第四章やらなくちゃならない仕事が山積み
[ドラさんの宿題]「やりたくない」ならやめる。
「やりたい」ならやる。
「やらされている」と嘘をつかない
「リョウ君、東西電鉄のムロヤマさんから電話!昨日頼んだメールに返信がないって。
少しお怒りみたいよ」やべっ。
返信を忘れていた。
「はい、私です。
申し訳ありませんでした。
はい。
すぐにお送り致します」あちゃちゃぁ。
またやっちまった。
一瞬、ダメな自分を認めたくない、という「否認」と「自分は悪くない。
仕方なかったんだ」という「歪曲」が頭に浮かんだ。
しかし、よく考えてみれば誰にだって失敗はある。
そんなときは無理に「否認」「抑圧」「歪曲」せずに、ありのままにネガティブをぼんやり見ればいい。
ドラさんからそう教えてもらったじゃないか。
ドラさんからもらった三つ目の宿題をやるチャンスが訪れたわけだ。
「またやっちゃったな。
ボク、子どもの頃からうっかり屋だしな。
そんなときもあるよね」少し気が楽になったぞ。
「仕方なかったんだ。
ボクが悪いんじゃない」と「歪曲」したり、「自分がミスをするなんておかしい」と「否認」するのでもなく「やっちゃうときもあるよね。
ボクだって人間だから」とネガティブな自分も見る。
うん。
心が軽くなったぞ。
よし。
気持ちを切り替えて仕事を前に進めよう。
やるべき仕事が山盛りだ。
ボクはやることリストに業務を書き出してみることにした。
・東西電鉄さんにメディア比較資料を送る・ロイヤル自動車さんに掲載広告反響データを送る・経理に交通費伝票を提出する・社内企画書コンテストに出す企画書をつくる・五星電気さんへの提案書をつくる…………「はぁー。
こんなにやるべきことがたくさんあるなんて。
とても今日一日で終わりそうにないよ。
嫌だなぁ。
全部放り投げてビールでも飲みに行きたいなぁ」しかし、そんなことをしても余計に苦しくなるのは目に見えている。
あぁ嫌だなぁ。
と思ったところで、ドラさんからの宿題「ネガティブをただ見る」を思い出した。
嫌だなぁ、とボクは今思っているな。
そんなこともあるよね。
まいっか。
まだ終わっていないこともたくさんあるけど、これまで終わらせたこと、できていることもたくさんあるよね。
あの企画書もつくったし、あのメールにも返信した。
結構、ボク、頑張っているじゃない。
うん、うん。
よし。
少し、心が軽くなったぞ。
そして、勇気も補充されてきた。
さあ、高い山、山盛りの仕事に取りかかるぞぉ。
…………ダ、ダメだ……。
あまりにも山が高すぎる。
過去の自分を肯定して、認めて、勇気に変えることができても、未来のやるべきことが多すぎて、山が高すぎて、ついくじけそうになってしまう。
どうすればいいんだろう。
「リョウ君。
しかし、キミは本当にわかりやすい人だねぇ」ドラさんが片肘をつきながらニヤニヤとボクを見ている。
隣の席のハヤト先輩も笑っている。
ボクは、ハッと気づいて、自分を振り返ってみた。
すると。
右手にペンを持ちながら、左手にやることリストを握りしめ、それをじっと見つめては、ため息をつく。
そんなマンガの主人公のような仕草を繰り返している自分に気づいた。
「なぁ、リョウ。
やることが多すぎて、気が滅入っているんだろ。
オレも同じさ。
やるべきことが山のように積み重なって、雪崩れが起きそうだ。
気が滅入るばかりだよ」ハヤト先輩が言うと、ドラさんは、うほっ、うほっ、うほっ、と、両手を突き出たお腹にあてながら笑い声をあげた。
まるでおとぎ話に出てくる木こりのおじいさんのようなリアクションだ。
この人の行動は本当に古くさくて演技めいている。
「リョウ君もハヤト君も、そんなにやりたくないなら、やらなければいいじゃないか!」その声に、ボクより早くハヤト先輩が反応した。
「え?ドラさん。
やらなくていいんですか?やったー、ラッキー!じゃあ、ボク、川原製パンの提案書つくらなくていいんですね。
ドラさんがやってくれるんですか?」「いぃや。
やらんよ」「じゃあ、誰が?」「知らんよ。
誰もやっては、くれんだろう。
キミがやらなければ誰がやるんだい」両手の手の平を上に向けて肩の上で拡げた。
お手上げのポーズだ。
「なぁーんだ。
やっぱり、やらなくちゃならないんじゃないですか。
