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第3章たった一言で気持ちは伝わる

目次

1修飾せずに観察を伝える

企業で管理職に対してコーチングの研修を行っていると、たまに聞かれるのが「ほめるのが大事なのはわかってるけど、なかなか物が売れない時代だし、そうほめるところも簡単に見つからないんですよ。どうしたらいいんですかね?」という質問です。

ほめるというのは、基本的に成果や結果に対して承認の言葉を投げかけることです。これがアクノレッジメントの唯一のバリエーションになってしまうと、やはりきついでしょう。いつもいつも目に見える成果が出るとは限らないわけですから。

でも部下のスタンスに立てば、こんなにやっているのに、こんなに努力しているのに、そのことは認めてもらえないのかというのが必ずあるはずです。

自分の努力のプロセスを見てもらえずに、「何にもしていないだろう」といったいわれ方をするのは、やはりカチンと来ます。

何回もいいますが、昔はそれでも良かったのです。「大きなプレゼント」がやってくるまではじっと耐えられました。でも今はだめです。

自分のやっていることになかなか確信が持てないですから。だからこそ頻繁に伝えましょう。

「今こうしてるね」と。

ほめてはいないけれども、君がそこに向かって行動していることは知っている、それは価値のあることだ、その方向性で良いんだ、ということをリマインドしてあげる必要があります。

営業マンであれば「今週新規三件訪問したんだってな」。技術開発の人であれば「プログラムは第Ⅲフェイズまで書けたんだな。もう少しだな」。

汎用的に使えるものとして「時計はオメガなんだね」「新しいネクタイだね」「髪の毛切ったんだな」……。

歯が浮くようなことをあえて付け加える必要はありません。見たまま、聞いたままを口にすればそれでいいわけです。あなたに関心があるよ、というトーンに乗せて。

前出の「野球人」清水さんは、二〇〇一年の四月から九月まで、埼玉県のある高校の野球部の総監督として指揮を執っていました。

いきなり降って湧いたような監督が、選手の心をつかむために最初の三週間でとにかく努めたのが、選手を穴があくほど観察することだったそうです。

そして見たことをただ伝えてあげるのです。

「今朝はずいぶん早く来て練習の準備をしていたな」「君はすごくスパイクやグローブを大切にしてるんだな。よく磨いているところを見るよ」「君は声が大きくて通るな」。

とくにほめているわけではないけれど、そのことについては知っているよ、気が付いているよと、ただ繰り返し繰り返しメッセージを投げかけました。

すると一か月ほどで選手の「好奇の眼」は「信頼の眼差し」に変わったそうです。そして、この高校は夏の全国高校野球選手権大会で見事甲子園初出場を果たしました。

もちろんさまざまな要因があってのことだと思いますが、清水さんの観察力は甲子園初出場に数%の貢献をしたはずです。

とにかく観察です。部下を見ることです。見ていないと何もいえません。今日部下がどんなネクタイをしていたか覚えていますか。どんな靴を履いていたか知っていますか。髪形がぱっと思い浮かびますか。部下が話をする時に好んで使う表現を知っていますか。

家ではどうでしょう。奥様を、旦那様を見ていますか。お子さんを見ていますか。本当に見ていますか。

2頻繁に頻繁に声をかける

「とにかく会社の雰囲気を変えたい」そんな言葉をコーチングを受けたいというオーナー経営者から聞くことが多くなりました。

そうすると、私のほうではまず彼らに一つのリクエストを出します。

「社員が社長のことをどう思っているのか、最低二〇人くらいから直接聞いてきてください。それから、自分にどうしてほしいのか、社員の要望も聞いてきてください」。

ある印刷会社の社長は、このリクエストに応えて二五人の社員にインタビューをしました。結果、彼が引き出した回答は、次のようなものでした。

「とにかく社長が側にいると緊張する」「エレベーターに社長と同乗したりすると、息が詰まって苦しくなる」「お手洗いで社長に横に並ばれると、緊張でなかなか用もたせない」……。

