多忙な生活の不毛さに気をつけよ。──ソクラテス
すべてのはじまりは、彼がイギリスで弁護士になる勉強をしていたときのことだった。暮らしは裕福で、学業も順調。未来は明るく開けていた。毎朝目を覚ますと、彼はたしかな自信を感じた。自分のやるべきことはわかっていた。法廷弁護士の資格をとり、快適な暮らしを手に入れるのだ。
そんなある日、彼は旅に出ていろいろな世界を見てみることにした。この旅が、すべてを変えた。マハトマ・ガンジーは南アフリカで、弾圧されている人びとを見た。
彼はその瞬間、世界からそうした抑圧をなくすことが自分の使命であると確信した。ガンジーは新たな目標に向かうため、それ以外の生活のすべてを捨てた。「自分をゼロにするプロセス」である(1)。
カディという手織りの布に身を包み、人びとにも自給可能なカディを広めた。3年間は新聞などのよけいな情報を一切遮断した。そして35年間、粗食を追求しつづけた(2)。
週に一度は誰とも話さずに過ごした。質素さを徹底した暮らしだった。
亡くなったときの所持品は、10個にも満たなかったそうだ。ガンジーはその生涯を、インドの人びとの独立のために捧げた。
政治に手を出すことはなかったが、「インド独立の父」として広く尊敬されている。彼の功績はインド国内にとどまらず、世界中に影響を与えた。
アメリカ国務長官をつとめていたジョージ・マーシャルも、ガンジーの訃報を受けてこうコメントしている。
「マハトマ・ガンジーは全人類の良心の代弁者だ。謙虚な心と真実が、帝国の力に勝ることを示した(3)」またアインシュタインはこう言った。
「将来の人びとは、このような人物が地上に存在した事実を信じられないだろう(4)」
ガンジーの人生が偉大なものであったことには疑いの余地がない。
彼はどこまでもエッセンシャル思考の人だった。
ガンジーのように生きろとは言わないが、本質的な目標のためによけいなものを削ぎ落とす生き方は見習うべきだろう。自分にできる範囲で、自分らしいやり方でやればいい。世界的な偉人でなくても、シンプルで意味のある生き方をすることは可能だ。
本質を生きる方法
エッセンシャル思考の実践には、2つのアプローチがある。
ひとつは、生活のあちこちに取り入れる方法。
そしてもうひとつは、エッセンシャル思考を生きるという方法だ。
前者は忙しい日々にまた別のスキルをつけ加えるにすぎないが、後者は違う。
エッセンシャル思考を生き方の基本に据え、何をするにもそこから考える。エッセンシャル思考が、自分という人間の核になるのだ。
エッセンシャル思考は、多くの思想や宗教においても大事な役割を果たしている。ブッダは豊かな暮らしを捨てて身ひとつで旅立ち、やがて悟りを得た。
ユダヤ教でも、エジプトの王子だったモーゼが羊飼いに身をやつし、そこでユダヤの民を自由にするという使命に気づいた。
イスラム教の預言者ムハンマドは衣服や靴を自分で繕い、つつましい生活の大切さを説いた。洗礼者ヨハネは砂漠に暮らし、らくだの皮をまとってイナゴや野蜜を食べていた。
あのイエス・キリストも大工の家に生まれ、その後も地位や財産とは無縁に暮らした。
「より少なく、しかしより良く」という生き方をした有名人の名は枚挙にいとまがない。
ダライ・ラマ、スティーブ・ジョブズ、トルストイ、マイケル・ジョーダン、ウォーレン・バフェット、マザー・テレサ、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(ソローはこう述べている。
「私は簡潔さを信じます。賢い人びとまでもが膨大な数の瑣末な用事に振りまわされていますが……人生の問題をシンプルにしましょう。必要なもの、本物を見分けましょう(5)」)。
社会的に大きな成功を収めた人のなかにも、エッセンシャル思考の人は多い。
その分野は宗教的リーダーからジャーナリスト、政治家、弁護士、医者、投資家、アスリート、作家、アーティストなど多岐にわたっている。それぞれ仕事は違えど、ひとつの点ではみな共通している。
「より少なく、しかしより良く」を口先だけでなく、生き方として貫いているということだ。どこにいてどんな仕事をしていようと、同じ生き方を選ぶことは不可能ではない。
本書をここまで読んでくれたあなたは、エッセンシャル思考の考え方とやり方を十分に理解できたと思う。この章の目的は、学んだことを人生のすみずみにまで浸透させ、エッセンシャル思考を生きる人になってもらうことだ。
自分の中心にエッセンシャル思考を据える
非エッセンシャル思考の人がときどきエッセンシャル思考の行動をとることはあるし、逆にエッセンシャル思考の人がうっかり非エッセンシャル思考の行動をとってしまうこともある。
誰のなかにも、エッセンシャル思考と非エッセンシャル思考は共存している。問題は、どちらがメインなのかということだ。
自分という人間は、エッセンシャル思考の人だろうか、それとも非エッセンシャル思考の人だろうか?
