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1章時間と自由──優先順位のぶっちぎりトップは自分

はじめになるべく頑張らずに、成果主義社会を生き延びる時間術1章時間と自由──優先順位のぶっちぎりトップは自分1「時間をやりくりする」という発想を疑ってみる●好きなことを、好きなだけする毎日●与えられた時間で、最大の価値をつくる●時間は有限じゃなくて、むしろ「余っている」●「死ぬまでに絶対やりたいこと」は、あるか?2「時間を守る」って、そんなにエラいわけ?●「睡眠欲には逆らわないほうがいい」説●「ピザ配達」は何年やっても儲からない●そもそも「遅刻は悪」なのか?●「自分だけの価値」で生き残る3仕事に時間を使うか?遊びに時間を使うか?●「頭は仕事に使うもの」という幻想●プログラミングも、しょせん「片づけ」●遊びに全振りするくらいで、ちょうどいい●「ある程度バカ」がうまくいく4遊んでいると、いつのまにかお金が儲かっている人●収入が多い仕事は実際、楽しい●「好きだから延々できる」が価値になる●同じ時間なら、「視点」をずらしたほうの勝ち5時間を「切り売り」するな●「他人の手の平の上」で働いて楽しい?●「起業して失敗」は、人生の中でおいしい経験●「時給」という発想の残念なところ6「明日できることは、今日やるな」●チーム仕事で損する人とトクをする人●仕事は「締め切りギリギリ」がいい●失敗から学ぶ、自分の「最大馬力」●「ものすごくイヤなこと」は、いつやるか?●「罪悪感」は最強の着火剤●返信は「後回し」にしない2章時間と仕事──もう、そんなに働かなくていいんじゃないか7仕事に使う時間は少なくていい●なぜ人類は労働から解放されないのか●やたらと「仕事時間」を確保したい人たち●「働けば働くほどエラい」は本当か?●自分が動くより、人に動いてもらう8なるべく、頑張らない●「努力」属性ではない僕の闘い方●「できない自分」を前提とする●人間、努力ではどうにもならない件●優れるよりも、いい波に乗れ9真面目な日本の「窮屈」な働き方●「労働=美徳」という呪縛●嫌いな人とつるむ「謎の文化」●「生涯バイト」もアリの人生●「苦しい」より、「楽しい」時間を過ごす10好きを仕事にしない、という選択●「好きを仕事に」は万能のスローガンじゃない●幸せな時間を確保するために、仕事を選ぶ11自分がいなくても、世の中は回っている●「権限」は分配するほどコスパがいい●寝過ごして行けなかった会議が、ちゃんと回っている●すべての人間は「パーツ」である12「堂々と休む勇気」を身につける●「ズル休み」はサラリーマンの当然の権利●「休み方」を忘れてしまった日本人●「自分本位」の何が悪いの?●とりあえず「ごちそうさまです」13「自由な時間」が仕事になって価値を生む●「こんなことが?」が仕事になる時代●失敗しても暮らしていける●「自由な時間」がない限り、「自分の価値」はつくれない3章時間と努力──一生、イージーモードで楽しみきる14「遅刻」とのつき合い方●「それが普通」だと思っていた●「遅刻して困る」ってどういうこと?●飛行機に乗る日は何も食べない15「間違った努力」という時間のムダ●鍛錬すると目標は実現できるのか?●資格試験の「スピード勉強法」●「試行錯誤」をしない16迷うのは「人生の岐路」だけでいい件●「一番安いの」で、だいたいイケる●パンツがダサくても、損はしない●「選ばない」ほうがトクできる●選択肢がありすぎる時代17他人の心配より、自分の心配●悩みごとの99%は、どうにもならない●SNSというメンタル破壊ツール●フォローリストこそ断捨離すべし18とりあえず、やってみたもん勝ち●「経験は買ってでもしろ」はマジ●「他業界の頭脳」をインストール●初対面より「2回目」に訪れる沈黙4章時間と幸せ──時間を制した者が、幸せを制する19人間はヒマだと不幸になる

●「飢え」の脅威と闘ってきた人類●僕は毎日、忙しい●起きてる限り、僕は何かをしている●「没頭できる人」の人生は幸せ●集中とストレスは共存できない●「掃除が楽しい人が最強」説●ヒマな時間を、お金をかけずに楽しむ習慣20イヤなことに時間を使わない●逃げたぶんだけプラスが増える●ジワジワ系のストレスが一番厄介●「貧乏だけど幸せ」な人は無敵21人生で「お金」と「幸せ」は切り離して考える●「お金が好き」は不幸のもと●月3万円で生きていける●「欲しい」の本質を考えてみる22後悔しない生き方のススメ●成功も失敗も振り返らない●人に嫌われても「しょうがないよね」●嫌いなやつは、記憶ごと抹消する23僕たちは、生きてる限り「勝ち組」なんじゃないか●僕を失恋から救ったピンポン球●「困っている未来像」は過去の虚構●僕には「困った記憶」がない●なんとなく日々を過ごす幸せあとがき人間っていつか死ぬんですよね。

はじめになるべく頑張らずに、成果主義社会を生き延びる時間術突然ですが、みなさん、知っていましたか。

ナマケモノという動物は、木の葉や木の実を1日に8グラムくらいしか食べないそうです。8グラムといったら、葉っぱ数枚ですよ。

食べている姿がめったに見られないから、かつてヨーロッパでは「風を食べて生きている」と考えられていたんだそうです。なんか仙人みたいですよね。

なぜ、ナマケモノがわずかな食事だけで生きられるかというと、1日中ずっと、木の上で過ごして、ほとんど動かないからです。

スピードもめちゃくちゃ遅くて、普段は時速16メートルくらいで動いて、天敵に追われたときの最高時速もたった120メートル程度と言われています。

速く動きすぎると、体が熱くなって死んでしまうこともあるみたいで、不思議な生き物です。

一方、陸上生物の中で「最速」といわれるチーターのトップスピードは、時速110キロメートルほどだそうです。

肉食動物である彼らは、ナマケモノのおよそ1000倍という圧倒的スピードで獲物を追い込み、捕まえます。

ただ、持久力はあまりなく、20秒くらいしか走り続けられないので、狩りの成功率は半々で、獲物がとれなければ何日も空腹で過ごすこともよくあるみたいです。

格好いいイメージですけど、けっこう大変な毎日かもしれません。

僕はというと、ベッドに寝転がってゲームをしていたら、いつのまにか夜だったというのが日常茶飯事で、そういう日は1食しか食べません。

活動量が少ないぶん、それほど食べなくても生きられるという点は、ナマケモノに近いのかもしれません。

僕の場合、さすがに8グラムというわけにはいきませんが。

また、他の動物がせっせと食料をとっている中で、「なるべく動かない」という戦略をとって、のんびり過ごしているところなども僕は好きです。

逆に、「時速110キロメートルで全力疾走して、大物を仕留められるかもしれないし、食事なしかもしれない」というチーターの食料調達スタイルは、ちょっと割に合わないなと思ってしまうのです。

