第一章時代を超えた成功の法則──良好は偉大の敵
死が耐えられないほど辛い理由、それは好奇心が満たされないことだ。
ベリル・マーカム『夜とともに西へ』(1)
良好は偉大の敵である。
偉大だといえるまでになるものがめったにないのは、そのためでもある。
偉大な学校がないのは何よりも、良い学校が多いからだ。
偉大な政府がないのは何よりも、無難な政府があるからだ。
偉大な人生を送る人がめったにいないのはかなりの部分、平凡な人生に満足すれば気楽だからだ。
偉大な企業がめったにないのはまさに、ほとんどの企業がそこそこ良い企業になるからだ。
ここに、大部分の企業の問題がある。
この点を痛切に感じるようになったのは、一九九六年に組織の業績をテーマとする識者の集まりに参加したときだ。
夕食の席で、マッキンゼーのサンフランシスコ支店マネージンク・ディレクター、ビル・ミーハンが上半身を傾けて、さりげなく語った。
「『ビジョナリー・カンパニー』は素晴らしい本だ。
調査も素晴らしいし、文章も素晴らしい。
でも、役に立たないんだ」なぜだろうと思って説明を求めた。
「あの本に書かれている企業はほとんど、はじめから偉大だった。
良い企業から偉大な企業に飛躍する必要はなかった。
デービッド・パッカードやジョージ・メルクのような創業者がいて、ごく初期に偉大な企業の性格を作り上げている。
しかしたいていの企業はそうではない。でも、自分の会社はたしかに良い企業だが、偉大な企業ではないことにどこかの時点で気づく。そういう企業はどうすればいいんだ」
「役に立たない」というのは言葉の綾だろうが、ミーハンが言いたかった点は正しいと、いまでは考えている。
ほんとうに偉大な企業は大部分、始めから偉大だったのだ。そして、良い企業の大部分は現状から抜け出せない。たしかに良い企業なのだが、偉大な企業にはなれない。
ミーハンの意見はきわめて貴重な助言になった。この意見を聞いて抱くようになった疑問、「良い企業は偉大な企業になれるのか。そして、どうすれば偉大な企業になれるのか」「良いにすぎない状態から抜け出せない病は治療できるのか」という疑問が、この本の基礎になったのだ。
転機になったあの夕食から五年たったいま、わたしは自信をもって答えられる。良い企業が偉大な企業になることはたしかにあるし、この飛躍をもたらす要因もかなりの程度まで分かったと。
ビル・ミーハンの言葉に刺激されて、わたしは調査チームを組織し、五年にわたって調査研究を進めてきた。偉大な企業への道筋、凡庸から卓越への道筋を探る旅を続けてきた。
何を調査したのかは、次の図をみれば簡単に理解できるはずだ(*)。われわれはまず、そこそこ良い実績から偉大な実績への飛躍を遂げ、その実績を少なくとも十五年にわたって維持してきた企業を探し出した。
つぎに、飛躍を遂げられなかったか、偉大な実績を維持できなかった企業からなる比較対象企業を慎重に選びだした。そして、飛躍した企業と比較対象企業とを比較して、この飛躍に不可欠な要因、飛躍できなかった企業との違いをもたらした要因を見つけ出した。
*次の図と「株式運用成績」の図の作成にあたって用いた数値の算出方法については、巻末の注を参照。
偉大な企業への飛躍を遂げた企業として選びだされ、調査の対象になった企業は希有な実績をあげており、転換点から十五年間でみた株式の平均運用成績が、市場平均の六・九倍になっている(2)。
これがいかに素晴らしいかを示すためにあげておくなら、二十世紀末の時点で経営がもっともすぐれているアメリカ企業だとされたゼネラル・エレクトリック(GE)ですら、一九八五年から二〇〇〇年までの十五年間の株式運用成績は市場平均の二・八倍にすぎない(3)。
別の観点からみれば、こうなる。
一九六五年に二つの投資信託に同じ金額を投資したとする。
ひとつは市場平均に投資する。
もうひとつは、当初は市場平均に投資し、超優良に飛躍した企業が転換点に達した時点からはそれぞれに同額ずつ投資する。
二〇〇〇年一月一日に両方の投資信託を解約すると、市場平均に投資した場合が当初金額の五十六倍になっているのに対して、飛躍した企業に投資した場合は四百七十一倍になった。
目ざましい実績である。
それ以前にはまったく目立たなかった企業の実績である点を考えれば、ますます目ざましいといえる。
