。

たとえばこんな森林火災防止用の標語がヨーロッパにはある。

樹木一本作れるマッチは百万本マッチ一本燃える樹木は百万本。百万本の樹木があれば、百万×百万で一兆本のマッチができる勘定になる。

結局、燃えた一本のマッチは、燃えていない一兆本のマッチの運命を左右することになる……。

※燃えるマッチになって、燃えていない一兆本のマッチを燃やすこと。

燃えにくいマッチでも、何度か擦っているうちに火はつくものだ。人間の心というのも、どちらかというと、燃えにくいマッチのようなものである。

※燃えにくいマッチを燃やせる人間になること。

だから何度か心を擦る必要があるかもしれない。つまり再読だ。

※再読して燃やし続ける。行動に移し続ける。

そうして時折、必要に応じて本書の太字の部分だけを読むとかエッセンスだけ読むとかすれば、効率は必ずあがるものだ。

アンドリュー・カーネギーが基礎を作り、ナポレオン・ヒル博士が発展させ体系化したこの著名な成功哲学は、W・クレメント・ストーンに引き継がれ、現代社会に生きる経営者、ビジネスマンも数多くこれを活用し、大きな成果をあげている。

十分に吟味され、検証された、この他に比類のないノウハウは、一つの体系的な真理であり、したがって洋の東西を問わず、また時代をも超越した人類共通の財産といえるだろう。

※成功哲学は、普遍の真理。

今、知り得ている範囲で言えば、アムウェイ・コーポレーションの創業者のリチャード(リッチ)・M・デヴォス、大リーグ、アトランタ・ブレーブスのオーナーであり、二四時間ニュース・チャンネルで世界的なメディアとなったCNNのほか二局を持つTBS(ターナー・ブロードキャスティング・システム)の会長、テッド・ターナー、ビジネス誌『フォーブス』を発行するフォーブス・マガジン社会長のマルコム・フォーブス、社会教育家のノーマン・ヴィンセント・ピール博士、アール・ナイチンゲール博士、オグ・マンディーノ、クライスラー社のリー・アイアコッカ、米国の大手化粧品会社、メアリー・ケイ・コスメティック社会長のメアリー・ケイ・アッシュ、ドミノ・ピザ・チェーン店、ドミノ社の創立者のトム・モナハンなど、錚々たるメンバーがナポレオン・ヒル博士の成功ノウハウの具現者としてナポレオン・ヒル・ゴールドメダルを受賞している。

ナポレオン・ヒル財団の日本での活動は、これまで二、三冊の書籍を(間接的に)出版した程度で、財団自身の活動はまったくなかった。

しかし現在は、ナポレオン・ヒル財団アジア/太平洋本部の開設により、日本の経営者、ビジネスマン、ビジネスウーマン、セールスパースン、また自由業の人々向けに、ナポレオン・ヒル博士の持つすべての成功ノウハウを体系化したコンプリート・プログラム(日本語版)をはじめとして、ヒル博士に関するすべての書籍を刊行し、またナポレオン・ヒル・セミナーや各種セミナーを実施するなど、積極的な活動を展開している。

最後に、本書を立体的に理解するために、ナポレオン・ヒル博士の著『心構えが奇跡を生む』(きこ書房刊)をぜひ併せ読んでいただきたい。

同書は、本書のより深い理解に役立つとともに、本書を補完する部分を多く含んでいるからである。

これらの書籍により、一人でも多くの方が成功の果実を自分のものとされ、〝一度しかない人生を充実して生きる技術〟を体得されんことを願ってやまない。

※成功するには技術が必要。

一九九九年三月三日補訂ナポレオン・ヒル財団アジア/太平洋本部理事長田中孝顕

思考は現実化する/目次『思考は現実化する』の出版に寄せてナポレオン・ヒル財団よりあなたに『思考は現実化する』の学習要領「ナポレオン・ヒル博士の成功哲学」の奇跡──W・クレメント・ストーンナポレオン・ヒル博士のメッセージ

序章求―――ナポレオン・ヒル博士の「成功哲学」が完成されるまでの軌跡

『思考は現実化する』の学習要領──ナポレオン・ヒル財団一、この本の特徴とその活かし方

目次

●誰をも成功へと導く

ナポレオン・ヒル博士の『思考は現実化する』の目的の一つは、第一に読者であるあなたが、すでに大成功者となった人々の頭脳となんら変わることのない優れた頭脳を持っていることを、はっきり確認すること(なぜなら、それは事実であるから)にある。

※大成功している人々と自分の頭脳はなんら変わることのない優れた頭脳を持っていることを認識・確認すること。

第二に、そのあなたの頭脳の用い方が、いくつかの点において間違っているのかもしれないことを本書によって確かめ、もしそうなら、この八〇年の歳月をかけた調査、研究、分析の集大成である本書、そしてナポレオン・ヒル・プログラムを学ぶことによって、確実な成功を収めていただくことにある。

※頭脳の用い方が、間違っていると成功しない。

本書は「考える脳力」(当然のことだが誰でも持っている)と「富(精神的であれ物質的であれ)を得たいという願望」を持つ人なら、誰をも成功へと導く不滅の哲学を紹介するものである。

※誰でも持っている考える脳力と精神的・物質的な富を得たいという願望を持つ人なら成功に導いてくれる哲学。

その哲学は、時代と国境を超えたノウハウ、そしてアイディアをたくさん含んでおり、進んでそれを実践する時間と努力を惜しまない人にとっては、非常に価値あるものなのである。

またこの本は、「何をなすべきか」ということばかりではなく、それを「どうすればよいのか」ということもわかりやすく具体的に教えてくれる。成功への道を歩むための方向づけをしてくれるのである。

さらに、活動計画を立てたり、ものごとを予想したり、感情や思考をコントロールしたり、客観的に考えたり、自分の精神状態を分析したりするための、健全で効果的なブループリントも提供してくれるのである。

また、『思考は現実化する』は、他人の考えを双方の利益のために利用する方法や、あなたのパーソナル・サービスを売る方法も教えてくれる。

つまり、成功へのプロセスであなた独自の潜在脳力を活かすためのさまざまな方法を教えてくれる本なのである。

●金儲けだけを目的にしたものではない

『思考は現実化する』は、金儲けだけを目的にしたものではない。それどころか、経済的自立以外のどこに素晴らしい富があるのかということを示している。

これは、あなたの人生、家族、仕事仲間、そして友人の間に調和をもたらそうという試みなのである。

※人生を豊かにする術。

そのうえ、あなた自身とあなたの愛する人々と世界中のすべての人々の至福のために、この広大な宇宙の中で実りある日々を送る助けとなる内面的調和──心の平安へと導いてくれる。

ということは、この本は驚くほど莫大な数の目的を包含するものだということになる。だからこそ、多くの成功を望む人々に多大な影響を与えてきたのである。

そして、この本に書かれていることを実践したときに、あなたの行うことのすべてにその効果が顕著に現れてくるのである。

●奇跡を起こすエネルギーはあなたの心の中にある

このことは奇跡が起こるという意味ではない。

そうではなくて、どうやったら奇跡ともいえるようなことを起こせるのかを、あなたに伝えるということなのである。

いうまでもなく、ここでいう奇跡とは、あらゆる超自然現象を指しているのではない。奇跡を起こすエネルギーはあなた自身の中に、つまり、あなたの頭脳と精神の中にすでに存在しているのである。

その存在とは、あなたの潜在脳力である。

※潜在能力を信じて刷り込み続ける。

そのような潜在脳力は誰でもが持っているが、潜在脳力はそれを具現化しない限り、どんなに素晴らしいものであっても無意味なのである。

※潜在能力を100%使用することを決意する。具現化しないと使用できない。具体的なイメージ。

●あなたのこぶしを開いてみよう

このことを一例をあげて考えてみよう。この話は、古代ギリシャ時代にまでさかのぼるのだが、アリストテレスのテキストにも出てくるものである。

まず、こぶしを作ってみてほしい。それは何なのか?ただのこぶしである。そのこぶしで何ができるだろうか?誰かを殴り倒したり、物を動かすことはできるが、そうたいしたことはできない。

そのこぶしを作る前は、もともと何だったのだろうか?答えは簡単である。「開いた手」である。そこで、こぶしを開いて、それで何ができるかを考えてみてほしい。

開いている手はいまや素晴らしい道具である。こぶしではできなかったことが無限といえるほど可能になるのである。あなたの心もそれと同じである。

※こぶしから手のひらにしてできることが無限になることを認識する。心も一緒。

今の時点では、あなたの心は固く閉ざされていて、ほんの初歩的なことしかできないかもしれない。

しかし、『思考は現実化する』を読み始めれば、こぶしが開いたようにあなたの心も開き始め、より柔軟性を持った、より有用な成功への道具となるであろう。

本書を基礎として、さらにナポレオン・ヒル・プログラムに進めば、あなたは完璧に成功へのエネルギーを蓄え、人生をより拡大、充実させることができるだろう。

●あなたの新しい未来を開いてくれる

それがこの本の力である。新しくて広大な、そして刺激的で魅惑的な視野を与えてくれる一方で、あなたの潜在脳力を拡大し、それを活かす方法を教えてくれるのである。

それは、あなたにまったく新しい未来を開いてくれるに違いない。素晴らしい未来、生産的未来、成功の未来なのである。

このナポレオン・ヒル博士の著書の中に、その秘密を発見したとき、あなたは、あなたの望むものを何でも手に入れることができるのである。

大自然の法則や他人の権利を侵さない限り、富でも何でも、すべてあなたのものなのである。

そのために支払う代価は物ではない。「考える」ことである。

「考える」ということは、じっくり学習し、熟考し、計画するということを含む広い意味合いを持っている。

※考える時間を確保すること。寝る前30分にシャワーの後に熟考。朝に確認する。

ここで、図書館にぼんやりと座っていた偉大な人物の話をご紹介したい。一人の友人が彼に歩み寄って言った。

「君はなぜ働かないのか?ここに座ってるだけじゃ何にもならないじゃないか。そこらじゅうにやることは山ほどあるのに、君はいったい何をしているんだ?」。

これに対してその偉大な男は、短いけれども深遠な答えを述べた。

「私は世界中でいちばん難しいことをしているんだ──考えることだよ」

※考えることことが一番大切で、一番難しいこと。

●「考える」習慣を身につけよう

そうなのだ。考えることは容易ではない。しかし、あなたがぜひ成功したいと願うのなら、考えることは絶対に必要なことなのである。

『思考は現実化する』から最大限の恩恵を得るためには、その代価を払わなければならないのである。

その代価──考えること、学ぶこと、計画を立てること、実行に移すことを準備していただきたい。

その習慣を身につけてしまえば、あなたの生活に変化が現れ、それによって、あなたの生活がさらに充実したものになるであろう。

それは、あなたが人生の試練や苦難に耐え、それから何かよいものを生み出す力が与えられるという意味である。どんな逆境の中にも、それと同等かそれ以上の、より永続的な利益の種子が含まれているのである。

ナポレオン・ヒル博士の『思考は現実化する』の中に、あなたは多くの疑問に対する答えを見出すだろう。そして、上手に計画し、自己分析と他人のアイディアから恩恵を受けることを学ぶはずである。

言い換えれば、あなたは自分自身を、つまり、あなたの中に眠っている莫大な潜在脳力を発見することができるのである。その脳力を使って学習し、計画し、そして考えていただきたい。

二、自己啓発書を読むときのコツ()

●自己啓発書の特徴

ここで、『思考は現実化する』だけでなく、一般的な自己啓発書を読むときのコツについて述べておきたい。

その前に、まずどのようなものが自己啓発書としてふさわしいか、という点について若干触れてみよう。最も注意すべき点は「内容が机上の空論」であるかどうかだ。

読む前に、このことを判別することは、少し難しいが、方法がないわけではない。まず第一に著者の年齢と経歴に注目すべきである。著者は物心ともに成功者というに堪えられそうな人物かどうか。顔写真が載っていたら、それも参考になるだろう。

ただ、著者が学者である場合、二つの問題が生じる。

第一に、心理学や大脳生理学、あるいはその周辺分野をマスターした教授や博士なら、ほぼ内容に信頼を置いてよい。

ただし、ゴーストライターが書いたものもしばしば出回っているので、なかなか判別は難しい。

それ以外の分野の専門家の場合は、その内容に、当人の実体験に基づいたものが含まれているかどうか、また含まれていても、それ以外の部分に他の啓発書の借りものが含まれているかどうかに、注意すべきである。

たとえば、ナポレオン・ヒル博士のノウハウを多く引用し、これに著者の解説をつける形態で本を書く者が今でもあとを絶たないが、これは正義に反する行為である。

最後に著者が実業家、宗教家として名をなしている場合は、その内容に信頼を置いてよい。単なる成功の研究家の著書というのはお勧めできない。

創造的な刺激を与えてくれる自己啓発の本には、ユニークな特徴を持ったものがたくさんあるが、読んで学習する際に、次のような特徴を理解していれば、その本からより多くのものを得ることができるだろう。

実際には、成功を手にした人々が著した自己啓発書こそ読むに値するものである。

その情報の主要な部分は、著者が直接体験したものであって、また聞きしたものではないので、読者であるあなたを、頭だけでなく心と感情で読み進ませてくれるのである。

数多くの参考事例や実例が示してあり、さまざまなアイデアやノウハウや概念や実在の人物が紹介されるが、その中の何人かの好ましい事例を選んで見習うことをお勧めする。

彼らは、成功するための代価を払った人々であり、あなたが「もう一人の自分」を探し出す道程を共に歩いてくれる人々でもあるからである。

もっとも、ただ頭の中でこねくりまわし、机上の空論を説く著者の「自己啓発書」は、何の役にも立たない。評論家が気まぐれに書いた「自己啓発書」も同様だ。

●アイディアやノウハウの活かし方

自己啓発書に内包されているアイデアやノウハウは、まるでショットガンのようにいたるところにちりばめられている。

どのページのどんな場所にも、一つのアイデアやノウハウを見つけ出す可能性があるのである。それらのアイデアやノウハウは、海岸の砂のように、そこここに散在している。

全体としては見事に融合する一方で、その一つひとつは、具体的な行動基盤を持っているのである。そのため、読者はそれぞれ異なったアイデアやノウハウを見出すことになろう。

慎重に自己啓発書を読むことが必要になるのである。自己啓発書のアイデアや説明は、サラサラと流れる山間の渓流のように書かれている。

その流れはどこでも同じ深さのように見えるが、よく見ると深い淵や浅瀬があって一様でないことがわかる。自己啓発書は読者の一人ひとりに固有のものを与えるのである。

したがって、何度もその本を読み返してみることをお勧めしたい。

※何度も読むこと。線を引く。メモする。まとめてシェアする。

●小説とは違う自己啓発書

自己啓発書の構成は、読者であるあなたを行動に駆り立てるように意図されている。

何かしら意義深いアイデアやノウハウに出合ったら、いったん読むのを止めて考えると、行動したくなるかもしれない。

その結果、自己啓発書は通常、小説のようには読まれないものである。小説では、その作者が結末をコントロールしているが、自己啓発書では、読者が結末をコントロールするからである。

