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chapter2徹底的に「ムダ」な時間を殺せ

chapter2徹底的に「ムダ」な時間を殺せ5世間を意識して悩むという最悪のムダ6シンプルとスピードが最強である7「すきま時間」は「黄金の時間」8デスクに長く座っている人間は無能である9会議中でも能動的にスマホをいじる10得意なことに集中投資しろ11継続自体に価値はない12時間を食い逃げする人間関係は手放せ

あなたの人生を削っていくのは「他人時間」だ。ただし、勘違いしないでほしい。他人時間の正体は、「他人そのもの」ではない。

時間を手に入れることを真剣に考えるとき、何よりもの敵は「自分」である。そう、ほとんどの「他人時間」の発生源は、あなた自身のなかにある。

ほかでもないあなた自身が、貴重な「自分時間」を捨てている犯人なのである。なぜそんなことになるのか?その原因は、あなたが「悩んでいる」からだ。人生における最大のムダ、それは「悩み」の時間である。

悩むのは、何か決まった問題に対して前向きに解決策を考えるのとは違う。本当は「こうしたい」という自分なりの答えがあるのに、ロクでもない「プライド」や「自意識」が足を引っ張っている状態なのだ。

ぼくがやっているオンラインサロンでも、それなりに答える価値がある質問からクソみたいな人生相談まで、じつにさまざまな悩みが寄せられるが、「お悩み相談」に対するぼくのスタンスは昔からずっと変わらない。

思えば、ライブドアの社長時代にも、「起業しようかどうか迷っていて……」などとぼくのところに相談に来る社員はよくいた。

そんなとき、ぼくはいつも「やりたいんでしょ?やればいいじゃん。明日には辞表を出しなよ」と答えていた。これは、別に意地悪で言っていたわけでない。

むしろ、これこそが正しい悩みへの対処法だといまだに信じている。悩みがあるのは、別の「やりたいこと」が生まれている証拠だ。

しかし、ほとんどの人はここで、変なプライドが邪魔をする。

「失敗したときに、みんなにバカにされたら恥ずかしい……」「大企業を辞めて、小さな会社で働くのはみっともないかな……」「親戚や同級生、同期はどんな目で見るだろう……」こんなものははっきり言って、ただの自意識過剰だ。

みんな自分のことに精一杯だから、他人の行動が賢明かどうかを気にかけているほど暇ではないのだ。

あなただって、いちいち他人のバカな行動を監視しながら生きているわけじゃないだろう。自意識が描き出す「世間」は、心のなかの幻である。あなたが勝手に気に病んで、勝手につくり出しただけの妄想――。そんなものは全部取っ払ってしまえばいい。

そうすると、「起業したい」とか「会社を辞めたい」という本音が出てくる。あなたがこうした思いを持っていることこそが揺るぎない「事実」であり、すべてはそこを出発点にするべきなのだ。

悩んでいる人の99%は、このシンプルな「心の事実」のまわりに、余計な「世間」をゴチャゴチャとまとわりつかせて、何も行動が起こせなくなっている。

このときに必要なのは、このゴチャゴチャを1つずつ解きほぐし、解決していくことではない。むしろ、それらをズバッと全部削ぎ落とし、シンプルに本質を見直すことだ。

「ホリエモンだから、そんなふうに考えられるんだ」なんて思わないでほしい。

ぼくだって最初からなんでもシンプルに考えられたわけではないし、ウジウジと悩んだりした経験だってある。まずは、「シンプルがいい、シンプルがいい」と自己暗示をかけるところからはじめよう。

「もしかしたら……なのでは?」とか「もし……だったら、どうしよう」というような「世間」は捨てて、自分の「本音」を見定める。

ほとんどの人は、自分の本音すら見えなくなっているから、それだけでも大きな前進だ。

□あなたの悩みには、どんな「世間」が隠れているだろう?

