はじめに
今こそアドラーの教えを企業経営に生かす時 2013年末から関連書籍が相次いで発売され、ビジネス誌で特集が組まれるなど、「自己啓発の源流」と言われるアルフレッド・アドラーの心理学は今、ブームの様相を呈しています。
アドラー心理学は「精神病患者のための心理学」ではなく「健常者のための心理学」と呼ばれます。アドラーおよびアドラー心理学の後継者たちは、研究対象として「子育て」や「学校教育」に関心を向けてきました。その結果、アドラー心理学を学ぶ人の多くは、長い間、学校の教員や子どもを持つ母親でした。
しかし、アドラーの理論は、実はビジネスの世界でも人材育成の大きな力になります。そもそもアドラー心理学は、あらゆる課題を対人関係の課題であると考えます。
そして、対人関係を円滑にするための考え方や方法論に言及しています。そのため、コミュニケーションや人間関係作りに非常に有効な教えを多く含みます。
組織人事コンサルタントとして企業の人材育成を支援してきた私は、アドラー心理学を学んだ時に「この理論はビジネスの人材育成にこそ生かされるべきだ」と強く思いました。
それが本書を執筆するに至った動機です。アドラー心理学による教育論を一言で言うと、「ほめない、叱らない、教えない教育」と言うことができるでしょう。
しかし、この理論は子育てには有効であるものの、企業の人材育成には適さないと見られてきました。なぜならば、企業組織においては「短期的な結果を出すこと」が必須だからです。「人さえ育てばいい。目先の数字など上げなくてもいい」などと言う経営者はどこにもいません。
しかし、私は目先の業績と中長期的な人材育成の両立は十分に可能だと考えています。「ほめない、叱らない、教えない教育」は企業の人材育成においても効果を上げることができるのです。
「時代の100年先を行っていた」と言われるアドラー心理学は、世に出た当初、革新的すぎて理解されにくかった面があります。その理論が現代のビジネス社会で今まさに必要とされていると私は思います。
では、どのようにすれば、アドラー心理学をビジネスの人材育成に応用できるのでしょうか。まずはプロローグで、その全体像を見ていただきたいと思います。
アドラー心理学が単なるブームに終わらず、日本の企業社会に深く根を張るように、理論の応用法を具体的に、わかりやすくお伝えすることが本書の役割であると考えています。
プロローグ
「常識をくつがえす」アドラー心理学の教えほめてはいけない
あなたの部下が難易度の高い目標を達成したとします。上司もしくは先輩である、あなたはその部下にどのように声をかけるでしょうか。
(A)目標達成は当然のことなので何も言わない
(B)「よくやった!」とほめる
(C)「すごいなあ」と感心する
(D)「チームのためにありがとう」と感謝する
一般的には( B)の「ほめる」が正解、と考えられているのではないかと思います。
しかし、私が学んでいるアドラー心理学ではほめることを否定します。
ほめることは「上から目線」であり、「相手の自律心を阻害し、依存症の人間を作る」と考えるからです。そして( C)や( D)のアプローチを推奨します。
アドラー心理学では( C)や( D)を( B)の「ほめる」と明確に区別して、「横から目線」の「勇気づけ」と呼びます。
しかし、上から目線の「ほめる」と横から目線の「勇気づけ」は一見すると似ているため、その違いがわかりにくいと感じる方も多いと思います。
では「勇気づけ」とは何でしょうか。そして「ほめる」はなぜいけないのでしょうか。この後、第 1章で詳しく学んで参りましょう。現段階では以下のように覚えておいてください。
「ほめてはいけない。そうではなく『勇気づけ』という方法があるのだな」と。
常識をくつがえす謎解きは後ほどにいたしましょう。
叱ってはいけない
あなたの部下が目標に対して未達成、しかも大きくショートし、達成率が 60%だったとします。そして、その部下の日頃の行動には、残念ながら、あまり頑張りが見えませんでした。そんな時、上司もしくは先輩である皆さんは、その部下にどのように声をかけるでしょうか。
(A)「 60%じゃだめだ。やり方を変えなくてはならないぞ」と叱る
(B)叱るとモチベーションが下がるので、あきらめて黙っておく
(C)「成果は出なかったけれど、あのやり方は良かったね」とプロセスに注目する
(D)「 60%はできたね」とできたところに注目する
かつての私は( A)の「叱る」をごく普通にやっていました。しかし、一向に部下の行動は変わりませんでした。何かを変えなくてはいけない。それは部下ではなく、上司の私であるように思えました。
しかし、私は何をすればいいか、わかりませんでした。もしかしたら、皆さんも、かつての私と同じように( A)もしくは、その対極にある( B)の選択肢しか思いつかないかもしれません。
そんな時、アドラー心理学は重要なヒントを与えてくれます。
それが選択肢の( C)と( D)。どちらも先に述べた「横から目線」の「勇気づけ」の具体的な方法です。
しかし、おそらくあなたはこう思うはずです。
「たった 60%の達成率で認めてやるとは何事か。そんなことをしたら、部下が勘違いしてしまう。きちんと叱らなければおかしくなるだろう!」と。
