はじめに
成功した人の話を聞いたり、本を読んだりしていると、必ずと言っていいほど共通していることがあります。それは、「私は運がよかった」と言っているということです。
「運がよくなりたい」と願わない人はいないでしょう。
ある人は神に幸運を祈り、ある人は運がよくなると言われるお守りや開運グッズを買い求め、またある人は大事な決断をするときに運勢を占ってもらったりします。
私自身を振り返ってみても、お金も学歴も特技も、何もなかった私が北海道の田舎から一人で東京に出てきて、今のような成功を手に入れることができたのは、やはり一言で言えば、「運がよかった」ということに尽きると思います。
ではその〝運〟とはいったいどういうもので、どうすれば運がよくなり、幸運を手に入れるためにはどんなことをすればいいのでしょうか?たとえて言えば、鳥を捕まえるのでも、その鳥の生態を知らなければ捕まえることはできません。
つまり、運という鳥を捕まえたければ、それがどういうものかを知らないと捕まえることはできないのです。
私は幸運にも斎藤一人さんというすばらしい人に出会い、多くのことを学んできました。その結果、自他ともに認める〝しあわせな大金持ち〟になることができたのです。
その幸運を私自身がどのようにつかみ取り、師匠である一人さんは私の運をどのようにしてよくしていってくれたのか。
本書ではまさにこのことを明らかにしていこうと思います。
前作の『器』(サンマーク出版)では幸運にも、初の一人さんとの共著という形で書かせていただきましたが、本作はその第二弾として、また師匠とともに書かせていただきました。
構成としてはまず一人さんに〝運〟とは何か、どうすれば〝運〟がよくなるかを解説していただき、その次に私が〝運をよくする実践版〟として、私自身がどのようにして〝運〟をよくしていったかと、一人さんに教えてもらった実践法を紹介します。
この本を手に取っているあなたはもうすでに、その手に小さな幸運をつかんでいます。
それをさらに大きなものにするためには、行動するしかありません。勇気を出して一歩、幸運に向かう道を歩き出せば、必ずあなたの運の流れが変わります。さらにその道を歩いていけば勢いがついて、あなたの運勢がどんどんよくなっていきます。そしてさらにその道を笑顔で楽しく進んでいけば、あなたには必ず幸運が雪崩のごとく運ばれてきます。
さあ、まずはあなたの目の前にある幸運の扉(ページ)を開いてください。
二〇一三年一月吉日柴村恵美子
第一章運とは何か?(斎藤一人)
運はどこにでもあるんだよ
〝運〟のことを説明するのって難しいんです。なぜかって言うと、みんなが思っている〝運〟と、私が思っている〝運〟はかなり違うんだよね。
多くの人は仕事がうまくいかなかったり、自分が不幸な理由を、「自分は運が悪いんだ」とすぐに運のせいにするんだけど、運のことを言う前に大事なことってあるの。
仕事でもなんでもそうなんだけど、最後には実力なんだよ。
簡単に言うと、たとえば私がどこかの社長を見て、「この人には負けない」って思うと、その会社が一〇〇年やっていようが、従業員が一〇万人いようが、関係ないんです。最後には社長同士の一騎討ちなんだよ。それで、実力のあるほうが必ず勝つんです。
今、ものすごく先に行ってようが、絶対に追いついて勝つんだっていう、たったそれだけのことなの。何が言いたいかっていうと、運のない人は実力のことを信じられないんだよ。それで実力のある人は、運というのがわからないんです。運も実力も必要なんです。
ところが、実力のある人は運のことをバカにするんです。それで運のほうに行く人は、実力を磨くことを怠けるんです。だからうまくいかないんだよ。それで最終的に運ってなんですかって言うと、実は運ってどこにでも転がっているんです。
テレビを見てても参考になることってあるし、一生の内にアイデアっていくつでも出るんだよね。街に出て繁盛してるお店を見に行けばアイデアをもらうことってできるし、田舎にでも繁盛してるお店ってあるんです。
それで、それを見られただけで運がいいんです。
うどん屋でもそば屋でも、お店が繁盛すれば、普通の会社の部長ぐらいの収入はあるんです。それで、もう二、三軒お店を増やすと、ベンツなんかに乗れるようになるんだよ。
だから「仕事がうまくいって運がいい」っていうのは、そんなに特別なことではないんだよね。
まずは〝行動〟が大事だから
運というのは、行動しない限りどうにもならないんです。なぜかと言うと、この地球という星は〝行動の星〟だから。それでこの星は行動の星なんだってことがわからない限り、運がいくら来てもダメなんだよね。