また小説は、人生に大きな実りをもたらしてくれる場合もあるかもしれないが、たいていは、一服のトランキライザー(精神安定剤)の役割しか持っていない。

心の中で、別世界を楽しむのである。自己啓発書も読むと心躍るものである。

しかし、それでお終いにしてしまったら、やはり、一服のトランキライザー以上のものではなくなってしまうだろう。

しかしそれでは、得られる多くのものをページを閉じた時点で放棄するようなものだ。実行に移さなくては何の意味もない。またあなたは、自己啓発書の評論家になっていないかどうか、自分をチェックしてみよう。

※実行しなければ、実を結ばない。

評論家は批評こそすれ、そこから何かを学ぼうとする気構えはない。

三、『思考は現実化する』を読むときの具体的留意点

⑴アイデアは思いがけないところから出てくるものである。したがって、手元にメモ帳を用意して読むことが肝心である。重要なことは何でも、すぐに書き留めておこう。

重要な用語や言葉、文などにアンダーラインを引いたり、ページの余白に思いついたことを書き入れるのもよいだろう。

自分の欲しいものを常に考えながら読んでほしい。読みながら自分の探しているものを知るためである。

※大成功(会社が儲かる、自分も豊かになる、富む)

あなたに欠けているものや問題に対する答えが、この本の中にあるという信念を持って読んでいただきたい。前向きな期待を持つことが大切である。

自分のために書かれた本だと思って読んでほしい。それは、読者の一人ひとりに宛てた、著者からの秘密の手紙なのである。

たった一つのアイデアでも、それが行動に移されれば、あなたの人生が変わるということを覚えておいてほしい。

⑺「これは、私にとって何を意味するのか」という問いかけをするべきである。あなたはつねに、行動への踏み台を探しているからである。

考える時間がとれるように、ゆっくり読み進んでいただきたい。イマジネーションの中でアイデアが浮かんだら、それは自由に浮かぶがままにさせておこう。

⑼あなたはその本から「ハウ・トゥ(どうやるか)」について特に留意したいと思うだろう。よい自己啓発書は「何をするべきか」だけでなく、「それをどうやるのか」についても教えてくれる。その両方と、それらの関係に留意していただきたい。

⑽あなたは、その本を読むたびに、そこから示唆された何かを実践してみたくなるだろう。それは、あなたがその本を読まなかったら、決して起こさなかったであろう行動なのである。忘れないでいただきたい。

力となるのは、単なる知識ではなく、応用された知識なのである。自己啓発書を読んで学習することの目的は、行動することにある。

※知識を会得し、知識を実行に移し、昇華させ、体に染みつかせる。

一つのアイデアやノウハウに根ざした行動である。本の中に理解できない概念が出てきても心配する必要はない。理解できるものを行動に移しさえすればよいのである。

四、『思考は現実化する』はあなたを変える!

『思考は現実化する』は、あなたがこれからやろうとすることのすべてについて手助けをしてくれる本である。まさに、あなたの人生を変える一冊だといえるだろう。

この本が明かす秘訣を吸収し、自分のものにすれば、あなたは、間違いなく永続的な成功の秘訣を手に入れたことになるのである。

富、地位、名声(これらを求めることに臆病になることはまったくない。知識人の中にはいたずらに富、地位、名声に対して嫌悪感を示したり、否定したりする人がいる。

確かにその言葉の中には若干の真理が含まれていることもあるが、多くは、そう主張することのカッコよさに酔っているのだ。

彼らの主張を受け入れたところで、それは何の利益もあなたにもたらさないだろう。ただし、富のための富、地位のための地位を求めるというのは間違いである。

これでは他人に何の利益ももたらさないからである。奉仕の心構えと実行は常に忘れてはならない。貴腐ワインというのがあるが、あなたは堂々と貴族たることを目指すべきだ。

恥じることは何もない)、その他特別に達成したいことなど、あなたの願望や目標が何であれ、もしあなたが、

  1. 真剣に成功したいと願っている──
  2. 容易にノウハウを利用できるように、徹底的にこの本を学習し、努力を続け──
  3. 自分の習慣になるまで、ノウハウを用いることを止めない──

ならば、かならず価値ある願望や目標を実現することができるのである。いかなる成功であれ、それは、成功を望む人々が学んで用いることのできる一つの公式に集約することができる。

この『思考は現実化する』のノウハウを活用することによって、あなたは、自分の願望や目標を実現することができるのである。間違いなくあなたは、それを実現させるであろう。

なお『思考は現実化する』は、ナポレオン・ヒル・プログラムの中で最も基礎的な地位を占めている。

より成功を極め、レベルアップをはかりたい人のためにはPMA、HSS、あるいは財団推薦の各種プログラムが用意されている。

関心のある方は用いるとよいだろう。そこにまったく新しい世界を発見するに違いない。

「ナポレオン・ヒル博士の成功哲学」の奇跡W・クレメント・ストーン

●願望とは、夢を現実に変えていくことである

私はナポレオン・ヒル博士のこの『思考は現実化する』、そしてこの本の内容をより深く掘り下げ、成功に関する実践的ノウハウとして燦然たる栄誉に輝くコンプリート・プログラム(PMAプログラムとHSSプログラムの総称)の奇跡についてあなたにお話ししたいと思う。

今日という日は、あなたの生涯の中でも最も重要な一日になるだろう。なぜか。それは、今日はあなたがナポレオン・ヒル博士の、成功に関する哲学を知る術を知った日だからである。

私の一生の中でも、本書の旧版を手にした一九三七年のある一日が最も重要な一日となった。あなたもまたこの最新版の著書を読むことによって、いろいろな奇跡と出会うことになるだろう。

そしてさらに、ナポレオン・ヒル博士の実践的成功ノウハウの全容を明らかにするコンプリート・プログラムへとお進みになることをお勧めする。

では奇跡とは何だろうか。奇跡とは「不可能だと信じられているゴールを達成すること」である。

※奇跡=不可能だと信じられているゴールを達成すること

到達不可能だと思われているゴールでも、本書そしてコンプリート・プログラムによって、それは実現可能となるのだ。

私を含め、これらのプログラムで人生が変わるほどに影響を受けた人々が無数に存在することが、何よりの証拠だ。

しかしそのゴール、またそのゴールに到達するための手段は合法的なものでなければならないことはいうまでもない。

ここで足を持たずに生まれた、ある男性の経験を話してみよう。

彼は、ナポレオン・ヒル博士が確立した成功ノウハウを理解し、コンプリート・プログラムを十分に活用した。

そして、現在彼は、彼にとってはとうてい不可能と思われたゴールに向けてたくましく、また誇らしげに前進している。

ヘンリー・ヴィスカーディ・ジュニア博士はヒューマン・リソーセス・センターを設立し、また身障者のために多大な献金をしたという業績により、一九八四年にナポレオン・ヒル・ゴールドメダルを受賞している。彼は受賞の際に次のように語っている。

「私はナポレオン・ヒルという偉大な名前のついたこのメダルを受賞することができ、深く感謝しております。

私は足を持たずにこの世に生まれました。そして私の生涯の最初の七年間は、病院の中で育てられました。

二七歳になるまで、つまり今、私が身につけている義足をつけるまでは、立ち上がることすらできませんでした。その間私は、重い障害を持った子どもとして、つらい生活と闘ってきました。

私の青年期は暗く悲惨なものでした。私は子どものころ、母に、『どうして僕はこうなの?』と聞いたときの母の答えをよく覚えています。

母は彼女なりの知恵で、このように説明してくれたのです。

『世界でまた、足のない少年が一人生まれなければならなくなったのよ。天国で神様と天使たちは、どの家族にその少年を送り込んだらいいか、話をしたの。そのとき神様は、ヴィスカーディ家が、そういう少年を送り込むのに最もいい家庭だ、と決めたのよ』というのです。

私はアメリカに住み、そしてこの国は私の理想を育んでくれました。この国は私に障害者としてではなく、他の人とまったく平等な一人の人間として自分の運命を切り開いていく、自由な機会を与えてくれました。

つまり、愛する女性と結婚する自由、それから自分のやりたいことができる自由です。何年も前のことですが、ある一人の医師が私の人生に大きな変革をもたらしてくれました。

彼は初めて私に義足をつけてくれ、まっすぐ立つことを可能にしてくれたのです。そのとき私は、義足の代金を支払うことができませんでした。

しかし医師は私にこのように言ったのです。

『私が君にしてあげたことを、君がもう一人の障害を持った人に対してしてあげられるならば、それで十分です』そして今、私はここで皆さまに次のようなお約束をしたいと思います。

この世に保証よりもチャレンジを好み、生きることのスリルを味わいたいと思っている障害者が一人でもいたならば、私はその人のために、私のエネルギーのすべてを捧げたいと思います。

願望や目標を持つのは義務であって、決してぜいたくなことではないのです。願望とは、夢見ることではなく、夢を現実に変えていくことなのです。

夢を持って、その夢の実現のために代償を支払う用意のある人は、幸せだと思うのです。私はありふれた人間ではありたくないのです。私は安定を求めるのではなく、機会を求めたいと思います。

そして願望を明確にし、人生設計をし、自分の目的のために冒険したいと思っています。私はほどこしを受けたくはありません。私は〝自由〟を、どんなものとも引き替えにしたくありません。また他人の奴隷にもなりたくはありません。おどしにも屈しません。

私は自分で考え、行動したいと思いますし、自分がこの世に生まれてきたことの恩恵を享受したいのです。

私は堂々と世間に顔を向け、自分はこれだけのことをやったんだ、と言いたいのです。

私はあなた方に対して願っていることがあります。それは障害者に対して願っていることとまったく同じです。

私はあなた方に対して、そしてまた障害のある人に対して、将来の成功と幸福を祈りたいと思います。しかし、世間でいう成功とか幸福というのは、あまりにも安易すぎます。

私が強く願うのは、あなた方の生涯の残りの年月の毎日毎日が、真に意味あるものであってほしいということです」聴衆の多くは目に涙を浮かべ、立ち上がってこの男性に拍手喝采を送ったのであった。

●強い意欲を伴った願望は奇跡を生む

何年か前になるが、私は徹夜である人の願望に対して祈った。そしてその翌朝、私もまた素晴らしい願望を持とうと決心したのである。そのときの私の願望は、今もまた今後も変わることはない。

それはこの世界を、将来を、子孫にとっていっそう住みやすいものとする、ということであった。その願望は今や世界のあちこちで達成されつつある。

私の娘、ドンナ・ストーン・ペッシュもやはりナポレオン・ヒル博士の書籍およびコンプリート・プログラムから学んだ一人である。

そしてこの本やプログラムに述べられているノウハウを学び、応用して、願望を達成しようと心に決めたのである。

かつて、世間一般では、子どもに対する暴力というものは、貧しい階層の中だけで起こる極めて珍しい出来事だと考えられていた。

しかし一部の専門家と私の娘ドンナはそうは思わなかった。ドンナはどんな子どもも暴力を受けることがあってはいけない、と考えたのである。そしてその気になれば、子どもに対する暴力を防ぐことができる、と考えたのだ。

彼女は熟考した末、一つの結論を得た。それが「子どもへの暴力を予防する全国委員会〝NCPCA〟」の設立だった。ドンナは膨大な時間とお金を投資して、この組織をシカゴで発足させたのである。

それはやがて全国に多くの支部を置くまでになった。さらに彼女は全国広告評議会を促し、NCPCAの後方運動を支援する約束をもとりつけた。

その結果、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、広告を通して、子どもへの暴力に対する認識を深めることができたのである。

●ナポレオン・ヒル哲学の第一原則

はっきりとした願望や目標を持つこと、そしてこの価値ある願望や目標を達成するために、燃えるような意欲を育むこと。

これこそが、「ナポレオン・ヒル博士の確立した成功哲学」の第一原則である。ヒル博士は、これこそがあらゆる成功への出発点だと述べている。コンピュータはあなたの頭脳、神経系統と同じような機能を持つように設計されている。

もちろんその精密さと複雑な働きという点では月とスッポンだが、それはさておき、あなたが所有している脳という人間コンピュータでは、あなたが思考を指示し、感情をコントロールし、そして運命を定めることができる。

この優れた脳力を発揮するためには、当然のことながら犠牲を払わなければならない。その犠牲とは〝時間〟である。毎日、わずか三〇分間、創造的な思考の時間を持つようにすること。

※30分間、創造的な思考の時間を持つ。

その間は、あなたの願望や目標に意識を集中するのだ。重要なことは、あなたの願望に意識を集中するということである。そして自分が望まないことは絶対に考えないようにする。

※願望や目標に意識を集中。自分が望まないことは絶対に考えない!

といっても、どうしても浮かんでくるときは、あえて押さえ込もうとはせず、無視して、自分の望むことにさりげない注意を払うようにすることだ。

※望まないことが浮かんだら、押さえ込まずに無視する!

