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第4部教科書通りのリーダーシップ──すぐに成果は出ないが、必ず成果は出る

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第4部教科書通りのリーダーシップ──すぐに成果は出ないが、必ず成果は出る

LeadershipofHoshinoResort│#01社員の気持ちを1つにまとめるビジョンを掲げて会社の目指す方向を示す経営改革を実現するために、ビジョンを掲げ、社員に浸透させた。同じことを繰り返し語りかけ、社員の気持ちのベクトルをそろえた。楽しみながらビジョンを覚えてもらえるように、独自の工夫を凝らした。

社員の耳にタコができるくらいビジョンを言い聞かせる星野リゾートは「リゾート運営の達人」という経営ビジョンを掲げている。旅館・ホテルの運営を主力事業として定め、その達人と呼ばれるだけの高いレベルを目指す──。そんな思いが込められている。星野社長が経営ビジョンを作ったのは、星野リゾートの経営トップに就いて間もないころである。星野社長は社内の自由な議論と積極的な提案を重視するが、経営ビジョンの策定では社員の声を幅広く集めようとはしなかった。「会社の向かう方向を決めるのは経営陣の専管事項」と考えたからだ。弟の星野究道専務ら幹部の意見を聞いただけで、自分が主導して経営ビジョン作りを進めた。そして新入社員でも理解できる分かりやすい言葉で、目指すべき企業像を定めた。経営ビジョンの実現にどれだけ近づいているかを測る具体的な尺度も定めた。「顧客満足度(お客様アンケートの結果から数値化)」「売上高経常利益率」「エコロジカルポイント(環境基準に関する達成度を示すデータ)」の3つである。この3つの尺度の数値目標も定めた。例えば「経常利益率」の目標は20%である。達成するのは簡単でない。お客様の満足度向上を追求すると、サービスの質を高めるためのコストが大きく膨らみかねない。しかし安定的に利益を出せるようにしなければ、事業を続けることは難しい。リゾート開発=環境破壊ということにならないために、エコロジカルポイントの達成も重視している。相反する課題をクリアしてこそ、「リゾート運営の達人」というわけである。星野社長は社員に経営ビジョンを繰り返し語る。社員たちの耳にタコができるくらいビジョンを何度も伝えている。経営ビジョンが音声メッセージで流れる目覚まし時計などのグッズも作り社員に配布している。経営ビジョンの共有に力を入れる背景には、ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラスによる経営書『ビジョナリー・カンパニー』がある。星野社長が参考にした教科書『ビジョナリー・カンパニー』著者:‥ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス出版社:‥日経BP社価格:‥2039円(税込み)サブタイトルは「時代を超える生存の原則」。経営ビジョンの意義を説くロングセラー

【抱えていた課題】Problem人材がどうしても集まらない星野社長がトップに就任したころ、星野リゾートは軽井沢のローカル企業だった。施設が古くなっていたことも響き、「経営改革を進めたいのに、人材がどうしても集まらない」という課題を抱えていた。新卒者の合同就職説明会に参加しても、「話を聞いてみようか」と興味を持ってくれる学生はほとんどいなかった。そこで星野社長は発想を変えた。「会社の現状をどれだけ語ったとしても魅力を感じてもらえないならば、会社の将来についての話をしよう。今は残念ながらこういう状態だ。しかし、目指す将来像に向かって最短距離で進む。そう語れば、関心を持ってもらえるのではないか」そして会社の将来像を分かりやすく伝えるために、「リゾート運営の達人」という経営ビジョンを定めた。星野社長はそのころ既に、施設の所有にこだわらず、運営に特化するという方針を打ち出していた。日本の旅館・ホテルには運営に特化する会社は見当たらなかったが、海外の有力ホテルチェーンを筆頭に、世界の潮流はそうなっていた。日本のリゾートでも、施設を所有する投資家などが現れ、同時に運営を引き受ける会社が活躍するチャンスが拡大する──。そんな将来像に基づいて、経営ビジョンを定めた。明快で魅力的な経営ビジョンに基づいて会社の将来像を語る星野社長の姿は、学生にとって新鮮に映った。「何だか面白そうな会社だ」「分かりやすく筋の通った説明をしてくれる社長だ」と興味を持つ人が増えた。初めは新卒採用のための会社アピールを狙って作った経営ビジョンだったが、その重要性を認識した星野社長は、事あるごとに経営ビジョンを語るようになった。それは『ビジョナリー・カンパニー』の影響が大きい。ビジョナリー・カンパニーとは、時代を超え、際立った存在であり続ける企業を意味する。同書に登場する企業はいずれも、社員の指針となる明快な経営ビジョンを持っている。そしてビジョンを会社の隅々にまで浸透させている。同書の中で、星野社長が特に引きつけられたのは、経営ビジョンが企業の成長にプラスになるという指摘である。「長期的な視点から事業を見たとき、経営ビジョンの共有が正しい戦略だと確信を持つことができた」。

【解決への取り組み】Breakthroughグッズを作り、楽しんで覚えてもらう経営ビジョンの浸透によって同じ目標を共有する社員が増えたことによって、社内の意思疎通は円滑になった。経営改革のピッチは速まり、業績の改善は加速した。「短期的な業績に左右されず、経営ビジョンを中心に据えて、その実現に向けて一歩ずつ進んでいこう」。星野社長のぶれない経営はこうして固まっていった。軽井沢の自社施設の改革を果たした星野リゾートは、全国各地で旅館・ホテルの運営を引き受け始めた。星野社長はそれらの施設でも「リゾート運営の達人」という経営ビジョンを広げた。星野社長のメッセージが流れる目覚まし時計社員に経営ビジョンへの興味を持ち、しっかりと頭に入れてもらうために、オリジナルグッズも考案してきた。