時間を増やすうえでは、「シンプルに考える」ことが欠かせない。

そんな話をすると、「そうは言っても、現実の社会のなかでは、なかなか単純に割りきれないこともあるんですよ」と愚痴をこぼす人がいる。

そんな人間の事情など知ったことではないが、何よりも気に食わないのは、そういうことを言う人は、「物事を『複雑に考える』ほうが難しい=価値が高い」と考えているらしいということだ。

思い上がりもいいところである。真実や価値あるものは、いつだってシンプルだ。

たとえば、アインシュタインの「一般相対性理論」は、その背景には複雑な計算式を持っていながらも、最終的には「E=mc2」という等式で表現される。

広大な宇宙の仕組みを説明するアイデアが、たったこれだけの式に集約できるのだ。「シンプルこそが最高」ということは、人類が長年の経験から得た教訓ではないかと思う。

実際のところ、物事なんて複雑に考えるほうがラクなのだ。世の中はいくらでも複雑に考えられる。

それなりに頭がよければ、もっともらしい理屈をつけて、いつまでも考えを引き延ばしていられるから気楽なものだ。

むしろ、シンプルに考えるほうが、一定の「勇気」や「エネルギー」が必要になる。企業の経営者を見ていても、シンプルに考える能力がある人とない人がいる。

はっきりと明暗が分かれるのは、「会社にとって最も大切なことは?」という質問だ。

こう聞かれたとき、「社会に貢献すること」とか「従業員を幸せにすること」とか「顧客の満足」というトンチンカンな答えをしてしまう経営者には、物事をシンプルに考えようとする「覚悟」がないなとぼくは感じる。

「社会貢献や従業員満足なんてバカらしい」という話がしたいわけではない。考えればわかることだが、株式会社の本来の目的は「株主へ利益を還元すること」である。

それ以上でも以下でもない。そのために、よいサービスや商品をつくって売る。それで顧客は満足する。そうなれば、納税額も増えるし、投資マネーも集まって、経済が活性化される。

こうして結果的に、社会貢献が実現される。これが正しい順序というものだ。このシンプルな原点すら見失っている社長が多い。

そのせいで、ムダに複雑に考えてしまい、時間を浪費してしまう。ビジネスの最前線では、いつもスピードが命である。

シンプルに本質をおさえた思考ができない人は、いつも「時間の勝負」で敗北することになる。個人についても、まったく同じことが言える。

「好きな仕事に思いっきり打ち込みたい。でも、家族と過ごす時間も大切にしたいし、趣味や勉強の枠もしっかりと確保したい。収入はたくさんほしいけど、やっぱりリスクは取りたくないから、このままサラリーマンがいいなあ」こういう人は、自分の欲望の本質がわかっていない。

世の中はトレードオフが原則だ。例外はない。これらの希望をすべて叶えることなどまずできないし、そんな虫のいい話があるとすれば、眉唾だと思ったほうがいい。

「シンプルに考えて、自分時間に満たされた人生を生きる」とは、全部を思いどおりにして、「あれも、これも」をバランスよく手に入れるということではない。

むしろ、本当に大切にしたいこと〝以外〟はすべて手放し、自分の根本的な欲求に向き合うことなのだ。

「自分にとっていちばん大切なことは何か?」――それをシンプルに絞り込めた人こそが、自分の時間を手に入れているのである。

□「あれも、これも」の思考に陥っていないか?

時間のムダを減らすということで言えば、「悩むのをやめること」の次に重要なのが、「すきま時間」の使い方だ。

ちょっとした待ち時間だとか移動時間、次のアポまでの空き時間など、予定と予定のあいだには、たいてい「すきま」が生まれる。

いちばんいいのは、こういうダブつきが出ないように、なるべく予定を詰め込んでしまうことなのだが、それでもある程度のブランクは生まれてしまうだろう。

そのとき大事なのが、この「すきま時間」をどれだけ有効活用できるかである。

注文したランチが出てくるまでの5分間を、なんとなくぼーっと過ごしてはいないだろうか?商談に移動する電車やタクシーでの10分間を、大して興味もないスマホゲームやくだらないSNSの話題のために、ムダにしていないだろうか?「時間がない、時間がない」と嘆いている人にかぎって、こうした時間を平気で浪費していたりするものだ。