そして、朝起きたとき、また日中、さらに就寝前に、できるだけ頻繁にあなたの願望(目標)を思い浮かべる習慣をつけるようにするとよい。

※朝起きた時、昼の後、就寝前に願望を思い浮かべる習慣を作る。

あなたの大脳コンピュータは、繰り返しの行為によってプログラムされるようになっているからである。

※繰り返し刷り込むことでプログラムされる。

●無数の成功者を輩出したヒル博士の成功ノウハウ

人生では、よほど慎重かつ大胆に企画し、かつ行動しない限り、希望するものを確実に手に入れることはできない。

※慎重かつ大胆に企画し、かつ行動する。しないかぎり希望するものを手にすることはできない。執着心、執念。

そしてまた、あなたの願望や目標に対して、どれだけの進展があったのかを毎日チェックすることも、不可欠の条件なのである。

※プログラムの進捗確認。就寝前に進捗確認。

あなたが本書を手にしたのは、手助けとなるようなアイディアを見出すためかもしれないし、ビジネス上の願望や目標を達成するためかもしれない。

あるいは、個人的な問題を解決するため、富豪となるため(富豪となることをためらうことはない。富をうまく活用して、人々の役に立ち、そしてまたあなたの脳力を最大限に活かすことは素晴らしいことだ。これを「拝金主義」と混同してはならない。富は手段であって、決して目的ではないのだ)

人生の大きなゴールを設定するため、心の安らぎを得るため、自分自身に徳育、すなわち人徳を高めて人間的魅力をつくるため、あるいは自分の運命をコントロールするためかもしれない。

ところでナポレオン・ヒル博士が述べる奇跡というのは、あなたの人生の中で信じられない幸運をいかにして引き起こすか、ということだ。引き起こすのはあなた自身なのである。

そして、あなたはその秘訣を、本書をはじめとして、ナポレオン・ヒル博士の一連の書籍およびプログラムの中で確実に学ぶことができる。

要約すれば、これらの書籍やプログラムによって、あなたはあなたの頭脳の無限の力をどのように活用すれば、自分の潜在脳力を最大限に発揮することができるか、ということを体得できるようになる。

ナポレオン・ヒル博士の成功ノウハウは、長い年月にわたって、その正しさが証明されている。事実何百万人という男女がそれを証明している。

実際、成功に関する体系的なノウハウが一人の人間の手によって(そしてまた第一期だけでも五〇〇人以上もの著名人の共同作業のもとに)、これほど長い歳月(第一期一九〇八~一九二八年、第二期一九二九~一九八八年)をかけて完成されたというのも、歴史上かつてないことである。

さらにいえば、成功ノウハウの完成後、七〇年経過した今日でも、内容の新鮮さをまったく失っておらず、現在でも多くの人々がヒル博士のノウハウによって大きな成功を収めているのだ。

ヒル博士の成功ノウハウは一九六〇年代にさらに磨きをかけられ、こうして誕生したのがコンプリート・プログラムなのである。

本書、そしてまたヒル博士のこれら一連のプログラムを手にすることによって、あなたの人生も必ず大きな転機を迎えるだろう。

価値ある願望や目標を達成することに不可能なものはない。

本書を読み、あるいはまた、コンプリート・プログラムをマスターしたあと、いったいあなたの人生の中で、どのような奇跡が引き起こされることだろうか。ともかくこれだけは覚えておいてほしい。

あなたは、世の中の規律や正義の法則、あるいは他人の権利を侵さない限り、どんなことでも達成することができるのだ。

※世の中の規律や正義の法則、あるいは他人の権利を侵さない範囲で、手段を選ぶ必要はない。

●W・クレメント・ストーン〔W.ClementStone〕について

W・クレメント・ストーンは、世界最大級の特殊損害保険会社、エイオン・コーポレーションの会長で、傘下に、全米最大手のコンバインド・インシュアランス・グループほか三社を保有している。

同時に彼は全米でベスト二五〇人中の一人に入る大富豪でもあり、現在アメリカ各地に三〇〇〇もの図書館を寄贈するなど、社会奉仕活動も盛んに行っている。

これらの活動が注目され、一九八一年にはノーベル平和賞の候補にノミネートされた。彼もまたナポレオン・ヒル・プログラムによって、今日の富と平和を築き上げた一人である。

彼は、自分がナポレオン・ヒル・プログラムを実践する過程で気づいた新しいアイディアやノウハウを、何とか人々に分かち与える方法はないものか、と考えていたが、一九五二年、折よくナポレオン・ヒル博士と同席する機会を得た。以降、彼はヒル博士と協力して、最新版のプログラムの開発を目指した。

そして一九八八年に、内容に改訂が加えられた最も新しいナポレオン・ヒル・プログラムが完成したのである。

ナポレオン・ヒル博士、そしてW・クレメント・ストーンの共同作業(この作業に協力した人々は初期のプログラムの制作を開始して以来、総勢一二〇〇名以上にものぼっている)によって完成されたこれらのプログラムは、文字どおり、他の追随を許さないものがある。

ナポレオン・ヒル博士のメッセージ本書では各章で、その人生で名をあげ、富豪になった多くの人々に共通してみられる成功の秘訣について述べている。登場人物は、すべて私自身が長い間、分析・観察してきた実在の人物ばかりである。

私は一九〇八年、当時七三歳だった世界の鉄鋼王にして大富豪の、アンドリュー・カーネギー(一八三五~一九一九)から成功の秘訣を学んだ。

年老いたこのスコットランド人は、彼自身の成功のノウハウを、当時まだ若かった私に、詳しく説明してくれた。

話し終えると、カーネギーは椅子に腰をおろして、目をキラキラさせながら、自分が話したことを理解するだけの頭脳を私が持っているかどうか、確かめようとしていた。

私が彼の哲学を理解したことがわかると、カーネギーは私に向かって、人生の敗北者で終わってしまうかもしれない多くの人々を助けるために、時間をかけてこの偉大な考え方を研究していく決意があるかどうかと尋ねた。

私は、「あります!」と答えた。そしてカーネギーの協力のもとに、その約束を果たした。

本書には成功の基本的ノウハウが述べられているが、このノウハウは、それぞれ異なった人生を歩んでいる数多くの人々に、長い歳月をかけてテストをした結果、効果があることが実証されているものばかりである。

●カーネギーの遺志

自分自身で成功のノウハウについて考える時間的余裕がない人々に、すでに実証済みのノウハウを教えるというのが、カーネギーの考え方であった。

彼は、それがすべての人々に役立つものであることを証明したいと思ったのである。カーネギーはそれらの成功のノウハウを、一般の学校や大学でも教えるべきであると考えていた。

そして彼は、その考え方をきちんと教えることができれば、教育制度も大幅に改善され、現在、教育に費やされている時間も半分以下に縮めることができるであろう、とつねづね語っていたものである。

本書の「信念」に関する章の一四二~一五一ページ()では、ある青年によって創設され、世界を制覇したUSスチール社の素晴らしい話が紹介されている。

ヤル気のある人なら誰でも、この青年が信じていたカーネギーの成功のノウハウを活用することができる。

この青年とはチャールズ・M・シュワッブのことだが、彼はこのノウハウを実行に移し、その結果、多くのチャンスに恵まれ、大きな成功を収めた。

シュワッブは、なんと当時で二〇〇〇億円(日本円換算)を超える富を得たのである。アンドリュー・カーネギーの希望どおり、この成功のノウハウは多くの人々の役に立った。

莫大な富を得た人もいるし、家庭内の調和をはかることに成功した人もいる。

またある社会教育家のように、この哲学をうまく活用して年収を七万五〇〇〇ドルも増やした人もいる。

シンシナティで洋服屋をしていたアーサー・ナッシュはカーネギーのこの成功のノウハウを応用し、倒産寸前の事業を見事に立て直した。

ナッシュはすでにこの世にはいないが、この会社は今も大いに栄えて存続している。このナッシュの話は当時、世間の注目を浴び、新聞や雑誌はこぞって彼のことを記事にしたものである。

また私がラサール大学(ペンシルヴェニア州フィラデルフィア)の広報部長をしていたころ、ラサール大学は名もないこぢんまりしたものにすぎなかったが、J・G・チャップリン学長はカーネギーの成功哲学を活用して、この名も知られぬ大学を世界的に有名な学校に変えてしまった。

カーネギーの成功のノウハウ(私はこれらのノウハウの裏付けとより深い分析を、彼から頼まれたわけだ)は、本書や本書のすべての内容を、その一部として含むコンプリート・プログラム(PMAプログラム、およびHSSプログラムの総称)の中で、何百回も繰り返して出てくるが、そのノウハウに対しては、特に決まった名称を付けてはいない。

それは、名称よりも、その本質を理解してもらいたいと願っているからである。カーネギー自身も、私にその成功のノウハウを静かに語ってくれたが、その名称については一言も触れることはなかった。

もしあなたに、このノウハウを受け入れる心の準備ができているならば、各章で必ず一度はそのノウハウが隠されていることに気づかれることだろう。

しかし、私はあえてそのノウハウの発見法を述べるつもりはない。あなた自身でそれを発見することにこそ意味があるからだ。そしてそれは必ず発見できる。

もしあなたが、今までに挫折の経験があったり、病気や身体障害などのハンディキャップを背負っているとすれば、本書やコンプリート・プログラムに接することによって、あなたは砂漠の中にオアシスを発見したような気持ちになるに違いない。

ウッドロー・ウィルソン大統領も第一次世界大戦中に、この成功のノウハウを広く活用している。

後にウィルソン大統領は、この困難な時期にあってカーネギーの成功のノウハウは、最も重要な財産であり、かつ力であったと述べている。

このノウハウを一度マスターすれば、誰でも成功に向かって前進することができるのだ。

●成功には代償が必要だ

この世の中に代償を伴わない成果などない。

したがって、私がここで話をするノウハウにも代償が伴う、と考えていただきたい。しかしあなたが支払う代償は、あなたが得る成果にくらべると、極めて小さなものである。

本当にこのノウハウを必要としている人にとっては、本書やコンプリート・プログラムに仮に一〇億円の値段がつけられても、決して高すぎることはないはずだ。

が、本当に必要としていない人は、どんな代償を払ってもこのノウハウを得ることはできないだろう。それは人に譲ることはできないし、お金で買えるものでもない。またこのノウハウのマスターと学歴の有無とはまったく関係がない。

トーマス・エジソンは、私が生まれる前からこのカーネギーの成功のノウハウを活用していた。

エジソンは、わずか三カ月間しか学校教育を受けていなかったが、彼はこのノウハウを活用することによって大成功をとげ、偉大な発明家として今でもその名を世界にとどろかせている。

エジソンの共同経営者となったエドウィン・C・バーンズもこのノウハウを活用している。

当時のバーンズの年収は、今でいえば四〇〇万円ほどだったが、このノウハウを学んだことにより大きな財産ができ、若くして実業界を退いてしまうほどの大成功を収めた。

このバーンズのことは、本書でも詳しく話すこととする。

こうしたいくつかの例により、誰でも富豪になることが可能であるということがおわかりいただけたことと思う。

富でも名声でも幸福でも、その気になりさえすれば必ず手に入れることができるのである。あなたは自分の思いどおりのものになることができる。

私がどうしてこのようなことを言えるのかというと、きっとあなたが本書を何度か読み終えるころにはわかっていただけるものと思うからだ。

カーネギーの要請により、私は成功のノウハウについての研究を始めたが、その二〇年の間に、私は実際にカーネギーの成功のノウハウを用いたことにより大成功を勝ち得た人々を何百人も見てきた。

そのうちの主な人々の名前をあげてみよう。

ヘンリー・フォード〔自動車の大量生産のパイオニア。一八六三~一九四七〕

ジョン・ワナメーカー〔ジョン・ワナメーカー社の創立者。米国内最大の紳士物衣料小売店に発展させる。のち、現代的な百貨店経営の先駆者として大きな役割を果たした。一八三八~一九二二〕

ジョン・P・モルガン・ジュニア〔世界最大の金融商社の一つ「モルガン・ハウス」の創立者。一八六七~一九四三〕

ジュリアス・ローゼンウォルド〔アメリカ最大の小売企業シアーズ・ローバック社の会長、慈善事業家。一八六二~一九三二〕

ハーヴェイ・S・ファイアストーン〔タイヤ・メーカー、ファイアストーンの創立者。一八六八~一九三八〕

ジョージ・パーカー〔カナダの作家。一八六二~一九三二〕ジョージ・イーストマン〔イーストマン・コダック社の創業者。一八五四~一九三二〕

チャールズ・M・シュワッブ〔USスチール社の社長。一八六二~一九三九〕

セオドア・ルーズベルト〔政治家。米国第二六代大統領。一八五八~一九一九〕

ジョン・W・ディビス〔政治家。一八七三~一九五五〕

ウィルバー・ライト〔飛行機の発明家。弟と共に成功させた。一八六七~一九一二〕

キング・ジレット〔安全カミソリの発明がきっかけで、巨大企業の基礎を築く。一八五五~一九三二〕

ウィリアム・リグレイ・ジュニア〔チューインガムで世界最大のメーカー、ウィリアム・リグレイ・ジュニア社を創立する。一八六一~一九三二〕

サイラス・H・K・カーティス〔出版業界の大立者。一八五〇~一九三三〕

エリスワース・M・スタトラー〔米国のホテル王。一八六三~一九二九〕

ジョン・D・ロックフェラー〔スタンダード・オイル社の創立者。慈善事業家。一八三九~一九三七〕

トーマス・エジソン〔世界的発明家。一八四七~一九三一〕

ウッドロー・ウィルソン〔政治家、米国第二八代大統領、教育家。一八五六~一九二四〕

アレクサンダー・グラハム・ベル〔電話を発明する。一八四七~一九二二〕

ジョン・H・パターソン〔実業家(販売業・製造業)。一八四四~一九二二〕

W・ジェニングス・ブリアン〔弁護士、政界の指導者。一八六〇~一九二五〕

デヴィッド・S・ジョーダン〔生物学者、教育家(インディアナ大学およびスタンフォード大学の学長)。一八五一~一九三一〕

アーサー・ブリスベーン〔新聞の編集者(『ニューヨーク・サン』紙)。一八六四~一九三六〕

ルーサー・バーバンク〔園芸家、植物栽培のパイオニア。一八四九~一九二六〕

エルバート・H・ゲリー〔弁護士、財政専門家。一八四六~一九二七〕

エドワード・フィレーン〔実業家(商業)。一八六〇~一九三七〕

フランク・W・ウールワース〔F・W・ウールワース社の創立者、世界有数の小売業者で欧米諸国に合計四七一〇の店舗を持っていた。一八五二~一九一九〕

以上のような人々である。

もちろんこれはほんの一部の人にすぎない〔訳注…なおここに列挙した人々は、すべて米国の代表的な人名事典であるウェブスター・ニュー・バイオグラフィカル・ディクショナリーに掲載されている〕。

これらの人々は、カーネギーの成功のノウハウを活用して、さまざまな面で偉大な成功をとげ、いちやく有名になった人々の一部である。

※カーネギーの成功ノウハウもしっかり読み込む。

しかし、これらの人々の名前を見るだけでも、カーネギーの成功のノウハウがわれわれの人生を価値あるものに変えてしまう力を持っていることが、十二分におわかりになると思う。

私の知る限り、自分の意思で、カーネギーの成功のノウハウを活用したにもかかわらず失敗した、という人は誰一人いない。

これらの事実から、いわゆる学校教育と呼ばれているものより、この成功のノウハウのほうが、人生にとってはるかに重要であることがおわかりいただけると思う。

それでは本当の教育とはいったい何なのか、ということになるが、これについては後で触れよう。

●すべてはアイデアに始まる

ところで、あなたにヤル気さえあれば、この本を読み続けるうちに、私の言う成功のノウハウが、突然あなたの目の前に鮮明な形となって現れてくることに気づくはずだ。

この本の最初のほうで早くも衝撃を受けるか、あるいは最後のほうで衝撃を受けるかそれはわからないが、そのときがきたらしばらく立ち止まってみてほしい。

その瞬間こそが、あなたの人生の大きな転機なのだ。そして引き続き、ぜひコンプリート・プログラムを学んでほしい。

これは私の二〇年間(一九〇八年の秋からスタートした)の成果である初期の成功プログラム完成後さらに三二年間を費やし、合わせて五二年の歳月を費やして完成させた、人生の充実、幸福、成功のための完璧なプログラムである〔訳注…ヒル博士がカーネギーの要請でこの壮大な事業をスタートさせてから八〇年後の一九八八年に、コンプリート・プログラムの新版が完成している。

この最新版のプログラムの完成には、旧版と合わせて一二〇〇名以上もの大成功者たちが協力している〕。とはいえ、本書が不完全である、ということでは決してない。

問題はあなたがどのレベルまで、あなたの自己実現あるいは成功、あるいは願望の実現を望んでいるかなのだ。

中には「このくらいで十分」という人もいるだろう。それはそれでよい。しかしもっと自分を伸ばしたい、あるいはより以上の高みに挑戦したい、という人もいるはずだ。選択はまったくあなたの自由である。