例えば「星野リゾート目覚まし時計」(写真参照)は、アラーム音の代わりに「起きてください」という言葉と、「顧客満足度」「経常利益率」「エコロジカルポイント」の数値目標が音声メッセージとして流れる。アラームを完全に止めないと、今度は星野社長の声で、「リゾート運営の達人を目指して、今日も1日頑張りましょう」というメッセージが流れる。「ビジョナリーカップ」は、マグカップの内側の側面に「顧客満足度」「経常利益率」「エコロジカルポイント」の目標数値が書いてあり、底には「リゾート運営の達人」の文字がある。飲み物を飲み進むうちに、次々と目標を“〝達成”〟して、経営ビジョンにたどり着くという仕組みである。

こうしたグッズは旅館・ホテルごとに毎月開く社員の誕生会などで、プレゼントとして配布される。星野社長は「経営ビジョンをまじめに語ることも重要だが、忘れないようにとにかく印象に残すことも大切。グッズなどは、ばかばかしく見えるかもしれないが、楽しみながら経営ビジョンを覚えてもらえる」と説明する。調理もメニューもビジョンから発想する星野リゾートが軽井沢以外で初めて運営を手がけたリゾート施設はリゾナーレ(山梨県)である。大手流通グループが経営していたが、バブル崩壊で経営が行き詰まり、2001年、星野リゾートが再生に着手した。再生を始めるとき、星野社長はリゾナーレの社員に対して直接、「リゾート運営の達人」という経営ビジョンを説明した。政井茂総料理長は「そのとき私は調理の担当者だった。正直に言えば、経営なんて関係がないと感じた」。が、経営ビジョンを何度も繰り返し聞かされ、グッズに触れるうちに、考えが変わった。「経営ビジョンがあるからスタッフが価値観を共有できる」と気づいた。政井氏は今では経営ビジョンからすべてを発想する。「経営ビジョンを実現するために、調理はどうあるべきか」「メニューはどうするのか」と考える。社員にビジョンが浸透したリゾナーレは黒字に転換した。裏磐梯猫魔ホテル(福島県)は、09年4月から星野リゾートによる運営がスタートしたばかりの施設である。それまでの間、所有会社や運営会社が何度か変わってきた。星野社長は運営に当たって、いつもと同じように、社員に経営ビジョンを語ることから始めた。運営開始から数カ月を経たころ、スタッフは「リゾート運営の達人」という言葉が頭に入り始めた。「ホテルを変えよう」という提案が少しずつ出るようになってきた。裏磐梯猫魔ホテルの小林康雄総支配人は、星野社長の父の代から星野リゾートで働き、同社の改革を当初から知るベテランである。「経営ビジョンを浸透させてスタッフの気持ちのベクトルを合わせ、施設の魅力を高めていきたい」と決意を語る。

【未来への道のり】Future「全社員研修」で経営ビジョンを確認星野リゾートが運営する日本各地の旅館やホテルでは、毎年1回、星野社長が経営計画を説明する「全社員研修」を開催する。星野社長が戦略と実行の具体策を社員に直接伝える重要な場である。

全社員研修の日、その旅館やホテルは休業する。2009年11月、星野リゾートの本拠地、軽井沢で開催された全社員研修では、同地区にある旅館、ホテルをすべて休業し、約500人のスタッフが集まった。星野社長はまず、それぞれの施設で働いている社員のユニークな表情を伝える写真をプロモーションビデオ風に流し、会場を和ませてから語り始める。その写真は自分で撮影したものだ。会社の歩んできた道のりを伝える「まず星野リゾートの歴史について話したい。ぜひ2つの数字を覚えてほしい。1つは創業した1904年。もう1つは私が星野リゾートの4代目であることだ」星野リゾートの歩んできた道のりを伝え、これまでの会社のストーリーを社員と共有し、一体感を確認する。続いて、具体的な経営戦略について語る。さまざまなプランを語る中で、ことあるごとに「リゾート運営の達人」という経営ビジョンが何度も繰り返し出る。社員は経営ビジョンを知っている。だが、星野社長はどんなときも経営ビジョンに立ち返りながら語る。施設の課題を語るときには、経営ビジョンの達成目標として定めている3つの数字、すなわち「顧客満足度」「経常利益率」「エコロジカルポイント」の達成状況を確認することから始める。何度も経営ビジョンに立ち返って説明日本の観光市場は変革前夜にある、と星野社長は考えている。供給する側はピーク時に8万軒あった旅館、ホテルは今や5万軒ほどに減っている。特に目立つのがはリゾートを含めた地方旅館の落ち込みで、淘汰の時代に入っている。ところが需要の側を考えると、今後、海外からのお客様、特にアジア圏からのお客様の増加が見込まれる。海外旅行に出かけている日本のお客様が国内旅行に戻ってくるポテンシャルもある。市場の成長性はあるにもかかわらず、観光業の競争相手は減っている状況にある。「日本の観光はまだ勝ち組が不在の状況だ。これは流通業界でいえば、まだコンビニエンスストアもスーパーもない。駅前商店街だけの世界だ。ここから誰が勝つのか分からない。振り返ったとき、まさに変革前夜と言えるだろう」星野社長は業界構造の変化を踏まえながら、3つの数値目標を達成するためのアプローチについて具体的に語る。「リゾート運営の達人」という経営ビジョンに何度も立ち返りながら説明する。「企業の文化を維持することが最重要課題」経営戦略を話し終えた星野社長は、これまで培ってきた企業文化の大切さを語る。ここでも改めて経営ビジョンも確認する。「さまざまなプロジェクトが進行するが、星野リゾートの培ってきた文化を維持することは、最重要課題である。どの施設も全スタッフが集まって、月1回、数時間、電話もシャットアウトして議論する。リゾート運営の達人という経営ビジョンを達成するために、使命感を持って取り組もう」