そんなわけで、今回は『なまけもの時間術』です。

何しろナマケモノですから、本当は「術」っていうほど立派なものではありませんが、一般的な「時間」の概念にがんじがらめになっている人には、役に立つかもしれません。

これからの時代、できるだけラクに、楽しく生きていくにはどうしたらいいのか。

そのための時間の捉え方、扱い方を、お話ししていきます。

ひろゆき

好きなことを、好きなだけする毎日僕の日常生活はというと、ひと言で言えば「好きなことをしている時間が大半」の毎日です。

今はフランスのパリに住んでいて、だいたい月1くらいのペースで日本に行きます。

パリでは、たいていは家でゲームをしたり、映画を観たり、マンガを読んだりして過ごしていて、週1ペースでYouTube動画も配信しています。

といっても、お酒を飲んで好きにしゃべっているだけの動画なんですけどね。そうしているうちに耐えられないくらいお腹が減ったら、何か料理して食べます。

別に空腹になるまで我慢しているわけではなくて、ゲームとかマンガに没頭していると、気がついたら時間が経っているのです。

そこでお腹が減っていることにも気づいて、パスタとかを作って食べるというわけです。

以前、友人が「舌を肥やすな、飯がマズくなるぞ」なんて言っていて、そのとおりだなと思いました。

たしかに、おいしいものを食べれば食べるほど、普通のものを食べたときに、特に「おいしい」と感じなくなります。

言い換えれば、「おいしい」と思える瞬間が格段に減るわけだから、幸せな時間も減ります。おいしいものを食べようと思ったら、お金もだいぶかかるようになってしまいます。

でも、僕は極限までお腹が空いてから食べるので、たいていのものはおいしく食べられます。

小さなことですが、そういうところでも、僕は幸せを感じる時間が多いんじゃないかと思います。

こんな感じで、特に予定もなく家で楽しく過ごすというのが、僕のパリでの日常です。

与えられた時間で、最大の価値をつくる一方、日本にいる間は、毎日、何かしら予定があります。

知人や仕事関係の人に「いつからいつまで日本にいる」と伝えると、たいていは「じゃあ会いましょう」「打ち合わせしましょう」「飲みましょう」という誘いが入って予定が埋まっていくので、日本では「何もない日」がありません。

もし突然、予定が空いたらどうするかというと、東京の家に帰ります。

家ならパソコンで映画も観られるし、マンガも読めますからね。

打ち合わせ時間の使い方は僕なりに工夫していて、「日中」「夜」「深夜」と3つの枠に分けて、ひとつずつこなしていきます。

僕の本を読んだことがある人は知っていると思いますが、僕は約束の時間に遅れることがよくあります。

遅刻する理由については後ほど説明しますが、自分なりに誠意を持って時間を使っていると、結果として遅れてしまうのです。

たとえば予定が4つあったとすると、最初に2時間遅れた場合、玉突き式に2時間ずつ遅れます。

すると、すべての打ち合わせに「すいません、遅れました」と言って登場することになりますから、さすがに罪悪感が生まれます。結果的に4倍、悪いことをした気分になるのです。

だから以前は「日中」の前に「朝枠」も用意していたのですが、さすがにそれはやめました。

「どんなときでも、与えられた時間の中で、最大の価値をつくる」これが、僕の時間についての基本的なセオリーです。

もしかしたら、一般的な時間常識とは少し違っているのかもしれません。

でも、自分に正直に生きて、なおかつ相手にきちんと価値を与えることを考えたとき、こうやって行動することが僕にとっては一番重要だったのです。

友達や仕事相手の人も、そんな僕を理解してくれて、いつも遅刻につき合ってくれるんじゃないでしょうか。

そんなこんなで、パリにいるときと違って日本では予定だらけなので、夜寝る前に、Googleカレンダーで次の日の予定を見て、起きなきゃいけない時間をチェックしたりもします。

まあ、そのとおりに起きられるかどうかは別なんですけどね。

睡眠時間も削られてしまいがちですが、たいていは面白そうな話に乗っているだけなので、楽しく過ごしているという点では変わりません。

時間は有限じゃなくて、むしろ「余っている」これほど適当に生きている僕ですが、運よく、一般的な会社員よりだいぶ多くのお金を手にすることができています。

いくつか日本企業の役員を務めているほか、単発仕事としては、ゲーム開発などのプロジェクトを率いたり、ネット番組やテレビ番組に出演したり、こうして本を出したりしています。

あとはYouTube配信でちょこちょこお金が入るのと、仕事ではないのですが、ずっと前にまとまった額を投資したのもうまく回っていて、資産は着々と増えています。

こんな感じでお金は得ていても、時間に追い立てられるということは、まったくありません。

もしかしたら僕は、どこか「時間が余っている」という感覚で生きているのかもしれません。

やりたいことや、やらなくてはいけないことがたくさんあると、「なんとかうまくやりくりして、実行しなくちゃいけない」という気持ちになると思うのですが、僕には、そういうのがないんです。

「余った時間で楽しいことができたらラッキー」という感覚のほうが強いです。

そのせいか、何かをするための時間を確保しようという意識もありません。

考える時間は大事だと思っていますが、無理をして「考える時間を確保しよう」とは思っていなくて、移動中とかシャワー中とかに、どうやってプロジェクトを回そうとか、あの問題はどう解決しようとか、考えているだけです。

あとは、パズルとか推理が趣味なので、街を歩いている時間などに面白半分で、完全犯罪が成り立つ方法を考えたりもします。

人間の脳は、頭を使わない単純作業をしているときのほうが、思考しやすいようにできています。

だから、わざわざ考えるための時間を確保しなくても、歩いているときや電車に乗っているとき、お風呂に入っているとき、あるいは、料理中にひたすら玉ねぎを刻んでいるときなんかに、いろいろ考えることはできるのです。