ナポレオン・ヒル博士が、アンドリュー・カーネギーの要請に基づいて、成功哲学を完成させていく過程には、興味深いエピソードがたくさんある。

ここでは一九五三年に行われたナポレオン・ヒル・セミナーでの冒頭演説を引用して、第1章以下をお読みになる際の参考としていただきたい。

「奇跡を起こす人、ナポレオン・ヒル博士」W・クレメント・ストーン

今夜、私、W・クレメント・ストーンは、皆様にいくつかの奇跡をお話ししたいと思います。私がこんな話をしようとするのは、一つ、ただ一つの理由からです。

本日、この講演を聞いていらっしゃる皆様の中に、必ず、人生が変わるほどに影響を受ける方が何人かいらっしゃることを、私は確信しているからです。

そうでなくては、ヒル博士も、そしてこの私も、ここに来た意味がないではないですか。そして、もちろん、皆様方も、せっかくここまでいらっしゃった意味がなくなってしまいます。成功をもたらす哲学をお聞きになれば、人は、自然に行動を始めるものです。

▼『思考は現実化する』との出会い

一九四〇年のことでした。私は、営業会議に出席するため、ユタ州のソルトレイクシティに来ていました。会議の始まる前に、私は、ぶらぶらと街に散策に出かけました。ホテルに戻りかけたとき、街かどの石炭屋のウィンドウが目に入りました。

そこには、一二〇センチほどに積み上げられた石炭がひと山、そして、その山の前に一冊の本が置かれていたのです。その本のタイトルは『思考は現実化する』というものでした。

実は、私は一九三七年にこれと同じ本をある人からいただいたのですが、そのときから、この本を何千冊となく人々に贈呈していたのです。そして、今お話ししたとおりに、奇跡が実際に起きるのを見てきました。

皆様の中に、ソルトレイクシティ出身の方や、また、ソルトレイクシティに詳しい方がいらっしゃるかと思います。その店は、マーチンズ石炭店という店でした。ご存じの方もいらっしゃるでしょう。

私は、この店に入っていき、主人のマーチン氏に、どうして石炭の山の前にこの本を飾ったのか尋ねました。そして、私がいかにこの本を活用したかをお話ししました。

また、この本を使って、いかに私が、他の難問を抱えている人たちを助けることができたかも、お話ししました。特に経済的な問題です。

どうしても解決できない問題に直面していて、もう本当にどうすることもできなくなった人たちにとって、この本がいかに役立ったかをお話ししました。

この本をお読みになれば、抱えている問題を自分の資産に変える方法を知ることができます。

よくナポレオン・ヒル博士が言っていることですが、逆境の中には、それがひどいものであればあるほど、その中にその逆境のひどさに見合った、強力な幸せの種子が隠れているのです。

不幸を幸運に変える、つまり、逆境であればあるほど、貴重な体験を重ねることができるのです。

マーチン氏は私に、次のような話を聞かせてくれました。

「数年前から、私はある人と一緒に商売をしてきました。石炭と砂利の商売です。両方とも赤字でした。どちらか一つを売れば、もう一つはなんとかやっていけるのではないかと考えましたが、現実はそんなに甘いものではありませんでした。そんなときに、たまたま、この本をある人から頂いたのです。この『思考は現実化する』がそれです」

彼は、「ここからの話は、普通、初対面の人にはお話ししないのですが」と、言いながら続けました。

この本を読んでからというもの、この数年の間に私たちの商売は、両方とも赤字から抜け出すことができました。それまでに抱えていた負債を全部支払うことができただけでなく、今では、在庫の商品に加えて、一八万六〇〇〇ドルもの現金を蓄えることができたのです」こう言うと、マーチン氏は、銀行の預金通帳を出してきて、私に見せてくださいました。

さて、去年の八月のことですが、私はエッジウォーター・ビーチホテルで、ノース・ショア・クヮオマスクラブの皆さんに、この『思考は現実化する』について、講演をしました。

いつも機会があるごとに、この本を人々に差し上げていたのですが、そのときも、この本を読むべきだと、私が確信した人たちに何冊か差し上げました。

この私の行為が、ある素晴らしいチャンスを呼び込んだのです。そのうちの一人に、若い歯科医師のハーバート・ガスティントン先生がおりました。

一カ月後、ガスティントン先生から、ナポレオン・ヒル博士に会いたくはないか、という連絡があったのです。シカゴのルメニア・クラブで、歯科医師を対象にしたヒル博士の講演があるということでした。

私は、ナポレオン・ヒル・プログラムが多くの人々に用いられて成功者を輩出し続けていることは知っていましたが、ヒル博士自身は、すでに他界していたものと思い込んでいたので、そのニュースにとても驚き、また喜びました。

幸運なことに、博士は他界どころか、まだ、とてもお元気だったのです。昼食会で、私は、ヒル博士の隣に座ることができ、私たちは、そのとき、彼の成功哲学について話をしました。

そして私は、ヒル博士に、シカゴに戻っていらっしゃるようお願いしてみました。博士は当時、すでに引退していらっしゃいましたが、二~三日後、この私が博士のゼネラル・マネジャーになるという条件付きで、仕事にあと五年間だけ復帰することを決めてくださいました〔訳注…実際には一〇年間、共同作業が継続された〕。

このようにして、私は、皆様にヒル博士を紹介することができるようになったのです。

▼理解しやすい「成功のノウハウ」

ナポレオン・ヒル財団の目的は、ただ一つしかありません。それは、アンドリュー・カーネギーからナポレオン・ヒル博士に伝授された「成功のノウハウ」、この奇跡を起こすことのできる「成功のノウハウ」を普及させることです。

財団が開設されてから、私たちは、この目的を達成するため、骨身を惜しまずに働いてきました。そして、その過程で、奇跡が起きるのを、実際に何度も目の当たりにしてきました。

私の仕事関係でも、平凡な営業マンが、とても優秀なセールスパースンに変身しました。

週に、三〇万円くらいしか稼げなかったセールスパースンが、一〇〇万円、三〇〇万円、さらには五〇〇万円も稼ぐようになったのです。

つまり、言葉を換えて言うなら、奇跡が起きたのです。

今夜、この会場にいらしている方々の中にも、私たちのセミナーにすでに何回か通っていらっしゃる人たちの姿が、ちらほら見えていますが、たとえば、私たちの財団のセミナーでは、参加者の皆様に、いかにしたら自分自身で問題を解決することができるのか、その方法をお教えしています。

方法さえ知っていれば、頭を使って、簡単に障壁を乗り越えることができるものなのです。

アール・ナイチンゲール博士によれば、ヒル博士の書籍やプログラムの素晴らしいところは、成功哲学をとてもシンプルで、理解しやすい公式にまとめあげている点です。

この公式は、どんなに平凡な人でも、高校生でさえも、理解し、活用することができます。財団主催のセミナーの参加者たちの小さな成功談を一つ、ご紹介しましょう。現在のところ、最も印象深いのは、グロウマイヤーという名前の若者です。

皆様の中には、グロウマイヤー君をご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。音楽教師のグロウマイヤー君です。

彼は、セミナーの途中で一五分間も、とうとうと、音楽教師が一週間に二万円以上稼ぐことがいかに不可能であるか語りました。

こんな参加者を持ったとき、私は、ただカリキュラムどおり講義を進め、結果的に誰の問題も解決できないまま終わるよりは、とにかく一人でも、現実に直面している問題を徹底的に解決することが賢明だと思いましたので、私はセミナーの参加者と一緒に、彼の問題について、約一時間考えてみました。

その後セミナーが修了してから、私はグロウマイヤー君から手紙を受け取りました。

その手紙にはまずコースの終わりにセミナーを数回欠席したお詫びが記されており、さらに続けてこう書かれていました。

「まず、最初にお伝えしたいことは、あのセミナーを受けてから、私は、とてもよく眠ることができるようになったことです。

以前、私は万事において、とても神経質でしたが、最近では、人間が丸くなり、鷹揚な性格に変わってきました。本当に、私は一生、ナポレオン・ヒル財団に借りができてしまいました。

ところで、成功のノウハウがまだ理解できないでいるとき、私は、音楽教師が、週に二万円以上稼ぎ出すのは無理であると申し上げましたが、覚えておいででしょうか?さて、この話が先生に喜んでいただけるのではないかと思うのですが、コースを修了した私の、ここ一〇週間の平均収入は、一週、八万円から一〇万円ぐらいになったのです」このように、財団のセミナー参加者が経験した成功の例は、本当にいくらでもあります。

▼五年間で五〇年分の仕事をしたい!

私とナポレオン・ヒル博士は、この五年間で五〇年分の仕事をしようと決めました。これをするためには、多くのナポレオン・ヒルを作らなくてはなりません。

カセットとマニュアルなどからなるナポレオン・ヒル・プログラムもより完璧なものにしたい、という気持ちもありました。また多くのインストラクターが必要です。

さらに、この成功ノウハウを学ぼうとする人たちすべてが、教えを伝授できるような組織作りをしなければなりません。

ウィークデーには、必ず誰かが、この成功哲学の教えを受けるために、ナポレオン・ヒル財団を訪れます。

中には遠い地方からわざわざやってくる人もいます。外国からもやって来ます。先週も、ローマから一人やって来たばかりです。

私たちが普及しようとしているこのノウハウは、ヨーロッパのものとはまったく違うものです。私たちのノウハウは、個人が求め、そして信じれば、望むものは必ずかなえられる、というものです。

「求め、信じれば、手に入れることができる」。

今夜は、ぜひ、このスローガンを覚えてお帰りください。そして、このスローガンを決して忘れないよう、心に強く焼きつけてください。このスローガンを信じてください。

そうすれば、皆様方は、今夜から自分の望むものは何でも手に入れられる、素晴らしいノウハウを身につけることができるのです。

たとえば、あなたが発展途上国に行ったとします。

まだこのような成功ノウハウを知らない多くの現地の人々の間で、この素晴らしい脳力、大自然が人類だけに与えたこの脳力、つまり、求めれば、何でも望むものを手に入れられる脳力を、すべての人間が持っているのだということを、あなたは数多くの人々に教えてあげることができます。

人を助けることは、自分自身を助けているのと同じことです。

そのうえ、人に教えることは、とても楽しいこと、そして、スリリングなことだとお気づきになるでしょう。

さて、私がナポレオン・ヒル博士の成功ノウハウについて、お話しするにあたり、いつも用いる言葉があります。

それは、「このノウハウが本当に有効なものであるかどうかを確かめるのはあなた自身だ」という言葉です。

私は、彼を「奇跡を起こす人、ナポレオン・ヒル」と呼びますが、その理由をお話ししようとすれば、幾晩あっても足りません。

もし、皆様の用意が整っていらっしゃるのなら、つまり、彼の成功哲学を受け入れるだけの器量をすでにお持ちでしたら、とにかく、お聴きになってください。

注意深く聴いてみてください。そして、彼が、皆様に伝えようとしているメッセージを、皆様の今後に、ぜひ、活かしてください。

それではナポレオン・ヒル博士をご紹介します。

「成功哲学はこうして完成した」ナポレオン・ヒル

どうもありがとうございます。ナポレオン・ヒルです。皆様、こんばんは。今晩、この会場に多くの方々がいらっしゃっており、たいへん光栄です。

私が、この事業をしていて、とてもうれしいのは、この事業を通して、多くの方々同士が出会うきっかけを作ることができる、という点です。

ただ、出会うだけでなく、このような会場における出会いを通して、人々が、親交を深め、互いのよりよい点を見出すきっかけを作ることができるものと信じております。

それではまず最初に、私の幼少時代のことからお話ししたいと思います。

▼希望なき日々

私は、一八八三年にヴァージニア州南西部のブルーリッジ山脈にある小さな村の粗末な丸太小屋で生まれ、そしてそこで育ちました。

正確に言えば、ワイズ郡というところですが、たった一間の、しかも土間で、とても貧相な小屋でした。父は鍛冶屋をやっていました。

ナポレオンという名前は、金持ちの叔父の名を取ってつけられたものです。あのナポレオンのように将来、立派な人物になるようにとの願いもこめられていました。

家にあった家具といえば、ちょうつがいで壁についており、使わないときはしまっておけるタイプの実用的なテーブルが一つ、そして、ベッドとマットレスが一つ。

このマットレスは、木屑を詰めたもので、今のスプリング内蔵のものとは全然違うものでした。それから、大きなオーブンが一台、暖炉の上にあり、これでパンを焼いていました。

馬と牛が一頭ずつ、そして、篤志家の祖父母からもらったハムが一本。これが、私の両親が持っていたすべてでした。そして、この私が生まれたのです。

私が、この両親から受け継ぐことのできたものはといえば、貧困、恐れ、迷信、そして文盲でした。

論理的に考えて、皆様、私が、この束縛だらけのワイズ郡から逃げ出すチャンスは一つもありませんでした。この地方には、三つの有名な特産物がありました。

トウモロコシの焼酎、がらがらへび、マウンテン・フュード、つまり家同士の争いの三つです。

こんな田舎の希望のない生活が変わったのは、私の母親が私が九歳のときに死んでからしばらくして、父が新しい母親を連れて来たときです。この継母は、私が生涯で出会った人の中で最も素晴らしい人でした。

継母は、私を深く愛し、私がちょうど必要としていたときに、素晴らしい助け船を出してくれました。彼女から受けた影響は、本当に価値のあるものでした。

▼継母の入れ歯

さて、継母がいかに頭の切れる人であったか、お話ししたいと思います。彼女は、そんな昔に、もう「成功のノウハウ」を身につけていたのです。

もっとも、当時の私にとっては、成功ノウハウなどというものは、想像の範囲を超えていたのですが……。

皆様の中にも、歯医者さんがいらっしゃるかと思いますが、継母は、上の歯が入れ歯でした。当時、私は、入れ歯なんてものを知りませんでした。見たこともありませんでした。もっとも、その後、入れ歯については詳しく知る羽目になりましたが……。

ある朝のこと、朝ご飯の用意をしているときに彼女は、その入れ歯を落としてしまったのです。入れ歯は、壊れてしまいました。父は、その割れた入れ歯を見ていました。そして継母にこう言いました。

「マーサ。俺、こんなもの簡単に作ることができるよ」継母は、持っていたフライパンを落とし、父に抱きついて、キスをしながらこもった声でこう答えました。

「本当、あんたって素晴らしいわ!」私は思わず、「なんて女だ、おやじが歯を作るだって?馬に蹄鉄をつけているのは見たことがあるけど、歯を作るなんて、おやじにできるわけないじゃないか。

第一、材料の骨は、どこで調達するんだ。それに、おやじが歯の作り方を知ってるわけがないじゃないか」と心の中でつぶやいていました。

ところが、何日かして、私が学校から帰ってくると、家の中から変な臭いがただよってきました。家に入ると、きれいな小さいやかんが暖炉にかかっていました。「ありゃあ、いったいなんなの」と継母に尋ねると、彼女はこういいました。