では、自分にどうしてほしいのかと問いかけると、ほとんどの社員が同じことをいったそうです。「もっと社長から声をかけてほしい」と。

ビジネスの世界でも、スポーツの世界でも、結局チームがまとまる時には、そのトップ、あるいはトップに準じる人が、頻繁に頻繁に、とにかく頻繁にメンバーに対して声をかけているようです。

内容がどうであるかという前に、とにかく「君はこの会社、このチームのメンバーだ」というメッセージを投げて投げて投げまくるのです。

メンバーが、自分はチームの一員として認められているかどうかということに一切気を回さなくて良いくらいに、とにかくアテンションを投げかけます。このことは、チームがまとまる十分条件ではないでしょうが、欠かせない必要条件であるようです。

ラグビー界のカルロス・ゴーンといわれ、不振に喘ぐ早稲田大学のラグビー部を二〇〇一年にV字回復させた清宮克幸前監督も、とにかく選手によく声をかけたそうです。

一軍に対してだけではなく、三軍、四軍、五軍にいたるまで頻繁に声をかけます。だからチームが一体感を持つようです。

シドニーオリンピックで日本の女子ソフトボールチームを銀メダルに導いた宇津木妙子前監督も、本当にまめに選手に声をかけます。

合宿中はお風呂にいちばん先に入り、後から入ってくる選手一人ひとり全員に言葉をかけたそうです。「今日はどうだった?」「最近どう?」といったぐあいに。

私の主観ではありますが、テレビを通して見ていても、確かにこのチームは勝利に向けて一丸となっているなという雰囲気が伝わってきました。

「声かけ」はチームを一丸とすることに貢献したのだと思います。

きっとみなさんは、声なら自分も部下にかけているというかもしれません。

ただポイントは、清宮前監督や宇津木前監督ほど頻繁にかけているかということです。

どんなに自分の仕事が忙しくても、叫びたくなるくらいにいっぱいいっぱいな時でも、笑顔で、思いやりのある声で、部下に「よお、どうだ調子は?」と声をかけているかということです。チームに金メダルを取らせるようなつもりで声をかけてみませんか。

3本気のあいさつ

企業を訪問したり、お店に買い物に行くと、あいさつには二種類あることがわかります。

一つは自ら進んで行う「自分のウィル(意志)」でしているあいさつで、もう一つはやらされている感が透けて見える「他人のウィル」でしているあいさつです。

前者を聞いた時には、アクノレッジされたとの思いが高まりますから、瞬間的に距離が縮まるのを感じます。

後者に触れた時は、ただ「音」が聞こえたという印象で、それによって関係が変化を起こすことはありません。先日私の家の近くにコンビニエンスストアができました。

近くに別のコンビニが二軒あり、決して経営環境は楽ではありません。おそらく店長は店員にあいさつを元気よくしてもらうことによって、他のお店と差別化しようとしたのでしょう。

そのコンビニに行くと、とにかく大きな声であいさつしてくれます。

「いらっしゃいませ~!」「毎度ありがとうございました!」。こちらが「おっ、何だ?」と、ちょっとびっくりするくらいの大きさです。

しかしこちらが良い気分になるか、本当に店に来たことを歓迎されたと思うか、物を買ったことを感謝されたと思うかというと、クエスチョンマークが付きます。

ほとんど気持ちは動かされません。そこにまったくウィルがないからです。

きっとあいさつしろしろいわれて、怒られるのが怖くてあいさつしてるんだろうなあ、というのが垣間見られてしまうからです。

全員が全員ではないでしょうが、確かにディズニーランドのスタッフのあいさつにはウィルがあります。「おはようございます」の一言を決していい加減には発していないのです。

入場ゲートでチケットを見るスタッフであれば、一日何千回も「おはようございます」や「こんにちは」をいうでしょう。でも一回が色褪せていません。そこにはゲストを大切にしようというウィルがあります。

