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たとえるとできる、いろいろなこと

たとえるとできる、いろいろなこと

会話を長くできる私はたとえなら何でも好きというわけではない。例えば相手があるタレントが好きで、そのタレントを自分も好きだったとする。すると、自分が一番のファンでいたいのか、私より優位に立ちたいのか、あるいは隙を見せたくないのか、こちらは何とも思っていないのに、矢継ぎ早に情報を口にし、好きアピールをしまくってくる人がいる。アピールによる武装だ。その異様さが「この人、やばいな。相当なマニアだな」と周囲に思わせる要因となって、夢中になって周りが見えなくなっている姿が「おもしろい」と持ち上げられやすいのは確かではあるのだが、私はこの手の人が苦手である。情報など調べればどうにでもなることで、こういったアピールをしなくても好きさが滲み出てくる人のほうが好感を持てる。そちらのほうがノーガードの強さを感じる。その辺のことは個人差があるだろうから是非はおいておいて、この手の人はたとえを唐突に使ってくることが多い。しかもわかりにくいものを。「あのタレントはもはやコッポラの映画ですね」いきなりこう言ってくる。これは「難しくたとえる」というアピールのひとつであり、「私はこういう見方もできるんですよ」と強引に自分のホームに持っていこうとしているようにしか思えない。こういうのが大嫌いなのだ。「コッポラとはどういうことですか?」無視することもできずに私はそう尋ねなければいけない状況になる。これほど面倒なものはない。こういうタイプの人と接しているうちに、私は気づいた。世の中にはたとえなくても良いものもあるということに。また、たとえるべきタイミングも存在すると。あまりにもたとえすぎると、飲み会などで「今の状況をちょっとたとえてよ」と言われることになる。「よっ、たとえさんのおでましだ!」と変なニックネームが付いたら最悪だ。TPOをわきまえ、ほどよくたとえなければいけない。ただ、逆に考えれば、たとえるべき時もあるということだ。そのひとつとして会話を長くしたい時がある。知り合いにばったり会う。一度か二度会ったくらいのそこまで親しくない知り合いだ。その場合、次にとる行動は2つある。①気づいていないふりをする②話しかけるこの2つだ。①ができるのなら何の問題もない。さほど親しくないのだからこれがベストといえる。気づいていないように自然に振る舞えば良いだけだ。電車なら中吊り広告を見続ければ良いし、街中であれば靴ひもを結びなおしてやり過ごすのも手だ。しかし、目が合ってしまった場合、あるいは出会ったのがエレベーターなどの密室の場合はそうはいかない。選択できる行動は②のみとなる。「良い天気ですね」「はい」無難に天気の話をする。しかし、ここからが続かない。当然沈黙が訪れ、気まずくなり、エレベーターの動作音だけがやけにはっきりと聞こえるようになる。こんなことなら話しかけなければ良かったとも思うが、この状況で無視できるようなメンタルなど持ち合わせていない。エレベーターはまだ2階を過ぎたところ。自分も相手も目的の階は10階以上だ。あとひとつで良い。あとひとつ何か取っ掛かりがあれば……。ここでたとえが役に立つ。話題は天気しかないのだから、この天気を引き伸ばして利用するしかない。一口に天気といっても様々だ。今日はどんな天候なのか、どんな気温なのか、どんな季節なのかを感じ、考え、たとえるのだ。それを会話に取り入れる。「良い天気ですね」「はい」「まるで新学期が始まるような天気ですね」「たしかに、そうですね!」共感を生み、会話が伸びる。「良い天気ですね」「はい」「まるでクラス分けの紙が貼られるような陽気ですね」「……そうですかね?」「あれ?違いました?」共感はなくとも、相手の疑問が会話を長くする。いずれにせよ、たとえが沈黙を埋めてくれるのだ。天気のたとえは様々だ。広瀬香美の曲が流れてきそうな寒さスーパーの店頭に虫かごが置かれ始めるような晴天日本一の暑さを売りにする町が喜ぶような暑さ