▼治安判事の警告

「あれは、お父さんの治療道具よ。街に行って、やっと必要な道具をバーゲンセールでそろえたの。今朝、お父さんは、私の歯のサイズの見当をつけてね、それをもとに、今歯を作っているのよ。歯は、そのやかんの中にもうできているわ」

私が継母と話をしているうちに、父は、このやかんを火からおろし、外の小川で冷やして、帰ってきました。

それから、ナイフで外側の石膏を丁寧にはがし始めました。そして、ホースレストを取り出しました。皆様は、ホースレストなんて年代物は、もうご存じないでしょうね。それどころかホース、つまり馬さえ、もう知らないかもしれませんね。

ホースレストというのは、馬に蹄鉄をつけた後、はみ出たひづめを切り取る道具のことです。

父は、このホースレストを使って、入れ歯からはみ出たゴムの部分をきれいに取り除き、柔らかい布で磨いてから、継母の口に押し込んだのです。

驚いたことに、皆様、この父の作った入れ歯は、継母の上あごに、ほとんど完璧といえるほどに、ぴったりと納まったのです。

その後、父は、本格的に歯医者の技術を学び始めました。まず、村の店に行き、かんしやピンセットをオーダーしました。そして、歯に穴をあけるときに使う動力になるものを買い入れました。

父は、これをエンジンと呼んでいましたが、足で動かす粗末なものでした。

そして、「現金客歓迎」の札をつけ、馬に乗り、山を越えて、ヴァージニア、テネシー、ケンタッキーまで、歯の治療に出かけたのです。

父は、三年間もこの仕事を続けました。ところが三年後のある日、家に、治安判事がこう警告しにやって来ました。

「ヒル先生、あなたはヴァージニア州法五〇四条と五〇六条に違反しています。歯科医師の免許なしで、歯の治療をするのは、法律違反です。これ以上治療を続ければ、刑務所行きですよ」父は、なんとかならないものか、と役所に行きました。

私は、ちょうど役所から帰ってきた父に出くわしましたが、その表情でだめだったことがわかりました。

父は、馬から降りると、継母にこう言いました。

「マーサ、これで終わりだ。もう、俺は歯医者は廃業さ。資格を取るには、試験を受けなきゃだめだってさ。でも俺には、試験になど受かる頭はないしね」継母は、これを聞いて、力強くこう言いました。

「何を言っているのよ、ドクター・ヒル、私は、がっかりさせてもらうために、あなたを歯医者にしたんじゃないわ。試験を受けなくちゃいけないんだったら、受ければいいじゃない。他の人たちと同じようにやればいいじゃない。大学に行かなくちゃいけないんだったら行けばいいでしょう」

私は、これを聞いて、「なんて人なんだ。おやじが大学に行くだって⁉キャンパスの中に入るだけだってダメだと言われそうなこのおやじが?おやじが大学に入れるはずがないじゃないか」

▼正式に歯医者になった父

ところが……皆様。継母は、父をルイブル歯科大学に送ったのです。そして、父は大学一年生のときに、すべての教科で優秀賞をとってしまったのです。

四年制の大学でしたが、父は成績優秀だったので、三年で卒業することができました。そりゃそうですよね。

なにしろ、父は入学時点で、すでにその大学のほとんどの卒業生よりも優秀な歯医者だったんですから。継母のすごいところは、これだけではありません。

彼女は、父の学費を支払うために、前の夫の生命保険のお金を使ったのでした。さて、特に女性の皆様。

今、私は、私の個人的な話をいたしましたが、自分の夫をいかにして奮い立たせるか、おわかりになりましたでしょうか?この、私の継母が実践した哲学とは、上手に夫を操り、刺激してヤル気を出させ、その夫を尊敬できるよう、自分でもっていくことなのです。

※自分でそのようにもっていくように仕向けることを行う。

▼臨時雇いの新聞記者になる

さて、この素晴らしい継母は、まず父を歯医者にし、次に私を呼んでこう言ったのです。

「お前は長男でもう一五歳にもなるのだから、将来何をするのか、そろそろ決める時期がきたわよ」こう言って、継母は私に新聞関係の仕事をするように勧めました。

私は、継母が勧めるように、新聞社に記事を送る仕事を始めました。小さな地方新聞社ばかりでしたが、ある時期など一六社に記事を書いて送っていたものです。ニュースがないときなど、私は、自分でニュースを作り上げました。とてもドラマチックなニュースを作りました。

家族間の争い、密造酒の醸造、それを摘発する秘密捜査官など、素材はいくらでもありました。あるときなど、私は近所の農場について詳細な作り話を記事にしました。

そこでは、密造酒が造られており、税務署のガサ入れがあった、という話を勝手に作ったのですが、私がこの記事を書いた後、実際に税務署員がやって来て、密造酒造りを摘発してしまったのです。

その家の人が、もしこれ以上私にこの仕事をやらせる気なら、ここに住めないようにしてやると、ものすごい剣幕で怒鳴り込んで来ました。

このとき以来、私は密造酒についての記事を書くのはやめにしました。私はこのように臨時雇いの新聞記者をしながら、高等学校にも通っていました。高校を出たあとは、家の近くにある実業学校の一年コースに入学しました。

そのあと、法律学に興味を持っていましたので、弁護士になろうと思って、私と弟は、ジョージタウン法科大学に入学しました。

しかし学費を払うお金がありません。

そこで私は、新聞記者の経験がありましたので、ボブ・テイラーズ・マガジンという雑誌に、成功者たちについての記事を書くことで、この学費を工面することにしました。

そして、幸運なことに、私の最初の仕事が、当時ピッツバーグに住んでいたアンドリュー・カーネギーとのインタビューだったのです。

一九〇八年の秋のことで、私は二五歳、カーネギーは七三歳でした。

▼アンドリュー・カーネギーとの運命的な出会い

カーネギーは、私と三時間も話をしてくださいました。三時間後、彼は、「このインタビューは、今始まったばかりだ。どうかね、一緒に私の家に行き、食事をしようじゃないか。食事の後で、話の続きをしよう」とおっしゃって、私を彼の豪邸に連れ帰りました。

結局、このインタビューは、三日三晩続きました。私は、いったいどうして、彼が私をこんなに長く引きとめておくのか、不思議でたまりませんでした。

彼は私に、新しい「哲学」についての話を、ずっと続けていたのです。

ソクラテスやプラトンの時代から、最近のウイリアム・ジェイムズやエマースンまで、数多くの哲学者たちが、数多くの哲学を生んできたが、そのほとんどがモラルに関しての哲学にすぎない。

それはそれで必要でも、現代は、これらとは違った新しい哲学、巨富を築く哲学も必要なのだ、と彼は語りました。

「今、必要とされているのは、万人が巨富を築く哲学だ。私のような人間が人生を通して学び、そして編み出した成功のノウハウを誰でも活かすことができるはずだ」とおっしゃるのです。

私はこれを聞いて、素晴らしい考えを持っている方だ、と思いました。けれども、私には一つだけ理解できない言葉がありました。「哲学」という言葉です。

▼アンドリュー・カーネギーの依頼

私は、三日三晩、彼に付き合いました。そして、その最後の晩、彼は、「さて、私は君に三日間も『新しい哲学』の必要性について話をした。ここで、私から君に質問がある。

もし私がこの『新しい哲学』を一つのプログラムにする仕事を君に頼んだら、君はどうするかね。もちろん、協力者や君がインタビューすべき人たちには、紹介の手紙を書いてあげよう。とりあえず五〇〇名だ。

この成功プログラムの編纂には二〇年間の調査が必要だが、その間、君はこの仕事をやる気があるかね?イエスかノーで答えたまえ」。

皆様。私は、今日までに、多くの重要な選択をしてきました。中には、とても難しい選択もありました。でも、このときほど、恥ずかしい状況で、難しい選択を迫られたことはありません。

「恥ずかしい」と申し上げたのは、カーネギーがこの話をしているちょうどそのとき、私はポケットに手を入れて、中の小銭を数えていたのです。でも、いくら数えても、ワシントンに戻るのに必要なだけしかありませんでした。

それも、カーネギーが邸宅に泊めてくださったので、それだけ残っていたわけで、もし、ホテルに泊まっていたら、それさえもなかったのです。

こんな私に、しかも彼の言う「哲学」の意味さえ把握できない私に、この世界一の金持ちが自分のために二〇年も、働けとおっしゃるのです。私は考えました。

「このカーネギー氏が、三日間も私に話をしたのは、何らかの目的があるはずだ。彼は私自身がまだ気がついていない、何かの才能を私に見出したのかもしれない」

▼私の一生を変えた決断()

彼はまた、人の才能を活かして使うことで有名な人だったのです。私にこの仕事を任せても大丈夫だと確信したからこそ、こんな話をしたのでしょう。彼が見出した私の才能とは、この、私の横に立っている、寡黙な透明人間のことです。

この透明人間が、このとき私の肩ごしに、「ほら、何をためらうことがある。イエスと早く答えろ」と、ささやきました。

私は、「カーネギーさん、ぜひ、やらせてください。その仕事を必ずやりとげると、ここでお約束いたします」と答えました。

カーネギーは、「いい答えだ。気に入った。君なら、きっとできるだろう。ぜひ、やってくれたまえ」とおっしゃいました。そして皆様、次にカーネギーはこう言ったのです。

「ただし僕から君への金銭的援助は一切ない。それでいいかね?」皆様でしたらこんなとき、どんなお答えをなさるでしょう?世界一の金持ちのために、二〇年間もただ働きをするかどうか?当然、お断りになるでしょうね。

私も、その瞬間、断ろうとしたのです。でも、私は再び考えました。そして「イエス」と答えたのです。すると、カーネギーはポケットからストップ・ウォッチを取り出してこういいました。

「二九秒。君が答えを出すまでに二九秒かかった。私は一分を超えたら君を見込みのないただの人間としてあきらめるつもりだった。この種の決断というのは、一分以内に出せる人間でなければ、その後、何をやらせてもダメなものなんだよ」こうして私は、この面接のようなものを何とかパスしたのでした。

のちにカーネギーが語ったところによりますと、私以前に二六〇名以上の人に同じ話をもちかけたのだそうです。

しかし全員失格だった、と彼は言っていました。そのようなわけでカーネギーは、私を見て、思いつきであのような提案をしたわけではなかったのです。

本人が述べたように、実際、この仕事をするにあたり、カーネギーは、私が会うべき人たちに紹介状を書いてくれることと、最初のころの取材の実費を支払ってくれることしか、援助をしてくださいませんでした。

▼二〇年間タダ働きすることを求めたカーネギーの真意

私は当初、カーネギーがなぜ二〇年間という歳月が必要だと言ったのか、よくわかりませんでした。

同時に、これはもっと不可解なことでしたが、なぜ金銭的援助をまったくしてくれないのかも、私にはよく理解できませんでした。

しかしその後、カーネギーと何度も会って話しているうちに、すべてが解き明かされたのです。

カーネギーは私に五〇〇名以上の成功者を紹介しましたが、私に彼らを紹介した時点では、彼らのすべてが大成功者であったわけではなかったのです。

カーネギーは私にこう言いました。

「すでに大成功を収めた人々の話など、図書館に行けば多くの本に載っていることだ。それはそれでよい。

しかし君にはどのような人間が、どのようにして成功者と呼ばれる人間になるか、その過程を、じっくり観察してもらいたいのだ。

そのために、私が紹介する人々の中には、まだ成功者とは見なされていない者もいる。しかし、彼らは将来必ず成功するだろう。

それには、二〇年間、じっくりと彼らを観察し、どういうときに失敗を犯し、どういうときに成功を重ねていったか、詳細に分析する必要があるのだ

実際、カーネギーの人を見る目は優れたものでした。

どういう形にせよ、彼が私に紹介した人々は、カーネギーが私に課した二〇年という歳月の範囲内で、次々と成功者となっていったのです。

さて、次の疑問、すなわち二〇年間タダ働きの件ですが、これも後からカーネギーは私にそれとなくタネ明かしをしてくれました。

「君にはすでに、私がこれまで従ってきた成功の黄金律を述べた。それにまた、実際に人生で大成功を収めた人々にも会って、さまざまな話を聞くことになる。

そうであれば、君がこれからの人生で成功しない理由はまったくない」これもそのとおりになりました。

こうして私はその後の私の人生を、アンドリュー・カーネギーの成功ノウハウの普遍性を裏付け、また補強する一大事業に専心することになったのです。

▼ヘンリー・フォードとの出会い

さて、彼が最初に私に会うように勧めたのは、ヘンリー・フォードでした。

彼は私に、「まず、デトロイトに行き、ヘンリー・フォードに会って、彼の話をよく聞くことだ。なにしろ、フォードはいずれ自動車産業を支配するようになるのだから。そして、自動車は鉄鋼の次に大きな産業になるのだから」と言いました。

皆様、これは、一九〇八年の秋の話です。私はデトロイトに行き、二日もかかってやっとフォードの居所をつかみました。

車の実験をしている最中で、現場から出てきたフォードは、汚い仕事着を着て、くしゃくしゃの帽子を被り、手は油で汚れていました。彼と握手をしたおかげで、私のシャツの袖が汚れてしまったのを、今でも覚えています。

私は、初対面では三〇分ほど彼と話をしましたが、フォード氏は自分からは、あまり話をせず、私の質問に対し、ほとんど、イエスかノーで答えるだけでした。

しかも、そのほとんどが「ノー」でした。

私は、この男が、将来、どんな分野でだって、リーダーになれるはずはないと思いました。カーネギーのような偉大な人物でも、見込み違いがあるのだな、と思ったのです。フォードと会ったときはあの世界初の大量生産車、T型フォードを売り始めたばかりのころでした。

しかし、まだこの車が売れるものかどうか、さだかではありませんでした。しかしその五年後には、世界中はフォードの車で埋めつくされていたのです。

そして彼と初めて会った年からちょうど二〇年後、T型フォードはその使命を終えました。そのとき、フォード氏は、自社をあの巨大な、フォード帝国とまで呼ばれる世界最大の自動車会社にまで育てあげていたのです。

▼二〇年目にカーネギーとの約束を果たす

このようにして、私は、カーネギーの紹介で、さまざまな分野で成功を収めている多くの人たちに会い、彼らの協力を得ることができました。

そして、彼らの長所、短所、失敗や勘違いを知り、カーネギーと約束した、ちょうど二〇年後の一九二八年に、この人生成功の哲学を、一六セッションからなるプログラムとして、世に出すことができました。私は、その後、『思考は現実化する』(‘THETHINK AND GROW RICH’)を出版しました。

