chapter4「夢中」が時間密度を濃くする21努力するな。
ハマれ22力を抜きながら、かぎりなく熱中する23「ストレス時間」を徹底的に減らせ24「経験」とは自分で足を踏み出した歩数25報告会議は時間の「集団自殺」26「時間の換金グセ」をやめないと、一生あくせく働く27悪口・ゴシップは時間を食い荒らすドラッグだ28自分が気持ちよくなるルールをつくれ
「どうやったら、夢中になれることが見つかりますか?」などと聞いてくる人がいる。
自分のやりたいこともわからないなんて、ぼくからすれば救いようのない話に思えるが、意外とそういう人は多いみたいだ。
まず言えるのは、やりたいことや夢中になれることは、探すようなものではないということだ。これはすべてに言えることだが、そもそもぼくは「個人の努力」を信じていない。
ぼくの頭のなかにあるのは、一本の大きな「川」だ。そこにプカプカと浮かびながら、流されているのがぼくたち人間である。必死で手足をバタつかせれば、川の対岸に行けたりすることはあるかもしれない。
がんばって練習をすれば、泳ぎがうまくなったりもするだろうし、もともと泳ぎの能力が高い人もいるに違いない。
だがそれでも、流れに逆らって泳ぎ続けることはできない。下流に向かってただ流されるしかないという点では、みんな一緒である。だからぼくは、ムダな努力はしない。流されるがままだ。
力を抜いて水面に浮かんでいれば、余計なストレスはないし、運悪く水を飲んでしまうこともない。じつに快適なものだ。
そうやってリラックスしていると、ときどき川のどこからか「果物」がこちらに流れてくる。手を伸ばしてかじってみると、とてつもなくうまい。
そうやって次々に視界に入ってきた「果物」に夢中になっているのが、ぼくの人生だ。この「川下り=人生」をたのしむうえで、大事なことは2つある。
まず、自分から「果物」を探し求めたりはしないこと。人が食べているものをうらやんで、必死に同じものを手に入れようとしても疲れるだけだ。
それが自分の口に合うともかぎらない。そしてもう1つは、少しでもうまそうだと思ったら、選り好みせずに手を伸ばしてみることだ。
「やりたいことがない」と言う人は、じつは気になっている「果物」があるくせに、いろいろと言い訳をつけて、それを意識の外に追いやっているにすぎない。
「これに夢中になったら、あまりかっこよくないな……」とか「こんなものにハマっても、どうせ大してお金にならないし……」などと、ブレーキをかける必要はない。
気になったのなら、まずはそれにかぶりついてみるべきだ。何を隠そう、ぼくがインターネットに出会ったのも、何も考えずに1つのことにハマった結果だ。
東大生時代、競馬にどハマりしたぼくは、毎日のように馬券を買い、勝敗に一喜一憂する生活を1年くらい続けた。
友達づき合いもしないでのめり込んでいたから、はたから見るとかなり悲惨だったと思うが、まさに夢中そのものだった。
その頃、より多くの資金が必要になったこともあり、仕方なくアルバイトをはじめた。インターネットを知ったのは、そのバイト先でのことだ。
そこでぼくは〝急旋回〟し、今度は一気にインターネットにのめり込んでいった。最初につくったのは、予想ゲームがたのしめる競馬サイト「ダービースクエア」だった。
当時の馬券はまだ単勝・複勝・枠連・馬連しかなく、三連単・三連複などがなかった。それをネット上でシミュレーションしてみたところ、これが爆発的に広まったのだ。当時、1994年のことだ。
これがオン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)という会社のスタート時の事業になった。