【他分野への応用】Example伊那食品工業の「年輪経営」星野社長が「日本のビジョナリー・カンパニーと言えるのではないか」と挙げるのが、寒天メーカーの伊那食品工業である。長野県伊那市に本社を置く同社は、事業領域を寒天に絞り込んで強さを磨き、48期連続で増収増益を続けてきた。同社には「いい会社をつくりましょう」という社是がある。この社是に基づいて、急成長を追わず、一歩ずつ着実に伸びる道を歩んでいる。成長のスピードは緩やかだが確かで、そのありようは「年輪経営」と評される。星野社長は「地域に対してさまざまな貢献活動を続けるなど、経営がユニークだ」と語る。『ビジョナリー・カンパニー』は、米国企業を中心に18社を選び、設立以来の歴史やエピソードを踏まえながら、各社を多角的に分析している。取り上げている企業は、化学品メーカーのスリーエム、医薬品メーカーのジョンソン・エンド・ジョンソン、世界最大のスーパーマーケットチェーンのウォルマート・ストアーズなど。日本企業ではソニーが選ばれている。「いますぐ基本理念を書き上げるべきだ」著者のコリンズらは18社を競合企業と比較しながら分析し、ビジョンを持つことで実現した「強さ」を浮き彫りにする。各社のビジョンに共通点はない。だが、どの会社も、基本理念を維持しながら進歩していく具体的な仕組みを持ち、「絶対にあきらめない」という点で似通っている。例えばウォルマートCEOのサム・ウォルトンについて、「人生の大部分を、ウォルマートという会社を築き、可能性を広げるという終わりのない目標を追求することに費やした」と説明されている。中小企業に向けた記述もある。「基本理念を文章にしていなくても問題ない。しかし早ければ早いほどいい。(中略)いますぐ基本理念を書き上げるべきだ」教科書のエッセンス『ビジョナリー・カンパニー』●ビジョナリー・カンパニーとは、時代を超え、際立った存在であり続ける企業である。●ビジョナリー・カンパニーには、カリスマ的な経営者は不要である。●ビジョナリー・カンパニーには、単なる金儲けを超えた基本的価値観と目的意識がある。●基本理念の中身として不可欠な要素はない。社員の指針となり、活力を与えることが重要である。●基本理念は時代や流行に左右されてはいけない。大切なのは、維持しながら進歩を促す点である。●基本理念を組織の隅々にまで浸透させることが重要である。

LeadershipofHoshinoResort│#02熱狂的ファンをつかむコンセプトを作る競争力向上のカギは「自分たちで決める」企業が活力を高めるためには、「社員の主体性」を引き出す必要がある。そのカギは、仕事に対する共感や納得感である。

社員が共感するコンセプトを考える星野リゾートは2009年12月、三重県鳥羽市のリゾート「タラサ志摩ホテル&リゾート」の運営をスタートした。タラサ志摩ホテル&リゾートは、海水を使ったフランスの自然療法「タラソテラピー」などのスパ施設と約120室のホテルの複合施設である。星野リゾートにとって中京地区への初進出となった。タラサ志摩は、運営企業などが何度か変わった末、星野リゾートが現在の所有会社から運営を引き受けた。星野社長は施設を訪れ、約80人のスタッフに直接呼びかけた。「タラサ志摩のコンセプトを皆さんで決めてほしい。コンセプト委員会を立ち上げるので、ぜひ参加してほしい」星野リゾートは旅館、ホテルの運営を開始するときに、「コンセプト」を必ず明確に固める。それは、「どんな施設を目指していくのか」について、分かりやすい言葉で表現するものである。コンセプトの策定作業は、その施設で働くスタッフが主役になる。コンセプト委員会のメンバーを立候補で集め、星野リゾート流のマーケティング調査のデータなどを分析しながら、施設の持つ特色や強みを見直す。スタッフは何度も議論を積み重ね、最終的にコンセプトとしてまとめる。「スタッフが自分たちで考えてコンセプトを決めるからこそ、納得感があるし、共感できるようになる。それはスタッフが自分たちの力で施設を良くしようというモチベーションにつながる」。星野社長はこう考える。その背景にあるのが、米国の経営学者、ケン・ブランチャードとシェルダン・ボウルズの共著『1分間顧客サービス』である。同書は自社の製品・サービスに対する熱狂的なファンを作るための方法を、分かりやすいストーリー形式で記している。星野社長が参考にした教科書『1分間顧客サービス』著者:‥ケン・ブランチャード、シェルダン・ボウルズ出版社:‥ダイヤモンド社価格:‥1470円(税込み)熱狂的なファンをつくる方法をストーリー形式で分かりやすく解説する

【最初のステップ】1stStepデータを読みながら考え、課題を共有する星野社長はタラサ志摩の運営について、「星野リゾートの案件で最難関の部類に入る」と直感していた。美しい海岸に面し絶好のロケーションにあり、スパ施設に定評がある半面、旅館街から遠く離れ、施設内に温泉がない。スパ施設は都市にライバルが増えて競争が激化している。厳しい状況から再生を果たすには、それだけしっかりしたコンセプトが必要だ──。「勉強会ではなく、コンセプトを作る会です」星野社長の呼びかけに対して、コンセプト委員会に立候補したのは約40人。これは全スタッフの半分に当たる。年齢、役職、職場の偏りなく、多様なメンバーが手を上げた。星野社長は彼らの意欲を買い、希望者全員をメンバーに入れた。議論を効率化するために約20人ずつ2グループに分け、タラソテラピーなどの「スパ部会」とそれ以外の「リゾート部会」を作った。最初のコンセプト委員会では、メンバーが自己紹介を行った後、星野社長は委員会の意義について語った。「この場は、学ぶだけでは不十分で、発想して提案することが大切だ。勉強会でなく、コンセプトを作る会だ。所属部署のためでなく、タラサ志摩全体としてどうすべきかを考えてほしい」。スタッフは緊張した。

データを分析する手法に慣れる初会合には2つの目的がある。1つは星野リゾート流の会議に慣れることである。例えば、星野リゾートはコンセプトを作るとき、さまざまなマーケティングデータを分析する。が、タラサ志摩ではほとんどのスタッフにこうした経験がない。そこで星野リゾートのマーケティング担当者はまず、日本の観光・旅行市場に関するデータをクイズ形式で出題した。スタッフは戸惑うが、クイズに答えているうちに雰囲気に慣れてきた。「もう一度行ってみたい旅館やホテルはどこですか」次いで、マーケティング担当者は「これまで行ったことのある旅館やホテルで、もう一度行ってみたいのはどこですか」と問いかけた。スタッフは思い思いに施設の名前を口にし、その理由を自分の思い出とともに説明した。場の空気が和んできたところで、マーケティング担当者は「三重県の観光市場」「何を求めて旅行するのかについてのアンケート」「タラサ志摩の顧客満足度調査の速報値」などのデータを分かりやすく説明した。スタッフは説明を聞きながら、自分たちが働いている施設の現状を客観的に理解するやり方に少しずつ慣れていった。

