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第二章野心は会社のために──第五水準のリーダーシップ

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第二章野心は会社のために──第五水準のリーダーシップ

一生の間にはどんなことでも達成できる。それがだれの功績とされても気にしないのであれば。ハリー・S・トルーマン(1)

一九七一年、一見ごく平凡なダーウィン・E・スミスがキンバリー・クラークの最高経営責任者(CEO)に選任された。

同社は体質の古い製紙会社で、それまで二十年の株式運用成績は市場平均より三十六パーセント低かった。

スミスは穏やかな人柄の社内弁護士で、取締役会の人選が正しかったのか疑問だとも感じていた。CEOに必要な資質のうちいくつかが君に欠けている点を忘れないようにと社外取締役のひとりに耳打ちされて、ますますこの疑問が強まった(2)。

それでもCEOはCEOであり、しかもその後二十年にわたってCEOの地位を維持した。そして、すさまじい二十年であった。

この期間に、スミスはおどろくほどの変革を押し進め、同社を消費者向け紙製品で世界最強の企業に変身させた。

スミスの指揮のもとで、同社株の運用成績は市場平均の四・一倍になり、直接に競合するスコット・ペーパーやプロクター&ギャンブルを軽く上回り、コカ・コーラ、ヒューレット・パッカード、3M、ゼネラル・エレクトリックなどの広く尊敬を集める企業すら上回った。

なんとも目ざましい実績であり、良い企業が偉大な企業に飛躍した事例として、二十世紀を代表するものだといえる。

ところが、ほとんどだれも、経営史や企業史を熱心に研究している人たちすらも、ダーウィン・スミスについては何も知らない。たぶん、スミス自身がそう望んでいたのだろう。

大物ぶるところがまったくなく、配管工や電気工と話すのが好きで、休暇にはウィスコンシン州の自分の農場でショベルカーの運転席に坐って、穴を掘ったり岩を動かしたりした(3)。

英雄として認められようとしたことも、偉大な経営者というイメージを作り上げようとしたこともない(4)。

あるとき、経営スタイルを説明するよう記者に求められた。

このときスミスは、いかにも野暮ったい黒縁メガメをかけ、安売りのスーパーではじめてのスーツを買って着込んだ農村の若者のように、なんとも垢抜けしない服装であった。

気まずい沈黙が延々と続いた後、スミスは一言、「風変わり」と答えた(5)。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙はダーウィン・スミスを大きく取り上げたことがない。