どこからか高校野球中継の音が聞こえてきそうな暑さこれから謝りに行くことを忘れるような快晴ベランダに出しっぱなしにしておいたビーチサンダルのボロボロ具合に驚くような季節シューベルトの「魔王」なら子どもが死んでてもおかしくないような嵐加藤晴彦がCMに出てきそうな寒さ臨機応変に、自分の記憶や経験からたとえを作り、それを会話に組み込む。たとえを言い終わる頃には、きっとエレベーターは6階を通過しているはずだ。

時間を潰せるその昔、仕事がなくて家にいるか喫茶店にいるか公園にいるかの生活をしていた。その3か所をただぐるぐるとしていたが、共通していたのはどこにいても考える時間が存分にあるということだ。要は暇だったのだ。ただぼーっとしていると昔のことばかり考えてしまう。「あの時は楽しかったなあ」と考えている分にはまだ良いのだが、「あの時ああしていればなあ」と考え始めるとあまり良くない兆候で、「あの時あいつはなんであんなことを言ったんだ」なんてことを考えてしまったら怒りがこみ上げてくるし、「あの時自分はなんであんなことを言ってしまったんだ」と考えてしまったら、過去を打ち消すかのように大声を出したくなる。そんなことを繰り返しているとさすがに自分でも非生産的で不毛すぎやしないかと気づき始め、暇な時は何かテーマを決めて考えごとをことにした。私はここでたとえを使った。とはいえ、当時はたとえを使っている意識はなく、今になってあれはたとえだったとわかる。例えば古本屋で買った表紙カバーのない太宰治の文庫本。格安で今より活字が小さく古いもの。それに収録された『走れメロス』の冒頭部分。「メロスは激怒した」これに「たとえ」を追加してみる。すると頭の中にいろんなメロスが出現する。どれも怒り方が違うメロスである。メロスは母親が勝手に部屋に入った時の中学生のように激怒した中学生のように怒るメロスが浮かび上がる。メロスは中華料理屋の厨房のように激怒した忙しさから気が立っているメロスが想像できる。メロスはカレーが辛かった時のYOSHIKIのように激怒した怒ったメロスがYOSHIKIのように帰ってしまって物語が終わってしまう。「シャワーが熱かった時のYOSHIKIのように」というたとえも考えられる。メロスはナマハゲのように激怒した「悪い子はいねがー」と家に入ってきたメロスが怖くて泣きじゃくる、悪い子である邪智暴虐の王。メロスはワニワニパニックの後半のワニのように激怒した同時にスピードもアップするメロス。これなら三日目の日暮までに余裕で間に合う。メロスはこち亀の大原部長のように激怒したラストのコマで「邪智暴虐の王はどこだー!」と乗り込んでくるメロス。メロスはデッドボールを受けた助っ人外国人のように激怒したマウンドにいる邪智暴虐の王のところまで走っていくメロス。文学作品にさらに何かを加えるのは明らかな蛇足だとわかっていたが、楽しく、時間はあっという間に過ぎた。昔のことを考えた時のような嫌な気分にもなっていない。暇すぎて荒んだ心が豊かになったのだ。私事だが、この頃の時間が、今最も役立っている気がする。想像力のトレーニングとしてたとえを作り、時間を潰すことも悪くない。

言葉のイメージを変えられる「だっふんだ」誰もがこの言葉を一度は耳にしたことがあるだろう。ご存知、志村けんの言葉である。志村けん扮する変なおじさんが、奇怪な行動で周囲を混乱させ、「そうです、私が変なおじさんです」と名乗り、「♪変なおじさん~」と歌い踊った後、「だっふんだ」と言う。これがオチの言葉となってコントが終わる。しかもただ言うだけではなく、おもしろい顔をしながら言う。もはやそこには笑いしかない。つまり「だっふんだ」はおもしろい言葉以外の何物でもなく、例えば悲しい言葉では決してない。よって次のような等式と不等式が出来上がる。Aだっふんだ=おもしろいBだっふんだ悲しいこれを覆すのは難しい。しかしたとえを使えば、あっという間にBも等式にしてしまうことができる。だっふんだ→まるで遺言のようなだっふんだ「まるで遺言のような」というたとえが加わったことにより、あんなにおもしろかっただっふんだが悲しくなる。どんなおもしろい顔をして言っていたとしても、それは悲しみを隠して無理をしているようで、かえって悲しさを倍増させるだけだ。このように、たとえはイメージを変えてくれる力を持っている。もっとだっふんだを変えてみよう。①戦いのスタートを告げるようなだっふんだ②子守唄のようなだっふんだ③乾いた銃声のようなだっふんだ④賛美歌のようなだっふんだ⑤貝殻を耳に当てた時に聞こえるようなだっふんだ⑥カフェで流れているBGMのようなだっふんだ⑦小川のせせらぎのようなだっふんだ①はゴングのような、あるいは革命が始まるようなだっふんだに思えてくる。②は母の声のような安心感があるだっふんだだ。③は事件が始まる、もしくは何かを終わらせるようなだっふんだ。④は荘厳なだっふんだである。「だっふんだ」と言うと通常はガラスが割れる音がするのだが、このだっふんだではステンドグラスが割れるだろう。⑤は遠い国の波の音のようなロマンティックなだっふんだ。⑥のだっふんだはおしゃれ。⑦は志村からマイナスイオンが出ているような気になる。たとえはイメージを、そして私たちの感情をも変えてくれるのだ。

