第2章私の「声力」探しの旅
まずは私のプロフィールをご紹介具体的なトレーニングにはいる前に、この章では、今現在の私が何者であるか、私がどうして今のような声を獲得することができたのか、をお話ししておくことにしましょう。この本は、「いい声・美しい声」を獲得する方法をお教えする本ですから、教える私のことを知っていただく必要があると思うからです。自分で説明するのは後回しにして、「公式」に発表しているプロフィールをご紹介して、自己紹介代わりとします。私が所属している「二期会」というオペラ歌手の団体では、さまざまな公演活動をしていますが、その中の「世界で活躍する日本の誇るバリトンオペラ歌手島村武男の世界」と銘打ったイベントで公表したプロフィールです。ちょっと長いですがお付き合いください。大阪教育大学を経て東京藝術大学卒業並びに大学院修了。大学院修了後、留学までの2年間、数々のオペラの主役をこなし、一躍若手バリトン歌手として脚光を浴びた。その後、イタリアに留学、本場のベルカント唱法とイタリアオペラを学んだのち、西ドイツ、ミュンヘン音楽大学に特別推薦で入学、専攻科のオペラ科とリート科で歌唱法を学んだ。この間、イタリア、西ドイツの都市でコンサートに出演、いずれも成功を収めた。ハイデルベルク城サマーオペラ・フェスティバルに毎年招かれ、その後、西ドイツ国立ブラウンシュバイク歌劇場とドラマティックバリトンとして、日本人として数少ない専属契約を結んだ。一方、西ドイツ国営放送やほかの歌劇場にもゲストとして出演、新聞、オペラ雑誌『オペルン』『オルフォイス』などで、「ドイツ語が明瞭で美しい声で歌った」との好評を得た。年間100回を超える公演に出演していたが、7年間にわたるヨーロッパ生活に終止符を打ち帰国。帰国後、NHK‐FMのリサイタルに毎年招かれ、二期会の公演、新国立劇場のオープニングからの数々のオペラへの出演、さらに、主要なオペラ団体にも数多く出演している。また、「題名のない音楽会」などのテレビ出演のほか、コンサート、数多くのリサイタル、ディナーショーに招かれ、年末には第九のコンサートも多い。オペラにおいては、代表的なものには『オテロ』のイヤーゴ、『リゴレット』のリゴレット、『椿姫』のジェルモン、『フィガロの結婚』のフィガロ、『コジ・ファン・トゥッテ』のグリエルモ・アルフォンゾ、『パリアッチ』のトニオ、『ドン・ジョヴァンニ』のレポレロ、『アルジェのイタリア人』のムスタファ、『ラインの黄金』のアルベリヒ、『外套』のミケーレ、『ローエングリン』のラルラムント、『カヴァレリアルスティカーナ』のアルフィオ、日韓交流オペラ『リゴレット』では、日本代表としてタイトルロールの大役を見事にはたし、絶賛を浴びた。つづいて新国立劇場のオープニング、團伊玖磨の『建』では、建の仇役・尾足を見事演じ、天皇、皇后、両陛下、首相などのご来場の下で大喝采を浴びた。横須賀芸術劇場における天覧オペラ公演『夕鶴』において、公演後のレセプションにおいて、両陛下からおことばをいただく。東京シティーフィルのワーグナー四部作、『ニーベルングの指環』のアルベリヒ、新国立劇場のヨーロッパのワーグナー歌手との競演の『ニーベルングの指環』では絶大なる喝采を浴びた。東京クリティック協会で、年間のオペラ歌手ベスト1に選ばれている。また、その活躍によって、新聞で一面のクローズアップ人物に取り上げられている。とりもなおさず、日本における国際的歌手の第一人者といって過言ではない。以上が、私のオペラ歌手としての活動を紹介したプロフィールです。ちょっと気恥ずかしいですね。このように私の本業はオペラ歌手なのですが、現在では発声法の指導者としても活動しています。教えているのは子どもたちやその指導に当たる先生から年配の方まで、一般の方たちです。みなさんが発声法のレッスンで声を出し、ご年配の方も若々しくお元気にされているのを見て、声力のすばらしさを再認識しています。
だみ声の高校生が藝大をめざすオペラ歌手というと幼いころから歌のレッスンを受け、美声で歌う少年だったのかと思われるかもしれませんが、私の場合はまるでちがいます。高校までの私は、水泳、柔道、ラグビーなどで、大声を出してグラウンドを駆け回っているスポーツ少年だったのです。また、小さいときから扁桃腺肥大で、よく熱を出して声をからせていました。そのような状態でしたから、昔の浪曲師のような「だみ声」で、ガラガラにかすれた声の持ち主でした。ところが、人間の運命とは不思議なものです。知り合いのコンサートを聴きに行ったときにお会いした、東京藝術大学(藝大)で教えていた有名な声楽の先生がこう言ったのです。「がんばれば、誰でも藝大に行けますよ」先生はお世辞で何気なく言ったのかもしれませんが、私はなぜかその気になったのです。そのころの私は、じつは藝大の建築科志望でした。そこで、まずは声楽科に入学し、それから建築科に変更しようと考えたのです。それから、声楽科合格を目指して、レッスンに通うことになりました。まったくの初心者だった私が1年間、先生に教わったのは、舌を出して声を出すことだけでした。この先生は舌を出して発声させる訓練で有名な方で、多くの弟子たちがこの方法でトレーニングしていました。先生の理論によると、「まず、のどと舌が硬い人はやわらかくする必要がある。その矯正のために、舌を出して声を出す訓練をする」ということでした。