たとえばそのなかの一社、ドラッグストア・チェーンのウォルグリーンズの実績をみてみよう。
同社は四十年にわたってごくごく平凡な企業であり、株価は市場平均にほぼ沿った動きを示してきた。
ところが一九七五年、唐突とも思える動きが起こって、株価が上昇をはじめた。
その後も上昇し、上昇を重ね、上昇を続け、どこまでも上昇した。
一九七五年十二月三十一日から二〇〇〇年一月一日まで投資した場合、ウォルグリーンズ株はハイテクのスーパースター、インテル株の二倍弱、GE株の五倍弱、コカ・コーラ株の八倍弱、市場平均(一九九九年末に急騰したナスダック指数を含めたもの)の十五倍を超える運用成績になった(*)。
*本書では、株式運用成績は、投資家にとっての累積運用成績を意味し、配当を再投資し、株式分割を調整したものである。
「市場平均」(あるいは「市場」)は、ニューヨーク証券取引所、アメリカン証券取引所、ナスダックに上場・公開されている株式の全体を意味する。
資料と計算方法については、第一章の注を参照。
長期にわたってごくごく平凡だった企業が、世界有数の経営者に率いられた企業にまさる実績をあげるまでにどうやって変身できたのだろう。
そして、ウォルグリーンズが飛躍を遂げた一方、同じ業界で事業を展開し、同じ機会があり、保有する資源もそれほど変わらなかった企業、たとえばエッカードが飛躍を遂げられなかったのはなぜなのだろう。
この事例が、われわれの調査の核心を示している。
この本はウォルグリーンズ自体をテーマにしているわけではないし、調査の対象にした個々の企業のうちどれかをテーマにしているわけでもない。
良い企業は偉大な企業になれるのか、どうすれば偉大な企業になれるのかという疑問、そして、どの組織にも適用できる普遍的な答え、時代を超えた答えの追求が、本書のテーマである。
五年にわたる調査で、さまざまな発見があった。
意外な発見や常識が間違いであることを示す発見がいくつもでてきたが、そのなかでもとりわけ重要な発見はこうだ。
ほとんどどの組織も、この調査から導き出された枠組みを適用して努力を続ければ、地位と実績を大幅に向上させることができるし、おそらくは偉大な組織になることすらできる。
本書は、この調査で学んだ点を伝えることを目的としている。
第一章の残り部分では、調査チームの歩みを紹介し、調査方法の概要を示し、主要な発見をまとめる。
第二章からは調査で得られた発見をひとつずつ紹介していく。
まずはじめに紹介するのは、とりわけ刺激的な発見、第五水準のリーダーシップである。
あくなき好奇心
こういう質問をよく受ける。
「そこまで大がかりな調査研究を進めた動機は何なのか」。
的を射た質問だ。
この問いへの答えは一言でまとめられる。
好奇心である。
答えを知らない疑問をとりあげて、答えを追求していくことほど面白いものはないとわたしは考えている。
アメリカ西部を探検したメリウェザー・ルイスとウィリアム・クラークのように、「この旅で何を発見できるのかは分からないが、帰ってきたらかならず何があったかを知らせる」と言って出発する旅ほど、面白い体験はない。
好奇心に導かれた今回の大旅行の様子を簡単にまとめておこう。
第一段階‐探索「良い企業は偉大な企業になれるのか。
そして、どうすれば偉大な企業になれるのか」という疑問に対する答えを探ろうと、わたしはまず調査チームを組織した(この本で「われわれ」という言葉は、調査チームを意味するものとして使っている。
通常四人から六人のチームで調査研究にあたり、全体で二十一人が参加した)。
最初の課題は、「偉大な企業への飛躍」の図に示したような飛躍を遂げた企業を見つけ出すことであった。
われわれは「六か月にわたる金融情報分析の死の行進」を開始した。
株式運用成績が十五年にわたって市場並み以下の状態が続き、転換点の後は一変して、十五年にわたって市場平均の三倍以上になったこと、この基準を満たす企業を探したのである。
十五年という年数を選んだのは、ひとつには大ヒットや幸運が続く期間を超えているからである(幸運だけでは、十五年間にわたって好調が続くことはない)。
