万物の大半はほとんど価値がなく、ほとんど成果を生まない。少数のものだけが非常に役立ち、大きな影響力を持つ。──リチャード・コッチ(起業家、コンサルタント)
ジョージ・オーウェルの有名な寓話小説『動物農場』に、ボクサーという名の馬が登場する。
まじめで屈強な馬だ。動物たちが困難に出会うたび、「俺がもっと働こう」と言って仕事を引き受ける。
だが過酷な状況のなかで、ついにボクサーは働きすぎて倒れ、解体業者のもとへ送られる。
皮肉なことに、みんなのために一生懸命働いたボクサーの努力は、むしろ独裁者による搾取を助長しただけだった。
私たちも、ボクサーと同じ思考に陥っていないだろうか。困難に出会ったとき、残業を増やして根性で乗りきろうとしていないだろうか。
すでに仕事を抱えているのに、トラブル対応までどんどん追加で引き受けていないだろうか。人は幼い頃から、努力の大切さを教えられて育つ。
実際、まじめに働けば成果は上がるし、困難にも対応できるようになる。だが、そこには限界があるはずだ。
すでに一生懸命働いているのに、これ以上労働時間を増やして本当に成果が上がるのだろうか。
やることを減らしたほうが、生産性が上がる場合もあるのではないか?子供の頃、小遣い稼ぎのためにアルバイトをしたことがある。
12歳の子供にできる仕事といえば、新聞配達くらいしかなかった。1日1時間ほど働けば、1ポンドが手に入る。
私は自分の体重ほどもありそうな袋をかつぎ、毎朝1時間かけて家から家へと新聞を配ってまわった。ラクな仕事ではなかった。
つらい労働の経験は、私のコスト意識を決定的に変化させた。ほしいものがあると、「新聞配達何日分」という数字に置き換えるようになった。1ポンドのお金は、1時間の労働だ。
その計算でいくと、ほしいおもちゃが買えるのはまだまだ先になりそうだった。そこで私は、頭を使った。どうすればもっと早くお金が稼げるだろうと考えた。
新聞配達のかわりに、隣の家の洗車するのはどうだろう。料金は1台につき2ポンドだとして、1時間あれば3台は洗える。1時間=1ポンドだったのが、1時間=6ポンドになるのだ。
それに気づいた瞬間、私は人生の大きな教訓を学んだ。「ある種の努力は、ほかの努力よりも効果が大きい」それから何年もたち、大学生になった私はカスタマーサービスのアルバイトを始めた。
時給は9ドル。
1時間=9ドルと考えるのはたやすいが、私はそれよりも大事なことに気づいていた。問題は、時間とお金ではなく、時間と成果の関係なのだ。「この仕事で、もっとも価値のある成果は何か?」と私は考えた。
解約するつもりの顧客を引き止めることができれば、もっとも大きく会社に貢献できるはずだ。
そこで私は、解約を思いとどまらせるために全力を注いだ。やがて私が担当する顧客の解約率はゼロになった。おかげで私の報酬は増え、会社にも大きく貢献できた。
努力は大切だ。だが、努力の量が成果に比例するとはかぎらない。がむしゃらにがんばるよりも、「より少なく、しかしより良く」努力したほうがいい。
世界最高の料理人と言われるフェラン・アドリアは、「より少なく、しかしより良く」の実践者だ。
伝統的な料理から余分なものを削ぎ落とし、純粋な本質だけを使って、誰も想像しなかった料理をつくりあげる。
それだけではない。
彼が料理長をつとめるレストラン「エル・ブジ」は、年間200万件の予約希望が殺到する超有名レストランでありながら、1日50人の客しか受け入れない。
しかも毎年、6カ月間は店を閉めている。本書の執筆時点では、エル・ブジは完全閉店してしまった。店を料理の研究所にして、さらなる本質を追求しつづけているらしい(1)。
「より少なく、しかしより良く」という考え方に慣れるのは、思ったほど簡単なことではない。
たいていの人は「もっと努力しろ、もっともっと」と長年言われつづけてきたはずだ。
だが努力の量を増やしても、いつか限界がやってくる。
それ以上努力しても成果が増えないどころか、逆に成果が減ってしまう。「努力した分だけ報われる」というのは、ただの幻想だ。残念ながら、世の中はそこまで単純ではない。
重要な少数は瑣末な多数に勝る