ご安心ください。そうはなりません。部下は調子にのって勘違いしたりはしないのです。
そして、恐らくは( A)の「叱る」や( B)の「あきらめる」よりも、はるかに効果を上げることでしょう。あなたはまた疑うに違いありません。本当にそんなにうまくいくのか、と。
叱るべき場面で「勇気づけ」をすることが、部下を勘違いさせることになりはしないか。そんな甘っちょろいやり方で人が育つわけがない、と。しかし、育つのです。それがアドラー心理学が教える「常識をくつがえす」人材育成なのです。
これまでの常識であった「叱る」弊害と、それに代わる「横から目線」の「勇気づけ」について、第 2章でじっくりとお伝えしていこうと思います。
教えてはいけない
最後にもう1つ、皆さんの常識をくつがえすアドラー心理学の教えをお伝えしましょう。それは「教えてはいけない」ということです。
あなたの部下もしくは後輩が、あなたの目の前で仕事を進めていました。見ると、明らかに要領の悪い間違ったやり方をしています。このままではミスが出るか、能率が悪く時間がかかってしまいます。
そんな時、上司もしくは先輩であるあなたはどのように声をかけるでしょうか。
(A)「そのやり方はよくないね。こうやった方がいいよ」と教える
(B)失敗するかもしれないが、あえて何も言わずに黙っておく
(C)「もしかしたら、 × ×のようなことが起きるかもしれないけれど、その場合はどうする?」と未来を予測した質問をぶつけてみる
(D)「こんなやり方もあるけれど、どうかな?」と別の方法を提示して、それを採用するかどうかは相手の判断に委ねる
部下の間違った仕事を目にしながら、( B)のように何も言わないのはあり得ない。人一倍責任感の強いあなたはそう思うことでしょう。
しかし、アドラー心理学の人材育成では( B)も1つの正解と考えるのです。何も言わず、あえて失敗を経験させる。これもアドラー心理学では「あり」なのです。
また( C)のように、未来を予測した質問をぶつけるという方法や、( D)のように、別の方法を提示して判断を相手に委ねるといった対応もアドラー心理学では正解です。
つまり、( A)の「教える」以外、( B)( C)( D)のどれもが正解。それがアドラー心理学の考える人材育成なのです。では、( A)の「教える」と( C)( D)はどこが違うのか。
そして、一見するとあり得ない選択肢に思える( B)がなぜ「あり」なのか。そのあたりを第 3章でじっくり取り上げたいと思います。
アドラー心理学は、これまでの人材育成の常識である「教える」さえも否定します。では、その理由を見ていくことにしましょう。
アドラー心理学とは 人材育成のこれまでの常識をことごとくつがえすアドラー心理学とはどのようなものなのでしょうか。そして、その提唱者であるアルフレッド・アドラーとは何者なのでしょうか。
2013年末から 2014年の年初にかけて相次いで発売された『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラーの教え」』(岸見一郎 古賀史健)、『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる 100の言葉』(拙著)は、合計で 40万部を超えるベストセラーとなりました。そして、一躍「アドラー心理学ブーム」が訪れたのは皆さんの記憶に新しいところだと思います。
アルフレッド・アドラーは、今から 140年近く前の 1870年にオーストリアのウイーン郊外で生まれました。
カナダの精神科医アンリ・エレンベルガーは著書『無意識の発見』でアドラーをジークムント・フロイト( 1856 ~ 1939年)やカール・グスタフ・ユング( 1875 ~ 1961年)と並ぶ心理学者として紹介しています。
アドラー心理学は「人間性心理学の源流」と呼ばれ、多くの心理学者に影響を与えました。
著名なところでは、アブラハム・マズロー、ヴィクトール・フランクル、カール・ロジャース、アルバート・エリス、エリック・バーン、エーリッヒ・フロム、ウイリアム・グラッサーなどが挙げられるでしょう。
またアドラー心理学は「自己啓発の源流」とも呼ばれ、デール・カーネギーの『人を動かす』『道は開ける』やスティーブン・ R・コヴィーの『7つの習慣』を読むと、その理論の多くにアドラー心理学と非常に近い考え方を見て取ることができます。
また、コミュニケーションの技術として広く知られているコーチングや NLPにもアドラー心理学の影響が色濃く見受けられます。
そんなアドラー心理学は、「精神病患者のための心理学」というよりは、むしろ「健常者のための心理学」と呼ばれ、アドラーおよびアドラー心理学の後継者の関心の多くは「子育て」や「子どもの教育」に向けられて、それぞれが多くの著作を残しています。
つまり、アドラー心理学は「教育の心理学」、とも言えます。だからこそ、ビジネスにおける人材育成との親和性が高い、有効な心理学であると私は思っています。