もうひとつ、ほとんどの企業で最高経営責任者(CEO)の平均在任期間を超えているからだ(たまたま偉大な指導者にめぐまれた企業を除外して、ほんとうに偉大な企業を選べる)。
運用成績で三倍を基準にしたのは、この基準ならとくに定評のある企業の実績を上回るからである。
たとえば、3M、ボーイング、コカ・コーラ、GE、ヒューレット・パッカード、インテル、ジョンソン&ジョンソン、メルク、モトローラ、ペプシ、プロクター&ギャンブル、ウォルマート、ウォルト・ディズニーという優良企業の株式に投資する投資信託でも、一九八五年から二〇〇〇年までの運用成績は市場平均の二・五倍にすぎない。
これら企業を上回る実績であれば悪くはない。
一九六五年から一九九五年までにフォーチュン誌のアメリカ大企業五百社に登場した企業を対象に、組織的に調査と選別を進めて、最終的に飛躍した企業を十一社見つけ出した。
選別過程は付録一Aでくわしく説明するが、ここでは二つの点について簡単に触れておこう。
第一に、偉大な企業への飛躍は、産業の動きによるものであってはならない。
産業全体が同じようなパターンを描いて飛躍している場合には、その企業は除外した。
第二に、株式運用成績以外の選別基準を設けるべきか、たとえば社会全体への影響、従業員の給与や職の安全なども基準にすべきか、調査チームで議論があった。
結局は、株式運用成績だけを選別基準にすることにしたが、それは、他の選別基準を使う場合に、主観を排除して一貫性を保てる合理的な方法が見つからなかったからである。
最後の章で、企業の価値観と偉大さの持続との関係について論じることにしたが、調査研究の過程では、きわめて具体的な疑問、つまり、良い企業から長期にわたって偉大な実績を持続できる企業への飛躍をどのようにすれば達成できるのかという疑問に答えることに焦点を絞り込んでいる。
飛躍した企業の選別が終わったとき、十一社のリストをみてわれわれはおどろいた。
ファニーメイ(連邦抵当金庫)がGEやコカ・コーラを上回る実績をあげているとは。
ウォルグリーンズがインテルを上回っているとは。
これほど地味で野暮ったい企業のリストはめったにないと思えるほどではないか。
このリストをみただけで、貴重な教訓が得られた。
およそ考えにくい環境でも、良い企業を偉大な企業に飛躍させることができるのである。
これを皮切りにつぎつぎに意外な発見があり、われわれは企業の偉大さについての考え方を見直すことになった。
第二段階‐比較対象つぎに、調査の全過程でとくに重要だともいえる段階に進んだ。
偉大な実績をあげるまでに飛躍した企業と比較するために、細心の注意をはらって比較対象企業を選ぶ段階である。
今回の調査で決定的な問いは「飛躍した企業に共通している点は何か」ではない。
「飛躍した企業に共通していて、しかも、比較対象企業との違いをもたらしている点は何か」である。
たとえばこのように考えてみるといい。
オリピックで金メダルをとる決め手は何かを調べたいとする。
金メダルをとった選手だけを調べていくと、どの選手にもコーチがついていることが分かる。
だが、オリンピックには参加したものの、メダルをとれなかった選手を調べていくと、やはりコーチがいるのだ。
調べるべきは、「金メダルをとった選手ととれなかった選手の違いを一貫してもたらしている点は何か」である。
比較対象には二種類の企業を選んだ。
第一は「直接比較対象企業」だ。
飛躍した企業と同じ産業で事業を展開しており、転換点に同じ機会があり、保有する資源もそれほど変わらなかったが、超優良への飛躍を達成できなかった企業である(付録一Bに選別過程をくわしく紹介した)。
第二は「持続できなかった比較対象企業」である。
これは偉大な実績に飛躍したものの、偉大さを短期間しか維持できなかった企業であり、持続性の問題を考えるためにもちいた(付録一Cを参照)。
こうして、全体で二十八の企業が調査対象になった。
うち十一社は飛躍した企業、十一社は直接比較対象企業、六社は持続できなかった比較対象企業である。
第三段階‐ブラック・ボックスの内部の調査つぎに、それぞれの企業を深く分析する段階に進んだ。
二十八の企業に関する記事を、五十年以上前までさかのぼってすべて集めた。
すべての資料に組織的にコードをつけ、戦略、技術、リーダーシップなどのテーマ別に分類した。