本当にもったいないと思う。ぼくにとっては、このかぎられた5~10分こそが、最高に集中できるゴールデンタイムだったりする。

すきま時間をうまく使うコツは、あらかじめ「そこでやる作業」を明確に決めてしまうことだ。

たとえば、「このあと5分の空き時間がある」とわかっているときには、ぼくは「あの原稿のあの箇所をチェックしよう!」と前もって決めている。

「タクシーで30分移動する」というときには、「10分くらいかけてアプリ類をざっとチェックして、そのあと20分でウェブ記事の原稿2本を確認するかな……」などと考える。

すきま時間のいいところは、「締め切り」があることだ。

その後ろにはすぐに「別の予定」が控えているからこそ、「時間内に終わらせねば……」というプレッシャーを生むことができる。

ようするに、ダラダラと仕事をしなくなるのだ。

だからこそ、仕事はなるべく細かく分解し、いつでも短いすきま時間でサクサクとこなせるようにしておくのが望ましい。

そもそも現代人は、そうやって細切れになった情報を消費することに慣れてきているから、相手に「ムダな待ち時間」を生まない仕事スタイルのほうが、評価されやすくもなっているのだ。

いまや、人々のすきま時間を制する者こそが、ビジネスを制すると言ってもいい時代だ。

たとえば広告ビジネスの世界でも、圧倒的に伸びているのはモバイルにおける運用型広告・動画広告であり、4年連続で2桁成長を果たしているという。これはすきま時間ビジネスの最たるものだろう。

ぼくが発行するメルマガでも、それぞれのコンテンツは「すきま時間にサクッと読める」ということを何よりも大切にしている人々には「すきま時間を埋めたい」という思いがある。

現代において「爆発的に売れるもの」には、多かれ少なかれ、すきま時間が絡んでいるのである。

これは裏を返せば、ありとあらゆるビジネスが、あなたのすきま時間をお金に変えようとして、手ぐすねを引いているということ。

だからこそ、ちょっとした空き時間を漫然と過ごしてはいけない。

「この5分で何ができるか?」をつねに意識し、それを最大限に活用するだけで、あなたの手元の時間はかなり増えるはずだ。

□5分・10分単位の「すきまタスク」をリスト化しよう

「スマホを持つようになってから、時間がなくなった」と感じている人は多いだろう。

現代のビジネスは、とくにモバイルデバイスを通じて「顧客の時間」をいかに獲得するかを競い合っている。

よって、ちょっと油断していると、スマホに大量の時間を奪われることになる。そういう側面は間違いなくある。

しかし他方で、すきま時間の有効活用を考える場合、やはりスマホを避けて通るわけにはいかない。

スマホは、ちょっとした短い時間から、無限の価値を生み出すことにかけては、ほかのどんなツールにも負けない。

スマホの登場でかえって時間がなくなったという人がいる一方、この「魔法のツール」を使いこなしている人は、より多くの時間を手に入れることになった。ぼく自身もその一人である。

