Step.2満たされなさと焦燥感……「他人のモノサシ」というゴミを捨てる
「お前は同期の中でいちばん仕事ができない」と上司に言われた。心が折れた。
どうしたら立ち直れるだろう?そこそこの有名企業で働いて、食うに困らない金はあるのに、何か物足りない。充実感がないというか。
満たされなさの理由はなんだろう?年を取って人生を振り返ったとき、後悔のない生き方をしたい。一見すると人それぞれの〝満たされなさ〟や〝焦燥感〟。そこに共通する「頭のゴミ」とは?
「自分」って何?
このステップでは、「自分」というものについて考えます。
「自分」が心から望むゴールを設定するためには、現在の「自分」とは何か?という問題から始めないといけないからです。
「頭をクリアにしたいなあ」とこの本を読んでいる「自分」とは誰でしょうか?私たちは「自分」をどのように説明できるのでしょうか?さあ、今ここは、大規模なパーティ会場です。
私たちは初対面の相手に「自分」を最大限にアピールしなければいけません。「私は鈴木太郎です」あなたは名前を名乗ります。しかし、同姓同名の人が会場にいるかもしれません。「北海道出身です」同じ地方出身の他人も会場にいるかもしれません。
「○○会社に勤めてまして」同じ会社に勤めている人だって会場にいる可能性がありますから、まだ「これが私です」とアピールできません。
「東京の世田谷に住んでいて」「サッカーの○○チームを応援していて」「おでんが好きで」「弟がいて」「○○の資格を持っていて」「去年はハワイに行って」「明るくてノリのいい性格で」「最近スポーツジムの会員になって……」私たちは自分に関する情報を次々と相手に与えます。
しかし、その情報はどれも、「自分という存在そのもの」の情報ではなく、「自分と関係のある存在」に関する情報です。
会社も、資格も、弟も、ハワイも、住所も、おでんも、「自分以外の人や組織や場所や物体」です。
「明るくてノリのいい性格」も、以前誰かに言われたことを受け入れているだけでしょう。これは何を意味するのでしょうか。
「自分」を定義しようとしても、使える情報はすべて「他者」の情報。ということは、「自分」とは、「他者の情報」でできているということ。「自分」とは、「他者との関係にまつわる情報」が寄り集まったものなのです。
ピンと来ない人は、「これが私です!」と断言できるように、「自分」を紹介してみてください。しかしどれだけ言葉を並べても、すべて「自分にまつわる他者の情報」のはずです。
自分という一点から、ハワイ、兄弟、会社、住所、おでん等々のさまざまな点に線が伸びている。
私たちは自分を紹介しようとしても、それら自分以外の点について話すことしかできません。
情報の網の目に自分を定義する「他者の点」がいろいろとある。それが「自分」つまり「自我」です。
このことを釈は「縁起」と呼び、現代分析哲学では「自我とは評価関数である」といっています。それを簡単に言うと、「『自分』とは情報の網の目の一部である」ということです。
部屋を見れば頭の中が分かる
お父さん、お母さん、兄弟、友達などの点が、点と線でつながっています。さらに、会社、住所、ハワイ、おでんなどの点が、点と線でつながっています。点は無数にあります。
芸術が好きな人なら画家や音楽家の名前が自分の点とつながっているでしょう。
ビジネスに興味のある人なら尊敬する経営者が、旅行が好きな人ならお気に入りの旅先が、自分の点と線でつながっています。
そのようにして、無数にある点の中から、自分を定義する点を選びだしているのは、自分自身です。私たちは自分にとって重要なものだけに意識を向けています。
脳には、無数の情報の中から自分にとって重要な情報だけを認識するスクリーニングシステムが備わっています。
そのシステムをつかさどる部位は脳の基底部にあり、RAS(網様体賦活系)と呼ばれています。RASは、自分にとって重要な情報かどうかをより分けるフィルターです。
