第7章鬼の一倉、仏の一倉
鬼手仏心
ここまで読まれて、皆さんの多くは一倉先生のイメージは「鬼の一倉」でほぼ固まっていると思うし、直接教わった社長仲間が集まって「鬼倉会」という何とも恐れを知らない名称で、OBの勉強会まで発足していたことも前に書いた通りである。
先生は先生で「鬼倉」と呼ばれていることを喜んでいたように思える不思議な関係が続くのであるから、「志を1つにする集まり」の強さを、今になって実感する。
「鬼手仏心」という四字熟語があるが、一倉先生の厳しい姿勢の中に「慈悲にみちたやさしい心」を感じた社長がたくさんいらっしゃったという証明だろう。
講義や会社で怒鳴られた社長が今でも「あのとき、先生があれだけ本気で怒鳴ってくれていなかったら、ウチは今頃ないかもしれない」と話されるのであるから、その影響力には驚かされる。
一倉先生の、絶対に会社を潰してはいけないという使命感の強さが随所に表れていたエピソードには事欠かない。
新幹線がいきなり最重要な会議室へ
今も現役で頑張っておられ高収益グループを率いる社長Aさんも、30年以上前から一倉門下生である。
あるとき、過去のこんな体験を話してくれたことがある。
得意先の倒産で不渡り手形をつかまされ、自社の存続も危ぶまれたとき、先生の自宅に慌てて電話を入れたそうである。
携帯のない時代だから連絡が取れただけでも幸運なのであるが、先生が「夕方の新幹線で大阪に向かうから、◯◯号車で待っている」「資料はこれとこれ」と指示を受け東京駅に向かった。
そこから3時間、新幹線の中で緊急の資金手当て、当面の資金繰り予定表を作り、銀行対策、諸々の手の打ち方を指示され、新大阪で別れた。
A社長はそのまま東京にとんぼ返りとなり、自宅に戻ったときは深夜を回っていたとのこと。
はじめての体験だったので不安で不安でしょうがなかったが、その後、電話で進捗を確認しながら指導、助言を繰り返し受け、何とか連鎖倒産を免れるメドが立つまで本当に親身にお世話していただいたことがある、と話してくれた。
また、長野に本社のある社長は一倉先生に定期的に会社で指導を受けていたが、前日の夕方、必ず新宿駅で待ち合わせ、社長の運転で、長野の自宅に向かうのが日課であった。
翌日は指導が終わったら、やはり社長が自ら車を出し東京まで送った。宿泊も社長の自宅で、先生用の部屋が用意されていて、食事も奥様も交え一緒にされていた。
社長は「せっかく長野まで来ていただくのに、バスの時間がもったいない」「車の道中いろんな話ができるし、社内では話しづらいこともあるから」と言っておられた。
先生の立場を考えれば、ず~っと一緒で休めないし気も抜けないから、迷惑な話かと思っているとそうでもないらしい。
逆に、「こういう熱心な社長が大好きだ」とおっしゃっておられたから、先生自身も仕事の虫なのである。
社長車というのは確かに2人だけの密室であり、邪魔も入らないし、建前抜きのホンネの話になってくる。事業経営に向かう姿勢は社長も真剣だが、一倉先生も真剣なのである。
ただ、この社長は「指導料は1日分だから、僕の場合は半額以下になるよね~」とちゃっかりしているのもご愛嬌である。
先生はそれも全てわかってニコニコしている。「仏の一倉」の一面である。
知らないことは手取り足取り教えるが、知ってやらないと
先ほどの手形事故のときもそうなのだが、資金繰り表の作り方を知らなくても、先生は怒鳴ったりすることはない。
「知らない、わからないこと」は仕方がない。
だから、社長、経理部長、先生と一緒になって、「作り方を指導しながら、数字を確認し、対策を考えていく」のが常であった。
その会社の一大事のときに「社長が自ら動かない」「経理や他の役員に任せる」。
さらに、いろいろ策を考えているときに、「あれはできない」「これは無理だ」と実行する前からできない理由を口にすると、「仏」が一変し「鬼」に変わるのである。
それも瞬間に。そのとき一番大切なのは、社長の姿勢である。
M社長も一倉門下の優良企業オーナーであるが、会社での指導中、販売戦略の相談中に先生と社長の間でやり取りがあった。
先生のアドバイスは、「今お取引をしているお客様に別の商品を仕入れても、作ってもいいから売りなさい」「販売先をキチンと管理していて、たいしたものだ」というお褒めの言葉もあったくらいで上機嫌だったが、先生が一言「たとえば、◯◯◯なんかどう?」というのを聞いたM社長が発した語句が火をつけてしまった。
「先生、○○○は粗利が低くて儲からないんですよ~」と、冗談っぽく言ったところ、「バカヤロー」「たとえばで言っただけで、何もやりもしないでぐちゃぐちゃ言うな!」と雷が落ちた。
そして、来社から1時間ぐらいしか経っていなかったが、「俺は帰る」と言い残して本当に帰ってしまったのである。
もちろん1日分の指導料は払っていたが、戻してとも言えず「困ったなぁ~」と思ったが、社長の偉いところはここからである。
「何がお客様にとって必要か見にいってみよう」と気持ちを切り替え、一軒一軒お客様訪問を繰り返してみると、自社商品以外にいろんなものを頼まれて、できるところから納めに行ったら、また次の不満をぶつけられ宿題をもらってきた。
