『塵を払わん、垢を除かん』
この言葉は、ひとつとしてものを覚えられないシュリハンドクにお釈迦様がお与えになった言葉。
彼はこの言葉をくり返しながら、黙々と掃除をすることによって、誰にも負けない「悟り」を得ることができた。
掃除をしているうちに、心の塵、心の垢を取去ることができた。
多くの人びとは環境整備のことをよく知らない
環境整備とは、規律・清潔・整頓・安全・衛生の五つを行うことである。
多くの人びとは、環境整備について、知っているようで、その実よく知らない。大切なことだから、やらなければいけないと思いながら、なかなか積極的に実施しようとはしない。環境整備をテーマした論文やセミナーなど皆無に近い。
環境整備に対する認識も関心もうすいのである。私にいわせたら、これほど奇妙な現象はない。
十カラットのダイヤモンドがゴロゴロところがっている宝の山に入り、誰でも自由にこれを拾っていいのに、これを拾い上げようとしないようなものである。だから奇妙なことだというのである。
これが環境整備に関する多くの人々の認識なのである。盲点中の盲点ということができよう。
この盲点に気づいて、これを行う会社こそ幸いなるかな。聖書の福音書以上の素晴らしい結果を手に入れることができるからである。
環境整備こそ、すべての人びとの活動の原点である。
むろん企業にとってもそうであることはいうまでもない。環境整備のないところ、会社の発展はない。
環境整備のないところ、社会秩序も住みよい世の中も、いや、国家の繁栄さえ絶対にあり得ない、というのが私の信念ともいうべきものである。
以下、私の乏しい体験の中から発見したものを述べさせていただくこととする。
江田島
数年前、私は親しい社長さん達十数人と江田島にある自衛隊の幹部候補生研修所を見学した。もと日本海軍の兵学校だったところである。
自衛隊では、民間の人々の見学を歓迎しているのだという。旧海軍の中佐だった人が案内係だった。
正門から奥の方に主道路があり、二百メートル余り先からゆるく右に曲り、道路の右と正面奥の方に赤煉瓦の兵舎があり、左は広場でその広場の左に戦後に建てたという鉄筋コンクリートと思われる三階建らしい建物があった。
舗装された道路の両側は小砂利が敷きつめられ、熊手で仕上げた規則正しい筋目が入っていた。道路も砂利敷もチリ一つ落ちていない。砂利敷には足跡一つないだけでなく、筋目に全く乱れが見えなかった。
赤煉瓦の兵合は、百年前に英国人によって建てられたという。いまだにビクともしない堅固なものだが、中央の道路から見えた戦後日本の建築会社が建てた鉄筋コンクリートの建物は傷みが甚だしく、危険なため、立入禁止になっているという。日本人とは何と情ない人種なのだろうか。
兵舎の内部は見せていただけなかったが、屑籠には紙片一枚入っていないという。もしも、週番士官の巡視で屑籠の中に紙片でもあろうものなら、誰が捨てたのかと厳しく追及されるということである。
だから、研修生は外出時には風呂敷を持参し、買った物は裸のまま受取って風呂敷につつんで帰るという。包装紙などいらないという実証がここにあるのだ。
現在日本中で困っているゴミ問題解決の手本になることが、ここにあったのだ。
資料館には、勝海舟の雄渾な揮豪があったが、私には一字も読めなかった。山本五十六の色紙もあった。佐久間艦長の遺書(本物)もあった。
特攻隊員の出撃前に書いた肉親あての手紙を読んでいる参観者はみな泣いていた。私も胸がつまり、涙が流れて仕方がなかった。明日は死にゆく人間の最後の魂の叫びがそこにあったのである。真珠湾攻撃の特殊潜航艇(実物)もあった。すべてが大きな感銘を呼ぶものばかりであった。
帰りの遊覧船が岸壁をはなれて、しばらくたった時、同行の社長さんの一人が「一倉さん、案内人だった人が岸壁で見送っておりますよ」と教えてくれた。
あわててデッキに駆け上って、直立不動の姿勢で見送って下さっている案内人の方に手を振った。私は、何と礼儀知らずの人間なのだろうと、恥ずかしくて身の置きどころもない思いだった。
これほど大きな感動を受けたのは、戦後初めてだったのである。世界中の軍隊は、ただ一つの例外もなく、環境整備が実に立派である。環境整備こそ、精強な軍隊をつくるための絶対的条件であり、しかも最も根源的な条件は環境整備であることを知っているからだ。
これは、数千年(数万年かも知れない)の年月と膨大な戦費と数えきれないほどの尊い人命の犠牲を払っての教訓だからである。
タンクローリーの注入口に封印をする
M社はタンクローリーでN社の食品を運搬していた。タンクローリーはもちろん、車庫も事務所も排水溝も、一カ所どころか、一点の汚れもないという完璧な環境整備である。
運転手の人達は、仕事を終って帰社するとドシャ降りだろうと雪だろうと、雨具に身をかためて休む間もなく車の洗車である。これが終らないうちは絶対に休憩しない。全員一日二時間を車の整備にあてているという。
着ている作業衣は、まっ白、車はピカピカ、礼儀正しさは、こちらが面食らうのである。
見学の人達が絶えないのだが、みな、あまりの見事さに、腰を抜かさんばかりに驚くのである。
今年購入した新車と、五年使って今年廃車になる車を並べて、十メートル離れて見ると、どちらが五年使った車か区別がつかないのである。車の整備は万全、運転手は慎重、事故など起す筈がない。燃費効率は最高である。
同業者の社長から、冗談めかした苦情がでる。「あんまリピカピカにするな。すれ違う時に眩しくて運転に差し支える」というのである。
運ぶ品は「水あめ」が主体で、タンク注入時には、注入回の周囲をアルコールで噴霧消毒し、注入し終ると封印をする。これはお客様から要求されたのではなく、M社が自主的に行っているのだ。
納品先のK社のごときは、N社に対して「我社はM社の車で運んだ品物以外は受入れをしない」という申し入れをしている。毒物混入というような悪質な妨害をされる心配がないからである。
