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第3章社長とは「事業を経営する人」である

目次

第3章社長とは「事業を経営する人」である

社長の決定こそが、企業の運命を決める

社長の仕事が「決定すること」であることは皆知っている。

では、何の決定かというと「ハッキリわからない未来への決定」であり、「事業経営にとって一番大切な付加価値をどうやって産み出すか?」への決定を今、下すことである。

人生も経営も同じことだが、過去、いくつもの岐路で右か左か、行くか退却するかの決定を下し、今日を迎えている。もちろん後悔することも、充分満足する結果を得られたこともあるのが実際のところだろう。

3年前、5年前に決定した営業所の開設や新店舗が街の成長とともに大きな収益をもたらすように、社長の目は我社と我社の経営環境の将来を予見し、着実に手を打っていかなければ同業ライバルとの競争に敗れ、お客様からの支持も得られなくなる。

新技術の実用化を予測し、都市計画の情報を集め、人口動態を考え、消費者の価値観の変化を感じ、主要得意先の今後の経営計画を聞き出し、世界経済の動き、景気動向を読み決定を下すのである。

イメージとしては、社長の意識は5年くらい先の世の中にいて、過去の会社(現実には今)に欠けているもの「人も設備も技術もお金も」を、どうやって揃えるのかを考え実行しているような感じである。

だから私はよく、「社長はタイムトラベラーだ」というのであるが、未来へのタイムトラベルだけでなく、過去へのタイムトラベルも重要になってくる。創業社長であれば、今日に至るまでに数えきれないくらいの失敗の体験と、それを上回る成功体験を身に付けており、決定の怖さを知っているからこそ「重要な決定」ができるのである。

社長は決定、その実行は社員~これが会社である~

社長が下した決定の意図と狙いを理解し、実行するのが専務以下、幹部、社員の務めである。言葉にすれば簡単だが、実はこれが極めて難しい。

自社の専務をはじめ経営幹部を思い出してみてほしいが、たとえば重要な投資を検討しているとき、何年くらい先をにらみながら考えているだろうか?また、どこまでのリスクを想定し安全率を考えているだろうか?そして最後に、「社長の考えていること」を幹部がどこまでキチンと理解しているだろうか?現場の社員一人ひとりを指揮監督するのも、経営幹部の最重要の仕事である。

しかしながら、中小企業であれば自らも、プレイングマネージャーとして営業にも開発にも製造にも率先して動かなければならない。

だから、ついつい目の前の数字目標を達成することや事案に気を取られてしまい、急がないが事業経営にとって重要な案件が後回しになってしまう。

現場に数字のプレッシャーをかければかけるほど、社員は将来を犠牲にしてでも数字をつくりに行ってしまう。

社長が売上を重視すれば売上を、経費削減を重視すれば経費を見て仕事をするのである。

社長がどんなに素晴らしい将来構想を語り、経営戦略を決定、発表しようが、社員は冷静に毎日の社長の言動を見て、社長のホンネがどこにあるのかを見抜いているのである。

幹部以下、社員の実行力を発揮させるのも社長の決定と言動次第である。

捨て去ることこそ革新の第一歩

「攻めの決定」はどの社長も得意であり好きであるが、事業経営にとっては「捨てる決定」こそが一番難しく、社長にしか決断できない大事である。

事業経営にとって利益が一番大事であることは誰も反対しないが、いざ赤字店舗、赤字商品、赤字得意先を切ろうとすると、総論賛成各論反対で、なかなか手を下せない。

「あそこは創業以来の店舗である」「以前、会社がピンチのときに助けてくれた」など、イザとなったらさまざまな理由が出てくる。

恩や歴史は大切だが、赤字を容認する理由にはならない。口では利益、利益と言っている社長の多くが、一番大事にしているのは「売上の大きさ」である。

それが証拠に社長同士がいろいろな会合等で一緒になると、何となく年商の一番大きい会社の社長が上位になってくる。

決して、利益額ではない。

一倉先生の指導の中でもスクラップ&ビルドは絶対に実行しなければならない重要事であるが、社員が反対する以上に社長が抵抗することが多いのである。

小売店を60店舗まで伸ばした創業夫婦がいたが、一部業態が古くなったことと立地の変化や街の盛衰によって10%近くの店が赤字になっていた。

店長を交代させ、販促も随分やったが売上も伸びず経費がかさむばかりで、先生に相談したところ、当然のごとく結論は「閉店と繁盛店への人事異動」であった。

しかし、社長はなかなか踏み切れない。1つには売上が下がることへの恐れ。

さらに、自分が手掛けた我が子のような店舗への愛着、そして世間体という数字では表せない理由から店舗閉鎖を嫌がるのである。

結果的に躊躇する社長を尻目に、奥様の専務がワーストの4店舗を閉めにかかったのをキッカケに社長が一気に決着をつけ、かねて考えていた新業態の事業に人員を投入していったのである。