あなたが乗る電車が上り電車なのか、下り電車なのか、目的地に止まるかどうかもわからないで電車に乗るのと一緒なんです。
たまたま正しい電車に乗ることもあるけど、まったく逆に行ったり、そこに止まらずに通り越しちゃうことにもなるの。
だから、この星は行動の星だって知っただけでも運はよくなるんだよね。
恵美子さんは私と出会って、私の知恵は借りたんです。だけど、自分で行動もしたんだよ。だから、人の行動まで助けてくれるものってないの。
「なんかいい仕事ないですか?」って聞く人がいるんだけど、八百屋でビルを建てた人だっているんです。逆に八百屋で財産を無くす人もいるんです。それで、そんなことを知ってることが運なんだよね。
それを知らない人は、何かいい仕事があれば自分でもうまくいくと思ってるんだよ。そんな人にいくら運が来たってそれを運だと思わないから、活かすことができないの。
だから言い換えれば、運とは知ることかもしれないね。それで本当に運がいい人っていうのは、ほかの人がやったら潰しちゃうような店でも繁盛させることができるんです。
それは運ばれてくるもの
運というのは運ばれてくるものなんです。それが人からであったり、さらに言えば神様からであったりするの。お金でもモノでも、そのもの自体が歩いてくるなんていうことはないんです。
だからお金も人が運んでくるものなので、人に好かれない限りはどうしようもないんだよね。まず運のいい人って愛想がいいよね。愛想が悪くて人から嫌われているような人で運のいい人っていないんです。
人に嫌われているという時点で、もうすでに運が悪いんです。それで、そんなことにも気づかないぐらい運勢を悪くしてるんだよ。だから、そういうことをやり続けてしまうんです。
仕事って全部、数字に出るんです。それで、運がいい人って素直なんだよね。
中には「素直すぎると人にだまされたりしませんか?」というような心配をする人がいるんだけど、素直な人って素直に数字を見ることができるの。ひねくれた見方をしないんです。
それで、ブスッとしてるより笑顔がいいに決まってるのに、そんなわかりきったこともやらないんだとしたら、その人はひねくれてるよね。
だから、そういう人は運が悪いんじゃなくて、運を無くしてるんだよ。
「恐れてる、ツイてない、不平不満、グチ、泣きごと、悪口、文句、心配事、ゆるせない」といった地獄言葉を使うより、「愛してます、ツイてる、うれしい、楽しい、感謝してます、しあわせ、ありがとう、ゆるします」といった天国言葉を使ったほうがいいに決まってるの。
1+1=2って誰に聞いても同じなのに、その答えを2と書こうとしない性格に問題があるんだよね。だから、その性格が運を悪くしてるんだよ。
運が悪いって簡単に言うと、我が強いってことなの。だって、いいとわかってることをやろうとしないのは、我が強いんだよね。つまり、運を逃がしてるのは我なんです。
ブスッとしてる人は、ブスッとしてる人が好きなわけじゃないよね。ブスッとしてる人でさえ、ブスッとしてる人はイヤなんです。ということは、ブスッとしてる人は、誰からも好かれないの。
それで、誰にも好かれないことをしながら成功するのって無茶なんです。それに、人にも好かれない人って神様も嫌いなんです。それで運がいいわけないの。だから、当たり前のことを当たり前のようにやればいいんだよね。それでもっと素直になればいいんです。
何に対して素直になるかで決まる
自分の気持ちに素直になるのは大事だけど、人の意見に耳を傾ける素直さも大事なんです。
たとえば、「俺はこのラーメン、絶対うまいと思う!」って始めたとしても、売り上げが上がらないんだとしたら、それは世間に受け入れられてないということなんだよ。
運が悪い人って、そこに素直さがないんだよね。
自分の好きなラーメンをお客さんに食べさせようとするのと、お客さんが喜ぶラーメンを食べてもらおうとするのとでは、志の高さが違うんです。
自分のためにお客さんがいるんじゃないの。お客さんのために自分の店があるとしたら、そのお客さんが喜ぶラーメンってなんですかってことなの。
それを売り上げも上がらず、そのラーメンを出し続けてるんだとしたら、それって我が強いんだよね。そして、その我が運を逃がすんです。
商売人でもサラリーマンでもそうなんだけど、おおよそ、仕事って魂の修行なんです。
それでお店はお客さんから支持されないといけないんだけど、サラリーマンだったら自分の上司が支持してくれないとダメなんです。