スタッフには自分の意見を出すことにも慣れてもらう。星野リゾートは「言いたいときに、言いたいことを、言いたい人に言う」ことを重視し、相手が社長でも遠慮せずに発言し、議論を深める(参照)。星野社長も気づいたことをスタッフに語り、分からないことがあればスタッフに尋ねる。初めは遠慮がちに話す人が多かったが、少しずつ慣れていった。星野社長はスタッフの話を聞きながら、そのポイントをパソコンのキーボードを叩いてメモした。初会合のもう1つの目的は、問題意識を共有することである。担当者の説明が一通り終わると、星野社長は自分でメモしたことをプロジェクターで示しながら、スタッフと相談し、委員会で議論すべき課題を整理した。こうして最初のコンセプト委員会では、予約、サービスメニュー、食事、家族市場、周遊市場など10テーマを決め、メンバーの希望を募りながら、4、5人ずつ担当者を決めた。最後にテーマごとに次回までに調べる「宿題」を設定し、約4時間で会議を終えた。メンバーからは「初めてのことばかりだがすごく分かりやすいし、面白かった」「どんどん参加したい気持ちになった」と前向きな声が上がった。【次のステップ】2ndStep議論を深め、具体的に考えるスタッフへの「宿題」は市場規模やライバル動向の調査、課題の整理などである。2回目の委員会までの1カ月間、メンバーは担当するテーマごとに10回以上集まり、鎌田洋総支配人に相談しながら、インターネットを活用して必要なデータを集めた。星野リゾートの他施設のスタッフにも助言を受けた。会合の前日はほとんどのメンバーが徹夜で準備をして委員会に臨んだ。大事なのは「アイデア」より「気づき」2回目の会合の目的は、スタッフがゼロベースでタラサ志摩を見つめ直し、「これから自分たちがどうなりたいのか」について、手がかりをつかむことだった。まずスタッフが「宿題」に対する研究の成果をテーマごとに発表した。パソコンとプロジェクターを使いながら20分間かけて説明し、質疑応答をした。星野社長は発表を聞きながら、次々に質問を投げかけた。「現場の実感として、今の発表をどう感じるか」「担当者として、反論はあるか」「どうとらえたらいいのか」…。尋ねた中身はさまざまである。スタッフの中には緊張している人もいたが、初回に比べて積極的に語る人が増えた。初会合で学んだクイズ形式を取り入れたり、最新のトピックを受けた発表もあり、盛り上がる場面も出てきた。自然とスタッフからさまざまな意見やアイデアが出た。星野社長がこのときに意識するのは、「スタッフの気づき」である。「大事なのはアイデア自体ではない。出てきたアイデアの中から、このアイデアが好きだ、共感できると気づいてもらうことだ」。この日の会議は8時間に及んだ。スタッフの表情には疲れよりも満足感があった。「海エナジーをチャージする」に決定タラサ志摩のコンセプト委員会は2カ月に及び、スタッフは情報収集、分析、発想を繰り返した。そして2010年3月末、結論に至った。「海エナジーをチャージする」。これがタラサ志摩のコンセプトである。ターゲットは2つ。スパ市場とファミリー市場である。スパ市場については、タラソセラピーの代表的施設として魅力的なスパに進化させる。その内容をよく分かっていない顧客を選ぶのではなく、タラソセラピーを2時間のコースメニューとして作り込み、期待される効能を明確にすることで顧客の満足度を高めていく。同時にスパの食事、部屋での過ごし方を含め、滞在型スパとしての魅力とポジションを明確にする。ファミリー市場については、家族旅行に対して積極的なサービスを展開する。プールの解放、ビーチプログラムの充実、家族向けの食の提供、家族向けの客室レイアウトの整備などを実行する。タラサ志摩には、海というロケーションの圧倒的な魅力がある。スパにおいても、家族旅行においても、食においても、海のエネルギーで旅行者に活力を与えるということをテーマにする。

【注意事項】Attention目指す姿に合わせてサービスを選ぶ星野社長がコンセプト作りの参考にしたブランチャードの理論は、どんな製品・サービスを目指していくのかは、提供する側が自分たちで明確に決めるべきだと強調している。そのうえで、お客様の声に耳を傾け、工夫を重ねるべきだと説く。スタッフは「なりたい姿」に近づこうとする星野社長はブランチャードの理論を1990年代初頭に知り、強く共感した。「この理論はリゾート施設にも生かせる」と感じた。「スタッフにコンセプトを考えてもらえば、そのコンセプトへの共感度は高くなる。スタッフは自分たちがなりたいと思う姿に近づこうとする。だから会社のパフォーマンスも上がる」この考えは当たった。共感度の高いコンセプトは、星野リゾートが競争力を高める原動力になっている。例えば、リゾナーレ(山梨県)は「大人のためのファミリーリゾート」、青森屋(青森県)は「のれそれ青森」というコンセプトに合わせて、スタッフはサービス向上策を自分たちで考え、自分たちで実行した。