ぼくはいま、すべての仕事をスマホでこなしている。以前ならいちいちPCを立ち上げてブラウザで見ていたようなニュースも、スマホのアプリがあれば十分だ。

メールもほとんど使うことがなく、たいていのコミュニケーションはLINEで済ませている。

フリック入力がタイピングの速度を上回ってからは、原稿だってスマホで書くようになった。

すべてがスマホで完結するようになると、ムダなすきま時間がなくなる。

日中のちょっとした10分の空き時間をボーッと過ごしてしまうのは、あなたのなかに「パソコンがないと仕事できない」という思い込みがあるからだ。

毎朝、オフィスに向かうために30分とか1時間を満員電車のなかで身動きが取れないまま過ごすのは、デスクにいさえすれば、仕事をした気分になれるからだ。

いちいち客先に出向いて打ち合わせをしたり、電話で直接話したりしないと気が済まないのは、「LINEで伝えると失礼になる」と勝手に思っているからだ。

そんなものはすべてくだらない思い込みだ。スマホが使える時代に「空間」に縛られた働き方をしている人は、必ず「時間」をムダにしている。

スマホを使えば簡単に手に入るすきま時間をみすみすドブに捨てているのだ。オフィスのパソコンやデスクでしか仕事ができないということは、時間の損失そのものなのである。

本当にすきま時間を有効活用したいなら、「いかにパソコンに触らないで済ませるか」「いかにデスクに近づかずに仕事を終わらせるか」「いかにスマホだけで作業を完結させるか」を真剣に考えたほうがいい。

自由な時間を手に入れるためには、時間そのものよりも、場所の制約から逃れて、空間の自由を獲得することを考えるべきなのだ。

そのためには何をおいてもスマホだ。スマホの活用法をあまりにも甘く見すぎていないだろうか。

かつての生産現場では、労働者を工場内の決まった場所に拘束し、そこで一日分の時間をたっぷりと「搾取」するというシステムがあたりまえだった。

しかし、現代においては、そんな仕組みが必要な仕事はほとんどない。にもかかわらず、いつまで18世紀に起こった産業革命以来の慣習に縛られているつもりだろうか。

「現代人はスマホに依存している」などという批判もあるが、まったくバカげた話である。

あなたが残りの一生のうち、すきま時間を有効活用できれば、どれくらい「寿命」が延びるか、考えてみてほしい。

70億人強の全人類が、無為に過ごしていた時間を使えるようになったら、それこそ地球規模での価値創造が可能になるだろう。

「スマホ依存」の批判者たちが、どんなデメリットを考えているのかは知らないが、やはりスマホが価値を生み出すポテンシャルには、計り知れないものがあるのだ。

□今日からパソコンで打つメールを減らしてみよう

時間の有効活用に関しては、「時間の密度を濃くする」という方法もある。

何か具体的な予定が入っているときにも、ずっとそれだけに集中していなければならないなんてことはまずない。打ち合わせや会議の途中にも、目に見えないすきま時間は生まれているのである。

それなら、無理のない範囲内で、別のことをやればいい。このマルチタスキングこそが、時間の「密度アップ」につながる。

ぼくはインタビュー取材を受けている最中だろうと、知人たちと食事をしているときだろうと、ちょっとでも「見えないすきま時間」があると気づけば、すかさずスマホをチェックする。

テレビの生放送だろうが収録放送だろうが、カメラの前でもスマホを取り出していじっている。それくらい徹底しているのだ。たとえば「朝まで生テレビ!」。

あれは、建前上は討論番組ということになっているが、実際には、出演者たちが言いたいことを勝手に口走るだけのコンテンツだ。

何か議論を積み上げているわけではないので、話の筋を追っていても仕方がない。

だからぼくは生放送中であろうと、LINEに来ていたプロジェクト案件に返信をしたり、編集者から送られてきた原稿にコメントしたり、ハッシュタグでツイッターを検索して、視聴者たちがどんな反応をしているのかをチェックしたりしていた。

こうやって同時並行で別の作業をすることで、ぼくの時間ははるかに有意義なものになる。

もしそこで、じっと座ったまま、おっさんたちのくだらない話を聞いていれば、ぼくの時間の充実度はかなり下がっていただろう。

「大事なことについてはシンプルを心がける。『あれも、これも』と欲張らない」「優先度が大して高くないことは、無理のない範囲で、同時に片づける」この2つがぼくの時間の使い方の鉄則だ。

