MENU

第8章チームを一つにまとめる

第8章チームを一つにまとめる

恵比寿の最後の授業川谷は急いで家に帰ってきた。残業があり随分帰りが遅くなってしまった。「ただいま」と言うと書斎へ駆け込んだ。机の上のクッションに恵比寿はもういなかった。間に合わなかった。最後の授業が聞けなかった。「兄さん、こっちや。こっち」。恵比寿の声がした。目をやるとビールの缶に恵比寿が戻っていた。恵比寿は続けた。「いや~、ギリギリに間に合ったわ。缶に戻ってしまったわ。危なかったで。ゆとり持って帰ってこいよ~」「す、すみません。こんな日に限って残業があり、申し訳ありません」「まぁ、間に合ったからよしとしようか!今日一日改めて振り返ってみてどうやった?」「はい!早速『シネマワーク』も山本さつきに教えましたし、深田の報告が全く意味が分からなかったのですが、〝イジリ〟もしっかりと成功させることができました」「ええな~。しっかり身につけてるやんか」「今日一日じっくり本当にいろいろ考えたんです。深田と石野の仲が深まっていたり、その他にもチームのみんなが笑顔で働いていたり、今まで見えなかったことが見えるようになっている自分に気がつきました。そこで僕に一つの感情が溢れてきました。『営業部のメンバーが笑って過ごせるチームを作りたい』と改めて心から思いました」恵比寿は、ビールの缶からニコッと笑った。「おめでとう!」「え?何がですか?」「改めて営業チームのビジョンが明確になったからや」恵比寿は続けた。「最後の授業を始めるわ。ここまで一緒にやってこれたことが僕は、誇らしいな~」「ありがとうございます」「兄さんが営業部を変えるためには一つ重要なことがある。それは、どんな組織にしていきたいかをしっかりと営業部のメンバーに伝えることなんや。ビジョンを伝えるとも言うわな」「なるほど……」「例えば、僕もいろんな経営者を世話してきたわけやけど、スピーチの仕方ひとつでメンバーのロイヤリティ(忠誠心)に大きく差がつくことが分かったんや。そりゃもう、イケてる経営者の人たちのスピーチは笑いを入れながら、人の心を動かし引きつける力があるんやで」恵比寿は続けた。「逆にや、イケてない経営者や上長のスピーチは、とにかく硬い場になることが多いんや。ほんでや、聞く側も緊張したり、萎縮したりするわけや。当たり前やけど、練り上げてきたメッセージも絶対にメンバーには届かへん。まぁ、届かへんようにしてしまってるのは自分自身なんやけどな」「確かにイメージ湧きます。うちの役員の中にもいるような気がします」「そやろ!じゃあ、どうやって話したらええかというとやな。ちょっと紙とペン取ってくれ」缶の中に入っているため身動きが取れないらしい。恵比寿が入っている缶の前にペンと紙を置いた。するとニョキッと両腕が出た。紙に器用に図を描き出した(図25)。

「伝わる」は作れる「これ見てみ!これはな、僕がいろんな経営者の面倒見てきた中で見出したものなんやで。いろんな人のパターンを分析して、一番シンプルな形にアレンジしたんや。まずはこのフォーマットに入れて練習するとええわ」「すごい、フォーマットですね!」「ほんまにすごいんやで!感謝しいや!」「ありがとうございます」「基本的に、経営者や上長のスピーチの主な目的は、次の3つになることが多いやろ。それはな……」目的①会社を好きになる(ロイヤリティを高める)目的②自分たちの仕事に誇りを持つ目的③一体感を生み出す恵比寿の言う通り、確かにこの3つになることが多い。改めて目的を見て私の会社では、社長と高木専務くらいしかスピーチを使いこなしている人がいないように思った……恵比寿は続けた。「ほんでな、重要なのは『伝える順番』と『声の大きさ』にあるわけや!」「『声の大きさ』ですか?」「そうや!声の大きさをどう使うかで、相手への刺さり方も変わってくるからな。まぁ焦るな!まずはフォーマットも出してるから『伝える順番』について教えるわ」「はい!ありがとうございます」ステップ①ツカミまずはクスッと笑いを取るんや。