たとえばあなたが平社員だとしたら、係長はどうしたら自分のことを支持してくれるだろうかって、じっと見ていればわかるの。
それをたった一人の人も満足させられないとしたら、それは修行が足りてないってことなんだよね。神様が「目の前のその人を満足させなさい」って言うのはなにも、〝おべっか〟を使いなさいって言ってるんじゃないの。
その係長の任されている係の成績を上げればいいんだよ。それで明るく返事して、隣の人の仕事も手伝ってあげてってやっていると、必ず次の人が現れるんです。それで、その次の人って、次の修行なんです。
たとえばそれが今度は課長だとすれば、その課長を満足させる方法を考えればいいの。課長って課全体のことを考えてるから、課を盛り上げるようなことをして、仕事が順調にいってると課長は喜ぶんだよね。
それで、「ウチの課長はボンクラでやんなっちゃう」って言う人がいるんだけど、いくら課長がボンクラでも、あなたががんばって課全体を盛り上げて、仕事もできるんだとしたら、絶対それをほかの誰かが見てるの。
それにその人が本当にボンクラなら、誰が見たってボンクラなの。それなのにその課の成績が上がってるんだとしたら、絶対あなたががんばっているからだって、誰から見てもわかるんです。
だから、まずは目の前の人を満足させる。
そして、次はこの人、次はこの人ってやっていくと、最後には全体を満足させられる仕事ができるようになってくるの。
そうやって、人生の階段は一歩、一歩、登っていくものだと思っている人が、運のいい人なんです。
人の「運がよかった」を真に受けちゃダメだよ
運のことばっかり言ってる人が成功しないのは、運に頼って行動しないからなんです。だから本当に運のいい人は、行動しないとダメだっていうことを知っている人なんです。お金は人が運んでくるものなの。いくら神様に頼んでも、神様が運んでくることはできないんです。
それを神様にお金持ちにしてくださいって頼むこと自体、おかしなことだってわからないとダメだよね。おかしな人が、運がいいわけがないんです。
サラリーマンだったら上役を満足させて、同僚から愛されるようにすればいいんだよ。そして、そのことを知って努力するの。そうすると、運は必ずあとからついてくるんです。
それで、「運がよかったんです」って言う人は、相当の努力をしているの。
逆に「運が悪かったんです」って言う人は努力が足りないってことなんです。だから〝運がいい〟というのは、努力した人間が謙虚になって言う言葉なんだよね。
成功した人が、「私は成功するためにこれだけの努力をしたから成功しました」って言うと嫌味に聞こえるの。努力しててもそのことを言わないで、「みなさんのおかげです」とか、「私は運がよかったんです」って言うのは、その人が謙虚だからなんです。
出世した人がみんな「私は運がよかったんです」って言うから、それを聞いた人が「そうか。運が大切なんだ」って思うけど、それは出世した人が努力したことの自慢話をしないだけなんだよ。そういう人は立派な人なんです。
それで立派な人は「私なんて大したことないです」って言うけど、だからってそれを聞いた人が真に受けちゃダメなんです。
本当にその人が〝大したことをしてなかった〟ら、その人は〝大したことない人〟になっているはずなんだよ。大したことをしたからその人があるんだよ。
それで大したことをしてるのになおかつ、「運がよかっただけです」って言って、へりくだってるんです。だからまわりからもっと支持されるの。それでそんな人は神様も支持するんです。
運がいい人は苦労が顔に出ない
それで運とはなんですかって言うと、ひとえに人の何倍も知恵を使い、人の何倍も気を使い、人の何倍も努力して、なおかつ顔に苦労が出ていない。こういう人を〝運がいい人〟と呼ぶんです。
運がいい人は苦労に負けてないの。苦労してないわけではないんです。苦労というのは誰でもしてるんだよね。
ただ、苦労に負けてる人は、顔に出ちゃうんです。言葉に出ちゃうんです。でも、苦労に負けてない人は涼しい顔をしてるんだよ。それに、苦しそうなことも言わないんです。
仕事やスポーツなんかでも、勝って、勝って、勝ちぬいてるような人に話を聞くと、「運がよかったんです」とか、「みんなのおかげです」とかって言うんだよ。
それで、運の悪い人はそれを真に受けちゃうんだよね。筋肉隆々の人がいたら、その人は間違いなく鍛えてるの(笑)。それを、「いや、大したことしてませんから」って言われて真に受けるほうがおかしいんです。
そんなことだから運が逃げていくんだよ。努力なんて当たり前なんです。成功してる人は努力もしてるし、知恵も使ってるんです。なおかつ謙虚にものを語ってるから運がいいんです。
