第三章カラ元気を出すのに疲れちゃいました……
[ドラさんの宿題]無理矢理ポジティブに考えない。
ネガティブな自分も、ただ見る
「はぁ……。
今日も電車の混み方が尋常じゃない。
あー、憂うつだなぁ」電車の中でため息をついた瞬間に、ドラさんから出された二つ目の宿題、多面的に見るリフレーミングを思い出した。
ボクは素早く自分に言い聞かせることにした。
「うんざりなんかしていないぞ!ボクは最高にハッピーだ。
なにしろ電車の中は考え事ができる最高の時間だからな。
本だって読めるぞ。
なんて幸せなんだ!」そう考えた瞬間に、またもや良からぬ気持ちがむくむくと湧いてきた。
「おいおい。
満員電車が最高なわけねぇだろ。
最悪に決まっているじゃん……」しかし、ボクはその気持ちをもう一回大急ぎで書き換えることにした。
まずは多面的に見る。
そのうちポジティブなものに注目する。
ドラさんはそう言っていたじゃないか。
「最悪なんて考えは間違っている。
ボクはハッピーだ!今日は幸せな一日だ!通勤時間は最高だ!」はぁ。
しかし無理があるよなぁ。
たしかに本を読めるのは本当だけど。
多面的に意味づければ真実だけど。
それよりも、不快でしんどいほうが断然勝っている。
本を読む気になんてなれないよ。
何だかボクは自分に嘘をついているような気がして仕方がなかった。
ふと目線を下に向けると、足下にドラさんがいるのが目に入った。
身長が百五十センチにも満たないドラさんは、満員電車の中で完全に人波に埋没していた。
他の乗客の胸や腹あたりに頭がある。
これは辛くて不快だろうな、そう思った瞬間に、ドラさんがつぶやいたのをボクは聞き逃さなかった。
「はぁ~。
満員電車、さ・い・あ・く!最悪ぅ」ボクは自分の耳を疑った。
「え!『最悪!』だって?ドラさん、ボクにネガティブなこと言うな、って言っていたじゃないか。
それなのに。
これまでの話は嘘だったのか」ボクはドラさんを尊敬していたのがバカらしくなった。
この人もしょせんその程度だったのか。
ボクは空気が抜けた風船のような気分になった。
電車がいつもの東京駅に着くと、ドラさんは、すし詰め列車からホームへと押し出された。
そして、目の前にボクがいるのを見つけるやいなや、すぐに軍隊の敬礼のポーズをして「おっす!」と大声で挨拶をした。
これまたネタが古い。
もう心の中で突っ込みを入れるのにも飽きたのでスルーしながら「おはようございます」と返した。
しかし、ボクの言葉には少しトゲがあったかもしれない。
満面の笑みでボクを見つめるクリクリしたドラさんの瞳を見ながら、ボクの頭の中に「言行不一致」という言葉が浮かんだ。
「リーダーたる者、言っていることとやっていることが違ってはいけない」そんな思いから、思わず攻撃的な言葉が突いて出てきた。
「ドラさん。
ボク、聞こえたんです。
さっき電車の中で『最悪ぅ』とつぶやいていませんでしたか」「ドラさんはいつも『ネガティブに注目するのではなくポジティブに注目せよ』とおっしゃっていましたよね。
それなのに、自分はネガティブな発言をしているじゃないですか。
それでいいんですか?」人であふれる駅のホームに立ち止まってボクは厳しくドラさんを問い詰めた。
ドラさんは通り過ぎる人に何度もぶつかられながら、それでもニコニコと笑い続けている。
「あ、すみません。
こんなところでする話じゃなかったですね」ボクたちはオフィスへ向けて歩きながら、話を続けることにした。
「リョウ君はすごいなぁ。
あんなにギュウ詰めの満員電車の中で『最悪』ではなくポジティブになっていた、なんて。
ボクなんて何度もつぶやいちゃったよ。
『最悪』って」「ドラさん。
それでいいんですか?それじゃあ言行不一致じゃないですか」「え?どこが?ボクのどこが言行不一致なんだろう?教えてくれないか?」ドラさんは急に立ち止まった。
後ろを歩いていたサラリーマンがドスンとぶつかり、チッと舌打ちして通り過ぎた。
ドラさんは「失礼!」と陽気な声をかけ再び歩き始める。
「リョウ君。
注目する、ってどういう意味か知っているかい?」「知っていますよ。
じっと見つめることでしょう」「ビンゴ!」いつものウインク。
「いいかい。