それをお笑い用語では「ツカミ」って言うんや。落語やと「まくら」って表現したりするわな。お笑い芸人が活用するスキルやけど、勝負は開始15~20秒くらいで、ここで笑いがクスッと起こるくらいがちょうどええな。クスッときた時点で聞いている側は引き込まれてるんやで。ステップ②ねぎらい立場が上がってくると人は、おごるんや。「自分のおかげ」「俺が雇ってやっている」とかな。ほんならどうなるかというと、お礼や謝罪が言えなくなってくるわけやな。頑張ってるメンバーへお礼を伝えるんやで。ステップ③個人へ次に、個人を称賛するんや。「平等」って言葉があるんやけど、本当の平等は頑張っているやつを称賛することにあるんやで。アイツを褒めたら、コイツもって考え方自体が全く平等ではない。しっかりと称賛してやるんや。そうすることで曖昧な評価から明確に基準ができて切磋琢磨できる気持ちになるわけや。ステップ④ビジョンここが兄さんの腕の見せどころや!「どんな営業チームにしたいのか?」をしっかりと語るんやで。ここで兄さんの想いをメンバーに届けるんや!ステップ⑤問いかけ

最後やで!終わり良ければ全て良し。最後は、テレビ番組「森田一義アワー笑っていいとも!」と同じ手法で締めるわけや。「チームを作っていくために力を貸してくれませんか?」など、チームメンバーに賛同の拍手を求めるんやで。拍手が行われたらしっかりと「ありがとう」とお礼を伝えて締めくくるんや。こんな「伝える順番」なんて考えたことがなかった。自分は、今まで営業部のメンバーに対してビジョンを語ったことはなかった。というより私に「営業部をどうしていきたい」という意思がなかったんだ。「恵比寿さん、僕は今まで営業部のメンバーに何も目指すところを示していなかったんですね」「そうやで。行き先を言われてないのにずーっと営業部のメンバーは走り続けてるんやで。なかなか、苦しいやろ」「苦しいですね……」「ちなみに、とある刑務所で死刑の次に重いとされている罰があるんや。それは、何やと思う?」「え~。分からないです」「それはな、受刑者に穴を掘らすんや。深い穴が掘れたら、『埋めろ』って言われて埋める。これをただ繰り返すんや。ただただ意味のない行動を続けさせられる。そうすると人はどうなるか……」恵比寿は寂しそうな顔をしながらどこを見るわけでもなく呟いた。「人は精神が壊れてしまうんや」「そうなんですね……」「そうや。だからビジョンっていう『仕事をする意味』『目指す方向性』は非常に重要なんやで。でも、これに気づかない人も多い。兄さんは、気づいたんや。すごいことやで!じゃあ、『声のボリューム(大きさ)』についても解説していくで」「よ、よろしくお願いします!」「よっしゃ!任しとき!『声のボリューム』っていうのはな、いわゆる抑揚のことやで」声でメッセージを刻みつけるステップ①ツカミ:声のボリューム6割第一声は大きめの声で「おはようございます」とか、シンプルな挨拶がちょうどええな。あとは、ツカミで使用するネタは最近あったニュースや会社の出来事、いわゆる「時事ネタ」やと笑いを取りやすい。営業のアイスブレイクをイメージしてもらえると兄さんならいけるやろ。ステップ②ねぎらい:声のボリューム5割声のボリュームを少し絞るんやで。挨拶と同じボリュームで話すとクドイやろ?平坦な印象も出てしまうからな。ステップ③個人へ:声のボリューム3割声を小さく、個人へ語りかけるように話すんや。具体的に頑張ったことを例に出して称賛するんやで。ということはや、メンバーが普段どんなことをしているのかを把握しておく必要があるんやで。フィードバックするためにではなく称賛するためにな!ステップ④ビジョン:声のボリューム5割ビジョンとねぎらいは同じボリュームがええんやで。すでにねぎらわれてるから、このボリュームが一番心に響きやすいんや。たまにデッカい声でここを語ろうとする人がいるんやけど、やめた方がええで。受け入れられへん人もいるからな。深田くんも石野くんも苦手やろうな。ステップ⑤問いかけ:声のボリューム8割最後はな、今までで最大のボリュームを出すんやで。