第七章自分を勇気づける、次のステップとは何だろう?
[ドラさんの宿題]毎日誰かを喜ばせる
ミーン、ミン、ミン。
あまりの大きな声に驚いて窓の外を見た。
明日から十月だというのに、季節外れのセミが鳴くほど今日は暑い。
窓に近づくと熱気がたまっているのを感じる。
しかし、ボクの頬が上気しているのはそのせいだけではない。
五年ぶりの表彰を受けることが嬉しくて、照れくさくて、少しのぼせているのだ。
「表彰状……リョウ君。
貴殿は優秀な成績を収めました。
ここに表彰します」どっちの足を出すんだっけ。
ボクはステージの上で緊張しながら、営業成績第二位の表彰状を受け取った。
拍手が聞こえる。
スポットライトに目を細めながら、ボクは一課の仲間を見た。
リカが手を振る。
ドラさんがニコニコしている。
ハヤト先輩がクラッカーを鳴らしてくれた。
ボクはじんわりと込み上げてくる喜びを噛みしめた。
ドラさんが来て一年弱。
自分を勇気づける方法を教えてもらい、Being(あり方)を変えた。
機能価値よりもまずは存在価値を認めて、自分を勇気づけるようになった。
気がつけばボクの営業成績はぐんぐんとあがり始めた。
これまで取れなかったクライアントのアポイントがいとも簡単に取れた。
紹介された顧客から何の苦労もなく大型受注が入る。
既存の取引先から何度もリピート受注が入る。
特段、努力をしなかったのに、次々と成果があがっていったのだ。
いや、何も努力をしなかったわけではない。
かつては苦しかった営業努力が苦ではなくなったのだ。
ボクはまるでロールプレーイングゲームを楽しむように仕事をした。
工夫をすると結果が出る。
少し行動を増やすと、また結果が出る。
そして気がつけば、こうしてスポットライトを浴びて表彰されるまでになったのだ。
ドラさんの言葉は本当だった。
「豚もおだてりゃ木に登る」「人は勇気さえあれば、放っておいてもさらに良くなろうと努力を始める」「現状に満足しても人は歩みを止めない。
勇気さえあれば、もっと、もっと、とさらに上を目指す」「ダメな自分を責めて叱咤激励するのは、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるようなもの。
そんなことを続けていたら車は壊れる。
ブレーキを外すんだ」「Being(あり方)を変えて自分の存在価値を認めれば、飢餓状態から抜け出して、Doing(やり方)にもプラスの作用が働き、結果的に機能価値までもが高まる」ドラさんから教えてもらった言葉が真実であることを、ボクは身をもって証明することができたわけだ。
ボクは表彰状を受け取り、百人は優に入るホールの最前列に用意された席に戻った。
二つ離れた席でツヨシが悔しそうな表情でボクを睨みつけている。
半年前に一位だったツヨシは、五位という成績が不本意であるに違いない。
と、右隣に座っていた一位のユウが優しい笑みをたたえた表情で右手を差し出し、ボクの手を強く握った。
「リョウ。
おめでとう!同期が活躍しているのを見ると、自分のことのように嬉しいよ。
リョウの企画書、いつも参考にさせてもらっているよ」思いがけないユウの言葉にボクは驚いた。
そうか。
ボク、イケてるんだ。
そんな風に見られていたなんて知らなかった。
すると、ユウの握手に触発されたのか、最前列に並ぶ成績優秀者全員が続々とボクに右手を差し伸べてくれた。
おめでとう、おめでとう!ボクは気になって、ついツヨシを見てしまう。
あっ。
目が合ってしまった。
どうしよう……。
ツヨシは渋々立ち上がると、ボクに手を差し出した。
おめでとう、という声が心なしか小さく聞こえる。
四半期キックオフの式次第は進行し、ボクは一課のブロック席に戻った。
すると、「リョウ!やればできるじゃない!私、絶対、リョウはできる子だって思ってた。
おめでとう!キャー、嬉しいぃ」リカがボクに握手を求め、思いがけずハグしてくれた。
え……いいの?ボクはリカに抱きしめられている間、両手をどこに置いていいのかわからなくて、ドギマギした。
そして、リカが体を離した瞬間に、もっときちんとリカを感じておけば良かったと後悔した。
