最大の成功は不快感と不確実性、リスクから生まれる。
安全圏の中では成功できない
自分の人生で一番の成功を思い浮かべてほしい。
「ものすごい営業成績を挙げた」でも、「新しいビジネスを始めた」「マイホームを手に入れた」でもいい。
「幼馴染みと結婚した」とか、「大学に通い直した」「マラソンを完走した」とかもあるだろう。
自分が心から誇りに思える成果を思い浮かべよう。では、あなたはいったいどうやってそれを達成したのだろうか。たぶん、ソファに寝そべってヘソのゴマを取りながらではなかったはずだ。
あるいは1977年の牛乳価格の急騰を頭の中で計算しながらでもなかったはずだ。では、どうだったか。ぴったり当てるのは難しいが、わかることが一つある。
あなたはたぶん、落ち着かない状態にあった。少し別の言い方をするなら、「安全圏」の外でがんばっていたはずだ。
キャリアに汚点が付くようなリスクを取るときに感じる緊張感や疑念から、いつもより5分長くルームランナーで走っているときの脚の痛さや息の苦しさまで、不快感と不確実性、リスクから最大の成功は生まれるものだ。
努力や痛み、困難をともなわない物事に、価値のあるものなど一つもない。─セオドア・ルーズヴェルト
実際のところ、その体験が怖くて困難であるほど達成感も増していく。だからこそ、偉業やとびぬけた成功はそう簡単に生まれない。普通の人は、不快感をイヤがるからだ。
がむしゃらになる
何かを成し遂げようとすれば、流れに逆らうことになる。まわりはあの手この手であなたを目的地から遠ざけようとするだろう。
「お前にはできっこない」とか、「無駄はやめろ」「無理だ」「失敗するぞ」とか言うだろう。
規格外のことに取り組むほど、常識の世界へ連れ戻そうとする力も大きくなる。
その大きな理由は、彼らなりの「あなた像」があるからだ。
あなたがその型から外れた行動を取れば、あなたの世界だけでなく、彼らの世界も引っかき回されるからだ。
抵抗は、周囲だけでなく心の中にも生じる。意識的、無意識的な思考の両方が、あなたの夢にストップをかけようとする。極端にネガティブな考えが浮かぶこともあるだろう。
「無理だよ。なんでそんなことに手を出すんだ」。もう少しあいまいなものもあるだろう。
「早めの出勤なんかより、少しの朝寝坊のほうがずっと気持ちいいじゃないか」「仕事よりスマホゲームのほうがずっと楽しいよ」もちろん、そうしたハードルを乗り越えることはできるが、それについては最後の章でお話しする。
ともかく、そうやって目的に向かって進んでいても、道に迷うことは絶対にある。
心地よい日常にかまけ、ふらふらと道を外れてジャングルへ迷い込み、地図も、水も、手がかりもない場所を放浪することはある。
道はこっちで正しいのだろうか。あとどれくらいで着くのだろう。体力はどのくらいもちそうだろうか。こっちかな。いや、この道かもしれない。
そして壁に行き当たると、旅路そのものに疑問が生じる。引き返す潮時かもしれない。自分が上っているかも下っているかも、何割くらい来たのかもわからない。
そんなとき、あなたを前へ進ませるものは一つしかない。それはがむしゃらさだ。何が起ころうと動いて、動いて、動き続ける勢いだ。「気分」は関係ない。
不安や疑念に押しつぶされそうかも関係ない。
本当のがむしゃらさは、頼れるものがほかに何もなくなってはじめて感じられる。
すべてをなくし、成功の見通しや希望がとっくに消え去ったとき、がむしゃらさは人を前へ進ませる燃料になる。
信じれば真実になる
人生で大きな成功を収めた人たちは、壁を乗り越えたからこそ、その地位を手に入れられたのだ。もちろん、口で言うのは簡単だ。
「ネバーギブアップ」(私は決まり文句みたいなこの言葉が大嫌いだ)とただ言うのと、生涯の目標に必死で取り組むのとではわけが違う。
はっきり言うが、世界は成功を目指すあなたを止めたりはしない。あなたは世界にとってそんなに大きな存在じゃない。宇宙はあなたを後押しも、阻みもしない。
あなたをストップさせる唯一のもの、それは止まれという誰かの意見を受け入れることだ。そうなってはじめて、あなたは本当に止まる。それまでは、多少みっともなくとも、あなたは進んでいる。
受け入れることなく、その思考と戯れることができるようになれば、心が鍛えられた証だ─アリストテレス「不可能」と思われていた、人類史に残る偉業を思い浮かべてほしい。
1850年代の人に、いずれ金属の筒に何百人という人を乗せてカリフォルニアから中国まで空を飛んでいけるようになるんだよと言ったところで、頭がおかしいと思われるのがオチだろう。
それでも、ライト兄弟は不可能とは思わなかった。そうした意見を受け入れなかった。それまで、人が空を飛べる証拠は何もなかったのに。物理学的な確証もなかったし、成功した人もいなかった。
それでも2人は必ず飛ぶと決意し、そのためにがむしゃらに努力した。2人の取り組んだ課題と、あなたが抱えている問題を比べてほしい。
ほとんどの人の問題は、世界初の飛行機を発明するという大それた目標よりは簡単なはずだ。