タモリさんもトーク中より大きな声で「明日も見てくれるかな?」と呼びかけるやろ?あの雰囲気で問いかけをするんや!「この『声のボリューム』を使いこなすだけで、兄さんのメッセージを伝える力は飛躍的に向上するんや」「なるほど!『声のボリューム』まで意識して話したことはないですね」「そうやろ~」。恵比寿は自慢げな顔をした。空き缶越しでも伝わってくるほどだから、クッションの上にいたらどんな顔だったんだろう。少し笑えた。「恵比寿さん、でもかなり練習しないと滑らかに話せないですね。今日は、たくさん練習します!」「練習はしたらええよ。でも『スピーチは滑らかに話す必要がない』ということを覚えとかなあかん」「え?滑らかに話す必要がないんですか?」「そうや。言葉に詰まってもええんや!やっぱり大切なのは人に伝えたいという気持ちでしかないんやで」「そうですね!」「TEDxSapporoでプレゼンしていた植松努くんていう子がいるんやけど、その子のプレゼンは滑らかではない。台本を読んでいて不器用にも見える。でもな、人の心に突き刺さるんや。だから、重要なのは伝えたい気持ちなのよ」私が、本当に伝えたい気持ち。これを研ぎ澄ます必要があるのか。ビジョンを伝えチームをまとめる「兄さん、もう時間、み、たいや」「恵比寿さん!!」「兄さんの悩みがさ、僕が七福神をマネジメントし出したときと似てたんよ。マネジメントするのは本当に大変やった。苦労したんや。『独立したい!』っていうやつもおるし」「独立……そうなんですね」「僕もね、笑顔も見せないし、うまくいかないと相手を怒鳴りつけることもあったのよ。布袋尊っていう神様に言われて気づいたんよ。『恵比寿さんといると息苦しい』って」

私と同じだ。布袋尊という神様は、僕にとって深田なんだ。恵比寿は続けた。「そこで自分を変えることにしたんや。『笑顔でいる』とか『七福神のメンバーにネガティブな言葉を使わない』とか」「実践済みだったんですね」「もちろんや。適当なことは言えないからな。神様やで!そして、最後には七福神のメンバーに対して自分のチーム像を伝えたんや。要するに『ビジョン』ってやつや!それはそれは滑らかではなかったかもしれない。けどな、本音で伝えたんや。僕は、『世界中の人を笑顔にしたいんだ』って。ほんならみんな拍手してくれてな。照れ臭いけど僕、泣いてしまったんよ」「なんか、素敵な話ですね……」「ありがとう」そう言うと恵比寿は両手を改めてニョキッと出して、釣り竿を持ち8の字を描いた。釣り竿の先が「ヒュンヒュン」と音を立てている。そして、恵比寿は大きな声で言った。「兄さんに、素晴らしい未来が訪れることを祈る!」ピカッと書斎が強い光に包まれた。光が収まりいつもの書斎が目に飛び込んできた。そこにはビールの空き缶が一つだけあった。これは夢だったのかな。ビールの缶の恵比寿は、片手に釣り竿だけ。なぜか、鯛は持っていなかった。鯛はどこへ……?「これは現実なんだ。恵比寿さん、私にこんなチャンスをくれて本当にありがとう」明日は、営業会議だ。営業部のメンバーに伝えたいことがある。こんな気持ちで営業会議に向かうのは入社して初めてかもしれないな。寝室に入ると妻と娘が眠っていた。起こさないように布団に入った。妻が話しかけてきた。「遅くまでお疲れさま」「ごめんね。起こしちゃった?」「そんなことないわ」「明日は、勝負なんだ。集大成というか、始まりの日って感じだ。久しぶりに緊張してるよ」「そう。緊張はいいことよ。気負わず、あなたらしく勝負することが重要よ」「いつも、ありがとうな。おやすみ」あなたらしくか。恵比寿が言うように滑らかに話さなくてもいいんだよな。本当に、パートナーの言葉には耳を傾けるもんだな。***いつもの時間に起き、朝ご飯を食べようと台所に入ると妻が準備をしていた。「もう少しでできるからちょっと待ってて」いつもならすぐに出てくるはずなのに珍しい。新聞を読みながら待っていると、全く朝食では見かけない食事が出された。「お待たせ!」「これ?何?」