人材育成に関わる5つのキーワード 人材育成において多くのヒントを与えてくれるアドラー心理学。中でも、以下の5つの理論は、人を育てることに直結すると思われます。簡単にその理論をなぞってみましょう。
【劣等感と優越】
人は誰もが劣等感を持っています。そして、劣等感を乗り越えるために建設的な努力を重ねる人と、非建設的な行動を取る人の 2種類に分かれるとアドラーは言いました。
非建設的な行動とは、犯罪に手を染める、依存症になるといったことを指します。アドラーによれば、建設的な努力を重ねる人も、非建設的な行動を起こす人も、目的は1つです。劣等感を払拭し、優越感を獲得するためです。
人は建設的な行動で優越を獲得できない場合、非行や犯罪に走ることで優越を獲得する、もしくは何かに依存することなどで、同情や哀れみを手に入れ、家族を支配し、優越を獲得する、とアドラーは考えました。
人は誰もが無自覚に目標を設定し、それを追求すると考えたのです。この考え方は、ビジネスパーソンにも応用できるのではないか、と私は考えます。組織の中で私たちは様々な場面で劣等感を感じます。
そんな時、その劣等感に正面から立ち向かうのか、それとも非建設的な行動、たとえば仕事から逃げ出したり、落ち込んだりするのかは大きな分かれ目です。
上司や先輩が部下や後輩を建設的な努力をするように促し、導く。それは、まさに人材育成の姿そのものだと思うのです。
【勇気づけ】
誰もが劣等感を持っており、それを乗り越えるために建設的な努力をする人と非建設的な行動を取る人の2つに分かれる。その分かれ目こそが「勇気の有無である」とアドラーは指摘しました。
勇気とは大声を出して相手を威嚇することではありません。「困難を克服する活力」を勇気と呼ぶのです。劣等感を乗り越えることも困難の1つです。また人生は仕事の課題、交友の課題、異性や家族との課題など、困難の連続です。
人は勇気が欠乏すると問題行動に逃げ込み、勇気が補充されると自らの意思で問題に正面から向き合い、乗り越える努力をするのだ、とアドラー心理学は考えます。
そして、アドラー心理学の教育では「勇気づけ」を1つの柱として考えています。この勇気づけの考え方も、人材育成にそのまま活用することができるでしょう。上司や先輩が部下や後輩に対してすべきことは、勇気づけなのではないでしょうか。
ほめること、叱ること、教えることはすべて勇気づけとは反対の「勇気くじき」になる、とアドラー心理学では考えます。
勇気づけとは、相手が自分の力で自発的に困難を克服するよう、応援することです。人は誰もがよくなるために努力をする。それを助けるのです。
【共同体感覚】
アドラー心理学における教育の目標は「共同体感覚の育成」にあります。
共同体感覚とは、( 1)自分は誰かの役に立つことができる =自己信頼、( 2)周囲の人は自分を助けてくれる =他者信頼、( 3)自分は社会に居場所がある=所属感、の3つにより構成されます。
そして、共同体感覚を身につけるために「まず他者への貢献から始めよ」とアドラーは言いました。自分のことばかりを考える人は共同体感覚が低い人であり、自分と同じかそれ以上に他者への貢献を大切にしている人こそが共同体感覚が高い人である。そして、共同体感覚の高い人が社会的に有用な人であり、幸福に生きることができる。アドラーはそう定義しています。
この定義はビジネスパーソンの育成にもそのまま当てはまるのではないかと私は考えています。ビジネスで言う共同体感覚が低い人とは、顧客や同僚のことよりも自分の成績や都合ばかりを考える人のことです。
共同体感覚が高い人は、自分のことよりも顧客や同僚への貢献を第一に考え、献身する人のことです。どちらが組織において有用であり、高い業績を上げるかは言わずもがなではないでしょうか。上司や先輩は部下や後輩の共同体感覚を高める方向で人材育成をしなくてはならない。私はそのように考えます。
【結末を体験させる】
アドラー心理学が教える子育ての1つに「結末を体験させる」という方法があります。
たとえば、いつも夕食の時間に遅れてきて母親の手を煩わせる子どもがいたとしましょう。その際にアドラー心理学では、遅れてきた子どもには食事を出さなければよいと考えます。
お腹がすいた子どもは、次から遅れないように自分の意思で早く食卓につくようになるでしょう。その時、大切なことがあります。
あらかじめ、時間に遅れたら食事を出さないという約束を子どもとしておくこと。そして、遅れてきた子どもに対して、決して嫌みを言ったり、叱ったりしないことです。
食事を出さないことが子どもに対する「罰」ではなく、社会の当たり前のルールであることを理解してもらうことが必要なのです。
このように「結末を体験させる」ことを通じて、経験から学ばせることをアドラー心理学では重要視しています。
答えを押しつけたり、手取り足取り教えるのではなく、結末を通じて学び取ってほしい。それがアドラー心理学の考え方です。
上下の関係ではなく、対等な横の関係。相互尊敬と相互信頼に基づき、相手の「気づく力」を信じて待つ。それこそが「結末を体験させる」という人材育成の方法です。
【課題の分離】
人間関係の問題のほとんどは、相手の課題に対して土足で踏み込むこと、すなわち課題の分離ができていないことにより生じる、とアドラー心理学では考えます。