だからこそ毎回のあいさつがアクノレッジメントになるのです。ということは、ディズニーランドにいるとあちこちのアトラクションの受付等で一日に一〇〇回ぐらいアクノレッジメントされたことになるわけです。

すなわち一〇〇回存在を肯定されたことになります。これはとてもすごいことです。

ディズニーランドにリピーターが多いのは、アトラクションの内容云々の前に、まずこのあいさつがあるからだろうとさえ思います。

さて、みなさんは部下にあいさつをする時、家族にあいさつをする時、どれだけウィルを込めているでしょうか。

あくびをかみ殺しながらの「ち~す」ではなく、できればあいさつを、この人生における奇跡的な出会いを称賛しあう行為にまで高めたいものです(ちょと大げさに聞こえるかもしれませんが)。

アメリカで公園を散歩していると、すれ違う人からとてもすがすがしい笑顔であいさつをされることがあります。

この広い世界の中で、ほんの一瞬、その場で出会ったその偶然を、その奇跡を称えあうかのように、あいさつが交わされるのです。

いつもいつもではないにしろ、時として、確かにこれは単なる儀式ではなくて、お互いの存在を認め合う行為なんだなと強く実感する瞬間があります。

私にとっては何にも増して「アメリカっていいなあ」と思える瞬間です。一度で良いですから「本気」であいさつしてみてください。

まず、鏡の前で何回も何回もその「本気」を練習してみましょう。

そして朝、部下に会った時には、しっかりとした、それでいて穏やかな眼差しを向けながら、少し声を低く落として伝えます。

「おはよう」と。それまでのすべてのわだかまりを帳消しにして、新しい関係の始まりを予感させる「おはよう」を伝えるのです。なお、そこで決して見返りを期待してはだめです。

「おい、あいさつしろよ」なんていってしまったら、相手は例のコンビニの店員になってしまいますから。相手がどうあろうとこっちは「本気で」あいさつするのです。

もし部下にそんなあいさつをし続けたら、その部下もいつかディズニーランドのスタッフのように、周りにあいさつをし始めるかもしれません。

もし奥様にそんな風にあいさつをし続けたら、いつの日か料亭の女将のように、心の底から労をねぎらうような声であいさつを返してくれるかもしれません。あくまでも可能性ではありますが。

4別れ際の一言

山口良治先生をご存じでしょうか?京都の伏見工業高校ラグビー部の総監督です。

昔『スクール☆ウォーズ』というテレビドラマで、俳優の山下真司さんが主演されたラグビー部の監督のモデルになった方といえば、ピンと来る人も多いかもしれません。

どうしようもない不良ばかりを集めた、大会に出ても一回戦負けばかりだったラグビー部を、たった七年で全国大会優勝チームに仕立てあげてしまった監督さんです。

今ではお歳も六〇を越え、一線を退いていますが、彼の「物語」はいまだにテレビで特集として取りあげられたり、雑誌の中で語られたりしています。

先日、この山口先生と神戸でお会いする機会がありました。

先生の教え子でもあり、元ラグビー日本代表チーム監督の平尾誠二さん率いるNPO主催で開かれた「コーチング・パネル・ディスカッション」に参加した時のことです。

三時間にわたるセッションも終わり、しばらくパネラーやスタッフの方と雑談を交わした後、そろそろ帰ろうかと、控え室のドアを半身出かかったところで、山口先生が私に声をかけました。

びっくりするような大きな声で。

「おい!鈴木さん」そして今度は少し声を落とし、真剣な、本当に真剣な眼差しでこちらを見据えながら、ゆっくりと噛み締めるようにいいました。

「また、会おうな」その瞬間、体に鳥肌が立ちました。電流が流れました。その日それほど多く山口先生と一対一でコミュニケーションを交わす機会があったわけではないのです。