「何って、鯛のお造りよ。見たら分かるじゃない」「いや、分かるけど……この鯛どうしたの?」「気さくな関西弁のおじさんからもらったのよ」気さくな関西弁のおじさんって、まさか、恵比寿さんじゃないよな……。川谷の考えている素ぶりなど気にもとめずに妻は続けた。「あなた昨日言ったわよね?集大成の日でしょ!?じゃあ、メデタイ日ってことじゃない?」妻は満面の笑みでこちらを見ている。「あはははは!ありがとう!」川谷は笑った。妻の笑顔は今日も輝いていた。まさか鯛のお造りを朝から食べることになるとはな。皿洗いを終え、書斎の前まで行き「恵比寿さん、ごちそうさま」と呟いた。「話し方」より気持ちが大切いつも通りの時間に会社の自席に着いた。朝の鯛のお造りで満腹になってしまいすでに眠気が襲ってきている。眠気に負けて、気負いがなくなっていた。妙な効果を発揮するもんだな。トイレに行き顔を洗い、気持ちを入れ直した。自分の本当に伝えたい想いを研ぎ澄ませるために何度も頭の中で復唱した。「おはようございます!」営業部のメンバーが出勤し始めた。山本さつきも出社してきた。「川谷部長、おはようございます。この前教えていただいた『シネマワーク』は本当にすごい効果でした!」「そうか!それは良かったね」「管理部の部長も優しくなったというか、チームとして一体感が出てきました。これも川谷部長のおかげです!」「いやいや、これは山本さんの成果だよ。山本さんがチームに対して諦めなかったからだと思う。本当に、素晴らしいよ!」「嬉しいです!こんなに褒めていただいたのは入社して以来初めてです。本当に、ありがとうございました!」。そう言うと嬉しそうに席へ戻っていった。少しは、モチベーションを上げることができたかな。営業会議が始まる。川谷の「では、会議を始める」の一言で営業会議が始まった。早速、口を開いたのは深田だ。アイスブレイクをして空気を作ろうとしている。「アイスブレイクになるかは分からないんですが、先日訪問した会社で実は受注することができました!本当に、いろんな方に助けていただき実現しました」周囲から惜しみない拍手が送られた。笑いが生まれたわけではないが、深田の頑張りはチームを良い方向に変えようとしているのが見て取れた。深田は、嬉しさのあまり泣いていた。深田は続けた。「営業部のメンバーには、本当に今まで迷惑をかけました。僕は、数字を達成できず足を引っ張ってきました。でも、今日の受注をキッカケに自分は変われそうです。本当に、ありがとうございました!」深田、泣かせるじゃないか。川谷が深田に続いた。

「みんな改めて深田に大きな拍手を!」会議室が、拍手に包まれた。深田は照れ臭そうに席に着いた。「今日は深田が初めて一人で受注をした日になった。おめでとう!まさか深田をみんなでお祝いする日が来るとは思わなかったよ。本当に深田は味わい深いやつだな」クスクスと笑い声が聞こえた。深田もおどけた仕草をしながら「すみません。ありがとうございます」と頭を下げた。川谷は続けた。「でも、本当に頑張ったな。そして、深田だけでなく今日という日は、一人ひとりの頑張りを積み重ねたからこそ迎えられている。改めて感謝する」川谷は、声のボリュームを少し落とし、語りかけるように話し始めた。「石野、深田が受注できたのもお前が提案書にアドバイスをしてくれたおかげだそうだな。私からも伝えさせてもらう。本当に、ありがとう」石野は照れ臭そうに頭をかいた。川谷は、声のボリュームを少し大きくして続けた。「今まで私は、大切な営業部のメンバーを何度も詰めたことがあった。申し訳なかった」川谷は深々と頭を下げた。そして、十分な間を取り、続けた。「もうそれではダメだと私自身も気づいたんだ。これからは『営業部のメンバーが笑って過ごせるチームを作りたい』、そう思ってるんだ」川谷は、声のボリュームをさらに大きくして続けた。「確かに、今までは、そうじゃなかったかもしれない。でもこれからは変えていきたいんだ。どうかこんな俺だけど一緒に作ってもらえないだろうか?」川谷は、改めて頭を下げた。