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「きれいごと〈も〉」から「きれいごと〈で〉」へ

「会社のために」から「」若いメンバーは、何に「飢えている」のか?「最近の若い者は……」という言葉は、古代から言われていたという話をどこかで聞いたことがありますが、それほどに、世代間の価値観の違いというのは古くからあるもののようです。

そして、数年前からよく言われるようになったのが「草食系男子」——「若い男性が草食化してしまった」「最近の若者にはハングリー精神が足りない」などと嘆く先輩方がたくさんいます。

たしかに、いまの新入社員や大学生には、かつての若者たちのような「上司から指示されたことを全力で頑張り抜く」といった姿勢は見られません。

「問答無用で働く」ことはなく、「なぜ働くのか」を問うてきます。

こうした現象を見て、私はある仮説を持ちました。

それは「いつの時代も、若者は〝ハングリー〟なのではないか」ということです。

2013年のTEDxTokyoが開かれた際、私はこのテーマについて「ハングリー精神の新しい定義」という題名で語りました。

YouTubeでトークが公開されたこともあり、海外からもたくさんの感想やコメントをいただきました。

とくに若い世代からは国籍を問わず、「そのとおり!」という声がたくさん届き、自分の仮説に対してささやかな自信をいただきました。

いつの時代も、若者はすべての世代のなかで最も繊細で純粋な精神を持っています。

ですから、いまの世の中にいちばん足りていないものに、誰よりも敏感に気づき、最初に声を上げるは、いつも若者です。

第2次世界大戦直後の若者たちが生きた日本には、モノやお金が足りていませんでした。

モノやお金にハングリーとなった若者たちは、「物質的な豊かさ」のために、一生懸命働きました。

そうした先輩方の努力のおかげで、日本はモノやお金には困らない豊かな国になれたのです。

一方、いまの社会に足りないものは「人と人のつながり」「助け合い」です。

若者たちは、目に見えるモノやお金ではなく、人と人とのつながりといった「精神的な豊かさ」に対してハングリーになっているのです。

ですから、彼らからハングリー精神が失われたわけではなく、ハングリー精神が発揮される対象が変わったにすぎません。

かつての若者たちが「物質的な豊かさ」を求めたのと同じくらいの渇望感を持って、「精神的な豊かさ」を求めているのです。

仕事の「成果」についても同じです。

「ノルマを達成すれば給料が上がる」と言われても、いまの若者たちは頑張れません。

「なぜそのノルマを達成する必要があるのか?」「そのノルマ達成は、どんな他者への幸せにつながっているのか?」——それを納得しなければ、積極的に動けないのです。

これからのリーダーが語るべき「成果」とは、売上・利益や昇進・昇給ではなく、仕事の先にある「社会への貢献」です。

つまり、仕事というものが、上司から与えられるものではなく、他者に貢献するためのものへ、「会社のためにやらされること」から「社会に対して関わること」へと変わってきたとも言えるでしょう。

こうした働き方を含めた価値観の大きな変化は、日本だけではなく、世界中で起こりつつあります。

「新しいハングリー精神」をビジョンに組み込む私は、1989年に社会人になった典型的なバブル世代ですが、いまの若手は「ミレニアム世代」と呼ばれているそうです。

ミレニアム世代とは、2000年以降に20歳を迎える世代、つまり1980年以降に生まれた人たちを指しており、それ以前とそれ以降の世代では、大きく価値観が異なるとされています。