しかし、スミスはおとなしいとか軟弱だとか考えたとすれば、恐ろしい間違いだ。

不器用なほど内気でてらったところがない性格が、不屈の精神、禁欲的といえるほど一途に目標を追求する精神と一体になっている。

生まれはインディアナ州の農村であり、家は貧しかった。

大学生のとき、昼間はインターナショナル・ハーベスターの農業機械工場ではたらいて学費を稼ぎ、インディアナ大学の夜学に通った。

ある日、仕事中の事故で指を一本失った。

だが、その夜も大学に行き、翌日も仕事を続けたといわれている。

これはたぶん誇張だろうが、指を切断した後も学業を遅らせなかったのはたしかだ。

昼は常勤の工員として働き、夜は大学に通って、ハーバード大学法学大学院に進学することができた(6)。

人生の後半にも、CEOに就任して二か月後に、咽喉癌で一年はもたないとの診断を受けた。

取締役会にこの診断を伝えたが、まだ死んではいないし、そう早く死ぬつもりはないとも伝えた。

そしてCEOとしての激務を完全にこなしながら、週に一度ウィスコンシン州からヒューストンまで通って、放射線治療を受けた。

結局、その後二十五年生きつづけ、大半はCEOとして活動している(7)。

スミスはこのすさまじいばかりの不屈の精神によって、キンバリー・クラークの再編に取り組んでいる。

とくにすさまじかったのは、同社の歴史のなかでもっとも劇的な決定をくだし、製紙工場を売却したときだ(8)。

CEOに就任した直後、スミスは経営陣とともに、同社の中核事業であるコート紙の製造販売では凡庸な企業にしかならないと結論づけた。

経済性は悪く、競争は激しくない(9)。

しかし、競争が熾烈な消費者向け紙製品市場に進出していけば、プロクター&ギャンブルなど、世界有数の競争力をもった企業とぶつかる。

偉大な企業にならないかぎり生き残れなくなる。

そこで、上陸直後に船を焼いて退路を絶った将軍のように、スミスは製紙工場を売却すると発表した。

社外取締役のひとりは、ここまで大胆な決断はみたことがないと語っている。

ウィンスコンシン州キンバリーの工場すら売り払って、売却代金をすべて消費者向け事業に振り向け、紙おむつのハギーズ、ティッシュのクリネックスなどのブランドに投資したのだ(10)。

経済紙や経営誌はこの動きを馬鹿げていると批判し、ウォール街のアナリストは同社株の売りを推奨した(11)。

それでもスミスは動揺しなかった。

二十五年後、キンバリー・クラークはスコット・ペーパーを傘下に収め、八つの製品ラインのうち六つでプロクター&ギャンブルを打ち負かしている(12)。

スミスは引退にあたって、素晴らしい業績を残せたことについてこう語った。

「わたしはCEOの職にふさわしい仕事ができることを示そうと、最後まで努力を続けてきた」(13)

予想していなかった点

ダーウィン・スミスはわれわれが第五水準の指導者と呼ぶようになった経営者の典型である。

個人としての極端なほどの謙虚さと職業人としての意思の強さをあわせもつ指導者だ。

偉大な企業に飛躍した事例ではすべて、転換の時期にこの種類の指導者が指揮をとっていた。

どの経営者もスミスと同様に、個人としては控えめであり、同時に、自社を偉大な企業にするために必要なことはすべてやり遂げる意思がきわめて強い。

第五水準の指導者は、自尊心の対象を自分自身にではなく、偉大な企業を作るという大きな目標に向けている。

我や欲がないのではない。

それどころか、信じがたいほど大きな野心をもっているのだが、その野心はなによりも組織に向けられていて、自分自身には向けられていない。

「第五水準」とは、調査の過程で見つけ出した経営者の能力のうち最高水準を示すものである(「第五水準までの段階」の図を参照)。

この図に示す段階は、第一水準から順番に獲得していかなければならないわけではなく、上の水準を達成した後に下の水準の能力を獲得することも可能だが、第五水準の能力を十分に獲得した指導者はすべての水準の能力をもっている。

ここで、それぞれの水準についてくわしく説明しようとは思わない。

第一水準から第四水準までは図の説明だけで十分に理解できるはずだし、いくつもの本でさまざまに論じられてきているからだ。

この章では、偉大になった企業の指導者と比較対象企業の経営者との違いをもたらしているのは何なのか、つまり第五水準の特徴は何なのかに焦点を絞っていく。

だがその前に、少しばかり脇道にそれることにはなるが、重要な点を紹介しておこう。

われわれは当初、第五水準のリーダーシップやそれに近いものを探していたわけではない。それどころか、わたしは調査チームに経営者の役割を重視しないようにと強く指示していた。

すべてを「指導者の功績」か「指導者の責任」かで割り切ろうとする見方が一般的になっているので、そのような単純すぎる見方を避けたいと考えたからである。

たとえていうなら、「すべての答えはリーダーシップにある」との見方は、中世に自然界の科学的な理解を妨げていた「すべての答えは神にある」の現代版だといえる。

十六世紀には、理解できないことがあるとすべて神に答えを求めた。不作になったのはなぜなのか。神の御心だ。

地震はなぜ起こるのか。神の御心だ。惑星があのように動くのはなぜか。神の御心だ。

啓蒙主義の時代になると、もっと科学的に理解しようとする動きが進んだ。

こうして物理学、化学、生物学などが発達した。無神論者になったわけではないが、自然界の動き、宇宙の動きを深く理解できるようになった。

これと同様に、すべてを「リーダーシップ」の一言で説明しようとすれば、十六世紀の人たちと違いがなくなる。

無知を認めるにすぎなくなる。リーダーシップ無用論を唱えるべきだというわけではない(リーダーシップはたしかに重要である)。

だが、うまく説明できない事実にぶつかるたびに、「答えはリーダーシップにあるに違いない」と言っていては、偉大な企業の内部の動きについて、科学的で深い理解を得ることはできない。