あのとき、競馬にハマっていなかったら、ぼくはインターネットビジネスという巨大な「果物」に出合うこともなかっただろう。
きっと酒と麻雀をやるだけの自堕落な学生生活を続けていたはずだ(それはそれでたのしかったかもしれないが)。
□気になっていることを3つ挙げてみよう
「川の流れに逆らうな」という話をすると、意外そうな顔をする人がけっこういる。
「スケジュールを埋め尽くし、『多動』の状態をつくれ」というぼくの主張が、どうやらこの「流されるがまま」と矛盾する感じがするようだ。
そういう人は、「動き回る」とか「夢中になる」という言葉を聞いたとき、何かものすごいエネルギーを注ぎ込むようなアクションをイメージしているのではないだろうか。
実際、そうやって周囲に「熱」をまき散らしながら動いているビジネスパーソンはやたらと目立つので、こうした誤解が起こるのかもしれない。
ただ、ぼくが言う「多動」は、こういう暑苦しい人たちのものとは根本的に違う。
いつも説明に苦慮するのだが、あえて言葉にすれば「クールな熱中」とか「集中しているけどリラックス」というのが実感に近い。
川に流されながら、力を抜いてプカプカと浮かんでいると、次から次へとおいしそうな「果物」が現れる。
ぼくはそれぞれに夢中になってはいるけど、わざわざ遠くに泳いでいったりはしないし、流れていくものを必死に追いかけたりもしない。
つまり、夢中になれるものが〝向こうからやってくる〟ような感覚であり、「多動」というのは、ある意味では究極の〝受け身〟なのだ。
これは、チクセントミハイという心理学者が語っている「フロー状態」とか、スポーツ選手が体験するという「ゾーン」なんかに近いのかもしれない。
一流のアスリートが世界的な記録を叩き出すときには、すさまじい集中力が求められる。
しかし同時に、彼らは心理的にはリラックスした状態を味わっていて、どこかで全体を俯瞰するような意識を保っているらしい。
脳科学的に見ても、あまりにも集中を高めようと躍起になると、脳内にノルアドレナリンという物質が増えて、かえって身体が緊張してしまうらしい。
そういうわけで、「多動」とは顔を真っ赤にして、髪を振り乱しながら、前後の見境がなくなるくらい必死になることではない。
むしろ、魅力的なおもちゃがひしめく部屋に投げ込まれた子どもが、目を輝かせながら静かに遊びに没頭しているのに近い。
自分を振り返ってみても、起業だろうと受験勉強だろうと、プログラミングだろうと競馬だろうと、何かに熱中しているときには、やはりものすごくハイになって純粋に気持ちがいい。
ぼくは決して勉強好きな子どもではなかったが、大学受験が苦痛だと思ったことはなかった。東大しか受験しないと決めて、半年限定で集中的に勉強したところ、ガーッと英語の点数が上がっていった。
こうやってハマってしまえば、もうこっちのものだ。ひたすら単語や文法の知識をどんどん詰め込んでいく。ゲームでアイテムを集めていくみたいで、たのしくて仕方なかった。
そういう意味で、人間に最も必要な能力をあえて1つあげるとすれば、それは「ハマる力」ではないかと思う。
「これに何の意味があるのか」とか、そんなことはどうでもいい。目の前に現れたものに、徹底的にのめり込む――これが重要なのだ。
極論すれば、最初は好きじゃなくてもいい。まずは何も考えずに、サルのようにハマる。そうすれば「好き」とか「たのしい」はあとからついてくる。
どうせ人間の好き嫌いの感情なんて、慣れとか習慣の産物にすぎないのだ。だから、ハマりきってしまえば、たいていのものは「好き」になれる。