ミレニアム世代は、子どものころからITに触れ、ほとんどがツイッターやフェイスブックなどのSNSを使いこなします。

グループやサークルなど特定のコミュニティへの帰属意識が強いため、みんなで一緒に何かを考えたり、取り組んだりすることを好み、社会貢献やボランティアにも前向きです。

加えて、自由であること、情報の透明性、食の安全性、環境問題などにも関心が高いと言われています。

私の友人でもあるアメリカ人起業家が、こんなことを言っていました。

「いまの若い人たちは、給料が高い会社を必ずしも好むわけではない。

社会のためになるかどうかを第一に考えるんだ。

だから、若者たちにビジネスを紹介する際にも、『この仕事は社会に対してどんな意味を持ち、どんな貢献ができるのか』をきちんと説明しなくてはいけない。

彼らはその説明に納得すると、本当によく働いてくれるんだ」日本人起業家のあいだでも、「求人を出すときには、金銭的な報酬だけを提示するのではなく、社会的意義をしっかりと示したほうが、優秀な人材が応募してきてくれるようになった」という話を聞いたことがあります。

明らかに、働くことに対する価値観が変わってきているようです。

ビジョン型リーダーは、この価値観のシフトを確実に押さえておくべきです。

実際、「会社のために頑張ろう」ではなく、「社会のために頑張ろう」というアプローチで、成長している企業がたくさんあります。

18歳で起業し、上場を成し遂げた株式会社じげん(本社東京都)の代表取締役・平尾丈さんは、起業した理由をこんなふうに話してくれました。

「火事だと言われて、火を消す人と、見ている人と、逃げる人がいますよね。

私はやっぱり火を消す人がかっこいいと思っています。

そういう人間になりたいと思って起業しました」求人・住まい・結婚などの情報プラットフォームを展開しているじげんですが、多くの人の役に立ちたいという思いが、競争の激しいインターネット・サービ

ス事業を成功に導き、上場を成し遂げました。

「社長トーク」にお越しいただいたときに31歳だった平尾さんだけでなく、同社に入社してくる若者たちにも、大震災などの惨状を見たらすぐに「何かできないか?」と考えるような人が多いそうです。

「もちろん情熱はあるのですが、それだけでなく『社会のためになっている』という感覚、お客様からのポジティブ・フィードバックがあってこそ、この仕事を継続できているのかなという思いはあります。

全部が全部かっこいい社会貢献欲求だとは言いませんけれど、やっぱり『ありがとう』と言われたらうれしいですし、お客様の笑顔をもっと見たくて続けているという面が強いですね」「社長トーク」に出演してくださる30代の起業家たちの多くが、平尾さんと同じような思いを持ち、それに共感する若者たちとともに事業拡大を実現しています。

「お金はあとからついてくる」という〝きれいごと〟とも言われかねない言葉をさらりと発し、自然体でそれを実現していく姿に、次世代リーダーの姿を見たような気がします。

さて、「ハングリー精神の新たな意味」を体現する起業家リーダーたちが上場を果たす時代、いかにしてメンバーから「やらされ感」を払拭し、「関わった感」を醸成するかを次に考えていくことにしましょう。

貢献が「見える化」されると、人は自ら動きはじめる新たなハングリー精神に応えるリーダーに触発されて動き出すのは、若い世代だけではありません。

「日本で最初に婚活のIT化を実現した会社」として有名な株式会社IBJ(本社東京都)は、かつての「近所の仲人おばさん」にITツールを提供し、大成功した会社です。

仲人おばさんといえば、顔が広くて、たくさんの人とのネットワークを持ち、結婚適齢期のご子息・お嬢様がいるところに出入りしては、お見合いの斡旋をする存在です。

そこに目をつけてIBJを創業した代表取締役社長の石坂茂さんは、仲人さんたちがさらにネットワークを広げられるよう、「結婚したい人たちのデータベース」を提供しました。