これは、すでに世に出したプログラムの紹介編といった意味を持っていましたが、この本は驚くほどヒットし、やがて世界中で広く読まれるようになりました。

また、のちに私の友人となったマハトマ・ガンジーの協力を得て、私のこの著書は、インドでも出版され、何百万という人々に読んでもらうことができました。

ガンジーは、これは後でわかったことですが、ピンカートン探偵社というところに私の身元調査を依頼し、細大もらさず報告するように、と命じていました。

その後、ボンベイの出版社から私の本が出版されたわけですが、その後は彼のお墨付きで、私のすべての著書がインド中で売られるようになったのです。

あるいはまた、ポルトガル語にも翻訳され、南米の各地で読まれておりますし、イギリス連邦諸国でも評判を呼びました。

私は、この世で実際に生活に活かすことのできる成功のための哲学を、一般の人たちに私の本ほどわかりやすく説いた本はないのではないかと自負しています。

皆様、私は本当に幸運でした。当時の私は、大した学歴も持たず、一文無しに近かったのです。一年前に、このW・クレメント・ストーン氏が現れるまでは、後押ししてくれる人さえもいませんでした。

このような私が、人生成功のプログラムや書籍を出し、しかもそれらは、世界中で少なくともこれまで二〇〇〇万人以上の人々に、大なり小なり活用されてきたのですから、驚かずにはいられません。

私は、自慢をしているのではありません。これは、すべて、この私の横に立っている透明人間が私を導いてくれたからできたことなのです。

▼夢と現実との綱引き

さて、私は、カーネギーに、「イエス」と答えた後で、当時住んでいたワシントンの家に帰り、弟にこの話をしました。

弟は何も言わずに、私の話を最後まで聞き、私が話し終えると静かに立ち上がり、私の肩を抱いて言ったものです。

「ナポレオン兄さん、俺は、一緒に裸足で駆け回っていた小さいころや、ワイズ郡のゲストラル川で一緒に泳ぎを覚えたころから、いつも、兄さんは少しおかしいんじゃないかと疑っていたんだ。今やっとその話を聞いて、もう、疑う必要はなくなったと確信したよ。これで、兄さんが本当に狂っているということがわかったからね」

これが、実の弟の言葉です。本当に私はそう言われたのです。しかし弟にこう言われて、私は、はたと現実に引き戻されました。

そこはもう、ピッツバーグから遠く離れたところで、あのカーネギーの魔法のような強烈な印象もうすれかけていました。弟の考え方は、とても論理的なもののように思えました。

事実、その後、私に親類や友人は、ただ一人を除いて、皆、私のしたことに対して、弟と同じ評価をし、見下した目で私を見るようになりました。

私のしたことを肯定し、真剣な顔で「お前だったら、必ずできるよ。がんばってやりなさい」と言ってくれたのは、たった一人、私の継母だったのです。

皆様、私が、継母が世界中で最も素晴らしい女性である、とお話しした理由がおわかりになるでしょう。

私の人生にとって、この世界で最も素晴らしい影響を与えてくれたのは、この継母と、そしてもう一人、私の妻です。妻は、私のエゴの代弁者であり、最も辛辣な批評家であり、そして、最も仲の良い友人です。

私の現在までの成功は、すべて、この二人の女性の援助のおかげですし、これから私が達成していくことも、すべて、この二人の女性のおかげなのです。

▼成功ノウハウをどう実生活に活用するか

さて皆様、それではこの成功ノウハウを、どのようにして実際の生活に実践すればよいのか、ということについてお話ししましょう。

皆様には、私の話をよく聞いていただいて、これから、私の述べる成功のためのノウハウを、ご自分の人生にどのように活用すべきか、考えていただきたいと思います。

まず最初の原則は、「明確な目標」を持つということです。これは、最も重要なことです。明確な目標を持っていなければ、誰も何にも到達することができません。

人生には、その場その場のさまざまな目標がありますが、私の申し上げている「明確な目標」とは、これらの小さな諸目標を包括できる大きな目標のことです。

※どれぐらいの目標でどれくらい細かく設定するべきか?

人生を成功させたいのでしたら、何か将来達成すべき、大きくて、かつ明確な目標が必要です。

「〝私が成功する〟とはこれを達成することである」と、はっきり言えるものを願望や目標に掲げなくては意味がありません。

第二の原則は、「プラスアルファの努力」ということです。

誰でも、自分に課せられた業務や仕事がありますが、業務を果たすことだけで満足するのではなく、常にそれより多くのことを、自分に期待されているよりも、もっと効果的に行わなくてはなりません。

しかも今日、皆様が私の講演をお聞きにいらっしゃったように、自発的に、楽しく行わなくてはなりません。

昨今では、自分の仕事以上のことをするどころか、自分の義務さえ怠っている人がほとんどなのですから、アメリカの経済が停滞するのも無理はありません。

私は、誇張して申し上げているのではありません。残念なことに、これが現状なのです。

収入を得るための仕事さえ拒否してしまうのは、もう疑いもなく、現代社会の「罪」の一つと言えるでしょう。

アメリカという国は、リスクを自ら背負い、自由を求め、自発的に仕事を行ってきたパイオニアたちが造った国です。

私の使命は、この成功ノウハウを使って、パイオニア精神を忘れてしまった人たち、それは、わが国だけに限りませんが、そういった人たちにこの精神を思い出させることです。

私たちが住んでいる、この素晴らしい国を造り上げたパイオニアたちをもう一度、呼び戻すことです。

第三の原則は、「調和の精神」ということです。

人には、さまざまな感情があります。「調和の精神」とは、これらのさまざまな感情を「完全に調和」させ、「明確な目標」に到達するため、障害を取り除いていくことです。

ここでのキーワードは、この「完全な調和」です。「明確な目標」に向かって進んでいるときにすら、迷いがあるものです。

しかし、ここに「完全な調和」が存在すれば、それらの迷いも、目標の達成に向けて、大きな力になるものと思います。

第四の原則は、「信念の現実化」ということです。

これについては、皆様、よくわかっていらっしゃると思いますので、詳しく説明する必要はないでしょう。一つだけ申し上げるとすれば、この「信念」は机上の空論ではいけません。「現実的な」ものでなくてはなりません。

第五の原則は「自己規律」、そして、第六の原則は「自然の法則」です。

自然の法則は、この全宇宙を創造しました。

人類も他の生物と同じように、この自然の法則によって作られたものですが、他の諸生物とは違って、人類だけに与えられた脳力があります。

それは自然の環境とは違った、人間だけの環境を作り出すことのできる脳力です。他の諸生物、人類よりも知性において劣る生物は、常に自然の習慣に従って行動します。つまり、「本能」と呼ばれているものですが、それから抜け出すことはできません。

▼「思考」があなたを変える

しかし、人間は、自分自身の習慣や環境を作り出すことができるのです。人間は、自分で自分の運命を決定することができるのです。

将来を自分で築き上げる脳力、目標を自分で選ぶ脳力が人間にはあるのです。意識というものが、どれほど強いパワーを持っているか認識してください。

恐れやフラストレーションから、自分を解放してください。不安や恐れを乗り越えるのは今です。

※恐れはフラストレーション、「無理だと思った時点で終了」

今、こんなときに、私たち一人ひとりが、具体的な前向きの目標を掲げ、その達成のために心を尽くしましょう。

そうすれば、今、申し上げたような、歓迎できない不必要な予感や恐れについて考える暇などなくなってしまいます。

※考える暇さえ作らない。

不思議なことに、こんな素晴らしい脳力を持った私たち人類のほとんどが、悲しみや失敗ばかりの人生を送っているのです。

自分の思いどおりに人生を送ることができないと、落ち込んでいる人々が本当に大勢いるのです。

この人たちは、人生をガラッと変えて、自分の思いどおりの生き方をすることがいかに簡単なことであるのか気が付いていないだけなのです。

「考え方があなたを変える」ことを認識していないのです。貧困、失敗、敗退など、こんなことばかり考えて人生を送っていれば、その人生はそのとおりになってしまいます。

※失敗なんて考えない。

反対に、成功、富裕、目標の達成について考えていれば、これらは必ず手に入れることができます。

※必ず手にする、それだけにフォーカスする。

▼「不可能」の文字を消す

私にとって、最も辛かった時期は、一九〇八年から一九二八年の間の二〇年間でした。この二〇年間、私の周りは、「君にできるはずがない」、「君には難しすぎる課題だ」、「君が生きている間にはまずできないよ」等々の批判ばかりでした。

私は、自ら、これらの批判をはねのけることのできる免疫の抗体〔訳注…病原菌などの抗原が体内に侵入したときに、これに対抗するために生じた物質〕を作る必要がありました。

つまり、少なくとも、これらの批判を無視できるだけの強い自我を持たなければなりませんでした。何年か前の誕生日に、私は、当時教えていたセミナーの修了者から、プレゼントを頂きました。とても素敵な分厚い辞書でした。

学生たちは、私のためにそのプレゼントの贈呈式をやってくれました。ステージの上で、その辞書を受け取るとき、私は、ポケットからペンを取り出して、このようにお礼の言葉を述べました。

「皆様、こんな素晴らしいプレゼントを頂いて、本当に感謝しております。けれども、私は、このままこの辞書を頂くわけには参りません。というのは、この辞書の中には、私の大嫌いな文字が載っているからです」

そして、「不可能」という言葉を引き、この言葉をペンで塗りつぶしました。かつて、ナポレオンは、「私の辞書には不可能という文字はない」と言いましたが、私の名もナポレオンです。

しかし、彼にあやかって「不可能」の文字を消したわけではありません。「さて、これで、この辞書を頂くことができます。私は、『不可能』の言葉が載っている本は受け取ることができないのです。

なぜなら、私は、今までに『不可能』と言われていたことが、実は、『不可能』ではなかった例を数多く知っているからです。私は、この世に『不可能』は存在しないと確信しています。ですから、私の辞書にも『不可能』は不要なのです」

▼アール・ナイチンゲール博士のエピソード

さて、この中で何人の方が、アール・ナイチンゲール博士のプログラムを知っていらっしゃるでしょうか?ご存じの方は手を上げてみてください。

ほう、たくさんいらっしゃるようですね。私は、一年ほど前、アール・ナイチンゲール博士に会いました。

彼は、この数年の間に、私がこのシカゴで会った人たちの中で、最も印象の深い人です。彼は、私の成功ノウハウに出会ってから、いかにドラマチックに人生が変わったかを話してくれました。

昔、彼はごく普通の人間で、その仕事にも、また収入の額にも大きな不満を持っていたそうです。そんなころに、誰かが彼に私の本をプレゼントしました。

彼は、その本をベッドの中で読み始め、私の本の中の一つの文章が突然彼の頭の中で爆発したのだそうです。

その文章とは「人間は自分が考えているような人間になる」です。その衝撃があまりにも強かったので、思わず、大声で奥さんを呼びました。

「おい、僕はとうとう見つけたぞ!」奥さんが、何ごとかと驚いて、「見つけたって、いったい何を?」と、問い返すと、彼はこう答えたそうです。

とうとう見つけたんだよ。僕と成功との間にあった障害がいったい何であるのかをね」彼は、こう話を続けました。

「次の日、私はこのナポレオン・ヒル博士の成功ノウハウを実践しようと決心して、会社に行きました。

つまり、この一週間のうちに、自分の給与を二倍にしてやろうと決めたのです。そして、驚いたことに、私の決心は、いとも簡単に実現しました。

私のしたことといえば、ただ、給料を上げてくれるようお願いしただけなのです。

私は、あまりに簡単に望みがかなったので、しばらくすると、これはただの偶然だったかもしれないと疑い始めました。そこで、それを確かめるために、もう一度、やってみることにしました。そうしたら、また、給与が上がってしまったのです」

アールはもう、給与のことなど気にはしていません。彼は、すでに十分成功しています。彼は、とうとう、自分の仕事を見つけたのです。

自分のやりたいことを仕事にしたのですから〔訳注…アール・ナイチンゲール著『人間は自分が考えているような人間になる‼』(田中孝顕訳・きこ書房刊)には、ナポレオン・ヒル博士のある言葉をきっかけにして自分が変わったこと、そして同時にナイチンゲール博士自身の思索と行動の中から生まれた示唆に富むアイデアが述べられている。同書は全米でベストセラーとなっている〕。

▼脳力は使わなければ無いのと同じだ

今、私たちに必要なのは、すでに持っている知識を、より有効に活用することなのです。皆様一人ひとりが、ご自分で選択なさったそれぞれの分野において、十分に活躍できる脳力や知識をすでに身につけていらっしゃいます。問題なのは、いかにしてこれらを活用できるかなのです。

※より持っている知識を洗練させ、十二分に発揮すること。

私たちはすべて、この世に生まれ出たときに、神様から二つの封筒を頂いています。封印された封筒です。

その一つには、自分の脳力を意識的に、有効に活用した場合に与えられる富や報酬の長いリストが入っています。

もう一つにも、同じように長いリストが入っていますが、これは、自分の脳力を活用できなかったときに与えられる罰のリストです。

大自然は、特別に人間だけに、最も素晴らしい脳力をお与えになりました。考える脳力です。人間自身が、それを活用するためにお与えになったのです。

ある哲学者がこう言いました。とても的を射た表現です。この言葉は、実はこの私が最初に言いたかったことなのですが……。残念ながら、私のオリジナルではありません。

その言葉とは、「自分の脳力がどんなものであれ、それを活用できないのなら、その脳力は無いに等しい」というものです。

この脳力とは、もちろん、人間だけが持っている「考える力」です。よろしいですか?「使えなければ、無いのと同じ」なのです。

▼カーネギーの「成功ノウハウ」を、私はこうして活用した

ちょうど、今から四〇年前に、私は初めて、ここシカゴにやってまいりました。そしてそこから、ここに一〇年間住むことになりました。私はここで、ラサール大学の広報部長の仕事を始めました。

それまで、この大学には広報部長がおらず、私が初めてこの職に就いたのですが、この仕事を始めてからとても短期間、ほんの三カ月ほどで、このラサール大学が大きな赤字を抱えていることに気付きました。

というのも、給料の小切手を換金するのに、あちこちの銀行をたらい回しにされたからです。これには困りました。そこで、私は、アンドリュー・カーネギーの言葉を思い出しました。

「大きな問題に直面したときは、その問題を一度に解決しようとはせず、問題を細分化し、その一つひとつを解決するようにしなさい」このように、彼はよく私に語っていました。

※問題を因数分解する。

そこで私は、この問題を分析し、この問題の原因になり得るものをリストアップしてみました。その結果、この問題は、経理部の部長のせいだと気付きました。

彼は、授業料を払わない学生に罰を与えると脅していたので、学生たちはよけいに腹を立て、結局、学費を払わないという悪循環の状態だったのです。

私は、大学当局に対して、この部長に新しい会社で新しい仕事を探すように勧めてはどうかと提案しました。新しい会社で、です。ちょっと遠回しな表現だったでしょうか?この提案は受け入れられました。

代わりに、それまでセールスパーソンだった男が彼の役職に就きました。この新しい部長は、学費を滞納している学生たちに、罰を与える代わりに、丁寧な手紙を書きました。

さらに、私たちは、二つの解決策を考えました。まず一つは、学生たちに八パーセントの利益で大学の株を売ることにしました。これで、いくらかの利益を上げることに成功しました。