中小企業には、店長候補も幹部も余裕があるわけではない。

新規事業へ進出し、会社を高収益体制に作り替えるには、まず儲からない事業、赤字部門を縮小し人員を浮かせ、新たな成長事業に人も予算も時間も投入することである。

一番難しい「撤退の決断」こそが「攻めへの決断」だ、と多くの成功事例が教えてくれる。

我社の事業の定義づけが成長発展の基

創業社長が起こした1つの事業がず~っと長く繁盛し続ければ良いが、商品・事業の寿命は短くなり、お客様の要求も多様化し高度化していくので、我社を成長発展させるためには新事業を追加していかなければならない。

地方都市に本社がある場合は、なおさらである。

S社長は現在主力事業を3つ経営しているが、それまでの事業の売却、新規事業のFC加入などを繰り返し、今の形に落ち着かせている。

それまでは季節変動や景気の波に影響を受けていた業績だったが、確実な成長が見込める体質に転換し、4つ目の事業を獲得できるほど余裕のある経営体制になった。

オーナーの頭の中にある我社の事業を一言でいえば、「毎月、集金できる」である。

事務機器、文具などを法人に販売していたY販売。Y社長は一倉先生の事業定義を聞いても、最初はピンっと来るものがなくモヤモヤしていたそうだ。

多くの社長と同じように、「ウチは事務機器の販売、保守メンテ業」と業種のくくりで考えていた。ここで仲間の社長たちとの定例セミナー後の飲み会が効いてくる。

「先生は事業の定義づけをしろと言うけれど、ウチはさあ~」と悩みを一言。

自分のことを客観的に見られないと、どうしても目に見える取り扱い製品や業種から離れられなくなり、思考が堂々巡りしてしまうのである。

異業種の社長から見れば、お酒の力もあって何を悩んでいるんだ、とばかりにこんなことを話した。

「あんたの商売、定期的に営業マンが会社に行ってるんだろ?」「だったら、法人への定期訪問業じゃないの?」と。他人のことはよくわかるのである。

Y社長からすれば、言われてみれば当たり前だけど、確かにその通りだと思った。

そこから「定期的にお客様である会社に行くんだったら、ついでに何を持っていってもいいんだ」とお客様への見方が変わった。

その結果、取り扱い品目が拡大し、お客様にも喜ばれ、業績は伸びていったのである。

また別のM社長は、先生が教えてくれた「事業の定義づけ」は一生の宝と言っておられた。

具体的には、さすがにここでは詳しくは書けないが、「貸す」の定義を事業の中で見直し、今では5つの異業種分野で貸すビジネスを展開し、高収益体質を築きあげている。

もうおわかりだと思うが、社長が悩んでいたことは定義に沿ってたった1つの考え方の上で、お客様を変えたり、商品を変えたりと、組み合わせを考えているだけで事業自体の仕組みは変わらないのである。

社長の仕事とは、「会社の存続と繁栄の根幹」に関わるところをどう決めるか?我社の将来像をどう描いていくか?に掛かってくるのである。

幹部がやる仕事まで手を出して、忙しい忙しいと頑張っているように見える社長もいらっしゃるが、どうか本来の社長業に専念してもらいたいものである。

天動説の経営、地動説の経営~社長の目、社員の目、どっちを向いている~

一倉語録には、聞きなれない言葉がいくつもあるが、「天動説」もその1つである。

地球が中心で太陽、星空が回っているのであるから、会社を中心にお客様が動いているわけである。

社長の我の申し子商品のところで触れたように、「商売上手の俺が作った商品が売れないわけがない」と思い込み、「営業が悪い、売り方が悪い、お客様が良さを理解していない」となってしまうのである。

一倉先生の古い本の中に、この天動説の言葉を使った社長が登場するが、あまりにピッタリな表現だったので、以来、先生が自己中な経営をしている社長を称して「天動説の経営」と怒りを込めて呼んでいるのである。

社長が本来考えなければいけないのは、お客様が中心で我社が周りをぐるっと回っている経営であり、当然「地動説の経営」になるわけである。

社員は毎日のようにお客様に接したり、電話を受けたりしているのでお客様目線になりやすいのであるが、現実は社内での力関係から「社員は直属の上司、さらに社長を見て」仕事をしている。人事権も評価も給料さえも中小企業は社長が握っているから当たり前である。

だからこそ、社長の目は「お客様のご要望」ただ一点に向けられ、お客様の要求を満たすために会社は存在するのであるという一倉経営理念の中心「お客様第一主義」になっていく。ただし、社員全員は社長を見て、それも社長の行動、言動を見て、ホンネを極めて正確につかんでいる。

