私は「次にとるべき行動」を考える習慣を世界的に広めるのが自分の使命だと考えている。
会議や話し合いで、行動が必要かどうかの判断が必ずなされ、必要な場合にはその行動が特定される、あるいは少なくとも誰が責任を負うかが明らかになることが当たり前になればいいと思っている。
意識に入ってきたものすべてについてどんな行動が必要かを考え、その結論をきつちり管理することが組織のルールとなり、すべての人がより大きな問題や機会に意識を向けている世界―それこそが私の理想だ。
「次にとるべき行動」を常に考えるようになった結果、エネルギー効率や生産性が飛躍的に向上した個人や組織をたくさん見てきた。
これはごくシンプルな習慣ではあるが、きちんと実践されている例を目にするのは稀だ。ただし、この習慣が周囲の人たちにもある程度浸透してくると、いくつか問題も起こってくる。
その一つが、同じことをやっていない人間にどう対応するかということだ。
普段あまりにもスムーズに事が運んでいるせいで、そのような人や組織と関わったときに大きなストレスを抱えることになるからだ。
私たちは、自分や他者に対してどのような責任を負っているかを認識しなければならない。そして、やらなければならないと感じていることのすべてについて、次にとるべき物理的な行動をいつかは判断していく必要がある。
ただし、気づいた時点で行動を判断するのか、抜き差しならない状態になってから判断するのかでは、天と地ほどの差が出てくる。
「次にとるべき行動」の発想
「次にとるべき行動」を決めるという、シンプルながら驚異的効果があるこのテクニックを、私は30年以上前に、年来の友人でマネジメントコンサルティングの大先輩でもあるディーン・アチソン(元国務長官とは別の人)から教わった。
長年企業幹部のコンサルテイングを行なってきた彼は、多くの人がプロジェクトや状況に行き詰まっているのを見て、彼らの心を解放する方法はないかと探りつづけてきた。
そしてある日、机の上にある紙を1枚ずつ拾い上げて、そこに書かれていることを進展させるために「次に何をするべきか」を決めさせてみた。
その結果は驚くべきものだった。
彼はその後何年もの間、インボックスに入ったものを「次にとるべき行動は何か?」という問いかけによって処理する手法を研究しつづけた。
それ以降、彼の構想をもとに発展させてきたGTDにより、彼と私は何千人もの人々を指導してきたが、今なおその効果は衰えていない。
この思考プロセスは私たちが生まれもっているものでもなければ、自然とできるものでもないようだ。
赤ちゃんのときに「ぼくたちは今、何をしているの?次に何をするの?誰がするの?」という質問をしようとは思わなかっただろう。
きちんと思考して決断し、意識的に何かに目を向けるというのは、習得しなくてはならないテクニックなのだ。
ただ、この思考プロセスは、必要に迫られると自動的に生じるものでもある。
たとえば、危機的な状況にあるときや、差し迫った状況で悲惨な結末を回避しなくてはならないときなどが考えられる。だが、差し迫った状況になる前からこの手法を習慣的に使うには訓練が必要だ。
行動の選択肢を明らかにする
電話をする、メールをする、誰かと話す、インターネットで調べる、何かを買うといった具体的な「次にとるべき行動」を明らかにしない限り、プロジェクトを完了させることは永久にできない。ほとんどのプロジェクトは、せいぜい10秒もあればそうした行動を見極めることができる。
しかし、10秒で考えて決断できることなのに、ほとんどの人はそれをしていない。
クライアントとリストを一緒に見ていたときに、「タイヤ」という項目があった場合で考えてみよう。
私が「これは何ですか」と尋ねると、クライアントは、「車のタイヤを替えないといけないのです」と答える。次に私は「具体的に、次にやる行動はなんでしょう」と聞く。すると、クライアントは眉間にしわを寄せて考えはじめ、ほどなくこんな結論を述べる。
「インターネットで調べて値段を確認しておくことですね」。
タイヤのことは、しばらく前から気になっていた可能性が高い。
別の用事でパソコンを使うついでに値段を確認する機会も無数にあったはずだ。なぜそれをやらなかったのか。
