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第2章「私には意志がある」

ツキのなさを嘆くのはやめよう。ほかの人のせいにするのはやめよう。外的要因や、状況のせいにするのはやめよう。

目次

人生を変えられないことに言い訳をするな

あなたは、がまんして生きる人生を自ら望んでいる。よく考えてほしい。

本当なら輝かしいものであるはずの人生を覆っている問題、あなたの人生から幸せや温かさを奪い取っている、憎むべき暗い影とは、いったい何なのか。

仕事が最悪?人間関係がうまくいかない?体の調子が悪い?なら新しい仕事を探せばいい。その人間関係を断てばいい。食生活を変えて、運動をしたり、自分に合ったジムを見つけたりすればいい。簡単なことだ。

愛する人の死や失業といった一見どうしようもない出来事に出くわしたとしても、そのあとどんな人生を送るかは自分でいくらでも決められる。

状況を変えるために行動する気がないなら、別の言い方をすれば、状況を変える意志がないのなら、どんなにイヤでもそれはあなたが選んだ人生だ。

「でも……」と思ったり、ムッときたりした人もいるだろうが、さらに言わせてもらう。あなたが状況を言い訳に使うのは、現状を肯定しているのと同じだ。

そんなことはもう終わりにしよう。「でも」はナシ。邪魔なだけだ。身軽な旅に、「でも」のような余計な荷物は必要ない。状況は人をつくったりはしない。状況は自分を映す鏡でしかない。

エピクテトス(ギリシャの哲学者)哲学者のエピクテトスは、人の真価はその人が置かれた状況ではなく、状況への対応の仕方で決まってくると言っている。

そうした新しい生き方を始める前に、まずはもう一つ、次の言葉を胸に刻んでほしい。

ツキのなさを嘆くのはやめよう。ほかの人のせいにするのはやめよう。外的要因や、状況のせいにするのはやめよう。子ども時代や、育った環境のせいにするのはやめよう。

これが、この本の基本となる考え方だ。

何度でも言わせてもらうが、自分の人生が苦しいのを、何かのせいにしてはいけない。自分のせいにするのもまったく無意味だ。

もちろん、自分の力ではどうしようもない状況に直面することはある。障害や病気、愛する人の死といった、つらい状況に置かれることもあるだろう。それでも、できることは必ずある。

何年も苦しみが続き、出口が見当たらないように思えてもだ。しかしそれにはまず、「やるぞ!」という意志を持たなくてはならない。私のアプローチをフルに活用するには、まずこう認めなくてはならない。

「仮にどうしようもない出来事が起こったとしても、そのあとどんな人生を送ったかは100パーセント自分の責任だ」と。

どんなときも、必ず。言い訳はナシだ。意志とは、今とは別の視点で人生を歩み、状況に向き合う姿勢のことだ。その過程はあなたから始まり、あなたで終わる。

意志を持つのはほかの誰でもないあなた自身だし、前へ進む意志をあなた自身がしっかり持たない限り、前進はできない。

「やるぞ!」という意志があるか?

やるぞ!という気持ちになることができれば、意志を体感し、内なる自由が体中を駆け巡るのが感じられる。

逆に意志がなければ、どうしようもない停滞感や、見えないおもりを胸に抱えているような圧迫感にさいなまれる。「やる意志はあるけど、でも……」と言いたくなる気持ちはわかる。

しかし最後に「でも」をつけるたび、自分は被害者という意識が強まっていく。コーチやメンターとして過ごしてきた日々の中で、私はクライアントの複雑な状況をいろいろ耳にしてきた。

この上なく暗い過去から、重苦しい現状、将来への不安……。そうしたものを何度も聞いてきた。勘違いしないでほしいのだが、私は何もあなたをカッとさせようと思って言っているわけじゃない。

まあ、そういう面もなきにしもあらずだが、本当に火をつけたいのはあなたの中に秘められた力だ。つまり自分のすばらしい才能に気づいてほしいだけだ。

少し考えれば、あなたも自分の人生に意志が欠けていることに気づくはずだ。ちっぽけでやわな意志じゃない。

大胆な意志、つまり新しい段階や次の行動への覚悟の姿勢だ。変わりたいという意志や、手放す意志、受け入れる意志。本当の、奇跡のような、刺激的な意志だ。

運命は意志ある者を導き、ためらう者を引きずっていく。─ルキウス・アンナエウス・セネカ(ローマの哲学者、政治家)

運命は、コントロールするものでもあり、コントロールされるものでもある。あなたが立ち止まり、ぐずぐずしているあいだも、人生は止まってはくれない。困惑し、おびえているあいだも止まってはくれない。あなたを置いてどんどん進んでいく。