言葉で、朝礼で毎日唱和しようとも、いざというときの社長の行動が天動説であれば、社員は社長の望み通りに天動説の行動をしてしまう。

だから先生の言う「良い会社、悪い会社があるわけではない」、「良い社長と悪い社長がいるだけであり、会社は社長次第でどうにでもなる」に通じるのである。

社長の真の定位置はお客様のところ

社長室が立派すぎる会社を見ると、先生はボロ会社と断じていた。

豪華で、居心地の良い社長室は確かにプライド、自尊心をくすぐる魅力を持っているし、大切なゲスト、取引先の社長を迎えるのには必要かもしれないが、しょせん言い訳にすぎない。

ある有名な教育関連の事業を全国展開していた社長を訪ねたところ、本社内に2つの社長デスクを持っていた。

当時、不思議に思い理由を伺うと、想像通り「1つの立派な社長室はゲスト用であり、自分1人で考え事をするときにしか使わない」とのことである。そのときは社員も心得ていて、声をかけないし取次も原則しない方針である。

もう一つはワンフロアのだいたい真ん中あたりに、皆と同じデザインだが両袖の少しサイズが大きい机。

「社内にいるときはほとんどここで仕事をしているし、事務所内の雰囲気も、電話の鳴り方も皮膚感覚でつかめるから」「実際にはあまり座ってないけどね」と語った。

先生の「ボロ会社論」は極端かもしれないが一面の真理でもある。

地方の会社に伺うと、敷地も広いので、大きな自社ビルを建てていて、創業の先代社長が立派な社長室を作り、後継社長がその後に入っている場合も多い。

誰だって、あんな豪華な部屋に入っていると、自分が偉くなったように錯覚してしまうのではないかと、余計な心配をしてしまう。

特に最近の高学歴な後継社長はパソコン、タブレットにデータがビッシリ入り、数字を読んで、エクセルの上で戦略を練る、考える、決定することが最先端の経営だと思っている節がある。昔なら机上の空論だが、今ではエクセル上の空論である。

確かにデータも大事だが、お客様一人ひとり、現場一つひとつの積み重ねが事業であり、その現場を直接見たり、お客様の変化を肌で感じたり、ライバルの動向に神経を尖らせたり、非同業の新規参入者のビジネスコンセプトに触れておかないと、数字が訴えることを自分の都合の良いように解釈し、見誤ってしまう危険がある。

「具体的に数字で……」と口癖のように言うが、数字こそが抽象的、平均的であって現場こそが具体的なのである。

だから、一倉先生は30年も40年も前から、「社長の定位置はお客様のところである」と言い切っていた。

社員の報告やデータだけでは、真のお客様の要求は社長室ではわからないのである。

社長の出社は1週間のうち半日程度で充分だと指導していた。だからずっと会社で、どんと構えている社長を、先生は「穴熊社長」と呼び、嫌がる社長と同行し、お客様回り、店舗回りに追い立てていたのである。

「穴熊社長」の大変身で思わぬトラブル

名古屋のH社長は、大阪の一倉セミナーに出席し、「穴熊社長はだからダメなんだ!」と散々にお灸を据えられた。社長もただ怒られるだけでは腹がたったが、事実だから仕方がない。

渋々、主要得意先を回り出したが、最初は随分と嫌味を言われたそうである。

しかしながら店頭に行ってみると、自社の商品がお店の隅っこに置かれていたり、古いPOPがそのままついていたり、在庫商品が汚れていたりと、現状を見るにつけ売上不振の原因がすぐにわかった。

大急ぎで対策に着手し、トップダウンで全営業に号令を発した。

すると、当然ながらじわじわと売上年計が上向きになり始め、社長自身がお客様回りの効果に目覚め、出張出張の毎日に変わってしまった。そんなこととは知らない社長の奥様は大変である。

今まで毎日のように家で晩ご飯を食べていた主人が、外泊続きとなってしまった。「これはひょっとして……」と良からぬ想像をし始め、一時期夫婦仲が険悪になってきたのである。

毎月のセミナーにも出席されておられたから、「今日は合理化協会のセミナー」と言って家を出るわけなので、奥様からすれば「日本経営合理化協会も一緒になって悪いことをしているに違いない」と私宛てに電話までかかってきた。

