第5章「論理的結末」を体験させる
1 食事の時間に遅れて来たら…
あなたの息子がいつも夕食に遅れて来るとしましょう。両親そして兄弟が 6時に食卓について待っています。
しかし、一番下の息子は 10分経っても 20分経っても、姿を現しません。母親はカリカリと怒っています。
「もう、ガマンできない。先に食事を始めましょう」 そして、家族が食事を終えた 10分後に、ようやく息子が家に帰ってきました。
「ただいま ー。お腹空いた」 母親が子どもを叱りつけます。
「何度言ったらわかるの。みんな、あなたのことをずっと待っていたのよ。あなたが遅れると、お母さんは料理を温め直さなくちゃならないから二度手間になる。みんなに悪いと思わないの」
「はーい。ごめんなさ ーい」 息子は口とは裏腹に、全く反省しているようには見えません。母親は再び子どもに説教をします。
「ほんとにもう! 人の話を聞いてないんだから。だいたいあなたはいつもそう。人の迷惑を全然考えてないのよ!」 しかし、当の息子に気にする様子はありません。
そして、母親が温め直した料理を平らげると、さっさとリビングに移動し、テレビを見始めました。そして、次の日も同じ光景が行動が繰り返されます。
「何度言ったらわかるの? 6時にはテーブルにつきなさいって言ってるでしょ!」 母親は途方に暮れています。どうすればいいのか、対処法がわからないのです。
さて、質問です。この子をしつけるにはどうすればいいのでしょうか。
前章でお話しした「自然の結末を体験させる」方法では、時間を守るようになるとは思えません。他に何かよい方法はあるでしょうか。
事前に約束し、学びを見守る
こんな時は「論理的結末を体験させる」ことが有効であると、アドラー心理学では考えます。論理的結末とは「事前に約束をし、それを守る。それにより、相手が学ぶことを見守る」というものです。
このケースで言うならば、母親は子どもと事前にこう約束をするのです。
「夕方 6時までに帰ってきてくれるかな。もし6時までに帰ってこられなければ、夕飯はなしよ。それでいい?」
この提案に子どもが同意したならば、それで約束は成立です。そして、実際に子どもが遅刻したら、食事を出さなければいいのです。
「あら、お帰りなさい。残念ね。約束だから夕食は出せないわ」 そうサラリと言えばいいのです。子どもは驚くでしょう。
なぜなら、それまでは約束を破っても食事を出してもらえたからです。まさか、本当に食事を出さないとは…。驚いた息子は駄々をこね始めます。
「ええー、そんなあー。お腹すいたよ ~、ご飯食べたいよ ~」 しかし、母親は冷静な対応を続けます。「あらまあ、残念ねえ。明日は時間通りに帰ってきてね」 恐らく息子は翌日、約束を守るでしょう。
6時に帰ってこなければ食事を出してもらえない。それが口先だけでなく、本当であることを身をもって知らされたからです。
まさに「体験から学ぶ」。
母親が毅然とした態度を取ることで、子どもは結末から学ぶことになったのです。子どもは自分の意思で決断し、時間を守ることを覚えました。自分の力で課題を解決できるようになったのです。
「甘やかし」から子どもは何を学ぶか
「論理的結末を体験させる」ケースとして、この夕食の約束の話を紹介したところ、ある若い母親が私に質問してくれました。
「小倉さん、理屈ではよくわかります。でも、目の前で子どもに泣かれてしまったら、私は耐えられません。恐らく食事を出してしまうでしょう。最初の 1回、 2回は、大目に見てあげてはいけないのでしょうか」
子を思う母親の気持ちが伝わってきます。しかし、大目に見ることが果たしていいことなのか。そこをはっきりさせるために、私は女性にこのように質問しました。
「なるほど、 1回だけ大目に見るのですね。わかりました。では、伺います。もし、あなたが 1回だけと大目に見て、食事を出してあげたとしましょう。その時に、子どもはその体験を通じて何を学ぶでしょうか」
すると、その女性は「はっ」とした表情を浮かべ、その後、視線を下に落としてじっと考え込みました。
そして、このように答えました。
「…たぶん、子どもは『約束を破っても、泣けば許してもらえる』『駄々をこねれば許してもらえる』と学ぶでしょう」 私はさらに質問を重ねました。