全国の仲人さんの知恵を借り、使いやすさにこだわったツールを開発したことで、「仲人おばさん」の仲介による婚約率が一気に高まりました。

もちろん、データベースという道具だけでは不十分です。

IBJでは、地域ごとに仲人さんが集まる会を定期開催したり、仲人さんにさまざまなアドバイスをするコーディネータを派遣したりと、さまざまなサポートをしています。

兎にも角にも、仲人さんの成功の鍵は、コミュニケーションです。

IBJでは、先輩仲人さんの知恵をもとに、コミュケーション力の磨き方のテキストをつくるなど、これから結婚カウンセラーを目指そうとする人たちの養成もしています。

そこに興味を持って集まるのは、若者だけではなく、年配の方も多いとのこと。

年齢を問わず、働くことの最大の喜びは、人の役に立つこと、人に喜んでもらうことです。

これまで地域で仲人役をしてきた、人のお世話をするのが大好きな年配の方々に、さらに生き生きと働くチャンスをIBJは提供しているのです。

分業のしっかりした大きな組織に入ってしまうと、こうした喜びを実感する機会が少なくなりがちです。

メンバーが感じるべき喜びを、いかに見える化・実感化するかも、リーダーが考えるべきことなのです。

「チームを巻き込む」から「」「きれいごと」が顧客に届くと、社会が変わるビジョンは、共に働くメンバーたちの意欲を支え、意識を変えていくものでありますが、じつはメンバーだけではなく、お客様や取引先の意識や行動すらも変えていくことがあります。

衣料品・雑貨・美容関連商品・食品などの自社開発も手がける大手通信販売会社の株式会社フェリシモ(本社神戸市)は、色柄・デザイン違いの商品が毎月届く「定期便」など、ユニークなサービスを提供していることで有名ですが、社会貢献に力を入れる企業としても知られています。

フェリシモは、「しあわせ社会学の確立と実践」という企業理念を持ち、事業性・社会性・独創性の3つが交わるところで事業をすることを目指してきました。

上場した際にも「これまでとは違う、まったく新しい価値観の会社」と評されたほどです。

1つのエピソードをご紹介しましょう。

同社にはたくさんの主婦のお客様がおり、彼女たちからの声が数多く届きます。

そこでフェリシモが気づいたのが、環境問題をはじめとした社会課題に対して、主婦の方たちがきわめて高い関心を持っているという事実でした。

「子どもたちが生きる未来をよりよくするため、自分たちにも何かできないだろうか」という母としての思いを強く持ちながらも、貢献のための手立てがなく、何もできずにいたという人がほとんどだったといいます。

そこではじめたのが、「インドの森の再生プロジェクト」への寄付金募集でした。

お客様から月々100円の寄付金を募り、インドの森の再生に取り組んだのです。

1人のお客様が拠出するお金は月100円であっても、みんなのお金を集めれば数億円になります。

こうした取り組みが17年続き、再生された森に野生の象が戻ってくるという快挙を成し遂げました。

「取引先」にさえもビジョンは浸透するそうした体験が、さらに驚くべき行動をお客様に起こさせました。

阪神淡路大震災のときのこと、神戸への本社移転を発表したばかりのフェリシモに、お客様から次々とお金が集まったのです。

通販の代金は3000円なのに5000円、1万円というように、買い物金額以上のお金が振り込まれました。

「被災地の方々のために何かしたいが、何をすればいいかわからない。

でも、フェリシモなら、何かいいことをしてくれるはず。

そのためにこのお金を使ってほしい」——そんなお客様からの願いが込められたお金でした。

それ以来、世界で災害があるたびに、被災地に寄付を届けるプロジェクトがお客様から求められるようになりました。

フェリシモが主導したというよりも、お客様がフェリシモを突き動かしたのです。

さらに、障がい者の方がデザインした雑貨を販売したり、途上国の人たちとバッグなどを生産して現地に雇用を生んだりと、寄付以外の取り組みも積極的に行っています。

ただ素敵な商品をそろえるだけでなく、「子どもたちの未来のために何かをしたい」「社会の役に立ちたい」というお客様の気持ちに応える商品ラインナップを増やしていったのです。