私たちは、RASの働きによって、自分に関係があると思う情報だけ受け取るようにできているのです。自分に関係がないと思う情報は無意識のうちにシャットアウトされています。
取引先の新しい担当者の趣味がスキューバダイビングと聞いた途端に、スキューバ専門店やTV番組が目につくようになります。
担当者と親しくなろう、という意識が、その存在を認識させたのです。あるいは、「そろそろ新しい腕時計を買おうかな」と思い始めると、急に他人の腕時計が気になりだします。
いつも通っていた道に腕時計のブランドショップがあったことに気づいたり、雑誌の腕時計の広告がパッと目に入るようになったりします。友達と一緒に、ある人の家に招かれた場面を想像してみましょう。
リビングルームには、壁の絵、花瓶の花、棚に並ぶ陶器、シャンデリア、ゴルフクラブ、ソファ、テーブルなどがあります。あなたがゴルフ好きならば、ゴルフクラブがパッと目にとまるでしょう。
そして次にシャンデリア、座り心地のいいソファ、一枚板のテーブル……という順番で意識が向くかもしれません。一方、芸術方面が好きな友達は、まず壁の絵に意識を向けるでしょう。そして、陶器、花……という順番で意識が向いていくでしょう。
ところが、あなたは絵の存在にはまったく意識を向けないかもしれません。それと同じように、友達の記憶にはゴルフクラブの存在がまったく残らない可能性もあります。
そんなふうに、私たちは自分にとって重要なものだけに意識を向け、自分にとって重要な情報だけを頭の中に取り込んでいます。
同じ場所に並んで立って、同じ風景を見ていても、他人と自分とでは別のものを見ています。私たちはみな自分にとって重要なものだけを見ているのです。
そのとき、目や耳に入ってくる無数の情報に対して、無意識のうちに優先順位をつけています。その無意識の優先順位の結果が、私たちの頭の中です。
同時に、あなたが見ている目の前の世界がそのまま、あなたの頭の中なのです。
なぜなら、私たちは、私たちを取り囲むさまざまな情報の中から、自分にとって重要なものだけを無意識のうちに選別して、頭に取り込むものだけを見て、聴いているからです。
例えば、あなたの部屋があなたの頭の中そのものです。なぜなら、私たちの部屋は、大事にしている思い出の写真、大事にしている洋服、大事にしている本、大事にしているCDなど、自分が大事だと思うもので埋め尽くされているからです。
あなたが見ている世界は、あなたが重要だと思っているものだけが見えている世界であり、その世界はあなたの頭の中がそのまま反映されているのです。
あなたは「他人」を生きている
では、「これが重要だ」「あれは重要ではない」と判断しているのは自分自身かというと、そうではありません。
「重要だ」というその判断基準さえも、私たちは外部の他者からインプットされているのです。
前に述べたとおり、私たち一人ひとりは無数の他者の網の目によって構成されている点といえます。その点がよって立つ判断基準も、さまざまな他者でつくられているのです。
例えば、初対面の人と話していて、相手の年齢がつい気になって、「おいくつですか?」などと聞いてしまうのなら、その人の頭の中には他人を計る重要なモノサシとして「年齢」が刷り込まれている証拠。
しかし、その人だって「オギャー」と生まれたそのときから「年齢は大事」などと考えていたわけではありません。
では、「年齢」というモノサシがどこから来ているかというと、それは子どもの頃からの親の刷り込みだったり、これまでの環境で関係してきた他人からの刷り込みです。
発達心理学の世界では、成人が無意識に下す判断のうち8~9割が親のモノマネであるといわれています。
近年では小学生に「将来なりたい職業」を聞くと「公務員」がトップに入るそうですが、それも親が「公務員は安定していていいわよ」「お父さんも公務員だったらよかったのに」などという親の言葉の刷り込みがあるからです。