「仕事も、家族も、お金も、安定も、趣味も……」という欲張りがバカげていることはすでに書いたとおりだ。

人生において何を優先するかについては「1つずつ、どっぷり集中」を心がけたほうがいい。

逆にどうでもいいことについては、できるだけマルチタスキングでさっさと片づけるべきだ。一個一個を丁寧にやる意味がない。

しかしどうやら世の中は、これと真逆の価値観を持っている人が多いようだ。

生放送中にスマホをいじっていたぼくを見て、「マナーがなっていない」などと説教を送ってくるアホがいる。

「同時にやる=けしからん!」というわけだ。

会社をやっていた頃には、会議中に社員が携帯をいじっていても、ぼくは注意したりしなかった(もちろん、会議をおろそかにして、話を聞き漏らすようなことは論外である)。

何より、社長であるぼく自身が、率先して会議中にもケータイで株価をチェックしたり、別案件のメールに返信したりをしていたから当然である。

会議だってずっと議論が白熱しているわけではない。単なる報告が行われているときなら、ほかのことをしながらでも十分話はインプットできるはずだ。

だからぼくはつねに「すきま時間はないか」を探しながら、その一方で「同時にできることはないか」を貪欲に嗅ぎ回っている。

たとえば、ぼくは健康のために、ある程度のフィットネスをやっているが、基本的に屋外ランニングはやらない。走るときにはルームランナーを必ず使う。

マシンを使ってランニングをすれば、走っている最中にもスマホで動画を見たり、音楽を聴いたり、ツイッターのタイムラインを追いかけたりすることができるからだ。

同じことを屋外のランニングでやるのはあまりにも危険だ。その意味では、「同時にやりやすいかどうか」を基準にしながら、ふだんの行動をデザインしていくといいだろう。

□一日のなかでも「密度が薄い時間」はいつだろうか?

本当の意味で時間に革命を起こそうとするなら、自分一人だけでがんばっても限界がある。積極的に「他人」を使うべきなのだ。

人に任せることをしないかぎり、実感として時間が増えることはまずない。「全部を自分でやろうとしない」というのは、時間術の核心である。

はたから見ると、ぼくはものすごくいろいろなことができる人間に映っているらしい。

しかし正直なところ、「スキルの幅」に関しては、ぼくは決して天才レベルというわけではない。

ときどき経営者のなかには、何をやらせても一流のオールラウンダーがいたりするが、ぼくは間違いなくそういうタイプではない。

起業した頃から、会計とか税務は外注先に丸投げでお願いしてきた。取引先への支払い手続きも自分でやったことがないし、書類の記入もスタッフに頼むケースがほとんどだ。

これは別に、単に面倒臭いからそうしているわけではない。シンプルに言えば、こうした仕事は「ぼくがやる必要がない」のだ。

ぼく以外でもできることは専門知識や適性がある人に任せて、ぼくは自分が得意なことに集中する。

そもそも会社に赤の他人同士が寄り集まる意味は、そこにしかない。チームワークとか絆など全部まやかしだ。

得意な人が得意な仕事に集中し、より多くの利益を上げる。そのために会社があるのだし、それができない会社に存在価値はない。

プライベートでも同じだ。

刑務所から出てきて以来、ぼくはいまホテル暮らしをしており、もう何年も自分で掃除・洗濯をやっていない。

移動はタクシーだし、食事もすべて外食。ファッションについても、センスのいい知人が選んでくれる服を言われるがまま着ているだけだ。ようするに、衣食住のすべてが「人任せ」なのである。

掃除、洗濯、運転、料理、ファッション、どの領域においても、自分よりも得意な人がいることをぼくは知っている。

ぼくよりも片づけが大好きで、しかもうまい人はいるだろう。ぼくよりも料理に情熱を持っていて、実際においしい食事をつくれる人だってゴロゴロといる。

いつも時間がないと言う人は、自分の「コアバリュー」が見えていない。だから、得意でないことに手を出して疲弊し、誰でもできる雑務を抱え込んでパンクする。

これは能力的に優秀かどうかという話ではない。むしろ、自分に自信がある器用な人ほど、他人に任せられないものだ。

ぼくはプログラミングが好きだし、それなりに得意だと思っているが、2000年前後からはそれもやめてしまった。ぼくより速く正確にコードを打ち込める人材はいくらでもいるからだ。