唐突すぎる川谷部長からのお願いに営業部のメンバーは少し困惑していた。ただ、深田だけは違っていた。「任せてください!僕は、部長についていきますよ!」深田の声に続き、全員が「やりましょう!」と声をあげていった。会議室は、川谷への拍手で包まれた。今まで営業部が発足して一番の拍手だった。語ったビジョンは世の中を変えるほど輝くものではなかった。でも、川谷の気持ちが詰まった真面目で濁りのない言葉だった。2人で行く初めての食事川谷と深田は、初めて居酒屋で酒を酌み交わしていた。「乾杯!」。2人の声とともに会が始まった。川谷は続けた。「深田と一緒に飲みながら受注祝いをする日が来るとはな。なんか感慨深いな」「ありがとうございます!僕も本当に嬉しいです。あっ、川谷部長と同じ飲み物いかせてもらっていいですか?」「おっ、いいぞ」「川谷部長のビジョンしびれました。僕が言うのも失礼だと思うのですが、最近の部長は笑顔が多くて本当に素敵だと思います」「上司に素敵って!照れるだろ。まぁ、でも深田から『数字達成お祝い会』の帰りに言われたことが今でも心に残ってるんだよ。あのときは、腹が立ったけど今では感謝しているよ」深田は不思議そうな顔をして続けた。「僕に、言われたことってなんですか……?」「覚えてないのか?」「何がですか?」「あはははは!いやいや、いいんだよ。覚えてなくて。まぁ、お前のおかげってことで!」「そ、そうなんですね!分かりました」「でも、深田も本当に変わったな。何かキッカケでもあったのか?」明らかに言いにくそうにしながら深田は答えた。「信じてもらえないかもしれないんですが、実は、何というか神様に助けてもらったというか……なんて……」川谷は「はっ」とした。恵比寿さんが以前言っていた布袋尊ってもしかして……。「その話、詳しく教えてくれないか?実は、俺も神様に助けてもらったんだよ」初めて2人はお互いが七福神に助けられたことを知った。「あのときは?」「じゃあ、あの話も」。互いの答え合わせをした。時折、深田は布袋尊から学んだ通りに、時計を見ながら「もうこんな時間ですか?」と何度か伝えた。そして、気がつけば川谷部長のことを「兄さん」と呼んでいた。川谷部長は、「恵比寿さんみたいな呼び方をするな」と照れた。居酒屋には2人の笑い声が朝方まで響き続けた。それから10年後深田は、久しぶりの緊張感に襲われていた。家でゆっくりコーヒーを入れ新聞を読み心を落ち着かせた。営業会議の15分前に着いたが営業部のメンバーはすでに会議室に集まっていた。15分前が暗黙の了解としてあれから10年間も受け継がれている。会議室に入ると石野に言われた。「深田さん遅いですよ。みんな待ってましたよ!早く始めましょう」「あっ、ごめん、ごめん。ちょっと緊張しちゃって」周囲から笑い声とヤジが飛んだ。「大丈夫か?」「頼むよ~」「応援してるよ」深田は心を落ち着かせ一言発した。「じゃあ、営業会議を始めようか」深田が部長に就任して初めての営業会議が始まった。一人ひとり順に週末にあった出来事をアイスブレイクとして話し出した。メンバーの一人が話し終えるごとに笑いと拍手が起こった。10年前と比べて笑顔が多い会議となっていた。個人の数字を詰めていく仕組みはなくなり、営業部のビジョンをもとに、自分の戦略を自ら立案し、方向性に明らかな違いがあれば周囲のメンバーは質問から

本人の意向を引き出し正しい方向へ導いていく。個人の自律性を育む組織へと生まれ変わっていた。「では、これで営業会議を終了する。みんな今週も笑顔で頑張っていこう!」。深田の一言で営業会議を終えた。深田は、自分の席に着いて仕事をした。あれから10年か。本当に、いろんなことがあった。布袋さんのおかげで今日から部長に就任することができた。本当にありがとう。昔のことを回想していると石野と山本さつきが席へと来た。「深田部長、あのちょっとご報告がありまして……」「どうした?」「実は、僕たち結婚します」「え?え?あ?え?誰と?」「いや、山本さつきさんと結婚します」山本さつきは満面の笑みで石野の隣に立っていた。