そのほかにも、「就職するなら大企業」「結婚するならこういう相手がいい」「あれを食べたら体に毒」など、私たちは子どもの頃からずーっと、親をはじめとする身近な人々からさまざまな価値観を刷り込まれています。
最近では小学生のなりたい職業に「正社員」という回答もかなりあるそう。これはまさしく、親の刷り込みの結果です。
それに加えて、私たちとは直接関係を持たない人や物からも、私たちは四六時中、他者のモノサシを刷り込まれています。雑誌の広告やテレビCMは言うまでもありません。
今あなたが自分の持っている洋服に満足していたとしても、「今年の流行の洋服を着た人物が素敵な出会いでハッピーになる」というストーリーの広告を目にしたときから、あなたは自分の洋服が古臭く、みすぼらしく思えてくるかもしれません。自動車のCMも同じ。
幸せそうな家族と犬を乗せた車が外国の海岸沿いを走るという宣伝を見るとき、私たちは無意識に「幸せ」と「車」を頭の中で結びつけています。自動車と幸せなんて、本来なんの関係もないのに……。
一眼レフカメラの宣伝を見ると、一眼レフを買って写真を撮ると毎日が楽しくなるような幻想を抱く。一眼レフを買っても毎日が楽しくなるとは限らないのに……。
このような例は枚挙にいとまがありません。最近では、テレビ番組の内容そのものまで、ダイレクトに価値観の刷り込みになっています。
テレビをつけると、ショッピングチャンネルでもないのに、10分に1度は物の値段が出てきます。物の値段そのものをテーマにしている番組もあります。
そうしたテレビ番組を観ていると、「自分もあそこであれを買わなきゃ損だ」という気持ちにさせられます。必要な物を必要なときに買えば何も損などないのに……。
こうして私たちは始終、外部からの価値観、モノサシの刷り込みにさらされています。
つまり、自分自身の価値観だと思い込んでいるものが、実は他者から刷り込まれた価値観であり、自分のモノサシで生きていると思いながら、本当は他人から与えられたモノサシで生きている。
それがあなたの真の姿なのです。その結果はどうでしょうか。
学歴が大事と刷り込まれ、いい大学に入って大きな会社に入ることが大事だと思い込んできて、見事、一流大学、一流企業に入ったものの、モヤモヤしながら生きている人のなんと多いことでしょう!なんとなく満たされない。
なんとなく不安。大事な何かが欠けている。生きている充実感がない。そんな頭のモヤモヤの要因の一つは「他人のモノサシで生きていること」です。
頭がいつも曇っているのは、あなたというかけがえのない「自分」の中身を、他人のモノサシでいっぱいにしているからです。頭をクリアにしたいなら、他人のモノサシというゴミを捨てねばなりません。
何を手に入れても満たされない理由
私はアメリカのイエール大学、カーネギーメロン大学で長年研究生活を送りましたが、日本に帰ってきて電車に乗ると、非常に暗い気持ちになりました。
スーツを着た人々の多くがモヤーーッとした暗い表情をしているからです。ところが、モヤモヤした頭で電車に乗っている人の中にも、一念発起、転職を決意したり、資格取得を目指して勉強を始めたりする人がいます。
それで見事に転職し、資格を取り、モヤモヤがサアーーッと晴れるとよいのですが、そうはいかないのが現実です。最初はモヤモヤが消えたと感じるでしょう。
しかし、それはただはじめての仕事で緊張するとか、目新しさでごまかされているだけ。和食に飽きて久しぶりに洋食を食べたらおいしかった!というのと同じこと。
だからといって洋食を食べ続けたら飽きてくるように、新しい環境にもじきに飽きが来ます。そして再び頭の中にモヤモヤが生じてきます。
転職エージェンシーの宣伝ではバラ色だったはずの転職後が、必ずしもバラ色続きとはかぎりません。
MBAを取ったら一躍ビジネスエグゼクティブになれると思って頑張ったのに、晴れてMBAホルダーになっても何も変わらない自分を発見する人。