N社で新工場を造った時には、「新工場の品物の運搬を頼む」といわれた。そこにはN社系列の運搬会社があるにもかかわらずである。
最近は、M社の評判を聞いて、大手の会社から次から次へと仕事の依頼がある。その対応に忙しくて、いくら増車をしても間に合わない程である。新規得意先の開拓など全く必要としないのである。
M社は「お客様に大きくされてしまう会社」なのである。
町内の清掃をする
P社で環境整備を行った時である。はじめのうちは私が社長や役員と一緒に社内を巡回してチェックをする。採点をしてみると、第一回目にしては意外によく、百点満点で二〇点だった。多くの会社では五点くらいが多く、ときどきマイナス五点というような時もある。
ところが、採点前はどの会社も七〇〜八〇点はもらえると思っている。そのくらい環境整備というものは、始めはどの会社でも分からないものなのである。
P社の減点で大きかったのは、材料置場と部品棚の整頓と、捨てるべきものをまだ十分に捨てきっていなかった点である。
部品棚の整頓は、一段だけ私がやってみせた。所要時間は二〇秒ほどであった。それでも全く見違えるようになるものである。
製造部長はこれを見て、「一倉さん、江田島と同じですね」とおっしゃった。製造部長は海軍で江田島の経験があったのだ。私は「その通り」と答えた。
製造部長は、これで要領を呑みこんだ。あとは早かった。みるみる職場が変わってしまった。
それと同時に革命が起った。私は、環境整備は正規の就業時間、つまり給料を払う時間でやらなければダメであるという信念を持っている。
P社の場合もそうであった。残業をしなければならないほど忙しいのに、毎日一時間を環境整備に費やすのである。
管理職の人は当然反対する。「そんなことをしたら生産が落ちます」と。この時の社長の正しい指導は「遅れてもいい」である。
環境整備を就業時間中に一時間行って生産が落ちた会社は、私の経験では一社もないからだ。逆に上がってゆくことを私は知っている。
P社も生産がジリジリと上がりだした。毎月の実績を見て、当の管理職が「不思議だ」という始末だった。
その年の十一月に、注文殺到で例月の三〇%以上の増産を行わなければならない状態だった。それを立派にこなしてしまって、まだ余裕があったのである。
従来なら、工場の中は戦場のようになったのに、全くそれがないばかりか、みなのんびりとして今にも鼻歌でも歌い出しかねない雰囲気だった。社長も製造部長も「全く不思議だ、とても本当とは思えない」と私に語って下さった。
まず生産において革命が起ったのである。革命は他にも及んだ。しかも、それは社員全員ともいえる意思によってである。
ある日、社員の代表が二名で社長の前に立った。社長にお願いがあるというのだ。社員のお願いというのは、「気がついてみたら、会社の周囲の方々に迷惑をかけていた。大きなトラックが出たり入ったりする。残業の時はプレスエ場だけに騒音公害である。だから、せめてものおわびとして、月に二日、全員で早出をして町内の清掃をしたい」というのである。
むろん、社長はOKである。P社長は「こんな嬉しかったことはない」と私に語った。当日は全員七時に集合し、男子は清掃、女子は朝食の仕度である。清掃が終ると全員揃って食事である。
これを始めたら、周囲の町内の人々の態度が変わってしまった。社員の清掃時間に合わせていっしょに清掃を始めた人もいる。お茶を入れてくれる人がいる。
というようなわけで、社員と町内の人々との素晴らしい人間関係が生れたのである。
例年、冬場は忙しくて残業が続くのだが、町内の人は誰一人としてウルサイと苦情をいってくる人はいない。社長は大感激である。
しばらくして、P社は工場の一部を建て直すことになった。平屋を三階建にするのである。こういう場合は付近の人々が反対して承諾をとるのに難航するのが普通である。
ところが、である。町内の代表の方々に会社にお集り願って、社長は図面を広げて説明したところ、代表の方々は、その場で簡単な相談をしただけで、「あと一メートルだけ建物を引っ込めていただきたい。そうすれば町内の方々へは私どもが説明して了解をとります」と即答である。
それだけではない。会社にあれこれ文句をいってくるだけでなく、町内の人々を扇動していた人がいた。代表の方々は「お宅にあれこれいう人がいますが、気になさらないで下さい。私達が説得します」というのである。
環境整備のお陰で、P社は町内の人々との優れた人間関係が生れ、何の心おきなく仕事を続けることができるようになったのである。多くの場合に、工場移転でもしなければ増産できないのに、である。
外国の会社と一回で契約成功
K社は鋳造工場である。K社長と熱海から川崎駅までの車中で、環境整備の話を申しあげた。熱海セミナーの帰途だった。
それから数力月たった頃、K社長から、えらくお礼をいわれた。
私の勧めで環境整備を徹底的に行ったところ、会社が生れ変わったというのである。鋳造工場というところは、明けても暮れても砂をかき回している。粉塵の中で作業をしているのだから、環境整備といっても容易なことではないのに、「よくぞ」というのが私の感じである。
会社の社員の態度は全く変わり、不良は減り生産は上がる。親会社の信頼は上がる。その親会社が他の子会社に話をするので、工場見学者が押しかけてくる。
そのために時間をとられるが、これは信用アップ料だという。そうこうしているうちに、社員の間から工程管理改善の声が起った。自発的小集団活動である。いままで何回も外部の権威者までお願いしてもうまくいかなかった工程管理が見事に軌道に乗ってしまったという。
ある時、アメリカの会社から契約の話があり、先方の社長がわざわざ会社に来られた。
工場をご覧にいれたところ、あまりにもキレイで整然としているのに深く感銘されたという。そして、社長室に戻ってこられたその社長は、「あなたの会社のことは何の説明も聞く必要はない。立派な工場が総てを語っている」とたいへんな褒めようだったという。