あなたが主役を演じようと、そうでなかろうと、芝居はどんどん進んでいく。だからこそ、私はクライアントに必ずこのアサーティブな言葉を最初に覚えてもらうようにしている。

「私には意志がある」「何かをする意志があるか?」と自分に問いかけてほしい。問いかければ答えが必要になる。ぼんやりと宙を漂ったりはしない。

意志があるかという問いかけは、反応を引き出す。その言葉には、あらがうことを許さないパワーがある。真実を求める、まごうことなきパワーがある。自分に問いかけてほしい。自分はジムへ通う意志があるか。ずっと先延ばしにしていたことに取り組む意志はあるか。

人間関係の不安と向き合う意志はあるか。

給料アップを求めるか、さもなくばこの最低の仕事を辞める意志はあるか。あなたが立ち止まり、ぐずぐずしているあいだも、人生は止まってはくれない。困惑し、おびえているあいだも止まってはくれない。あなたを置いてどんどん進んでいく。

要するに、今までの生き方に区切りをつけて、望みの人生を始める意志はあるかということだ。その過程は、湧き出す意志から始まる。意志は浮き沈みのある人生の中の、寄せては返す波だ。

意志という水は、言葉を変えることで心の中に湧き出すようになる。人はよく、自分が自堕落で怠惰な人間だと感じるが、それは単に意志がないだけだ。

人はみな、「やりたくない」あるいは「できない」と自分に言い聞かせ、何かに取り組むのを避けようとする。

そんなふうに「能力が足りないから動かないんだ」という見方はやめて、「意志がないからだ」という感覚を持つようにしよう。

その気になりさえすれば、内に秘めた力に火をつけることはできる。最大の動力源はあなた自身だ。

人は誰でも、活力にあふれた青春時代、あるいは好奇心旺盛な子ども時代には、その状態に簡単にアクセスできる。

ところが年齢を重ねるにつれ、どういうわけか、その奇跡のような状態に達する方法がわからなくなっていく。

イタリア、ルネサンス期の有名な哲学者であり政治学者であったニッコロ・マキャヴェッリはこう言った。

大きな意志のあるところに、大きな困難はない。

この言葉をよく考えてみてほしい。どんな状況に直面しているか、どんな壁を乗り越えようとしているかは、さして問題じゃない。大切なのは、意志を持てるかどうかだ。

その意志によって、努力し、一歩を踏み出し、困難に立ち向かい、求めていた前進と変化を手に入れるための扉が開かれる。

だからこそ、「私には意志がある」というシンプルな言葉は深いものなのだ。そう口にし、その言葉を受け入れるだけで、生き生きとパワーが湧いてくる。もう一度尋ねよう。

あなたに意志はあるだろうか?

「意志がない」と宣言してもいい

もしかしたら、「意志がない」人もいるかもしれない。しかしそれこそがベストの答えになる場合もあるのだ。

「意志がない」と宣言することが、あると宣言するのと同じだけのパワーを持つことが往々にしてある。

不健康な体で生きる意志がある?まさか。その日暮らしの生活を続ける意志がある?まさか。ぎくしゃくした不安定な関係をがまんして続ける意志がある?まさか。そんなの絶対にイヤだ!否定の意志は、決意や決心を呼び覚ます。

「この状況を一刻も早くなんとかするぞ」という強い気持ちを生み出す。そんなのイヤだと思う瞬間は、これまでの不本意な人生との決別の境界線になる。

満足感も充実感もないまま、ただ生きるためだけに生きるのはもうイヤだと思って、はじめて変化のための努力をしようという気になれる。がまんするのはもうイヤだと思ってはじめて、シャベルを手にして掘り始めようという気になれる。

「こんなのもうイヤだ」という思いは、ときとしてこれ以上ないモチベーションになる。今のあなたに必要なのはどちらだろうか。

「やるぞ!」という意志か、それとも「もうイヤだ!」という意志か。いずれにせよ、否定の意志は、やろうという意志と同じだけのパワーを秘めている。「やるぞ」という主張がパワーになるか、それとも「イヤだ」と宣言することが力になるかは状況次第。

どちらがモチベーションになるかは場面によって変わってくるだろう。どちらにせよ、言葉を変えれば問題のとらえ方も変わってくるのだ。新しい仕事を探しているなら、イエスを意味する「意志がある」のほうがいい。

逆に仕事を辞めたいなら、ノーを意味する「もうイヤだ」のほうが合っている。効果は同じ。どちらを使うかはその人の性格や状況次第だ。自分に「効く」ほうを選んでほしい。

ネガティブな意志のパワーを活用する

否定の意志が、回し車から抜け出す力になる理由をもう一つ紹介しよう。それは、やるぞという意志はさほど長続きしないからだ。何をやると決めたかや、何回言い聞かせたかは関係ない。