こういう人だからこそ、運がついてくるんです。だから運って一人さんに言わせると、「ものすごい努力家が、へりくだって言う言葉なんだ」っていうことなの。それで、それをマネしようとしたとき、その人も運がよくなるんだよ。
好きなことをやるのは「努力」と思わない
恵美子さんが「私は一人さんに会えて運がよかったから成功できた」って言うんだけど、恵美子さんもひとかたならぬ努力をしたんです。
それで、私も努力したんです。でも私はそれを言わないの。
なぜかって言うと、サッカーの好きな子が朝から晩までサッカーをして、それを努力だと思わないように、私も努力とは思ってないんです。
だから、本当に運のいい人って、努力をしても、それを努力だとは思ってないの。遊んでるがごとくやってるんだよ。だからうまくいくんです。
それで、そういう人は楽しくて、楽しくてしょうがなくやったから、お金に執着しないんです。
逆に苦しんで、苦しんでお金を手に入れた人は、それに執着して、威張ろうとするの。「俺はこんなに苦労したんだぞ」って言いたいんです。
私は仕事にしても何にしても、楽しくてやっていることなので、そのことで人に威張ろうとはまったく思わないんです。それで、そういう人に神様は味方するんです。神は自分を助ける人を助けるんです。
そして聖書の中の言葉にもあるように、神はあるものにはさらに与え、ないものからはさらに奪うんです。
だからサラリーマンは、「いい会社に勤めたい」って自分が言うんじゃなくて、「いい社員を雇った」って会社に言ってもらえればいいの。それって、会社にどれくらい得をさせるかなんだよ。
いいお店っていうのは、「このお店がなくなったら困る!」ってお客さんに言ってもらえるかどうかなんだよね。それでいいお店って、お客さんに得をさせてるんです。
同じ値段でも感じがいいとか、「奥さん、きれいだね!」ってほめてくれるとか、わざわざその店に行くのには何か理由があるんです。
運というのは、会う人、会う人に得をさせていたら、必ずついてくるものなの。その人がいてくれてよかったって、まわりから言われるぐらいお役に立っている人は、神様のお役にも立っている人なんです。だから、そんな人には必ず神様も味方してくれるんだよ。
「運をください」と言う人に運は与えられない
多くの人は運というものを、何か得できるものだというふうに思ってるんです。運のない人って神様に「運をください」ってお願いするけど、あなたにないものを神様は与えられないの。
それで、「私に運をください」ってお願いするのって、「私は運がないんです」と言ってるのと同じなんです。だから、その人には運がないことが起きるんだよ。
なぜかって、あなたの出したものが運ばれてくるんだよ。運がいい人って、「私は運がいいんです」って言いながら努力するような人なんです。
そういう人はまた「運がいい」っていう波動を出してるから、神様は同じものを与えてくれるの。「お金がほしい」と言ってる人は、「お金がない」って天に向かって言ってるのと一緒なの。
そうすると、さらに〝お金がない〟っていう結果が起きてくるんだよ。だから多大なる努力をしておいて、なおかつ謙虚に「自分は運がよかったんです」って言える人が、本当に運のいい人なんだよね。
そしてさらにすごい人は、自分の努力を忘れちゃうんです。それで、本気で運がいいって言ってるの。こういう人には勝てないんです。だから、運がいいのにも段階があるんだよね。
一生懸命努力しても謙虚に「運がいいんです」って言う人。そして一生懸命努力してることも忘れちゃって「運がいいんです」って言う人。
そういう人って「楽しかった、楽しかった」と言いながら、「運がよかった」って言ってるの。それで、ここまで来ると天が味方するんだよ。
だから、天に「食えないからなんとかしてくれ」ってお願いするんじゃなくて、まずは自分で努力して食えるようになるの。
神様は必ず、その人にあるものを与えてくれるんです。ないからくれるんじゃないの。神様はその人が努力して、努力して、さらに楽しく努力して、あり余るほど持ったとき、さらに与えてくれるんです。
だから、有名になりたいからなれるんじゃないの。
私みたいにただ仕事が好きで一生懸命やってきて、すると出版社さんからその成功の秘訣を本にしてくださいって言われて本を出すと、有名になりたくなくても有名になるの。
それで、さらに有名になるようなことが起きてくるんです。だから望もうが望むまいが、望んだものを与えてくれるんじゃないの。あなたが持っているものをくれるんだよ。
