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第4章 知覚の法則

マーケティングとは商品の戦いではなく、知覚の戦いである。

多くの人がマーケティングとは商品の戦いであると考えている。長い日で見れば結 局、最良の商品が勝利するのだと。 マーケティングの担当者はもっぽらリサーチをし、「事実を把握すること」に没頭 している。彼らは真理がわがほうにあることを確認するために状況を分析する。そし て自分たちの商品こそベストであり、ベストの商品が最後には勝つとの満々たる自信 を抱いて、市場での戦いに臨む。 こうした考えは幻想である。客観的な現実というものは存在しないし、事実という ものも存在しない。ベストの商品などありっこないのだ。マーケティングの世界に存 在するのは、ただ、顧客や見込客の心の中にある知覚だけである。知党こそ現実であ り、その他のものはすべて幻である。 あらゆる事実は相対的なものである。それは、あなたのマインドと、だれか別の人 のマインドによって異なる。「私は正しく、隣の人は間違っている」とあなたが言う 時、実は何を言っているかといえば、隣の人よりも自分のほうが認識力が優れている ということなのだ。

たいていの人が、自分は他の人よりも認識力が優れていると考えている。自分に限 って間違った知覚をすることはないという個人的な感覚を抱いている。自分の知覚は 隣の人や友人の知覚よりも常に正確なのである。事実と知覚が心の中で融合し、両者 の区別がつかなくなっているのだ。 こうした現実を認めるのは容易なことではない。この宇宙にただ独りきりで存在す るという恐るべき現実に対処するために、人々は外の世界に身を投じる。本、映画、 テレビ、新聞、雑誌が設定する場面の中に生きるのである。彼らはまたクラブ、団体、 組織に「所属」する。こうした外の世界に代表されるもののほうが、心の内なる現実 よりも、より現実的なものに思えるからだ。 人々は心の外側の世界こそ現実であり、個人は宇宙船「地球号」上の一個の小さな しみに過ぎないという信念にこり固まっている。事実はその逆なのである。あなたに とっての確かな現実は、あなたの認識の中にしか存在しない。もし宇宙が存在すると

すれば、それはあなた自身や他の人々の心の中に存在するのである。 マーケティング 計画が対応しなければならないのは、まさにそうした現実である。大洋も、川も、都 市も、町も、木も、家々も確かに存在しているには違いないが、私たちには自らの知 覚を通してしか、これらのものを知る術はない。マーケティングとはこのような知党 の操作にほかならないのだ。 マーケティング上の過ちはほとんどが、自分たちは現実に根ざした商品戦争を戦っ ているのだという思い込みに端を発している。本書が取り上げる法則はすべてが、ま さにその逆の見方に立脚したものだ。 一部のマーケティング関係者がマーケティングの自明の法則とみなしているものは、 マーケティング計画の主役は商品であり、商品の持つ価値によって勝敗が左右される という誤った前提に基づいている。商品を売り込む当然の論理的な方法が常に過ちを 犯すのはそのためである。 心の中で知党がどのように形成されるかを研究し、 マーケティング計画の焦点をこ うした知覚に合わせることによってのみ、あなたは基本的に間違っているご自分のマ

―ケティング上の発想を正すことができる。 私たちはそれぞれ(生産者も、流通業者も、ディーラーも、見込客も、顧客も)二 つの眼を通して世界を見ている。仮にどこかに客観的な事実があるにしても、私たち はどのようにしてそれを知るのだろうか。だれがそれを測定し、私たちに教えるのだ ろうか。結局のところ、そうするのは異なる眼を通して同じ場面を眺める別人に過ぎ ないのである。 真実とは、多かれ少なかれ、 一人の専門家の知覚以上のものではありえない。それ に専門家とはそもそも何者であるのか。それは他人の心の中で、専門家として認識さ れている人物に過ぎないでないか。 真実がかくもあやふやなものであるとするなら、 マーケティングにおいてなぜいわ ゆる事実について華々しい論議が交わされるのだろうか。なぜにこんなにも多くのマ ーケティング上の決定が事実の比較検討に基づいて行なわれるのだろうか。なぜにこ れほど大勢のマーケティングマンが、真実はわがほうにあり、その真実を武器として、 見込客の心の中にある誤った知党を正すのが自分たちの仕事であると考えるのだろう

カ マーケティング関係者が事実に焦点を当てるのは、客観的な事実の存在を信じてい るためである。彼らはまた、真実はわが方にありと思いがちである。もしあなたがマ ーケティング戦争に勝利するためには、ベストの商品が必要だと考えているとすれば、 ベストの商品を持っていると単純に信じることのできる人だ。あなたに求められてい ることは、ただ、ご自分の認識を若千修正することだけである。 見込客の心の中を変えることは、また別の問題である。顧客や見込客の心の中を変 えるのは極めて難しい。ある商品カテゴリーに関してほんの僅かな経験しか持ち合わ せていないにもかかわらず、彼らは自分が正しいと思い込んでいる。心の中に形成さ れた認識は、彼らにとってしばしば宇宙的真理である。人々が間違いを犯すことはめ ったにないのだ。少なくとも彼らの心の中においては。 商品がある距離によって隔てられている場合は、商品に及ぼす知覚というものの力 を理解することは比較的簡単である。例えばアメリカで売られている輸入日本車のト ップスリーはホンダ、トヨタ、 ニッサンである。たいていのマーケティング関係者は、この三つのブランド間の戦いは、品質、スタイル、馬力、価格をめぐる戦いだと考え ている。実はそうではないのである。どのブランドが勝利を収めるかは、ホンダ、ト ヨタ、 ニッサンについて大衆がどう思うかによって決まるのだ。マーケティングとは 知党をめぐる戦いなのである。 日本の自動車メーカーは日本で売られているのと同じ車をアメリカで販売している。 仮にマーケティングが商品の戦いだとすれば、日米両国における販売順位は同じにな ると考えるべきだろう。品質、スタイル、馬力は同じであり、価格もほぼ同じなのだ から。ところが、日本では、ホンダはトップどころの話ではない。トヨタ、 ニッサン についで三位なのである。トヨタはホンダの四倍もの車を売っているのだ。 となると、日本でのホンダ車とアメリカでのホンダ車との違いは何だろうか。商品 は同じだけれど、顧客の心の中の知覚が異なっているのである。 あなたがニューヨークの友人にホンダの車を買ったよといえば、彼らは「車種は何 だい?・シビックかね、アコードかね、それともプレリュードかね」と尋ねることだ ろう。しかし、東京の友人にホンダの車を買ったよといえば、「どんなオートバイを