「あ、おめでとう。え?いつから2人は?」「ちょうど10年前からなんです。昔、さつきさんが深田部長に怒ったの覚えてます?あの日から仲良くさせてもらっていてお付き合いすることになったんです」石野は、昔からそつがない。ここまでくると笑えるな。「そうか。本当におめでとう。山本さんもお幸せに!」恥ずかしそうに山本さつきが笑った。10年前に比べて随分柔らかい表情をするようになったな。怖かったのは僕にだけか……。「そこで、結婚式の乾杯の挨拶を、ぜひ深田部長にお願いしたくて。僕が一番お世話になったのは深田部長なので」「川谷社長も出席されるのか?」「はい!川谷社長にも『深田部長がいいんじゃないか?』と言われています」「分かった。準備しておくよ。俺はまだ結婚してないのにさ~」「お先に、すみません」職場は笑いに包まれていた。(終わり)

ロイヤリティが高まる話し方とは?スピーチで場の空気を操るコンサルタントという仕事柄、取引先の社内イベントにお邪魔する機会が多くあります。その中で一つ気づいたことがあります。経営者や上長のスピーチの仕方ひとつで社員のロイヤリティ(忠誠心)に大きな差がつくということです。忙しい仕事の中で、社員が一堂に集まる朝礼や社内イベントなどは、メッセージを直接伝えられる非常に貴重な機会です。ところが、経営者や上長の方のスピーチは、ともすると硬くなりがちです。聞く側は緊張したり、萎縮したりしてしまい、せっかく練り上げたメッセージも届きにくくなります。第2章でも紹介したように「今、笑うところだぞ!」などの「笑いのカツアゲ」が行われていることもありますよね。そうなると、ロイヤリティが高まるどころか、「無駄な時間だった」と不満が生まれかねません。一方、きちんと「笑い」が盛り込まれたスピーチだと、場が和み、人を引きつけたり、社員を奮い立たせたりすることができます。その差は歴然です。本文でも、川谷部長は助けてもらえるように協力を仰ぎました。あのように今まで弱みを見せなかった人が、自分の弱みを開示することで、周囲は協力したいと思えます。完璧で全てをこなせる人である必要は全くないということですね!さて、スピーチのステップは「やっているよ」という方もいらっしゃるかもしれません。ビジョンくらい日々伝えてるよ!しかし、喋りのプロといわれるお笑い芸人さんとの違いは「声のボリューム」と「間」の活用にあります。例えば、結婚式などで友人代表が、お笑い芸人さんのネタを真似て芸を披露することがあると思います。でも、同じネタなのに全く笑いが取れない。一番笑いが取れたのはパーティグッズで揃えた衣装で登場した一瞬のみ。いわゆる「出オチ」となってしまうことが多くあります。地獄ですね。間を使いこなし感情を自由に伝える芸人は「間」を使いこなすことで笑いを生み、ネタにリアリティを持たせています。図26をご覧ください。こちらの図をもとに具体的に解説していきましょう。今回は、川谷部長のスピーチを参考にしてお伝えします。特にどこで「間」が使われているかに注目してみてください。ステップ①ツカミ今回のスピーチでは、川谷部長は深田が受注したことを褒めることをツカミとして使用しました。具体的にどこに間を活用すると効果的かというと「本当に深田は(間)味わい深いやつだな」です。ここで間を使うと強調されて笑いと柔らかい空気を演出できます。ステップ③個人へ石野へ語りかけるシーンですが、感謝をより伝えるのであれば最後の「本当に(間)ありがとう」が非常に効果的です。ステップ⑤問いかけチームメンバーの問いかけで「どうかこんな俺だけど(間)一緒に作ってもらえないだろうか?」と間を使いながら全体を引きつけてお願いをしてください。あなたの決意や気持ちがより伝わります。「伝える順番」「声のボリューム」「間」をステップ通りに実践すれば、スピーチが劇的に変わり、今までにないほどの一体感が生まれます。ただ、「間」を使いすぎると、クサイ演技のようになってしまうので注意は必要です。ぜひ一度、「間」を実践してみてください!

