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第5章 「先がわからないからおもしろい」

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確実さを求める病

あなたは中毒にかかっている。自分ではどうしようもないほどその「ドラッグ」に頼りきりなのに、ドラッグが人生に及ぼしている影響に気づいてもいない。

あなたが痛切に追い求めているそのドラッグを「予測」という。

明日は雨が降るだろうか。株価はどうなるだろう。スーパーボウルで優勝するのはどっちのチームか。

あなたはいつも先を見て、何が起こるかを実際に起こる前に突き止めようとする。なぜか。確実さがほしいからだ。人間は、はっきりしたものを求め、不確実な状況を避けたがる。

これから起こる出来事や、行くべき場所、着るべき服を知りたがる。前もって準備をしたがる。安全をほしがる。これはもう、願望というよりは中毒に近い。

私たちは実際に会う前から相手を値踏みし、数秒で性格を予測する。似たような商品がたくさんある中で、買い慣れた商品やブランドにこだわる。

サプリメントやビタミン剤を口にし、まだなってもいない病気にかかるのを予防しようとする。

何カ月も、場合によっては何年もデートを繰り返し、2人の未来を確実なものにしようとする。

物事が確実に予想どおりに進むようにする。確かさをくれ!確かさ!確かさ!世の中には、リスクを取る人を称賛し、不確かな状況を受け入れようと訴える標語があふれている。

リスクを積極的に取る姿勢が、内に秘めた力を発揮し可能性を実現することとイコールだと誰もがわかっている。

それなのに、多くの人は自分だけの小さく整った確実な世界に閉じこもっている。それには理由がある。

少し前まで、世界は人間にとってすごく危険な場所だった。未知の状況へ踏み出す一歩一歩が、死神と踊るダンスのステップだった。生はロシアンルーレットのような大博打だった。

誇張抜きに、誰もが日々、恐ろしい野獣のディナーの前菜や、大自然のブラックジョークの哀れな犠牲者になる危険と向き合っていた。

ありがたいことに、今の世界の恐ろしさは、数千年前と比べれば格段にマシになっている(最高に安心とは言えないが)。生は信じられないほど安全な営みになった。

医療やテクノロジーは日々進歩しているし、ニュースではさかんに伝えられる重犯罪も、先進国で普通の市民として暮らしている限りはめったに出くわさない。

もちろん、命に関わる病気や、不意の暴力や犯罪の脅威は残っているが、謎のゾンビ化ウィルスに感染したり、『オズの魔法使い』のドロシーとトトのように異世界へ飛ばされたりする可能性は、うれしいことに極めて低い。

スーパーへ行く途中で通り魔に遭うことはまずないし、昇給を願い出たからといって上司に本当に殺されることもない。

デートで入ったスターバックスで、どういうわけかズボンがずり落ちてアニメキャラのプリントされたパンツを穿いていることがばれてしまったら、まわりの笑い声がいつまでも耳に残って死にたい気分になるかもしれない。

でもそのせいで実際に早すぎる死を選ぶことはありえないだろう。言い換えるなら、人間のリスク回避の本能は、昔ほど必要ではなくなってきている。

そして人類をここまで生き永らえさせてきたその生存本能こそが、現代人が生き生きとした生活を送ることを難しくしているのだ。

確実な成功などありえない

確実さに対する執着は悲劇だし、非生産的だ。理由は二つある。

まず、何か新しいことが起こる可能性があるのは先の見えない領域だ。不確実さはチャンスへ至る道筋になる。

どうなるかわからない環境でこそ、人は成長し、新しい体験をし、かつてない新しい成果を生み出せる。

先が読めない状況でこそ変化は起こる。

安全を求める思いと、偉大で崇高な冒険とは相いれない。─タキトゥス(ローマの政治家、歴史家)