ボクの肩にリカの肩が触れたんだ。
少し香水の匂いが残っている。
チッ。
どこかで舌打ちをする音が聞こえた。
振り返るとツヨシがボクを睨んでいた。
「あ、三課のツヨシじゃない!すごいねぇ。
今回も表彰されて。
おめでとうねぇ!」リカはツヨシの舌打ちに気づかずに握手を求める。
するとツヨシは、「五位なんて、表彰されたうちに入らねぇよ。
嬉しくないね」と、握手を拒み、くるりと背を向けて遠ざかっていった。
「か、かっけぇ……。
できる男は違うわね」リカは感心してうなっている。
しかし、彼女は気づいていない。
ツヨシはボクに嫉妬をしているんだ。
「リョウ君。
おめでとう!バキューン!」何を意味するのかはわからないけれど、ドラさんはピストルを撃つ仕草をすると、ボクの右手を乱暴に引き寄せ強くハグをしてくれた。
背の低いドラさんの頭はボクの胸に、両手は肩ではなく腰に回っている。
ド、ドラさん……。
リカのハグのようにドキドキはしないけれど、ドラさんの優しさが染み渡るようでボクは嬉しかった。
じっくり五秒ほどハグをし、両手を離すと、ドラさんは突然話題を変えた。
「ところで、リョウ君。
三課のツヨシ君のことをどう思うかね」心の中を見透かされているようで、ボクはとまどった。
「どう思うって、えっと、あの、その……」「彼はどうやら五位の成績が不本意なようだね。
そして、リカにハグされたキミに嫉妬している。
彼はいつも競争している。
そしていつも勝とうとしている。
いや、勝たなければならないと思っている。
彼は勇気が不足しているんだね。
辛い人生だ」えっ?自信満々のツヨシの勇気が不足しているって?いつもトップ争いをして高い成績を残している彼が?ボクはとっさに理解できず凍りついてしまった。
気がつけば、セレモニーはすべて終わり、会場にはほとんど人がいなくなっていた。
残っているのはドラさんとボク、そして、テーブルやイスを片付けている式典スタッフだけだった。
ドラさんとボクは会場の隅に腰掛けて話を続けた。
「勇気がない人は自分には存在価値がないと思っている。
だから必死に機能価値を求めて競争する。
勝利して他人から評価されなくては自分には価値がなくなると焦っているんだ。
ピラミッドの頂点に立つ人が一番しんどい。
まさに、ツヨシ君だ」ボクはツヨシの眉間にいつもある縦の三本しわを思い浮かべた。
そういえばボクもいつも焦っていた。
もっとも、ボクの場合は底辺から抜け出したい、トップに登りたいという思いだったから、ツヨシとはまた違う焦りだったけど。
今はドラさんやリカのような信頼できる仲間たちに囲まれて、とても穏やかな気持ちでいる。
ツヨシも焦る必要なんてないのに。
「一方で、勇気がある人は自分には存在価値があるとわかっている。
だから機能価値がなくても自分は人から愛され、仲間がいて、居場所があると思っている。
肩の力が抜けているんだ」「だから、過度に競う必要がない。
飢餓状態にはないから肩の力を抜いて仕事を楽しむ余裕がある。
そして、協調ができるんだ」ボクは今回一位になったユウを思い浮かべた。
温和な表情でボクにすっと右手を差し出したユウ。
「同期が活躍して嬉しいよ」「リョウの企画書をいつも参考にしているよ」そう言ってもらってどんなに嬉しかったか。
あぁ。
ユウは心のガソリン、勇気が満ちているんだな。
ボクの頭の中に、眉間にしわを寄せて舌打ちをしているツヨシと、穏やかで柔和な表情のユウの二人の顔が思い浮かんだ。
なぜ二人はこんなにも違うんだろう。
苦しみながら頑張り続けているツヨシと、力を抜いてすーっと目標達成しているユウ。
待てよ。
確か、ドラさんは勇気の問題だと言っていたな。
ドラさんによればツヨシは勇気がないから、焦っている。
自分の存在価値に気づかないから、必死に自己否定して頑張っている。
ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる。
では、ツヨシは以前のボクのように自分が嫌いで、自信がなくておどおどしていたのだろうか。
いや。
そんなことはない。