したがって調査研究の早い段階で、わたしは「経営者を無視しよう」と主張しつづけてきた。

しかし、調査チームから繰り返し反論が出された。

「偉大な企業の経営者には、めったにない特徴が一貫してある。それを無視するわけにはいかない」「しかし、比較対象企業にも指導者がいるし、なかには偉大な指導者もいる。いったいどこに違いがあるのだ」。

このような議論が沸騰した。

最後には、いつもそうあるべきことだが、データによって決着がついた。良い企業を偉大な企業に飛躍させた経営者は全員、おなじ性格をもっていた。

事業が消費者向けであろうと産業向けであろうと、経営が危機的状況にあろうと安定していようと、サービス業であろうと製造業であろうと、変わりはなかった。

転換の時期がいつであろうと、企業の規模がどうであろうと、変わりはなかった。

飛躍を達成した企業はすべて、第五水準の指導者に率いられていた。さらに、比較対象企業は、第五水準の指導者がいない点で一貫していた。

第五水準のリーダーシップは常識に反するものであり、企業を変身させるには強烈な個性をもった偉大な救世主が必要だとの見方に反しているので、第五水準のリーダーシップが事実から導き出された概念であって、何らかの思想に基づく概念ではない点を強調しておきたい。

謙虚さ+不屈の精神=第五水準

第五水準の指導者は二面性の典型例だといえる。謙虚だが意思が強く、控えめだが大胆なのだ。

この概念を素早く理解するには、アメリカの歴史でも数少ない第五水準の大統領のひとり、アブラハム・リンカーンを思い浮かべてみるといい。

永続する偉大な国家を作り上げることがリンカーンにとって第一の野心であり、私利私欲によってこの野心の達成を危うくするようなことは決してしなかった。

だが、リンカーンの謙虚さ、内気さ、不器用さを弱さの印だと誤解した人たちは、とんでもない間違いをおかすことになった。

この間違いによって南軍の二十五万人、北軍の三十六万人、そしてリンカーン自身が犠牲になったほどである(14)。

偉大な企業への飛躍を導いたCEOがリンカーンに似ているというのは誇張気味かもしれないが、二面性という共通点があるのは事実だ。

一九七五年から九一年までジレットのCEOだったコールマン・モックラーをみてみよう。

モックラーの在任期間に、ジレットは三回にわたって攻撃を受け、偉大な企業になる道が閉ざされかねない状況になった。

そのうち二回は、レブロンによる敵対的買収の動きであった。

レブロンを率いるロナルド・ペレルマンは葉巻をくわえた乗っ取り屋で、ジャンク債を使って買収した企業を解体・売却し、債務を返済してつぎの敵対的買収の資金源にすることで有名だった(15)。

三番目の攻撃は投資グループのコニストン・パートナーズによるもので、ジレット株の五・九パーセントを取得した後、株主総会に向けて独自の取締役候補を立てて、委任状争奪戦を仕掛けた。

株主の委任状を集めて取締役会を支配し、入札で最高価格を提示したものにジレットを売却し、持ち株で短期間に利益をあげることが目的であった(16)。

ジレットがペレルマンの買収提案を受け入れていれば、株式保有者はただちに四十四パーセントの利益を確保できた(17)。

一億一千六百万株の発行済み株式で総額二十三億ドルの短期的な利益が出ることを考えれば、ほとんどの経営者は降伏して自分の持ち株で利益を得たうえ、自社が買収されたときに経営陣に支払われる退職金(いわゆるゴールデン・パラシュート)でも巨額を手に入れようとするだろう(18)。

だが、モックラーは降伏しなかった。

自分の持ち株で巨額の利益を確保しようとはせず、ジレットが偉大な企業になる道を残すために戦った。

物静かで控えめでつねに礼儀正しい人物であり、優雅で貴族的といえるほどの紳士だとみられていた。

しかし、モックラーの控えめな人柄を弱さの印だと誤解した人たちは、結局打ち負かされることになった。委任状争奪戦では、ジレットの経営幹部が何万人もの個人投資家にひとりずつ電話をかけて説得し、勝利を収めている。