そして、「あなたの会社と契約することに決めた」と。たった一回で話がまとまってしまったのである。
K社長は、環境整備の絶対的ともいえる威力を再認識させられて、私に知らせて下さったのである。こういう話は何回聞いても嬉しいものである。
ヨカトピアのシンボルタワーで
S社は、あるサッシメーカーの下請である。福岡市で、ヨカトピアと称する博覧会を開催した時に、親会社がシンボルタワーのサッシを受注し、これをS社に作らせた時のことである。
S社は、数年前から私の勧めで環境整備を真剣になって行っており、親工場がビックリする程の徹底ぶりだったのである。環境整備で生産性向上と不良減少という、ダブルメリットを享受していたのである。
完成したサッシを会場に持込んだ時に、タワーの周囲には工事を担当するたくさんの会社の機械や部材が持ちこまれていたのだが、それらの機械、部材は乱雑S社の社員は、自らの部材をキチンと整理して置いたのが、他社があまり乱雑なので、見かねて他社のものまでキチンと揃えたのである。
他社の社員は、それをケゲンな面持ちで眺めているだけだったという。ビックりして成すこともなかったのである。
ところが、仕事にかかって、それらの会社は一様に仕事がスムースに行くことに気がつき、S社に感謝したという。そのために、S社は、タワーエ事会社のリーダーのようになってしまったという。
特に、S社のサッシの取付け工事を行った会社は、サッシがウソのようにピタリと納まってゆくのにビックリしてしまった。こんなことは創業以来初めてだという。
この会社の社長は、こんな立派な仕事をするS社とは、どんな会社だろうと、工事が終ってから、S社を訪問し、素晴らしい環境整備に深い感銘を受けた博覧会の当事者は、はじめ、シンボルタワーの工期が最も長くかかり、開会に間に合わないのではないかと予測していたところ、何と最も早く完成してしまったのに唖然としてしまったり感心したりであったという。
環境整備の威力がこれなのである。
これが関係者に評判になり、S社には続々と引合いが持ちこまれた。横浜のベイブリッジをはじめとしてである。
このようにして、環境整備は会社のイメージを高め、技術も姿勢もともに優れた会社として、 一気に業界に名前を知られてしまったのである。S社は、この無形の財産によって、どれ程大きなメリットを将来に対して持つことができたかしれないのである。
オーラの到達距離は四〇〇キロメートルか
F社に初めてお伺いした時に、工場のあまりの汚さに「トサカ」にきた私は、「こんなザマだから赤字になるのだ。会社をつぶすとも売りとばすとも、勝手にしろ」と、散々毒づいて帰ってしまったのである。
一年余り過ぎたころ、F社長から連絡があり、「一倉さんに叱られてから、心を入れかえて環境整備を行ったところ、不思議なことに仕事が増えてきて、業績が急上昇してきた。もう一度会社を見てほしい」という話だった。
私の罵倒を怒るどころか反省し、見事に業績を回復されたF社長は誠に立派な方である。
機会を得てF社を訪問した私は、ビックリ仰天してしまった。同一人が、これ程までに変われるものかと。
終業後だったので、私のために居残って下さった女子社員の方が一名だけだったが、その応接の態度からして、にこやかで礼儀正しかった。
事務所の机の上には何もなかった。優良会社共通のことである。
湯わかし場の食器棚の中は見事としかいいようがなかった。茶碗、カップをはじめ、引出しの中のスプーンやフォークまで一ミリのズレもない。仕切りを使っているのだった。
タイムカード室の掲示板には、大きさの違った二枚の貼紙があったが、上辺はキチッと揃っていた。
トイレは社長が清掃担当だということだが、輝くばかりで、汲み取り式なのに臭気は感じられなかった。トイレタリー用品はお客様用が別になっており、香水まで用意されていた。
その隣りの駐車場では、バンパーの前縁が糸で引いたような直線になっていた。
すべての機械は磨きに磨かれて、ところどころ塗料が磨き減りで生地が出ているのである。それでも、環境整備が完全に根付くまでは塗りかえをさせないとのことであった。
工具研磨室では、室の隅にさえ砥石の粉が全く見当らず、工具棚の中は整然として毛筋ほどの乱れもないのである。
F社長は、「毎日一時間の環境整備は、我社で最も生産性の高い時間です。これによって、従来より三〇%もの増産ができるのですから」というのである。
この、一点非の打ちどころもないような環境整備は、F社に奇跡をもたらした。F社から四百キロも離れたメインの得意先S社の購買部長が突然来訪され、環境整備の見事さに深く感銘されたのであろう。部長が帰社するや否や仕事がドッと持ちこまれた。
続いてD社の外注課長が来社し、途端にD社からの仕事が増えだした。その他、大手の四社ほどから新たな仕事が次々と持ちこまれてきたのである。
この不思議な現象は、単なる偶然とはどうしても思われないのである。整備された建物からは建物の精が、磨き抜かれた機械からは機械の精が、清浄で強力な精気(オーラ)を発し、これが遠く四百キロも離れた得意先にまで届いたからだ、と解釈したいのである。
そんなことがある筈がないといわれようが、こうした現象を他にも見ているのである。次のレストランの例がこれである。
環境整備だけで売上げ四倍のレストラン
レストランのA社に私が初めてお伺いしたのは、十年以上前のことだった。当時のA社は、業績は下降の一途で、大幅な赤字に泣いていた。付近にレストランがいくつもできたからだという。
私は「何が競争相手のせいだ。自分でやることもやらずに、売上げが減ったもないものだ。性根を入れかえて環境整備をやれ、こんな汚い店をお客様が嫌がるのは当り前だ。それをやらずに、店の宣伝に頼るとは怠け者のやることだ」と決めつけたのである。
この日からA社長は心を入れかえて環境整備に力を入れだした。それからは、三カ月に一回くらいA社に行き、店毎の採点と注意を行った。二回目の時には売上げは少し上がっていた。