わかるかい?悲しみを持っている人には悲しみをくれるんだよ。そういう目で見てみると、しあわせな人にはさらにしあわせが与えられてるの。
なぜかって言うと、出した波動が返ってくるから。だからまず、あなたがしあわせになり、豊かになること。「ああ、豊かだなぁ」とか「日本に生まれてよかったな」とか、そういう考え方が大切なんです。
過去を変えないと未来は変わらない
世間の人は「過去は変えられないけど、未来は変えられる」って言うんだけど、一人さんはその逆で、「過去は変えられるけど、未来は変えられない」って言うんです。それに付け加えて、もう少し正確に言うと、〝過去を変えないと、未来は変わらない〟んだよ。
過去とは考え方なんです。過去に起こった出来事が、あなたの考え方に影響を与えてるの。
昔、学校の勉強ができない子は「社会に出てから苦労するぞ!」とかって言われたんだけど、方程式のできない子は方程式が必要ない仕事に就いたり、英語が苦手な人は英語を使わない仕事に就くの。それで、苦労はしないんです。
私も小学生のころ、〝かけっこ〟が遅くてバカにされたことがあるんだけど、大人になってから、走って人を追っかけたり、追っかけられたりとか、したことないんです。
私は足が遅くて困ったことって、一度もないんです。それなのに、小さいころに足が遅かったり、勉強ができないからって人に「お前はダメなやつだ」とかって言われたことをずっと過去の記憶として残してるの。
それで、大人になっても「どうせ私はダメなやつだ」とかって考えるんです。
それで私が言う〝過去を変える〟とは、その記憶の見方を変えるんです。自分が自信をなくしたときの記憶までさかのぼっていって、その出来事の記憶をオセロゲームのように、黒から白に変えるの。そうすると、パタパタと全部変わっていって、これから起こることも変わってくるんです。
たとえば、親からこんなにひどいことをされたとか、あんなことを言われたとかってあるんだけど、親って未熟なんです。魂的に言うと、親より後から生まれた子供のほうが魂的に進化してるんだよ。
そうやって見方を変えていくと、「ウチの親って未熟なのに、よく私のことを育児放棄もせずに育ててくれたな」って思えて、感謝の気持ちとかが湧いてくるの。
自分のよさがわかる人は運がいい
運がいい人って、自分のよさがわかる人なんです。
たとえば私の知り合いで介護の仕事をしてる人がいるんだけど、その人はまわりから見て、お世辞にも「いいスタイルしてるね」とは言えない体型をしてるんです。
でも本人は、「私はがっちりした体格をしてるから、介護の仕事に向いてるんです」と笑顔でまわりに話してるんです。
百合の花はダリアに憧れたりしないの。桜の花は桜の花で、梅の花に憧れたりしないんです。自分の欠点を探しているより、神様が与えてくれたかけがえのない自分という個性を大切にするの。
それで、自分のいいところを探せる人は、他人のいいところも探せるんです。
自分の失敗にこだわってる人は、必ず他人の失敗にもこだわるの。それをオセロゲームのようにひっくり返していくと、他人のもひっくり返すことができるんです。
そういう人が新小岩に住んでるとすると、「新小岩っていいよね」って言うんです。それを未熟な人は、「東京は人が多くてダメです」とかって言うの。それでそういう人が自分の故郷をほめるかって言うと、「この辺はなんにもないんです」とかって言うんです。そういう人って、どこにいても欠点を探すんです。だからうまくいかないんだよ。
新小岩のよさを探せる人は、「東京はいいですよ。タクシーは拾えるし、夜遅くでもフランス料理を食べさせてくれるところとかあるんです」って、いいところをいろいろ発見することができるの。
そういう人が商売をすると、たとえば立地が悪くても、そこのいいところを探して商売に活かそうとするんだよね。たとえ不況でも、できることを考えて行動することができるんです。
結局、運がいい人ってそういう人なの。欠点を探し、イヤなことを探しながら運がよくなることってないんです。なぜかって言うと、それって神様に文句をつけてるのと同じなの。
マージャンでもポーカーでも、配られた手に文句を言って勝てる人はいないんです。配られた手で勝つことを考えるの。それで、神様もそれを望んでいるんです。
運がいい人って、与えられたことに全力を尽くせる人なんだよね。そして、それを苦とも思わないの。運がいい人というのは、運がいいから苦を避けられているわけじゃないんです。