人間は、志高く何かを始めたものの、尻切れトンボに終わってしまうものなのだ。人間は現状維持を求める。これは残酷な現実だ。

人生が一変して大事なものを永久に失うのをイヤがり、ほどほどのところでお茶を濁そうとするのが人間だ。

そうでないなら、あなたも現時点で変わっていておかしくないじゃないか!程度の差こそあれ、人は誰しも現状に甘んじて生きている。それは悪いことではない。現状維持を決めた自分を正直に認めることは、行動を起こす決断と同じパワーを持つ。

不満足な状況に身を置いているのは自分の意志だと認めることは、長期的かつ本格的な変化を起こすための原動力になりやすい。

自分を責めたり、自分が性格的な「欠陥」の被害者だと思ったりしないよう気をつけつつ、自分が意識的かつ意図的に今の状況をつくり出してきたことに気づくことができれば、そこから意識的かつ意図的に抜け出せるようになる!状況を受け入れ、想像もつかない未来へはばたく土台になる。

賢い人間とは、手に入らなかったものを嘆くのではなく、手にしたものを慈しむ人を言う。

─エピクテトス変わるなんてイヤだと宣言し、自分の中の否定の意志と向き合うことで、自分自身と人生を正しく評価できるようになり、一歩を踏み出すための光がうっすら灯る。

コツは(対象はなんであれ)イヤだと思っていたタスクを過去と切り離して冷静に見つめること。そうすれば、今までよりも広い心でタスクに取り組もうとしている自分に気づくはずだ。感情の渦を抜け、問題の本質をまっすぐ見つめよう。

本当にその目標を達成したいのか?

現実離れした目標も問題だ。星に手を伸ばし、不可能に思える目標に挑戦するのが悪いと言っているのではない。

たとえば、大金持ちになりたいというのは人類共通の夢だろう。それでも、お金を稼ぐためになんでもする意志があるかとなると話は別だ。

あなたは大金を稼ぐために週に60、70、80時間も働き、休みも取らずがんばり続ける気があるだろうか。

そのために大きな責任を負い、さらにはリスクを取る気があるだろうか。現実問題として、大金持ちになるためならどんなことにでも立ち向かい、乗り越える気があるだろうか。

そのことに人生のすべてを費やし、心の余裕がなくなってもかまわないだろうか。今の世の中には、深く考えずにそうした目標を追い求める人があまりにも多い。

一番のお金持ちになりたい、きれいになりたい、おしゃれになりたい、楽しい人間になりたい、強くなりたい……そう思うあまり、本当の自分を見失い、誰かの期待する自分ではない、本当の自分になる自由をなくし、人生を味わえなくなる。

世の中が無力感や失望感を抱く人でいっぱいなのも無理はない。夢を追い求めるのが悪いと言っているんじゃないし、行き詰まったままでいろと言っているのでもない。

私生活を犠牲にして一生懸命に働くのは何も悪くないし、収入アップやキャリアアップのためにがんばる自分に100パーセント満足している人もいる。

問題は、そもそもなんでそうしたことを目標にしたのかを忘れてしまっている人が多いことにある。

人間は、よく考えたらさほどほしいわけじゃないのに、持っていないからという理由で何かをほしがる生き物だ。

「確かに、別に自分は大金持ちになりたいわけじゃない」とか「よく考えたら割れた腹筋なんて要らないな」と思った人も多いんじゃないだろうか。

カッコいい車を見て「なんで自分はああいうのを持ってないんだろう」と思い、雑誌の表紙を見て「なんで自分はこうじゃないんだろう」とか「なんで自分の服はこういうふうにイケてないんだろう」とか感じるのは悪くないが、自分が本当にほしいもののためにがんばっているかを定期的にチェックしよう。

1回ほしいと思っただけのものは、本当の目標とは言えない。それでもどうしてもほしいなら、歩み出せばいい。

今日から着手し、作戦を立て、現実を乗り越え、何より手に入れるための行動を取ろう!しかし、もし一般車でなくBMWで出社するために週に10時間、20時間の残業をする意志がないなら、貴重なリソースを無駄なことに注ぎ込むのはやめたほうがいい。

自分にウソをついちゃいけない。目標達成に必要な行動を取るのがイヤなら、本当はほしくないというサインだ。それを認めれば、今の人生を楽しみ、本当にほしいもののためにがんばる余裕が生まれる。

20歳のころの体を取り戻すために、好物をどれもがまんするのは「もうイヤだ」。給料を一桁増やすために家族との時間を犠牲にするのは「もうイヤだ」。そんなふうに思おう。現実と向き合おう。