きちんと説明し、奥様も一緒にセミナーに参加していただいて疑惑は氷塊したが、穴熊社長の変身ぶりは見事であった。今となっては笑い話のようである。

社長からすれば、自分がお客様のところへ行くと、相手のお客様も上席、もしくは役員、社長が出てきてくれるようになる。

話は自ずと高度な話や真に困っている問題、今開発中の案件など担当営業ではなかなか聞けない話題になり、自社の取り組むテーマもハッキリとしてくるのである。

社員からの報告では、お客様の本当のところはわからない

社長のお客様訪問と並行して自社の担当営業マンも日々の受注、売上獲得のために営業活動をするが、話の内容は自ずと変わってくる。

社員は社員の持っている知識と経験、情報で判断し、得てくる情報も多くは同じような階層の担当者同士の情報である。しかし、営業マンの情報も活かし方次第である。

社長が自社の将来の方向性を考え、決定するためには不充分であっても、社長1人で回れる得意先は数が知れており、なかなか小さな得意先まで訪問できるわけではない。

建築工事関連のH社長は、大手の主要得意先を中心に回っているが、どうしても留守がちなために、机の上に1冊のノートが置いてある。

今と違ってメールで日報が飛び交う時代でないだけにタイムラグは仕方ないが、社員からの日報を読んで「疑問に思ったこと」「ピン!ときた報告」をメモし、後日訪問するための備忘録である。

この日報は当然一倉式であるが、「お客様に言われたこと」と「自分の意見」を混同しないように区分されているシンプルな様式である。

当時、多くの日報は営業マン管理のためではないといいながら時間や訪問件数的な要素が多く、効率化と管理要素が強いのが一般的であった。

一倉式は日報までがお客様中心で、お客様の要望、不平、お問い合わせ等、お客様に何を言われたか、をフリーで記入するように作られており、社長が読んで気になる点を自らお客様のところにお伺いに行くネタ帳に使っていたのである。

実際に伺って直接聞いてみると、特殊な工事資材の問い合わせのニュアンスで書いてあったものも、難工事が予想される現場のことの相談をしたかったようで、現場に詳しい社長が行ったことで新しい工法で工事を請け負うことが決まる。

こういうことがしばしば起きるのである。

たとえ受注に結び付かないことがあっても、お客様からは「H興業さんは社内のホウレンソウがしっかりしている」「こちらの困りごとの相談に親身に対応してくれる」など評判がいい。

大手と違い、中小企業の若い営業担当は経験も乏しく、詳しい専門知識も持ち合わせていないことが多い。ベテラン幹部や社長だとピンとくる受注のシグナルもみすみす逃してしまうのである。

特に若手が行きたがらない「技術的に詳しく口うるさいお客様」「ちょっと偏屈な研究者タイプのお客様」などは業界の最先端を行っていることもままあり、社員の報告書だけを鵜呑みにせず、社長自ら足を運んで話を聞く価値がある。

クレームは宝の山

しかし、いい話ばかりではない。

クレームに関しては、一倉先生の指導は徹底していた。クレームの第一報は当事者の社員からの報告と現実がかなり違って社長に伝わることが非常に多いからだ。

人は誰でも本能的に自分を守ろうとするから、事実を事実のまま100%伝えることはできない。社長や上司を決して騙すつもりはなくても、自己擁護のニュアンスが入ってしまう。

上司はやはり部下の社員を守りたいのが心情だから、どうしてもひいき目に見てしまう。特にクレームや事故の場合、初動を誤ると問題の本質がずれて、2次クレーム、炎上になってしまう危険がある。

ましてや報告を怠ったり、ウソの報告を上げる悪質なものもあれば、怒られるのが怖くて言い出せない場合も日常茶飯である。

一倉先生のルールは明瞭で、「クレームを起こしたことについては不問」。ただし、「報告を怠った場合は厳罰に処す」の明文が経営計画書に大きく書かれている。

さらに当社に責任がある場合は、採算を度外視して最優先で対応するよう指示されている。

これはこれで全く正しいが、実際には運用が難しい。

ある自動車ディーラーでは、営業担当とは別の社員がクレーム発生時には、即、動けるように体制がつくられている。

営業経験のある方ならわかると思うが、ちょっとしたミスでも自分がしてしまうと精神的に負い目をもってしまい、お客様の過度な要求にも全て応じてしまいがちである。

だから、冷静に現状判断ができる当事者以外の営業がクレーム対応を引き継ぎ、誠実に対応するとともに、経費的にも互いが納得できる範囲で交渉を重ねていくのである。

そうすると、そこからお客様の真のニーズや要求、不平不満や当社との行き違い、また売り手である我々のシステムの不備なども冷静に見えてくる。

この10年で、IT技術(情報技術)や新しいサービスが次々に生まれていて市場競争は、「スタートアップ企業」VS「既得権益企業・老舗企業」の様相を呈している。

お客様が個人であっても、法人であっても、より便利で安く早く確実に要求を満たしてくれるところと取引をしようとする。

ただし、ただ安いだけで取引を次々と変えていく人は多くはいない。

法人なら特にそうであるが、「安定供給」「信頼安心」が優先するので、既存取引先に新しい取引形態の要請や条件交渉の打診が入ってくる。

ボタンの掛け違いで、クレームになったり、コンプレインとなる場合もあるが、経営が環境対応業である限り変化をしない企業が淘汰されてしまうのである。

お客様だって、いろいろ苦情を言ったり、リクエストするのは重荷であるから、黙って去ってゆく場合が多いわけで、クレームだったり各種の一見面倒に見える要求が会社に届く状態は、むしろ大歓迎すべき状態である。