三回目の時である。店毎の私の採点をグラフに記入した社長は「アッ」とばかり驚いた。私の採点の上がり具合と、店毎の売上げが見事に一致していたからである。
採点の上がった店は売上げ増が大きく、採点のあまり上がらない店の売上げはわずかしか上がっていなかったからである。これによって、A社長は、自分は何をすればいいかをハッキリと自覚したのである。
この頃になると、社長をはじめ社員の一人一人の心構えがかなり違ってきていた。
社員の一人一人が、環境整備だけでなく、「どうしたらお客様にサービスをもっとよくすることができるか」を考えるようになり、サービス向上策を話し合うようになったのである。
A社全体に「心の革命」が起きたのである。それから十年間、A社の売上げは文字通り、ただの一カ月の低下もなく上がり続けた。
客席回転率は、全店(八店舗)通常六回転である。A社長は「六回転なんかできない筈なのに」と首をかしげるのであった。オーラの起した奇跡と私は考えたいのである。
A社は、社長以下全員環境整備の鬼となっている。この鬼たちは、お客様には心のこもったサービスをする鬼たちである。
全店、心の洗われるような清潔な店で、一生懸命お客様にサービスをしている社員のみならず、パートさん、学生アルバイトの人たちを見ると、私も心から嬉しさがこみあげてくる。
私は、A社の環境整備は、ホテルオークラに優るとも劣らないものだと確信しているのである。
二〇〇〇ルックスの照明
I社は社員七〇〇人程のメッキエ場である。I社長は環境整備を、経営計画書の基本方針の中に謳っている。環境整備を強力に推進したところ、日を見張るような大きな収穫が二つあった。
一つは生産性が三〇%以上あがったことであり、もう一つは「メッキ不良」の激減である。不良率が問題にする必要のない程になってしまったのである。
そのために、納期が確実になってお得意様の信頼が高まった。いいことずくめである。そのために、値上げのお願いが従来にない程スムースにできたのである。
環境整備の重点項目の一つに照明を明るくすることがあった。明るさは作業面で二〇〇〇ルックスである。社内が一気に文字通り明るい会社になってしまった。
そのための電気料金の増加はごく僅かで、問題にする必要など全くないという。
毎月一回、I社長自ら環境整備のチェックを行うのだが、整備の不十分な箇所は必ず照明が暗いという。
社長の注意は「照明をもっと明るくしなさい」ということで、整備不良には触れないのだという。それでいて、次回巡回の時にはチャンとキレイになっているという。
この環境整備は思わぬ副産物を生みだした。パートのおばちゃん達がお化粧をしてくるようになったことである。
「きれいになったね」とほめると、てれくさそうに「だってこんなに明るくなったので、お化粧しなければはずかしいんです」と。結構なことではないか。
N社でも全く同じことが起った。和菓子のメーカーで、自前の店舗で直販をしているのだが、私は全店二〇〇〇ルックスにすることをお勧めした。
たちまち売上げが上がりだした。そして、女子店員の方々はみなお化粧を念入りにしてくるようになった。とたんに礼儀正しくなり、お客様応対がよくなったのである。
K社は、電子部品の製造をやっている。
ここでも照明を明るくしたのだが、訪問して工場を見ると、イヤに暗い。「なんでこんなバカなことをしたのか」と問いただしてみると、K社長は「きっと照明のことで一倉さんに叱られると思っていました。
実は、先日主要得意先の購買課長さんがお見えになって、『照明が明るすぎる。こんなことでは″コストが高くなるではないか』といわれて、しぶしぶ暗くしたのです」という。こういう
コスト病患者が実に多い。コスト病というのは、会社の中で最も危険な病気の一つである。
必ず製品の質が落ちるし、 一番大切なものは「コスト」になってしまい、お客様サービスにかかるコストなど真っ先に削られて、お客様をおこらせたり信頼をなくしたりするのだ。
極端な場合には、コスト病が会社をつぶしかねない程恐ろしいものなのである。
いま時の中小企業では、すでに削れる費用などは殆んどない。多少のムダはクッションとして必要なものなのである。大切なことはコストではなくて、「収益」(付加価値又は粗利益)なのである。
コスト病患者には、このことは全く分からない。「一」のコストを減らせれば、それによって「十」の収益が減っても、コストにしか関心を示さないのである。
私がK社長に気合をかけようとすると、私の流儀を知っている社長は、「明日の夕方きて下さい。それまでに明るくしておきます」と。
K社長いわく、「照明を明るくしたら、たちまち不良が減りだして、お客様に喜ばれました。あるお得意様は月間数百万円のコストダウンは固い、とたいへん喜ばれました」と。
B社は文房具店である。照明が暗いので明るくすることを勧めた。明るさの基準は、天気のよい日の十二時頃に、道路の向う側からみて、店の中の陳列がよく見える明るさとすればよいと。
しばらくしてお伺いしたら、「一倉さん、売上げが三割上がりました。これにかかった工事は一八万円でした。まさか、こんなに効果があるとは思ってもみませんでした」と。
特命工事が多くなってゆく
S社は建築業である。S社長は、明けても暮れてもお客様訪間と建築現場の巡回である。この二つを社長が始めてから、S社は全く変わってしまった。
現場回りの重点指導事項は環境整備である。これをやるようになってから、社員は丁寧な仕事をするようになり、お客様の評判は非常によくなった。
環境整備の成果は大きかった。工期が目に見えて短縮されていった。ある冬の時期に、小学校の講堂を請負った。その冬は例年になく寒気が厳しく、何十年ぶりというような雪が降り、工事のできない日が多かった。
校長先生は、卒業式は新築した講堂で行う予定が狂って、父兄にご迷惑をかけることになるのではないかと、ずいぶん心配されたという。しかし、その心配は無用だった。予定通りに工事が進み、卒業式に間に合った。校長先生は大喜びであった。