最初から好きになれるものを探す必要はない。何より優先すべきは、3日でも1週間でもいいから、ハマれるものを見つけることだろう。
□子どものときに熱中したものを3つ思い出してみよう
以前のぼくは「ストレスが溜まる」という感覚がよくわからなかった。
生きていれば、不愉快な人間には出くわすから、そのときそのときで不快感は抱くし、面と向かってその人を罵倒することもある。
ただ、その場で発散してしまうので、ストレスが蓄積していくことはない。
もう関わるつもりがない人間はけっこういるが、ずっと恨んだり憎んだりしているわけではないので、悪い感情が腹の底に溜まるわけでもない。すっきりしたものである。
ぼくが人生で初めてストレスが溜まるということを実感したのは、刑務所に収監されてからの日々だった。
このときは、ストレス発散の方法もかぎられていたし、自由を拘束されているわけだから、ストレスの原因から距離を取ることがそもそもできない。
このときようやくぼくは、「これが世の中の人がよく言う『ストレスが溜まる』ってやつか……」と実感したのである。
しかしそれと同時に、やはりとても不思議に思えてきた。
シャバにいる人たちは、いくらでもストレスの原因から逃げられるはずなのに、なぜいつまでも何も行動しないでじっとしているのだろう、と。
とくにみっともないのは、ストレスを感じているのに、不平を垂れ流しながら、現状に甘んじている人だ。
「会社の上司が無能すぎる!」とか「あの職場って本当にクソなんです!」とか「うちの夫はまったくダメで……!」などといつも怒っている人は、一度頭のなかで思い浮かべてみるといい。
あなたは川に浮かびながら、誰かが食い荒らした「残飯」を手にして、「こんなマズい食べ物はない!なんだこれは!」と文句を言っている。
だったら、そんなものは捨ててしまえばいいのに、それでもその「残飯」を後生大事に持っているのだ。
そんな人が「相談」などと称してぼくのところにやってきて、「堀江さん、この『残飯』ってすごくマズいんですよ。ひどくないですか?」などと言ってくる。
力を抜いて水面に浮かんでいるぼくには、そういう景色が見えているのだ。
「ふざけるな!!さっさと捨てろ!」そんなふうにぼくが怒鳴りたくなる気持ちを、少しはわかってもらえるだろうか。
牢獄に入っているのでもないかぎり、誰もあなたに「マズい残飯を食べろ!」なんて強制したりはしない。
あなたが勝手にマズいものばかりを食べて、ストレスを抱え込んでいるだけなのだ。だから、ストレスを生む時間は、極力減らすべきだ。
そのときは「絶対時間」ではなく「体感時間」の長さを基準にするといい。
つまらないオッサンと会食をしても、時間はなかなか進まないが、かわいい女の子とのデートは一瞬で過ぎ去ってしまう。
長く感じる時間は、あなたにとってストレスの原因になると思ったほうがいいだろう。
体感時間の長いものを人生から排除し、あっという間にすぎてしまうことばかりで、あなたのスケジュールを埋めよう。
もう1つは、ストレスを与えてくる人間を徹底的に避けることだ。不快な人間がいたら、その人とは関係を絶ったほうがいい。
その場で怒鳴りつけてもいいが、わざわざ軌道修正してやる義理はないから、あとはスッパリ〝切る〟のがいちばんだ。嫌いな人間について、ダラダラと愚痴を言うのはやめよう。
それが「腐った残飯」だと気づいているのに、いつまでそんなものを大事に持っているつもりなんだ?いますぐ投げ捨てればいいだけのことだ。
□ストレスの原因を大事に抱え込んでいないだろうか?