星野社長は「会社の向かう方向を決めるのは経営者の役割」と考え、「リゾート運営の達人」という会社のビジョンを自分が主導して考えた(参照)。一方、施設のコンセプト作りでは社員の主体性を重視している。すべてのお客様を満足させようとするとコストが膨らむブランチャードの理論がユニークなのは、お客様の要求が自分たちの目指している製品・サービスと合致しない場合、「要求を無視するべきだ」と断言している点である。旅館・ホテルはすべてのお客様を満足させようとするあまり、サービスを増やし過ぎることが少なくない。これはコスト増を招き、経営を圧迫する。「ターゲットが絞られていないと、どのお客様にとっても不満はないが、感動もない施設になってしまう。共感度の高いコンセプトがあれば、スタッフにとって分かりやすい判断基準になる。どのサービスが必要で、どのサービスを切り捨てるべきか、すぐに分かる」。星野社長はこう強調する。教科書のエッセンス『1分間顧客サービス』●顧客をつかむには、満足させるのでは不十分で、熱狂的なファンを作る必要がある。●そのためには自分たちが目指す製品・サービスの中身を自分たちで決める。●お客様の声を受け止め、サービスを高めていく。●お客様の要求が自分たちの目指す製品・サービスと合わない場合、その要求を無視する。●1%ずつでもいいので、目指す目標に向かって一貫性を持って進み続ける。

LeadershipofHoshinoResort│#03社員が持つパワーを引き出して業績回復「任せる」から、社員は自分で考えて動く江戸期創業の名門旅館の黒字化を20代のスタッフらが実現した。渋沢栄一ゆかりの旅館ではスタッフが変身し、再生を果たした。「人が本来持つパワー」を引き出すことで、社員が動き出した。

言いたいことを言いたいときに言いたい人に言う星野リゾートでは、社員のやる気を引き出すために、経営データを開示し、仕事を任せる。スタッフが自らの判断で行動するように求め、社員の自由な発言を大切にし、「誰が言ったか」でなく、「何を言ったか」を重視する。石川県加賀市の山代温泉にある「白銀屋」は、江戸時代創業の和風旅館である。客室数は23室と小規模なこの老舗は温泉街の中心地にあり、北大路魯山人ゆかりの宿として知られる。バブル崩壊による業績悪化で赤字に転落した後、外資系金融機関の子会社が所有権を取得し、星野リゾートが2005年から運営を手がける。約380年の歴史を持つ白銀屋の責任者は、29歳の保園英治総支配人である。約20人いるスタッフも20代が中心だ。再生に向けた改装による休業で旧経営時のスタッフの多くは去った。若い総支配人とスタッフは議論を重ねながら、サービスの中身を自分たちで決めて実行している。業務効率を高めながら老舗の新しい魅力を引き出し、白銀屋は黒字に転換し、長期的な低迷が続く温泉街で業績を伸ばす。青森県三沢市の「古牧温泉青森屋」も経営破綻後、外資系金融機関の子会社が所有権を持ち、星野リゾートが運営を手がける。渋沢栄一の書生を務めた人物が創業し、広大な敷地内に3つの旅館や庭園などがある大規模な旅館である。青森屋で働くスタッフ約270人のうち8割は旧経営時代から勤務する。05年の再生開始から責任者を務める佐藤大介総支配人は「上から言われるまま」だったスタッフを「自分で動く」ように変身させ、顧客満足度を引き上げ、売上高を伸ばしている。08年秋から大不況に突入した後も、毎月の宿泊者数は前年に比べて約2割伸びた。現場のスタッフに権限を委譲し、仕事を任せる星野リゾート流の経営の背景には、米国の経営学者、ケン・ブランチャードの「エンパワーメント」理論がある。人が本来持つ知識や意欲などのパワーを引き出すことである。星野社長が参考にした教科書『1分間エンパワーメント』著者:‥ケン・ブランチャード、J・P・カルロス、A・ランドルフ出版社:‥ダイヤモンド社エンパワーメントによって組織を再生する方法をストーリー仕立てで示す

【抱えていた課題】Problem社員が定着しなければ改革は挫折する星野社長が父から経営を引き継いだとき、星野リゾートの業績は安定していた。しかし、将来に対して危機感を抱かざるを得ない状況にあった。当時はバブル経済のピークで、リゾート法の施行によって、日本各地で新しい施設が次々と登場した。外資系リゾート会社の日本進出も始まろうとしていた。経営環境の劇的な変化が予想されるのに、会社の体質は古いままだった。星野社長は事業のあり方を全面的に見直すことにした。顧客満足度調査に基づく数値管理を導入するなど次々に改革を進めた。改革は少しずつ成果を上げたが、同時に大きな問題が浮上した。社員が1人また1人と退職し始めたのである。スタッフが定着しなければ、しっかりしたサービスを提供できないため、顧客満足度は上がらず、売上高も伸ばせない。星野リゾートは当時、軽井沢のローカル企業であり、全国的に見れば知名度は低かった。このため、新たに社員を募集しても思うように人が集まらなかった。星野社リゾートは退職者の増加による人材難という大きな課題に直面した。何とか退職を思いとどまらせようと、星野社長は「辞めたい」と申し出た社員と徹底的に話し合った。「辞めないでほしい」と説得したが、なかなか社員の気持ちを変えることはできなかった。話し合いを通じて、星野社長は重大なことに気づいた。社員が辞める理由の大半は「組織に対する不満」であることだった。トップダウンで改革を進めてきたが、社員は命じられて動くことに疲れていた。社員は不満を募らせていたが、自分の意見を主張する場がなかった。問題の解決には、社員との関係を徹底的に見直す必要があった。「自分の判断で行動してもらうことで、社員のやる気を高めよう。言いたいことを言いたいときに言いたい人に言えるようにしよう。そしてどんどん仕事を任せよう」星野社長はトップダウンですべてを決めることをやめた。そして、エンパワーメントに舵を切った。このときヒントにしたのが、ブランチャードの理論である。