工期は六カ月の予定だったが、工事の出来ない日が一カ月以上あったにもかかわらずである。三割もの工期が短縮されたのである。もう一つ、転落事故がバッタリと後を断ち、ケガも日に見えて減ってしまったのである。
S社長は、「一倉さん、労災保険の負担金が最低になりましたよ」と私に語った。S社の建築現場を見せていただいた時には、私は自分の目を疑った。
木造注文住宅で、かなりの大型だった。休日だったので作業員はいなかったが、「チリ一つない」なんて表現が物足りない程であった。
敷地内にチリ一片ないのである。ゴミ箱の中までである。これから使う部材は、屋内であれ、屋外であれ、必ず家と平行又は直角に置かれ、その端末はキチンと揃えてあるのだ。毎日作業をしている現場でこれである。
S社長の話では、お施主(建築主)さんが現場を見にきて、みな感嘆される。そして「S社に頼んでよかった」とおっしゃるという。ある人は「お宅の会社は誠に不思議な会社だ。私がいつきて見ても、監督の方は必ずほうきを持っている。まるで掃除夫のようだ。あれで、よく監督がつとまるな、と思うのだが、引渡し期日が遅れたことがない。本当にどうなっているのですか」と。
これが作業現場の理想の姿だと私は思っている。K社の鋳造工場――金型を使ってのアルミ鋳造― ―は、会社の中で最も環境整備ができていて、不良率は極めて低い。環境整備前には他社なみの不良率だったとのことだ。
そこの課長は、毎日職場のあちこちのペンキ塗りばかりしている。課長としての仕事は、以前は毎日忙しかったが、今はごく僅かしかないので、ペンキ塗りでもしているより外に仕方がないのだということだった。
話をS社にもどそう。S社の仕事の質は他社を圧し、しかも納期確実ときている。お客様は、僅かばかり高い価格など当然のこととして大切な仕事をまかせてくれる。
S社の仕事は年を追うに従って「特命工事」の比率が高まってゆく。最近では受注の七〇%を超す特命である。
そのために、収益性は高まり、その上不況になる程注文が増えていくというのである。この、信じられないようなことが、S社の姿なのである。
環境整備の意味
環境整備というのは、規律・清潔・整頓・安全・衛生の五つである、というのが私の見解である。
このうち、安全と衛生は、規律・清潔・整頓を行えば自然に実現するし、その意味は誰でも分かっているので、この二つは省略することとする。
規律
規律とは、
①決められたことは必ず守る
②命令や指図は必ず行われる
というのが正しい解釈であろう。
憲法・法律・条例などは、国や自治体で決めることである、ゲームにはルールがある。会社には、社規・社則というものがある。物をつくる時は、設計や仕様を守らなければならない。
人間の生活や活動、会社の仕事、ゲームに至るまで、必ず「きめごと」がある。これを守らなければ、社会生活も会社の活動も、うまくいかない。
競技やゲームはルールがなければ実施できないのだ。守らなければ混乱が起ったり、事故が発生する危険がある。だから、「きめごと」を守らなければならない、という何とも単純なことなのである。
「きめごと」がある以上、それが不都合だろうと、違背してはいけない。あくまでも、その通りやらなければならない。
しかし、「きめごと」が不都合となってくれば、いつまでもそのままでは困るから「変更」をしなければならない。そうしたら、今度は変更されたことを守らなければならないのだ。
だから「きめごと」には良識が必要なのである。良識のない「きめごと」は社会的罪悪である。
命令や指図も同様、これが必ず行われなかったなら、これまた社会生活も、会社の経営もあったものではない。
「必ず行われること」については、命令や指図を受けた側に一方的な責任があるのではない。命令した側には、行わせる、行えるように指導する、正しく行われたかどうかをチェックする責任があるのだ。とかく、「命令の出しっばなし」ということがある。
もしも行われないのに出しっばなしでチェックも行わないというのでは、結果においては「命令しなかった」と同じことになってしまう。
だからこそ、命令した側には、「行わせる」、「チェックする」という責任があることを忘れてはならないのである。
よく、「いくら言ってもやらない」とボヤく上司がいるが、これは行わない方が悪いだけでなく、行わせない方に、より多くの非がある、と考えるのが上司としての正しい態度である。
清潔
清潔とは、
- ①いらないものを捨てる
- ②いるものを捨てない
というのが正しい解釈である。単に掃除をしてキレイにする、ということではない。いくらキレイにしても、いらないものを捨てずにいるのでは、清潔ではないのである。
もったいない、といって捨てずにおくのは美徳のようであって美徳ではないのだ。いらないものに大切なスペースを占領されて仕事に差し支えるのは、愚行でしかないのだ。
もったいない、といっていらない物を捨てずにいるのこそ、本当の意味でもったいないことをしていることになるのである。
清潔において、大きな盲点に気がつかない会社は数多い。その盲点とは、色のついた作業衣である。
なぜ、色のついた作業衣を着るのか、を考えていただきたい。それは、「汚れが目立たない」からではないか。
汚れというのは、「いらないもの」であり、不潔である。色のついた作業衣を着せること自体が「汚れて不潔なものを着ていてよろしい」という社長の無意識の意思表示であることを考えていただきたい。
汚れをきらう職業や職務― ‐医師、看護婦、薬剤師、コック、板前などは、みな真っ白な上っ張りを着ているではないか。
私が最初に白い作業衣にお目にかかったのは、二十数年前に、本田技研の協力工場にお手伝いにいった時である。
本田社長が、ある協力工場に出向いた時に、その工場では自の作業衣を着ていた。これを一目見た本田社長は、自らのウカツに気づき、直ちに本田技研だけでなく、全協力工場にまで自作業衣を着せたという話を聞いている。さすがに名経営者である。