「もうイヤだ」の精神を採り入れたら、「ほしい」ものを目にしたときに罪悪感や後悔を抱くことはなくなり、本当の人生とつながれる。

そしてもし、将来また何かを本当にほしいと思うようになったのなら、そのときは現状を打破して目標へ至るまでの道筋を考えればいい。

目標への道筋をはっきりさせる

人生と目標を真剣に見つめることは、目標への道筋を考え直す機会になる。1日30分の運動は、本当に頭で思うほど難しいだろうか。

確かに少し汗はかくし疲れるが、お気に入りの音楽をかけていれば30分なんてあっという間だ。それに最初は少しつらいかもしれないが、やっているうちにだんだん慣れてくるし、身体も強くなる。

ミーティングで自分の意見を言ったときに起こりうる、最悪の事態はなんだろう?アイデアが却下されること?でもそれがなんだっていうんだろう?もっともっと大きなタスク、たとえば滞納していた税金を納めるとか、散らかり放題のガレージを片付けるとか、ずっとだましてきた誰かに本当のことを打ち明けるとかであっても、変化の道のりが意志のかすかな光から始まることに変わりはない。

人間は物事を大げさに考えるという点を忘れないでほしい。

真実を告白する行為が、サハラ砂漠を横断して帰ってくることのように思えたら、「目を覚ます」「ベッドから出る」「メールを開く」というように、タスクを小分けにして意志を宣言するといい。

もちろん、はるかに大きなタスクに取り組んでいる人もいるだろう。しかし手順はまったく変わらない。たとえば、暗い秘密を以前から1人で抱え込んでいるとする。

そのことに恥ずかしさや罪悪感、後悔を抱いていて、そのせいで人生も大きく変わってしまったとする。

そんなときは、「ずっとだましてきた人に本当のことを告げる意志があるか」と自分に問いかけるといい。

そうすれば、いつ告白し、相手の話を聞き、その結果起こることに対処すべきかがはっきり見えてくる。すごく大変に思えるかもしれないが、やってやれないことはない。

大切なのはタスクではなく、タスクを終えたあとに待っている人生だ。

うしろめたさやウソ、気がかりから解放された、自由な人生を想像してほしい。そのときあなたは、誰にも気兼ねすることのない、最高に生き生きとした自分になれる。

ほとんどの場合、人が取り組むタスクは思っているよりずっとシンプルだ。

問題は、そのことを確認する時間があまりない点にある。本当に困難な壁もときにはあるが、同時にその壁の向こうには夢の人生が待っている。

誰もが望む自由な人生が。だから主張しよう。「私には意志がある」と。

本当に大切なものに集中しよう

「やりたい感じがする」「やりたくない感じがする」といったあいまいなものではなく、「やる意志がある」「やるのはイヤだ」というレンズを通すと、世界がもっとクリアに見えてくる。

持っていないものをほしがって時間を無駄にするのではなく、自分の人生にとって本当に大切なものに集中しよう。

嫉妬や性欲、物欲に引きずられるのではなく、それらを変化を求める意志に置き換えれば、物事がもっとくっきりとした形に見え始めるだろう。

本気でやりたいことを把握できれば、無意識の思考や感情からコントロールを取り戻し、本当に進みたい方向へ足を踏み出せるのだ。

あなたには、何が自分にとっての真実で、何がそうでないかを決める力がある。決めるのは過去の亡霊のような無意識のうずきではなく、現実に切り込む力を持った意識的な自我だ。

意志は真実であり、あなただけが生み出すことのできる美しいものだ。

「金持ちになれなかった自分は失敗した人間だ」とか、「ダイエットできなかった自分はなんてだらしない人間なんだろう」とか考えて、最低の気分になるのはもうやめにしよう。

なぜって、決めるのは自分だからだ。

自分や状況に対してネガティブになり、落ち込むのではなく、「やる意志があるか、それともイヤか」を基準に問題をとらえれば、自分でつくっていた壁を壊せる。

視界をさえぎっていたネガティブなセルフトークや感情の向こう側を見通せるようになる。

目標達成に必要なことをする意志さえあれば、あとはどうにでもなる。

やらなくちゃならないという強い使命感を抱いていれば、本当にやりたい何かを遠ざけることも、責任逃れをすることもなくなる。

意志。それは新しい無限の可能性の泉から湧き出す命の水だ。新しい未来と、まったく新しいあなたの出発点となるものだ。

自分自身に、「意志があるか?」を何度も何度も繰り返し、そう問う声が聞こえてくるまで問いかけてほしい。

朝起きて最初に、夜寝る前に最後に、運転しながら、シャワーを浴びながら、「意志があるか?」を確かめてほしい。

確かめて、確かめて、確かめて、「イエス!」の声が頭に響きわたるまでになってほしい。「私には意志がある!」もう一度尋ねよう。「あなたには意志があるだろうか?」

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