ストレスを抱えたまま動かないことが、いかにバカげたことかはわかっていただけたかと思う。しかし、それでもまだ、なかなか一歩を踏み出せない人は、けっこう多いはずだ。
「わかっているのに、どうして動かない?」そんなふうにぼくが直接聞いても、たいていの人は口ごもってしまうばかりで、いまひとつ答えに窮するようだ。
答えをはっきり言おう。簡単だ、人が動くのを邪魔するのは「経験」である。動き回る力を失っている人は、「経験」にまつわる課題を抱えている。
といっても、それには2通りの意味がある。
第一に「経験が少なすぎること」だ。「動こうにも不安で動けません」という人は少なくない。あたりまえだ。ある程度の見通しなんてものは、動くことでしか得られない。
「これならいける」という手応えが湧き上がるのをじっと待っていても、それはムダというものだ。
世の中には経験も自信もないクセに、やたらと虚勢を張っている人間がいるが、そんなハッタリをかましても、いいことは何もない。
「健全な見通し」のスタート地点には、いつもまず「経験」がある。ようするに、やってみるかどうかがすべてなのだ。
動かないでいる人には、それを得るための機会がやってこない。だから、いろいろと動かないためのエクスキューズをこしらえて、いつまで経ってもアクションを起こさない。
だからやっぱり不安なまま……そんな悪循環が起きているのだ。ぼくは何事にも自信満々であるように見られがちだが、実際には全然そんなことはない。
「経験」がないことをやれば、当然いまだって、不安や緊張を覚えたりもする。
たとえば、ぼくは2010年12月に「クリスマスキャロル」というミュージカルの舞台に立った。
しかも、あろうことか主演俳優として、である。われながら、なかなかの無謀っぷりだと思う。
かつて、経営者として大勢の社員や株主たちの前に立っても、1ミリたりとも緊張しなかったぼくだが、このときは人生初のミュージカルということもあって、開始直前にはさすがにドキドキしたのを覚えている。
しかし、それも初日までのことである。そこから先は一気に緊張がなくなった。これが経験の力だ。うまくいったかどうかなんてどうでもいい。
そこに飛び込んで問答無用で経験を重ねてしまえば、ぼくたちはしだいに不安を抱かなくなるようにできている。人間の「慣れ」の力を舐めないほうがいい。
そもそも、あなたがいま、とんでもないストレスに満ちた生活に耐えられているのだって、慣れのおかげなのではないだろうか。
「それにしても、どうしてミュージカルなんてやったんですか?」そんな質問をよくされるが、そんなことを聞いてどうするのだろう。
「なぜ?」とか「何のために?」なんてことばかりを考えているから、経験不足で動けなくなるのだ。ぼくだってそんな経緯はもう覚えていない。
それこそ、おいしそうな「果物」がたまたま目に入ったから、それに手を伸ばしたまでだ。
「自分の人生にどんなメリットがあるか?」なんて考えなくていい。「意味があるか」「うまくいくか」は、いったん意識の外に追いやろう。
□まずやろう
「経験の少なさ」が動けない原因になっていることは、稀かもしれない。むしろ、経験したことが多くなるほど、行動を起こせなくなるのが人間というものだろう。
うまくいったにしろ、失敗したにしろ、何か具体的な経験を積むと、人はそれを次の行動に生かそうとする。
一見すると損するように見えても、じつはそのほうが得だというような「計算」が働くようになる。
たとえば、資料を読み上げるだけの会議。
いまだにたくさんの会社がこんなバカなことをやっているのは、決定権を持っている管理者に対して、「ちゃんと仕事をしていますよ!」とアピールしたり、「これについては報告しましたよ!」という事実をつくったりしたいだけなのだろう。
みんなで集まっていっせいに時間(=人生)をドブに捨てる――いったい何がしたいのだろうかと思う。ぼくに言わせれば、こんなものはただの「集団自殺」に等しい。
仕事だけではない。日々のすべての決断において、このような「急がば回れ」の精神が蔓延している。
たとえば、ゴルフでもそうだ。
よく言われることだが、ゴルフというスポーツには、仕事も含めて、その人間の言動や意思決定の根本にある「本質」がはっきりと表れる。いちばん典型的なのがパットだ。