この世の中は、問題の連続なの。運がいい人は問題がない人ではないんです。運がいい人は、問題を恐れないんです。それで、その問題とは階段なんです。
問題を解決していくと、一段、また一段と上がっていくんだよ。それで、運の悪い人はその問題を避けようとするんです。でも、問題は避けられないの。
なぜかと言うと、私たちは問題を通して魂を成長させてるんです。だから、問題は永久にあるんです。問題を避けるために運がよくなりたいっていうのは無理なんです。
正しい「神頼み」を教えます
多くの人は神社に行って神様にお願いごとを頼むんだけど、お賽銭の額が多いから運がよくなるとか、願い事がかなうとかっていうものではないんです。
〝神頼み〟っていうのは、「神様が頼むよ」っていうことなんです。私たちが神様にお願いごとを頼むんじゃなくて、神様が私たちにお願いごとを頼むの。
「もっと世の中を明るくしてよ」とか、「もっと人を励ましてよ」とかって神様が私たちに頼んでいるんだよね。それで、その神様の頼みを聞いてあげられる人というのが、運のいい人なの。
会社に行って、何もしないと給料をもらえないのと一緒なんです。神様はお賽銭がほしいわけじゃないの。それよりも、人の同胞への奉仕、つまりほかの人に親切にしてるかを見てるんです。神様は私たちに奉仕を求めてるんだよ。
その奉仕ってなんですかって言うと、特別なことではないんです。お金がなくても笑顔でいることはできるよね。人を励ますことだってできるんです。
明るい服装をしてると、まわりの人も明るい気持ちになれるの。人が見て喜ぶような格好をするとか、話をするとか、お金がなくてもいろいろとできることってあるんです。
神様は自分を犠牲にしてまで奉仕をしろとは決して言わないし、お金のようになくなるものをもらうことも好まないんです。
私は有名にもなりたくないし、実業家として収入もたくさんあるから、本を書いて有名になりたいとか、印税がほしいとかってないんです。
じゃあ、なんで本を出すんですかって言うと、私の話でも読んで「助かりました」って言ってくれる人がいるんだよね。だからこれは私にとって奉仕なんです。
お金はもちろん必要なんだけど、だからといって、お金ばっかり追いかけてる人生は寂しいし、運もよくならないの。ただ、「お金がほしい」と思うことが悪いんじゃないんだよ。
欲や執着を悪いことだって言う人もいるんだけど、そうではないんです。たとえば、車に乗って旅に出たとするよね。車を走らせるためにはガソリンがいるんです。だからといって、旅の間ずっとガソリンのことを気にして走ってたら、旅が楽しくなくなるんです。
だから旅の間、ガソリンのことを気にしなくていいようにするためには、満タンに入れておけばいいの。いつもギリギリのガソリンで「あとどれくらい走れるかな」ってことばかり気にして走ってたら、旅は楽しくなくなるんだよ。
それと同じで、お金のことばかり気にしてる人で、お金持ちの人っていないの。
人の運勢をよくするためには?
先日ある女性が、「娘が三〇歳を過ぎても結婚もしないし、働かないでフラフラしてて、将来のことを考えると不安なんです」と言って相談に来ました。
その女性は娘さんのことが心配で、いろんなところに行って占ってもらってるんだけど、そのとおりにやってもまったく運がよくならないですって言うの。
それを聞いて私は、「あなたは娘さんの心配をするよりも、まずはフラダンスを習うとか、自分がしあわせになることを考えな」って言ったの。
それで、「自分がしあわせになって、しあわせの波動を出すようになると、必ず娘さんの波動も変わるよ」って言ったんです。
娘さんが三〇歳を過ぎても結婚もしないし働かないんだとしたら、何かを変えないとそのままなんだよね。でもお母さんが変えることができるのは、娘さんではないんです。お母さんが変えることができるのは、お母さん自身しかないの。でも親子って強い縁で結ばれているから、親が変われば娘も変わるんです。
人を助けると運がよくなるよ
自分の運勢をよくしようと思ったら、〝人助け〟をするのが一番なんです。自分が助かろうとしてるうちは助からないの。
自分を助けたかったらまず、人助けをするの。そうすると必ず運勢がよくなるんです。「助かりたい。助かりたい」では助からないんです。
なぜかと言うと、それって「困ってる。困ってる」という波動を出してるのと同じで、同じものを引き寄せるんです。それよりも、自分も大変な中で人を助けると運勢がぐんとよくなるんだよ。
お金がほしかったら、自分の才能が人の役に立つようなことを考えればいいんです。それってなにも、特別なことができなくてもいいの。