この発声法をひたすら練習し、藝大を受験しましたが、結果は不合格でした。このころ、藝大の入学試験は1次から5次まで15日間にもわたっておこなわれたのですが、私は最初の関門である1次試験で不合格となってしまったのです。これは「あなたには声楽の才能がまったくありません」という烙印を押されたことを意味していましたが、私はあきらめませんでした。次の年は新しい先生につき、引き続き藝大をめざすことに。先生は、「君はのどが狭いので、のどを開けるための訓練をします」と言って「オ」の発音でいろいろな練習を指導されました。舌根(舌の付け根)を下げ、のどの奥を大きく開いて声を出す方法です。これはたいへん効果があり、声がずいぶん変わっていくのを実感できました。2年目の受験は最後の5次試験までいきましたが、そこで不合格になり、3年目の挑戦でついに合格することができたのです。
正しい訓練で「いい声」を手に入れるなんとか藝大に入ったものの、私の声はまだまだほんとうの「いい声」と言えるものではありませんでした。在学中には、プライベートでドイツ人の女性の先生に発声を習いましたが、彼女の指導はまた、私にとって新しいものでした。「息の流れにそって自然に母音を発音する」という、じつにわかりやすいシンプルな教えだったのです。自分の声が変わり始めたのを自覚できたのは、この先生の訓練を受けて、2年目ぐらいからだったと思います。このころから、声がスムーズに出るようになり、声の質もよくなっていったのです。息の流れに沿って声を出すことで、自然に声帯が閉まり、声帯がうまく機能するようになっていったのでしょう。4年間のレッスンで、自分でもはっきりとわかるほど声が変わり、「いい声」になったのを実感できました。それだけではありません。ある日、自分ののどの奥を見ると、扁桃腺の腫れが治っていたのです。扁桃腺肥大と診断され、幼いころはいつも扁桃腺炎で熱を出していたのに、卒業までの訓練のおかげですっかり治ってしまったのですから、これにはほんとうに驚きました。
イタリア・ドイツで発音・発声法を学ぶ大学と大学院を卒業後、昭和音楽大学に席を得て、後進の指導を続けながらプロの声楽家として活動を始めました。が、もっと勉強したいという思いが強くなり、昭和音大の招聘により、1年間のイタリア留学に出発しました。2年目からはドイツに渡り、オペラ劇場の専属歌手として就職することができました。ドイツで約1年過ごしましたが、「自分の出している声は、ヨーロッパ人が出している声と違う」とわかり、もう一度、一から発声を勉強したいという思いが強くなってきました。そのときに思い出したのが、藝大の大学院で公開レッスンを受けたことのあったイタリア人の先生でした。カンポガリアーニという、声楽家ならほとんどの人が知っている指導者です。カンポガリアーニ先生は、発声法の指導者ではありませんでしたが、ミラノのスカラ座というたいへん有名な劇場の音楽指導者という立場の人でした。四大テノールをはじめ、世界中の著名な歌い手たちも、先生を訪ね公演前の発声をチェックしてもらうくらいのたいへんな実力の持ち主です。カンポガリアーニ先生のところには、イタリア人のプロのオペラ歌手がたくさん習いに来ていました。先生は直接、発声の指導はしません。生徒が出した声をチェックし、「ダメ」とか「よい」というだけでした。私も同じチェックをしてもらっていましたが、先生の答えはいつも「ダメ」。そこで、毎日、隣室に陣取り、先生が「よい」という答えを出した生徒の声をまねるということをくり返しました。1年がたち、「やっと君は正しく発音、発声できるようになった」という言葉をもらいました。そのころには、自分でも、いろいろと声をコントロールできるようになっていました。
教えることで「声力開発トレーニング」を確立イタリアでの修業を終えた私はドイツに戻り、歌手としてオペラ劇場と専属契約をして歌えるようになりました。ある日、声楽を勉強しているドイツ人から、発声法を教えてほしいという依頼が舞いこみました。彼はたいへん熱心で、いろいろ質問してきました。「その声のとき、口はどのように開けているか?」「呼吸はどうしているのか?」「声帯をどのように使っているのか?」「横隔膜はどのようになっているか?」彼の質問に答えるため、これまで体得してきた発声について、いろいろな角度から研究をしました。自分でさまざまな声を出しながら、そのときの状態をひとつひとつ確かめていったのです。このとき考えたことが「声力開発トレーニング」の基礎になっています。研究の結果、わかったことをまとめておきましょう。①発声のとき、横隔膜は張っている②息はときどき鼻から深く吸う③息を流しながら声帯を振動させる④声帯はなるべく下のほうで一定に保ちながら声を出す⑤口蓋垂(のどちんこ)はつねに上がっている⑥その間ずっと張っている横隔膜は微妙に動いているさて、ここまでで私の声の履歴書の章はおしまいです。声楽とは縁のなかった少年時代から、藝大での訓練、イタリア、ドイツでの勉強で多くのことを会得することができました。この間、さまざまな発声訓練法に出会い、また自分が人に教える体験もしながら、私のメソッドができあがってきたのです。次章では、「いい声」とはどんな声なのか、具体的なポイントをお話ししていきましょう。
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