こうした取り組みを続けていくうち、ついには同社の商品を納入していた取引先企業にも、変化が起こりました。

なんと、取引先企業でも、社会的意義のある商品を開発するための勉強会が独自にはじまり、フェリシモに新商品の提案をしてくるまでになったのです。

ビジョンとそれに基づく取り組みがお客様と取引先へと広がり、それがまた、「この会社なら、きっとまた社会に貢献をしてくれるはずだ」というさらなる期待につながる——そんな好循環がフェリシモからは生まれています。

「ビジネスと貢献」から「」「社会問題の解決」が世界のリーダーの常識に少し前まで、CSR(企業の社会的責任―CorporateSocialResponsibility)が積極的に推進されるなかで、利益の一部を社会貢献に回すことが企業に求められるようになっていました。

日本企業にもCSR部門ができ、メセナと呼ばれた芸術などへの従来型の寄付行為から、温暖化対策としての植樹といった慈善行為にまで幅が広がっていったのです。

しかし、この流れのなかで進められた社会貢献は、「利益が出れば寄付をするが、利益が出なければ寄付額を削減する」ということになりがちで、持続可能性のあるものだとは言えませんでした。

そんな企業の動きと並行して登場してきたのが、社会起業家(SocialEntrepreneur)という存在です。

この言葉が積極的に使われるようになったのはイギリスです。

財政難に苦しむイギリスのトニー・ブレア首相が、官が行っていた社会福祉活動を民のノウハウを使って効率化する新しい取り組みを提言し、若者がトップを務めていたシンクタンク「DEMOS」などが中心となって研究が進めらました。

その後、サブプライムローン問題が起き、ウォール街に不穏な空気が流れはじめた2007年あたりから、資本主義のあり方を問うリーダーが国内外で増えてきました。

リーマンショックが起こる直前の2008年1月のダボス会議では、フィランソロピスト(慈善家)としての活動をはじめていたビル・ゲイツさんが、「社会における会社の役割」というスピーチのなかで「クリエイティブ・キャピタリズム(創造的資本主義)」という新しい言葉を提唱し、大きな反響を呼びました。

「世界には、貧しい人々がたくさんいますが、現状のマーケットメカニズムでは、その人たちに便益を提供することができていません。

いまこそ企業は『マーケットメカニズムを使って格差を縮小する活動』をしていくべきです」ゲイツさんがグローバル企業のリーダーたちにこう呼びかけたその年に、世界はリーマンショックという大きな金融危機に直面しました。

「自社の利益だけを求め続ける経営はうまくいかない」という風潮がますます加速し、企業も個人も社会の問題解決のために働くことを理想とする大きな流れが生まれたのです。

もはや世界では、「ビジネスの傍らで貢献活動もする」のではなく、「ビジネスそのものを通じて社会貢献する」のが、企業の理想的な姿だとされています。

グローバルに事業を展開する企業が、両者を別物だと考えていては「時代遅れ」と言われかねません。

ダボス会議に参加する企業のリーダーたちも、自社利益につながるアピールではなく、自社が世界の課題に対してどう貢献できるかを話すようになりました。

ささやかな経験しか持っていない20代や30代の若手リーダーたちはもちろん、国家リーダーも社会貢献の視点を踏まえて語ります。

「自分たちの国をどう改革して、どう成長させていくか」という話が許されるのは途上国や新興国のリーダーまでであり、先進国のリーダーは必ず、「わが国はどのように世界に貢献できるか」を語ります。

世界のトップリーダーが集まるダボス会議での2000年代後半からの変化が、いま世界のあらゆるリーダーの「常識」となりつつあるのです。

リーダーの「きれいごと」がイノベーションを生み出したリーダーシップと社会貢献をめぐる考察の締め括りとして、バングラデシュで「マイクロクレジット(無担保での少額資金貸し出し)」を取り入れたグラミン銀行を創設し、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスさんからお聞きした話をご紹介したいと思います。