会社で働くんだったら笑顔がいいとか、返事がいいとか、そういうことでいいんです。自分が英語を習うことが会社の役に立つとか、社会の役に立つというのならいいんです。
でも、自分が海外旅行に行ったときに話せたほうが便利だっていうのは、誰も評価しないし、できないよね。運がよくなりたかったら人の役に立つの。
それしかないんです。そうすれば運がよくなって、お金とかはあとから必ずついてくるんです。馬車って、馬が走るとそこにつながれた車は勝手に走るよね。それと同じで、人様のお役に立つと仕事でもなんでもうまくいって、お金もついてくるようになってるんです。それをほとんどの人は、馬がいないのに馬車だけ走らせようとしてるんだよ。
そんなことできるわけないし、そんなことを考えていること自体、運が悪いです。そういう人って運も悪いし運勢も悪いし、性格も悪いの(笑)。
馬なしで馬車を走らせようとしたら、エンジンが必要なんです。それで人はいろいろ考えて研究して、自動車をつくりだしたんです。そうやって、多大に苦労した人が自動車産業を興したんだよね。
運とは正しくモノが見えること
宝くじだって、買わないと当たらないんです。いくら運がよくても、買わないで宝くじが当たる人っていないんです。
それで、宝くじを当てた人は運がいい人かもしれないけど、宝くじで一番儲かってるのは、宝くじをつくって売ってる人たちだよね。
つまり、宝くじをつくってる国が一番儲かってるの。〝運がいい〟ということをあてにして行動しなくなると、人の客にされるんです。
宝くじもそうだし、投資の話なんかもそうなの。だから変な運を望むとたいてい、その人からお金が逃げていくんです。
「あなたは運がいいですね。こんなチャンス、滅多にないですよ!」とか言って儲け話を持ちかける人がいるんだけど、それを信じるほうにも問題があるけど、そういう話を持ってくる人っておかしいの。
どこがおかしいかって、そんなに儲かるんなら、その人は誰にも教えないで自分でやったほうが儲かるんだよ。
一人さんの話は耳に痛いかもしれないけど、本当にやってみるとしあわせになるんだよ。それを「楽して……」って考えると、運が逃げていくんです。
だから運とはなんですかって言うと、正しくモノが見えることなんだよね。
先日も、ある人が「一人さんのようなお金持ちになりたい」って言うんです。それで私はその人に、「なんでお金持ちになりたいの?」って聞いたらその人は、「お金持ちになったら女にモテるから」って言うんだよね。
そこで私は、「女にモテるようになってから、金持ちにならないとダメだよ」って言ったんです。なぜかって言うと、モテなくてお金持ちになった人って、いい女が言い寄ってくると一発でだまされちゃうの。色仕掛けなんかで、一回でやられちゃうの。
それに、やっぱり人に好かれないと成功もないし、運もよくならないんです。それで、人が集まり、お金も集まってくるような人って笑顔がステキなんです。愛嬌があるんです。
誰にでも笑顔になる筋肉は与えられているのに、それを使おうとしないんだとしたら、もったいないよね。それって、神様がせっかくくれた財産を使おうとしてないんだよ。それで「運がよくなれば……」って言うけど、それっておかしいよね。
〝楽する〟より〝楽しく〟するんだよ
楽をするために運を求めると、かえって運は悪くなるんです。それよりも、自分やまわりが楽しくなることを考えたほうが、確実に運がよくなります。
私は、「このお店を繁盛させる」って言うだけじゃ、燃えないの。でも、「このお店で一億円を儲けよう」と言うと、俄然、やる気が出るんです。
たとえばそこが繁華街から離れた場所にあるお店だとしたら、このお店の前は人があまり通らないけど、駅前は人がたくさん通ってるんです。
では、そこにいる人たちがどうすればここまで足を運んでくれるようになるかって考えるの。それで次は、お店に一回来てくれた人が、二度、三度と足を運んでくれるようになることを考えるんです。
そうやって立地の悪い場所で繁盛させることができると、今度は駅前の立地のいいところにお店を出すと、さらに繁盛させることができるんだよね。
そうやって立地の悪いところでも駅前でも繁盛したのなら、あとはどこにお店を出しても繁盛するんだよ。それをチェーン店みたいにして何軒か出すと、売り上げが何十億円とかってなるんです。
こうやって考えていくと、最初のお店がたとえ立地が悪く小さくても、その次はって考えると楽しいんだよね。でも、ここだけ繁盛してって考えると私は楽しくないからイヤなんです。