いわばまだあまり知らないストレンジャーに対して、このセリフ。そういえるものではありません。

もしその後山口先生から「グラウンド一〇周走ってこい!」といわれたら、「はい!」と喜んで走ったかもしれません。

こういう一言をかけられるから、この先生はいわゆる「不良」の心さえもぐっと捕まえてしまうのだなと思いました。

山口先生だけに限らず、私の知る限り、人心掌握に長けた人はこの別れ際の一言がものすごくうまいのです。決してそれを軽くは扱いません。

どれだけ頻繁に会っている人に対しても、別れ際の一言には想いを込めます。その人が自分にとっていかに大事か、大切か、重要な人物であるかを瞬時に伝えるのです。

だから別れた後、アクノレッジされた側では一分、五分、時には何か月も何年も、そのすばらしい別れ際の一言をかけてくれた人のことを頭の中で思い起こすのです。

私の場合、山口先生の顔を、新幹線が新大阪駅に着くぐらいまでの間ずっと思い浮かべていました。手前味噌になりますが、弊社の会長はこの別れ際の一言が非常にうまいのです。夜に彼と食事を共にすることがよくありますが、別れ際、必ず彼がこういいます。

「お疲れさん。気を付けて帰るんだよ」気を付けて帰るんだよ──何気ないセリフですが、これをいわれるとその瞬間、ああ、大事にされてるんだな、と思います。

別れた後、一瞬とても温かい気持ちになります。私は彼から食事に誘われると、よっぽどの時以外は、どんなに忙しくても断りません。

もちろん彼との食事はそれ自体が楽しいですが、最終的にその「物語」がとても温かい気持ちで終幕することがわかっている、だからちょっと無理をしてでも行ってしまうのかもしれません。

一日に何回ぐらいみなさんは「別れ」を経験するでしょうか。お客様と、同僚と、部下と、あるいは家族と。どのくらいその別れを大事にしていますか。

5意志のあるあいづち

あいづちを打つのが本当にうまい人というのがいます。

私の周りにも何人かいますが、この人たちに共通なのは、確かなウィル、つまり意志を持ってあいづちを打っているということです。決して無意識にオートマチックに首を振るわけではありません。

こういう人たちが繰り出すあいづちというのは、その一回一回に「あなたを認める」というアクノレッジメントが込められています。

だから、向かい合っていてもとても話しやすいのです。

いきなり毛色の違った話ですが、知り合いの経営者の方に誘われて、生まれて初めて銀座のクラブに行った時のことです。

どうふるまっていいのやらわからずに、最初はあたりをきょろきょろしていました。ほどなくして一人の女性が横に座りました。

慣れた手つきで流れるようにウイスキーの水割りを作り、私の前にそのグラスを置きながら、何の前触れもなく、唐突に私に質問しました。

すごく落ち着いた透明感のある声で。

「鈴木さん、鈴木さんの夢って何ですか」。

銀座は最初からクライマックスなんだなと、わけのわからないことを考えながらも、何となくうれしくなって話し始めました。

「そうですね、将来はアメリカのシアトルというところに住んでみたいと思っているんですよね」。

それに対して彼女は、たった一言、「シアトル~」そう返しました。

「私はこれから始まるあなたの話に一〇〇%耳を傾けますよ」、そんな意志が「シアトル~」の一言には込められていました。

その瞬間思いました。ずっと自分が話していても良いんだと。

仕事柄、プライベートでもちょっと自分が話すと相手に話す間を譲ろうと思ったりします。

でも彼女の「シアトル~」の一言は、そんな遠慮をまったくかき消してしまうものでした。たった一つのあいづちです。でもそこには確かなウィルがあったのです。

「私はあなたを認めます」というウィルが。結果として私は、一時間もべらべら自分の夢を話してしまいました。

それだけ長い時間一方的に話し続けるというのは、私にとっては本当に珍しいことでした。ウィルのないあいづちを打つ人というのはすぐにわかります。

こちらの話がどうであろうが、ただ同じペースで繰り返し打ち、そしてあいづちの語尾が下がります。「へぇ」「そう」「ふ~ん」。抑揚はほとんどありません。

こういう人に限って自分が話す段になると、妙にアクセントが付いたりします。

以前、ウィルがないどころか、本当にあいづちを打たない社長のコーチングをしたことがあります。こっちを見てはいるものの、とにかくうなずかない、まばたきしない、合いの手を入れないのです。