【解決への取り組み】Breakthrough議論して、任せて、組織をフラットにしたブランチャードの『1分間エンパワーメント』は、ストーリー仕立てで、社員の能力を生かしながら組織を再生する手順を具体的に説いている。星野社長は同書に感銘を受け、ブランチャードが提唱するステップに沿いながら、自由な発言を奨励することで議論を活発にし、社員が働く気持ちを高めた。仕事の目的、目標などを明確にし、仕事をどんどん任せた。役職にかかわらず、自由で対等に意見交換ができるフラットな組織づくりを進めた。ベテラン社員も巻き込んだ社員は次第に自分で考えて動くようになった。すると「辞めたい」と言う社員は減少し、サービスの質が安定し、顧客満足度の上昇と業績の向上に結びついた。「大切なのはブランチャードの提唱するステップ通りに実行すること。自分の都合のよい個所や、すぐにできそうな部分だけを抜き出して取り入れようとしてもうまくいかない」。星野社長はこう振り返る。他社からリゾート運営を引き受けるようになると、そのときにも必ずエンパワーメントを取り入れた。山代温泉にある白銀屋の再生は、星野リゾートで育った若いスタッフが中心になった。すぐに自由な議論が定着し、1人が何役もこなす星野リゾート流の手法もスムーズに導入できた。

旧経営時からいるベテランも巻き込んだ。経理一筋だった中谷外美代氏は生け花の管理や調理なども手がけ、中道謙蔵氏は温泉施設の管理と同時に客室清掃に取り組み始めた。白銀屋は黒字に転じ、作業効率を示す星野リゾートの独自指標「業務効率」は全旅館でトップクラスとなった。最初はスタッフの1人として赴任し、責任者になった保園総支配人は「現場目線を意識して皆と一緒に考えている」と語る。「困難な時期」は覚悟を決めて乗り切る青森屋は白銀屋と違い、旧経営時代からのスタッフが多く残っていた。佐藤総支配人はスタッフに自由に語ってもらうことから始めたが、「言われたままに動く」ことに慣れたスタッフは身を固くして沈黙した。ブランチャードは著書の中で、エンパワーメントを実現する過程で「困難な時期」が訪れることも指摘し、乗り越えるポイントとして「切り抜ける覚悟を固めておく」と指南している。だから星野社長は慌てず、佐藤総支配人の行動を見守った。佐藤総支配人はスタッフが自分の考えを伝えてくれたとき、その中身をひとまず脇に置いて考えたこと自体を褒め、スタッフの気持ちを変えようとした。同時に、会議では星野社長に向かって率先して自分の意見を主張し続けた。そんな姿を見るうちに、スタッフは変わり始めた。

熊野芳武総料理長は「正直言えば、最初は『発言しろというから言う』だけだった。だが、いつの間にか総支配人に対して『そんなのおかしい』と本気で言うようになった」と語る。とび職から転じて青森屋に入った久保田幹哉氏は「顧客満足度の調査データを見ながら、サービスのより良い方向を自分たちで探るので、やりがいがある。昔の友達からは『おまえ、頭良くなったな』と言われる」と笑う。

【他分野への応用】Exampleパナソニックで中村改革の原動力にエンパワーメントを徹底的に取り入れているのが、世界中で高級ホテルを展開するザ・リッツ・カールトンである。同社のスタッフはお客様に対するサービスのために、必要に応じて1人当たり1日2000ドルまでを自由に使うことができるという。他部署の仕事を手伝うときには、自分の通常業務から離れてもよいルールも設けている。スタッフが自分で考えて動くことのできる体制をつくることで、同社はサービスの質を高め、他の高級ホテルと差別化を図ることに成功している。その結果、顧客満足度を上げてリピーターを増やし、業績を伸ばした。エンパワーメントに力を入れているのはサービス業だけではない。製造業でも大きな成果を上げる企業が少なくない。代表的な成功例として知られるのがパナソニックである。同社は90年代後半、組織が肥大化したことによる弊害がさまざまな面に出ていた。その結果、製品の競争力が低下しつつあった。2000年に就任した中村邦夫社長は強い危機感を持った。負の連鎖を断ち切るために、大胆な企業改革をスタートさせた。そのときに合言葉になったのが「エンパワーメント」である。中村社長はハイペースで組織の簡素化を進めると同時に、やる気のある社員に対して積極的に仕事を任せる体制をつくった。その結果、企業風土の改革が進み、同社は再び業績を伸ばすための足がかりをつかんだ。星野リゾートはすべての旅館・ホテルでエンパワーメントを徹底している。会議の場では、若い社員が星野社長に向かって積極的に発言している姿が目につく。星野社長は社員と自由に議論し、何をすべきかを決している。教科書のエッセンス『1分間エンパワーメント』●エンパワーメントとは、人が本来持つパワーを引き出すことである。●社員のパワーを引き出して、1人ひとりのやる気を高めることで、業績向上につなげる。●社員のエンパワーメントには3つのステップを繰り返す。仕事に必要な情報を提供し、責任を持って働く気持ちにする仕事の目的、目標などを明確にし、自分で管理する領域を作る階層化した組織をやめ、自分たちで統率するチームに変える●エンパワーメントの実現には困難な時期が来ることもある。困難を切り抜ける覚悟を固めておく。

LeadershipofHoshinoResort│#04会社に残すべきは経営者の姿勢堂々とした生き方を見せる経営者は会社にお金も事業も残せないことがある。しかし、経営者としての姿勢は残すことができる。堂々とした生き方を示すことが「最大の遺産」になる。