「死ぬまでに絶対やりたいこと」は、あるか?そう言えば、前にお金持ちの知人と話していて、「人生でやりたいことリスト」をそれぞれ作ってみたことがあります。

その知人のリストには「北朝鮮の難民を助ける」といった社会的で壮大なことが並んでいたのですが、僕は正直、そういうことには興味がありません。

そして僕自身、やりたいと思っていたことは、今までの人生で思い出せる限り経験してしまっていました。

気づいてみたら、特にリストアップしたいことがなかったのです。

海外旅行なんかも、すでに53カ国くらいは制覇したし、行ってみたかった国は全部回ったし……。

もちろん「生きるのが虚しい」とかではなく、人から「ここ行かない?」「これやらない?」なんて誘われて、楽しそうだと思ったら「行く、行く」「やる、やる」ってなりますよ。

ただ、自分から熱烈に「これだけはやっておかないと、死んでも死にきれない」みたいなものが、特にないのです。

ただ気の赴くままに、その日そのときに、やりたいことをしながら生きている。

観たい映画や、やりたいゲームは、一生困らないくらいあるし、ある意味、忙しいことは忙しいのですが、基本的に好きなことばかりなので、ラクに楽しく暮らしているというのが今の僕です。

これから話していくのは、そんな日常の中で普段から感じていることや、日常を改めて振り返ってみて、「そう、こういうことなんだよな」と思ったことです。

「へえ、いいじゃん」というものがあったら、参考にしてみてください。

「睡眠欲には逆らわないほうがいい」説最近読んだ記事によると、「早起きできるかどうか」は体質次第で、早起きに向かない人が早起きすると、効率が下がったり体調が悪くなったりするそうです。

「早起きは三文の徳」「早起きは体にいい」というのが世間の常識で、「早起きできないやつはダメ人間」みたいな見方もあるようですが、体質で決められているのなら仕方ありません。それが証明されて、よかったですよね。

そういう僕は、朝型でも夜型でもなくて、「眠いときに寝て、目が覚めたら起きる型」です。眠ければ昼寝もします。

そうなると、1日の区切りもよくわからないから、「1日何時間寝る」というのもありません。

強制的に起こされるのは、日本に帰国中、テレビで朝の生放送番組に出演する日ぐらいです。

このときばかりは、迎えの車が来て「到着したので、起きてください」って携帯電話をガンガン鳴らされるので、さすがの僕も起きるしかありません。ごくたまにですが、目覚まし時計で起きる朝もあります。

僕たちの体内では、「サーカディアンリズム」という、いわゆる体内時計が刻まれていて、何もなければ、寝る時間と起きる時間が1時間ずつ後ろにずれていきます。

そして、僕みたいに予定もなく1日を過ごしがちな人間は、その影響が特に顕著な気がします。

一般的には、朝日を浴びることで、そのずれがリセットされるそうなんですが、好きなことをして夜更かししがちな僕は、朝日を見ると逆に眠くなってしまいます。

というわけで僕の生活サイクルは、テレビの生放送で強制的に起こされる日にリセットされて、また1時間ずつずれていくのです。

寝ている時間は無意識だから、「起きよう」と思って起きるのは無理ですよね。

そこで多くの人は、目覚まし時計を使って無理やり意識を覚醒させているわけですが、僕は満足するまで寝たいから、自然と無意識から意識がある状態になって、目が覚めたら起きるというのが一番だと考えています。

夜は、寝落ちする直前までゲームをしたり映画を観たり好きなことをやっています。

だから、ベッドに入って何もせずに目をつぶって、眠れる瞬間を待っていることもありません。

これは結果論ですが、「もう起きていられない」というギリギリまで起きていて、ガッと深く寝たほうが、あまり眠くない状態で眠りに入るより、僕の性に合っているみたいです。

最近、けっこう多くの人が、布団に入ってなかなか寝つけないと悩んだりしています。

「睡眠負債」なんて言葉が流行ったりするのも、「何時に寝て、何時に起きなくてはいけない」という強迫観念があるから〝負債〟なんて考えるわけですよね。

もう睡眠の「適正な時間」とか、あまり気にしなくてもいいんじゃないでしょうか。

夜、布団に入ってただ目をつぶっていると、「今日はこんなことでヘコんだ」とか「なんでアイツは、いつもああなんだ」とか考え始めますよね。

たいていロクでもないことなので、メンタル的にマイナスになる危険も大です。

だから、会社員だとなかなか難しいかもしれませんが、1日の終わり、せっかく自分だけのために使える時間を、「寝落ちするまで好きなことをして過ごす」っていうのも、案外いい方法なんじゃないかと思います。

「ピザ配達」は何年やっても儲からない睡眠時間を削って何かをしても、寝不足では能力値が格段に下がっているから、あまりいいアウトプットができません。

だったら、睡眠不足のまま期限どおりに質の低いアウトプットをするより、ちゃんと満足するまで寝て、たとえ期限から遅れても、質の高いアウトプットをしたほうが、よほどいいんじゃないか、というのが僕の考えです。

会社員だと毎日そんなサイクルでは生活できないでしょうけど、土日にとことん睡眠をとって、月曜に仕事のピークを持ってくることなんかもできると思います。

そもそも、「時間どおり」「期限どおり」にこなすことに自分の仕事の価値があるって考え方は、特にこれからの時代、だいぶヤバいのではないでしょうか。

たとえば宅配ピザ店の配達のバイトは、「時間どおり」に価値を置く典型的な仕事と言っていいですよね。

時間あたりで受け取る報酬を大きく増やしたいなら、当然ですけど、その仕事の「価値」を上げる必要があります。

でも、ピザ店の配達は「ピザが冷めない30分以内に届ける」というのが価値であって、何年やっても、大きく価値を上げるのは難しい。

「じゃあ、15分以内に届ければいいじゃん」って考える人もいるかもしれません。

でも、ピザが届く時間が30分から15分になったところで、多少嬉しくはあるけれど、仕事の価値が劇的に上がるかというと、かなり微妙な気がします。

とにかく、「時間どおり」が価値になる世界って、そういうことなのです。

もちろん、「熱々のピザを届けて喜んでもらうのに無上の幸せを感じる」とか、「配達のバイクに乗って風を切っているときこそ人生の生きがいだ」とかのように、給料なんて関係なく、そこに幸せを感じられるのなら、そのままでいいと思いますよ。