こちらは自分の話がどれくらい伝わっているのかの確認が取れないため、緊張が高まり、次の言葉を流暢に継げなくなってきます。

そうするとうまく話せていないというのがさらに緊張を高め、余計に言葉が滞ってしまいます。問題なのは、自分がどんなあいづちを打っているかについてはほとんど無意識だということです。

この社長もそうでした。

セッションの途中に私が「社長、私の話にあいづちを打たれないんで、本当に話しにくいです」というと、「あいづち?打ってるだろ」。

ただの一回も打ってないのにです!それくらいあいづちは無意識です。パターン化しています。ですから周りの人に一度確認してみると良いかもしれません。

「俺の(私の)あいづちってあなたを話す気にさせてる?」と。そして意識してみましょう。

あいづちをただの「音」で終わらせるのではなく、相手の存在を肯定するアクノレッジメントへと昇華させるために。

6リフレイン

私は以前、アメリカの女子刑務所で、女囚さんたちを相手に心理カウンセリングをしていたことがあります。

刑務所ですから、重厚な机の後ろで革張りの椅子に腰掛けて、「さあ、何でも話してごらん」とかっこよくカウンセリングしていたわけではありません。

ものすごく大きな、天井の照明が薄く切れかかった体育館があって、そこにスチール製の足が錆付いた椅子をぽんぽんと二つ並べて、囚人さんと向かい合って話をします。

もちろん二人きりということはなくて、体育館の片隅には必ずガードマンがいてこっちを観察している、そんな中でのカウンセリングでした。

アメリカの女子刑務所に収監されている人のうち、約六〇%は何らかの形で幼児虐待を受けた経験があるといわれています。

私がカウンセリングしていた一人の女性も例外ではなく、子どものころに実の父親から性的な虐待を受け、母親からは毎日のように「お前さえ生まれてこなければ、お前さえ生まれてこなければ」といわれ続けて育ちました。

大人になり、結婚した男性から暴力を毎日のようにふるわれ、絶望の淵でドラッグに手を出しました。

薬物の影響下で、意識も朦朧とした状態で自分の子どもをちょっとしたことがきっかけで殴り叩き、それが直接の罪状で収監されたのです。

初めて自分のボスの精神科医から彼女を紹介された時には、思わず目を疑ってしまいました。右目の黒目が完全に上にめくれあがってしまっていて見えないのです。白目が完全に剥けていました。

人に対する強い憎悪を抱く彼女は、おそらく何十年もの間、周囲をものすごく強い目で睨み続けてきたのでしょう。

誰も信用できずに、自分を守るために、ただ目の周囲に誰も入り込むことができないような、強い強い防衛線を張って。

彼女の顔を見た瞬間、背筋が寒くなるのを感じました。人の顔は感情でここまで歪むのかと。通常セッションは週一回四〇分間行われます。

刑務所があるのはテネシー州、アメリカ南部の州です。

彼女もテネシー州ナッシュビルの出身で、南部なまりがものすごく、しかも最下層の環境で育ってきましたから、使う単語自体も「何それ?」と思うような聞いたこともない俗語(ストリート・スラング)をよく使います。

ですから四〇分間のセッションで、三〇~三五分は私としてはひたすら聞くことしかできないのです。こちらから積極的に介入するようなカウンセリングは、なかなかできないわけです。