なんで、さっき、あんなことを言ったんですか?」ボクも同じ疑問を持った。
なぜ、ドラさんはあんなことを言ったんだろう。
「やりたくないならやらなければいい。
無理してやる必要はない」と。
「ほぉ。
ハヤト君。
じゃあキミは川原製パンの提案書をつくることにしたんだね」「はい。
誰もやってくれないから、仕方なくやります」「では、キミはその仕事を『やりたい』んだね」「いや、別に『やりたい』というわけでは……」「『やりたくない』んだね。
では、やめなさい。
やめればいい」「いえ、でも、『やらなければならない』ので」「はぁ?おもしろい。
誰が決めたのかね?キミは誰にやらされているのかね?」「え?誰にやらされている?それは川原製パンの宣伝課長さんに……」「本当かね?彼はキミの上司かね?裁判官かね?キミが嫌なら断ればいいだろう」「え、ええ?そんなことをしたら、機嫌を損ねて広告をキャンセルされてしまいます」「それの何が問題なんだね。
キャンセルさせればいいだろう」「いえ、そうしたら売上もボクの成績も下がって、みんなに迷惑をかけてしまいます」
「それの何が問題なんだね。
みんなに迷惑をかければいいじゃないか。
だってキミはやりたくないんだろう。
ならば、やらなければいいじゃないか」「でも、やらなければ、もっと嫌なことになるんです。
みんなに迷惑かけては会社にいづらいし、低い評価で会社をクビになりたくもありません。
それくらいだったら、まだ提案書をつくるほうがマシです」「ビンゴ!ほら、やっぱりキミは『やりたい』んじゃないか。
やることを『自分で選んでいる』。
つまりは『自己決定』しているんじゃないか」いつものように人差し指でハヤト先輩を指さして、ウインクをした。
「やったほうがマシ。
つまりは、キミが選んでいるんだろう?提案書をつくるほうをキミは『やりたい』んだろう?キミの仕事は『やるべき』『やらされている』仕事なんかじゃない。
『自分で選んだ』『やりたい』仕事なんだ。
じゃあ、やればいいじゃないか」ボクはこのやりとりを聞きながら、またもや「目からウロコが落ちる」思いがした。
そうか。
ボクは「やるべき」仕事が山積みだとばっかり思っていたけれど、それは「やるべき」ことなんかじゃなかったんだ。
「やりたい」ことだったんだ。
そして、「やらされている」仕事ではなくて「自分で選んでいる」「自己決定」している仕事だったんだ。
嫌ならやめればいい。
自分で選んでいるんだ。
ボクは思い出していた。
この会社に入りたくて、入りたくて、必死に面接の準備をしていたこと。
入社が決まったときは飛び上がって大喜びしたこと。
入社したばかりの頃、仕事が楽しくて仕方がなかったこと。
いつの間にそれが苦痛になってしまったんだろう。
「やらされていること」「やるべきこと」が山積み。
そんな風に喜びを苦しみに変えてしまったんだろう。
そのとき、ボクはおそらく魂が抜けたような表情をしていたのだろう。
ドラさんはボクの背中をバシンと叩くと、こう教えてくれた。
「いいかい。
ハヤト君、リョウ君。
アドラー心理学では『やりたいけどできない』を人生の嘘と呼ぶんだ。
それは単に『やりたくない』だけだ。
『痩せたいけど食べたい』んじゃない。
単に『食べたい』んだ。
人間は一つだ。
意識と無意識が葛藤することはない。
これをアドラー心理学では『全体論』と呼ぶんだよ」「キミたちが葛藤していた『山盛りの仕事はしたくない』けれど『今の仕事は続けたい』なんていうのは葛藤じゃないんだ。
『やりたくないからやらない』『今の仕事を続けたいから山盛りの仕事も片付けたい』そのどちらかなんだ」「キミたちはこれまでの人生もすべて自分で決めてきた。
今の仕事や会社を選んだのも自分。
卒業した学校を選んだのも自分。
自分の性格をつくりあげてきたのも自分」え?そうなの?ボクの頭の中に疑問が浮かんだ。
大学を選ぶときに厳しく父親から国立を出なくてはダメだ、と言われ、行きたくなかった大学を選んだのを思い出す。
ボクは、ドラさんに経緯を伝えてみた。
すると、「では、他の大学に行けば良かったじゃないか」と切り返された。
「そんなの無理です。