それを社長がよくわかって「瞬間湯沸かし器のごとく怒らないこと」「報告の労をねぎらって犯人探しをしないこと」を守ってほしい。

もう数年前になるが、新宿の関係先の会社で営業部長と打ち合わせをしていたときのこと、社内がザワザワしていたため、長年の付き合いでもあるので失礼ながら「どうしたの?随分バタバタしてるけど?」と聞くと、部長曰く、「ちょっと大きなクレームが起きて、みんな気持ちがそっちにいってて」。

続けて、「重要な社内通達でも、みんなあまり伝わらないんだけど、クレームだと担当者はどうなるんだろう?収まったかな?と耳がダンボになり、戦々恐々で!」良い話、新規の得意先が取れたなどは、自分ごとでないからあまり関心を示さないが、こういう状況だと日頃、社長がどんなに理想的なことを言っていても、本当の本当はどういう言動をとるのか、一挙手一投足を全社員が見ているのである。

幸いここのF社長は、陣頭指揮を経営計画書のクレーム対応通りにとられたから、社員からの信頼はますます強くなり、今日まで業績は好調をキープしている。

クレームというのは会社の実力が試される貴重な機会でもある。

「グッドマンの法則」ではないがクレームが発生しても、きちんと対応することで逆に、お客様からの信用を一層高めることもでき、自社の改善、改革もお客様目線で進んでいくのである。

郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも社長の責任~社長だけが事業経営の全ての責任を負う~

「郵便ポスト~」のフレーズも、本当に多くの社長が心に刻んでいる。

一倉語録の代表的な1つである。

創業者の黒田社長は、売上10億円弱のときにはじめて一倉ゼミに参加されたそうである。

比較的順調に成長してきたが、10億円を前に一進一退が続き、これまで自信を持って経営してきた会社はなんとか黒字ではあるが、打開策を求めての受講だったと当時を思い出しながら話してくれた。

ビルメンテナンスで独立し、持ち前の営業力で得意先を開拓するトップ営業スタイルだったこともあり、さらなる成長に向けて進むには、幹部社員の脆弱さに不満を持っていたのだと、次のように話された。

「何であいつらは、俺の言うことがわからないんだ!」「幹部を変えてやろう、成長させてやろうと毎日怒鳴っていたが、成長させるための何かヒントはないか」とゼミに参加したというのである。

そうしたところ、一倉ゼミの講座の中で、「郵便ポスト~」の言葉を聞いて、最初は「俺はしっかりやっている」「あいつらが……」という気持ちばかりでなかなか素直には聞けなかったようだ。

しかし、先生は全ては社長の責任というし、正直納得がいかなかったから初日の夕方の質問時間に並んで、座った瞬間、凄い勢いで「冗談じゃない!社員に責任を押し付けて!バカヤロー、帰れ!」と言われたのである。

さすがに黒田社長も「コノヤロー!」と思い、「もう帰ろうか」と一瞬考えたが、高い授業料がもったいないので2日目も受講していた。

すると、先生は何もなかったようにニコニコしているし、「何なんだ」とも思っていたときに、いつまでも昨夜のことにこだわっている自分に気がついて、「自分は変わらずに、人ばかり変えようとしている自分を少し客観的に見られるようになった」と気づいたのである。

責任=権限の法則

講座の中で、オーナーでもない、株主でもない、ましてや社長並みの高い給料も払っていないのに、社員に「やれ権限委譲だ!」「自分で考えろ!」は社員にすれば、「冗談じゃない!」という話があった。

社長がやるべきことを放棄しておいて、「人にやれやれ言うことが最大の無責任だ!」との講義に目が覚め、「まさに自分のことだと。腑に落ちた」と話してくれた。

権限委譲という甘い言葉に多くの人は誤解し、それが器の大きい社長のあり方とでも思っているのであろう。上手くいけば自分の手腕、そして失敗したときは責任を本人に取らせる。こんなことで会社が順調に伸びるはずはない。

黒田社長もそれ以来、「幹部にどうこう言う前に、自分が変わることだと心に誓い、社長の責任、自覚と覚悟、主体性を、自分の人生、経営の中心に据えて生きてきたつもりだよ」と、いつものように物静かに笑いながら話された。