[コラム]5ステップで幸せに元芸人の披露宴スピーチ笑いを生み出す結婚式のスピーチコンサルタントという仕事をしていると、取引先の結婚式に呼んでいただくことがあります。また、お笑い芸人から転職して独立した経緯もあり、お笑い芸人の結婚式にもよくお伺いします。一流のお笑い芸人の結婚式のスピーチは、その芸人さんならではの、お決まりのフレーズを活用しながら笑いを重ねることで、最後にはその場にいる、皆が笑顔になります。「お見事!」と言うしかありません。一方で、一般の方の結婚式のスピーチは、見事なスピーチと残念なスピーチの両極端に分かれます。残念なスピーチは時間も長く感じ、周りの景色がセピア色に見えてくるほど重苦しい空気が漂います。特に残念なスピーチに見られる特徴的なパターンは以下の3つです。失敗パターン①冒頭の自虐ネタが深刻すぎて「この会社、この社長、大丈夫かな?」と出席者に不安を与える失敗パターン②毒舌芸人さんの真似をして笑いを取るつもりが新郎・新婦を落としすぎて、会場の空気が凍りついてしまう失敗パターン③スピーチが長く、緊張で内容も支離滅裂になり、「この話いつ終わるのかな?」という空気になっているでは、結婚式でどのようにスピーチをすれば、「笑い」を生み出して出席者の心をつかみ、新郎新婦やご両家の両親を安心させることができるのでしょうか?一旦落として持ち上げる手軽に適切な結婚式のスピーチができるようにフォーマットをご用意しました。このフォーマットは、お笑い芸人や経営者の名スピーチを聞いて、最もシンプルで伝わりやすい順番を分析し、作ったものです。図27をご覧ください。結婚式のスピーチの主な目的は、「ご両親ならびに出席者に対して『新郎or新婦』は信頼に値する人間であることを伝える」ことだと考えています。その上で、重要なのは内容もさることながら、「伝える順番」と「スムーズにスピーチをする必要はない」ということです。まず、具体的に「伝える順番」について解説しましょう。ステップ①ツカミ自虐ネタを使い、自分を落として「クスッ」と笑いを取ります。自虐を使う理由は、2つあります。まず「偉い人のスピーチ」という印象を取り払い、親しみやすい人であることを認識してもらう。さらに、ステップ②で「新郎or新婦」の失敗談を話すため、先に自分を自虐ネタで落とし、会場の方々が聞きやすい空気を作るためです。ここで大事な点は自虐しすぎないこと。好ましい例を一つ挙げると、「株式会社〇〇で代表を務めております△△と申します。肩書きは社長ですが、頼りないもので、一人ひとりの社員に助けていただきながら、毎日会社を経営しております」。謙虚で社員思いという印象を与えられます。

ステップ②失敗談「新郎・新婦」がどのような人であるかを具体的に伝えます。ここでは、過去の失敗談を話しておきます。彼や彼女が、新人時代や若い頃は「おっちょこちょい」で「ミスが多かった」といった話ですね。あとの盛り上がりに繋がるよう、意図的に一度落とすわけです。※注:新郎の身内ネタで、下ネタを話す方がいますが会場が「地獄」になるのでやめましょう。ステップ③実績先ほど一度落としたので、ここから「新郎・新婦」を持ち上げていきます。重要なのは、具体的な「数字」「企業名」を伝えることです。会社として大きな成果か否かが重要なのではなく「3000万円を獲得」など数字を伝えることで説得力が増します。そして、苦労して成果を上げたことを伝えることにより、胆力があり努力する人間であることを印象づけます。※注:苦労したストーリーに人は共感し、引きつけられます。万能な人である必要はなく、リアルな苦労や弱音を交ぜるとより効果的です。人間味が伝わりますので。ステップ④期待ここからが腕の見せどころです。会社として彼や彼女に対して何を期待し、どんな人材になってほしいのかを伝えます。ここを魅力的に伝えることで「会社から信頼され、期待されている人」と印象づけ、ご両親からの信頼を得ます。※注:期待を伝えることを気恥ずかしく思って抽象的に伝えたり、「まぁ」や「とりあえず」などの曖昧な表現を使ったりすると、ここまで盛り上げてきた雰囲気が台なしになります。「言い切る」ことが重要です。ステップ⑤自虐ネタor問いかけ最後は、最高に上がった彼や彼女の評価を際立たせるために、もう一度自虐ネタで自分を落とし、クスッと笑いを取ります。自虐で笑いが取れなかった場合は、会場に問いかけます。「この2人が幸せになると思う方は拍手をお願いします!」と促すと、ここまで全く聞いていなかった方も周囲を見て必ず拍手をし、一体感が生まれます。そして一言「お幸せに!」と伝え挨拶を終了します。スピーチ全体に良い印象を残して終えることができます。※注:全員が拍手をするようにしっかり促してください。