季節の挨拶を作れる手紙を書く、あるいはメールを書く。何か挨拶を添えたいと考える。簡素なものではなく、季節を織り交ぜた、いわゆる時候の挨拶みたいなものを。インターネットで調べれば、時候の挨拶などいくらでも出てくる。ただそれでは味気ない。何度も目にしたような文字列は読み飛ばされてしまう可能性もあるし、もしもメールであったならコピーしたものをただ貼りつけたと思われるかもしれない。やはり自分の言葉で作るのが一番だ。とはいえ何からどう手を付ければ良いのかわからない……。そんな時にもたとえが役に立つ。例えば夏の挨拶が欲しい時。まずは夏のたとえを考えるのだ。野球部を引退した3年生の髪が伸び始めてくるような夏夕立が止んだことを風鈴が知らせてくれるような夏知らないおじいさんがランニング姿で椅子に座っているような夏室外機の上で鉢植えが枯れているような夏試合でミスしたことばかり思い出すような夏梅宮辰夫の人形が作る影で猫が寝るような夏窓を開けるとどこからかテレビの音が聞こえてくるような夏夏祭りのポスターが朝露に濡れているような夏夏のたとえが8つできた。どれも夏が伝わってくる。今度はこれを挨拶に変えていく。やり方は簡単だ。「夏」の部分を「今日この頃」に替え、「いかがお過ごしでしょうか?」を追加すれば良い。すると次のような挨拶が8つ出来上がる。野球部を引退した3年生の髪が伸び始めてくるような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?夕立が止んだことを風鈴が知らせてくれるような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?知らないおじいさんがランニング姿で椅子に座っているような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?室外機の上で鉢植えが枯れているような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?試合でミスしたことばかり思い出すような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?梅宮辰夫の人形が作る影で猫が寝るような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?窓を開けるとどこからかテレビの音が聞こえてくるような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?夏祭りのポスターが朝露に濡れているような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?自分だけの夏の挨拶の誕生である。もちろん他の季節でも同様だ。春、秋、冬のたとえを挙げてみる。春路上教習の車を先頭にちょっとした渋滞が起こるような春田舎から出てきた親子が部屋を探すような春おばさんの自転車からハンドルカバーが外されるような春パン祭りで盛り上がるような春早くも小学1年生が帰っていくような春ゆっくりとクラスの中でグループが出来上がっていくような春違う制服を着た友人に街で出会うような春「中学の時は楽しかった」「去年のクラスが最強だった」などという声が時折聞こえてくるような春秋寂れた遊園地の飲食コーナーのテーブルが落ち葉に覆われるような秋岩谷テンホーの漫画にマツタケが出てくるような秋カナブンの死骸がすべて消え去るような秋電柱に貼られたプロレスのポスターがボロボロになっていくような秋