たとえば、子どもが勉強しないことに対して親がガミガミと叱って勉強させようとする、などは課題の分離ができていない典型的な例です。勉強しないことによる結末の責任を取るのは子どもであって、親ではありません。
つまり、勉強をすることは子どもの課題であり、親の課題ではないのです。そして、子どもの課題に対して親が土足で踏み込むことにより、親子関係がおかしくなってしまう。
子どもの人生に関して責任を取れない親は課題を分離し、子どもの課題に踏み込まないことが大切です。
この考え方もビジネスパーソンの教育に応用することができるでしょう。上司が部下を変えようとするから、お互いの関係がおかしくなる。そうではなく、部下の課題は部下に責任を取らせるべきなのです。
しかし、部下が責任を果たさないことによってチームや組織に悪影響が出る場合もあるでしょう。そんな時は、課題の分離の考え方を生かしつつも、共通の課題設定をすることが必要でしょう。
そして先に挙げた「結末を体験させる」などを併用しつつ、人材育成を進めることが効果的である、とアドラー心理学では考えます。
* * * * アドラー心理学の教えのうち、ビジネスの人材育成に直結する5つのキーワードを解説してきました。
これらの考え方は、従来型の「ほめる」「叱る」「教える」人材育成とは 180度異なります。
「そんな甘っちょろいやり方でうまくいくのか」。そう思われた方も少なくないかもしれません。でも、大丈夫。うまくいくのです。
次章以降では、それを実証する具体的な人材育成手法を取り上げていきます。
「時代の 100年先を行っていた」と言われるアドラーの「常識をくつがえす」理論をぜひ習得していただきたいと思います。
第 1章ほめてはいけない
1 あなたは社長をほめますか?
あなたは自分の会社のトップである社長をほめたことがありますか。
ある日、廊下を歩いていたら、向こうから社長が来たとしましょう。あなたと社長は目が合い、挨拶を交わします。このところ、会社の業績はよく、増収増益で決算を迎えたばかりです。社長の経営手腕が発揮されたと言ってよいでしょう。そんな時、あなたは社長をほめますか。
「社長、なかなかよく頑張っていますね」 そのように社長をほめたら、社長はどのような反応をするでしょうか。
恐らく、まず驚くでしょう。そして、怒り出すかもしれません。「失礼なヤツだ! おまえにほめられる筋合いはない!」 そう思うのではないでしょうか。
普通、部下はそれがわかっているから、社長をほめたりしません。社長をほめたことのあるビジネスパーソンはほとんどいないでしょう。
この例でわかる通り、立場が下の者が、上の者をほめることはありません。部下が上司をほめることはない。生徒が教師をほめることもない。子どもが大人をほめるということもない。
「ほめる」という行為は、あくまでも上位者が下位者へ対して行う行為である。それが世の常識なのです。つまり、ほめるということは上下関係をすり込むことにつながります。
「あなたはよく頑張っているね。偉いね」 この言葉を発した瞬間に、暗黙の了解が発生します。「私が上。あなたは下」 ほめるという行為の裏側には、このようなメッセージが含まれているのです。
ほめられた部下が思うこと
部下が上司をほめることはない半面、上司が部下をほめることは日常的に行われています。
「A君、よく頑張ったね。偉いね」 「B君は優秀だねえ。大したもんだ」 そして、ほめるという行為はよい行為であるとさえ思われているのです。確かに、部下の視点に立てば、叱られるよりはほめられる方がいいでしょう。
しかし、「頑張ったね。偉いね」と言われ、カチンと来る人もいるのではないでしょうか。理由は先に述べた通り。「ほめる、ほめられる」という行為は、上下関係を前提としているからです。たとえ、上司と部下の間柄であるにせよ、上下関係はあくまでも役割上の関係です。
部下が起案し、上司が決裁する。それは役割の関係です。部下が作業を執行し、上司がそれをサポートする。これも役割上での上下関係です。
それは決して人間としての上下ではありません。いくら職位に上下があったとしても、人としての尊厳は対等です。そして、部下や後輩は仕事の場面でも、人としての尊厳においては、あくまでも対等に扱われる権利があるのです。
しかし、上司のほめ言葉には、仕事だけではなく、人間としての存在に関わる要素も含まれます。それを感じた部下や後輩はカチンと反応してしまうことがあるのです。恐らく上司の側に悪気はないでしょう。
「よし、上下の関係をすり込んで、俺を敬う気持ちにさせてやろう」などと考えて部下をほめる上司はいません。自分が部下の時代に、かつての上司にほめられたように、習慣的に部下をほめている。それが実態でしょう。
しかし、ほめるという行為には上下関係をすり込む意味が発生します。誰だって下にはなりたくないものです。
「会社の中で立場的に下にいる」と自覚している部下であってもそれは同じこと。「おまえは下だ」と人から言われたくはないのです。
だからこそ、「おまえが下」というメッセージを含む接し方をされると、劣等感を感じるようになるのです。
あなたはイチローをほめますか?