自社の幹部教育にも「いかに、自分が変われるか?」を社長自らが説かれ、時間をかけ立派な幹部を輩出している。

それが証拠にこれまで何人もの社長を育てられ、新規の事業を本業の周りに配し、200億円に迫る企業グループを率いている。

民主主義経営ほど恐ろしいものはない

世の中には「ワンマン経営」への誤解があるようで、人の意見をよく聞く社長ほど立派であり、ワンマンは聞く耳を持たない社長=独裁者と捉えているが、とんでもないことだ。

民主主義経営は、実際には起業家、創業社長の時代にはありえない経営体制であり、こんなことをやっていたら会社は当の昔に倒産廃業である。

モノを決められない二代目、三代目社長が自らの責任逃れのために役員会、常務会などの決定機関を設け、合議制こそ正義であるという甘言を信じ、一番大事な決定を委ねるのである。これが民主主義経営の実態である。

任された役員は、たまったものではない。

スーパーマンのような先代からの大番頭がいて、会社をよく守り、新社長を立てて経営が順調にいく、なんてことは絶対とは言わないがまずない!安物のドラマか、映画の作り話である。

もし、そんな大番頭がいたとしても、その大番頭が引退した5年後、10年後には同じ結末を迎えることになる。

責任も取れないグループの話し合いは、話す内容は正しい結論を出しても、強烈に推進したり、社内外の抵抗勢力を押さえこんだりして実行する力を持たない。

頭がいいだけに、総論は誰が見ても立派である。しかし、これもくせものである。

企業、特に中小企業の競争条件は差別化、重点化だと散々に御託を並べておいて、皆が賛成する戦略決定が差別化できているはずがない。

アテネの時代から、民主政治がいつの間にか衆愚政治になってしまいがちなことを我々は知っているはず。平和な時代には通用しても危機には弱いのである。

では、衆知を集めて独りで決定する「衆知独裁の経営」はどうだ?という声が聞こえてきそうである。

そもそも衆知が集まるか?松下幸之助翁のような経営の神様でもあるまいに、もし集まったとしても迷うばかりで結論が出なくなってしまう。

間違った決定より、あいまいな指示、先送りが最悪の結果を招く

日頃から社運を賭けた決定をしないために、「経営計画書」に我社の生き残りの戦略を描き、小さな決定を繰り返し繰り返し行い、上手くいけばアクセルを踏み、障害が生じればバックをするか、軌道修正をして次の手、次の手を繰り出していくのである。

成功している若い社長が、急成長の事業戦略を最初から想い描いたように話している場面を見聞きするが、実際のところ本当かどうかはわからない。

自分自身のコンサルティング体験でいえば、大きな方向性はずれてはいないが、細かい軌道修正の連続が続き、何とか今日会社が成長しているというのが真の姿に見える。

自分の歩いてきた道を振り返ると、そこには雑草の中に踏み固められた細い道らしきものが見え、後でその道を「○○戦略」と名付けているのではないか。

だから、本当に長年社長を務められた老獪な社長ほど「あのときに、あの人に助けてもらった」「神風が吹いたんだ」「運が良かった」と謙虚に語ってくれるのである。

ただ小さくても「決定」をして前に進まないと幸運さえも巡ってこない。

あいまいな指示、現場に丸投げだと、専務、常務といえども多くの場合「守りの一手」を打ってしまう。

現場は目の前の苦しさから逃れるためにリスクを取るよりも「コストを削り」「内部管理を強化し」出血を止めて時勢が好転するのを待とうとする。

時代が大きく変化していて、経営環境が元に戻ることはないにもかかわらずである。

社長の決定は極端に言えば、先送りより間違っていたほうがいい。

間違いにすぐ気がつけば、皆に間違ったことを宣言し、次の手を繰り出せる。

よく勉強会で、それも後継社長の勉強会だが、私は「それが社長の特権だ」と言っているので、冗談だと思っている人がいるかもしれないが、私は本気でそう思っている。

ただし以下の文言を添えて、明るく言ってほしい。

「いや~、今回はいい勉強になった。ちょっと授業料は高かったけど絶対に取り戻すから」。

こんなことを、専務や常務が言ったら社長の逆鱗に触れ、首元が寒くなってくるのだが、社長だけは別格であり、挑戦する気概を失ったら、中小企業は生き残ることはできない。

致命傷にならない「小さな決定」を若い時分から繰り返し行って、成功の体験も失敗の体験も積んでおけば、イザというときに不安にならなくてすむ。

本やセミナーの勉強で得られる知識も大切だが、経験から得られる経営の知恵に勝るものはない。

平時の経営、有事の経営~経営環境の有事、我社の有事~

創業社長の多くは20年、30年、長い人であれば50年も現役を張っているので、会社のピンチ、好景気と長引く不況を幾度となく体験し、その折々で決断を下し、生き抜いてきたのである。