カップまであと5ヤード、このパットを入れればバーディ(規定打数よりも1打少なくカップイン)という局面を考えてみよう。
こういうとき、中途半端に経験を積んだアマチュアプレーヤーは、カップより手前で止まるような、弱いパットを打ってしまう。
なぜこうなるかといえば、あえてリスクを取るような強めのパットを打つよりも、いったんカップ手前まで寄せるパットをして、その次で沈めれば確実にパー(規定打数どおり)が取れるという「計算」が働くからだ。
だが、バーディのチャンスにパーを狙ってしまうような人は、絶対にバーディを取れない。バーディを取るためには、手前で止まるような弱気のパットを打っていてはいけない。思いきりよくいかないとダメだ。
当然、そうやって打ったボールが、カップを越えてしまうことはある。しかし、その「失敗」には大きな価値がある。その失敗によって、次にカップに戻るまでのライン(芝の目)が可視化されるからだ。
リスクを取らない人間は、この軌道修正のチャンスを手に入れることができない。ゴルフなどただの遊びではないかと言われるかもしれないが、侮ってはいけない。結局、一事が万事なのだ。
いちばんダメなのは、中途半端に経験から学んでいるやつだ。「小利口」はいちばん救いようがない。
そういう人は、過去の成功・失敗をもとに「これこれの理屈だから、あえてこうするべきだ」などという捻くれたロジックを弄する。
それにダマされた人たちが「勉強になりました!」などといって、また小利口になっていく。だからどんどん動けなくなり、時間貧乏になっていく。
いまの日本社会は、誰もがバーディを狙えるのに、小賢しくパーを打ちにいっているようなものだ。
それでちゃんとパーが入れられるならいいが、ボギー(規定打数より1打多い)やらダブルボギー(2打多い)ばかりを叩いているような状況である。
浅知恵が働く人間ほど、経験から学んでしまう。だが、本当に賢明であろうとするなら、そんな経験を忘れるべきだ。何度でもカップオーバーすればいい。バカになれる人間のところに、時間は集まってくる。
□昔やらかした「無謀な失敗」を思い出してみよう
「もう少しお金に余裕があれば、自分がやりたいことに没頭できるんですが……」などと言っている人がいる。お金がないから仕事時間を増やすしかない。
働いている時間が長くなるから、どうしても自分のための時間が取れない、というわけだ。
ここからもわかるとおり、多くのビジネスパーソンにとって労働とは、「時間をお金に換える行為」になっている。
だから、「お金さえあれば、労働(=時間の切り売り)をしなくてよくなるはずだ」という発想になるのである。
「働き方改革」が論じられる際に、すぐに「残業時間をどう減らすか」といったことがテーマになる背景にも、労働=就業時間という労働観があるのだろう。
しかし、働くとは「何かをじっと我慢すること」ではない。
本当は家でダラダラしていたいのに、がんばってオフィスに来て、一定の時間をおとなしく過ごした〝ご褒美〟としてお金がもらえているとでも思っているのだろうか。
なぜこうなるかと言えば、お金の本質がわかっていないからだ。お金というのは単なるツールにすぎない。
それなのに、お金そのものに価値があるかのように思い込んでいるから、貴重な時間をお金に換えてしまう。
2万円を「2万個のパチンコ玉」に換金するのはもったいないとわかる人でも、日給2万円のアルバイトには魅力を感じてしまう。
本当にあなたの1日には、現金2万円分の価値しかないのだろうか?「そうです」と答えてしまう人は、価値観がかなり歪んでいると思ったほうがいい。
お金の価値を高く見積もりすぎだ。世界的に見ても、日本人はお金に目がない。
家計資産に占める「現金・預金」の比率で見ると、アメリカは13・1%、ユーロ圏で33・0%なのに対し、日本は先進国のなかでもダントツの1位(52・5%)だ(日本銀行「資金循環の日米欧比較」2018年より)。
また、日本でいつまでも電子マネーが普及しないのには本当にウンザリさせられるが、邪魔をしているのは、技術的な問題以前に、こういう「拝金主義」だろう。