自分の中心にエッセンシャル思考がある人は、表面的にエッセンシャル思考をまとっている人よりも、はるかに効率良くエッセンシャル思考の恵みを得られる。
一つひとつの判断や行動がその核に蓄積し、非エッセンシャル思考をどんどん押しのけていく。
エッセンシャル思考はやがて生まれつきのように自然な性質となり、非エッセンシャル思考はわずかな薄皮として残されるだけになる。
第1章で説明した「成功のパラドックス」を覚えているだろうか。
明確な目的意識を持って成功へと突き進むが、成功するとチャンスや選択肢が増え、結局自分の方向性を見失ってしまう。多方面に手を出したあげく、すべて中途半端になって、何もまともに達成できない。単に成功をめざしてもうまくいかないのは、そのせいだ。
そこから脱け出すためには、エッセンシャル思考であるしかない。
といっても、エッセンシャル思考の目的は、世間的な成功を手に入れることではない。人生に意味と目的を見いだし、本当に重要なことを成しとげることだ。
将来自分の人生を振り返ったとき、どこにでもありそうな達成リストが並んでいるよりは、自分にとって本当に意味のあることをひとつ達成したと確信できるほうがいい。
エッセンシャル思考を真に身につけ、あらゆる場面でそれを生きることができれば、世界はこれまでとは違って見えてくる。
エッセンシャル思考を自分の血肉とし、本能のように使いこなそう。考え方が心の底までしみこんだとき、それは自分を内側から変える力となる。
ギリシャ語には「メタノイア」という単語がある。心の変容を表す言葉だ。ただ頭で考えるのでなく、心で感じること。それが人の変容をもたらす力になる。
「人は心で思うところの者になる(6)」という言葉があるように、心の奥までしみこんだ考えが、私たち自身を形づくっていくのである。
エッセンシャル思考を生きる人は、周囲の人と同化しない。人がイエスと言うとき、あなたはノーと言う。人が行動するとき、あなたは考える。人がしゃべるとき、あなたは耳を傾ける。
人がスポットライトを浴びようと押し合うとき、あなたは陰に立ってしかるべき時期を待っている。
人が見栄えのいい履歴書をでっちあげてインターネットのプロフィールを派手な言葉で飾るとき、あなたは地道に仕事の力をつけている。
人が忙しい忙しいと不満(=自慢)を言うとき、あなたは控えめにただ微笑んでいる。人がストレスとカオスの渦中にいるとき、あなたは豊かで充実した暮らしを送っている。
この情報と雑音とストレスと虚栄に満ちた世の中にあって、エッセンシャル思考を生きることは、静かな革命である。
エッセンシャル思考を生きるのは、そう簡単なことではない。私もいまだに戦っている。
人に何かを頼まれれば力になりたいと思うし、いいチャンスにめぐりあえば「忙しいけれど両立できるんじゃないか」とつい思ったりする。
何度も何度も携帯電話をチェックしようとしている自分に気づく。エッセンシャル思考を完全に身につけるには、根気と努力が必要だ。それでも、最初の頃にくらべるとずいぶんラクになってきた。
今ではかなり自然にノーと言えるし、判断にそれほど迷わない。非本質的なことを直感で見分けられるようになった。人生を自分でコントロールしているというたしかな手応えを感じる。
素直な気持ちでエッセンシャル思考に向き合えば、あなたもその手応えを感じることができるはずだ。
エッセンシャル思考は私にとって、単なるテクニックや考え方以上のものになった。人生が本質的になっていくのを日々感じる。
最初は判断に迷ったときに使う程度のものだったのに、今ではエッセンシャル思考が私の一部となり、私という人間をつくり変えようとしている。
日々やることは減っていき、生み出すものはどんどん豊かになっていく。私がエッセンシャル思考を感じるのは、たとえばこんなときだ。
・人脈づくりのイベントに行くよりも、子供とトランポリンで遊ぶ
・この本を書くために、世界的有名人からの仕事の依頼を断る
・家族と過ごすために、週1日はソーシャルメディアを一切見ない
・執筆のために毎朝5時に起きて午後1時まで書く生活を8カ月つづけている
・仕事の期日を延ばして子供たちとキャンプに行く
・出張の飛行機ではテレビや映画を見ず、思考と休息に時間を使う
・その日の最優先事項が終わるまで別のことには一切手を出さない
・日記を10年間欠かさずつけている
・妻のアンナとデートするため、大きなイベントのスピーチ依頼を断る
・フェイスブックを眺めるかわりに、93歳の父親に電話をかける
まだまだあるが、要するに大切なのは「選ぶ」ということだ。周囲に流されず、自分自身の選択をする。それは実に自由な体験だ。
その昔、私がロースクールを辞めたとき、私は次に何をすべきかで迷っていた。