私は、お手伝いする会社に、例外なく白作業衣をおすすめする。鍛造、鋳造、メッキ、塗装などの工場はもとより、スクラップ処理、一般産業廃棄物処理業者とて、すべて白作業衣をである。
ある会社で「一倉さん、トラックの運転手は半日で汚れてしまうのですが……」という。「何いってるんだ、工場が汚れているから、でき上がった品物が汚れ、倉庫が汚れ、カートンがホコリだらけ、車の荷台が汚れ、キャンバスが汚れているからだ」と突っぱねたことがある。しばらくすると、運転手の自作業衣の汚れが二〜三日は目立たなくなった。
私の工場の清潔度合は、洗いたての自作業衣を着て、床をころげ回った時に、白作業衣が汚れない場合に一〇〇点満点とすることにしている。これは、「清潔に「これでいい」という限度はない」という意味だと説明することにしている。
白作業衣は有償か無償かということだが、多くの社長さん方の意見では「無償にすると大切に扱わなくなるから、有償として安価に支給するほうがよい」というご意見が多い。
白作業衣の洗濯は、必ず会社で行ってやるべきである。
家庭用洗濯機を二〇台くらい並べている会社があった。パートのオバサンを頼んで請負わせている会社がある。プロの洗濯屋に頼んでいるところもある。
作業衣の交換は、週二回〜三回くらいのところが多い。といっても、どうしても汚れ易い職種には毎日取替えさせているところもある。
月曜日の朝、全員真っ白な、プレスの効いた洗いたての作業衣を着て朝礼をするスガスガしさは格別である。
あるゴルフ場で(残念ながら、名前を失念)半日でキャディさんのユニフォームを交換させているところがあるという話を聞いたが、立派な社長さんである。
練習ボールをキレイに洗って定数を籠に入れておくゴルフ場があるが、実に気持よく練習打ちができる。
「いるものを捨てない」というのは、意味の説明は読んで字の如しだから省く。後始末や清掃の時に、これを面倒がらずに行うかどうかは、躾の問題である。
端材。残材などは、現場の責任者が判定するとか、寸法や大きさの基準を定めて、それより小さなものは捨てるとかを決めておけばよい。
いらないものを捨てる、というのは人体に例えると″便秘クをしない、ということであり、いるものを捨てない、というのは下痢をしない、ということである。
便秘と下痢をしないということは、人体の健康のための基本条件である。同様に、職場においても便秘と下痢を防ぐということが健全な職場の基本条件である。
人体と職場は全く同じ原理に基づいているのだ。「職場の便秘と下痢を防ごう」というスローガンも面白いと思う。
整頓
整頓とは、
- ①物の置き場所を決める
- ②置き場の管理責任者を決めて表示する
ことであって,片づけるクことではない。片づけたら仕事にならないではないか。だから、「片づけろ」という指令は間違いである。
物の置き場所を決める時の留意点は、仕事に最も便利なような、ということである。だから、工具などは工具箱にしまったりすると、取出す時にガチャガチャとかき回すようになるから、必ず整理板(穴空きボードがよい)を使い、影絵を書いて工具名を書いておけば、新人にわぎわざ教えなくともよい。
机の上の書類立てに、たくさんの書類を並べておくのは、どこの職場でも見られる光景だが、あれは、ごくまれにしか使わないものが殆んどだから、別のところに保管して、終業後は机の上には何もない、というようにすべきである。
その他、引出しの中、棚、車のダッシュボードやトランクの中などまで、いらないものを捨て、置き方を決めると、全く見違えるようにキチンとした職場になってしまう。
消火器は、イザという時を考えて、必ず取出し易い場所に置かなければならないし、取出す時にジャマになるような物は置かないようにしなければならない。これが案外できていないのを、私は知っている。
置き場と管理責任者の表示板は、大、中、小と三種くらいつくり、全社で同じものを使うべきである。
大、中、小をタテとヨコに使えば六通りの使い方ができる。
その他、法律で決められた危険物、注意箇所などは、必ず法律に従って表示や防護法をとるのはいうまでもない。
私は、掃除道具の置き場所と表示ができた時に、及第点をつけることにしている。
環境整備はこうして
まず、絶対条件は社長が先頭に立つ、ことである。これだけで社員の心構えが全く違ってしまうからである。「よきに計らえ」というのはバカ殿様のやることで、よきに計らってやれるようなことではないからだ。
第二には、徹底的に行うことであって、「もうこのくらいでいいだろう」では、たちまち崩れてしまい、もとに戻ってしまう。妥協は絶対禁物である。
右の二つのことを前提として、
1 整備の担当区分とリーダーを決める
会社全体の平面図に担当区分を明示し、メンバーとリーダーを決定する。整備の責任は必ず境界より五〇センチ超えるようにする。つまり境界線よりお互いに五〇センチずつ、つまり一メートルの幅は、両方の担当責任とする。
これをやらずに、柱を境界とするということにすると、柱の幅だけ不整備の帯ができてしまうからである。これが人間というものである。
2、整備道具を取揃える
ほうきoチリトリ・雑巾という掃除道具だけでは整備はできない。環境整備は正規の仕事だから、それにマッチした道具が必要である。
最も基本的な道具は、ウエスと歯ブラシである。ウエスはボロ切れではなく、新しい木綿を適宜切って使用するのである。
あとは、ドライバー・へら・ピック・ブラシ・モップ・錆落し。洗潅剤・塗料その他必要に応じて揃えたり、特別作ったりする。道具は優れた仕事をするために絶対必要なものであり、価格もあまり高くないのだから、自由に買い求めさせればよい。
右の準備段階は大した手間も金もかからない。次はいよいよ環境整備である。
一番始めにやるのは、
3、社長自ら(でなければダメ)全社を巡回する
記録係を連れてである。何をやるかというと、「捨てるものを指示する」のである。むろん期限つきである。今使っていないもの、当分使うアテのないものは残らずである。