世界最高峰の米国大リーグ。そのトップチーム、ニューヨーク・ヤンキースで活躍するイチロー選手は、言うまでもなく世界トップの野球選手の 1人です。
そんなイチローが日本に帰国した際に、あなたが所属する草野球チームに合流し、試合に出場してくれた、と想像してみてください。チームのみんなは大喜びです。
しかし、野球の実力は比較になりません。イチローが大人だとすれば、あなたのチームの素人集団は赤ん坊レベル。それほどの差があります。
さあ、試合が始まりました。あなたのチームが攻撃します。打者は次々と凡打の山を築き、全く出塁できません。
しかし、イチローに打順が回ってくると、彼は易々とボールを外野に運び、クリーンヒットを打ちました。そこで問題です。
ヒットを打ったイチローに対して、あなたはどちらの反応をするでしょうか。
(A)「さすが! ナイスヒット!」と喜ぶ
(B)「よく打った。偉いぞ」とほめる
もうおわかりですね。
恐らく、あなたは( A)のような反応をするはずです。上から目線で( B)のようにイチローをほめることはしないはず。
それには2つの理由があります。1つ目の理由は先に述べた上下の関係です。どう見ても( B)のほめ方は上から目線です。そんなことを言われたら、いくらジェントルマンのイチローでもカチンカチンとくるのは間違いありません。
そして、もう1つ理由があります。
それは「ほめる」ということは、「おそらくヒットを打つことは難しいだろうな」と予測していたことが前提になるからです。
大人と赤ん坊くらいの実力差がある場合、イチローにとってヒットを打つことはたやすいことです。そんな時、私たちは「ほめる」という行動は基本的に取らないはずです。
「できて当たり前」「恐らくできるだろう」という状況では、相手をほめないのが普通です。
つまり、ほめるということは、上下関係が前提であるだけでなく、「どうせうまくできないだろう」と相手にあまり期待していない状態であったという意味を含むのです。
つまり、ほめられるということは「おまえは私の下である」と上下関係をすり込まれ、なおかつ「どうせできないでしょ?」と期待されていなかったことを悟らされることになる。
そのため、アドラー心理学では「相手をほめることをやめましょう」と教えているのです。
2 あなたは野菜を食べない子どもをほめますか?
こんな場面を想像してみてください。野菜が大嫌いな子どもがハンバーガーだけを食べ続けています。あなたがその子の親だとしたら、そんな様子を見て、叱ることはあっても、ほめることはないでしょう。
では、野菜嫌いの子どもがピーマンやにんじんが入ったサラダをもりもり食べていたら、どうでしょう。きっと、あなたはその子をこんなふうにほめるでしょう。
「おや、ピーマンを食べているの? 偉いねえ!」 このように私たち大人は、子どもが肉やお菓子ばかりを食べていると叱り、野菜を食べるとほめる。それは一体なぜでしょうか。
まず容易に想像できるのは、親が子どもをコントロールしようとしているということです。
野菜を食べることはよいこと。肉やお菓子ばかりを食べるのは悪いこと。そのような前提に基づき、親が子どもを自分が思う通りにコントロールしようとしているのです。子どもが小さいうちは、このコントロールは有効でしょう。
しかし、子どもは成長するにつれて、誰かにコントロールされることを嫌がるようになります。それは相手が親であっても同じです。
「そんなことを言っても、野菜は健康によく、肉やお菓子ばかりを食べるのが健康に悪いのは間違いない。親がコントロールするのは当然だ」。
そう思われる方が多いかもしれませんが、そうした考えは間違いです。「野菜を食べることが健康によい」というのは紛れもない事実。
正しいメッセージですが、いくら正しくても、子どもは大人のコントロールを嫌がります。正しい、正しくないは問題ではないのです。
発せられるメッセージが正しかろうが、間違っていようが、人はコントロールを拒絶する。それだけのことなのです。
コントロールしようとすれば、信頼を失う
親でさえ子どもをコントロールできない。とすれば、赤の他人である上司が部下をコントロールしようとしても、部下がそれを嫌がるのは当たり前のことでしょう。
人が人をコントロールしようとすると、信頼関係が壊れます。
そして、信頼関係が壊れた後に、部下を育てようとしても、うまくいくはずがありません。
リーダーシップとは「集団を一定の方向へ導く影響力」のことです。そして、リーダーシップの源泉には信頼関係がある。
つまり、上司を信頼している部下は上司の影響力を受け入れ、言うことを聞きます。しかし、上司を信頼していない部下は影響力を拒絶し、上司の言うことを聞かなくなります。