これだけであれば、「旧弊な経営陣が既得権益を守ろうとして、株主の利益を無視したのではないか」と思えるかもしれない。

たしかに表面的にはそうもみえる。だが、以下の二つの要因を考えてみるべきだ。

第一に、モックラーらの経営陣は、技術的に進んだ革新的な製品の開発に巨額を投じて、会社の将来をこれにかけていた。

後に発売される「センサー」と「マッハ3」がそれだ。

乗っ取りが成功していれば、この開発プロジェクトはまず間違いなく縮小されるか中止されて、センサーやレディ・センサー、マッハ3は登場しなかっただろう。

数億人の人たちがいまでも毎日、髭剃りに苦労していたはずだ(19)。

第二に、買収合戦のとき、センサーが発売されれば利益が大幅に増えると経営陣は確信していたが、開発は極秘で進めていたので、株価には反映されていなかった。

センサーの将来性を考えれば、将来の株式の価値は時価をはるかに上回り、時価より高い乗っ取り屋の提示価格すら上回ると、モックラーと取締役会は確信していた。

買収提案に応じて会社を売却すれば、短期的な利益を狙う株式投機家を喜ばせることはできるが、長期投資の株式保有者に対してはまったく無責任な方針をとることになる。

振り返ってみれば、モックラーと取締役会は正しい方針をとったといえる。おどろくほどの結果になったからだ。

一九八六年十月三十一日にペレルマンの提案に応じて時価に四十四パーセントを上乗せした価格でジレット株を売却し、代金の全額をその後十年間、一九九六年末まで市場平均に連動する投資信託で運用したと想定すると、モックラーが指揮するジレットへの投資を続けた場合と比較して、三分の一にも満たない金額にしかならない(20)。

モックラーが乗っ取り屋に屈伏して何百万ドルかを手に入れ、引退生活を楽しんでいれば、ジレットも顧客も株主も得られたはずの利益を得られなかったことになる。

モックラー自身は、みずからの努力の成果を十分に受け取ることができなかった。一九九一年一月二十五日、ジレットはフォーブス誌の表紙見本を受け取った。

表紙を飾っていたのは、モックラーが巨大な剃刀をかかげて、どうだと言わんばかりに山の頂上に立ち、打ち負かされた競争相手がはるか下であえいでいる絵であった。

本人はマスコミの取材を嫌うので、たぶん表紙用の写真撮影を断ったのだろうが、それで無敵の戦士コナンにされてしまったと、経営幹部は面白がった。

モックラーは十六年にわたる苦闘がようやく世間に認められるようになったのをみて、何分か後に自室に戻る途中、廊下で倒れた。

強い心臓発作におそわれて、そのまま帰らぬ人になった(21)。

勤務中に倒れたのが本望だったかどうかは知るよしもないが、このとき倒れなかったとしても、経営者としてのスタイルを変えなかったことだけはたしかだと思える。

穏やかな人柄で目立たなくなってはいるが、内面はきわめて厳しく、どんなことであれ自分が関与する以上は最高のものにするために全力を尽くす姿勢をとる。

それで自分が得られる報酬や名声に関心があるからではない。それ以外の姿勢は考えられないのだ。

モックラーの価値観では、安易な方法をとって自社を食い物にしようとする人物に経営を明け渡し、偉大な企業になる道を閉ざすことは、選択肢のひとつにはなりようがない。

ちょうどリンカーンにとって、和平を求めて偉大さを永続できる国を建設する道を永遠に閉ざすことが選択肢にならなかったように。

偉大な企業を築く野心‐会社の成功のために後継者を選ぶ一九八一年にデービッド・マクスウェルがファニーメイ(連邦抵当金庫)のCEOに就任したとき、同社は一営業日当たり百万ドルの赤字を出していた。

それから九年間、マクスウェルは企業文化を一変させて、ウォール街の最高の投資銀行に負けないほど好業績をあげられるようにした。

一営業日当たりの利益が四百万ドルになり、株式運用成績が市場平均の三・八倍になるまでになった。

しかし自分の在任期間が長くなりすぎるのはファニーメイにとって良くないと感じて、まだまだ第一線で活躍できる時期に引退し、やはり有能なジム・ジョンソンに経営を引き継いだ。