彼女がいいます。

「My mom did……to me.(私のお母さんは私にこんなことをしたのよ)」。

私は答えます。

「She did.(そうだったの)」。

再び彼女がいいます。

「My dad was like…….(私のお父さんはこんな人だったの)」。

また私は答えます。

「Oh,he was.(そうなんだ)」。

彼女が発した言葉の重さを変えずにそのまま返すのです。彼女はまたいいます。

「I did things like…….(私はこんなことをしてしまったのよ)」。

私はもう一度返します。

彼女の重さを同じように味わいながら「You did.(そんなことがあったんだね)」と。

私が彼女に対してできたのは、彼女の言葉をリフレイン、つまり繰り返してあげること、ただそれだけでした。

七回か八回目のセッションが終わった時、一つのことに気が付きました。

彼女の上にめくれあがった黒目が少しずつ下り始めてきたのです。右目は白目だけでなく、黒目も見えるようになってきました。

そして一五回目のセッション。

これで私がもう日本に帰るので最後のセッションだという時に、彼女が詩を書いて持ってきてくれました。

その詩は基本的にすべて紙にタイプで打たれていましたが、なぜか最後の一文だけは、タイプではなく、自筆で、しかもかなり強い筆圧で記されていました。

詩に何が書いてあったかは正確には覚えていませんが、その最後の一文だけは何回も何回も読んだので、今でも内容や字体が脳裏にくっきりと焼き付いています。

そこにはこう書いてありました。

「Thank you for showing me that I do count.」と。

I do countのcountは数えるという意味です。つまり直訳すると「私も数えられる一人なんだ」となります。

文全体を訳すと「私にも価値があるということを、初めてあなたは私に教えてくれた。ありがとう」となります。

私は特別なことをしたわけではありません。

She did.He was.You did…….とにかく彼女の言葉を繰り返しただけです。

ただ、彼女の語る一文一文に対して、何もすることはできないけれども、あなたがそこに今そうして存在しているそのことだけは知っているよ、という気持ちだけは毎回言葉に込めて繰り返しました。

大学院のカウンセリングのクラスで学んだ「リフレイン」という手法が、確かに人の「存在」を承認しうるということを知った初めての体験でした。

7部下に対するリフレイン

前項の刑務所での話は、特別な場所での特別な関係が、特別な生育環境を経験した人に対して引き起こしたものです。

とはいうものの、企業研修等の中でこの話に触れ、どうも相手の話に耳を傾けるということには、言葉をリフレインしていくということには、とんでもない力があるようだと、真剣に思ってくださるマネジャーが少なくありません。

製薬会社のマネジャーに対してコーチング研修をしていた時のことです。刑務所での話をした後の休み時間に、一人のマネジャーが私のところに来て、こういいました。

「いや~、鈴木さん、いい話だったよ。俺ももう少し部下の話を聞かなきゃいけないなと思ったよ。いつもどなってばっかりだからね。これからは聞くよ。本当だよ」

少し冗談めいたいい回しに一抹の不安を覚えながらも、去り行くマネジャーの肩越しに「がんばってくださいね」とエールを送りました。

この会社の研修のプログラムには、集合研修の後に、フォロー研修で電話会議というのが付いていました。

実際にコーチングを現場で部下に試してみてどうだったかというのを、同一回線上で複数の人間が同時に話すことができる電話会議システム上でお互いに発表しあい、うまくいかないところがあればアドバイスを受け、より実践的なコーチングを身に付けていくというものです。