おばさんの自転車にハンドルカバーが付けられるような秋夏休みの午前中にやってたアニメの再放送のことを忘れていくような秋栗ご飯の素がスーパーの一角を占めるような秋本屋に赤本が並び始めるような秋冬どこからともなく灯油の臭いがしてくるような冬去年の漢字をもう思い出せないような冬出しっぱなしのクリスマスツリーをやっと片づけるような冬迂回路を教える工事現場の警備員の吐く息が白くなるような冬石焼き芋の車が駅前に停まっているような冬小さな商店のおばさんの足元に電気ストーブがあるような冬コートのポケットから去年見たライブのチケットが出てくるような冬道路脇に黒い雪があるような冬挨拶に困ったらあとはこれらを挨拶にするだけ。挨拶に困ったら是非とも思い出してもらいたい。

コミュニケーションがとりやすくなる雑誌で文章を書く仕事をし始め、やがて自分の名前を出して書く、いわゆる署名原稿というものも依頼されるようになった頃、必然的に打ち合わせが多くなり、初対面の編集者に会う機会が増加し、嫌でも人とコミュニケーションをとる必要が出てきた。この時に役に立ったのもたとえである。当時見つけた技術のひとつとして、ただたとえるだけではなく、たとえの中に相手が好きなものを交えるというのがある。もしも相手が野球好きなのであれば野球関連のフレーズを盛り込んで、たとえるのだ。「それは凄いですね!まるでバックスクリーン三連発のようです」「そうなんですよ!」好きなものでたとえられて悪い気はしない。蛇が嫌いなのに「まるで蛇の抜け殻みたいですね」とたとえられるより良いに決まっている。「それは凄いですね!まるで蛇の抜け殻をたくさん見つけた時のようですね!」「えっ……?」これはいただけない。もちろん相手が野球好きである確証を得てから行うのが定石である。相手が野球に興味がないと、野球で一生懸命たとえたところで何のことを言っているのか理解できないだろうし、野球を嫌悪していたならたちまち先の蛇の例になってしまう。「それは凄いですね!まるでバックスクリーン三連発のようです」「バックスクリーンってなんですか?」あるいはこんな返答。「それは凄いですね!まるでバックスクリーン三連発のようです」「俺は野球のせいで両親を失ったんだ!俺の前で野球の話をするなんて許せねえ!」どちらもいただけない。特に後者は事件に発展する可能性すらある。またこちらもある程度の野球の知識が必要である。何も知識がなければたとえることはできないし、その状態でたとえたとしても「ああ、この人はそんなに好きではないな」とばれてしまう。「ホームランのようでしたね」より「東京ドームの天井のライトに当てたブライアントのホームランのようでしたね」のほうが効果はある。「この人、野球を知っているな」と思われたほうが距離はグンと縮まり、コミュニケーションは円滑となる。ではどのように野球好きかどうかを見極めるか?もしも相手が野球のユニフォーム姿で打ち合わせに来たならば、その人は野球好きだと断定して構わない。「家にユニフォームしかなかったから」という理由はほぼないと考えて良い。しかし実際にユニフォームで来る編集者がいるのかは不明だ。もしも存在していたとしても、その人とコミュニケーションをとりたいと思うかは甚だ疑問である。向こうから「私は野球が好きなんですよ」と言ってくれるのが最も手っ取り早いが、そうやって自らアピールしてくるタイプの人はほっといてもコミュニケーションをとりにきてくれるから、わざわざたとえを使用する必要はない。問題はそのどちらでもない場合。野球が好きかどうか、よく観察するしかない。相手の持ち物を観察する。キーホルダー、文房具、資料を挟んであるクリアファイルなどが野球のグッズではないか?鞄の中にグローブはないか?Yシャツの下に野球のTシャツが透けて見えないか?コップの握り方が変化球の握り方ではないか?またちょっとした態度も見逃してはいけない。「この人はそわそわしているが、もしかしたらナイターの結果が気になっているのではないか?」などの推測もしてみる。それでもわからなかったら、さりげなく野球の用語を口にして探りを入れてみる。「僕、衣笠に似ているってよく言われるんですよ」と言って、相手が「たしかに」と答えれば野球が好き、「それは誰ですか?」と質問してきたならば好きではないということだ。こうして野球が好きだという確証が得られたのなら、あとはたとえに取り入れる。「まるでデッドボールをアピールする達川のようですね」「そうなんですよ。って、もしかしてあなたも野球好きなんですか?」これでオッケーだ。もちろん野球はひとつの例で、サッカーでもバンドでも写経でも何でも良い。『得意分野を利用する』方法と合致したならば最強となる。