自分たちがやるべきことをやっていく2009年12月、星野リゾートは「星のや京都」を開業した。富裕層向けの高級旅館である。「星のや」のブランドを冠した旅館は、同社発祥の地である軽井沢に次ぐ2カ所目となる。社員の頑張りを応援する星のや京都の開業前日。星野社長はそこで働く社員約40人を京都市内の飲食店に集めて、「決起集会」を開いた。「これから厳しい声を聞くことがあるかもしれない。それでも自分たちを信じていこう」。星野社長は社員たちと酒を酌み交わしながら、そう励ました。決起集会の最後に、星野社長は、自分で用意した八坂神社のお守りを1人ひとりに手渡し、握手を交わした。社員は笑顔で決意を新たにした。お守りの袋の中には、星野社長が密かに用意した和紙のカードが入っていた。「健康安全祈願、星のや京都開業」。前日の夜、星野社長はカードにこう手書きしていた。「社員はここまで本当によく頑張ってきた。その頑張りをとにかく応援したい」。そんな気持ちを込めた。日本旅館の良さと世界の高級リゾートの発想星のや京都は星野社長が培ってきたやり方が踏襲されている。旅館経営に必要なことをしっかりと積み重ねてきた。どんなお客様に来ていただくのか、どんな施設をつくるのか、どんなサービスを提供するのか…。コンセプトを決め、スタッフはトレーニングと準備を重ねた。星のや京都のコンセプトは「水辺の私邸」である。私邸としてのプライベート感と、京都の洗練された文化を享受できる空間を組み合わせている。星のや京都は風光明媚な嵐山の一角、大堰川をさかのぼった川沿いに建つ。お客様は嵐山の渡月橋付近から専用の船に乗り、川を約15分さかのぼり到着する。25ある客室はすべて和室だ。豪華なメゾネット形式の客室、女性のお客様の一人旅に合った客室などさまざまなタイプがある。サービスは日本旅館の良さを残しながら、世界の高級リゾートの発想を取り入れている。24時間ルームサービスを提供し、夕食は対岸の高級料亭「京都嵐山吉兆」など旅館外の店にも案内する。1泊1室の宿泊代は平均すると約7万円台と京都の旅館でトップクラス。ターゲットは国内の富裕層と海外からのお客様だ。星野社長は確信を持って経営に臨むために、事あるごとに読み返してきた文章がある。約80年前、祖父がキリスト教伝道者の内村鑑三から贈られた「成功の秘訣」(次の写真参照)である。この「成功の秘訣」は、原稿用紙1枚分と短いが、事業を成功させるための心構えを分かりやすく説いている。人生の目的や経営者としての基本姿勢などが凝縮されている。星野社長はこの文章に加えて、内村の著書を何度も読み、自らの経営姿勢を見つめ直している。

『成功の秘訣』星野リゾートとゆかりが深い内村鑑三は、星野社長の祖父のために数々の教えを残した。それは星野社長に受け継がれている。「成功の秘訣」のほか、内村が残した書や手紙などは、軽井沢にある「石の教会内村鑑三記念堂」で展示されている大正十五年七月二十八日、星野温泉若主人の為に草す成功の秘訣六十六翁内村鑑三一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。一、本を固うすべし、然らば事業は自づから発展すべし。一、急ぐべからず、自働車の如きも成るべく徐行すべし。一、成功本位の米国主義に倣ふべからず。誠実本位の日本主義に則るべし。一、濫費は罪悪なりと知るべし。一、能く天の命に聴いて行ふべし。自から己が運命を作らんと欲すべからず。一、雇人は兄弟と思ふべし。客人は家族として扱ふべし。一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。一、清潔、整頓、堅実を主とすべし。一、人もし全世界を得るとも其霊魂を失はば何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり。以上星野社長が参考にした教科書『後世への最大遺物デンマルク国の話』著者:‥内村鑑三出版社:‥岩波文庫価格:‥525円(税込み)「人生で何を残すべきか」を説く。内村の講演の書き起こし『代表的日本人』著者:‥内村鑑三出版社:‥岩波文庫価格:‥630円(税込み)西郷隆盛、上杉鷹山ら5人の評伝。すぐれた日本人のあり方を海外に伝えた

【受け継いでいくこと】Succeed「祖父の先生」が「自分の先生」に星野社長は、自らの経営姿勢が正しい方向にあるかどうかを確かめるために、内村の言葉やメッセージを何度も繰り返し読んできた。内村は明治から昭和初期にかけて活躍した知識人で、人の生き方を真摯に探求した人物である。キリスト教伝道者という立場を超えて活動し、その魅力は広く伝えられている。京セラの稲盛和夫名誉会長ら内村の著書に感銘を受けた経営者は少なくない。内村は軽井沢を愛し、星野リゾートとゆかりが深い。晩年には、夏になると軽井沢を訪れ、星野温泉旅館(星野リゾートの前身)が建てた別荘に滞在し、自然の中で読書にふける日々を送った。星野温泉で湯につかり、敷地内にある建物で聖書の研究会や講演会を開いた。その建物はやがて軽井沢高原教会になった。若き経営者へのメッセージ星野社長の祖父で2代目社長だった嘉助は、十代で旅館の若主人として働き始めたころ、内村と出会った。2人の交流は内村が亡くなるまで約10年間続いた。嘉助は内村からさまざまな教えを受けたあるとき嘉助は内村をT型フォードの自動車に乗せた。嘉助は運転免許を取ったばかりで、ハンドルさばきが荒かった。驚いた内村は嘉助に対して、経営者として忘れてはならない心構えを書いて渡した。これが前出の「成功の秘訣」である。文書の中に「急ぐべからず、自働車の如きも成るべく徐行すべし」とあるのは、こうした経緯があるからだ。「成功の秘訣」は10カ条で構成される。「他人に頼らない」「本業を大切にする」「質素倹約に努める」「誠実な態度で事業に臨む」「清潔、整頓、堅実にする」など、事業で成功するために経営者に求められる心構えが分かりやすい表現で書かれている。「成功の秘訣」の原文は星野リゾートが保管し、軽井沢にある石の教会内村鑑三記念堂で展示している。内村鑑三記念堂には、このほかにも内村の書や手紙などが展示されている。軽井沢にある星野リゾートの施設には内村ゆかりの品や場所がいくつもあり、内村の生き方に深く共感する人たちが今も時々訪れる。そんなとき、星野社長は「成功の秘訣」のコピーを渡している。改革に取り組み始めて大切さに気づく星野社長は幼いころから、内村のさまざまなエピソードを祖父から聞かされて育った。だが、社長になるまでは、内村はあくまで「祖父にとっての先生」だった。「成功の秘訣」や自宅にあった内村の著書を読んでいたが、「正直言って、ピンとこなかった。自分とは関係がないと思っていた」。内村のメッセージを自分のこととして受け止められるようになったのは、東京での学生生活や留学、海外での勤務経験などを経て軽井沢に戻り、1991年に星野リゾートの経営を引き継いでからだ。星野社長は星野リゾートのトップとして、軽井沢高原教会の礼拝に出席するようになった。教会を訪れている人の中には、内村と直接交流があった人や、教えを受けた人が少なくなかった。こうした人と話すうちに、内村に対する見方は変わった。「祖父の先生」というだけの存在でなく、自分にも身近な人物に思えてきたのである。当時、星野社長は会社の経営改革を始めたところだった。だが、なかなか思い通りに進まず、経営者として苦闘が続いていた。そんな中で、「成功の秘訣」をいつしか読み返すようになった。「よく読めば、ここには本当にいいことが書いてあるんだな。そう思うようになった。内村先生の考え方は、自分の価値観に合っているとも感じた」経営者が一番大事にすべきことは何か?「成功の秘訣」には、「人もし全世界を得るとも其霊魂を失はば何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を完成するにあり」という言葉がある。経営者にとって、事業を伸ばし、収益力を高めるのは、もちろん大切な役割である。だが、経営者が一番大切にしなければいけないのは、お金でない。それは品性である──。星野社長は内村の考えに強く共感した。星野社長は内村の著作を次々に読み返した。特に心に残ったのは、『後世への最大遺物』である。同書では、経営を超えたさらに広い観点から、人生を通じて何を残すべきなのかについて論じている。