慣れ親しんだものにしがみつき、これまでと同じことを続けるのは、過去に生きているのと同義で、前に進んでいない。

昔はリスキーだったがその後ルーティンに変わったことを繰り返しているだけだ。考えてもみてほしい。

家を一歩も出なかったら、どうやって新しい場所へ行くのか。知らない人と会わなかったら、どうやって友達を増やし、恋を始めるのか。

同じことばかり続けていて、どうやって新しい何かを始めるというのか。何もできやしない。現実世界では、知らない人はおろか、知り合いの行動を予測することだって不可能だ。

チェックアウト待ちの列だろうと、ナイトクラブだろうと、銀行だろうと、たくさんの人が関わっている状況に、いくつもの不確定要素が絡んでくることは避けられない。

それどころか、自分の思考や感情の半分を予測することだってできっこない!慌てて何かを決めて、あとになって考え直した経験がどれくらいあるかを考えてほしい。

要望を出すというリスクを取らないで、どうやって昇給を勝ち取るというのか。安全で確実な状況にとどまって、どうやってキャリアアップを図るのか。できやしない。

確実な成功なんてものは、ありえない!成功にはリスクがつきものだ。最高に頭がよくて勤勉な人でも、何かが保証されているということはない。

人生で何か大きなことを成し遂げる人は、それをわかっている。彼らは不確実さを歓迎していた。

どんな決断であれ、一番いいのは正しい決断をすること。次にいいのは間違った決断をすること。そして最悪なのは何も決断しないことだ。─セオドア・ルーズヴェルト(アメリカ第26代大統領)

この言葉についてよく考えてほしい。一番まずいのは、的外れなことじゃない。的を狙わないことだ。

成功者は、常に成功の見通しを持っていたように思える。自信やカリスマ、なんらかの才能を持っていて、なんでも簡単にこなしているように見える。

確かに彼らはあなたにないものを持っているかもしれないが、頂点まで上り詰めたのは最初から決まっていたことでも、簡単なことでもない。

ほとんどの人が、毎日不安を抱えながら、ときには1日に何百回も「この先どうなるんだろう?」と思っていたはずだ。

そう、彼らも今のあなたと同じように、今いる場所に座り込んで、どうやったらやり遂げられるのか、危険を冒すだけの価値があるのか、何を犠牲にする必要があるのかと悩んだ時期があった。

その中で彼らもこう思った。自分はこれからどうなるのかと。「うまくいきっこない」と思った。あきらめる寸前までいくことが何度もあった。

彼らが成功したのは、成功を確信していたからじゃない。先の読めない状況にも足を止めなかったからだ。わからなくても進んだ。不安を振り払い、足を前に出し続けた。

自分を奮い立たせるには必死になる以外なかったから、必死にがんばった。

大きなインパクトを残しながらも、すぐに消えていった人たちを思い浮かべてほしい。おそらく思いつくのは芸能人や実業家、スポーツ選手だろう。私もそういう「成功した」人たちをコーチした経験が何度もある。

彼らは人生が平凡なものになり、自分が退屈で、さえない人間になってしまったと感じて、私のところへやって来る。

なぜそんなことになったかというと、ぬるま湯につかっているからだ。彼らは何年ものあいだ、目標を達成するために安全圏を離れてがんばってきた。

ところが見通しのきかない状況よりも確実な状況を選んだ瞬間、結果が出なくなった。壁にぶつかった。なぜそんなことになるのだろう。

それは、何か目標を達成し、お金を手に入れ、成功をつかむたび、未来が少し確実なものになったように思えるからだ。

預金が増えたのを見て、安心感を抱かない人はいない。しかしそうした心境の変化こそが、何もしたくない状況を生む。

お金に対する不安、あるいは欲望や必要性がなくなったら、お金を求める気持ちは薄れていく。

成功できるだろうかという不安がなくなったら、野心は薄れ、しぼんでいく。確実性という膨れ上がった幻想の中でごろごろし始める。

そしてやがて「落ち着く」。人は確実な状況に落ち着く。不確実さは人生にパワーをもたらす。

その人を形づくり、ときには壊す。人を金持ちに、あるいは貧乏にする。成功のカギになることもあれば、失敗へ導くこともある。そして多くの人が、その両方を経験する。

ありもしないものを追いかけるな!