「それは、あなたが望むことでしょうか。『約束を破っても、泣けば許してもらえる』。あなたの子どもにそのように学んでほしいと思いますか」 その女性はハッキリと言いました。
「いいえ、そのように学んでほしくはありません。だからこそ、親は子どもに毅然と対峙しなくてはならないのですね。甘やかすことは子どものためにならない。それがよくわかりました」
「自然の結末を体験させる」だけではこのようなしつけはできません。それに加えて「論理的結末を体験させる」方法を加えることで、教育がより現実的になるのです。
それは職場における人材育成でも同じこと。
「論理的結末を体験させる」という選択肢を持つことで、上司はそれまで以上に効果的に部下を育てられるようになります。
2 嫌みや叱責は「罰」になる
論理的結末を体験させる際に、気をつけておきたいことがあります。それは、絶対にネチネチ嫌みを言ったり、叱ったりしてはいけないということです。
前にお話しした通り、「ほめない」「叱らない」「教えない」人材育成の前提となるのは「相互尊敬」「相互信頼」です。
子どもや部下は、決して「格下」ではありません。あくまでも人として「対等」な存在。だからこそ、嫌みを言ったり、叱ることは御法度なのです。
では、嫌みを言ったり、叱ったりすると、論理的結末は体験した者にどのように作用するのでしょうか。アドラー心理学では「論理的結末が『罰』であると誤解され、信頼関係が崩れてしまう」と考えます。
つまり、本来の効果は得られず、むしろ関係が悪化してしまうと考えるのです。具体的な場面を想定してみると、わかりやすいでしょう。
もう一度、「夕食の時間に遅れる子ども」のケースで検証します。まずは嫌みを言ったり、叱ったりしない場合を見てみましょう。
「ただいま ~。お母さん、お腹空いた、ご飯は?」
「あら、お帰りなさい。ご飯はもう終わったわよ。残念だけど、約束だから今日のご飯は出せないわ」
「えっ? だって、お腹ぺこぺこだよ。食べたいよー、作ってよ」
「残念ね。また明日」「本当に出してくれないの…」
母親の毅然とした態度に息子は驚き、そして何かを深く感じ取ります。一方で、嫌みを言ったり、叱ったりする場合はどうでしょうか。
「ただいま ~。お母さん、お腹空いた、ご飯は?」「こら! またこんなに遅くなって。あなた、みんなに迷惑をかけているのがわからないの。本当にこの子は…」
「わかってるよ。うるさいなあ。いいから早くご飯出してよ。お腹ぺこぺこだよ」
「あなたみたいな悪い子にはご飯は出せません!」「ひどい! ご飯を出さないなんて、そんなのあり得ないよ! 出してよ!」
「ダメ! 出さないと言ったら出しません! そう約束したじゃない」「まさか本気だとは思わなかったんだよ。ひどいよ。こんなの虐待だよ」
それ以来、子どもは母親と口をきかなくなってしまいました。どうやら、母を恨み、根に持っているようです。論理的結末を体験させるつもりが、全くうまくいかなかったのは間違いありません。
「気づかせる」は支配する側の発想
結末を体験させるのは「相手に気づかせる」ためではありません。相手を尊重し、「気づく機会を邪魔しない」ようにすることが目的です。
この2つは似ているようで全く異なります。
「相手に気づかせる」はコントロールであり、支配です。一方で「気づく機会を邪魔しない」はリスペクトであり、尊重です。
結末を体験させようとして失敗するのは、このベースを勘違いしてしまうからです。相手に気づかせることを目的にすると、嫌みを言ったり、叱ったりという態度を取りがちです。
しかし、相手が気づく機会を邪魔しないと明確に意識していれば、決してそうした対応にはならないでしょう。
嫌みや叱責に至るのは根本が間違っているからです。では、相互尊敬、相互信頼を踏まえた対応とは、どのようなものでしょうか。
- 明るくさっぱり話す
- 短く話す
- 「私も残念だよ」と共感を示す
これだけに限るわけではありませんが、嫌みとは全く異なるコミュニケーションになるはずです。結末を体験させる場合には、くれぐれも「罰を与えられている」と相手に誤解されないように注意したいものです。
明るく、カラリと部下に接する
ネチネチ、ガミガミが「罰」になるのは、上司、部下の間でも同じです。「ほら、見たことか。やっぱり失敗しただろう。だから、いつも言っているんだ。たまには私の言うことを聞いたらどうだ」