妻に意見を聞きながら、何十、何百というアイデアを出した。
そしてあるとき、車を運転しながら「スタンフォードの大学院に行くのはどうかな」と口にした。
ただの思いつきだったが、ふいに目の前が開けたような気がした。一瞬のうちに、スタンフォードこそ自分の進む道だと確信したのだ。それは疑いようがないほどたしかだった。
ほかの道も検討してみたし、別の大学の書類も取り寄せたが、すぐに違和感を覚えて中止した。スタンフォードしか考えられない。
そこで私は、スタンフォード一本に絞って入学願書を出した。
結果を待つあいだも数々のチャンスに出会い、なかにはかなり魅力的な話もあったが、すべて断った。まだ入学許可は出ていないのに、なぜか不安はなかった。静かな集中と確信に満ちていた。
後期の出願もスタンフォードに絞り、ついに合格通知を受けとることができた。これしかないというタイミングで、これしかないという道だった。そして私は、エッセンシャル思考の力を実感した。
よけいな選択肢に惑わされていたら、スタンフォードに入学することはできなかっただろう。
ハーバード・ビジネス・レビューに連載を持つこともなく、この本を執筆することもけっしてなかったはずだ。
シンプルな人生は幸福である
エッセンシャル思考を身につけるには、それなりに時間がかかる。だがいったん身につければ、その恩恵は一生ものだ。
どんないいことがあるか、具体例をあげてみよう。
◆迷わない
第1章のクローゼットのたとえを思い出してみよう。
クローゼットをきれいに整頓しておけば、自分にとって大事なものがよくわかる。
大量のTODOリストを効率的にこなすより、そもそもTODOリストがすっきりしているほうがいい。
日を追うごとにTODOの数は少なくなり、最優先アイテムと2番目のアイテムの差が大きくなり、自分の本当にやるべきことがクリアに見えてくる。
やればやるほど、エッセンシャル思考はどんどん簡単になっていくのだ。
◆流されない
エッセンシャル思考の人は、自信を持って立ち止まり、ゆっくりと考え、きっぱりとノーを言うことができる。もう他人に振りまわされたり、こき使われたりしない。
他人の言いなりになるのを避けるためには、自分で優先順位を決めるしかない。最初は尻込みするかもしれないが、やろうと思えばきっとできる。自分の力を信じよう。
◆日々が楽しくなる
自分のやるべきことが見えていると、日々の暮らしが充実し、今をもっと楽しめるようになる。
エッセンシャル思考のおかげで、私は数々のかけがえのない思い出を手に入れてきた。よく笑うようになったし、楽しいと思えることが増えた。人生がシンプルになったおかげだ。
ダライ・ラマも言っている。「シンプルな人生は満たされた人生です。幸福に生きるためには、シンプルであることが何より重要なのです」
本質を知り、本質を生きる
エッセンシャル思考の生き方は、意味のある生き方だ。本当に大切なことを大切にする生き方だ。
そのことを考えるとき、いつも思い出す話がある。3歳の娘を亡くした男性の話だ。彼は娘の短い人生を形に残すため、一本の動画をつくることにした。
そこで撮りだめていたビデオに目を通していたのだが、あまりの物足りなさに驚いてしまった。
普段から、旅行や外出の際には必ずカメラをまわしていた。だから数はたくさんあった。
ところが、映っているのは景色や食べ物や建物ばかり。娘の顔のアップなど数えるほどしかない。旅行先の珍しいものを撮るのに夢中で、本当に大切なものをおろそかにしていたのだ。
この話は、私に2つの教訓を与えてくれた。
ひとつは、自分にとって家族がどれほど大切かということ。そしてもうひとつは、人生の残り時間が本当にわずかしかないということだ。
人生はあまりに短い。それは悲しむよりも、むしろ喜ぶべきことに思える。短い人生だからこそ、勇気を出して冒険できる。間違いを恐れずにすむ。
かぎられた時間の使い方を、よりいっそう厳密に選ぼうと思える。
旅行するたびに墓地を訪れるという知り合いがいるが、それも(風変わりではあるけれど)理解できるような気がする。
存分に生きるためには、死を正面から見据える必要があるのだろう。エッセンシャル思考を生きることは、後悔なく生きることだ。
本当に大切なことを見極め、そこに最大限の時間とエネルギーを注げば、後悔の入り込む余地はなくなる。自分の選択を心から誇りに思える。豊かで意味のある人生を選ぶか、それとも苦痛と後悔に満ちた人生に甘んじるか。
この本を読んでくれたあなたには、ぜひ前者を選びとってほしい。人生の分かれ道に直面したら、自分にこう問いかけてほしい。「本当に重要なのは何か?」それ以外のことは、全部捨てていい。
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