信頼関係が希薄な場合、上司の言っていることが正しいかどうかは意味を持ちません。たとえ正論であっても、部下は上司の言葉を疑ってかかります。
逆に、きちんとした信頼関係がある場合は、上司が無理難題を言ったとしても、部下は「この人が言うことなら、間違いはない」と善意に解釈します。
つまり、上司は部下から信頼をされていないとリーダーシップを発揮することができない。信頼関係はそれくらい大切なのです。
「野菜を食べて偉いね」とほめ、子どもをコントロールしようとする親と同様に、ほめたり、叱ったりと態度を変える上司は、部下からの信頼を失います。
「この上司は、自分の都合のいいように部下をコントロールしようとしている」と思われるからです。
成果が上がればほめる。上がらなければ無視する、もしくは叱る。このようなコントロールは即刻やめましょう。上司は部下を常に勇気づけなくてはならないのです。
野菜を食べている子どもを勇気づける
「ほめても、叱ってもいけない。では、どうすれば勇気づけになるの?」 あなたはそう思うかもしれません。勇気づけとはどういうことか、先の野菜が嫌いな子どもの例で考えてみましょう。
野菜嫌いの子どもが野菜を食べているのを見た時、親がかけるべきなのは、以下のような言葉です。
「ずいぶん、もりもり食べているね」「おいしそうだね」「私もサラダが食べたくなった」 上から目線で子どもを評価しない。
コントロールしようとしない。その代わりに、横から目線で主観や感想を伝える。それが「勇気づけ」です。勇気づけとは、「相手が自分の力で課題を解決できるように支援すること」です。ポイントは「自分の力で」にあります。
つまり、相手が自主的に課題を解決できるように励まし、サポートするのです。相手をコントロールしようとすると、コントロールされなければ動けない人間を作ることになります。だから、コントロールは勇気づけではなく、「勇気くじき」になるのです。
これは上司と部下の関係にもそのまま当てはまります。
業績を上げた部下に対して、「偉いぞ! よくやった!」とほめるのではなく、部下が自分の力で課題を解決できるように励まし、支援するのです。
「生き生きと仕事をしているね」「のってるね!」「チームを助けてくれてありがとう」このように、横から目線で主観や感想を伝えましょう。
そして、部下が自分の力を信じることができるよう、感謝を伝えることも有効です。上司は部下をコントロールしてはいけません。そうではなく、部下が独り立ちできるように支援する。横から目線の勇気づけを行うのです。
3 あなたは達成率 60%の部下をほめますか?
部下の目標達成率が 60%だった時、あなたはその部下をほめますか。「仕事というものは達成率 100%が当然だ。99%であったとしても、それは未達成。決してほめることはできない」 そう考える上司が多いのではないでしょうか。
しかし、それでは部下のやる気を高める勇気づけはいつまでたってもできません。勇気づけができる対象は 100%以上を達成した人だけになってしまう。最も勇気づけが必要な目標未達の部下に何もできないのでは意味がありません。
先に述べた通り、勇気とは「困難を克服する活力」のことです。人は勇気が欠乏していると頑張れない。困難を前にして逃げ出してしまいます。
逆に、勇気さえあれば、上司が余計なコントロールをしなくても、部下は自分の意思で、自分の力で頑張り始めます。だからこそ、上司は目標未達の部下を勇気づけなくてはなりません。
結果だけを見るから勇気づけができない
100%以上を達成した時にだけ勇気づけができる。それ以外は勇気づけができない。そのように偏った行動になるのは、上司が部下の結果だけを見ていることが原因です。
本来、勇気づけとは、目標達成率にかかわらず、あらゆる部下に対して、いつでも実行可能なものです。勇気づけができる上司は、 60%という結果だけにとらわれません。結果と同じか、それ以上にプロセスに注意を払います。
「今回の資料は、いろいろと工夫されているね」「このデータは説得力がある」「ずいぶん熱心にお客様を訪問しているようだね」 このように、プロセスに着目した声かけをするのです。
そもそも、よい結果はよいプロセスから生まれるもの。仮に、よくないプロセスから良好な結果が生まれたとしたら、それは単にラッキーだっただけのこと。再現性は低いでしょう。つまり、人材育成とはよいプロセスを育てることです。
部下のプロセスに水をやり、光を当てることで、大きな花が咲くことを応援するのです。上司がプロセスに注目すれば、部下は「コントロールされている」とは思わず、「上司に理解されている」と感じます。
そして、自分の選んだ行動に自信を持つようになります。つまり、上司から勇気づけられるのです。
4 「ほめる」と「勇気づける」はどう違うのか?