上司からこのように言われた部下は、子どもと同じ反応をすることでしょう。つまり、上司から「罰」を与えられていると感じるのです。
そして、上司と部下の信頼関係は壊れてしまいます。信頼関係を壊した後で、相手を支援しようと思ってもうまくいかないのは、当然の帰結です。
そうではなく、失敗した部下に対して上司は、「明るく」「カラリと」「短い言葉で」「私も残念だよ」と付け加えるのです。
「残念だったね。次、頑張ろうね」 この言葉によって部下は自分の頭で考え始めます。同じ失敗をしないためにどうすればいいか、と。論理的結末を体験させる際に上司が気をつけなければならないのは、明るく、カラリと伝えることです。
3 関連のない結末も「罰」になる
「夕方 6時までに帰ってこなければ、食事を出さない」 こうした約束は、論理的結末を体験させる典型的なケースです。
では、「夕方6時までに帰ってこなければ、部屋の掃除を1人でさせる」という約束を提示した場合、子どもの受け止め方はどう変わるでしょうか。
恐らく、「掃除をさせる」と言うと、子どもはそれが「罰」であると受け止めることでしょう。では、「食事を出さない」という結末と「部屋の掃除をさせる」という結末は、そもそも何が違うのでしょうか。
子どもが夕食の時間に遅れると、食事の支度と後片付けが二度手間になります。その手間をなくすために、「遅れてきたら食事を出さない」とすることには合理性があり、子どもも納得せざるを得ない対策と言えるでしょう。
しかし、部屋の掃除をさせるのは、食事に関わる手間とは一切関係がありません。だから、結末に合理性がなく、子どもにとっての納得性も低くなります。
そして、子どもは自分を懲らしめるための罰であるととらえるのです。論理的結末を体験させる場合、その結末は合理的である必要があります。気をつけなければならないポイントです。
ミスが多い社員に体験させる結末とは
これを職場に当てはめると、どのようになるでしょうか。仕事でミスが多い部下に論理的結末を体験させる場合を例に考えてみましょう。
まず、やってはいけない「結末」とは、以下のようなものです。
- ミスをしたら、オフィスの掃除をさせる
- ミスをしたら、電話番をさせる
- ミスをしたら、休日出社の当番にする
これらの結末はミスとの間に関連性がない。つまり、合理的な結末とは言えません。だから、これらは罰になります。
では、逆に合理性がある「結末」とはどのようなものでしょうか。
- ミスがないと確認できるまで、帰宅してはいけない
- ミスをしたら、その原因と再発防止策のレポートを書いてもらう
- ミスが繰り返される場合、仕事の担当を替わってもらう
これらはミスとの間に関連性があり、合理的であるため、部下が罰を与えられたと感じる可能性は低いでしょう。
このように結末の設定は合理性を重視し、部下が納得できるものにしなくてはいけません。そうでなければ、育成効果はなくなってしまいます。
4 「担当替え」という論理的結末
かつてコンサルティング会社を経営していた私は、ある重要な顧客との契約が決定した後、「どのスタッフを担当につけるか」で頭を悩ませていました。
中小企業の多くがそうであるように、私の会社も人材にゆとりがあるわけではありませんでした。候補となるコンサルタントは、誰もが帯に短し、たすきに長し。一長一短があるため、なかなか決めることができませんでした。
いろいろと考えた末に、私は「この際、あえて経験の少ない若手のAさんを担当につけ、仕事を通じての成長を期待しよう」と決断しました。
やる気と成長可能性に賭けたわけです。
しかし、この Aさんには1つ明確な欠点がありました。それは「大きなポカミスをしてしまう」ということです。
仕事に取り組む姿勢がよく、ポテンシャルも高かったのですが、ミスが時に致命傷になることもあり、重要な顧客を任せることができませんでした。
そこで、私はまず「自然の結末を体験させる」ことにしました。失敗してもいい。そこから学んでくれればいい。そう考えて任せることにしたのです。
しかし…。Aさんの悪いクセは、やはりここでも出てきてしまいました。重要な顧客であるにもかかわらず、相変わらずのポカミスを何度も繰り返すのです。
やがて、顧客からクレームが入りました。