パソコンの前にいるときに、タイヤを替えるのにパソコンが必要だと思い浮かばなかったからである。だからこそ、あらかじめ行動の選択肢を考えておくべきだったのだ。
次にとるべき行動をすべてリストにしてあれば、会議まであと15分あって、なおかつコンピュータが目の前にあり、エネルギーが10点満点で4点のときに、行動のリストに「タイヤのことを調べる」という項目を見つけることができたはずだ。
「これならやってしまえる」とインターネットでさっと調べたあとに、使える時間とエネルギーを有効活用できたという満足感に浸れたに違いない。
そのような状況では、クライアントヘの大がかりな提案書は書けないにしても、ほんのすこしインターネットで調べてさっと情報を入手することぐらいはできる。こうして彼は後日タイヤを交換し、気分よく車を運転できたはずだ。
具体的なレベルで必要な行動を見極め、そのリマインダーをしかるべき場所に整理しておくことこそが、生産性を高め、安心感を得るためのカギにほかならない。
そしてこのテクニックは、誰もが身につけて、磨いていくことができる。どんなに単純なことでも、「次にとるべき行動」を決めていないばかりに立ち往生しているケースがよくある。
私がセミナーをやると、行動のリストに「車の整備」などと書いてしまう人が多い。しかし、「車の整備」は「次にとるべき行動」だろうか。
つなぎを着てレンチを持つ気があるのなら別だが、そうでなければもっとほかの行動があるはずだ。そこで私はこう尋ねる。
「車の整備に関して、次にとるべき行動は何でしょう?」「ショツプに車を持っていかないといけません。そうか、まずやってくれるか電話で聞かないとだめですね。
「それから、予約しないと」「番号はわかりますか?」「う―ん、わかりません。フレツドに勧められたところがあるのですが、番号は聞いていませんでした。
「何か忘れていると思っていましたが……」多くの人が、さまざまなことに関してこうした事態に陥っている。
プロジェクトを見て「何か忘れている」と感じつつも、それが何かを思い出すことができずにあきらめてしまうのだ。
「とすると、次にとるべき行動は?」「番号を調べることですね。フレツドに聞けばわかるはずです」「どうやって聞きますか」「彼にメールします」こうして、「次にとるべき行動」は、「フレツドにメールしてショップの電話番号を聞くこと」だと判明した。
実際の行動にたどりつく前にかなり紆余曲折を経ているが、こういうことは珍しくない。ほとんどの人のリストには、こうしたプロジェクトがたくさん存在している。
頭のいい人ほど放置してしまう
実は、プロジェクトや生活全般において決断しなければならないことをもっとも決断したがらないのが、頭がいい人である。
これには理由がある。
心の中のイメージに身体がどのように反応するかを考えればわかるが、私たちの脳は、リアルな思考を現実と同じように受け止める傾向がある。
スーパーに入って、明るく照らされた青果コーナーに行ったところを想像してもらいたい。そこに、ミカンやレモンやグレープフルーツが置かれた一角がある。レモンの山の隣には、まな板とナイフが用意されている。
あなたがレモンを一つとって二つに切ると、すっぱい香りが広がってきた。まな板にはレモンの果汁がしたたっている。あなたは半分になったレモンを、さらに半分に切る。あなたの手の中には、4分の1に切られたレモンがある。
そのレモンを回に持っていって、ガブリと昭一ってみよう。このとおりに想像した人は、国の中に唾が出てきたはずだ。あなたの身体は、想像上のレモンの酸っばさに反応を示したのである。
つまり、あなたの身体は、想像したことにも反応するわけだ。
だとすれば、確定申告書のことを想像したときには、身体はどんな反応を示すだろう。
「簡単だ」「心配ない」「さっさと片付けてしまおう」といったイメージを思い浮かべた人はほとんどいないはずだ。むしろ逆のイメージが浮かんでしまったのではないだろうか。
ほかの面倒なプロジェクトでも、これと同じことがおきるだろう。よりリアルに想像できる人ほど、身体は大きな反応をしてしまうのだ。
だからこそ、頭がよくて繊細で創造的な人ほど、そういうことを考えたがらないのである。