いつも自信満々で人を見下すような態度で明らかにかつてのボクとは違うはずだ。
ボクはドラさんに聞いてみようと思った。
「ドラさん。
ツヨシの勇気が足りないというのがピンと来ません。
いつもあいつは自信満々でボクのことなんて相手にもしていなかったはずです」ドラさんはまたもや人差し指を突き出して「ビンゴ!」と叫んだ。
「それだよ、それ。
アドラーはその態度を優越コンプレックスと呼ぶ。
人を見下して、強いふりをする。
それは強い劣等感の裏返しなんだ」「本当に自信があり勇気に満ちた人はそんなことをしない。
金持ちケンカせず。
余裕しゃくしゃくで人に優しく接することができるんだよ。
ツヨシ君は強いんじゃない。
強いふりをしているんだ」ボクは思った。
自信満々のツヨシと自信がなくておどおどしていたボク。
実は二人は同じ穴のむじなだったんだ。
二人とも勇気がなかった。
表現は真逆だったけど。
「じゃ、じゃあ、ユウはなぜ、あんなに余裕しゃくしゃくで優しくリラックスしているんでしょうか。
ユウはどうやって心のガソリン、勇気を補充しているんでしょうか」「ボクがドラさんから教えてもらったように、ユウも自己否定をせず、嫌な気持ちを多面的にポジティブにリフレーミングをして、ボクと同じようにやっているんでしょうか?」ドラさんはまだセミが鳴いているというのに、早くもスリーピースを着込んでいる。
額には汗が流れ、真ん中分けの髪の毛がベッタリとこびりついている。
しかし、そんなことにお構いなくベストの胸ポケットにびっしりと五、六本刺さったボールペンのうちの一本を抜き出してクルクルと回しながら答えた。
「いや、恐らくユウ君はその程度のことは子どもの頃からごく自然にしていることだろう。
恐らくご両親の影響じゃないかな。
だから、自分が自分を勇気づけていることにさえ気づいていないだろう」「彼にとっては、あまりに当たり前のことだからだ。
そして、ユウ君は、さらに次のステップにまで行っている。
それは何かわかるかい?」ペンを指にはさんで両手の平を肩まで持ち上げて首をすくめた。
目の玉をクリクリと転がしていたずらっ子のように首を傾ける。
「え?自分を勇気づけることの次のステップ……。
何でしょう?わかりません」ドラさんは得意げにペンをくるり、くるり、と二回まわして、ボクを楽しそうにじらしてから、ゆっくりと口を開いた。
「自分を勇気づける、次のステップ。
それはね、相手を勇気づけること、だよ。
リョウ君。
キミはユウ君から勇気づけられたのではないかね?」たしかにその通りだ。
ユウはボクが二位になったことを自分のことのように喜び、ボクの企画書を認めてくれた。
ボクはあのとき、たしかにユウに勇気づけられた。
「リョウ君。
いいかい。
このことをよぉく覚えておくといい。
相手を勇気づける。
すると、自分も勇気づけられるんだ。
これはね、自分で自分を勇気づける以上に大きな勇気づけになるんだ」「勇気とは困難を克服する活力だ。
それはね『自分は相手に貢献でき、誰かの役に立つことができる。
自分には価値があり、能力がある』そう思える状態だ」「キミが誰かを勇気づけているとき。
おそらく相手はこう思うだろう。
『自分には能力があり、価値がある』。
そして表情がパッと明るく輝くだろう。
すると、それに連られてリョウ君、キミまでも表情が輝くだろう。
なぜならばキミは『自分は相手の役に立っている』と強く実感できるからだ。
相手を勇気づけたとき、その瞬間に、実はキミも勇気づけられているんだ。
相手を勇気づけると自分も勇気づけられる。
勇気は循環するんだよ」
あっ。
そうだったのか!ユウはたくさんの人に優しい言葉をかけ、人を勇気づけている。
そして、そのことで自分自身が勇気づけられている。
だから、彼の心にはたっぷりとガソリンが入っているんだ。
そうか。
そうだったのか。
ユウはなんて素晴らしい循環をつくっているんだろう。
相手を幸せにし、自分も幸せになる。
あぁ、ボクはユウのようになりたいな。
そのとき、再びツヨシの顔が頭に浮かんできた。
一方で、ツヨシはどうだろう。
ボクに舌打ちをし、渋々握手をして嫌な顔をしていた。