「80対20の法則(パレートの法則)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
19世紀末に経済学者のヴィルフレド・パレートが提唱した法則で、成果の80%は20%の努力に起因するという説だ。
やがて1951年になると、品質管理の父と呼ばれるジョセフ・M・ジュランがこの法則を拡張し、「決定的に重要な少数の法則」を唱えた(2)。
ジュランは品質管理の研究をするうちに、問題のごく一部を改善することによって、全体の品質が大きく改善されることに気づいた。
彼はこの発見を実証するため、日本の製造業者にテストプロジェクトを依頼した。日本製品がまだ「安かろう悪かろう」と言われていた時代のことだ。
彼らはジュランの言うとおり、とりわけ重要な問題だけにリソースを集中させた。品質はめざましく改善し、「メイド・イン・ジャパン」という言葉はまったく新しい意味を帯びることになった。
この品質を武器に、日本は経済大国への道を着実に歩みはじめた(3)。
「重要な少数」が「瑣末な多数」に勝るという考え方は、広く世の中全般に応用できる。
『人生を変える80対20の法則』などの著作で有名なリチャード・コッチは、日々のあらゆる場面にこの法則を当てはめてみせた(4)。
どんなことでも、80対20の法則で説明できると言うのだ。たとえば、世界一の投資家ウォーレン・バフェット。彼は「われわれの投資方針は、ほぼ無頓着に近い」と語っている(5)。
少数の投資先だけを相手にし、一度買ったら長いあいだ保有しつづけるのだ。
バフェットの知恵を集めた本『史上最強の投資家バフェットの教訓』では、次のように解説されている。
「バフェットは若い頃、数百の正しい決断をすることは不可能だと悟った。そこで絶対に確実と思われる投資先だけに限定し、そこに大きく賭けることにした。彼の資産の9割は、たった10種類の投資によるものだ。手を出さないという判断が、その富をもたらしたのである(6)」
要するにバフェットは、本質的な少数のものだけを選びとり、その他多くのチャンスにノーを言ったのだ(7)。
もっと大胆な意見もある。
「べき乗効果」と呼ばれる説によると、ある種の努力はその他の努力よりも指数関数的に大きな成果を生むというのだ。
たとえば、元マイクロソフト社CTOのネイサン・ミアボルドはこう語った。
「トップエンジニアの生産性は、平均的なエンジニアの10倍や100倍どころではない。1000倍、いや1万倍だ(8)」
多少の誇張は入っているだろうが、ある種の努力がほかを圧倒するという実感に満ちた言葉である。
これが、私たちの生きている世界の現実だ。大多数のものごとには価値がなく、ごく少数のものごとに莫大な価値がある。
リーダーシップ論の権威ジョン・C・マクスウェルもこう述べている。
「ほとんどあらゆるものは、徹底的に無価値である(9)」努力の量と成果が比例するという考え方を捨てたとき、エッセンシャル思考の大切さが見えてくる。多数の良いチャンスは、少数のものすごく良いチャンスに遠く及ばない。
そのことを理解し、数かぎりないチャンスのなかから「これだけは」というものを見つけなくてはならない。
本当に重要なことにイエスと言うために、その他すべてにノーと言うのだ。エッセンシャル思考の人は、たっぷりと時間をかけて選択肢を検討する。
やるべきことを正しく選べば、その見返りはとてつもなく大きいことを知っているからだ。
エッセンシャル思考の人は、多くをやらなくてすむように、多くを吟味するのである。
仕事のできる人が往々にして壁にぶつかるのは、「全部やらなくては」という思考から脱け出せないためだ。
だがエッセンシャル思考を身につければ、本当に重要なものを正しく見分けることができる。
まずは小さなことから練習し、十分に身についたらより大きなテーマへと進んでいこう。
エッセンシャル思考をマスターするには、考え方を根本的に変えていかなくてはならない。それは簡単なことではないが、けっして不可能ではない。
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