プロジェクトのことを考えたときに、いろいろ面倒なことや、うまくいかなかったときの結果などがありありと想像できてしまうからだ。それで不安に陥ってしまい、面倒なことを敬遠してしまう。
やるべきことを先に延ばしたことがないという人はいないだろう。想像力のない人は間雲に事を進めたりもするが、ほとんどの人は立ち止まってさまざまな可能性を考えてしまうものだ。
確定申告をやらないといけない。ああ、面倒だ。今年は去年と同じようにはいかないはずだ。見たところ、申告書の感じが違っていた。やり方が変わった部分があるのだろう。ややこしい説明を読まないといけない。詳細申告書に簡易申告書。まとめてしまっていいのだろうか。それとも別々か。
おそらく控除も申請することになる。証明書類をそろえないといけないな。領収書もかき集めないとだめだ。全部あるだろうか。怪しい状態でもとりあえず申請しておこうか。でも、監査が入ったらどうしよう。監査はまずいぞ、監査は。
国税局に告発されて、刑務所行きだこうやって、申告書を眺めるだけで刑務所のことまで想像してしまう人々が大勢いる。頭がよくて、想像力がありすぎるせいで、いろいろ考えてしまうのだ。
私は長年人々を指導してきた中で、こういう人たちをたくさん見てきた。
そして実際、頭がいい人ほど、会社や家やメールの受信箱や頭の中に、手をつけていないことが山積みになっている傾向があることに気がついた。
私が指導した企業幹部の大半は、ファイルキャビネットや頭の中に、重要なのに手つかずのままのやつかいなプロジェクトが少なくとも数件は放置されていた。
彼らは、触らぬ神に崇りなしというように、それらのプロジェクトについて考えることを避けてきたのだ。
この状態を解消するには、どうすればよいだろう。
もちろん、酒を飲めば忘れることはできる。アルコールには鎮静作用があって活動エネルギーが低下するが、飲み始めは逆に高まることも少なくない。
それはなぜか。鎮静作用が別のところに働くからだ。頭の中のネガティブな考えや嫌なイメージが抑制されるのである。失敗するかもしれないという恐怖心が頭の中から消えれば、はつらつとしてくるのは当然だ。
しかし、これでは根本的な問題の解決にはならない。プロジェクトが消えてなくなったわけではないからだ。しかも酒では、忘れたいことだけを抑え込むことはできない。気力や情熱などもいっしょに低下してしまう。
よリスマートに抑え込む
こうしたストレスにはもっと別の対処法がある。次にとるべき行動を明らかにすれば、よりスマートに不安を解消できるのだ。
プロジェクトを前進させるのに必要な物理的な行動を見極めることで、やらなければならないこと、現状から変えなければならないことへのプレッシャーから確実に解放される。
状況そのものには何の変化もないものの、行動可能な、完了できるタスクに意識が向くことで、方向が定まってモチベーションや気力が高まるのである。
「把握する」ステップを実践した人は、それぞれのプロジェクトで「次にとるべき行動」を決めたときに、自分の気力がどうなるか確かめてみてほしい。
リストに書き出されたプロジェクトに対しては、やりたいと思うものと、やりたくないと思うものがあるだろう。その中間のものはないはずだ。
積極的に「完了させてしまいたい」か、「できるなら手をつけたくない」のどちらかだろう。
しかし、「手をつけたくない」ものも、次の物理的な行動を決めるだけで、「終わらせたい」ものに変えられることが少なくない。
セミナーの参加者や、私の指導を受けた人を見ていて気づいたことがある。
それは、途中でやめてしまう人の多くは、「次にとるべき行動」のリストが単なるメモのリストに逆戻りしてしまっているということだ。
これらの人はリストに書き出している点では何もしない人よりましなものの、行動リストに次のような項目が混じっているせいでプロジェクトが停滞していたり、放置されていたりする。
「食事会の運営委員会」「ジョニーの誕生日」「受付係」「プレゼン」これらはそれぞれの項目が行動レベルから「気になること」に逆戻りしてしまっていて、「次にとるべき行動」がわからなくなっている。
リストがこんな感じになっていると、それを眺めるたびに脳に負荷がかかってしまう。