この時に、「何かにいるかもしれない」「修理すれば使える」と思ってはいけない。こんなことをすると、捨てるものがなくなってしまうからである。
何かにいるかもしれないといってとっておくと、しまいには始末に負えなくなって、必要な時に取り出すことができなくなってしまう。
修理すれば使えると思っても、いつ使うか分からぬものを修理するなんてことは、やる筈がない。必要になった時には修理しているヒマなどないのだ。
困るのは、「もったいない」という考えである。年配になる程この考えが強い。「もったいない」と思う程、もったいないことはない。
そのために大切なスペースをとられて、日常の仕事の邪魔になる。これ程もったいないことはない。スペースというものは、その一坪一坪に資本が投下されているのである。金利つきの資本がである。
とにかく、「今使っていないものは、何もかも捨てる」と思うべきである。むしろ、捨て過ぎると思われる程にである。
では、「捨てたものが必要になったらどうするか」というのだが、その時は「新しく買えばよい」だけの話である。
だから、すべてのものに目をつぶる思いで、いらないものは、「捨てて、捨てて、捨てまくる」ことが絶対に大切なのである。
これがやれるか、やれないかが、環境整備が成功するかしないかの分かれ道であることを肝に銘じなければならない。
だからこそ、社員にやらせたらダメである。必ず中途半端になって環境整備は失敗してしまうからである。
4、環境整備は毎日行わなければならない
環境整備は必ず「賃金を払っている時間内で行う」ことが絶対条件である。
もしも残業で行うような場合が生じたら、必ず残業手当を払わなければならないのとはいっても、残業時間で行うのは賢明ではない。どうしても「時間外」というイメージがつきまとって真剣味がうすれるからである。
また、「繁忙期だから」といって、その期間環境整備を中止したら百年目、環境整備は失敗し、社長はじめ社員の「精神革命」は失敗し、会社繁栄の機会は永久に失われてしまう。
忙しい時期でも、環境整備は必ず正規の勤務時間内に行い、それ以外の仕事を残業に回すのである。
毎日の環境整備の時間帯は、会社の勤務上の都合で決める。始業時から一時間、午後の始業時間から一時間、終業時前の一時間と、会社によってマチマチである。
「一時間なんてもったいない」と思われるかもしれないが、そこを我慢してとにかくやってみることをお勧めしたい。必ずよい結果を手に入れることができるからである。夢ゆめ疑うべからず、である。
とはいえ、毎日の全社をあげての環境整備に問題がないわけではない。それは、営業関係や配送業務の人たちは、一緒にできない場合があるからである。
こういう人たちは、土曜日の午後(週休二日制の場合には金曜日の午後)などに、まとめた時間をとって行うとかの工夫を必要とすることがある。
5、環境整備はどのように行うか
毎日一時間の整備を、ただ漫然と行ったのでは成果の期待はもてない。効果的なやり方をしなければダメである。
それは……まず、 一日一時間とすれば、始めの十分〜十五分は、その日の仕事の後始末をし、残りの時間はグループ毎の計画にもとづいて、特定の箇所だけに限定して行う必要がある。
それは、各人が一人で週刊誌の見開きの面積だけとし、それ以上やらないことである。「今日はこれだけ」という「これだけ主義」を守ることである。これだけを四十〜五十分かけて徹底的に磨きあげることである。
ただし、あまり汚れていない時は、もっと広い面積を行ってもよいが、広げすぎないことが大切である。こうすると、磨きあげた部分と汚い部分の差がハッキリして、効果を確認できるのである。これは極めて重要なことだから厳重に守っていただきたいのである。
そして、机の引出しの中・棚・車のトランクやダッシュボードもぬかりなく行う。
一方、管理職の人々は、雨もり、破損箇所、排水溝のつまり、サビている箇所、危険な箇所などの修理又は修理計画をたてる。
さらに、物の置き場所の決定、線引き、棚などの設置、表示などを行うのである。
これらのことを行う場合に最も注意しなければならないことがある。それは、会社始まって以来一度も使ったことのない場所―例えば建物の外壁とフェンスの間などであるが、ここを十分に清掃や整備を行うことである。
もう一つ、窓枠とか手擢り、内外壁、フェンスなどの塗りかえは、できるだけ社員で行うことである。手際はプロより悪いが、これによって一種の愛着が生れるから不思議である。ただし、地上ニメートルまでとし、それより上は危険だから、専門家に頼むことである。
もう一つ大切なことがある。この時間を利用して″防火訓練´を最小限月一回は行うべきである。
某焼肉レストランで、夜、満員の客席から、焼肉コンロが過熱のために発火し、全焼したことがある。ところが、定期的な防火訓練の効果があらわれ、店長の指揮のもとに、整然とお客様を誘導し、ロハ一人の負傷者も出さなかった。
ある社員は、火の中でお客様用トイレの扉を叩いて、「お客様、いらっしゃいますか、火事ですよ」という行動さえとったのである。翌日、焼跡の検証を行った警察と消防署の方は、「一人の負傷者も出さないというケースは珍しい。
いったい平素どんな訓練を行っていたか」と感心の面持ちで質問をしたという。
A社長は「社員がよくやってくれて、お客様に怪我一つさせなかった」と目に涙を浮かべながら社員への感謝の気持を私に語ったのである。
6、社長自ら定期チェックを行う
定期チェックは絶対に社長自ら行うべきである。これは、社長の熱意を表明するものである。
チェックは月一回とし、予め日時を指定しておくことが大切である。不意打ちして社員の手落ちを責めるようなことは厳禁である。
一回目はチェックというよりは、やり方を指導するのである。社員は、かなり不十分でも、以前よりははるかによくなっているので、それで十分だと思っているからである。
不十分な箇所はウエスと歯ブラシを持ってきてもらい、自分でやってみせるのがよい。汚れを全く認められない程でなければダメなのである。