国家レベルで「お金」に縛られて、会社も内部留保を貯め込み、個人も貯金ばかり……。その裏では、揃いも揃って1億人が、二束三文で「時間」を売り払っている。
だから社会全体に時間がない、忙しい――これが日本の現実だ。本当に、どれだけみんなお金が好きなのだろうと呆れてしまう。
いまだにぼくのことを「カネの亡者」みたいに言う人がいるが、いったいどの口がほざいているのだと言いたい。ぼくはこれまで自分から貯金すらしたことがないというのに……。
お金は価値交換のための単なるツールだ。
なぜこんなツールが必要かと言えば、取引には「信用」が必要だからである。
交換の相手が信用に足る人物かを、いちいちコミュニケーションを取ってたしかめていては効率がよくない。その仲立ちをしてくれるのがお金だ。
お金とは、「信用」というあやふやな存在を、わかりやすく可視化するための道具にすぎない。大切なのは信用だ。
会社で1カ月、杓子定規に仕事して得られる信用など、たかが知れているから、それによって得られる月給も大した金額にはならない。
締め切りや待ち合わせの時間に遅れないという信用、誠実に振る舞い、他人の時間をムダにしないという信用、周囲を待たせることなく即断即決し、すばやく結果を出してくれるという信用……。貯めるべきはお金ではない。
あなたがきちんと信用を積み重ねていけば、わざわざ時間を切り売りしなくても、お金は勝手に集まってくる。
□あなたの「時給」は5年前からいくら増えているか
「あまりに忙しくて、『動き回るぞ!』という気になれない」という人もいるだろう。だが、「忙しいせいで、動くための時間がない」というのは誤解だ。
そんな忙しさは単なる思い込みだし、そもそも「忙しい」と「熱中できない」のあいだには関係がない。
実態はむしろ逆で、心から熱中できる対象を持っていないからこそ、そのダブついた時間を「忙しいフリ」をして埋めているのである。
言ってしまえば、そういう人は「暇」なのだ。なぜそうなるかと言えば、そのほうがラクだからだ。
スケジュールを他人時間でいっぱいにして、「ああ、忙しい忙しい」と不満を垂れていれば、自分の人生の空虚さを忘れていられる。そうしないと心がもたないのだ。
「暇」と言えば、休日に何もやることがない状態を思い浮かべる人もいるかもしれないが、ここでぼくが言っているのは「忙しさで偽装された暇」とでも呼ぶべきものだ。
この種の暇はいろいろと厄介だ。まず、自分がそういう状態に陥っていることになかなか気づけない。目の前にはやることがたくさんあるから、忙しく仕事をしているような気分になっている。
しかし内面的にはとてつもなく退屈をしており、胸のうちでは心がカラカラと〝空転〟しているのである。
こういう空回り状態が続くと、心は無理やりに「燃料」を求めて動こうとする。
言ってみれば、心が「エネルギーのムダ遣い」をしたがるのである。典型的なのは、他人からの評価を過剰に気にしたり、悪口やゴシップに熱狂したりするようなパターンだ。
頭のなかに架空の他人をつくりあげて、「ひょっとすると、あの人はこう思っているのではないか……」とか「きっとこいつは、陰であんなことをしているに違いない!」などと、くだらない妄想を膨らませてしまう――よくあるパターンだ。
この状態が続くと、心はどんどん消耗し、さらに貧しくなっていく。みんな他人のことを気にしすぎだ。この原因は「暇すぎる」ということに尽きると思う。
心の底から退屈しきっているからこそ、他人の不倫やら失言やらを報じる下品な芸能ニュースに反応し、それらを消費しているのだ。
冷静に考えてほしい。他人のプライベートを詮索して喜ぶなんて、こんなにみっともないことはない。もっとたのしいことが世の中にはたくさんある。
心のエネルギーを他人事に振り向けて浪費するのは、本当にバカげている。
しかも、他人のことばかりに首を突っ込むクセは、巡り巡って自分の首を絞めることになる。人の悪口・ゴシップが好きな人間は、古い慣習とか世間体なんかにもとらわれがちだ。
「これをやったら陰口を言われるかも……」「バカにされたらどうしよう……」――そんなふうに他人の目が気になって、身動きが取れなくなっていく。
それもこれも、元はと言えば、本当は暇なくせに忙しいフリをして、他人時間ばかりを過ごしているからだ。