ここまで学んできたところで、「ほめる」と「勇気づける」の違いを何となく理解していただけたと思います。
本項では、さらにその違いが理解しやすいように、具体的な例を示し、その後に「ほめる」と「勇気づける」を表で対比させながら整理したいと思います。
まずは具体例です。
部下が提出した資料の出来が良かった時【ほめる】「なかなかやるじゃないか。いい出来だ」【勇気づける】「とても読みやすいね。読み手の立場を考えた工夫が感じられるなあ」
部下が企画した商品がヒットした時【ほめる】「よくやった。偉いぞ」【勇気づける】「あきらめずに最後までこだわっていたね。私もうれしいよ」
部下が売上達成率ランキングで 1位を獲得した時【ほめる】 「1位か、すごいじゃないか。大したもんだ」【勇気づける】「おめでとう! チームを引っ張ってくれてありがとう!」
勇気づけ =困難を克服する力を与えること
いかがでしょうか。
「ほめる」と「勇気づける」の具体的なイメージをつかんでいただけたでしょうか。
では、両者の違いをさらに踏み込んで考察してみましょう(次の表参照)。
「ほめる」とは「相手の優れている点を評価し、賞賛する」ことです。一方で「勇気づける」とは「相手が困難を克服する活力を与える」ことです。
「ほめる」が評価や賞賛にとどまるのに対し、「勇気づけ」は活力を与えるという、さらに一歩先を見た行為であることがわかります。
また「ほめる」が上下関係に基づいているのに対して、「勇気づける」は対等な横の関係であることは繰り返し述べてきた通りです。
そして「ほめる」が「相手が自分の期待していることを成し遂げた時」に行われるのに対して、「勇気づけ」は時や場面を問いません。
つまり、相手の行動が自分の期待に反していた場合や、相手が失敗した時、何も成し遂げていない時でさえ勇気づけは可能なのです。
通常、「ほめる」対象は数字などの成果や、優れた能力の発揮です。一方で「勇気づけ」は相手の潜在的な力に焦点を当てます。
ですから、結果だけでなく、プロセスやチームの仲間としての存在そのものに承認のメッセージを与えていくのです。さらに両者の違いは視点にも表れます。
「ほめる」が「自分自身の視点」を基に「評価的態度」で行われるのに対して、「勇気づける」は「相手の視点」に立って「共感的態度」で行われます。
「ほめる」は「相手をたたえる」という目的のみならず、時には「相手をコントロールする」ことや、「相手よりも自分自身の立場が上であることをアピールする」などの目的でなされることがあります。
一方で「勇気づける」には、そのような意図は入りません。
「相手が自分の力で課題解決ができるようになることを支援したい」という純粋な目的のみで行われるのです。これらの背景により「ほめる」と「勇気づける」は、それぞれ以下のような行動と整理されます。
「ほめる」は「相手の顕在化した能力や成果を賞賛する」形で表れます。
一方で「勇気づける」は「相手の貢献に対する感謝」を伝えたり、「自らのポジティブな感情や感想を伝える」という形になります。
しかし、 1点注意しなくてはならないことがあります。それは「ほめる」と「勇気づける」は、完全には区別できないということです。
「よくやった!」「大したもんだ」「偉いぞ」 このような「ほめる」行為が結果的に相手を「勇気づける」こともあります。また日頃、上司がほめることをせずに叱ってばかりいる場合であれば、ほめるだけでプラスに働くでしょう。
さらに「目標達成おめでとう! 私もうれしいよ」などのように、「ほめる」と「勇気づける」の表現が入り交じった伝え方も往々にしてあります。
ですから私たちは「ほめる」と「勇気づける」の違いの細部にこだわるのではなく、その精神を大切にすることが重要だと思います。
これまでお伝えしてきた大まかな違いを理解したうえで、後はその精神に基づいて「勇気づけ」を心がけてもらえれば十分だと私は思います。
そうすれば「部下を勇気づけたい」「部下に自分自身の力で課題解決ができるようになってもらいたい」という思いが相手に伝わるはずだと思うからです。
5 「ほめる」は〝中毒患者〟を作り出す!?