中途半端な巻き込み方ですと、盛り上がりに欠けた雰囲気で終わってしまい、一体感が生まれません。スムーズにスピーチをする必要はないこれだけの内容を3~4分にまとめて話をすることをお勧めします。漫才の大会「M‐1グランプリ」でも1組の持ち時間は4分。あれだけ練り込んだ秀逸なネタを披露しても、人が集中できるのはそのくらいの時間です。また、ビジョンを語るのと同様に淀みなく流暢に話すことが重要だと感じている方も多いかと思います。実は、結婚式のスピーチも流暢に話す必要は全くありません。言葉に詰まり、涙を浮かべ、かんでしまう。こうしたリアルな感情が出席者の共感を呼びます。また、言葉に詰まったようなときは、白いハンカチで口元をすっと覆い隠してください。涙をこらえているかのように周囲は感じます。あとは、たどたどしくても、普段感じている素直な気持ちを伝えるだけで、目的は達成されます。こちらのフォーマットに沿って結婚式のスピーチをすれば、会場を盛り上げられることでしょう。

おわりにまずは、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。「なぜ、この本を書いたのか?」と問われたら私は、こう答えます。世の中を今よりもちょっと面白おかしくしたいそう思っているからです。私は、お笑い芸人からふつうのビジネスパーソンになって本当に驚きました。少しでもボケてみると、「仕事だから真面目にしろよ!」と怒られたり、会議で冗談を言おうものなら「そういうのはいらない」と冷たくあしらわれたりしました。「いや、真面目すぎるやろ!」と思います。冗談も言えない環境で、本当に新しい発想や、クリエイティブなものが生まれるのでしょうか。私は、絶対に生まれないと思います。そして、ミスも許されずチャレンジすることもしなくなります。私は、世の中の人は、仕事を楽しむことを忘れてしまっていると感じています。仕事が面白くないことが当たり前だからと諦めてストレスを溜め込んでしまっている人を何人も見てきました。そのような状態にあると、おかしいと声をあげることをしなくなってしまいます。ビジネス社会にもお笑い芸人のスキルが広がれば、世の中が今よりも面白おかしくなると思っています。そして、コミュニケーションの悩みや、息苦しいやりとりが少しの工夫でなくなればいいなと心より願います。もし、皆様の周りでコミュニケーションに悩んでいる人や、真面目で小難しい世の中に違和感を感じている人がいれば、ぜひともこの本を紹介してあげてください。きっと、力になると確信しています。さて最後に、本書を執筆するにあたって、本当に多くの方に協力をいただきました。いつも的確で切れ味がありすぎるフィードバックをくれた日本経済新聞出版社の雨宮百子氏、日経電子版「NIKKEISTYLE」で非常にお世話になった村上憲一氏、素晴らしいタイトルを考えてくださった梅田悟司氏、そしてたくさんの人と繋げていただいたコンコードエグゼクティブグループの渡辺秀和氏、中西弘士氏。最後には、お礼が書いてある本がたくさんあります。正直、何で書いてるんやろ?と毎回思っていましたが、書きたくなるほど非常にお世話になりました。ありがとうございました。そして、大学を中退してまで芸人を目指すことを一言の反対もなく許してくれた家族、私が芸人を辞めた直後に雇ってくれた会社、一人前に育ててくれた上司、結婚してすぐに独立したにもかかわらず背中を押してくれた妻、独立する手伝いをしてくれた尊敬できる皆様。最初に取引がない中、弊社のことを救ってくれた多くの素晴らしい取引先の皆様。今の私がいるのは、皆様のおかげです。本当にありがとうございました。2019年6月株式会社俺代表取締役社長中北朋宏

参考文献書籍・『夢をかなえるゾウ』水野敬也著飛鳥新社2011年5月・『V字回復の経営─2年で会社が変えられますか』三枝匡著日本経済新聞出版社2006年4月・『自己プロデュース力』島田紳助著ヨシモトブックス2009年9月・『天才を殺す凡人─職場の人間関係に悩む、すべての人へ』北野唯我著日本経済新聞出版社2019年1月・『超一流の雑談力』安田正著文響社2015年5月・『一瞬で相手の心をツカむ!笑いのスキルで仕事は必ずうまくいく』殿村政明著小学館2010年5月・『いじり・いじられ術お笑い芸人に学ぶいじり上手は信頼されるいじられ上手は出世する』田中イデア著立東舎2016年9月・『漢字幸せ読本─漢字は答えを知っている』ひすいこたろう、はるねむ著KKベストセラーズ2007年5月・『人を動かす』デール・カーネギー著山口博翻訳創元社2016年1月

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次