これが基本プランでは二週間に一回三〇分、合計四回、約二か月間継続されます。

第一回目の電話会議の時、このマネジャーに「その後どうですか?部下の話を聞いてますか?」と尋ねました。

それに対して彼が答えました。

「いや~、聞いてよ鈴木さん、実はね……」。

聞くと、部下で一人なかなか売上のあがらないMR(製薬会社の医薬情報担当者)の部下がいて、いつも「何で売上があがらないんだ!」とどなり散らしていたそうです。

やる気があるのかないのかよくわからない部下の顔を見るたびに、マネジャーはいらついていました。

研修が終わって一週間ぐらい経ったある日、お昼ご飯を食べようとその部下をうどん屋に誘ったそうです。

テーブルの向こうで、あつあつのうどんをふ~ふ~いいながらすすっている部下を見ながら、マネジャーはふと思いました。

「何で、こいつは売上があがらないんだろう?」と。それまでも「何でだ!」と何回もどなってはいたわけですが、初めて純粋に興味と関心を覚えたというのです。

で、「何でさあ、お前売上あがらないんだろうねえ?」と、彼の顔を見ながらマネジャーは尋ねました。

その問いかけには、マネジャー曰く、そのことについて聞きたい、関心がある、お前をサポートする用意があるという気持ちが乗っていたようです。

すると、彼は一瞬マネジャーの視線を探るように覗き込んだ後、それこそ立て板に水のごとくに、次から次へと自分の現状について話し始めたそうです。

それまでは何をマネジャーから聞かれても、「まあ」とか「特に」とかぐらいしか答えなかった彼が、ここぞとばかりに話し始めました。

実はドクターとこういうところで煮詰まっていて……、家でも最近こんな問題があって……。とにかく話して話して話し続けました。

マネジャーはそれを聞きながら、もういろいろなことがいいたくなったそうです。そして喉の先まで出かかりました。それはこうしたほうが良いだろう、ああしたほうが良いだろう……。次から次へとアドバイスが浮かびました。

しかしその度に、刑務所の中で私がひたすら女囚さんの言葉をリフレインしている映像が浮かんだそうです。

そして我慢しました。今回だけだと思って。

アドバイスをする代わりに「そうか」「そんなことがあったのか」「大変だったな」と、リフレインしながらとりあえず聞いてみました。

気が付いてみると一時間が過ぎていたそうです。

二か月経って、これで電話会議も最終回だという時に、そのマネジャーに聞きました。

「あのMRさんはその後どうですか?」。彼は答えました。

「ちょっとずつ良くなってきてるよ。まあこれからだな」。

それからさらに三か月が経ち、ある雑誌の記者から、コーチング研修の記事を書きたいので、誰か研修を受けた企業のマネジャーを紹介してもらえないかという依頼を受けました。

そこでこのマネジャーを紹介しました。

ちょうどそのころ、その会社では四半期の営業の締めの時期で、各メンバーの成績が発表されたところでした。

うどん屋の件のMRさんは、初めてその営業所でベスト5に入り、表彰まで受けていました。マネジャーが「どうしてがんばれたんだ?」とMRさんに聞くとこう答えたそうです。

「追い風が吹いたというのは要因としてあると思います。新薬に対して、自分が担当していたドクターが非常に好意的で、たくさん注文を出してくれましたし、家の問題もとんとん拍子にうまく片付きました。

ただ加えて、ちょっと前にマネジャーがうどん屋で僕の話をただじっと聞いてくれましたよね。あれは自分にとって、今考えると大きな転機になったと思うんです。もう一度がんばろうという気持ちになれたというか」

結局このマネジャーとMRさんのストーリーはそのまま雑誌に紹介され、電車の中吊り広告の見出しにもなりました。

「コーチングで営業力アップ」と。

話を聞けば営業成績はあがるのかというと、もちろんそんな単純なことではないのは充分わかっています。

他にも成績を左右する要因はたくさんありますから。それに部下の不平や不満を聞くのが必ずしも良いといっているわけでもありません。

いつも愚痴のようにだらだら不平不満を口にする部下に対しては、「不平や不満をいうのはやめてほしい。

どういう解決策があるのか提示してほしい。僕に対してリクエストがあればそれはいってほしい」、というような毅然とした態度を取ることも時には必要だと思います。

しかし、部下が一度でいいから聞いてほしい、本当に困っている、というようなトーンで不平不満、迷いを口にした時は、とことん聞く必要があるでしょう。

そしてそんな時には、アドバイスをされる以上に部下はまずリフレインされたいのかもしれません。そういう状態にある時には、部下は何にもまして自分に味方がいることを確認したいものです。

上司はリフレインすることで、自分こそがその味方であるということを、強く示すことができるはずです。

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