それよりも、ここをスタートにして何億円の売り上げの企業をつくろうかって考えると、ワクワクするんだよ。
それに、一店舗だけのことを考えていると、それに見合ったアイデアしか浮かんでこないけど、「一億円の売り上げを上げるためにはどうすればいいか」って考えていると頭が〝億あたま〟になって、それに見合ったアイデアや考え方がどんどん湧いてくるんです。
とにかく一歩前に進むこと
でも一番大切なのは、とにかく一歩、前に進むことなんです。今、働いてないのだとしたらまずは就職するとか、アルバイトしてお金をためるとか、とにかく行動するの。目的地まで千里離れてようが二千里離れてようが、今のそこから歩き始めるしかないんです。
歩いていけば駅について、そこから電車に乗れるだとか、新幹線に乗れるだとか、進んでいけば勢いがつき、〝加速の法則〟も出るんです。でもそれも、まずは歩きださないとダメなんだよ。
まずはコンビニのアルバイトから始めるにしても、とにかく目的に向かって歩いていると、必ずそこに近づいていくことができるんです。
まずは働いてお金をためて、小さいお店でもいいから出して、そこを繁盛させてチェーン店にすればって考えていけばいいの。
そうやって黙々と夢に向かっていくんです。夢=努力なんだよ。
戦いにたとえると、そこに石しかなければ、その石を拾って戦うの。竹しかなかったら、竹やりで戦うの。それを機関銃があればとか、爆弾があればって言っちゃダメなんです。今、あなたにあるのが石なら、その石で戦うしかないんです。まずは行動に起こすの。
それを、一〇〇万円あったらなんかできるけど、今は一万円しか持ってないからできないじゃダメなんです。一〇〇万円が必要ならためればいいんです。
でっかい夢を語るのが悪いわけじゃないんだよ。でも、それより今、どんな行動を起こしているかが大切なの。それで私は、行動してる人は全員、評価するんです。
「今、就職先を探してるんです」って言うのも、その人は行動してるんです。
その人が「コンビニで働くようになりました」とか、「月に一万円、ためるようになりました」となって、やがては月に二万円、三万円とためられるようになるんだよね。
そうやってお金をためながら、休みの日にはラーメンの研究とかをやってると必ず「ウチで空いている店舗があるから使わないか?」とかって声がかかるの。
とにかく目標に向かって行動を起こしてる人は、必ずそこに近づいてるの。富士山って最近では五合目まで車で登れるんです。でも、富士山に登ろうと思わない人はそこにも行かないんだよ。
昔の人でも登る気のある人は、一合目からでも登ったの。離れててもそこに目標があれば人は行くんです。近かろうが遠かろうが、行かない人は行かないの。それで目的に向けて歩いてると、加速の法則で加速がつくの。
一万円ずつためてたら一〇〇万円ためるのに八年以上かかるって言うけど、それが月に二万円になり、三万円になりって増えていって、さらには「そんなにがんばってるなら、お前に店を任せるよ」って言う人も現れるんです。
だから大切なことって、目的地が決まったら、そこに向けて一歩、また一歩と、進んでいくことだよね。
渦を起こすと運が流れ込んでくる
〝開運グッズ〟とかを買ってきて、「これで運がよくなる!」って思ってるぶんにはいいんです。世の中、気分やムードも大事ですから(笑)。
でも、今の現実を変えたいんだとしたら、「そのためにあなたは、何をやってますか?」ってことなの。夢や目標に向かって黙々と歩いていくと、運のいいことがあるんです。それを何もしない人は、誰かが運を運んできてくれるものだと思ってるの。
運というのはまず、自分が動くの。渦は自分が回らない限り絶対に起こらないんだよ。まわりを巻き込んじゃうような渦でも、最初は自分が回らないと起こらないんです。
それを運が悪い人は、誰かが回してくれると思ってるの。それで、そういうことを考えていること自体が運を悪くしているの。それに、そんなことを言っている間に人生が終わっちゃうよ。
東京からだって、富士山に行こうと思えば歩いてでも行くことはできるんだよね。だから、行動さえ起こせば、必ず目標に近づくことはできるんです。それで失敗したら、こうじゃなかったんだって改良すればいいの。
〝やる→うまくいかない→改良する→やる→うまくいく→やる〟というふうにぐるぐると繰り返してると、あなたが中心になった渦ができて、運があなたという真ん中を目指して流れ込んでくるようになるんです。
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