ただ、現時点で提供している価値が、それより上がりようのない世界にいながら、「時給が上がらない」などと文句を言うのだったら、その仕事についてちょっと考え直してみたほうがよさそうです。

まあ、あくまで僕の考えなので、異論はあるかと思いますけどね。

そもそも「遅刻は悪」なのか?先ほどもお話ししたとおり、僕は人より遅刻が多いみたいです。

だから最近は、「こいつは遅刻する」とわかっている人しか連絡をしてこない状態だったりします。

十分な睡眠をとらないとアウトプットの質が悪くなる、と言いましたが、日本に帰国中は毎日のように人と会う予定があるので、睡眠時間が削られて寝不足のまま出かけることもあります。

たとえば、13時半に人と会う予定があるのに、前の晩から友だちとファミレスで話し込んでしまって朝の7時に帰宅したときなんかも、寝不足のまま出かけました。

といっても約束の時間には間に合わず、遅刻したんですけどね。

当初の予定ではもっと早く起きるつもりだったのに、ちょっと寝ようと思ったら、思いのほか深く眠ってしまったみたいです。

遅刻されて怒る人もいるのでしょうが、そもそもの発想が遅刻を前提としていないからだと思います。

待ち合わせ場所を決める時点で、「遅刻しても罪悪感がない場所」「遅刻されても苦にならない場所」に設定しておけば、遅刻問題のほとんどは解決するんじゃないでしょうか。

たとえば僕は、学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていました。

書店なら、雑誌とか本を立ち読みしている間にあっというまに30分くらい経ってしまうから、僕が遅刻して行っても怒られたことはありません。

むしろ相手が「ちょっと待ってて」なんて言って立ち読みを続け、僕のほうが待つ雰囲気になったり、「だったら僕も」と書店をブラブラ物色したり、ということもよくありました。

結局お互いにとって、ムダな時間は生まれませんでしたね。

待ち合わせというと駅前とかが一般的ですが、そういう場所で何もせずに待っている時間は、相当な時間の浪費だと思います。

遅刻の是非はともかくとして、遅刻を怒るタイプの人は、おそらく僕みたいな人間と仕事をしてもうまくいきません。

そういう人は、「時間どおりに来るべきだ」「間に合うように起きるべきだ」といった「べき論」で物事を考えていて、多くの場合、仕事も正攻法で考えるタイプです。

でも、僕は多くの人が考える「正しい方法」を取ることは多くありません。

今までに何度も取られてきたような方法だったら、たぶん今までに出てきた以上の結果は出ないんじゃないかと思います。

だったら僕がやらなくてもいいと思うので、あえて正攻法じゃないほうをいくようにしています。

つまり、僕にとって「遅刻を怒る人」とは、物事との向き合い方や仕事のスタンスが違っている、相性の悪い人ということになります。

そもそもの価値観が異なる人と組むことになって、いろいろとエネルギーを使ってすり合わせるのは、お互いにかなり非効率ですよね。

だから、正攻法が好きな人には、僕が遅刻したときにブチ切れるなりなんなりして、早めに離れてもらったほうがラクなのです。

もちろん、そこまで周到に考えて、あえて遅刻しているわけではないんですけどね。

「自分だけの価値」で生き残る世の中には「時間どおり、予定どおりにこなすこと」を重視する風潮が根強いですし、「時間を守ること」に命をかけているような人もいますよね。

たしかに、周囲と協調して物事を動かしていくことは大切なんですけど、そこには何の価値も生まれていない、「空っぽの行為」もかなり多く見かけます。

会社なんかでも、時間どおりに集まれと招集をかけているのに、何を決めたいのかよくわからない会議とかが、けっこうありますよね。

いつでも定刻どおり、決められたとおりに動いているのに、能力次第でどこかに飛ばされる。

会社ではこんなことも日常茶飯事です。

それなのに、いつも会議をすっ飛ばしているやつが、意外な結果を出して上司から褒められたりするじゃないですか。

このあいだ経団連の偉い人も、「終身雇用なんてもう守れない」と宣言していましたし、組織が未来の安定を確約してくれる時代はもうすぐ終わってしまいます。

そうした世の中で快適に生きていきたいなら、「自分だけの価値を生み出すこと」や「優先順位を意識して動くこと」をよく考えたほうがいいんじゃないかと思います。

僕の知り合いで事業を興して成功している優秀な人たちなんかも、みんな、そうしているように見えます。

前もって決めた予定どおりに、ただ仕事をこなすだけというのは、むしろ、何も考えていない人がやることなんじゃないでしょうか。

それだと「人から使われることに優秀な人」になれても、「自分で物事を動かすことに優秀な人」には、たぶんなれないだろうと思うのです。

「頭は仕事に使うもの」という幻想僕が思う「頭を使う」というのは、「どれくらい集中力を切らさないでやるか」ということです。

たとえば学校の試験など、時間がすごく限られた中で、1秒もムダにせずひたすら問題を解き続けるみたいなのは、頭を使っているという感じがします。

あるいはアクションゲームとかでも、0コンマ何秒単位で操作しないといけません。

ほんの一瞬でもボタンを押すのが遅れるとゲームが終わってしまう、というのを30分とか続けるわけです。

ゲームをやっている人にしかわからない感覚かもしれませんが、これも頭を使っている感じがします。

でも、仕事において、それほどの集中が求められる状況は、あまり思い浮かびません。

どうでしょうか。

仕事で1秒もムダにできないとか、一瞬も遅れてはいけないとか、そんな状態が続く事態に陥ることなんて、ほとんどありませんよね。

「この資料を今日中に仕上げなきゃいけない」とか「この商品を午後3時までに納品しなきゃいけない」みたいなことはあるかもしれませんが、かといって会社帰りに、「はー、今日は1秒もムダにせずに仕事した!」なんて、誰も思わないはずです。