もっとお金がほしい、恐怖と向き合う勇気がほしい、運命の人を見つけたい、ダイエットしたい、浮上のきっかけがほしい。
どれもあなたと同じ普通の人の手で、これまでも達成されてきて、これからも達成される目標だ。
望みをかなえたいなら、とにかく粘り強く前へ進み、自らの権利を主張し、必死でがんばることだ。どれも達成可能な目標だ。
だからといって「あなたにはその資格がある」とかいうたわごとにはだまされちゃいけない。資格なんてない。誰にもない。
そんな言葉を信じたら、ただ望みながら待つだけになって、やがては人生の完全なる犠牲者になってしまう。
望みをかなえたいなら、とにかく粘り強く前へ進み、自らの権利を主張し、必死でがんばることだ。人生には、無理やりにでもやらなくちゃならないときがある。
誰かに「お前が大金持ちになるなんて無理に決まってる」と言われ、心の声が「45キロもやせるなんて不可能だよ」とささやいたときに取れる選択肢は二つ。
一つはその見立てに屈することだ。
「お前は自分が何をしてるのかわかってない」「器じゃない」「才能がない」「まずは人生を立て直せ」……。
そうした言葉に従ってやめるのもいいだろう。しかし、耳を貸さないという手もある。他人の意見を断固として拒み、自分の才能を信じる。
「いや、間違ってるのはそっちだ。それを証明してみせる」と言う。不可能は、あなたができると信じてはじめて可能になる。
不可能だと思いさえしなければ、もっとたくさんのことが成し遂げられる。─ヴィンス・ロンバルディ(アメリカンフットボールのコーチ
奇妙なことに、何かを可能だとか、不可能だとか証明することは誰にもできない。
何かに1000回挑戦して、すべて無残に失敗したとしても、1001回目には成功するかもしれない。
つまり、未来は誰にもわからない。人類はこの世のすべてを知っているわけじゃない。
世界や海洋、宇宙、テクノロジーはもちろん、心についてもほんの少しわかっただけの段階にすぎない。
自分はなんでも知っているなんて言う人がいたら、ばかなことを言うなと返されるだろう。
誰だって手探りで生きている。みんな同じように。あなたと同じように。
答えがわかってる?冗談言うなよ!人類が火星に降り立つのは絶対に不可能だと言えないなら、日々の一般的な問題が解決できるかどうかだって誰にもわからないはずだ。
結局は、できないという見方を認めるか、認めないかだ。
意見はあなたがそれを受け入れ、自分の可能性を追求するのをやめて、はじめて真実になる。
私の人生がいい例だ。
高校時代の私はいたって普通の生徒だったけれど、そのあと海を渡り、何千人という人にコーチしてきた。
医者や弁護士、政治家、俳優、セレブ、スポーツ選手、CEO(最高経営責任者)にアドバイスを送った。
アイルランドのカトリックの司祭や、タイの仏僧にコーチしたこともある!未知の世界には、奇跡のようなすばらしい人生が待っている。
楽しいことばかりじゃないが、今とは比べものにならないほど大きなことを成し遂げられるチャンスがある。
道を自分で切り開け
必死さの効果を知るには、実際のサクセスストーリーを見てみるのがいいだろう。例に挙げるのは、みなさんご存知のアーノルド・シュワルツェネッガーだ。
シュワルツェネッガーは第二次世界大戦からほんの数年後のオーストリアで、小さな町の貧しい家庭に生まれた。
それでも、シュワルツェネッガー青年はアメリカで映画俳優になるという夢を持っていた。そんな夢を聞いて、両親はどう思っただろう。町の人たちは何をささやいただろう。忘れないでほしいが、これは今の話じゃない。
今はテレビも、インターネットも、スマートフォンも、ワイヤレス通信もあって、誰でもセレブになれる可能性がある。
しかし当時は、ほとんどの人がテレビすら持っていなかった。
シュワルツェネッガーや地元の人にとって、「アメリカ」は映画の中でしかお目にかかれない、現実味のない遠くの世界だった。だから知り合いはみんな、そんなの不可能だと言っただろう。
そしてシュワルツェネッガーがその言葉を受け入れていたら、そのとおりになっていたはずだ。
世界一有名なボディビルダーになるなんて無理だという見方を受け入れていたら、実際に無理だっただろう。
アメリカ移住なんてできないという意見を聞き入れていたら、移住はしていなかっただろう。
映画に出るなんて、スター俳優になるなんて、知事になるなんてできないと認めていたら、その時点で目指すのをやめたはずだ。
しかし、シュワルツェネッガーは不可能だという意見に納得しなかった。がむしゃらにやった。
毎日、何時間もジムでトレーニングし、身体を大きくした。ポーズの練習をした。本を読んだ。ビジネスを学んだ。映画のオーディションをいくつも受けた。がむしゃらに。
あきらめるとか、計画を変更するとかいった選択肢は頭になかった。シュワルツェネッガーの歩みからは大事な教訓が得られる。それは、必死さはその人に残された最後の武器になるということだ。