二番目には、学生たちを大学のセールスパーソンにしてしまったのです。

こうして、学生たちは、自分たちが滞納していた学費を払うばかりでなく、多くの新入生を大学に連れてくるようになりました。

この後、少なくとも五年の間、ラサール大学は、他のどの学校に比べても、大きく急成長したのです。

これはすべて、カーネギーの教えによるもので、もし、彼に出会っていなければ、「問題は細分化して解決すればよい」という彼の言葉を聞いていなかったら、このように、うまくこの問題を解決することは、とてもできなかったでしょう。

▼価値ある「思考」

実は、これ以前にも、私が二一歳になる前に、いかにこの成功ノウハウが実際の生活に応用できるものであるかは、実証済みでした。私は、当時、結婚したばかりでワシントンに住んでいました。

ウェストヴァージニア州のランバーポートという小さな村に、妻の家族を初めて訪ねていったときのことです。ワシントンを出るときに、私は、よそ行きの服を一揃い買い込みました。

ランバーポートへ行くためには、そこから二マイルほど離れた、電気も通っていないヘイウッドという町から馬車に乗らなくてはなりません。

ところが、来るはずだった馬車は、結局来なかったのです。どしゃ降りの雨の日でした。

私は、大きなスーツケースを両手に抱え、しかたなく、どしゃ降りの雨の中をランバーポートに向けて、二マイルの道のりを歩き出しました。

ランバーポートに着いたときには、私の一張羅は、惨めなぼろ着に変わっていました。でも、この経験は最終的に、私にとって、とてもラッキーなものになりました。

このおかげで、六カ月もたたないうちに、私は何百万ドルもの価値あるものを手に入れたのです。このとき、初めて、私は、カーネギーの「成功ノウハウ」を実際に活用していたのです。

私は、義兄に会うと、「ここに電車を走らせるわけにはいかないのでしょうか」と尋ねました。

「そうすれば、馬車を待つ必要もなくなるし。いろいろと便利になるでしょうにね」義兄は、「今、あの崖を越えて来るときに川を見ただろう?」と言います。

私が「はい」と答えると、「あれがあるから、電車を走らせられないんだよ。俺たちだって、一〇年も前から、電車を走らせることはできないものかと、いろいろ考えてきたんだ」そこで私は、「一〇年もですって?私だったら六カ月で電車を走らせてみせますが…」と言ってしまいました。

彼は、こう言いました。

「ほう、すごいじゃないか。とうとう、うちの家族から英雄が生まれた。ぜひ、やってみせてくれよ」もう、雨はやんでいました。

私は義兄と一緒に、レールを敷くことができない原因になっている川を見に出かけました。義兄は、この川に単に橋を架けるだけでも、一〇万ドルの費用がかかると話してくれました。

その金額は、電車を走らせるために電鉄会社が用意した資金よりも、ずっと大きなものでした。

私はそれを聞いて、思わずそこに立ち止まり、どうしたら、あの馬鹿な発言を取り消すことができるだろうかと考え込んでしまったものです。

その川は堤防が一〇〇フィートほどの高さで、曲がりくねった田舎道がその一方の川岸を走り、小さな、今にも落ちそうな橋を通って、向こう岸の堤防に続いていました。

向こう側の川岸は、約一四の線路の方向転換所になっていました。そこは、石炭運搬用の貨車が走る線路でした。

私は、川岸に立って、それらを見ていましたが、そのとき、いつも私が困難な場面に出くわしたとき、私の後ろに立って、私を導いてくれる、あの透明人間が現れたのです。

彼は、また私の耳にささやきました。

「向こう岸に立っているお百姓さんが見えるかい。あの人は、あの石炭運搬用の貨車が通り過ぎるのを待っているのさ。その間は、あの田舎道は通れないからね」私は、これを聞いて、解決策を思いつきました。

三つのグループがこの川を渡る橋を必要としているのです。

石炭運搬の鉄道会社にしてみれば、田舎道との交差点の踏切で、もし何か事故が起こったら、その補償の費用は、新しく橋を建設する費用の何倍もの支出になってしまいます。

自治体も、同じリスクを負っています。そして、電鉄会社は、ランバーポートを訪れる人がとても多いので、橋を造りたがっているのです。

一週間後、私は、石炭運搬のピオノール鉄道会社、地方自治体、電鉄会社の三グループを協力させるよう、話をつけていました。

そして、六カ月後には、ランバーポートに電車で入った最初の人間になったのです。その後、一九三四年に、私はランバーポートを電車で出る最後の人間になりました。

というのはそのときをもって、電車の路線は廃止し、代わりに、ここにはバスを走らせることになっていたからです。

▼成功哲学は奇跡を起こす

カーネギーは、私に、非常のときにはこの哲学を活用して、難題を自分にプラスの資源に変えることを教えてくださいました。

これこそが、この哲学の最も有効な使い方です。

行き詰まったとき、それまでに蓄積してあった知性も、経験も使い果たしてしまったと感じたとき、もうどうしようもないと思ったときに、この成功ノウハウが助け船を出してくれます。

本当に、これは冗談ではありません。私は、このように奇跡が起きるのを、何回となく経験しました。

先ほどお話ししたように、私は、このシカゴに来てから、ラサール大学の広報部長の仕事をしていましたが、この街に来てすぐエドウィン・C・バーンズにお会いしました。

トーマス・エジソンが、ただ一人、そのパートナーとして選んだ男です。私は、ジャーマン・ホテルで、バーンズと夕食か昼食かを食べていました。彼は、私にエジソンとの交際について話をしてくれました。

電車賃さえ持っていなかったバーンズは、ニュージャージー州のウェストオレンジまで貨車で行って、五年間もエジソンの身の回りの世話をしながら、偉大なエジソンが、彼をパートナーにすると承諾してくれるのを待ったそうです。

彼は自慢げに、私にこう言いました。

「苦労のかいあって、私は今、裕福になりました。今では、一万二〇〇〇ドル以上の年収があります」私が、「一万二〇〇〇ドルですって?もし、私がエジソンのパートナーでしたら、年収を少なくとも五万ドルにはしてみせますよ」と言うと、彼は「どうやって?」と、私に尋ねました。

皆様は、明確な答えを用意していないときに、この「どうやって?」という質問を受けることが、いかに恐ろしいことであるか、気がつかれたことがあるでしょうか?こんなときには、冷や汗が出てしまいます。

私が、エドウィン・C・バーンズに「どうやって?」と、尋ねられたときもそうでした。それから、私は真剣に考え、カーネギーの成功哲学を応用することにしました。

▼成功哲学はヒラメキを生み出す

まず、私は彼にいくつかの質問をしました。彼の仕事の内容を把握するためです。ご飯を食べ終わるころには、もうアイデアが浮かんでいました。

それまで、バーンズのもとで働いていたセールスパーソンに加え、シカゴの辺りをそのセールス領域としているタイプライター会社のセールスパーソン、そして、同じくシカゴ近郊の、机などの事務機器を売っている会社のセールスパーソンを、すべてある事務所に登録しました。

こうして、たとえば、バーンズのセールスパーソンが、ある機械を売るとき、そのお客に机も勧めてみます。

そのお客に見込みがありそうだったら、この事務所に連絡するのです。そして、この事務所が、机専門のセールスパーソンに連絡するという仕組みです。

反対に、机のセールスパーソンが、バーンズの扱う機械に興味のあるお客を見つけたら、同じようにして、事務所に連絡します。

このようにして、バーンズは一五〇人のセールスパーソンから得られる情報を、ただで手にすることができるようになりました。

ちょうど、第一次世界大戦のとき、毛皮の値段が急騰しました。私ととても仲の良かったドイツ人の友達がミルウォーキーに住んでいたのですが、彼はとても賢い男で、この毛皮でひと儲けしようと企み、猫の飼育を始めました。

しかし、彼はすぐに問題に気がつきました。毛皮の値段と同様に、餌代も目の玉が飛び出るほど高かったのです。

でも彼は、カーネギーの成功哲学を学んでいましたので、こんな障害など、すぐに頭を使って乗り越えました。

彼は、猫牧場の隣に、ねずみ牧場を造ったのです。ねずみを猫の餌にし、猫の毛皮をとった後、その肉をねずみの餌にしました。

これで、餌代が節約できただけでなく、皮を取ったあとの猫の処理もただでできるようになりました。

まあ、これ以上、皆様があまりつっこんで想像して、ムカムカしないように、このへんにしておきますが……。私が、バーンズに教えた方法もこれと同じ原理です。

経費をまったく使わずに、効果を上げるやり方です。

この結果、バーンズの年収は、最初の年は五万ドル以上、次の年は、一〇万ドル以上、そして三年目には、一五万ドルと、どんどん増えていきました。

その後、どのように増え続けたか、正確な金額は知りません。彼はもう、十分に成功しているのですから、年収など、私がそう詳しく知る必要もないでしょう。

バーンズは、去年、ここに私を訪ねてくれ、私たちは、とても楽しいときを過ごしました。彼は、その後退職して、今、フロリダ州に住んでいます。

そして、億万長者として定年後の生活を十分に楽しんでいます。ここで皆様、忘れてはならないことは、彼の成功がすべて、このカーネギーの成功哲学によるものだということです。

私は、世界で最も多くの成功者を作り上げた男だとの評判があるそうですが、私自身は、この評判が事実であるのかどうかは知りません。成功者の数をはかる正確な統計などあり得ないからです。

しかしながら、皆様、確かに私は人生を通して、多くの人たちが、私の本を読み、あるいは私たちのプログラムを学習して、まったくのゼロから、大金持ちになったのを知っています。

また、大金持ちにはならなくとも、かなりの成功をした人たちを大勢知っています。むろん金銭には代えられないものを得た人もたくさんいます。

カーネギーに教わった成功哲学、成功ノウハウを多くの人々に広め、役立てていただく、という当初の目的は、かなり果たすことができたのではないか、と思っています。

そして、この哲学は、今生きている人たちだけでなく、まだ、生まれていない、これからの世代の人々にも、十分役に立てていただけるものと信じています。

▼カーネギーの莫大な財産とは……

私が、まだこの成功哲学をまとめようと四苦八苦していたとき、カーネギーは、こう私に言いました。

「私は、死ぬ前に、今までにためた金を全部使ってしまうつもりだ。何か、私の金が役に立つものが見つかれば、すぐにでも使いたいと思っている」そして、皆様ご存じのように、彼は、それを実行しました。

教育団体、図書館、平和を維持する目的の諸団体、考えついたものすべてに、彼は多額の寄付を惜しみませんでした。

その総額は、今の金額にして二〇億ドルにも達します。でも彼は、こうも言っていました。

「まだ十分じゃない。これは、私の財産のほんの一部にすぎない。私の持っている最も価値の高い財産とは、私が富を築いた方法、ノウハウだ。

※自分の経験したノウハウを落とし込むために文章化し、加筆していく。

私は、何よりもこれを、世界中の人々に残してあげたいと思う。君がこの仕事を完成したら、そして、君なら絶対に完成させることができると思うから、君を選んだのだが、私は、やっと自分の望みをかなえることができる。

君に賭けているんだよ。君なら私が手に入れたものよりも、もっともっと多くの富を手に入れることができるはずだ。

もっと多くの人たちに成功を収めさせることができるはずだ」皆様、私は、これを聞いたとき、「荷が重すぎる」と思いました。

それまで私は、カーネギーに褒められたことがありませんでしたので、このときは、自分の耳を疑いました。

でも事実、私は現在までに、カーネギーよりずっと多くの人々に成功をもたらすお手伝いをすることができたのです。

そして、将来においても、カーネギーの依頼によって私が完成させた成功哲学の助けによって、多くの成功者が生まれることでしょう。

私は、この成功哲学をまとめようとしていた二〇年間に、ある事実に気が付きました。それは、世界に危機があったときには、必ず、それに抵抗する力が現れるということです。

アメリカが二つに分かれるかもしれないという危機のとき、エイブラハム・リンカーンが登場しました。リンカーンの前には、ジョージ・ワシントンがいました。

大不況で、人々が銀行から預金を引き出せなくなるという恐れにおののいているとき、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が現れました。

私はいまだに、ときどき運命とは不思議なものだと考えます。

私のように貧乏な田舎育ちの人間が、思いもかけなかったような仕事、「思考」という大自然から特別に与えられた脳力を認識し、活用することさえできれば、可能性は無限大だ、と人々に教える仕事をしているのです。

この私こそ、最低の環境から、運命の女神の長い腕に抱かれ、最高の成功を与えられた一人かもしれません。

▼チャンスは予期しないときにやってくる

私は、一九二二年にシカゴを去りました。シカゴでの最後の仕事は、『ゴールデン・ルール』(「黄金律」)という雑誌の編集でした。

ここを去るとき、私は、何があっても、二度とここシカゴの土を踏むことはない、と決心していました。皆様、このように、ドラマチックな思い込みを口に出すときは注意が必要です。このように決め込んでしまうと、かえって、その正反対のことが起きるようです。

私は、世界中どこに住むようなことになっても、シカゴにだけは住まないと決めていたのにもかかわらず、この年になって、やっと、私が人生で最もやりたいと思っていたことをやり遂げるには、このシカゴしかない、ということに気が付いたのです。

大自然はいつも、予期しないときに恵み(チャンス)を与えてくださるそうですが、私はそれまで、そんなことなど思ってもみませんでした。

もし私が、世界中の人間から、自分と一緒に仕事をするために誰でも気に入った人間を選ぶことができたとしても、W・クレメント・ストーンほど有能な人を探し出すことはできなかったでしょう。

私が、ストーンを探し出したのではありません。ストーンのほうから、私のところにやって来てくれたのです。

彼が最初に述べたように、誰でもその人にそれだけの器量があれば、本当に用意ができているのなら、最良のものが向こうからやって来るのです。

もし皆様が、私とお近づきになる用意ができていれば、私の成功哲学を受け入れる用意があるのなら、今日のこの日が、皆様にとって、必ずや、人生の折り返し地点となることは疑いの余地もありません。

その後のナポレオン・ヒル田中孝顕ここでヒル博士のスピーチは終わる。ヒル博士のその後については、本書を読むにあたり参考になると思うので、ここで簡単に補足しておこう。

ただ少しばかり長いので、本文を読んだ後で目を通していただいてもさしつかえない。

アメリカが第一次世界大戦に突入したとき(一九一四年)、ウッドロー・ウィルソン大統領は、ヒル博士に、広報担当の大統領補佐官としてホワイトハウスに来るよう要請した。

ウィルソン大統領は、プリンストン大学の学長だったときに、カーネギーの紹介でヒル博士と会い(一九〇九年)、その後、親しい交際が続いていた。そのようなこともあり、彼はこの要請を受け一九一七年に補佐官となった。

一九一八年、ヒル博士がウィルソン大統領のもとで働いていたとき、極秘公文書が届き、ドイツ軍が休戦を要請していることが明らかになった。

(休戦は同年一一月に実現したが)このときヒル博士が中心となって、大統領の名でドイツあてに返書が作成された。

次期大統領選挙(一九二一年)が行われると同時に、彼はホワイトハウスを去り、短期間だが、『黄金律』という雑誌の編集と出版に携わった。

その一年後、これまでの成功ノウハウの研究成果を基に、セミナーや講演を行うようになる。しかし、この時点では、まだカーネギーが依頼した「成功哲学」の体系はできあがっていなかった。