ぼくは自分に何ができるか、自分は何が得意なのかをよく知っているし、自分より優秀だと思えば、躊躇なくその人に任せられる。

変なプライドがまったくないことが、ぼくの強みなのだ。より多くの時間を手に入れられるのは、いつも「できません。代わりにやってください」と言える人だ。

「はい、自分でがんばってみます」しか言えないプライドの高い人間は、どんどん時間貧乏になっていく。世の中はそうなっているのだ。ただしこれは、「人をこき使え」「時間を奪い合え」という話ではない。

何かを他人に任せることで、あなた自身もその人も同時にバリューを発揮できることが望ましい。

任される側も気持ちよくなる任せ方ができない人は、必ず信頼を失い、しっぺ返しを食らうからだ。

双方の「自分時間」が増える任せ方をしたほうが、結果的には得をする。これは覚えておくべきだろう。

□くだらないプライドで仕事を抱え込んでいないか?

くだらない悩みにとらわれたり、物事の優先順位を絞り込めなかったり、なんでも自分でやろうとしてしまう人には、1つの共通点がある。

それは、物事を「全か無か」「ありかなしか」「勝つか負けるか」のように、両極端でしか見られないということだ。

これをぼくは「ゼロイチ思考」と呼んでいる。この話をすると、「ホリエモンこそゼロイチ思考ではないか」などと言われることがある。

ぼくはいつも意見をはっきりと言うから、何事も白か黒かで考えているように見えているのだろう。しかし、それは誤解だ。

たとえば、ぼくが「文句を言いながらダラダラと会社員を続けているやつはバカだ」と言ったりすると、「でも、誰もが起業家として成功できるわけじゃありませんよ!」などと食ってかかってくる人がいる。

また、ぼくが狭義の「家族」を否定して、「同じパートナーと一生を連れ添うのはゴメンだ」と語ると、「そんなことをしたら、社会のモラルが壊れる!」とか、「誰が子どもを育てるんだ!」という批判が飛んでくる。

おわかりだろうか?ぼくはひと言も、「世の中全員が起業家になるべきだ」とも「すべての家族は不要だ」とも言っていない。

しかし、トンチンカンな批判をしてくる人たちは、ぼくの話を勝手に一般化して、それに嚙みついているのである。

こういうバカげた誤解が起きるのは、彼らが「ゼロかイチか」でしか物事を考えられていないからだ。しかし、世の中のたいていのことはグラデーションになっている。

昔ながらの結婚制度で幸せになれる人もいれば、そうでない人もいる。

サラリーマンが性に合っている人もいれば、ずっと同じ会社にはいられない人もいるし、そもそも組織に馴染まない人もいる。

両極の中間には無数の「グレー」が存在している。「人それぞれ」というだけの話ではない。同じ個人であっても、「時間」の軸を入れてみれば、ずっと一貫しているわけではないはずだ。

ある時期には「家族とずっと一緒にいたい」と思うこともあるだろうし、「月に1回、家族と会えればいい」という価値観の時期だってあるだろう。

それ以外にも無数の家族観があっていい。世界は「AかBか」というように割りきれるものではない。

それなのに「ゼロイチ」の発想に縛られている人は、「一度Aを選んだら、Aを継続しなければならない」と考えている。

だからこそ、Aを選ぶことを重大に捉えてしまい、結果として動けなくなる。AとBを両方優先しようとして、一人で抱え込んでしまったり、ひどく消耗したりする。

手元から時間がなくなる原因の大部分は、ゼロイチ思考にあるのだ。「継続は力なり」などという言葉を真に受けてはいけない。「続けられるかどうか」なんて考えずに、まずはじめればいい。ダメならほかに乗り換えるだけだ。

ぼくは飽きっぽい性格だから、そもそも「継続の喜び」のようなものをまったく理解できない。インターネットビジネスに思いっきりのめり込んでいたのも、結果的にそうなったというだけでしかない。