「次にとるべき行動」を決めるには、余分なエネルギーを使わないといけないと思っている人がいるかもしれない。しかしそれは間違いである。
こうしたエネルギーは遅かれ早かれ、いずれ使うことになるからだ。車を整備する必要があるなら、どこかの時点で「次にとるべき行動」を決めなければならない。
ぐずぐずしていないで、さっさと「業者に電話して車の運搬を頼む」という具体的な行動を決めてしまうことだ。
私が思うに、目の前に現れた時ではなくて、ぎりぎりになってから行動を決める人が多すぎる。知識労働社会において、この二つの態度にはどんな違いがあるだろうか。
やりたいことが自分のアンテナに引っかかった時点で次にとるべき行動を決め、それができる状況別に分類しておくのと、どうしてもやらなければならなくなるまでとるべき行動を考えずに、尻に火がついてから必死にやるのとでは、どちらが効率的だろう。
こんなことを言うと大袈裟だと思うだろうか。
しかし、あなたの会社ではあらかじめ次にとるべき行動が決まっているケースと、ぎりぎりになってから決まるケースのどちらが多いだろうか。
ほぼ例外なく「ぎりぎりになってから」という答えが返ってくるのではないだろうか。
あるグローバル企業のクライアントが、社員のストレスの原因について調査したところ、もつとも多かった不満は、「チームリーダーが最初に決めるべきことを決めておかなかったせいで、締め切り間際にやらないといけないことが次々に出てきてしまうこと」だったそうだ。
「次にとるべき行動」の判断を組織のルールにするメリット
これは私が指導した複数の幹部の証言だが、「次にとるべき行動」を決めることを会社で徹底したところ、組織のパフォーマンスが明らかに向上し、会社の体質そのものが改善したそうだ。
「次にとるべき行動」を考えることで具体的な作業ステップと責任の所在が明らかになり、生産性と行動力が高まった結果である。
具体的な行動が増える
会議をやっても明確な結論に至らず、具体的な行動も明らかにならないというケースは驚くほど多い。
しかし、議論した内容を見極めて次にとるべき行動や、誰がそれをやるかを決めておかないと、ほとんどのことは先に進まない。
私はよく会議の進行役を任されるが、失敗を繰り返しながらあることを学んだ。
それは、どんな話の途中であれ、会議が終わる20分前には必ず「次にとるべき行動は何か」という質問を投げかけなければならないということだ。
経験上、結論が出るまでにはたいてい20分くらいかかり、その中で難しい決断を迫られることもよくある。よく考えてみれば、ごく当たり前のことではある。
しかし実際にやるとなると、かなリシビアな議論が必要になることも少なくない。より深いレベルでの考察をしなければならないからだ。
「本気でやるのか」「これからやろうとしていることがちゃんと把握できているのか」「時間と労力を注ぐだけの価値があるのか」。
こうした根本的な疑問を私たちは避けがちだ。
しかし、「次にとるべき行動」を考えるには、どうしてもこれらの疑間について考える必要がある。
一つのトピックについて結論を出すには、より踏み込んだ議論や検討、調整が必要になることも少なくない。
現代社会は、適当にやっておけば結果が出る、といった甘い世界ではないのだ。
このあたりは、実際に経験した人でないとわかりにくいだろう。経験がある人にはきっと納得してもらえるはずだ。
そうでない人は、次に会議に出席したときや、誰かと話し合ったとき、「次にとるべき行動は何か」という疑間を最後にぶつけてみて、どんな変化があるかを確かめてみてほしい。
責任の所在がはっきりする
私たちの住むこの「共同社会」では、責任の所在が曖昧になりがちだ。
「これに関する責任者は私だ(君だ)」と宣言するのが当たり前になっている会社はほとんどないだろう。
こうした宣言には、傲慢だというイメージがあるようだ。
しかし、「みんなでがんばる」というのはあくまで理想論で、生き馬の目を抜く現代社会では、個人の能力が鍵を握っているケースが圧倒的に多い。
にもかかわらず、実際の会議では、わかってはいるけど自分にお鉢が回ってくるのは嫌だよね、と何もせずに会議室を後にするというパターンばかりである。