これがキッカケで、今では商圏内に2万社を超える得意先を持ち、毎年、相当額の利益を上げる超優良企業を経営されている。
M社長は怒鳴られた後も、途中経過を先生に電話をして、「お陰様で儲かるようになりました」とお礼を言うと、自分があれだけ怒ったこともケロッと忘れ、「良かったね、良かったね」と自分ごとのように喜んでくれたのである。
どんなに怒られようとも、この社長のように、気持ちを切り替え素直に実行してみて、それから考え、またチャレンジしてみる。
経営の神様と言われる社長であっても、当たり前だが全て成功しているわけではない。多くのチャレンジの中から繁盛のキッカケをつかみ事業を大きく伸ばしていくのである。
一倉先生は失敗して怒ることは決してなかったが、知っていても実行しなかったり、とことんやらない、社員にやらせて評論する、こういう社長には容赦はしなかったのである。
我がことのように喜ぶ。社長からの報告
もうおわかりだと思うが一倉先生が鬼になるときは、社長が「社長としての責任」を果たしていないときであり、お客様のほうを向いていないときは手がつけられない状況になってしまう。
決して仕事だからではなく、本気で怒っているのである。
沖縄で経営計画合宿をやっていたときのこと。先生をお誘いして5、6人で、レストランで昼ご飯にしようとなって座敷に上がったのである。私も同席していて、「ヤバイ!」と思ったがもう遅かった。
掘りごたつのような席で、座るためにテーブルに手を着いてそこに足を下ろそうとした瞬間、照明器具に先生が頭をぶつけてしまったのである。
小さな蛍光灯のような電器製品だからケガもないし「痛て!」ぐらいの話だが……。私に「おい、すぐに支配人を呼んで来い!」となってしまい、昼飯どころではなくなってしまった。
途中はいろいろあったが、先生は「照明がこの高さだと、他のお客さんもぶつかるだろうから高くしろ」と言っているのである。
しかし、支配人は怒鳴られているのと、相手が毎年来ている一倉先生だから先生の機嫌取りに意識がいって、言い訳をして火に油を注いでしまったのである。
先生はホテルのコンサルティングをやっているわけではないが、1人のお客さんの立場として「ここは危険ですよ、直したほうがいいですよ」と言っているだけなのである。
指導先の社長に対しても、基本は同じである。
お客様は大きな声を上げることもなく、あれが悪い、ここがダメだと言うこともなく再来店しないか、もう買わないだけで、売上不振の小さな原因は社長に届かない。
一倉先生はそれを仕事だからやっているわけではなく、純粋にお客様になり代わって声を出しているのである。
だから、社長がその真意をくみ取って、社員を教育し、お店を直し、営業方法を工夫し売上、業績が回復していってほしいと思っているだけなのである。
ちょっとした気遣い、心配り、お客様の立場に立ったサービスに非常に敏感であり、前回の指導から良くなっていると我がことのように喜び、年計グラフで数字を見て、方向性が間違っていないことを確認するのである。
先生が鬼にならないと、社長はそうそう変われない。
先生が仏になっているのは、業績がいいからではなくて、「お客様が満足しておられるから」であって、結果として数字が伸びているのである。
先生への報告が上手な社長は、「お客様がどんな状況で、どう喜んでいただいたか」を事細かに話している。社員からの報告を受けただけでは詳しくは話せないから、現場で立ち会っていることは想像に難くない。仏の一倉先生になる瞬間である。
誤解を受けやすかった「一倉社長学」
多くの社長の話を聞いていると、「ひょっとしたら一倉先生の考え方を誤解しているのでは」と思える場面が多々あった。
1つは社員教育に関しての考え方である。日本経営合理化協会も社員教育のセミナーや実習訓練を、年間を通して実施している。
ある社長から「先生が社員教育はダメって言っているから大変だね」とよく言われた。まだ、私も若かったから、先輩の社長に向かって、「それは違うよ!」とは言えなかった。
先生が話しているのをよく聞くと、「社員の教育は極めて大事」「環境整備などを通じて、しっかりした社員に育てなさい」「定期訪問でお客様に好かれる社員に育てなさい」「社長が社内にいて、いちいち指示を出すから幹部が育たない」「社長が外に出れば、幹部は育つ」等々、社員育成の話はあちこちにある。
それを社長がやらないで「社員教育セミナー」に派遣をして、社員が育つ、育たないと言っている社長自身の考え方自体が間違っていると言っているだけである。
決して、勉強会やセミナーを否定しているわけでも何でもない。
もう1つ多かった誤解は、やっぱり社員に対しての考え方であった。東京での一倉社長学セミナーでのことであった。午前10時に始まり、お昼になると1人の社長が「もう帰る」と言い出したので、理由を聞いてみた。
2日間の10時間コースの最初の2時間だしと引き留めてはみたが、「俺はああいう考え方は嫌いだ」「俺はもっと社員を信頼して大事にしているんだ」「あれじゃ、まるで社員不信論者だ」とまで言われたので、説得することも難しいと思いお帰りいただいた。