「ほめる」「叱る」といった行為でコントロールし続けていくと、子どもはどのように成長するのでしょうか。「野菜を食べなさい」「勉強をしなさい」と命令をする。
そのうえで、言うことを聞いたらほめ、聞かなければ叱る。そうした賞罰教育を続けたら、どのような人間が出来上がるのでしょうか。
アドラー心理学では、「賞罰教育を受けた子どもは、ほめられると野菜を食べて勉強をする。しかし、ほめられなければ野菜を食べないし、勉強もしないようになる」と考えます。
つまり、子どもは「ほめられる」ために頑張るようになる。そこに「自分自身の意思」はありません。つまり「自立・自律」ではなく、ほめられることに「依存」する子どもが出来上がってしまうのです。
恐らく、この子どもは親が見ている前では野菜を食べて勉強しますが、親が見ていないところでは野菜を食べず、勉強もしないことでしょう。そして、常に相手の顔色をうかがうようになるでしょう。
「自分は相手から評価されているのだろうか」「自分は相手からダメだと思われているのではなかろうか」 こうしたことばかりを気にするようになるでしょう。
そして、相手の評価や反応に一喜一憂するようになるかもしれません。それは、果たして親が望んだ姿なのでしょうか。アドラーはさらに厳しい指摘をします。
それは賞罰教育で育った子どもは、ほめられなかった時に、ほめてくれない相手を恨むようにさえなるということです。「なぜ、ほめないのか」と相手を責めるようになるというのです。
薬物中毒の患者は薬物を求め、薬物が切れると不安を感じます。賞罰教育で育った子どもは「ほめられ中毒」になると言っても過言ではありません。それは子どもに限ったことではありません。
上司、部下の関係においても同じこと。部下を「ほめられ中毒」にしてはいけません。勇気づけることで、部下が自分の力で課題解決できるようにする。「きっとできる」と自分を信じることができるようにする。それが上司たちの務めです。
「勇気づけ」で自立を促す
では、逆に勇気づけられた子どもは、どのように育つのでしょうか。
「勇気づけ」は相手が自分の意思で決め、自分の力で課題を解決できるように支援することです。そのため、相手をコントロールするような言葉は使いません。あくまでも、相手の自発的な決定や行動に焦点を当てます。
そのため、子どもは自立・自律的な大人に育ちます。「私は自分の力で物事を成し遂げることができる」「自分のことは自分で決める」 そう考えるようになるのです。
自信とは「自分を信じる」と書きます。勇気づけられて育った子どもは、「自信」を身につけることでしょう。それは、「セルフ・エナジャイズ」すなわち自己駆動型のエンジンを手に入れることと同義です。困難な壁を目の前にした時に、自分のエンジンを自分でかける。ブルンと自分でスターターを回すのです。
一方で、ほめられて育った子どもは、誰かにエンジンを回してもらわなくてはなりません。その違いは大きいでしょう。また、勇気づけられて育った子どもは、他人の評価に振り回されることが少なくなるでしょう。
他の人が自分を評価してくれなくても、他の人に否定されても、自分の頭で考えて、信念に従って行動する人になるはずです。大地にどっしりと根を張った姿が頭に浮かんできます。
上司と部下の関係においても同じことが言えます。部下を勇気づけることで、部下は自立・自律的な行動を取るようになるでしょう。社会に出て、会社で働くということは、常に目の前に現れる壁を乗り越えていくということです。そして勇気がある人は、その壁にたじろぐことなく、自信を持ってそれに挑みます。
しかし、勇気がない人は「できない理由」を探して、言い訳をしながら壁から逃げていきます。課題を投げ出してしまうのです。
自分で自分のエンジンをブルンと回す人、目の前の壁から逃げずに乗り越えようと立ち向かう人を育てる。そのために上司にできることは、部下を勇気づけることなのです。
小さいうちは、ほめてもいい
しかし、先に述べた通り「ほめる」と「勇気づける」には、はっきり区分できないところがあります。境界線が曖昧なのです。そして「ほめる」がプラスに働くことも多々あります。
たとえば、 3歳、 4歳の子どもには「ほめる」と「勇気づける」の違いがあまり理解できないでしょう。また、その年代の子どもには、時と場合によっては「しつけ」という名のコントロールが必要なこともあるでしょう。
その意味では「ほめる」ことも必要だと言えます。ただ、だからといって、ずるずるとほめ続けてはいけません。「ほめる」から「勇気づける」に移行していくことが肝要です。
自分自身で自分のエンジンを回せない子どもに対しては、ほめることを通じて、親がエンジンをかけてあげる必要があります。そして、何度かブルン、ブルンとエンジンを回すことによって、子どもが自分でエンジンをかけることを覚えていく。
そのタイミングで徐々に「勇気づけ」へ移行していくというイメージを持ってみてはいかがでしょうか。
もちろん、これも上司、部下の関係に応用できます。上司が部下をほめることでエンジンをかけてあげる。それを繰り返しながら、時々、勇気づけを交えていく。
やがて、部下が自分でエンジンをかけられるようになったら、「ほめる」をやめて完全に「勇気づけ」に移行する。そんなやり方が現実的かもしれません。大切なのはゴールです。
いつまでも上司が部下のエンジンをかけ続けていてはいけません。部下自身にセルフ・エナジャイズ、自己駆動してもらうようになることがゴールです。
そのためには、勇気づけへの移行を常にイメージして接していくことが大切ではないでしょうか。
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