人のタイプをたとえるイソップ寓話に『金の斧』という話がある。斧で木を切っていた男が手を滑らせ、川に斧を落としてしまう。困っていると川から神が現れ、「あなたが落としたのは金の斧ですか、それとも銀の斧ですか」と尋ねてくる。男は「どちらでもない」と答え、「あなたは正直者だ」と金の斧も銀の斧もプレゼントしてくれる、という話だ。何かとパロディにされることの多いこの寓話だが、たとえを作る題材にもなる。寓話の男はどちらも選ばなかったが、神の問いに対する返答はそれを含めて4パターン考えられる。金の斧を選ぶ銀の斧を選ぶどっちも選ばないどっちも選ぶこれからたとえを4つ作る。①金の斧を選ぶような人間②銀の斧を選ぶような人間③どっちも選ばないような人間④どっちも選ぶような人間①は欲張りな人をたとえる時に使えるだろう。嘘つきをたとえる時も使える。②も欲張りで嘘つきだが、①の人よりも遠慮がある人に使える。③は正直者をたとえる時に使えるのはもちろんのこと、斧にまったく興味がない人にも使える。④は最も欲張りではあるが、①よりは清々しさがある。野心家だとも考えられる。「まあ、あいつはどっちも選ぶような奴だからな」というセリフには、「まあ、仕方ない」と許してしまう心情も窺える。このように、誰もが知っている寓話を使うと人のタイプをたとえることができる。幼い頃読み聞かされた馴染みのあるものからのたとえであるから、伝わりやすい。他の寓話で例を挙げると、『大きなカブ』ならば、おじいさん、おばあさん、孫、犬、猫、ネズミと分けることができるから、6つのたとえを作ることができる。①大きなカブのおじいさんのような人間②大きなカブのおばあさんのような人間③大きなカブの孫娘のような人間④大きなカブの犬のような人間⑤大きなカブの猫のような人間⑥大きなカブのネズミのような人間①は率先して仕事に取り組む人のたとえだ。②はサポートに徹する、縁の下の力持ち的な存在をたとえるのに適している。③はおじいさんとおばあさんを助けようと駆けつける優しい人だ。④人間以外で真っ先に駆けつけた犬。忠誠心のある人のたとえに使える。⑤いつもは気ままなくせに、ここという時は助けに来てくれる。そんなタイプのためのたとえだ。⑥は非力ではあるが、結局いなければカブが抜けなかったわけであるからその功績は大きい。なくてはならない人をたとえる時に使える。もしも『忠臣蔵』なら47通りのたとえを、『101匹わんちゃん』なら101通りのたとえを作ることが理論上可能となる。就職活動で「あなたはどんな人ですか?」と訊かれた時にも使用できるので覚えておこう。