結婚するなら高学歴、高収入、高身長の3Kの男がいい!と信じてきて、理想どおり3Kの相手と結婚したのに不満だらけの人。
欲しい!と思って買った物なのに、買って手にしてみると大して嬉しくない。使わないままに放置されているものが溢れている家。それが刷り込みの結果です。
他者からの刷り込みをもとに思考し、行動し、その結果で頭の中をモヤモヤでいっぱいにする。私たちはそれをくり返しているのです。
「ハワイで過ごす自由」の不自由
ちょっと意地の悪いことを言いすぎましたか?「私は違うぞ!刷り込みでもなんでも、私は私だし、幸せだぞ!」と反論したくなった読者もいるでしょう。
「私はちゃんと私の考えで生きている!」と反論したくなった人や、「言いたいことは分かるけど……」とまだ腑に落ちない人は、自分が今欲しいものや、「こうなれたらいいな」という理想を書いてみてください。
さて、どのような答えが出てきたでしょうか。
「若々しさ」「人々からの尊敬」「同期の中でいちばん出世すること」「会社を辞めて起業すること」「田舎でのんびり暮らすこと」よーく考えてみてください。
本当に欲しいのは「それ」なのですか?なぜそれを欲しいのでしょうか。欲しいと思ったきっかけを考えてみてください。
テレビや雑誌を見ていいと思ったとか、他人を見てうらやましくなったなどの理由ではないでしょうか。
それを「欲しい」という気持ちは、やっぱり他者から刺激され、与えられたのではないでしょうか?ということは、「あなた自身」が「欲しい!」と思ったわけではないのです。
理想とする自分のイメージが、例えば「経営者」だった場合も同じこと。雑誌やテレビに登場する経営者を見て、「経営者ってかっこいい」と刷り込まれてきた結果です。
あるいは、ライバルや友人が起業したのを横目に見て、「自分も頑張るぞ!」と思ったのだとしても、「起業することが偉いこと」「他人が頑張っているから自分も頑張らないといけない」という考え自体が刷り込みです。
経営者と平社員の間に、偉い・偉くないの優劣はありません。「○○は偉い」という優劣、区別そのものが刷り込みです。
他人は他人、自分は自分。ライバルが頑張っているように見えても、あなたはマイペースにやればいい。競争意識も刷り込まれた価値観の典型です。
では、「1年の半分を日本で働いて、残りの半分をハワイでゆったり過ごす!」といった理想のイメージはどうでしょうか。しかし、このイメージだって、メディアの影響を受けているはず。
「あんな自由な生活、うらやましいなあ」と他人を見て生じた理想像です。もっと根本を言えば、「1年の半分をハワイで過ごすのが自由」という考え自体が刷り込みであり、自由どころか、不自由です。
毎日、満員電車で会社に行っている人にも真に自由な人はいます。その人の自由は、その人の「オリジナルのモノサシ」にもとづく自由です。
だから、満員電車で押しつぶされても、会社でこき使われても、他人からどんなふうに見られようとも、その人の心はいつも自由です。その人にはその人自身の人生のゴールがあるはず。
そして高い抽象度で生きていて、「誰に何を言われた」という低レベルのマイナス感情を娯楽にする術を身につけているはずです。
一方、「1年の半分をハワイで過ごす」ことが「自由」だという考えのなんと不自由なことでしょう。ハワイに行かないとその人は自由を感じることができないのですから。
そもそも「ハワイ」と「自由」が結びついているのがメディアの刷り込みの結果です。ハワイと自由とはなんの関係もありませんよね。
セミナーなどで「欲しいもの」「理想のイメージ」を聞くと、同じような答えが並びます。
その人自身が出した答えではなく、他人やメディアから刷り込まれてきたモノサシをもとに答えるからです。
その刷り込みを行なった人たちだって、他人やメディアから刷り込まれた価値観で生きている。その刷り込みをした人たちもまた他者から刷り込まれている……。