今となってはその社長が「会社でどんな経営をやっておられたか」を知る由もないが、多くの場合「社員の主体性」「ボトムアップの経営」「もっと経営者の立場になって」など良いイメージの経営論を話される方がいらっしゃるが、一倉社長学では、社長が考えなければならないことを「責任、権限のない社員に丸投げする無責任社長」ということになるのである。
業績が悪くなったときに、「社員の頑張りが足りない」「できるヤツがいない」と言ってみたり、目を掛けていた幹部が辞めれば「裏切られた」と社内外でいう社長は今でもいる。
長年の一倉門下生であれば、先生が怒鳴り散らすまでもなく、社長仲間が「それはお前が間違ってる!」と皆で説教が始まるくらい、99%社長の責任論に落ち着くのである。
社長がこれまで考えやってきたことを、言下に否定されたり、考えたこともない論理で言われると真意を深く考えることなく、自分の人格を否定されたような錯覚に陥り、一倉非難をされた方もいらっしゃる。こればかりは、もったいないとは思うが致し方ないことである。
本当に社員のことを思えばこそ
『一倉定の社長学』に「第6巻内部体勢の確立」と「第9巻新・社長の姿勢」というのがある。
その中に、「社長の人材待望論」をダメ出ししているくだりがあるが、ここも受け取り方によっては随分違った解釈になる。
「人材は教育でつくることはできず、もしいたら、やがては独立して会社を出てゆくのだ。だから会社の中には人材はいない」を表面的に取れば社員不信論となるが、いくつもの主張を組み合わせて紐解くと「社長が成長しなさい」ということになる。
そして、「社員には同地区モデル賃金の10%アップの給料を」という高賃金主義の話にまで結びつくのである。ただし、どんなに高収益になっても、高すぎる賃金への警告も忘れてはいない。
「30年も40年も前の時代と今では違うよ」と言われるかもしれないが、人間の本質がそんなに短期間で変わることはない。
若い時期に高収入を得てしまうと、車がよくなったり、高級時計に、洋服に遊興費にと、だんだん固定費の高い生活に慣れてしまうのが人間の常である。
会社も好調時ばかりでないことはベテラン社長なら体験済みだが、若い社長は自分だけは特別だと錯覚して、社長自らが派手な生活をし、部下も社長を見習うようになる。
本当に立派な社長は、本社や社長室にお金をかけず、最新設備や研究開発に資金を回し、将来の不況に備え内部留保を厚くしていく。そうして、かつての功労者を切ることなく、「長く社員の雇用を守る」こと。
また、「社員の第二の人生」までも、社長が考えるように指導しておられた。
人間の本性に光を当て、社員の本当の幸せまでを考えた一倉先生の仏性の一面だと考えている。
原理原則を活かすも殺すも社長次第
もう1つの大きな誤解は、企業規模が大きくなったら一倉社長学は通用しないと勘違いしている社長がいたことである。
どうしても「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも社長の責任」の言葉が独り歩きしてしまい、全てが社長の責任と言われてしまっては、事業規模が大きくなったら全部に目が届かないし、社長1人では無理と思い込むようであった。
しかしながら、20年、30年と一倉イズムで経営し、一代で1部上場企業に育て上げられた社長もたくさんいらっしゃるし、今、改めて一倉組織論を読み返してみても納得することばかりであり、原理原則の大切さを痛感するばかりである。
たとえば、人事の定期異動ひとつ取ってみても、実際には中小企業のほうができていなくて組織の硬直化が進み、部門利益責任という考え方自体の間違いや、事業部制の問題点、職務分掌主義の弊害など、今日の大企業でも直面している課題への提言が時代を超えてなされている。
ワンマン経営は一般的に、独裁者的な社長が好き勝手にやっているというようなイメージで報道されていて、多くの社員もそう信じているかもしれないが、これも大いなる誤解である。
事実、ワンマンであるかもしれないが、国内企業で通信分野、電子部品、工作機械、アパレル、自動車など世界で戦える企業を率いている同族オーナーはたくさんいるのである。
また、同族、ファミリー企業の会社のほうが高い利益率であるとの専門家の統計調査や研究論文も発表されている。
ただし、各社各様で個性的な経営スタイルを貫いていて、一倉先生が指摘しているように「組織に定型はない」を実証している。
しかしながら、「定型はなくとも原理はある」として、社長の強力なリーダーシップのもと「正しい組織原理」の実践を求めるのである。
それゆえに、「社長業がこんなに苦しいものだとは思わなかった」と先生に打ち明けた社長もいたが、その社長にとっては業績好調であるから「一倉先生は仏」であり、その苦しさから逃れようと「耳にやさしいマネジメント論」に頼ろうとする社長には、まさに鬼に思えるのである。「良薬口に苦し」とはよく言ったものである。
一倉先生の主義主張は時代を超えても変わらない。受け取る社長によって、先生は「鬼」にもなれば、「仏」にもなるのである。
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