ボクはあのとき、ツヨシに勇気をくじかれ、心のガソリンを減らされた。
では、ツヨシのガソリンはどうだろう?増えたのか?減ったのか?そうか!ツヨシの勇気もきっと減ってしまったに違いない。
ツヨシだってバカじゃないから気づいている。
ユウのように素直にボクを祝福できないスネた自分を恥じている。
後悔しているはずだ。
そして自分の勇気までも減らしているにちがいない。
相手を勇気づけると自分も勇気づけられる。
そして、相手の勇気をくじくと自分の勇気までくじかれる。
相手を勇気づけるプラスの循環。
相手の勇気をくじくマイナスの循環。
なんて両極端、なんて正反対な関係だ。
ボクは絶対にユウのようにプラスの循環をもたらせるようになるぞ。
強くそう思った。
そして、気づいた。
「ドラさん……。
そういえばドラさんも……」ドラさんもプラスの循環を回している。
ドラさんはボクをはじめ、毎日たくさんの人を勇気づけている。
そして、それによりドラさん自身も勇気づけられている。
ドラさんの心にはたっぷりとガソリンが入っている。
だから、あんなにいつも楽しそうに、目をクリクリとさせて。
憎めない、愛されキャラになっているんだ。
そうか、そういうことだったのか!ボクは思わず、ドラさんのほうを振り向き叫んでいた。
「ドラさん!わかりました!ボクも相手を勇気づける人になります!プラスの循環に、ボクも仲間に入れて下さい!……あっ、電話中……。
ごめんなさい……」なんと、いつの間にかドラさんは携帯電話で誰かと真剣に話し込んでいるではないか。
ボクは大声を出したことを謝った。
そして、今まで見たこともないような深刻な表情に驚いた。
ドラさん、こんな表情をすることがあるんだな。
いったい何が起きているんだろう……。
ドラさんはボクに気づかずに話し続けている。
「そうっちゃけど、どげんもしようがなかたい。
近いうち、福岡に帰るけん。
……あぁ、うん。
仕事中やから、切るばい」「ドラ……さん。
大丈夫ですか。
何かご家族に?……」ドラさんは、くるりと振り向くと同時に満面の笑顔をつくった。
それは、笑顔になる、というよりは「つくる」という感じだった。
何だかいつものドラさんじゃない。
「いや、何でもない。
リョウ君が気にすることじゃない。
そんなことより、いいかい。
キミに宿題を出そう。
一日一つ、毎日誰かを喜ばせるんだ。
勇気づけの声をかけてもいい。
仕事を手伝ってもいい。
笑顔を向けてもいい。
感謝の言葉を伝えてもいい。
毎日、誰かの心にガソリンを入れるんだ。
それがキミの宿題だ。
いいかい?」「は、はい。
やってみます」ドラさんのことが少し心配ではあるけれど、ボクはドラさんからもらった新しい宿題をやってみることにした。
[ドラさんの宿題]毎日誰かを喜ばせる
[コラム]「毎日誰かを喜ばせる」ことは「共同体感覚」を育むことアドラーは著書『性格の心理学』(アルテ)の中で次のように「共同体感覚」の見分け方を述べています。
「どれほど喜んで他者を援助し、促し、喜ばせる用意があるかを調べれば、人の共同体感覚を容易にはかることができる」。
また『人生の意味の心理学』(アルテ)の中で、「すべての誤り(中略)が誤りであるのは、共同体感覚を欠いているからである」「私の努力のすべては、患者の共同体感覚を増すことに向けられている。
(中略)仲間の人間に、対等で協力的な立場で、結びつくことができればすぐに治癒する」とその重要性に言及しています。
さらに、「何度も何度も個人心理学(アドラー心理学)は『共同体感覚』と『勇気』という標語を示さなければならない」と「有益な人」になるためのヒントを示しています。
本章でドラさんがリョウ君に命じた宿題である「毎日誰かを喜ばせる」とは、まさに「共同体感覚」を発展させることそのものであります。
「自分自身を勇気づける」という最初のステップを卒業したリョウ君はいよいよ「相手を勇気づける」という次のステップへと進んでいきます。
リョウ君の挑戦が続きます。
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