おもしろいのは、どんなに確実さを追い求めたところで、実際に手に入れたり、手元にとどめておいたりすることは絶対にできない点だ。

確実なものなんてありはしない。世の中を見ればわかるように、この世はカオスとパワーに満ちている。不確実さから逃れられる人は1人もいない。確かなことなど何もない。

夜眠りに就いて、二度と目覚めないということだってなくはない。車に乗り込んだものの、職場にたどり着けない可能性だってある。確実さなんていうのは完全なまやかし。迷信だ。

そのことに身震いする人もいるだろうけど、これは怖いことなんかじゃない。どんなにがんばって先を読もうとしても、人生の道行きを正確に予測することなんてできない。

プランは必ずどこかで破綻する。

よくわからない状況から逃げて確かさを追い求めるのは、単なる幻想を手に入れる代償に人生で唯一確実なことを否定しているのと同じだ。

ソクラテスは「唯一わかるのは、自分が何も知らないということだ」と言った。賢人の多くは自分の無知を理解していた。

というより、ほとんど何も知らないという自覚を知恵のよりどころにしていた。

なんでもわかっていると思った瞬間、未知のものに、ひいては成功が眠っている新しい領域に背を向けることになる。

人生は予測不能で先が見えないということを受け入れたら、あとは歓迎するしかない。そういう人は不確かさを恐れない。人生のどうしようもない一部だからだ。

ありはしないとわかっているから、確かさを追い求めたりもしない。さらに、人生の本当の奇跡と可能性を自覚し、そのパワーに心を開いている。

哲学では、自分が知っていると思うことをどれだけ知っているかを調べる作業を重視する。

本当だと信じる何かを、どうやって本当だと証明するか。ほとんどの場合、証明はできない。現実には、確かな事実と思っていることの多くが事実じゃない。たいていのことは、半分は本当で半分はウソだ。想定や誤解、思い込みだ。

認知バイアスや間違った情報や条件に基づいたものだ。

科学の世界を見ても、私たちが5年、10年、20年前に本当だと信じていたことが、事実ではないと証明され続けている。理解は一気に深まり、しかも科学は日進月歩。

今日、真実だと思われていることも、いずれは時代遅れの古くさい考え方だとみなされるようになる。

そうした理解の限界はほかの分野にも存在する。

今「わかっている」と思うことさえ真実かどうか定かじゃないのに、明日起こることがどうやってわかるのだろう。

もう気づいていると思うが、安全な場所にしがみついたところで、本当の安心感は得られない。

「もっと何かできるんじゃないか?」という感覚はいつだってしつこく残る。今よりもいい人生を求める気持ちが消えることはない。居心地のいい今にとどまろうとするほど、明日への不安は増していく。

目的地なんて実際にはありはしない。あるのは探検して、探検して、探検する日々だけだ。勝ちたいなら、世間の厳しい目にさらされる意志を持たなくてはならない。

一歩踏み出して白い目で見られよう

先の見えない状況をイヤがるのは、他人に白い目で見られるのが怖いからだ。

私たちは仲間から役立たずとみなされ、見知らぬ荒野へ放り出されることを心底から恐れている。

よくわからない状況へ跳び込んだ人は、まわりの人の目には変に映り、「妙なやつ」と思われる。限界を押し広げて新しいことに取り組もうとすれば、うまくいかないときもある。すると「失敗」の烙印を押される。

成長したいなら、まわりから愚かで間抜けだと思われることをよしとしなくてはならない。─エピクテトス

まわりの常識に縛られたままでは、自分の内に秘めた力をフルに発揮することはできない。逆に言えば、どう見られるかが大事だという考えを捨てるだけで、人生が一夜で一変することもある。