そう考えると、ある意味仕事ってけっこうぬるいですよね。

究極のことを言えば、仕事は頭を使わなくてもできるものだし、頭を使ってするべきものでもない、という気がするのです。

プログラミングも、しょせん「片づけ」たとえば営業職などでも、頭を使ったかどうかで結果が大きく変わる場面って、それほど多く出会わないんじゃないかと思います。

「うちには、こういう商品があります。あなたにとって、こんなメリットがあります」という情報を伝えて買ってもらうのが、一般的な営業の仕事です。

相手のニーズをうまく聞き出すコミュニケーション能力や、多少話を盛って商品をよさげに見せるといったプレゼンテーション力で結果が変わることは、当然あるでしょう。

でも、それって、売れる営業マンは「いつものテクニックを使っている」に過ぎなくて、「頭を使う」っていうのとは違う気がします。

プログラミングなんかもそうです。

画面上に何かを表示させるために、必要な指示を並べていくのがプログラミングですが、それは「やるべき作業をこなしている」だけであって、別に「頭を使っている」わけではありません。

「あるべきものを、あるべき場所に並べていく」という意味では、プログラミングは、掃除や片づけに近いですね。

あるいはデータ分析も、同じです。

データを作るときの計算だって、頭を使って暗算するより、計算機を使ったり、エクセルの表計算機能を使ったりしたほうがラクで正確ですよね。

そして、「数字を入力する」こと自体に頭は使いません。

で、計算機やエクセルではじき出された答えでもって人に説明したり、提案したりする。

それも相手を納得させるというゴールに向かって、「情報を順番に提示している」だけで、たぶん誰がやっても、だいたい同じ順番で話すと思うんですよね。

そして話す情報はすべてエクセル上にあって、ただ「数字はこうです。

ついては、こうしたらどうでしょうか」と言うだけなので、そこに新しい発想は必要ありません。

だから、これも頭を使ってやることではないはずです。

企画会議とかで、いくつか案があって、どれを選ぼうかみたいなときだって、ウンウンうなって頭を使ったからといって、売れるものを選べるわけではありません。

比較検討する際には、「最近はどういったものが流行っているか」「類似商品には、どういうのがあるか」などの情報を参考にするものです。

そのためには売り場に行ったり、ネットリサーチしたりすればいい。

売り場に行くのは「体を移動させる」こと、ネットで検索するのは「キーワードを入れる」ことです。

だから、仕事って「体を動かす」ことがメインになる場合が多くて、「頭を使う」ことはかなり少ないと思うのです。

遊びに全振りするくらいで、ちょうどいいむしろ、頭を使いすぎないほうが、仕事は成功しやすいという気がします。

何かに没頭している状態は、脳科学的には、「フロー」とか「ゾーン」とか呼ばれています。

時間を忘れるほど集中して頭を使っている、脳的に「超、気持ちいい」瞬間です。

じゃあ、仕事でもそれくらい没頭するべきだ、なんて思うかもしれませんね。

でも、人に何かを売り込むのも、エクセルに数字を入力するのも、比較検討してひとつを選ぶのも、単なる作業であって没頭する必要などありませんから、何もゾーンなんかに入らなくていいわけです。

僕自身の経験としては、過度な思い入れを持たず淡々と作業をこなすほうが、仕事としての仕上がりのクオリティはかえって高くなる傾向があるように思います。

仕事で「ものすごく頭を使ったなぁ」と思ったことがありませんし、それよりはるかに、遊びに頭を使っていると思います。

割合で言うと遊びに8割、仕事に2割くらいでしょうか。

少し前にボードゲームの仕事に関わったときなんか、まさにそうでした。

どういう感じだったかというと、まず「遊び」としてボードゲームで遊んだ後、今度は「仕事」としてボードゲームの打ち合わせに移ったのです。

その日に遊んだのは「マーダーミステリー」というジャンルのボードゲームでした。

6人でプレイしながら犯人やトリックを暴いていくのですが、プレイヤーそれぞれに役割分担があったり、それぞれのキャラクターになりきらなくちゃいけなかったり、時間制限つきのミッションがいっぱいあったりと、かなり集中力を要します。

しかも、一度犯人がわかったらおしまいなので、プレイできるのは実質1回きり。

おまけに5000円くらいするゲームなので、真剣にやらないとかなり後悔します。

だから絶対にクリアするという緊張感を持って、脳みそフル回転でプレイするのです。

という感じで、めちゃくちゃ集中して遊んだ後で、仕事に移りました。

僕らはゲームの作り手として、当然ですが相当にボードゲームで遊び慣れています。

だから、それほど遊び慣れていない人たち向けに、軽めのボードゲームを開発するには、多少、頭が疲れている状態のほうがいいのです。

ゲームへのこだわりがエスカレートしないし、ゲームを「仕事」として客観的に眺めることもできます。

その結果、自然とゲームのレベルが初心者にちょうどいいレベルまで下がるので、万人受けしやすい商品が作れるというわけです。

「ある程度バカ」がうまくいくたとえば機械などでも、多機能で複雑なものと、ボタンひとつで最低限の操作ができるものがあれば、機械いじりに頭を使いたい人は多機能型を選ぶかもしれない。

でも、しょせんそれは少数派で、多くの人は操作に頭なんて使いたくないから、ボタンひとつですむほうを選ぶはずです。

ここで機械好きが、機械好きの頭のままモノを作ると、往々にして自分と同じ少数派にしか受け入れられない製品を作ってしまいがちです。

機械に限らず、モノやサービス作りの失敗の多くは、そこが一大原因だったりします。先ほど挙げた僕のボードゲームの例も、これと同じだと考えています。

要は、仕事に頭を使いすぎると、成果物がマニアックになりすぎる。そういうことが起こりやすいというわけです。

やっぱり頭は使いすぎないほうが仕事は成功しやすい。だから、使える時間全体の2割くらいに留めたほうが仕事で成果は出やすい気がします。

ある程度バカになる──なんて言ったら感じ悪いかもしれませんけど、あまり頭を使わないで受け止める人の感覚になって取り組んだほうが、世間で広く受け入れられるものができるに違いないと思っているのです。

もしも仕事に行き詰まったら、いっそ遊びに頭脳のほとんどを使って、その余力で仕事をするくらいに考えたほうが、じつは、ちょうどいいのではないでしょうか。

そうすれば、「仕事後は疲れ果てていて、遊ぶ時間なんて作れない」という悩みも、ついでに解決できそうですよね。

収入が多い仕事は実際、楽しいこれは僕が実際に経験してきた中で思うことなのですが、収入が多い仕事のほうが面白みも大きいものです。

単に、報酬が高いから楽しいということではありません。仕事の内容そのものに、面白みを感じている人が多いと思うのです。

たとえば、売れているマンガ家やテレビプロデューサーになると、年収2千万円とかはザラです。

マンガ家はマンガを描くことが好きだし、テレビプロデューサーはテレビ番組を作るのが好きで、そこに人生の大半の時間を費やして大金を得ています。プログラマーなんかも同様です。