父が許してくれません」「では、お父さんに頼らず自分で学費と生活費を稼いで、行きたい大学へ行けば良かったじゃないか」「そんなことをしたら、両親に申し訳ないし、大変だし……」「なるほど。
じゃあ、キミが自分で選んだんだね。
お父さんの言葉に従うことを『自分の意志』で選んだ。
すべてキミが決めたことなんだね。
リョウ君。
アドラー心理学ではこれを『自己決定性』と呼ぶんだ。
『人間は自分自身の人生を描く画家である』、アドラーの言葉だよ」あ、そうか。
そうだったのか。
ボクはこれまでずっとやらされてきた、決められてきた、と思っていた。
でも、そうじゃない。
自分で選んだ人生だったんだ。
「そして、これからどうするかもすべてキミが決めることができる。
なんて素晴らしいんだ!リョウ君、ハヤト君。
キミたちは何だって自分で選ぶことができるんだよ!」
ドラさんはそう言って、いきなりボクの両手を取って、クルクルと回り始めた。
ラララララ!唄いながら踊る。
ボクは、そうでなくても頭の中がグルグルと回っているのに、さらに一層混乱してきた。
これまでのボクの人生はすべて自分で決めてきた。
これからも決めることができる。
嫌ならばやらなければいい。
やるのなら、自分で決めたことだ、決して誰からもやらされているわけじゃない。
そう思ったら、何だかエネルギーが湧いてきた。
やらされていると思っていた辛かった仕事は全部、自分で決めていたことなんだ。
嫌ならばやめればいいんだ。
そうか。
「やめる、という選択肢」が常にあるんだな。
自分で決めていいんだ。
そうとわかると、不思議とやる気が湧いてきたのだ。
よーし。
やるぞ。
山盛りの仕事は、全部自分が決めたこと。
やらされているんじゃない。
やめることだってできる。
いや、ボクはやりたい!よーし、やるぞ!「ドラさん、ボクはやります。
やりますよ!」しかし、さっきまで目の前にいたドラさんは我が営業一課のデスクにいなかった。
ふとフロアを見渡すと、遠く、女性社員ばかりで構成されている経理課のデスクで女性たちと次々と手をつなぎダンスを踊っているのが見えた。
そしてボクが睨んでいるのを見ると、こちらに手を振りながらこう叫んだ。
「リョウ君、ハヤト君。
いいかい。
やらされ仕事なんかないんだ。
やりたくなければやめる。
やりたければやる。
やらされているという嘘をやめるんだぞ!ボクは今、ダンスをしたくてしている。
女子の手を握りたくて握っている。
ちゃんと自分をわかっている。
キミたちも自己決定性を忘れるなよ!」[ドラさんの宿題]「やりたくない」ならやめる。
「やりたい」ならやる。
「やらされている」と嘘をつかない
[コラム]すべて自分で決めたこと。
すべて自分で決められるアドラー心理学の特徴的な考え方の一つに「自己決定性」というものがあります。
問題の原因を他者や環境のせいにして自己正当化することをアドラー心理学では認めません。
すべて自分が決めたこと。
すべて自分が決められる。
そのように考えるのです。
この考え方はよく誤解されがちです。
その一つが「過去は一切関係ない」「トラウマはない」というものです。
しかし、アドラーはそこまでの強い断定はしていません。
アドラー心理学では「柔らかな決定論」という言葉をよく使います。
それは、全か?無か?といった極端な断定ではなく「であるかもしれない」という柔らかな考え方を好む、ということです。
ですから「過去は一切関係ない」のではなく、過去の原因は影響因としては存在するかもしれない。
しかし、決定因は自己にある。
そのように考えるのです。
また「すべて自分で決めたこと」という考えは「突き放したように冷酷で受け容れ難い」という人もいます。
しかし、果たしてそうでしょうか?「今からでも自分で人生を変えていける」というアドラーの考えは、希望に満ちた温かな考え方であると私は感じます。
育った家庭や遺伝に支配されて人生が決められてしまうという「決定論」のほうがむしろ希望がなく悲しい考えだと私は思います。
どうやら主人公のリョウ君も同じことを感じたようです。
彼は「やるべきことなどない」と気づき、力強く新たな人生を歩み始めたようです。
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