ボクは注目をやめよう、と言ったんだ。
見てはいけない、とは一言も言っていないだろう?」う、うん。
たしかにそうかもしれない。
ボクは「注目」と「見る」を混同していたのかもしれない。
ドラさんは「ネガティブに注目せずポジティブに注目せよ」と言った。
しかし、ボクはそれを「ネガティブな面を見ずに目をつぶれ」と曲解してしまったのかもしれない。
ドラさんは早足でちょこちょこと歩きながら続けた。
終始笑顔だ。
「リョウ君とボクは満員電車で不快な思いをしていた。
それは当然のことだ。
そうして不快を感じたら、それをきちんと見る。
でも、注目はしない。
じっと見続けることはしないんだ」「それよりも『さあ、この時間に何ができるかな?考え事でもしようか、本でも読もうか』というポジティブな側面のほうに時間と心を傾ける。
これは、ボクたちの意志でいかようにでも決められることだ。
簡単ではないけれどね」「そして、ここからが大切なところだ。
いいかい、きちんと聞くんだよ」ドラさんは右手の人差し指を立てて左右に振った。
「ネガティブな感情を押し殺してはいけない。
なかったことにしてはいけない。
『否認』『抑圧』『歪曲』せず、きちんとありのまま、そのままに見る。
自分に正直であることはとても重要なことなんだよ。
『あぁ、ボクは今、不快だな』とか『腹が立っている。
むかついている』とか」「それを見ないふりをしてはいけない。
きちんと認めることが大切なんだ。
『自己概念』と『自己体験』を一致させておく。
これをカウンセリングの世界では『自己一致』といって重要な要素だと考えるんだ」「ボクはこれ、カウンセリングの世界だけではなくて、一般的な心の健康のために、とても重要なことだと思っているんだ。
アドラーに影響を受けたカール・ロジャーズという心理学者の言葉だよ」「否認」「抑圧」「歪曲」か。
たしかにボクはその三つをすべてやっていたような気がする。
「電車は不快ではない。
最高だ」と「否認」し「抑圧」し「歪曲」していた。
それはとても不自然だったし、何だか自分に嘘をついているようでモヤモヤしていたことを思い出した。
まさに心の健康が損なわれていた状況だろう。
もしも、こんな風に自分を押し殺して、嘘をついて、本当の気持ちを閉じ込め続けたら病気になってしまいそうだ。
そうか。
それはしてはいけない。
ネガティブな心を解放してもいいんだな。
「ドラさん。
よくわかりました。
でも……。
ネガティブな気持ちをただ『見る』けれども、じっと『注目』はしない。
それが上手にできるかどうか、ちょっと自信がありません」「今までのボクは、ついついネガティブな面にばかり『注目』をしていたからです。
ネガティブに『注目』しないようにしてもついつい『注目』してしまった場合はどうすればいいんでしょうか。
『いけない、いけない、注目してはいけないんだ』と言い聞かせればいいのでしょうか」チッチッチ!ドラさんは舌打ちをしながら右手の人差し指を立てて左右に振った。
「ノン、ノン、ノン!」あれ、今度はフランス語か?「リョウ君。
『自己一致』をもう忘れたのかね。
できていない自分を『否認』『抑圧』『歪曲』せず、ありのままを認める、正直になることが大事だって言ったばかりだろう」あっ、そうだった。
では、どうすれば……。
「ただ見るんだ。
一切の評価を交えずに『また、やっちゃってるな』ってね」そう言って大げさにウインクをして見せた。
たまたま隣を通りかかったOLさんが、それを見て驚いたような表情をしている。
今どきウインクする人などいない。
しかし、ドラさんは、驚くOLさんの存在に一切気づいていないようだ。
ただ見る。
「あ、またやっちゃっているな」ボクは声に出して言ってみた。
少し、心が軽くなったような気がした。
ボクは復習するつもりで、一歩歩くごとに一つずつ言葉を口に出してみた。
「はぁ。
満員電車、最悪だなぁ」一歩踏み出す。
「あ、またネガティブな面に注目しちゃっている」もう一歩。
「また。
やっちゃってるな。
まっ、いっか」また一歩。
「満員電車はたしかに不快だ。
でも、この時間をムダにしたくないから有意義に使おう。
本でも読もうか。
考え事をしようか。