日本の景気を見れば、およそ10年に1回くらい有事を迎えているが過去の経験を活かし、事前の準備を怠りなく施しているから難を逃れている。

決して偶然ではない。

最近では何といっても、全世界を激震させたリーマンショック(2008年・平成20年)だろう。

その10年前には日本の金融危機、2000(平成12)年のITバブルと崩壊、さらに遡れば1989(昭和64年/平成元)年までのバブルとその後の崩壊、長引くデフレである。

経済情勢もさることながら、企業にとっての有事は日々直面するだけでも「主要得意先の倒産、契約打ち切り」から始まり、「火災、災害等による工場被災」「甚大な商品クレーム」「風評被害」「手形事故」「親族の後継争い、兄弟ゲンカ」「親子ゲンカ」も多い。

そして、何よりも「社長の重篤な病気や事故」であり、仕事がら本当にさまざまな相談が持ち込まれるのである。

創業社長はこういう修羅場をいや応なしにくぐり抜けてきている人が多いので、ピンチをチャンスに変えるほど冷静に対処する術を身に付けている。

名古屋郊外に本社工場を構えている社長もその1人である。

電気技術分野の製品は国内でもトップクラスのシェアを占めているし、財務体質も強い堅実経営である。

しかしながら、リーマンショックの折は、どうにもこうにも売上もなにも手の打ちようがなかった。

社長の採った手は、まず銀行に駆け込み人件費の2年分の融資を引き出した。実際、手元にお金がないわけではないが、先行きが見通せない中で、安全には安全を期しての策だった。

そして、全部の事業所を社長自ら回り、手元に資金が潤沢にあるから我社は全く心配がないことと、当面実施してもらいたいことを2つ指示している。

1つは、これまで納期が最優先で製造に忙しく、後回しになっていた開発テーマの研究に時間を使い、市場が回復したときに一気に販売できる体制をつくること。

もう1つは、これまで自社で納めた製品の保守メンテナンスのために全国の工場を手分けして回り、営業だけではカバーできない現場同士の関係づくりを強化しておくこと、であった。

当然、お客様である得意先もリーマンショックの影響で、工場の稼働は極端に下がっているのでお客様からも感謝され、トップシェアメーカーとしての信頼性はますます上がっていった。

結果的には2年を待たずに仕事も戻り始めたので、調達した融資金額には1円も手を付けずに、そっくりそのまま返済し、バランスシートを棄損させることもなかった。

それより次世代の開発にじっくり取り組めたお陰で、回復後には新機種の問い合わせも急増し、リーマン前の業績を塗り替えるほどの活況を呈したのである。

しかし、現実には有事にのみ込まれる場合もたくさんある。

1989年末に日経平均の最高値を付けた後の、バブル崩壊でのサバイバルを賭けた決断での明暗は多くの教訓を示してくれている。

当時、私も若かったから今ほど体験もないので間違っているかもしれないが、これだけは正しいと確信している。

株式バブルが90年の大発会から崩れ始めたとき、一時的な調整でまた戻ると判断して攻めに行った人と損切り覚悟で会社を小さくし守りに徹した人がいた。

不動産バブルは確か2年弱くらい遅行して崩れていったと記憶しているが、そこでも売上を無理にでも伸ばして利益を出しにいく戦略をとり危機を乗り越えようとした人と、土地の投げ売り覚悟で身を軽くしていった社長も少数派ながらいたのである。

生き残りを目指すところは一緒でも、キャッシュフローを理解している社長とそうでない社長の経営決断は真逆であった。

会社の継続が全てに優先する

一倉先生の書籍の中にも、答えは「緊急時には、収益より資金が優先する」と端的な表現で示されている。

渦中に巻き込まれると冷静な判断、決断ができなくなってくる。そして、状況判断も自分に都合の良いように好転することを期待し、一発逆転のホームランを狙いに行くのである。

中堅の建設会社であったA社は、同業も含め厳しい経営環境の中で生き残るために、どういう戦略を採るかで社内で喧々諤々の議論が行われていた。

バブルのフォローの風の中で伸びてきただけに強気派のグループと、ここは規模を縮小して再起を図ろうとする慎重派に分かれた。

同族会社の身内が各派のボスだっただけに、互いに遠慮はないから意見の対立は激しくなる一方だった。

最初は次男が率いる慎重派が頑張って、いらないものを捨てるのと同時に比較的小さな工事を受注し資金をつなぎ凌いでいた。

そのため、何とか将来に光明が見えかけるところまで来たのである。

しかしながら、社長の長男の専務が我社の力量では手に余る大規模工事を取ってきたために、社内は一気に盛り上がり、迷いあぐねていた社長も強気に転じ形勢逆転となってしまったのである。