つぎに、飛躍した企業の経営陣のうち、転換期に責任ある地位についていた人たちのほぼすべてを対象にインタビューを行った。
また、広範囲な定性分析と定量分析を行って、企業買収から経営陣の報酬まで、企業戦略から企業文化まで、レイオフからリーダーシップのスタイルまで、財務指標から経営陣の交代まで、あらゆる点を調査していった。
この段階には全体として、延べ十・五年分の時間を費やした。
六千近い記事をすべて読んで組織的にコードをつけ、二千ページを超えるインタビューの記録を作成し、三百八十四メガバイトのコンピューター・データを作成した(分析と活動の詳細は付録一Dに記した)。
われわれはこの調査がブラック・ボックスの中を調べるようなものだと考えるようになった。
一歩進むごとに照明器具を取り付けて、偉大な企業へ転換する過程の内部にどのような動きがあるのかに光をあてていくようであった。
データが揃った段階で、調査チームは週一回、全員で議論するようになった。
二十八社のそれぞれについて、記事、分析、インタビュー記録、調査コードのすべてを組織的に読む。
その週のテーマになった企業についてわたしが発表を行い、結論になりうる点をまとめ、いくつかの点を質問する。
つぎに全員で議論し、反対意見を述べ、机を叩き、声を荒らげ、しばらく議論をやめて考え込み、さらに議論を重ね、考え込み、意見を言い合い、解決し、質問を出し、またまた議論し、「このすべてが何を意味するか」を考えていく。
重要な点を指摘しておこう。
この本で論じた概念はすべて、データから直接に導き出す方法をとって作り上げてきたものである。
はじめにあった理論を調査によって試すか証明する方法はとっていない。
事実から出発し、事実から直接に導き出す方法によって理論を構築しようと試みた。
われわれがとった方法の核心は、飛躍した企業と比較対象企業とを組織的に対照させながら、「どこに違いがあるのか」をつねに問うことにあった。
とくに、「犬が吠えなかった事実」に注目した。
コナン・ドイルの『回想のシャーロック・ホームズ』に収められた名作「銀星号事件」で、ホームズは「あの夜、犬がとった不思議な行動」が事件解決のカギになることに気づいた。
事件の夜、犬は何もしなかった。
ホームズによれば、それが不思議な行動であり、この点から、犬がよく知っている人物をまず疑うべきだとの結論を導き出した。
われわれの調査でも、見つからなかった点、つまり吠えるはずの犬が吠えなかったのに似た点がいくつかあり、偉大な企業への過程を理解するうえで、とくに重要な手掛かりになった。
ブラック・ボックスの中に足を踏み入れ、照明をつけていったとき、そこにあったものと変わらぬほど、そこになかったものにおどろかされることが多かった。
いくつかの例をあげていこう。
・著名で派手なリーダーが社外から乗り込んできたことは、偉大な企業への飛躍との相関性がマイナスになっている。
飛躍をもたらした十一人のCEOのうち十人は内部昇進であった。
これに対して比較対象企業では、外部からCEOを招聘する頻度が六倍も高かった。
・経営陣の報酬の形態と飛躍との間には、一貫した関係は見つからなかった。
経営陣の報酬の構造が企業の業績を向上させるカギになるとの見方があるが、この見方を裏付ける事実はなかった。
・戦略を確立していること自体では、飛躍した企業と比較対象企業との違いをもたらす要因ではなかった。
どちらの企業もしっかりした戦略をもっていた。
そして、比較対象企業とくらべて、飛躍した企業が長期経営戦略の策定に長い時間をかけたことを示す事実はなかった。
・飛躍した企業は、偉大になるために「なすべきこと」に関心を集中させたわけではなかった。
それと変わらぬほど、「してはならないこと」と「止めるべきこと」を重視している。
・技術革新とそれによる変化は、偉大な企業への飛躍を促す点でほとんど何の役割も果たしていなかった。
技術は飛躍を加速する役割を果たすことができるが、飛躍をもたらすことはできない。
・合併と買収(M&A)は、飛躍をもたらす点でほとんど何の役割も果たしていなかった。
凡庸な大企業二社が合併しても、偉大な企業になることはない。
・飛躍した企業は変化の管理、従業員の動機付け、力の結集にはほとんど注意を払っていなかった。