継続というのは単なる結果なのだ。以前にかなりハードなダイエットをはじめて、1カ月で10㎏くらいの減量をしたときも、「無理なダイエットは続きませんよ!」などと忠告をしてくる人がいた。

余計なお世話だ。リバウンドしたら、またやせればいい。ダイエットがイヤになったらやめればいいし、やっぱりやせたいと思えばそのとき考える。それだけだ。短期目標こそが、人生をたのしむための秘訣だ。いつだって短期集中型でいい。

「やせると決めたら一生やせていないといけない」「サラリーマンをやめたら、死ぬまでフリーランス」なんて誰も言っていない。

大事なのは「続けること」ではなく、「動き続ける」ことだ。動くためには、やる前から継続なんて考えるほうが愚かなのだ。

□「1週間後に○○する」短期目標を立ててみよう

「〝いい人〟ってどういう人ですか?」こう聞かれたとき、たいていの人は「やさしい人」「信頼できる人」「一緒にいて落ち着く人」などと答える。

しかし、これらはどれも曖昧で、その時々によって意味が違ってくる。

その結果、「いい人」だと思っていた人が、そうでなかったことが判明したりすると、大きなショックを受けたり、悩んだりということになる。

問題はあなたの価値の軸がはっきりしていないことだ。

「タイムイズライフ」、つまり、「最も大切なのは時間」という価値観があれば、「いい人」の意味ははっきりする。

それは「あなたの時間を奪わない人」「あなたの時間を増やしてくれる人」である。それ以上でも以下でもない。

これを基準として持っておけば、人生においてどの人間とつき合うべきで、どの人間を切り捨てても問題ないかがはっきりする。

いくらつき合いの長い友人だろうと、いくら世話になった上司だろうと、いくら魅力的な異性だろうと、あなたから時間を奪う人は、端的に言って「悪い人」である。

その人はあなたの人生の価値の源泉、すなわち時間を削り取っていくからだ。そういう人間は、「他人時間の猛獣」そのものだ。

その人とつき合っているかぎり、あなたの時間は削り取られ、人生は少しずつ食い殺されていく。そういう人とは距離を取るにかぎる。

逆に、あなたにできないことを代わりにやってくれて、あなたのコアバリューを引き出してくれる人、しかも同時に、相手もメリットを感じてくれるような人――それこそが「いい人」、あなたの人生に必要な人だ。

性格がいいとか、社会的な地位があるとか、信頼できるとか、血がつながっているとか、そういうことはどうでもいい。ぼくの時間を増やしてくれるのなら、どんな無礼なやつでもかまわない。

道を歩いていると、ときどきぼくのことを呼び止めて、「堀江さんのファンなんです!」とか「本を読みました。感動しました!」とか「ツイッターをいつも見ていますよ」などと言ってくる人がいる。

また、ぼくがやっているオンラインサロンでも、「今日は大変貴重なお話ありがとうございました。ぼくが感銘を受けたのは3点ありまして……」などと勝手に語り出す人がいる。

こういう人たちの言動に、ぼくは1ミリも心を動かされない。いや、虫の居所が悪かったりすると、キレることすらある。どれもぼくの時間を奪う行動だからだ。以前、新幹線で激怒したことがある。

スマホを見ていると、前に座っていた人がこちらを振り返って何かを言っている。わざわざイヤホンを取って「何ですか?」と聞き直すと、彼は「すみません、座席を倒してもいいでしょうか?」と聞いていたのだ。

座席なんて倒したいなら倒せばいい。

ぼくの時間を奪ってまで、そんなことを確認してこないでくれ!「そんなことで怒らなくても……」とお思いだろうか?ぼくにとってはどこまでもあたりまえなのだが、世の中の価値観のなかでいちばん摩擦が起きるのもここだ。

なかなか理解してもらえない。しかし、時間がいちばん大切だという前提に立てば、何度考えてもこの結論にしかならない。

くだらない人間関係や礼儀に執着している人は、やはり時間の大切さを本質的には理解できていないのではないだろうか。

□あなたの時間を最も奪っているワースト3は誰か?

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