ユヌスさんも、ダボス会議にいつも招待されている方のお1人で、世界中のビジネスリーダーに影響を与えています。

数年前に来日された際、私と関わりがある経営者のみなさんのために、ユヌスさんとの対話の場をいくつかセットさせていただきました。

そのときに、ユヌスさんが話してくださったのが、世界的な乳製品メーカーであるダノンとのジョイントベンチャーの話でした。

2005年に、ダノングループ会長であるフランク・リブーさんと出会ったユヌスさんは、ダノンと共同でバングラデシュにヨーグルト工場をつくり、ヨーグルトの販売をスタートさせました。

この物語は世界中で報道されたほか、ユヌスさんの著書『貧困のない世界を創る』(早川書房)にも詳しく書かれています。

ダノンのような世界的大企業が、バングラデシュに工場をつくり、貧困層にヨーグルトを販売するというのは、それまでの定説に反する意思決定でした。

各地域の経済的成熟度などを基準に、効率的に稼げる市場を求め進出先を決めていくのが、従来のグローバル企業の基本的なあり方だったからです。

しかし、ダノンのリブー会長は、1年近くにおよぶ事前調査を自社の経費で行い、グラミン・ダノンを立ち上げるという英断を下しました。

「栄養不足に悩む子どもたちのための小さなヨーグルトを、現地の女性が働く工場でつくりたい」という願いからはじまったこのプロジェクトは、もちろん多く人から共感を得ていました。

一方、ダノンには、商品の技術開発、工場の設計開発、利益が出るような価格設定など、前代未聞の厳しい条件があらゆる面で立ちはだかっていたそうです。

これをすべて乗り越えるには、数々のイノベーションが欠かせませんでした。

しかし、バングラデシュの子どもたちのために、貧しい人々のためにと、ダノンの社員が一丸となって取り組んだ結果、すべての課題はクリアされ、グラミンレディが働くヨーグルト工場が見事に実現しました。

そして、これをきっかけとして世界中に「ソーシャルビジネス」という言葉が広がることになったのです。

この事例が大きな影響力を持った理由はいくつかありますが、ここで最も重要なのは、困難な状況を克服して生み出された効率的な商品開発・工場設計のノウハウが、のちにバングラデシュ「以外」の工場でも、大いに役立ったということです。

グラミン・ダノンが起こしたイノベーションは、これまでの常識とは違う次元、つまり「バングラデシュの子どもたちを救いたい」というリーダーの高い志(ビジョン)から生まれ、それが社員たちのやる気をさらに高めながら、同時に、ダノン全体に利益をもたらす結果となりました。

日本には「損して得取れ」ということわざがありますが、志に導かれ、大きな利益を期待せずに進められた取り組みが、グラミン・ダノンに大きな利益をもたらしたということは、本書がここまで語ってきたリーダーシップの変化と決して無関係ではないと思います。

日々の業務のなかで、リーダーがメンバーにイノベーションや改善を求めるのはあたり前のことですが、すぐに大きな成果が出るものではありません。

貢献という「回り道」から予期せぬ革新が生まれてくるのだということも、これからのリーダーは肝に銘じておくべきでしょう。

成長するリーダーの条件——ユヌスさんは来日した際、このエピソードを2度、それぞれ大企業のトップ向けの会と、ベンチャー経営者・ファミリー企業経営者向けの会とでお話しされました。

ユヌスさんの話を聞いた大企業の方々は、非常に感心してはいたものの、「同じことをやろうとしたら役員会の説得が大変だろうね」「日本だとなかなか難しいんじゃないか」といった後ろ向きのコメントをする方が多く、ここから何か自社の参考になるものを得ようとする貪欲さはほとんど見られませんでした。

一方で、ファミリー企業の若手経営者さんたちは、予定していた時間をオーバーするほどたくさんの質問をユヌスさんに投げかけ、熱心に知恵を得ようとしていたのが印象的でした。