シュワルツェネッガー以前に、アメリカで一流スターになったオーストリア人のボディビルダーはいなかった。
もちろん、知事に当選した人間も。本人だって、人生の大半は手探りだったに違いない。地図のない土地に道路標識なんてない。ただ発見と探索があるだけだ。
道は切り開くものであって、たどるものじゃない。
あなたも同じような状況にいるのなら、できるのは目の前の課題に全力で取り組むことだけだ。足を一歩前に出して、目の前の課題に食らいつくしかない。
壮大な夢を持っていたシュワルツェネッガーだって、一歩ずつ前に進んでやっと目標に到達したのだ。
ジムで上腕を鍛えるときも、彼は一つ一つの動き、ダンベルの1回の上げ下げに集中しながら、何回も何回も繰り返し、筋肉がきしみ、裂け、大きくなるのを感じた。
そして上腕が終わったら、肩に取りかかった。それから背筋。それから臀部。それから太もも。それからふくらはぎ。各メニューに全力で集中した。
一瞬一瞬、一つが終わったらその次というように。そしてトレーニング全体が終わると、へとへとになって部屋へ帰った。
それでも次の日にはまたジムへ行って、同じことを繰り返した。がむしゃらに。
最近で言えば、女性と子どもの権利のために立ち上がったマララ・ユスフザイのような人もいる。
水泳で記録破りの現役生活を送ったマイケル・フェルプスや、手のない体で生まれて今は商用機のパイロットを務めているジェシカ・コックスのような人もいる。
もうわかったはずだ。
がむしゃらになるコツは、目の前の問題に集中すること。全神経を注ぐことだ。そうやって、すべてをなくしたように見える中でも前進する人間になろう。
答えは常にそこにある。あとは見つけるだけだ。前に進んでいけば、今度は次の壁にぶつかるだろう。そうしたら今度はそれに全神経を注いで乗り越える。
乗り越えたら次、その次、その次と進んでいく。そうやって進んでいれば、自分がどこに向かっているか不安に思うことはない。目的地まであと何キロ残っているかなんて気にならない。
障害を避けるより、障害を求める人間になっていく。それこそが成長と成功のカギだからだ。あなたはただ、そうやって一歩ずつ進んでいく。何か道をふさいでいるものがあっても、何か方法を考えて歩み続ける。
がむしゃらになるというのは、問題に向かって突進し、腕を振り回して進むことじゃない。
がむしゃらさは、研ぎ澄まされた覚悟の行動だ。
何回も繰り返すものだ。
レンガの壁をこぶしでたたいても手を痛めるだけ。ハンマーやノミを使ってゆっくり、ていねいに壁を一片ずつ削っていけば、やがて穴が開く。そして、その穴をどんどん大きくしていける。どんどん大きく。
そのうちに自分でも気づかないうちに、不思議の国のアリスのようにまったく新しい世界へ足を踏み入れているはずだ。
誰でもがむしゃらになれる
正しい道を歩んでいる確信がないとき、転んでばかりのとき、へこむのは全然かまわない。なんなら負けたっていい。ダメなのは立ち止まることだけだ。
がむしゃらさはいつだってあなたの味方だ。ほかに何もなくなったとき、最後に残るのはがむしゃらさだ。
進み続けるべきか、それとも引き返すべきか迷うくらいなら、がむしゃらに行こう。がむしゃらさには一つの方向しかない。それは前だ。選択肢も一つしかない。
勢いを持って進み続けることだ。ギブアップはナシ。断念もナシ。予定変更もナシだ。
がむしゃらさは、1日に何時間もジムで過ごすボディビルダーにもある。
がむしゃらさは、自分のアイデアを鼻で笑われ、ダメ出しを食らっても売り込みを続ける起業家にもある。
がむしゃらさは、ダイエットが成功するかどうか自信のないぽっちゃり体型のママにもある。
がむしゃらさは、毎月の家賃を払うのもやっとな、それでも誰より遅くまでオフィスに残って仕事を覚えようとする、下っ端の新入社員にもある。
がむしゃらさはあなたにもある。ジム通いをする人はみな、すぐに結果は出ないとわかっている。ルームランナーに30分乗っただけで見た目が激変するなんてありえない。それでも、努力が無駄というわけじゃない。
前進はしている。
1回のエクササイズ、1回の足の動き、1回の運動、1回の行動ごとにあなたは成長し、少しだけ目標に近づく。
そしてある日、あなたは鏡を見てこう思う。
「ワオ!」事業や健康、キャリア、恋愛でも同じことだ。
何も起こってないように見えても、実際には変化が生まれている。目に見える成果はなくても前進している。
そしていつの日か、あなたは預金通帳や、新しい仕事や、子どもや、マイホームを見てこう思う。「ワオ!」だからこそ、人は歩み続けなくちゃならない。がむしゃらに。
ジャングルをかき分けて進んでいるときに、町まであと3日か、それとも30分かなんてわかりはしない。
できるのは歩くことだけだ。ジャングルを抜けるには前へ進むしかないのだ。腰を上げ、背筋を伸ばし、私に続いてこう言おう。
「がむしゃらになる!」
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