本当に傲慢な態度とは、決めるべきことを曖味にしたまま話し合いを終わらせてしまうことではないだろうか。
そして本当の共同作業とは、何をするか、誰がそれをやるかを明らかにする責任を全員が負うことにほかならないのではないか。
これについても、経験のある人ならピンと来るだろう。そうでない人は、次の会議で「次にとるべき行動は何でしょう」と尋ねてみることだ。家族会議で同じことをやつてみてもいい。
生産性が向上する
「次にとるべき行動」を決めることをルールにして全員に守ってもらうと、組織の生産性は確実に向上する。
これまで述べてきたような理由から、より少ない努力で、より早く結果が出せるからである。
行動を停滞させる「頭のいい人たちの想像」を乗り越えてプロジエクトを前に進めていくためには、高度な技術が必要になる。
もう何十年も前から、組織で生産性を高める必要性が叫ばれてきた。
知識労働社会においては、パソコンの性能や通信環境を向上させたり、リーダーシップのセミナーを受けたりしても十分な生産性は得られないだろう。
それよりも、すばやく「次にとるべき行動」を判断するよう、組織の人間に徹底させていく必要がある。ぎりぎりまで待つのではなく、日の前に現れた時点でそれを考えるようにする習慣が不可欠だ。
行動力が高まる
「次にとるべき行動」を決めることで個人にもたらされる最大の恩恵は、行動力が高まり、そのことによって自尊心が身につき、前向きな視点をもてるようになることである。
人はさまざまな行動をするが、ほかの人にせき立てられたり、自分で危機感を覚えたりしてやむなくやるケースがほとんどだ。
これでは達成感は得られないし、仕事がうまくやれているという気持ちにもならないだろう。私たちが望んでいるのは、まさにこの逆である。
それには、「気になること」のすべてを明らかにし、それらを終わらせるのに必要な行動を見極める習慣をつけなければならない。必要に迫られるまで待つのではなくて、プロジェクトを進めるための作業を積極的にやっていこう。
そうすることで自信がつき、それが人生のあらゆる側面によい影響を及ぼすようになる。自ら船の舵を取れるようになるのだ。
また、「次にとるべき行動」を考える習慣が身につくと、被害者意識からも解放される。これからとる行動が、自分で判断したものだと自信をもてるようになるからだ。
こうした自信をもつことが自尊心を高め、被害者意識ではなくて当事者意識をもてることにつながっていく。
自尊心を高めたければ、「私には力がある―・私は有能だ―」と数千回繰り返すよりも、こちらのほうがずっと効果がある。
あなたの組織には、グチをこぼしている人がたくさんいるだろうか。次に誰かのグチを耳にしたときには、次にどんな行動をとればいいと思うかを尋ねてみるといい。人がグチをこぼすのは、改善できる見込みがあると思っているときだけである。
次の行動を問うことで、そこが浮き彫りになる。現状を変えられるなら、変えるための行動があるはずだ。変えられないことは、動かせない現実として戦略や戦術に組み込むしかない。
グチが聞こえてきたときは、変えられる状況があるのに行動を怠っている、あるいは変えられる部分を考えるのを怠っている人がいるサインだと思ったほうがいい。
自尊心を守る自衛行為という見方をする人もいるかもしれないが、実際には一時しのぎの不毛な態度でしかない。
私や同僚にとって、すでにこの部分で改善できることはほとんどない。
けれども私が指導した人々は、「次にとるべき行動」をすみやかに考える癖をつけることで、日々の行動力が大きく改善した。
目の輝きが変わって仕事がどんどん進むようになり、思考や態度にも前向きの変化が現れてくる。
私たちにはもともと行動する力が備わっているが、プロジェクトを前進させるのに必要な「次にとるべき行動」を考え、適切に管理していくことで行動力がさらに高まり、潜在能力を引き出していけるようになる。さっと行動できるようになると、物事を達成できるという自信も湧いてくる。
その自信こそが、プロジェクトを実際に完了させていくのだ。
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