条件が整っていれば、士気、力の結集、動機付け、変化といった問題はほぼ消滅する。
・飛躍した企業は、飛躍への動きに名前をつけておらず、標語も作っておらず、開始にあたって派手な式典を開いてもおらず、計画や制度も作っていなかった。
その時点にはここまで大きな変化だとは気づかなかったと語った経営幹部もいる。
後になって振り返ってみてはじめて、飛躍の大きさに気づいたのだという。
実績の面ではたしかに、革命ともいえるほどの飛躍を達成しているが、革命的な方法を使ったわけではない。
・飛躍した企業は、たいていは偉大な産業で事業を展開しているわけではない。
まったく冴えない産業に属している企業もある。
どの企業も、産業が勢いよく成長したときにたまたまその先頭にいたわけではない。
偉大さは事業環境によって生み出されたわけではない。
大部分、意識的な選択の結果だったのである。
第四段階‐カオスから概念へ大量のデータ、分析、議論、そして「犬が吠えなかった事実」からこの本の結論を導き出すまでの過程を単純明快に伝えるにはどうすればいいのか、わたしはさまざまに考えてきた。
結局、最善の答えはフィードバックを繰り返すというものであった。
考えを組み立て、データによって検証し、考えを改定し、枠組みを組み立て、事実の重みによって崩れないかを検討し、枠組みを組み立てなおす。
すべてが一貫性のある概念の枠組みに収まるようになるまで、この過程を何度も何度も繰り返した。
人はだれでも、ひとつかふたつは強みをもっているものだが、わたしの強みは、まとまりのない大量の情報のなかから一貫したパターンを見つけ出し、混乱のなかに秩序を見いだすこと、カオスから概念への道筋を探し出すことだと考えている。
とはいえ、最終的な枠組みに収められた概念はわたしの「意見」ではないと再度強調しておきたい。
調査研究の過程からわたし個人の心理や先入観を完全に排除することはできないが、最終的な枠組みに入った発見はすべて、厳密な基準を満たしていることを確認した後に、重要だとの判断を調査チームでくだしたものである。
最終的な枠組みに含めた主要な概念はすべて、超優良に飛躍した企業の百パーセントで飛躍の時期に変化した点であり、しかも、比較対象企業では三十パーセント以下しか変化がみられなかった点である。
この基準を満たせなかった概念は、各章のテーマにはなっていない。
ここで、概念の枠組みを概説し、以下の章で紹介する点を簡単にまとめておこう(次の図を参照)。
偉大な企業への変化の過程を、準備とその後の突破の過程と考え、全体を三つの大きな段階に分けて考えている。
規律ある人材、規律ある考え、規律ある行動の三段階である。
三段階のそれぞれに二つの主要な概念があり、次の枠組み図に書かれている。
この枠組みの全体をつつむのが「弾み車」と呼ぶ概念であり、これが良好から偉大への過程の全体像をとらえるものになっている。
第五水準のリーダーシップ良い企業を偉大な企業に変えるために必要なリーダーシップの型を発見したとき、われわれはおどろき、ショックすら受けた。
派手なリーダーが強烈な個性をもち、マスコミで大きく取り上げられて有名人になっているのと比較すると、飛躍を指導したリーダーは火星から来たのではないかと思えるほどである。
万事に控えめで、物静かで、内気で、恥ずかしがり屋ですらある。
個人としての謙虚さと、職業人としての意思の強さという一見矛盾した組み合わせを特徴としている。
パットン将軍やカエサルよりも、リンカーンやソクラテスに似ている。
最初に人を選び、その後に目標を選ぶ偉大な企業への飛躍を指導したリーダーは、まずはじめに新しいビジョンと戦略を設定したのだろうとわれわれは予想していた。
事実はそうではなかった。
最初に適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、適切な人がそれぞれにふさわしい席に坐ってから、どこに向かうべきかを決めている。
「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言は間違っていた。
人材が最重要の資産なのではない。
適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。