大きな工事の財務的な特徴は、工期が長いだけに資金面から見れば回収に時間がかかるし、一部の外部業者に対する支払いは先に出て行ってしまう。

売上高に目が眩んで一見儲かるように見えるが、粗利益率は低いし、実行原価で締めてみると本当に現金が残るかどうか、やってみないとわからない現場も数多くある。

平時であれば銀行の協力も仰げるが、当時の状況は銀行自体の腰も引け、どんなにお願いしても本部の了解がもらえなかったことを覚えておられる社長も多いと思う。

さらに悪いことに工事中に事故を起こしてしまった。

工事規模が大きかろうと小さかろうと事故を起こしてはいけないのは当然だが、くどいようだが資金面から見れば小さな現場だと、ひょっとしたらカバーできたかもしれない。

運が悪かったでは済まされないのである。

結果は資金ショートという最悪の状況を迎えてしまった。

比較的近い業種で同じような環境を生き延びた社長もいた。

不動産を扱っていたので絶頂期までは大変な勢いだったが、状況が好転するまでには相当の時間がかかるとみて会社自体も縮小し、在庫の土地も一気に処分してしまった。

「見切り千両」とはよく言ったものだが、バブル崩壊の荒波を何とかくぐり抜けた後も同様に不動産の扱いは続けられたが、ある方針を絶対の憲法として自分に課し小さくても強い会社を作られたのである。

「仕入れた土地が、4ヵ月以内に販売できなければ損切りしてでも絶対に手放す」この憲法を守っていればどんなことがあっても潰れないという、修羅場の中で体験し、多くの先輩社長を反面教師として得た教訓だと話してくれた。

今にして思えば、在庫回転率だの、キャッシュフロー経営だの、キレイゴトの理屈を並べて説明してしまうが、実践の中で苦悩し、それこそ全財産と命を懸けて身に付けた経営の肝こそ実学そのものである。

有事には売上規模でもなく利益でもない。事業の継続を支える「資金の確保」の1点に目標を絞り全社を挙げて取り組むことが全てなのである。

中小企業の二頭経営は致命傷

長く経営を続ける同族経営の最大リスクの1つが、親子ゲンカと兄弟の争いである。どちらかが主導権を握るか、どちらかを追い出す結果となるほうが、小さな組織内で××派に分かれてゴタゴタが続くよりよっぽどましである。

一倉先生のいう「正しいワンマン経営」こそが同族経営であっても、一族が協力して目指す方向である。

観光地で有名な人口3万弱の地方都市で騒動が起こったときのことである。

地元の銘産品を手掛ける会社だから規模以上に地元では有名な会社で、親の時代は兄弟で堅実に業績を伸ばしていたが、会長(兄)・社長(弟)それぞれの長男が会社に入っていて、そろそろ事業承継を考える時期に来ていた。

実際に直接会って話を聞き、主要取引先からも評判を聞いたが、一人ひとりは熱心に仕事もするし、真面目だし、悪い噂は聞かなかった。

息子たちの互いの主張をよく聞いてみると「会社をもっと良くしたい」という強い思いは共通しているのだが、経営方針が真逆で、拡大路線と堅実路線の主張を繰り返すばかりだった。

どこでも似たような話は、兄弟だろうが、いとこ同士だろうが見聞きする。

父親としては当然のように自分の息子を後押しし始め、途中から会長と社長の兄弟ゲンカになってしまった。

最後には、「会社を分割して互いの道を行こう」と言い始めたのである。

「田分け」の教えではないが、小さな町で小規模の会社を分割すると共倒れになってしまう危険性が高いのは誰だって想像がつくし、社員はしらけムードである。

社内が分裂し、会社を分割することはよくあることだが、多くの場合上手くいかない。

地域を分けても、得意先を分けても、事業部を分けて互いに独立して経営していこうとも、ちょっと時間が経てば、互いに覇を争い泥仕合が繰り返され、一方が敗れれば風評被害によって、結局ブランドを傷つけ信用を落としてしまうのである。

この会社の場合は分割だけは避けなければと判断し、周りの協力もいただいて半ば強引に一方の親族に退いていただいた。

兄弟経営がダメだとか、難しいと言っているわけではない。兄弟仲良くやっている会社をいくつも知っているし、三兄弟、姉妹で経営している会社もある。親族が結束して経営すれば、当然業績もよくなる。

意見の違いは毎日のようにあるし、ときにはケンカもしているが、経営方針を社長が最終決定したら、それに向かって懸命に努力する兄弟ほど頼もしい幹部はそういない。

ただし、そのためには時間をかけ、親子、兄弟が同じ経営の勉強をしているし、親が勉強させている事実を見逃してはいけない。

根幹になる経営の方向性やお客様に対する姿勢、社員、取引先などステークホルダーに対する考え方などが大きく違っていると、自分の考え方に固執し、面子を懸けた争いに陥ってしまうのである。

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