その直後、業績がきわめて好調なことから二千万ドルに膨らんでいたマクスウェルの退職金が連邦議会で批判を浴びた(ファニーメイは株式上場企業だが、連邦法によって設立され運営されている政府系機関である)。

マクスウェルは後継者のジョンソンに書簡を送り、この件をきっかけにワシントンでファニーメイへの批判が強まって将来が危うくなりかねないとの懸念を表明した。

そして、残額の五百五十万ドルの支払いを止め、低所得者向け住宅のためのファニーメイ基金に寄付するよう求めた(22)。

マクスウェルはキンバリー・クラークのスミスやジレットのモックラーと同様に、第五水準の指導者の典型ともいえる経営者だ。

野心は何よりも会社の成功に向けられており、自分の名声や資産には向けられていない。

自分が引退した後に会社がさらに成功を収めるよう望んでおり、成功の基盤を作った自分の努力には世間が気づきもしないだろうことを問題にしない。

ある第五水準の指導者はこう語っている。

「いつか自宅のベランダから世界有数の偉大な企業の本社をながめて、以前はあそこで働いていたんだと言えるようになりたい」これに対して比較対象企業の経営者は、偉大な経営者だとの世評を集めるのに熱心で、自分が引退した後に会社が成功を収められるようにはしていない場合が少なくない。

自分が去った後に会社が転落していくことほど、自分の偉大さを示すものはあるだろうか。

比較対象企業の四分の三以上の経営者は、後継者が失敗する状況を作りだすか、力が弱い人物を後継者に選ぶかしており、両方にあてはまる経営者もいた。

何人かは「最大の犬」症候群に陥っている。群れのなかで自分がいちばん大きな犬でなければ我慢できないのだ。

ある比較対象企業のCEOは、後継候補者を「ヘンリー八世がつぎつぎに妻を処刑したように」扱ったといわれている(23)。

ラバーメイドの事例を考えてみるといい。

同社は持続できなかった比較対象企業のひとつであり、無名の存在からフォーチュン誌の「もっとも尊敬されている企業」のランキングで第一位になるまでに急速に成長したが、その後、やはり急速に経営が悪化し、ニューエルに救済合併されるまでになった。

このおどろくべき成長と没落の物語の主役は、スタンリー・ゴールトという才気あふれるカリスマ的経営者であり、一九八〇年代後半に同社を成功に導いた経営者として有名になった。

ラバーメイドに関する記事は三百十二集まったが、ゴールトはきわめて精力的で自己中心的な経営者として描かれている。

ある記事では、暴君だという非難にこう答えている。「たしかに暴君だが、誠実な暴君だ」(24)。

別の記事は改革の指導に関する本人のコメントを直接に引用しており、そこには「わたし」という言葉が「わたしは改革を指導できる」「わたしは十二の目標を書いた」「わたしは目標を示し、説明した」など合計四十四回出てくるが、「われわれ」という言葉は十六回しか出てこない(25)。

経営者としての成功を誇る理由は十分にあった。

ゴールトの指揮のもと、ラバーメイドは四半期決算で四十期連続の増益を達成しているのだ。目ざましい業績であり、敬意を払われるのは当然だ。

しかし、ここが肝心の点だが、ゴールトは自分が去った後に会社が偉大さを維持できる態勢を残さなかった。

みずから選んだ後継者はわずか一年しかもたず、その次のCEOは経営幹部の層がきわめて薄かったことから、四つのポストを兼任しながら、最高業務責任者(COO)として自分を補佐できる人物を必死に探すはめになった(26)。

ゴールトの後継者は経営陣の人材不足に悩んだだけでなく、戦略の空白にも苦労し、その結果やがて同社は経営困難に陥っている(27)。

もちろん、「たしかにラバーメイドはゴールトが引退した後に転落した。だが、それはゴールトが経営者としていかに偉大であったかを示しているのではないか」と反論する人もいるだろう。