というわけですから、「もっとお金が欲しい」「異性にモテたい」「自分の会社を持ちたい」「ハワイはいい」といったみんな似たり寄ったりの答えになる。
他人からの刷り込みで、他人と同じものを求めて、他人と同じ人生を生きようとしている。みんなそのことに気づいていないのです。
一流企業の不満社員
あなたのまわりにもこんな人がいるでしょう──名前を言えば誰でも知っている有名企業に勤めて、ほどほど遊ぶには困らない給料をもらっている。
年収を人に言えばうらやましがられることもある。クルマもある。わりといいスーツを着ている。家には新機種の家電がそろっている。
しかし、いつもどこか満ち足りない顔をしている。充実しているようには見えない。転職したいと言っているが踏みだせない。人生に迷いがある──それはあなたかもしれませんね。
他人がうらやむ会社に勤めて、そこそこのお金があり、欲しい物をあれこれ買っても、満たされない理由。それは、手に入れてきたものが、本当に求めてきたものではないからです。
他人の刷り込みでできた自分が、他人に刷り込まれたものを受け入れてきたにすぎないからです。
メディアや他人を見て「欲しいなあ」「あんなふうになりたいなあ」とそれを求めるということは、自分が自分であることをやめて、他人の思いどおりに生きるということです。
他人のモノサシで他人がヨシとする人生を生きていたら、そりゃあ頭の中だってモヤモヤします。当然ですよね。別に他人と同じものを求めてもいいのです。それであなたがいいのならば……。
でも、もし本当に頭のモヤモヤを消してクリアな頭で生きていきたいのなら、他者からの刷り込みによって操られたままでいいのか、自分はいったい人生で何を求めているのか、ちゃんと考えた方がいい。
先ほど書きだした「欲しいもの」「理想のイメージ」は本当にあなた自身が求めているものでしょうか。
「違うかもな」と思い始めたのなら、あなたは今、自分の頭のゴミの正体の一部が見えてきたのです。
本音にフタをするな
ここでもう一歩踏み込んで頭の中を見てみます。正直に答えてください。あなたは先ほど、噓を書きませんでしたか?欲しいものが例えば「クルマ」だった人。なりたい理想像が例えば「経営者」だった人。
いいクルマを手に入れて、イメージの中のかっこいい経営者になって、願望はそれで終わりですか?本音はどうですか?偉くなって、金持ちになって、いいクルマに乗って、いい服を着て、みんなからチヤホヤされたい。豪邸も欲しい。別荘も欲しい。自由が欲しい。
みんながうらやましがる物を持ち、みんながうらやましがる地位を得て、思いっきりみんなからチヤホヤされたい……。
それが本音ではないですか?「クルマ」や「経営者」は、その本音を象徴するアイテムにすぎない。
「みんなから思いっきりチヤホヤされたい」という本音が自分の「理想像」だなどとは認めたくないから、ていよく「クルマ」や「経営者」と書いたのではないですか?最初に自分が「何が欲しいか」「どんなふうになりたいか」を自問するワークは、自己啓発書や自己啓発セミナーの定番メニューです。
しかし、そこでみんなかっこつけて、自分に噓をついてしまう。
「彼女1人と、彼女100人と、どっちがいいですか?」と聞かれたら、本音では「彼女100人の方がいい!」に決まっています。
「預金通帳の残高が100万円と、100億円だったら、どっちがいいですか?」と聞かれたら、「100億円がいい!」と思うでしょう。
そんな単純な質問なら、笑って本音を言えるのに、自己啓発となるとみんな自分に噓をつく。噓をつくことから始めてしまうから、なんの効果も得られない。
一時的に気分が盛り上がっても、その盛り上がりは続きません。さめたらまたモヤモヤした日々。自分に噓をついたところからスタートしているんですから。
もう一度お聞きします。あなたの「欲しいもの」「理想像」はどんなものですか。本音で答えてください。
書くのが恥ずかしかったら、書かなくてもかまいません。