おいしさを伝えられる料理を食べておいしさを伝える場合、「おいしい!」と言うわけだが、それにはとにかくタイミングが重要である。タイミングは大きく4つに分けられる。①食べる前②食べてすぐ③食べて少し経ってから④次の日まず、①は問題外である。「おいしそう!」と言うのは構わないが、ここで「おいしい!」と言うと相手をあきれさせ、時には怒らせる可能性もある。②もベストなタイミングではない。口に入れるや否や「おいしい!」と言うと、あまりにも早すぎて嘘っぽくなってしまうからだ。ここでは「んん!」と目を見開くくらいにしておこう。③は逆に遅すぎて、とってつけた感が漂ってしまう。④は問題外だ。ただし、前日にベストタイミングで一度伝えられているのなら1日経ってもあのおいしさが忘れられない感が出るのでその限りではない。ベストタイミングは②と③の間。ただし口に入れてから何秒後が良いかなどの正確な数字はない。時と場合と相手によるため、こればかりは頼れるのは経験しかない。もしも②と③の間のタイミングを逃してしまっても、慌てることはない。「……ん?」という表情をするのだ。そして「何なんだこの味は……!」といった表情に変え、料理をまた口に入れよう。すると②と③の間のベストタイミングが再びやってくることになる。しかも一口目でおいしさに驚き、すぐにまた食べての感想なので、相手においしさがより伝わる。ただしこれを3回、4回と続けるとただの味音痴だと思われてしまうので注意しなければいけない。タイミングは理解しても、今度は言い方の問題が浮上する。おいしいと思ってもうまく「おいしい」と伝えられない人もいるだろうし、ただ「おいしい」と言うだけでは相手は満足しないかもしれないし、「本当に?」と疑ってくるかもしれない。そんな時はたとえしかない。上司の家に招かれての食事。あるいは上司がお勧めのお店でハンバーグをご馳走になる。熱い鉄板の上で音を立てたハンバーグが運ばれてくる。口に入れると肉汁が溢れ出す。それをたとえる。肉汁が清流のように。肉汁が湧き水のように。肉汁が恵みの雨のように。あなたの頭の中で様々なたとえが生まれる。しかし「汁」に注目しすぎてしまい、次のようなたとえが誕生し始める。おいしい。肉汁が破裂した水風船のようだ!おいしい。肉汁が流れるプールのようだ!おいしい。肉汁が大浴場のようだ!おいしい。肉汁がコインシャワーのようだ!おいしい。肉汁がウォータースライダーのようだ!おいしい。肉汁が結構な雨漏りのようだ!どれもたとえが過剰になり、おいしくなさそうになってしまう。こんなことを口にしたら相手の表情がみるみる曇っていくのが容易に想像できる。おいしさのたとえは何よりも繊細さが必要なのだ。ただ、繊細な部分を無視して勢いでいくパターンもある。いわゆる彦摩呂方式である。肉汁の宝石箱肉汁のIT革命肉汁の郵政民営化繊細さは見事に消え去ったが、それを補って余りある説得力がある。肉汁にこだわりすぎたたとえよりも不思議とおいしさが伝わってくる。この彦摩呂方式の最大の利点は、おいしくなくても使えるところだ。意味がわからなくとも納得させてしまうパワーがあるのだ。ある意味おいしさのたとえとしては正解なのではないかと思える。そこで、いざとなったら彦摩呂方式を使えるようにあらかじめ言葉を用意しておくのも良いだろう。A肉、魚、野菜、フルーツ、味、食材B電力自由化、トリプルスリー、荒れる成人式、アベノミクス、号泣会見、総選挙これを「AのBだ!」に組み込む。肉の号泣会見だ!

魚の荒れる成人式だ!野菜の電力自由化だ!結論として、味をたとえるならニュースを見ておくべきだ。

ピンチを切り抜ける1上司に悪口を聞かれていた時無口な上司。必要以上のことは話さず、いつも静かで寡黙な人。それが若い部下たちにとってはおもしろ味のない人と映るようで、その上司について話し始める。あなたはそれを聞いている。「あの人、ほんと無口だよな」「もう、どんな声だったか忘れちゃったよ」「この前の飲み会も、他は盛り上がっていたのに、俺たちのところだけ静寂に包まれていてさ」「お通夜みたいだったよな」そんな仲間たちの話を聞いている時だ。あなたは信じられない光景を目にする。なんと上司が近くにいるではないか。明らかにこちらの話を聞いている。それに気づかずに話を続けている仲間たち。なんとかしなければいけない……!こんな時はどうするべきか。「いや、無口じゃなくておしゃべりだよ!」こうやって無理矢理否定しても何も良いことはない。「おいおい、そんなことあるわけないだろ!この前のあれだってさ……」仲間たちはそう言って、さらなる悪いエピソードを話すのは目に見えているからだ。こういった事態の場合、ベストな方法は否定ではなく肯定することである。上司が静かであることは事実として肯定するのだ。「それだと火に油を注ぐことになるのでは?」と思われるかもしれないが、たとえを使えば問題はない。ただたとえるのではなく、「静か」が持つネガティブさを消し、プラスのイメージになるようにたとえるのだ。卒業していった3年生の教室のように静かだ終電が終わった駅のように静かだ平日昼間の駄菓子屋のように静かだテレビを消したおばあちゃんの家のように静かだ小さな町の駅前のタクシー乗り場のように静かだ酔っていた親戚のおじさんが寝た時のように静かだ朝露に濡れた夜店の屋台のように静かだ最後の生徒がいなくなった分校のように静かだどれも静かさを際立たせるが、決して嫌ではない静けさだ。どこか懐かしくて、どこか寂しく、どこか切ない静けさ。もうネガティブさはない。これなら上司が怒ることはない。