お金や事業、思想を残すことは確かに素晴らしいが、誰もができるわけではない。これに対して、誰にでも残せるものがある。それは「勇ましい高尚なる生涯」だと内村は強調する。「弱い者を助ける」「困難に打ち勝つ」「品性を修練する」など、堂々とした生き方を説く内村のメッセージは、星野社長の心に響いた。そして考えた。「自分は星野リゾートの経営者として、会社に何を残せるのだろうか」「この会社で過ごせてよかった」と思ってもらえるようになりたいどんな経営者もいつか会社を去る日がやってくる。会社を次の世代に引き継ぐとき、潤沢な資金力、素晴らしい事業モデル、魅力的な組織文化がそろっていれば、理想的かもしれない。しかし、これらを残すには、経営者として成功することが必須である。成功を目指して全力を尽くしても、経営者にはさまざまな条件が絡み合い、そこには運の要素も含まれている。誰もが事業を成功させ、後継者に対して多くのものを残せるわけではない。そんな中で自分が確実に残せるのは何か。星野社長は答えを探した。そして気づいた。社員やその家族に対して、堂々とした姿勢を残せばいい──。「星野リゾートの社員は、人生の大切な時間をこの会社で過ごし、そしていつか会社を去っていく。そのときに『星野リゾートで過ごせてよかった、あの職場はとても幸せだった』と思ってもらえるようにしたい」。これが星野社長の思いである。

【考え続けていくこと】Anotherbook自分のアイデンティティーを世界に知ってもらう内村のさまざまな著作の中で、星野社長が愛読している本がもう1冊ある。それが『代表的日本人』である。同書は日本史の中から、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人という5人の人物を選び、評伝形式で記している。登場する5人は、活躍した時代や活動の内容が異なる。しかし、誠実な生き方を貫き、何があってもぶれない姿勢を保ったという点では共通している。そして、いずれもストイックな人物である。星野社長は「5人を通して日本人の気質を知ることは有益だと感じている。著者の内村先生自身も非常にストイックな人物だった」と語る。内村は同書を英語で書いている。日本の文化や考え方を海外に積極的に知らせようと考えたからである。同書のまえがきには、「わが国民の持つ長所──私どもにありがちな無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別のもの──を外の世界に知らせる」と記されている。

「自分のアイデンティティーを世界に対してどう知ってもらうかを考えるとき、同書には参考になるところがたくさんあると思う」こう感じている星野社長は、今でも内村の言葉や著書を読み返す。内村のメッセージをかみしめることで、経営者としてのあり方を見つめ直す。「内村先生の言葉を何度も読んでいくうちに、だんだんとその本当の意味が分かってきたと思う。内村先生の考え方は、自分にとって重要な価値観になっている」教科書のエッセンス『後世への最大遺物デンマルク国の話』●後の世代に何を残すのかについて、しっかり考えておく必要がある。●お金、事業、思想を残すのは重要だが、うまくいかないこともある。●「勇ましい高尚なる生涯」を残すことは誰にでもできる。●それは弱い者を助け、品性を修練する堂々とした生き方である。●こうした生き方こそが後の世代に伝える最大要素である。『代表的日本人』●日本人が持つ長所を日本を知らない外国人に幅広く伝える

星野社長が参考にしたリーダーシップの教科書心のマネジメント『Personnel』著者:‥RobertL.Mathis,JohnH.Jackson出版社:‥WestPublishingCompany星野社長の米国留学中の教科書で、人事問題を幅広く扱うスケールの大きさ、哲学に共鳴『イノベーターの条件』著者:‥ピーター・F・ドラッカー出版社:‥ダイヤモンド社価格:‥1890円(税込み)「はじめて読むドラッカー」3部作の1つで、「社会の絆」を大きなスケールで語る何度読んでも新しい発見『柔らかい心で生きる』著者:‥矢代静一出版社:‥海竜社劇作家の著者によるエッセイ集。「心を励ます出会い」などをエピソードとともに語る新しいことをするとき必ず読み返す『やまぼうし』著者:‥星野嘉助私家版星野社長の祖父で、星野リゾートの2代目社長の嘉助が、会社の歩んできた道のりや軽井沢の文化人たちとの交流を記した。「今があるのはここまでの歴史があるから。だから、その延長線上に星野リゾートを作っていく」社員を重視する大切さを知る『エクセレント・カンパニー』著者:‥トム・ピーターズ、ロバート・ウォーターマン出版社:‥英治出版価格:‥2310円(税込み)超優良企業を「行動の重視」「顧客に密着」など8つの切り口から語る歴史から地域の魅力を掘り起こす『口語訳「古事記」完全版』訳・注釈:‥三浦佑之出版社:‥文藝春秋価格:‥3500円(税込み)『古事記』の世界を分かりやすい表現で記す。地名解説なども充実している

 

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