その代わり、本音が先ほど書いたものと違うのなら、先ほど書いたものを×で消しておいてください。本音の「欲しいもの」「理想像」を頭の中で膨らませてください。そしてその想像で思いっきり遊んでください。
脳内にドーパミン(運動や学習をつかさどる神経伝達物質)がドバドバ出るくらい、臨場感を持って想像してください。
本音の願望を思いっきり自由に鮮烈にイメージしているとき、頭の中のモヤモヤは晴れているはずです。
「現実的には無理だろう」とか、「レベルの低い願望だなあ」などと考える必要は今はありません。非現実的でレベルの低い願望でかまいません。
この本の最後では願望の抽象度が上がっているはずですから大丈夫。まず大事なのは自分に噓をつかないこと。世間の通念や他人の目を気にしないこと。自分の本音の願望を頭の中で膨らませてください。
本音は究極のwant to(やりたいこと)であり、あなたが心から望んでいるものです。それにフタをしてはいけません。
あなたはこれまで本音を封じ込め、本音から目を逸らし、代わりに他人のモノサシを使って生きてきました。
しかし一度しかない人生、それで終わっていいのでしょうか。他人のモノサシを捨て、自分の本音にフタをせず、自分が心から望むものを求めて生きてください。
自分のモノサシで生きよ
なぜ私たちの頭がいつもモヤモヤしているのか。その理由の大きな一つが分かってきましたね。私たちの頭がスッキリしていないのは、私たちが「他人でいっぱい」だからです。「他人のモノサシで自分を計りながら生きている」からです。
他人によって「これが重要」「これがかっこいい」と思わされているからです。他人の目を気にして本音にフタをしているからです。ゴールを設定せず、やりたくないことをやっているからです。
つまり一言で言えば、「私たちの頭は他人でいっぱい」だから、私たちの頭はいつもモヤモヤしているのです。頭のゴミの正体は、他者からの刷り込み。子どもの頃から親や周囲や世間から刷り込まれ堆積してきた価値観やルール。頭はガラクタでいっぱいで、まさにゴミ箱状態。
頭のモヤモヤを消したかったら、集中力や思考力を高めたかったら、他人から与えられたモノサシを捨てることです。
頭に詰め込まれた「他人」が、あなたの本来のエネルギーと能力をブロックしているのです。他人のモノサシに頼らないこと。自分の価値観で生きること。
そして、自分が本当に欲しいもの、自分が本当に理想とする姿を知ること。そのゴールに向かって、自分が本当にやりたいことをやって生きていくこと。
頭のゴミを根こそぎ掃除するためには、それ以外に方法はありません。ほかの方法はすべて対症療法。一時的に気分が晴れてもすぐに元の木阿弥です。
「他人のモノサシ」は私たちの生活のいたるところに浸潤して、私たちをモヤモヤさせています。その典型をおさえておきましょう。読んだはじから捨ててください。
比較するからモヤモヤする
他人と自分を比べたり、世間の平均やランキングと自分を比べるのも、モヤモヤの発生源です。私たち一人ひとりは、網の目の点です。
網の目の点に大小の差も優劣の差もありません。なのに人に優劣をつけているのは社会のゴミのような価値観です。
「お前は同期の中でいちばん仕事ができない」と上司に言われたとします。しかし、心が折れる必要などありません。仕事の成績とあなたの価値とはなんの関係もないからです。
仕事の成績がよい方が人として優れていると感じるなら、それは会社のモノサシというゴミで頭が占領されているからです。あなたは自分なりのモノサシで自分の価値を計ればよい。
自分のモノサシで自分の仕事ぶりを評価し、自分のモノサシでワークライフバランスを計り、自分のモノサシで自分の働き方・生き方を決めていけばいいのです。世間は何事も数値化して比較するのが大好きです。
平均年収だとか、会社別の年収ランキングだとか、結婚適齢期だとか……。すべては社会のゴミのようなモノサシです。私たちがそのゴミのモノサシを気にする必要などありません。