「このままでは、契約を見直さなくてはならない。しっかり監督してくれ」と言われてしまったのです。そこで、私は Aさんと話し合いの機会を持ち、こう伝えました。
「このままでは契約が破棄される可能性が高い。Aさんは元来実力があるのだから、ポカミスだけは気をつけてほしい。私もチェックに協力するから何とか乗り切ろう」。
そして、同時に「論理的結末を体験させる」ことも告げました。
「もし、またミスが繰り返されるようであれば、担当を替わってもらうことになるが、それでもいいだろうか」と確認したのです。
Aさんは、自分のミスが会社や顧客に大きな迷惑をかけていることをきちんと理解していました。
そして、私の申し出に同意してくれました。「これ以上、迷惑をおかけしないよう全力を尽くします」。そう約束してくれたのです。
罰にならない配慮が重要
その後、しばらくは問題なく業務をこなした Aさんですが、やがてまた以前のようにミスを繰り返すようになってしまいました。顧客からもクレームが再び入りました。
私は「論理的結末を体験させるタイミングである」と判断し、 Aさんにそれを伝えることにしました。
そこで気をつけたのは「明るく」「カラリと」「短い言葉で」「相手に共感し、残念であることを伝える」ということです。
私はこう切り出しました。
「Aさん、また顧客からクレームが来てしまったね。約束だから、担当を替わってもらいます。残念ですが、 Aさんには他の仕事で頑張ってもらいたいと思います。これまでありがとう」
そして、 Aさんには、他のプロジェクトにアシスタントとして参加してもらうことにしました。
アドラー心理学における子育ての技術「論理的結末を体験させる」をビジネスで生かす場合、このケースのように「役割、担当の変更」を約束することが1つの方法となるでしょう。
もし、約束を守れなければ担当を替わってもらうのです。顧客との接点で仕事をしている場合は、担当する顧客を替わってもらう。
もしくは、顧客とは離れた事務職などの役割に回ってもらうことが必要かもしれません。いずれにせよ、論理的結末が罰にならないよう、伝え方には注意が要ります。
そして、一度や二度の失敗ですぐに仕事を取り上げることにならないよう、辛抱強く待たなければなりません。
可能であれば、 Aさんの例のように、自然の結末をしばらく体験させた後で、論理的結末を体験させるのがいいでしょう。
「片道切符」にせず、やり直しの事例を作る
論理的結末で担当替えを行う際には、罰であると誤解されないための注意が必要ですが、同じことが繰り返されれば、やはりいずれは罰と受け止められることになるでしょう。
そこで大切になってくるのは、担当替えや役割変更を「片道切符」にしないことです。つまり、やり直しのチャンスを与えること。
そして、実際に、やり直しに成功した事例をたくさん作ることが大事です。いくら「残念だね。また頑張ろうね」と言ったところで、現実にやり直した事例がなければ嘘っぽく聞こえるからです。
「論理的結末を体験させる担当替え」が、部下育成の手段として「相互尊敬」「相互信頼」の下に用いられているとしたら、やり直しの成功事例は自然に生まれてくることでしょう。
そうすれば、部下は担当替えが決して左遷や懲罰的な降格ではないと認識するはずです。その意味でも、上司は担当替えをした後のフォローをしっかりやっていかなければなりません。
積極的にフォローすることで、やり直しの成功事例を生まれやすくする。捲土重来を後押しするのです。そうすれば、論理的結末としての担当替えはうまく機能するようになるでしょう。
5 「人事考課に反映させる」という論理的結末
論理的結末を部下育成に活用するもう1つの方法は人事考課です。「事前に約束し、それを実行する」という考え方は人事考課のベースになる「目標管理制度」の運用そのものとも言えます。
目標管理制度で最初に行うのは、上司と部下で目標を定めることです。これが論理的結末を体験させる際の「約束」になります。
先の子どもの例で言うならば、「夕方 6時までに帰宅する。もし、遅れたら夕食を出さない」という取り決めがこれに該当します。
人事評価に置き換えると、「目標を達成すれば高い点数をつけ、昇進・昇格のチャンスを増やすとともに、給料を上げる」という約束が必要ということになります。
約束にはもちろん負の側面もあります。