このように、収入が高い仕事ほど、じつはそれが嫌いでやっている人などはいなくて、それが好きでやっている人だらけなのです。

言ってしまえば、それはすべて趣味の延長で成り立っているような仕事です。

趣味で集まった飲み会で出た話が、そのまま仕事につながったりするなど、どこまでが仕事で、どこまでが趣味かわかりません。

厳密に分けようと思えば「これは仕事だ」と言えないこともないけれど、その線引きがかなり曖昧という人たちです。

だから、四六時中働いているとも言えるし、逆に遊んでいるとも言えるわけで、このタイプの人たちには「仕事の時間」と「趣味の時間」の線引きもほとんどないんじゃないかと思います。

つまり、「就業時間」という概念がないのです。そして、僕もそのひとりなわけですけどね。

ゲーム好きがゲームをやっていて、それが自動的に仕事になったりするから、仕事と趣味を切り分けたことがないし、その必要もない。「このゲームが、どう仕事につながるか」とかを考えることもありません。

僕は最近、ボードゲームを作る仕事に没頭していますが、これも、もともとボードゲームを好きでやっていたら、仕事の話が転がり込んできただけです。

「好きだから延々できる」が価値になる僕の場合、自分が動くのではなく、いろいろな業界の人が僕に声をかけてくれて、「じゃあ、やりましょうか」と乗っていくことが大半です。

だから、どうやったら趣味が仕事になるかを教わりたいなら、僕よりも適任者がいるかもしれません。

ただ、こうして趣味が仕事につながっている理由を考えてみると、人よりかなり多くの時間を「好きなこと」に費やしているから、とは言えるかもしれません。

僕にとっては映画がそれで、1日に1本か2本は観ているので、少なく見積もっても年間500本はくだらないと思います。

聞くところによると、日本の人は、平均して年に1回くらいしか映画館に行かないらしいですね。

映画館に行くかどうかだけでは判断できませんけど、世の中の大半の人が映画に時間を割かないのだとすれば、それは僕にとってのチャンスです。

僕は、他の人がまだ辿り着いていない映画の情報を知っているし、その情報が、そのまま有利に働くことが多いというわけです。

趣味でやっていたことを評価されて、仕事を依頼されたり、イベントとかに呼んでもらったりするのって、自分以外の人にはできないものを、そこで求められているということですよね。

僕の場合、ゲームや映画、マンガに関しては、ちょっと他人には真似できないくらいの時間を費やしていて、それだけの情報を持っているという自負があります。

といっても、「仕事のために、流行っているものは観ておかなきゃ」とか「アカデミー賞受賞作品は観ておかなくちゃ」みたいな意識はありません。

みんなが注目しているものを僕が観ても仕方がないし、たまに観ることはあっても、受賞作品やヒット作品は「面白くて当たり前」と思ってしまいます。

一方、マイナーで面白いものに出会えると、すごいトクした感を味わえます。

それに、世の中であんまり知られていないようなものを知っていたほうが、人から「貴重な意見」と思われるようなことを言えます。

そういうわけで、メジャーなものより、マイナーで自分が観たいものを観るという感じなのですが、これもひとつの結果論であって、最初から「映画に詳しいことを仕事にしてやろう」とか「ニッチな情報を持っていることを売りにしよう」と狙ってきたわけではありません。

とにかく僕の基本は、毎日、やりたいことをやっているだけなのです。そこで、特に付加価値をつけようとは意識していない。

ただ、やりたいことをやっているがゆえに、他の人が費やせないくらい長時間やり続けることができて、それだけ情報も蓄積されるという点が、自然と価値につながっているみたいです。

同じ時間なら、「視点」をずらしたほうの勝ち自分しか知らない情報が世の中の役に立つとき、その人の価値は上がります。

といっても、本当に「自分ひとりしか知らないこと」なんてないのですが、「自分だけが知っている風」を醸し出すことならできますよ。

僕の場合で言うと、たとえば、YouTube動画を見ることが仕事につながることもあります。

たまたま見た動画を挙げて、「今はこういうのがウケていますね」とか「こういうことをやると、収益が上がりやすいんじゃないでしょうか」なんてアドバイスすると、お金をもらえりするのです。

僕は映画やマンガやゲームには相当な時間を使っていますが、YouTube動画は、ものすごく時間を割いて、膨大な量を見ているわけではありません。

ここは「見方」が問題です。

多くの人はちゃんと見ていないから、少し分析的な見方をするだけで相手が勝手に「YouTubeにめちゃくちゃ詳しい人」と勘違いしてくれて、価値を見出してくれたりするのです。