厳しい現実を直視する(だが、勝利への確信を失わない)偉大な企業への道筋を探し出すのに何が必要かについて、企業戦略を論じた本の大半よりも、捕虜になって生き残った人たちの方が学べる点が多いことにわれわれは気づいた。
こうして学んだ点を「ストックデールの逆説」とわれわれは呼ぶようになったが、偉大な企業はいずれも、同じ逆説を信奉していた。
その逆説とはこうだ。
どんな困難にぶつかろうとも、最後にはかならず勝てるし、勝つのだという確信が確固としていなければならない。だが同時に、それがどんなものであろうとも、きわめて厳しい現実を直視する確固たる姿勢をもっていなければならない。
針鼠の概念(三つの円のなかの単純さ)偉大な企業に飛躍するには、「能力の罠」から脱却しなければならない。
中核事業だからといって、何年か何十年かにわたってそれに従事してきたからといって、それに関する能力が世界でもっとも高いとは限らない。
そして中核事業で世界一になれないのであれば、中核事業が飛躍の基礎になることは絶対にありえない。
三つの円が重なる部分に関する深い理解に基づいて、中核事業に代わる単純な概念を確立するべきだ。
規律の文化どの企業にも文化があり、一部の企業には規律がある。
しかし、規律の文化をもつ企業はきわめて少ない。
規律ある人材に恵まれていれば、階層組織は不要になる。
規律ある考えが浸透していれば、官僚組織は不要になる。
規律ある行動がとられていれば、過剰な管理は不要になる。
規律の文化と起業家の精神を組み合わせれば、偉大な業績を生み出す魔法の妙薬になる。
促進剤としての技術飛躍した企業は、技術の役割についての見方が一般とは違っている。
変化を起こす主要な手段としては使っていない。
その一方で逆説的なことに、慎重に選んだ技術の適用に関しては、先駆者になっている。
偉大な企業への飛躍にしろ、没落にしろ、技術そのものが主要な原因になることはないのだ。
弾み車と悪循環革命や、劇的な改革や、痛みを伴う大リストラに取り組む指導者は、ほぼ例外なく偉大な企業への飛躍を達成できない。
偉大な企業への飛躍は、結果をみればどれほど劇的なものであっても、一挙に達成されることはない。
たったひとつの決定的な行動もなければ、壮大な計画もなければ、起死回生の技術革新もなければ、一回限りの幸運もなければ、奇跡の瞬間もない。
逆に、巨大で重い弾み車をひとつの方向に回しつづけるのに似ている。
ひたすら回しつづけていると、少しずつ勢いがついていき、やがて考えられないほど回転が速くなる。
ビジョナリー・カンパニーへの道思いもよらなかったことだが、本書(原題GOODTOGREAT略称GTG)は前書『ビジョナリー・カンパニー』(原題BUILTTOLAST略称BTL)の続編ではなく、逆に前編なのだとわたしは考えるようになっている。
この本が扱っているのは、良い組織を偉大な実績を持続できる組織に飛躍させる方法である。
『ビジョナリー・カンパニー』が扱ったのは、偉大な実績をあげている企業を、偉大さが永続する卓越した企業にする方法である。
卓越した企業になるには基本理念、利益を超えた目標、そして、基本理念を維持して進歩を促す仕組みが必要だ。
偉大な企業への飛躍の概念偉大な実績の持続+ビジョナリー・カンパニーの概念永続する偉大な企業『ビジョナリー・カンパニー』をすでに読まれているのであれば、この二つの調査の関係についての疑問をしばらく棚上げにして、この本を読み進めていくようお願いしたい。
最後の章でこの疑問を取り上げて、二つの調査の関係を説明する。
時代を超えた法則
インターネット関連企業の経営者が集まった会議で、今回の調査研究の成果を発表しおえたとき、すぐに手をあげた参加者がいた。
「この調査結果はニュー・エコノミーにも適用されるのか。古い考えをすべて捨てて、一から考えなおすべきではないのか」。
変化がきわめて激しくなっているのだから、これは当然の質問である。
この質問は頻繁に受けてきたので、本題に入る前にここで答えておきたい。
たしかに、世界は変化しており、今後も変化を続けるだろう。
しかしだからといって、時代を超えた法則の探究を止めるべきだということにはならない。