「つまらないこと」で人生を埋め尽くしているから、他人のちょっとした振る舞いを見て、疑心暗鬼になったり、イチャモンをつけたくなったりする。
あなたは人のことばかりを考えて、心の空回りを止めようと必死になっているかもしれないが、おそらく相手はあなたのことを1ミリも気にかけていない。
そんなことにいつまでも心のエネルギーを浪費しているなんて、あまりにも虚しすぎる。いますぐやめたほうがいい。「架空の他人」を頭から追い払い、無心になって没頭できることを見つけよう。
□ネットの炎上やワイドショーに費やした時間を計算してみよう
人が行動を起こせなくなる原因にいくつか触れてきたが、何かにどっぷりと熱中していれば、これらはすべて一発で解決する。
そこでこの章の最後に「熱中できるものを見つけるコツ」を2つほどお伝えしよう。1つめは「目に入った順に片づける」ということだ。
人生という「川」を下っていくうえで大切なのは、とにかく出合う「果物」の数を増やすことだ。
おいしい「果物」が流れてくるかどうかは運しだいであり、コントロールできない。あなたに変えられるのは、出合いの回数そのものを増やすことだ。
そこで有効なのが、「選り好みしないで、流れついてきた順に手を伸ばしてみる」という方法である。
物事を効率よく処理するためには、いきなり手をつけるのではなく、まず優先順位を考える――この仕事術についてはすでに解説したが、なんでもかんでも順序をつけていればいいわけではない。
たとえば、メールの受信ボックスに10件の依頼が来ているなら、何も考えず上から順に片づけていくだけだ。
たいていの用件は、せいぜい1分あれば返信には十分だ。ぼくは絶対に「あとで返信しよう」などという先送りはしない。
ひとたび受信箱を開けたら、片っぱしからすべてに返信していく。
もちろん、原稿を確認するというような、一定の時間がかかるタスクもあるが、そういう依頼に対しては、「OK」とか「了解」とだけ返信すればいい。
世の中には、平気で1日とか1週間とか、何も返信をせずにメールを放置する人がいるが、ぼくには信じられない。
「いま処理できることは、いま処理する」――これを基本にすれば、あなたの信用も上がっていく。
それを続けて、膨大な数の仕事や物事に触り続けていれば、そのうち、「これは!」というものが向こうからやってくる。
選り好みをしても何もいいことはないのだ。
2つめのコツは、「自分でルールを考える」ことである。
日本人は他人のつくったルールに乗っかるのは得意だが、合理的に考えて自分なりのルールをつくるのは苦手だ。
ぼくは逮捕されてから裁判の期間中に、日本の司法制度について徹底的に調べたことがあるが、その歴史的経緯にしろ、司法と行政の癒着にしろ、じつはきわめていい加減なものであることに驚かされた。
「ルールの親玉」である司法制度があの体たらくなのだから、そのほかのルールは推して知るべしだろう。
しかし、自分でルールを考えてみることは、たのしむうえでも重要だ。自分の頭でルールや仕組みを考えたものに対して、人間はのめり込みやすいからだ。
起業などはその典型だが、やはり自分でつくった会社には愛着が湧くし、そこで仕事をするのはたのしい。
逆に、他人がつくったゲームのうえで動いているかぎり、心底からハマるのはけっこう難しいのではないかと思う。
ルールづくりのヒントは、日常や惰性のなかに隠れている。とくに大事にしたほうがいいのが、「めんどくさい」とか「うっとうしい」といった感情だ。
「この店、どうして電子マネー対応じゃないんだ。面倒だな……」「この商品は、包装が過剰でうっとうしいな……」こういう感じを抱いたら、その解決手段を考えてみよう。
どういうルールにすれば、それらの「めんどくさい」「うっとうしい」を解消できるのか?そういうことをつねに考える習慣をつくってしまうのである。
そうやって自分なりのルールを考えてみる。
「これならうまくいく!」というルールが見つかれば、あなたはもうそれに半分くらいはハマりはじめているはずだ。
□受信箱に放置している重要メールはないか
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