ピンチを切り抜ける2お母さん以外をお母さんと呼んでしまった時学校の先生を「お母さん」と呼んでしまうという「あるあるネタ」がある。「校庭に犬が入ってきたらテンションが上がる」くらいの定番中の定番である。これを実際に経験したことがある者は、強烈な恥ずかしさを伴うことを知っている。このあるあるの原理は簡単なことで、要は呼称の言い間違えだ。普段口にすることの多い言葉を、いつもの癖で言ってしまっただけである。それなのに死んでしまいたくなるほど恥ずかしくなるのは「お母さん」なる単語のせいだろう。特に中高生には相当な恥ずかしさである。「親なんて関係ねえよ!」くらいの態度でカッコつけたい、友達と遊んでいるところに親が来ただけでふてくされる年頃であるにもかかわらず先生を「お母さん」と言ってしまうのだ。アイデンティティの崩壊である。このあるあるの怖いことには大人でもあり得るというところだ。さすがに先生を「お母さん」と呼ぶ機会はあまりないにしても、会社で上司を「お母さん」と呼んでしまうパターンは容易に考えられる。そんなことをしてしまえば、笑われるだけではなく、親離れできていない未熟者として扱われる可能性が出てくるし、相手が社長であったらクビになってもおかしくはない。考えただけで恐ろしい。しかし安心してもらいたい。たとえを使えば回避することができるのだ。ただし、この場合はお母さんをたとえるわけではない。「お母さん……」と言った後に「のように○○」と付け加え、お母さんをたとえに取り込む。お母さん……のように優しい人こう付け足す。すると次のような流れが生まれる。「お母さん」(なんだ、こいつは。いきなりお母さんだなんて。もしや間違えたのか?)「……のように優しい人!」(お母さんのように優しい人と言いたかったのか。私をそんなふうに見てくれていたなんて。うれしい!)この方法を使えば言い間違いには聞こえず、かつ、相手はプラスに受け取ってくれる。お母さん……のように頼れる人お母さん……のように我慢強い人お母さん……のように素敵な人お母さん……のように私を育ててくれた人お母さん……のように包容力のある人お母さん……のように尊敬できる人お母さん……のように感謝してもしきれない人お母さん……のようにきちんと恩返ししたい人言い間違いをプラスに変えてくれるなんて、たとえは母親のように偉大だ。

ピンチを切り抜ける3他人にバカだと言ってしまった時「お前はバカだな」そう冗談ぽく言う。あとは、笑いあったりふざけあったりする。何も問題はない。しかし「バカ」という言葉に対する捉え方は人それぞれであるから、冗談だと受け取らずに「バカとは何だ!」と怒り出す人がいるかもしれない。「お前はバカだな」あまりにも仕事ができない部下に思わず言ってしまう。すぐに我に返って何てことを言ってしまったんだと反省しても時すでに遅し。打たれ弱い部下はそのまま辞めてしまうかもしれない。「お前はバカだな」子どもの頃、友達にそう言うと「バカって言う奴がバカなんだぞ!」と言い返された。バカという言葉が跳ね返ってきて私がバカになってしまった。このようにバカという言葉を使うと何かと不測の事態が起こるものだ。しかしこれらすべてを解決してくれるものがある。もちろん、たとえだ。『○○のようなバカ』ここでのたとえはこの形をとる。かつ、バカをプラスのイメージに変えるようにしなければいけない。「お前はバカだな。いずれ天下を取るようなバカだな」これなら、嫌な気分にはならない。むしろうれしくなる。未来を変えるようなバカだな世の中をおもしろくするようなバカだな周りを幸せにするようなバカだな真似したくなるようなバカだな日本にいなくてはいけないようなバカだな常識をぶち壊すようなバカだな自ら進んで道化師役を引き受けたようなバカだな一生ついていきたくなるようなバカだな「いずれ未来を変えるようなバカだな」「いずれ未来を変えるようなバカだなって言う奴がいずれ未来を変えるようなバカなんだぞ」このように跳ね返ってきてもダメージはなく、うれしいだけだ。

 

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