まさにそうだ。ゴールトはたしかに第四水準の経営者としてきわめてすぐれていた。

おそらくは過去五十年でみても最高級といえるほど優秀だった。だが、第五水準の指導者ではなかった。

そしてこれが主要な要因のひとつになって、ラバーメイドは超優良企業への飛躍をなし遂げたが、栄光の時期は短く、その後に急速に並み以下に転落した。

おどろくほどの謙虚さ比較対象企業の経営者が極端なまでに「わたし」中心のスタイルをとっているのに対して、偉大な企業への飛躍をもたらした指導者が自分について語ろうとしないことにわれわれはおどろかされてきた。

インタビューのとき、会社について、他の経営幹部の功績についてはいくらでも話してくれるが、自分自身の貢献については話を避けようとする。

それでも話すように求めると、こういう答えが返ってきた。

「大物ぶっていると受け取られては困る」「取締役会があれほど偉大な後継者を選んでいなければ、今日ここでインタビューを受けることもなかったはずだ」「わたしが大きな役割を果たしたかだって?いかにも自分勝手な話になる。

自分の功績が大きいとはわたしは思っていない。

われわれは素晴らしい人たちに恵まれたのだ」「会社にはCEOになればわたし以上の仕事ができる人がたくさんいる」謙虚さを装っているのではない。

これら指導者についての記事や周囲の人たちの話には、物静か、控えめ、謙虚、無口、内気、丁寧、穏やか、目立たない、飾らない、マスコミにどう書かれても信じないなどの言葉が頻繁に出てくる。

ニューコアの取締役だったジム・フラバチェクは、倒産の淵にあった同社を世界有数の鉄鋼会社に変身させたCEO、ケン・アイバーソンについてこう語っている。

きわめて謙虚で控えめな人物だ。ここまでの成功を収めて、ここまで謙虚な人間には会ったことがない。

わたしはいくつもの大企業の多数のCEOのもとではたらいているのだが。

生活面でもそうだ。ともかく質素だ。犬を飼うときは地元の野犬収容所からもらってくるといった小さな点まで質素なのだ。

自宅も昔から住んでいる簡素な家だ。駐車スペースはあるが、ガレージにはなっていない。

ある日、車のウィンドーについた氷をとろうとしてクレジット・カードを使ったら、カードが割れてしまったとこぼしていた。

「だったら、簡単な方法がある。屋根と壁をつければいい」と言ったら、「そんな大きな問題じゃないんだ」と言う。

それほど控えめで質素なのだ(28)。

偉大な企業への飛躍を指導した十一人のCEOは、二十世紀を代表する素晴らしい経営者だといえる。

フォーチュン誌の大企業五百社に入った企業のうち、厳しい基準を満たしてこの調査の対象になった企業は十一社しかなかったのだから。

これほど素晴らしい実績を残しているのに、これらの指導者についてはこれまで、ほとんどだれも論じていない。

ジョージ・ケイン、アラン・ウルツェル、デービッド・マクスウェル、コールマン・モックラー、ダーウィン・スミス、ジム・ヘリング、ライル・エベリンガム、ジョゼフ・カルマン、フレッド・アレン、コーク・ウォルグリーン、カール・ライヒャルト。

これらの並外れた経営者のうち、何人の名前を知っているだろうか。

今回の調査で集めた五千九百七十九の記事の一覧表を作ったところ、転換の時期には、飛躍した企業よりも、比較対象企業の方が記事の数が二倍も多かった(29)。

さらに、偉大な企業への飛躍を指導したCEOに関する記事はほとんど見つからなかった。飛躍を導いた指導者は、並外れた英雄になりたいとはまったく考えていない。

胸像が飾られるようになろうとか、畏敬される人物になろうとかはまったく考えていない。一見、ごく普通の人物であり、めったにないほど素晴らしい実績を静かに達成してきた。

比較対象企業の経営者のうち何人かは、まったく対照的である。

キンバリー・クラークの比較対象企業、スコット・ペーパーはアル・ダンロップという経営者を招聘してCEOにした。

ダーウィン・スミスとはまったく違った性格の人物である。胸をはって大声をあげ、相手構わず自分の業績を話そうとする(話を聞きたくないという人も多いのだが)。

ビジネス・ウィーク誌によれば、ダンロップはスコット・ペーパーを経営した十九か月についてこう述べている。

「スコットの再建は、とくに成功を収め、とくに迅速な企業再建としてアメリカ経営史に残るものだ。

これと比較すれば他の企業再建は色あせてみえる」(30)ビジネス・ウィーク誌によれば、ダンロップはスコット・ペーパーのCEOをつとめた六百三日に合計一億ドルの報酬を受け取っている(一日当たり十六万五千ドルだ)。