買ったんだい?」と聞き返してくるに違いない。日本ではホンダといえばオートバイ メーカーとして顧客の心の中に定着しているため、当然ながら人々はオートバイメー カーから車を買いたいとは思わないのである。 これと逆の場合はどうだろうか。仮にハーレイ・ダビツドソン社が自動車を発売し たら成功するだろうか。車次第だとあなたは思うかもしれない。品質、スタイル、馬 力、価格によって決まると。あるいはハーレイ・ダビッドソンの品質に対する信用が プラスに働くだろうとも考えるかもしれない。そんなことはありえない。 ハーレイ・ ダビッドソン社がオートバイメーカーとして知党されていることが、同社の車の足を 引っ張るのだ。その車の品質がどんなによくてもである(第12章参照)。 なぜキャンベル製スープはアメリカではナンバーワンであるのに、イギリスではふ るわないのだろうか。反対に、 ハインツ製スープはイギリスではナンバーワンである のに、何故アメリカでは失敗したのだろうか。マーケティングとは知党をめぐる戦い であって、商品をめぐる戦いではないのだ。 マーケティングとはそのような知党にか かわるプロセスなのである。

ソフトドリンクメーカーの幹部の中には、 マーケティングとは味の戦いだと信じて いる人たちもいる。では言うが、味に関してはニューコークがナンバーワンである。 (コカコーラ社が二〇万人を対象に実施した味覚テストによれば、 ニューコークはペ プシヨーラより味がよく、ペプシはいまコカコーラ・クラシックと呼ばれる最初のコ ークよりも味がよいという結果が出ている)。ところが、 マーケティング戦争ではど れが勝ちを収めただろうか。調査で、ベストの味だとされたニューコークの売上げは なんと第二位である。調査で一番まずいと判定されたコカコーラ・クラシックが一位 なのだ。 私たちは信じたいと思うものを信じるのである。同様に味わってみたいと思うもの を日にするのだ。ソフトドリンクのマーケティングは味の戦いではなく、知党の戦い なのである。 マーケティング戦争をより複雑にしているのは、消費者がしばしば間接的な知覚を 頼りに購買決定をするという事実である。ある商品に関して、自分自身の知覚ではな く、だれか他の人の知覚をもとに購入決定をするのである。これが「周知の事実の法員」 と 口乎 lゴ れ る も の だ 日本がアメリカよりも高品質の車を作ちていることはだれもが知っている。そこで 人々は、日本がより高品質の車を作っていることをだれもが知っているという事実に 基づいて購入を決定する。あなたが買物客にその商品の使用経験が個人的にあるかど うかを尋ねたら、たいてい、ないと答えるだろう。また、人々の使用経験なるものも、 多くの場合、自分たちの認知内容に合うように歪曲されていることだろう。 あなたが仮に日本製の車について不快な経験をしたとしても、それは単にあなたが 不運だったというに過ぎない。なぜなら、日本が高品質の車を作ることはだれもが知 っているのだから。反対に、アメリカ製の車でいい経験をしたとしても、あなたはた だ幸運だったにすぎないのだ。なにしろアメリカ車がお粗末なのは、みんなが知って いることなのだから。 アウディの車に問題点があるのを知らない人はいない。 一九八六年一一月二三日、 CBSテレビは″シックスティ・ミニッツ″という番組で「制御不能」と題する特集 を放送した。この中で、アウディ車の「意図しない加速」に関する数多くの苦情が取り上げられた。アメリカにおけるアウディの販売台数は一九八六年の六万台から一九 九一年には一万三〇〇〇台へと雪崩を打ったように激減した。しかし、例えばあなた 自身、アウディを試乗していて、「意図しない加速」といったトラブルに見舞われた 経験がおありだろうか。おそらくないだろう。この車をテストした車の専門家もだれ 一人として、苦情内容を再現できなかった。それでいて、そうした認識はいつまでも 消えないのである。 最近アウディは、自社の車とメルセデスベンツおよびBMWがこしらえた競合車種 とを比較する広告を実施している。この広告によれば、ドイツの自動車専門家たちは メルセデス車やBMW車に比べ、アウディ車により高い評価を与えている。 あなたはこの評価を信じるだろうか。たぶん信じないだろう。本当かい?。それが どうしたっていうの? といったぐあいに。 マーケティングとは商品の戦いではない。知党の戦いなのである。

 

 

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