仮に目標未達に終わった時は「低い考課点がつき、昇進・昇格は遠のき、給料は上がらない」。そして、場合によっては「降格や降給もあり得る」。それが人事制度というものです。
これまで述べてきた原則に基づき、人事制度を中立的に運用することで、部下に論理的結末を体験させることができます。
つまり、約束が果たせなかった時は、淡々と低い点数をつけて、本人の気づきを待つのです。その際にネチネチ、ガミガミ言うことが御法度であることは、何度もお話ししてきた通りです。
人事制度の整備は人材育成に不可欠
コンサルタントとして数多くの企業で組織作りのお手伝いをしてきた私は、人事制度の大切さを常に訴え続けてきました。
なぜなら、人事制度こそが論理的結末を体験させる人材育成、すなわち「教えない」「ほめない」「叱らない」人材育成の基盤になるからです。
考えてみてください。もし、目標管理などの人事制度がなければ、論理的結末を体験させる方法は1つ減ってしまいます。人事考課や昇進・昇格、昇給などの論理的結末を設定することができないからです。
もし、人事制度が何1つない中で論理的結末を体験させようとするならば、部下との約束事をその都度作っていかなければなりません。
「この約束を守れなかったら、給与を下げるよ」「この目標を果たせなかったら、昇格はお預けだ」 このように約束を適宜作ることになるのです。
しかし、このやり方には多くの問題があります。部下と約束するたびに条件を定めるのは、相手から見たら「賞罰」としか思えません。
そして、条件の設定はきわめて恣意的、私的に見えるでしょう。そのため、論理的結末を体験させることは事実上不可能になる。手段が1つ減るのです。
体系化された人事制度があれば、それを使って論理的結末を体験させることができます。その意味からも、人材育成において人事制度は不可欠と言えるのです。
フィードバック面談で「ダメ出し」は厳禁
人事制度を活用して論理的結末を体験させる時は、これまで学んできたやり方を総動員しなくてはなりません。少しやり方を間違えただけで、それは部下への罰になってしまうからです。
たとえば、人事考課の結果を部下にフィードバックする面談で伝え方を間違うと、それは罰になってしまいます。
そうならないように、ネチネチ、ガミガミを避け、明るくカラリと、短い言葉で伝えなければなりません。
また「負の注目」をなるべく避けて、「正の注目」を与える勇気づけも大切です。多くの上司はフィードバック面談において、ついつい「負の注目」ばかりをして、ダメ出し一辺倒になりがちです。
そうではなく、たとえ 70点であっても、 40点であっても、まずはできている部分を評価するのがよいでしょう。
また、その際は上から目線の「ほめる」ではなく、横から目線の「勇気づけ」が有効です。
部下の貢献を認め、「ありがとう。助かっているよ」と感謝を伝える。もしくは「とても誠実に対応しているね」などと主観を伝えることが大切です。
できていないことを伝える場合も、ダメ出しはやめましょう。そうではなく、「こうするともっとよくなるね」とポジティブに伝えるのです。
また、いきなり上司が答えを言うのではなく、質問で部下の意思を引き出しましょう。それでも出てこなければ、「リソースの質問」を投げかけ、ヒントを与えるのです。
「誘い水」が必要なケースもあるかもしれません。
命令をしてはいけませんが、時には上司自身の過去の経験や、他者の成功事例などを伝え、「こんなやり方はどうかな」と提案してみてもいいでしょう。
その際には「私は × ×と思う」というような「アイ・メッセージ」を多用し、「ホワイトスペース」を作り出すことが鉄則です。
これらの取り組みがうまくいき、ポツリ、ポツリと部下が意見を出し始めたら、しめたもの。「出ては引く」で、すぐに「支援応需」に戻ることが必要です。
このように、これまで学んできた様々なコミュニケーションの技術を用いるのです。それにより、単なる人事考課のフィードバックが、論理的結末を体験させる場へと変わり、部下を勇気づけて主体性を育むことができるようになるのです。
人事制度をうまく活用することで、「ほめない」「叱らない」「教えない」部下育成が可能になります。
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