みんなが見ているものを、みんなが見ているのと同じように見ていても、自分の価値は上がりません。

同じ時間を使うのなら、「普通はここまで押さえていないよね」「普通はここまで深く見ないよね」というところを、あえて追求してみる。

それを誰かが「すごい」と勘違いしてくれたら、それが仕事につながることだってありうるわけです。

「他人の手の平の上」で働いて楽しい?日本には、かつて「あめぞうリンク」というネット掲示板がありました。

一番盛り上がっていたのは、もう20年くらい前のことなので、知らない人のほうが多いかもしれません。

当時の僕は、あめぞうで遊ぶのも楽しいけれど、そうやって他人の手の平の上にいるより、自分で作ったもので遊びたいと思いました。

それで作ったのが新たなネット掲示板「2ちゃんねる」です。

開設時はアメリカ留学中の春休みでヒマを持て余していたし、僕にはすでにプログラミングの知識もありました。

そして自分が作ったものなら、仕様変更とかも好きにできます。

何より、たとえ暇つぶしであっても、同じ自分の時間を費やすのなら、自分が作ったものに費やしたいと思ったわけです。

同じころに似たような掲示板を作った人は、僕以外にもたくさんいました。

だけど最終的に2ちゃんねるだけが生き残り、僕はたくさんのお金を手にすることができました。

その要因はひとつではないけれど、そのころから僕が時間に追い立てられない生き方をしていたというのはデカい気がします。

僕だけが、トラブルが起きてもすぐに対応できたし、なかなか儲けが出なくて他の人たちが見切りをつける中で、僕だけは続けていたのです。

今あるものに乗っかるっていうのは、自分じゃなくてもできることです。

そういう誰にでもできる仕事を続けて、人生の時間を切り売りしている限り、何も手に入らない。

お金をたくさん稼げないことはもちろん、自分だけの技術とかセンスも磨かれません。

だったら自分だけの価値が手に入る方向にシフトしたほうがいいんじゃないかと僕は思うわけです。

人の手の平の上で働くのではなく、自分で一から作り上げるということです。

同じ人生の時間を使うのだったら、そのほうがお金もたくさん稼げるし、何より自分自身が楽しいですよ。

「起業して失敗」は、人生の中でおいしい経験世の中には個人では到底できないような仕事も、もちろんあります。

予算200億円のデカいプロジェクトを動かすような仕事をしたいなら、大企業に身を置いたほうがチャンスは多いだろうし、それはそれで幸せですよね。

でも一方には、予算50万円とか100万円みたいなことで成り立つ仕事もある。

それくらいなら、ちょっと頑張ってお金を貯めれば自分でもできるだろうし、そのほうが絶対、他人のために自分の時間を切り売りするより楽しいと思うのです。

こう言うと、失敗するのが怖い、失敗したらおしまいだ、なんて思う人もいるかもしれません。

自分でやってみて失敗したら、再就職できないんじゃないか、と。

だけど、自分で何かを始めようとして、失敗して、そこから再起するために再就職を目指している人って、「今まで誰でもできるような仕事をしてきました。転職したいです」みたいな人より、ずっと価値は高いと見られるはずです。

「履歴書に空白があるのはよくない」というのは、言わんとすることはわかります。

ただ、会社勤めはしていなくても、「会社経営をしていました」と言うのなら、かえってプラスになるわけです。

実際、僕も採用面接で「会社を立ち上げたんですけど、失敗して潰しました」とか言ってきた人には、珍しがっていろいろ話を聞きましたしね。

一度でも経営をやった人って、売上を上げて利益を出さないとまずいよね、という感覚をどこかで持っているし、会社を潰した人ほど、儲ける意識が強かったりするので、意外とその人の将来性を買ってくれたりするものですよ。

「時給」という発想の残念なところ先ほど宅配ピザ店の話をしましたが、今だとチェーン店のピザは1枚2000円くらいで、アルバイトの時給は、1000円とか1200円くらいでしょうか。

そういう時給仕事は、単に自分の時間を切り売りしているだけで、仕事の質によってもらえる金額が変わるわけではありません。

たとえ仕事の質を上げる余地があっても、頑張ろうと頑張らなかろうと時給は大して変わらない。そうなると、人間ってだんだん腐ってきちゃうこともあると思うんですよね。

どんどん生活のテンションが落ちてきて「人生つまんねぇな」ってなっても、しょうがない気がします。

つまり、働いているほうとしては、時給仕事は、質の高い仕事をすればするほど、じつは人生のコスパが悪くなるということなのです。

それよりかは、質を上げるほど評価も報酬も高くなるという軸のある仕事を目指したほうが、人生はより楽しくなるのではないでしょうか。

もちろん、超絶やる気のない人だったら、「何もしないでいかに給料をもらうか」という発想で、あえて時給仕事を適当にこなしていくほうがいいかもしれませんが。

チーム仕事で損する人とトクをする人トルコのことわざに、「明日できることは、今日やるな」というものがあります。

日本では一般的に、「今日できることは、今日のうちにやれ」「明日に先延ばしするな」と言われているのと比べると、正反対ですよね。

でも、仕事などで、締め切りギリギリに取り掛かったほうが効率よくできることって意外と多い気がするのです。

たとえば「今度の打ち合わせで、こういう資料が必要だ」と言われたものを、何人かで分担して作るとします。

最初に手をつけた人は、資料のフォーマットを一から考えたり、「これも必要だった!」という予定外の作業にいち早く気づいてしまったりして、結果的にたくさんの仕事を背負うということが起こりがちです。

一方、最後に手をつけた人は、他の人たちが試行錯誤して作り上げた成果物に便乗すればよくて、「みんなの資料を見ていたら、自分の担当分のこれはなくてもよさそうだ」とか言って、あわよくば仕事を減らせる可能性だってあるのです。

このように準備を後回しにすると、時間をかなり浮かせられることがあります。

それだけでなく、より多くの情報を考慮したうえで、より効率的に、よりよい仕上がりの作業ができるというメリットもあります。

締め切りにかなり余裕をもって取り掛かり、今ある情報だけで仕上げた後に、より有力な情報が入ってきたら、すべてやり直しになるわけですから。

仕事は「締め切りギリギリ」がいいだから、たとえば自分の最大馬力で「1時間かかる仕事」を振られたら、「締め切りの1時間前」まで手をつけないほうがいいと思います。

もちろん、自分ひとりの力ではすまない場合は、先手を打っておく必要はあるでしょう。

たとえば誰かから資料や情報を得る必要があったりしたら、その依頼メールだけ先に出しておけばいいのです。

こうして不確定要素だけを前もって潰し、「あとは自分の作業だけ」という状態にしておいて、完了できるギリギリに最大馬力でやってしまう。

「極限まで手をつけない」という習慣を持つと、こういった優先順位をつける力や計画性も身につきます。

本当は1時間で終わるはずの仕事でも、締め切りのずっと前に始めると、ダラダラと3日くらいかけてしまったりします。

締め切りに合わせて作業をするのが人間の性分だし、余裕があることで、かえってやる気の浮き沈みが生じるからです。

仕事の質を大して左右しないことに「ああでもない」「こうでもない」と悩んでみたり、やたらと休憩を挟んでみたりとかは、やりがちじゃないでしょうか。

本当は時速100キロで走れるのに、時速20キロくらいでとろとろ走るような感じです。

1時間前に着手して最大馬力で完成させれば、そんなムダな時間が丸ごと浮くわけです。

「締め切りを破ったら……」と思うと怖いかもしれませんが、締め切りギリギリのタイミングになると、「やる気がないから、やらない」という選択肢はありません。

最大馬力を出せば1時間でできるポテンシャルのある人なら、「あと1時間しかない!」となったときには、奮起してどうにかするものなのです。

失敗から学ぶ、自分の「最大馬力」ただ、締め切りどおりに仕上げるには、自分の最大馬力がどれくらいかを、作業の種類ごとに把握しておく必要はあるでしょう。失敗の記憶は色濃く残るものです。