そして、後日、すぐにみんなで集まり、実際にソーシャルベンチャーを支援する財団を立ち上げたのです。

同じチャンスを得ても、それをどのように活かすかは千差万別です。

リーダーは、つねに考える人であると同時に、その考えを行動に移す人でなければなりません。

そして、掲げた目標は必ずやりきることです。

ゴールまで走りきらないリーダーのもとには、誰も集まってきてくれません。

ビジョンこそが、ゴールまで走りきる力の源です。

ビジョンを掲げて走り続けていれば、一緒に走ってくれる仲間や、ゴールまで途切れず声援を送ってくれる人たちがきっと現れます。

最後に、私の大好きな言葉をお贈りします。

パーソナル・コンピュータの父と呼ばれるアラン・ケイ氏の言葉です。

「未来を予測する最良の方法は、それを発明することだ(Thebestwaytopredictthefutureistoinventit.)」未来は決まっていません。

リーダーが描くビジョンこそ、未来です。

たった1人が掲げたビジョンでも、それが多くの人の共感を呼べば、大きな未来へとつながるのです。

おわりに——リーダー観察者ではなく、1人のリーダーとして本書の企画が決まったのとほぼ時を同じくして、私は「スポーツ・文化・ワールド・フォーラムリーダー」という肩書きを文科省から与えられました。

ダボス会議を主宰する世界経済フォーラムの支援を得て、文科省が2020年の「東京オリンピック/パラリンピック」を見据えたキックオフイベントを2016年10月に開催することになり、下村博文前文科大臣の下でお手伝いをしていた私が、イベント準備室のリーダーに任命されたのです。

民間人として文科省に入り、馳浩文科大臣や事務次官・審議官などを上司に仰ぎながら、メンバーと準備を進める立場は、まさに「中間管理職」。

20代で起業して以来、ミドルマネジャーとしての苦労をしてこなかった私にとっては、まったく新たな経験です。

その意味で、本書の執筆は、これまでお会いしたリーダーたちの言葉や姿を思い出すだけでなく、リーダーとしての私自身の日々を省みる機会ともなりました。

しかし、プロジェクトがはじまり半年が経ったいま、私の心にあるのは、メンバーたちとともに働けることの幸せな感覚です。

もちろん、日々の仕事に目を落とせば、大変なことや不自由なことはたくさんあるのですが、「日本にかつてない官民のプロジェクトを実現させ、2020年に向けての社会の機運をつくる」という大きな目標に向けて仲間とともに歩む日々は、心をワクワクさせてくれます。

本書が発売され、タイトルを目にした準備室メンバーたちから何を言われるかが、当面の懸念ではありますが、リーダーの仕事は、ビジョンをつくり、ビジョンを語り、その実現のために誰よりも考え、行動し続け、そして必ずビジョンを成し遂げることであることを、イベントの成功とともに証明していきたいと思っています。

最後に、本書執筆にあたりご尽力くださった皆様に感謝を申し上げたいと思います。

本書へのアイデアと出版の機会をくださったダイヤモンド社の藤田悠さんとライターの高橋晴美さん、週末や夜遅くのミーティングにおつきあいいただき、ギリギリのスケジュールのなか、気持ちよく出版へと導いていただきました。

文科省の仕事のほか、シンクタンク・ソフィアバンクの代表としてのさまざまな仕事など、複数のわらじを履きながら挑戦し続けることができるのは、ソフィアバンクのメンバーたちの真摯なサポートがあるからです。

そのソフィアバンクで、15年間にわたり、数多くのことを教えてくださった田坂広志さん。

まだまだ、教えていただいたことの多くを、行動に移しきれていませんが、田坂さんからの学びが、本書の大きな土台となっています。

そして、年末年始に執筆が重なってしまったにもかかわらず、静かに見守り応援してくれた夫、ボンに感謝します。

最後に、いまも私たち家族の心のリーダーである亡き父と、70歳を過ぎても地域コミュニティでリーダーを務め続ける母に、感謝とともに本書を贈ります。

いまもお2人の背中から学び続けています。

2016年1月15日藤沢久美

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