このように考えてみればいい。
工学の技術はつねに進歩し、変化しているが、物理学の法則はそう変わらない。
自分の仕事は時代を超えた法則を見つけ出すことだとわたしは考えている。
偉大な組織にみられる永続的な法則、世界がどう変わろうともつねに真実であり、重要である法則を探し求めているのだ。
たしかに、適用の方法(工学の技術にあたる部分)は変わっていく。
しかし、組織の動きには不変の法則(物理学の法則にあたる部分)がある。
実際のところ、いわゆるニュー・エコノミーの登場は新しいことでもなんでもない。
電気、電話、自動車、ラジオ、トランジスターが登場したとき、その時代の人たちはいまと変わらないほど、ニュー・エコノミーの勃興を実感したのではないだろうか。
そして、ニュー・エコノミーのそれぞれの形態が登場してきたときにも、すぐれた指導者は基本的な法則に従ってきた。
その点で、厳格さと規律を失うことはなかった。
現在は過去のどの時期とくらべても、変化の規模が大きく、ペースが速いと指摘する人もいる。
その通りかもしれない。
しかし、偉大な企業への飛躍の時期に、今回のニュー・エコノミーと変わらないほど急速な変化に直面した企業がある。
たとえば一九八〇年代初め、銀行業界は規制緩和の圧力を受けて、ほぼ三年間で完全な変化を遂げている。
銀行業界にとってまさにニュー・エコノミーであった。
だが、ウェルズ・ファーゴはこの本で取り上げた法則のすべてを適用して偉大な実績をあげるようになった。
それも、規制緩和をきっかけとする急速な変化の真っ最中に。
次章以下を読み進めるとき、ひとつの要点をつねに心にとどめておいてほしい。
この本はオールド・エコノミーを論じたものではない。
ニュー・エコノミーを論じたものでもない。
ここで取り上げた企業について論じたものですらない。
この本のテーマはただひとつ、良好から偉大への飛躍をもたらす法則、しかも時代を超えた法則である。
良い組織を、偉大な実績を持続できる組織に変える法則である。
実績をはかる指標は、それぞれの組織にとってもっとも適切なものを選べばいい。
この要点は、読者にとって意外かもしれない。
だが、わたしはもともと、自分の仕事が企業の調査研究なのだとは考えていないし、この本が基本的に経営書なのだとも考えていない。
自分の仕事は、組織の種類を問わず、どうすれば偉大さが持続する組織を作り上げられるかを見つけ出すことだと考えている。
わたしが知りたい点は、偉大と良好、卓越と凡庸の間の基本的な違いである。
この点を探っていくとき、ブラック・ボックスの内部を調べる対象として企業を選んだだけである。
企業、それも株式上場企業を選んだのは、他の種類の組織と比較して、調査にきわめて有利な点が二つあるからだ。
第一に、実績に関して幅広く同意が得られる指標がある(したがって、調査対象を厳密な基準で選択できる)。
第二に、容易に入手できるデータが大量にある。
良好が偉大の敵になるのは、企業だけにみられる問題ではない。
人間のあらゆる組織にみられる問題である。
偉大さへの飛躍をもたらす法則を発見できれば、どのような種類の組織にとっても役立つはずである。
良い学校が偉大な学校に飛躍できるかもしれない。
良い新聞が偉大な新聞に飛躍できるかもしれない。
良い教会が偉大な教会に飛躍できるかもしれない。
良い政府機関が偉大な政府機関に飛躍できるかもしれない。
良い企業が偉大な企業に飛躍できるかもしれない。
そこで、偉大への飛躍をもたらすものを発見する知的冒険の旅に参加するよう、読者に呼びかけたい。
また、この本に書かれていることに疑問を出し、反論を考えるよう読者に呼びかけたい。
尊敬する教師のひとりがこう話してくれたのを覚えている。
「最高の学生は教師から学んだことを鵜呑みにしない学生だ」。
ほんとうにそうだ。
この教師はこうも話してくれた。
「データが示すものに同意できないというだけで、データを拒否すべきではない」。
この本の内容のすべてを闇雲に受け入れるのではなく、慎重に考え抜くよう勧める。
読者は裁判官であり、陪審員である。
証拠に真実を語らせようではないか。
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