だから、自分の能力値と予測の精度を上げるには、「この手のことは1時間でできる」と見込んでいたところ3時間かかってしまって怒られた、といった失敗の経験も大事だと思います。

バイクでスピードを出したまま曲がるときって、ものすごく車体を傾けて走りますよね。

あそこで最大スピードを出せる人は「車体を傾けすぎてコケた経験」をしたことで、転ばないギリギリの傾きを体得した人です。

それと同じ話なのです。そんなギリギリの思いをするくらいなら、時間的に余裕がある中でも、最大馬力を出せたほうがいいじゃないかと思ったかもしれません。

理論的には、それは可能でしょう。でも、人って追い込まれたときにアドレナリンが分泌されて、最大馬力が出せるわけですよね。

それなのに、なんにもない状況で自分を追い込んでアドレナリンを出せちゃうのって、言い換えれば、いつでもアドレナリン垂れ流しの状態です。

優秀かバカかはわかりませんが、とにかくヤバいやつなことは確かだし、いろいろとリスクもありそうなので、僕はおすすめしません。

「ものすごくイヤなこと」は、いつやるか?「明日できることは、今日やるな」とは言いましたが、なかには早く取り掛かったほうがいいものもあります。

それは、「やっぱりやらなくていいよ」ということが、決して起こらないものです。

そして、その最たる例が、確定申告だと思います。意外に思われそうですが、僕は自分で確定申告をやっています。理由はシンプルで、いろいろと税理士さんに説明するほうが面倒だからです。

「これはなんですか」「えっと、これはですね」なんてやりとりを、いちいちしなくてはいけない。だったら自分でやったほうがラクという考えです。

これは先延ばしにしたところで、「今年はみんな納税しなくていいので、申告は必要ありません」なんてことには絶対ならない。

だから、早く着手するに越したことはないのです。そんなの百も承知だけど、なかなかやる気になれない。

この「嫌だなぁ、でもやらないとなぁ」という葛藤、確定申告をしたことがある人なら、きっとわかってもらえると思います。

こうした、ものすごくイヤなことや苦手なことを自分でやらなくてはいけないときに、どうやってやる気スイッチを入れるか問題は、10年くらい前に解決しました。

「罪悪感」は最強の着火剤まず、ゲームや映画観賞など自分の好きなことをやって、自分を甘やかす。そうしておいてから1枚、領収書を処理すると決めておくのです。

たとえば「今から4時間、好きなゲームをやったら領収書を1枚だけ処理する」という感じです。

人間心理として、やるべきことがあるときに、自分の好きなことをやっていると罪悪感が出てきます。

だから、自分を甘やかすと「さすがに、そろそろ取り掛からないとな……」という罪悪感がわいてきて着手できるのです。

さらに、「着手すること」にはストレスを感じがちですが、「いったん始めた行動を継続すること」は、比較的ストレスなくできるという心理作用も働きます。

「ものすごくイヤなこと」を、「それほどイヤじゃないな」という心理状態で継続しているときに止めると、また「ものすごくイヤなことを始めなくてはいけない」というステージに戻ってしまうことになります。

だから、「継続したほうがトクだ」という心理が働くわけですね。

そんなわけで、徹底的に自分を甘やかした後に領収書を1枚処理すると、2枚、3枚、5枚、10枚……と続いて一気にすませることができます。

といっても、「そんなにイヤじゃなくなる」だけであって、決して「楽しくなる」わけではありません。

だから、せっかく着手できたことを継続している最中に話しかけられたりして中断されると、普段めったに怒らない僕でも、そのときばかりはものすごく怒ります。

ちなみに、日ごと月ごとにマメに記帳すればいいと思うかもしれませんが、それだと「ものすごくイヤなことに着手する」というのを、毎日とか毎月とかのレベルで我慢しなくてはいけません。

でも、極限まで自分を甘やかしてから一気にすませれば、こなす量は同じでも、「ものすごくイヤなことに着手する」という思いは1回ですむ。

僕はそっちを選びたいという話なのです。

返信は「後回し」にしない確定申告の他に、僕が早く取り掛かることを意識しているものが、もうひとつあります。

それが「メールの返信」です。意外に思われそうですが、僕は、メールなどの返信は早いほうなのです。なぜなら、即レスのほうがひと言ですむから。

人間心理として、たとえば「はい、わかりました」のひと言でも、即レスだったら「すぐ返信してくれた」「ちゃんと読んでくれてる」なんて感じるものです。

でも、丸1日とか数日が経ってからの「はい、わかりました」だと、「それだけかよ!」って思いませんか。

だから、とりあえず未読メールがゼロになるまでチェックして、僕の返信が必要なメールは片っ端から返すのです。

といっても、メールチェックを中断したくなるほど、面白いことが起こった場合は別ですが。あと僕の場合、1日に200とか300とか大量にメールがきます。

そのうち僕が返信しなくちゃいけないのは100通くらいです。

以前は全部のメールに目を通してから返信するようにしていたのですが、今は、そのつど返すようにしています。

僕のところに入るメールには、プロジェクトチームなどのグループメールもたくさんあります。

そこでは、僕が見ていない間に何通もやりとりがあって、最初のほうのメールで課題になっていたことが、後のほうで解決していたりもします。

だから、すべてに目を通してから返信したほうがいいかと思っていたのですが、それだと保留事項が溜まっていって、やらなくちゃいけないことが後回しになっていく感じがするのです。

これは気分的に面倒なので、今は、もう解決しているかもしれないとは思いつつも、そのつど返信するようにしました。

さっきも言ったように、僕の文面はすごく短いので、100通のメールに即レスしても大して苦になりません。

そうすると、何も溜まらず、後回しにもならず、処理するものがみるみる減っていって、最後に未読がゼロになったら「はい、達成。おしまい」ってスッキリ終われるのです。

「今じゃなくてもいいけど、いつかは返信しなくちゃいけないメール」なんかも、以前は3カ月ほったらかしみたいなことがありましたが、今は基本的に即レスです。

後回しにすると、いったん読んで理解したことでも、「もう一度思い返す」という二度手間が発生する。

これも面倒だし時間のムダですよね。

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