意見に左右されようがされまいが、人生は続いていく。自分勝手な社会不適合者になって、他人の考えを頭ごなしに否定しろと言ってるんじゃない。

ただ、もし勝ちたいなら、世間の冷たい風にさらされ、なおかつそれに動じることがないようにしなくてはならない。

本当に大きなことを成し遂げたいなら、頭がおかしいとか、バカとか、わがままといった評判を、ある程度は覚悟しないといけない。

よくわからないものを避ける人には、その覚悟ができない。批評されるのが怖くてたまらない。ばかや間抜けに見えるのが怖くてたまらない。だから立ち止まる。片方の足が、まやかしという名の釘で床に打ち付けられているのだ。

先が見えない状況を楽しもう

これはすごくビックリする言葉だと思う。中には読みながらブルっときた人もいるんじゃないだろうか。誰だって普通は不確実なことを拒否し、避けようとする。先が見えないのを恐れる。

どうあがいても理解したりコントロールしたりできないことであっても、無理に理解したりコントロールしたりしようとする。

生まれ落ちたときの美しい世界に囚われていて、抜け出すことはできそうにない。

しかし、抜け出す方法がないわけじゃない。そのためには、考え方をシフトさせてほしい。不確実な状況を楽しもう。

この章のアサーティブな言葉は「先がわからないからおもしろい」だ。不確実な状況に真正面から跳び込もう。それを愛でよう。堪能しよう。覚えておいてほしい。

あなたがずっと夢に見てきた成功はすべて不確実性の中にある。それを認めれば、前ほど怖くなくなる。

もちろん、何が起こるかわからなくて緊張はするが、何が待っているのかという希望や胸の高鳴りも味わえる。

未知の世界にはたくさんイヤなことがあるだろう。しかし同時に、いいこともたくさん待っている。成長や進歩の機会があふれている。

今日スタートして、果敢に跳び込み、そして先の読めなさを楽しんでほしい。普段ならしないことをしよう。日々のルーティンを見直そう。

大胆に夢を見て、大胆にリスクを取って、ハラハラする人生を送ろう。

はじめはシンプルなことでいい。いつもと違うルートで仕事に行く。行ったことのないレストランを試してみる。ウェイターやレジの人と会話をする。

道ですれ違った人に笑顔を向け、あいさつをし、親しげにうなずく。目にとまった男の子や女の子に声をかける。

そんなことはもうやってるよ、という生まれついての社交的な人は、自分が落ち着かない気分になることを試してほしい。

結果が読めなくて、やるのを避けがちなことはなんだろう?それをやろう。

今すぐ始めよう。今がベストのタイミングだ。

不確実な状況に慣れ、不確実な人生を送ろう。

人生の栄光とも言える不確実さとともに過ごし、自分で定めた限界や意見から解放されよう。そして、そこで立ち止まっちゃいけない。

安全圏を広げるだけじゃなくて、木っ端みじんに吹き飛ばそう。考えもしなかったやり方で行動しよう。

出発点としては、まったくもって自分らしくないことをするのがいい。不確実な状況を楽しみ、未来をつかむためのパンチを繰り出そう!

人生は冒険だ

先が見えないからおもしろいと思うようにすると、人生を変えるパワーが生まれ、人間関係もキャリアも変わってくる。

もう人生から隠れる必要はない。これからは人生を生きて、堪能し、生き生きと過ごせばいい。

確実なものを求め、すべてをはっきりさせようとするのをやめれば、ストレスの大半は消えてなくなる。わかることなんて一つもない。

少し考えれば、自分の一番の不安の種が、思いどおりにならないことを拒否し未来を予測したいという願望だと気づくはずだ。

人生は冒険だ。そこには無数のチャンスが転がっている。

その壮大で、恐ろしくて、同時にわくわくするような不確実さをフルに、100パーセント楽しめるかどうかはあなた次第だ。

自分がコントロールできることに集中して、天気や株価、あなたの髪型に対するご近所の感想といったどうにもならないことで思い悩むのはやめよう。

「先がわからないからおもしろい」。

このシンプルな言葉を口にすることで、あなたの生き方は一変する。人生は一瞬ごとに変わっていく。唯一確実なのは、この先どうなるかなんてわからないということだけ。

わかるのは、わからないということだけだ。さあ、こう言って楽しもう。

「先がわからないからおもしろい」

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