競争するからモヤモヤする
社会には競争原理が隅々まで浸潤しています。競争社会のモノサシに寄りかかっているということは、「常に勝ち続けないといけない」という強迫にみずからをさらしているようなもの。
負けたら頭の中はショックやパニックやモヤモヤでいっぱいです。勝って一時的な陶酔を得たとしても、またすぐに次の勝負に向けて臨戦態勢です。
しかも、競争で他人に勝って得た陶酔は、自分以外のできあいのモノサシに依存して得たにすぎません。自分自身が望んで得たものではないのです。
他人との勝ち負けなど関係なく、自分のモノサシで自分を計らなくてはなりません。
もしあなたが会社の同僚などとの競争で、勝った負けたで一喜一憂しているなら、自分のその大人げのなさを大いに反省してください。
競争原理というモノサシでは、勝っても負けても頭の中は永遠にモヤモヤだらけです。
私たちはこれから、競争する以外で自分の価値を自分で計るオリジナルのモノサシを持つのです。
「常識のモノサシ」こそゴミ
会社で出世している方が偉い。起業して成功している人は偉い。医者は偉い。弁護士は偉い。金持ちの方が偉い。恋人がいる方が幸せ……。そんな世間に溢れている「常識のモノサシ」こそゴミです。
そんなゴミで頭をモヤモヤさせる必要はありません。出世するのかしないのか。結婚するのかしないのか。そんなことは自分の価値判断で決めればよい。
世間で訳知り顔で幅を利かせている「常識のモノサシ」に振り回されることを私たちはやめるのです。
周囲の目もゴミ
自分が他人にどう見られているかというのも、頭のモヤモヤをつくりだすもとです。周囲の目を気にして、自分が正しいと思うことも、自分がやりたいこともできない。
反対に、周囲の目を気にして、周囲にウケがいいように、他人が望んでいることをする。
いずれにしても、モヤモヤは溜まる一方で、自分本来の能力や魅力を発揮することはできません。
ここで理解してほしいのは、「自分は他人の目にこんなふうに映っているんだろうなあ」というイメージは、あなた自身がつくりだしているということ。
他人の目に映っている自分というものは、自分がつくりだしている虚像です。
「他人の目から見た自分」そのままを、自分で見ることはできないのですから、当然、それは自分が勝手につくっている虚像なのです。
自分がつくりだした虚像なのですから、つくらなければ周囲の目は気にならなくなります。周囲の目を意識して萎縮したり、不安になったりすることはなくなります。
後悔のない生き方をするために
このステップでは、「自分が他人からの刷り込みでできている」ことを見てきました。
「年を取って人生を振り返ったとき、後悔のない生き方をしたい」本気でそう思うのなら、自分の中の「他人のモノサシ」を捨て、あなたが心から望むものを、あなたが自分で選び直してください。
しかし、ここである疑問を感じる読者がいるでしょう。
「望むものを選び直すその『自分』は、これまでの20年、30年の刷り込みでできている。その過去を『なかったことにする』ことはできないだろう?」
できないと思うのは、間違った刷り込みの常識にとらわれているから。正しい認識を持てば、過去は私たちになんの影響も与えません。
その「正しい認識」を次のステップで見ていきます。
三つの悩みへの回答本音にフタをせず、「他人のモノサシ」というゴミを捨て、心から望むものを求めて生きよ。そうすれば、本来の能力を発揮できる。
Step・2のポイント
●人間は自分が重要だと思うものだけを見ている。
●「重要だ」と判断する主体である「自分」とその判断のモノサシは、「他人からの刷り込み」でできている。
●頭の中がモヤモヤするのは、あなたが「他人」を生きているから。
●「他人のモノサシ」を捨て、「自分のモノサシ」で生きよ。
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