時間を有意義に使うほうに注目をしてみよう」ここで両足を揃えて軽くジャンプして、おしまいにした。
何だか体と心が軽くなったような気がした。
ワンセット声に出してみて、ボクは試験の結果を確かめるようにしてドラさんのほうをチラリと見た。
先生、合っていますか?「ビンゴ!バーン!」ドラさんはウインクして、親指を立てて、ピストルを撃つ真似をした。
良かった。
正解のようだ。
うん。
この流れなら自然にできそうだぞ。
まっ、いっか。
そうつぶやけばいいんだもの。
ボクたちはオフィスに到着した。
エレベーターを降りて営業一課のデスクへと向かう。
「おはようさん!」フロアを歩きながら、挨拶をするドラさんは、席に着くやいなや、引き出しの中からマグカップを取り出してすぐにコーヒーマシンへと向かった。
ず、ずずずー。
ドラさんはいつもおばあちゃんが緑茶をすするようにコーヒーを飲む。
「あぁ、うまい。
朝はやっぱりコーヒーやね。
そして、お目覚めのスイーツを頬張れば、今日も最高の一日がスタートするっちゅうわけやね」なぜか突然、関西弁になりながら、デスクの前に置いてある和菓子の箱に手を伸ばした。
すると。
「え?どうゆうこと?リカちゃん、ここにあった栗まんじゅう、どこ行った?」「お客様からいただいた和菓子ですね。
昨晩、残業していたハヤシ君たちが『腹減ったぁ』って言いながら、むしゃむしゃ、食べてましたよ」「え、えぇ、えー!めっちゃ、楽しみにしてたのにぃ。
く、栗まんじゅう。
栗まんじゅう……」子どもか!ボクは心の中でドラさんにまたまた突っ込みを入れていた。
ドラさんはちょこんとイスに座ったまま、うつむいてぶつぶつと独り言を言っている。
「ボクは今、むかついている。
リーダーたる者、栗まんじゅう一つごときで怒ってはいけない。
けど、仕方ない。
ボクはイライラしてるんだから、ネガティブな自分を認めよう。
むかつくことだって、あるよね。
ボクだって人間だもの。
しかし、はぁ……」
くっくっく。
笑いが込み上げてくるのをボクは必死に我慢した。
すると、突然ドラさんが弾けるように立ち上がって大声をあげた。
「よっしゃ!ひと仕事片付けたら、昼休みに寿堂へ、おいしい栗まんじゅうを買いに行くぞぉ。
よぉし、目標ができた!めっちゃ、仕事やる気が湧いてきたぞぉ」そして、ボクのほうを見て親指を立ててこう言った。
「リョウ君。
ネガティブな感情を押し殺してはいけないぞ。
無理矢理ポジティブなふりをしてはいけないぞ。
自分がネガティブであることを見る。
認める。
そのうえで、ポジティブの側面のほうを長く見る。
これが次の宿題だぞ。
忘れるなよ!」[ドラさんの宿題]無理矢理ポジティブに考えない。
ネガティブな自分も、ただ見る
[コラム]自分に嘘をつかない「自己一致」「クライアント(来談者)中心療法」と呼ばれる現代カウンセリングの礎を築いたのがカール・ロジャーズです。
『アドラーの生涯』(エドワード・ホフマン他著、金子書店)という本の中で彼とアドラーの交流が次のように描かれています。
「私(ロジャーズ)はアドラー博士の、子どもと親にじかに関わる、非常に直接的でだまされたと思うほどシンプルなやり方にショックを受けた。
私がアドラー博士からどれほど多くのことを学んだかを認識するにはしばらく時間がかかった」ロジャーズは論文の中で傾聴の三条件として以下の三つを挙げています。
「自己一致」「共感的理解」「無条件の肯定的配慮」です。
私たちは第一章と第二章で「正の注目」と「リフレーミング」を学びました。
しかし、これらの技法を用いるときに、えてして私たちは間違いを犯しがちです。
それが本章で解説した「無理矢理ポジティブ」です。
アドラー心理学の主要な理論の一つに心と体、意識と無意識などの分割はなく一つであるという「全体論」があります。
「自己概念」と「自己体験」を一致させる「自己一致」というロジャーズの考えは、アドラー心理学と極めて親和性が高いと言えるでしょう。
自己一致をしながら、正の注目とリフレーミングをする。
リョウ君はそれを心がけ、嘘のない本物の自己勇気づけを始めます。
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