二回目は一回目のチェックとし、三回目には、お絞りとツマ楊子を持って、汚れの徹底的なチェックを行うようにする。
四回目からは、チェックリストを持って回り採点を行って公表するのである。半年か一年に一回はコンクールを行って、優勝、準優勝、二等賞というように、それぞれ優勝旗とか、カップとかを授与し別に個人賞を出すのもよい。
優勝旗には、優勝グループのリボンをつける。等外は努力賞として、タオルと石鹸を出し、「もっときれいにしま賞」ということにでもしたらいい。
某社では、ボーナスの査定項目の最重点項目にしている。(第1表は、この会社の環境整備計画表で、基本方針の7にこのことが明記されている。)
このようにして、環境整備を「社風」にまで育てられたら立派である。
このような域にまで高められると、会社の意識革命というよりは、むしろ精神革命ということになる。
会社は完全に生れ変わり、かつての我社の姿などは別世界のように遠いものになってしまうのである。偉なるかな環境整備、ということになるのである。
環境整備に思うこと
環境整備の目を見張るような、ウソのようなメリットを述べさせていただいたが、これだけではない。もう一つ別に重要なことが起る。
それは「社員の心に革命が起る」ということである。
まず第一に社長が気づくのは、礼儀正しくなる、ということである。社長が何もいわないのに、お客様の姿を見ると「いらっしゃいませ」とか「こんにちは」とご挨拶をする。
これにはお客様のほうでビックリする。自分が挨拶されていることに気づかず、誰かほかの人ではないかと、「思わずうしろをふり返った」とか、「私はこの年になるまで、どこへ行っても挨拶を受けたことはなかった。今日、あなたの会社が初めてだ。こんなスガスガしい気持になったことはない」というようなお客様のお褒めの言葉をいただく。
ある厨房用品のメーカーでは、よく農協の婦人部の方々が大勢で見えられるのだが、「社員の挨拶を受けて、こんなに気持のよいことはない」ということになって、必ず契約をいただけると語った社長がおられる。
「仕事中はお客様に挨拶などする必要はない」という社長もおられるが、どうも、気が散る、とか真剣味が足りないとかの意味らしい。そういう社長さんに、私は、「お客様に挨拶もできないくらい張りつめて仕事をしたら、一時間と持ちませんよ。会社の仕事はマラソンと同じなのです」と申しあげることにしている。
お客様に対してだけではない、社員同士が仲よくなり、「団結心が強くなった」とか「お互いに、今まで全くやらなかった協力をするようになった」という感想をもらす社長さん方は多い。
ある会社で、環境整備中の現場を見せてもらった時に、ある管理職の方が「一倉さん、環境整備というのは、単に職場をキレイにすることではないのですね、それは、自分の心を同時にキレイにすることなのですね」と。
その実話をご紹介しよう。右の会社で、ある社員のご両親が突然、たくさんのおみやげをもって訪れた。お礼に参上したのだというが、社長には何のことかサッパリ分からない。事情をお伺いすると次のようなことだった。
先日、息子が休暇で帰ってきた時に、 一五万円を差出し、「これは僕がこづかいを節約して貯めたものだから、これでお父さんとお母さん、二人で温泉にでも出かけて、ゆっくり楽しんできて下さい」という。
あの、どうにもならなかった息子が、こんな孝行息子に変わったのかと本当に嬉しかった。そこで、二人で温泉にいって骨休めをしてきたが、こんな孝行息子にして下さった社長さんにお礼を申しあげようと、こうして突然お伺いしました、というのである。
社長は何も教育などしなかった。したのは徹底した環境整備だけだったのである。環境整備の実践が息子さんを変えた、としか考えようがない、というのである。
このことで、私はハッと思った。昔の人は丁稚小僧だろうと、職人の見習だろうと、芸事や武術の修行だろうと、始めは必ず水汲み薪割り、掃除などをさせたことである。
これらには、人間修行という深い意味があったことを。
さらに、後生にまで残った名刀を鍛えた刀工たちは、仕事場の内外をチリ一つないまでに清掃し、身体を清めて正装し、神棚に祈念をこめて後に仕事にかかったことを……。こうしなければ刀に魂をうちこむことができないことを、身をもって知っていたのである。
先人は、このような貴重な教訓を残していてくれたのである。現代人は、ともすればこの教訓を忘れて怠惰にひたってしまっているのではないか。
吾人の怠惰の目をさまさせるものこそ、環境整備なのである。
環境整備は、TQCの活動項目の中にもある。しかし、その実態を見ると、あまり徹底していない。したがって本書で私が紹介したような画期的な効果はあげていない。私のいう「社員の心に革命を起す」まではいっていない。
私がお手伝いした多くの会社の中途半端な状態ではダメである。その証拠に、TQCを行っている会社に、「一倉流」を導入すると、その効果が全然違う。
このような社長さんたちの感想は「一倉さん、TQCでやっていた環境整備みたいな中途半端なものではダメですね、「一倉流」の環境整備は、TQC活動の総てを合わせたものよりもはるかに効果がありますね」というのが一致したご感想である。
TQCという優れた運動も、徹底しなければダメである。一倉式環境整備で、多くの社長さん達は「徹底」がいかに大切であるかを学ぶ。
その結果、「社風」まで全く変わってしまい、業績向上から優良会社への道を歩み始めるのである。これは決してオーバーな表現ではない。私がお手伝いした多くの会社で、その実証を数多く持っている私なのである。
「環境整備こそ、すべての活動の原点である」というのが、私の不動の信念ともいうべきものなのである。
本当のところ、「環境整備なくて正しい事業経営などない」のである。


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