しかし、まもなくヒル博士は広く認められるようになり、著名な講演者の一人となった。彼はいつも「成功哲学」について話し、成功と失敗を生み出す要因についての研究によって築き上げた彼の思想と哲学を広めていった。

一九二三年、ヒル博士は自分が書いた膨大な量のノートを整理し、一九二八年には、遂に‘TheLawofSuccess’という一六セッションからなる自己開発プログラムを完成した。

カーネギーが「二〇年間を費やす必要がある」と言ったとおり、この自己開発プログラムは、カーネギーの依頼を受けてから、ちょうど二〇年目に完成されたのである。

このプログラムは、今日のナポレオン・ヒル・プログラム(PMAプログラム・HSSプログラム)の原型となっている。

ヒル博士は大恐慌の時代(一九二九~一九三七年)の大半を、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の補佐官として活躍した。ヒル博士は大統領が行う演説の草稿者として、有名な「炉辺閑話」の原稿をたくさん書いた。

その中でも、「われわれは恐怖それ自体以外に恐れるものは何もないのだ」という有名な言葉は今日でも語り継がれている。

ワシントンにいる間、ヒル博士はさらに六冊の本を書いた。その中の一冊、‘THETHINK AND GROW RICH’は一九三七年に出版されたが、その新版が本書『思考は現実化する』である。

この本はその数年前に世に出したプログラムの紹介版であるにもかかわらず、ベストセラーになり、今日でも世界各国で必読書の一つになっている。

また一九八七年に出版されたキングスレイ・ウォードの『ビジネスマンの父より息子への三〇通の手紙』の本文中にも、必ず読むべき一〇冊の本の一冊として本書が推薦されている(城山三郎氏の日本語訳では『巨富を築く十三の条件』と訳されているが、原文は‘THINK AND GROW RICH’すなわち『思考は現実化する』のことである)。

また同じ年にウォードが著した『ビジネスマンの父より娘への二五通の手紙』では再びナポレオン・ヒル博士の『思考は現実化する』に言及し、次のように引用している。

マスターマインド

ナポレオン・ヒルは、彼の著書『思考は現実化する』の中で、マスターマインドについて、『二人以上の人々の間で、明確な目標の実現のために結ばれる、調和の精神に基づく知識と努力の総和である』と定義している。

問題解決のために、他の人々と『心を一つにして』取り組んでいると、解決に役立つさまざまなアイデアが数多く飛び出してくる。

※マスターマインドの人数を増やして、強固なチームを作る。

事実、ナポレオン・ヒルの言うとおり、心を一つにすることは、まったく別の第三の心──即ちマスターマインドを生み出すものだ。

創造力とイマジネーションとは、表裏一体のもので、コンピュータ、ソーラーシステム、ワクチン、マイクロエレクトロニクス、宇宙旅行などの発想は、すべてここから生まれたのだ。

以前にも話したように、それは心の起爆剤で、私生活においても、ビジネスにおいても、決定的に重要なものとなる。

だから、心に栄養を与え、時間をかけてアイデアを育てなさい。

マスターマインドを実生活に持ち込めば、いつかきっと、トーマス・エジソンやマダム・キュリーと肩を並べることだってできると思う。(後略)愛する娘へ夢見る父より」(原著‘LettersofBusinessMantohisDaughter’より)このように今日に至るもなお、ナポレオン・ヒル博士の確立した成功哲学は、各方面に根強い影響を及ぼしているのである。

ヒル博士は一人ひとりが持っていながら、気付かずに過ごしている脳力について、少なく見積もっても二〇〇〇万人以上の人々に語ってきた。

彼は、「この脳力こそ、広大かつ未開拓の人間の知性と可能性の宝庫である」と語る。彼は、持てる脳力を最大限に引き出すノウハウを体系化することに一生を捧げた。ヒル博士は言う。

「十分な確信を持ってそれを信じ、信念に基づいて行動すれば、誰でもなりたいと思うものになれるのだ」その後の約三〇年間、ヒル博士はときどきドラマチックに、機知と情熱をみなぎらせて成功の科学に関する講義を何十万人もの人々に行った。

彼はその他にも、ラジオ放送や、企業コンサルタントの仕事を通じて、数えきれないほど多くの人々に影響を及ぼしてきた。

一九四〇年の終わり近く、ヒル博士は、そろそろ引退して悠々自適の生活を送ろうと考え、これまでの活動を減らし始めた。しかし引退生活は長くは続かなかった。

▼後継者、W・クレメント・ストーン

一九五二年、ヒル博士は彼の信奉者の一人の再三の懇願にこたえて、彼の成功に関するメッセージを引き続き教えるために、再び世の中に出た。

その信奉者というのは、たたき上げの保険会社のオーナーで、アメリカでも名の知れた大富豪であるW・クレメント・ストーンで、彼自身ヒル博士の成功哲学の正しさを証明する生き証人でもあった。

一九五三年四月、ヒル博士とストーンは、ヒル博士が完成させたプログラムをもとに、改訂版を作成した。

このプログラムは、一九八八年にストーンの手で最新版が作られ、今日ではPMAプログラム、およびHSSプログラム等として世界各国で活用されている。

またヒル博士とストーンは今日、『サクセス』の題名で知られている雑誌『サクセス・アンリミテッド』を創刊した。

一九六〇年に出版された彼らの共著になる『心構えが奇跡を生む』(原書は‘SUCCESSTHROUGHAPOSITIVEMENTALATTITUDE’)は、その分野の一大傑作として高く評価されている。

一九六二年四月、ナポレオン・ヒル博士とW・クレメント・ストーンは「協力して成し遂げるべく設定した目標」が実現したことを発表した。

八〇歳の誕生日を迎えようとしていたヒル博士は、サウス・キャロライナ州のコロンビアにある自分の家に戻って、彼の著作とプログラムを普及・発展させるために、これまでの組織を財団にすることにし(事実上の創立は一九五二年)、W・クレメント・ストーンを理事長に迎えた。

ストーンは、世界で最も歴史と権威、それに実績のある自己開発プログラムの発展に、持てる情熱のすべてを注ぎ込み、すでに述べたように一九八八年には一連のナポレオン・ヒル・プログラムの最新版を完成させた。

これを機に、一九八八年には日本にもナポレオン・ヒル財団日本リソーセスが設立され、これでほぼ全世界をフォローするに至った。

この年、ストーンは八七歳の誕生日を迎えたが、その情熱はいささかも衰えていない。ナポレオン・ヒル博士は一九七〇年一一月に八七歳でその輝かしい人生を安らかに終えた。

彼は自分自身が確立した成功哲学を自らも実践し大富豪となったが、これは六二年前にカーネギーが予言したとおりだった。

▼アンドリュー・カーネギーの生い立ち()

ここでナポレオン・ヒル博士に成功哲学の完成を託した、アンドリュー・カーネギーの人となりを簡単に述べておこう。彼は一八三五年、スコットランドで生まれた。

そして一八四八年に移民として渡米し、ペンシルヴェニア州に落ち着いた。

カーネギーは一三歳になったとき、週給一ドル二〇セントという条件で綿織り工場の職工として就職した。その後、伯父の勧めにより電報配達夫となった。

しかし、背が低いというハンディがあったので、面接にパスするかどうか彼自身不安があったようだ。幸い、背のことに面接者のブルックス電信局長は触れなかった。

「君はピッツバーグの地理を知っているのかね」と面接で聞かれたカーネギーはこう答えた。

「よく知りませんけれど、一週間で全部覚えます。僕は小さい体ですが他の人より二倍は早く走れます。ぜひ雇ってください」

こうして面接に首尾よくパスして、その日からカーネギーは週給二ドル五〇セントで、本格的な人生の第一歩を踏み出したのであった。

その後、彼はトーマス・スコットというペンシルヴェニア鉄道の管理局長に気に入られるようになった。

▼成功する人間はどう決断するか

やがて彼はスコットによりペンシルヴェニア鉄道の管理局にスカウトされることになり、管理局の電報受信システムを一手に任されるようになった。

ある朝、スコット局長が不在のとき、彼は、「貨車が渋滞。客車も早朝から四時間ぐらい立ち往生。事故現場はアルツーナ付近の単線上」という電文が入電して、オフィスが混乱に陥っている場面に出くわした。

東部管区で大事故があり、全線が渋滞してしまったのである。放置しておけば、いつまでたってもダイヤは回復しない。

しかしスコット局長はどこを捜しても見つからなかった。

そこでカーネギーは、問題点を抽出し、それに優先順位をつけて、一つひとつの問題について、解決の方法を考えてみた。

以下は彼自身の自伝を引用する。私の結論はこうだった。私の力でもなんとかこのトラブルは解決できる!しかし事態は急を要した。放っておけば第二、第三の大事故が誘発されるだろう。

私は意を決して、自分で指令を出し、事態を処理することにした。むろん私の名前で列車を動かす権限などない。そこで私はスコットさんの名前を無断で使ったのだった。

「死ぬか、生きるか、運命の分かれ道だ」と私は自分に言って聞かせた。クビになり、面目を失うばかりではない。もしかしたら法により処罰されるかもしれないのだ。

恩人のスコットさんには、どれだけ迷惑をかけることになるか、予想もつかなかった。

しかし、もし私の処理がうまくいけば、事故は防止され、一晩中、全線の各所でストップをかけられて、疲れ果てた列車や貨車の乗務員を連れもどすことができるのである。

私は今、全組織を動かすことができるのだ。確かに私にはできる。

なぜなら私はこれまで事故が起こるたびに、スコットさんから指令の電文を受け取って、それを電信で必要地に送っていたのだから。

私はこのような事態のとき、どうすればよいかを具体的に知っていた。それで私は仕事にかかった。私はスコットさんの名前で指令を発信し、全線の列車や貨車を動かし始めたのである。

スコットさん以外、絶対にやってはいけないことを。

私は装置の前に座って、じっと動きを見つめ、駅から駅へと進行を見守り、慎重にことを運んでいった。

やがてダイヤは回復し始めた。そこにスコット局長が出社して来た。

スコット局長はすでに事故のことを知っていたので、直ちに指令を発するための電文を作成しようと鉛筆を手にとった。

電文の内容は私のものと同じであった。が、私は仕方なくオペレータ室に向かい、さて、どうしたものかとしばらく思案していた。

しかし思い直してスコット局長のもとに行き、こう言った。

「局長、この電文は僕が、その……、打電済みです」スコット局長の顔は一瞬引きつったようになり、そしてかすれる声で「誰の……名前でかね」と私に聞いた。

私はもう腹を決めていたので、「スコット局長の名でです」とはっきり言った。スコットさんは私の顔を一分間ほどジッと見ていたが、私は下を向いて、スコットさんの顔を見ることなどとてもできなかった。

彼は私が発信した電文に目を落としているようだったが、それでも無言だった。そして自分の机のほうに戻って行き、すべてが終わった。

会社の全員は、スコットさんを除いて、その指令はスコットさんが出したものだと信じていた。ただ私のやったことでスコットさんが一言も何も言わなかったので、私はひどく気まずい思いをした。

今度同じようなことがあっても、はっきりと命令を受けるまでは二度とこのようなことはやるまい……、私はそう自分に言い聞かせた。

結局その日は、スコットさんとほとんど会話らしい会話もなく、ひどく憂鬱な気分で帰宅した。翌日、私はピッツバーグ駅の貨物主任のフランシスカさんに呼ばれた。

彼は、私の顔を見るなり笑いながら「きのうの朝はご苦労なことだったね。君のおかげで俺たちはずいぶん助かったぜ。感謝してるよ」と言ったのである。

私は一瞬、彼が何を言おうとしているのか、わからなかった。私がとまどっていると彼は事情を説明した。

きのうの夕方、スコットさんが彼の所へやってきて、こう言ったというのだ。

「君は今日、ぼくの所のあの銀髪のスコットランドの坊主が、何をやらかしたか知ってるかい?」「いえ、何かあったんですか?」「何かあったって。

あの坊主、誰の指令も受けないで、ぼくの名を使って全線の列車を動かしたのさ」「……」「ぼくよりもうまくね。褒めるわけにはいかんが……」これを聞いて私は胸をなで下ろした。

これで今度、スコットさんのいないときに、次に事故が起こったときはどうしたらよいか、私にはよくわかった。

この事件の後、スコットさんは列車の運転について、自分で指令を出すことは、ほとんどなくなったのである。

アンドリュー・カーネギーは適切な行為をしたのだ。

クビになる可能性は一〇〇パーセントあったのだが、彼の使命感はそれをしのいで余りあったのである。

したがってスコット局長も心の中では、彼の行動に感銘を受けたのであった。一八五九年、カーネギーはスコットの後任として管理局長を任されることになる。

二四歳のときだった。

一方スコットは、やがて全米一の鉄道会社となるペンシルヴェニア鉄道の副社長になった。カーネギーが三〇歳になったころ、彼の心の中には次のような願望がすでに芽ばえていた。

「これからは鉄の時代、そして鉄道の時代だ。鉄で富を得よう」こうして以後、彼は次々とその願望を実現していくことになる。

一八六三年キーストン・ブリッジ会社設立一八六七年ユニオン製鉄設立一八七三年ベセマー・スチール・レール会社設立一八八一年カーネギー・ブラザーズ社設立これがのちにカーネギー・スチール・カンパニーとなり、この時点ですでに世界最大の製鉄会社となっていた。

その後この会社は鉄鋼業界の一本化の線に沿って、USスチールへと発展を重ねていく。この鉄鋼業界の一本化(大合同)を、カーネギーが受け入れ、カーネギー・スチールを新会社のUSスチールに売り渡すことになったとき、彼は一つの条件を出した。

それはカーネギー・スチールの全資産の一・五倍に相当する当時の金で四億九二〇〇万六一六〇ドルに相当する社債と株をもらう、というものであった。

この大合同の後、彼は一線から身を引き、これまで得た富を、さまざまな方面に寄贈することに晩年を費やした。

そしてカーネギーは一九一九年八月、肺炎で静かに息を引き取った。八三歳であった。彼はつねづね「人間が金を持ったまま死ぬことはとても不名誉なことだ」と語っていた。

この信念は文字どおり生前中に実行され、カーネギー・ホールをはじめとして、約三〇〇〇もの公共図書館を、亡くなるまでの二〇年の間に寄贈している。

そしてカーネギーはヒル博士に、このような彼の実績を背景に、次のように語ったものである。

「私はすでにほとんどの富を世の中に分配してきた。しかし、もっと大切なものを、まだ分かち与えていないのだ。このことが私にとっても、つねづね気にかかっていてね。

それは、世の中の多くの人々に、誰でもその気にさえなれば豊かで幸せな人生を送ることができる、という秘訣を知らしめることなのだ」

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