主に、従業員を削減し、研究開発費を半分に減らし、企業売却に備えて無理やり成長させる方法をとった結果だ(31)。

スコット・ペーパーを売却し、巨額の報酬を受け取った後、ダンロップは自分をテーマにした本を書き、「ピンストライプのランボー」と呼ばれていると吹聴した。

「わたしはランボーの映画が好きだ。成功の可能性がまったくない窮境にぶつかって、つねに勝利を収める。どう考えても勝ち目がない状況に直面し、頭を吹き飛ばされると覚悟する。

しかし、そうはならない。最後には悪者をやっつけて勝つ。戦争を終わらせて平和を取り戻す。わたしも同じことをしている」(32)。

ダーウィン・スミスも肩のこらないランボー映画を楽しむかもしれない。だが、映画を見おわった後、「ランボーにはほんとうに共感する。わたしに似ているのだ」などと妻に話すとは考えられない。

たしかに、スコット・ペーパーの例は、今回の調査でぶつかったなかでも劇的なものだが、例外的なわけではない。

比較対象企業の三分の二以上では経営者の我が強く欲が深く、この点が会社が没落したり低迷が続く一因になっていた(33)。

この傾向は、持続できなかった比較対象企業にとくに強かった。

能力があるが自己中心的な経営者のもとで実績が飛躍的に向上したが、やがて悪化した例が多い。

たとえば、リー・アイアコッカは倒産の危機にあったクライスラーを救い、アメリカ経営史に残る企業再建として称賛された(そして、称賛されるにふさわしい偉業であった)。

在任期間のほぼ半分までで、クライスラー株の運用成績は市場平均の二・九倍に達した。

しかしその後、アイアコッカはアメリカ経営史でもとくに著名な経営者として自分を売り込むことに熱中するようになった。

インベスターズ・ビジネス・デイリー紙やウォール・ストリート・ジャーナル紙が伝えた日々の動向をみていくと、アイアコッカはテレビの人気トークショーに頻繁に出演し、八十を超えるCMにみずから出演し、大統領選への出馬を考え(「クライスラーの経営は国の経営より大きな仕事だ。……わたしならアメリカ経済を半年で建て直してみせる」と語ったこともある)、自伝を大々的に宣伝した。

自伝の『アイアコッカ』が七百万部売れ、ロック・スター並みの人気者になった。

日本を訪問した際には数千人のファンが押しかけている(34)。

アイアコッカの株は大いにあがったが、在任期間の後半にはクライスラー株の運用成績は市場平均を三十一パーセント下回った。

目をおおいたくなるのは、アイアコッカが表舞台からしりぞいて企業の王座に伴う特権を手放すことがなかなかできなかった点だ。

引退の時期を何度も遅らせたので、社内では死んでも会長職を放さないだろうとの冗談がささやかれるようになった(35)。

そしてようやく引退したとき、社有機とストック・オプションを提供しつづけるよう取締役会に要求している(36)。

後に、有名な乗っ取り屋のカーク・カーコリアンと手を組んで、クライスラーの敵対的買収に乗り出す一幕もあった(37)。

クライスラーはアイアコッカが引退した後の五年間、栄光を取り戻したが、それも短期間に終わり、企業としての基礎体力が弱かったために、ドイツの自動車メーカー、ダイムラー・ベンツに買収される結果になった(38)。

もちろん、クライスラーが独立を失ったのは、アイアコッカだけの責任ではない。企業を売却する決定をくだしたのは、後の世代の経営陣である。だが、はっきりした事実がある。

アイアコッカが一九八〇年代初めになし遂げた見事な再建は持続できるものではなく、クライスラーは偉大さを永続できる企業にはならなかったのである。

不屈の精神‐なすべきことを実行する

第五水準のリーダーシップが謙虚さや控えめさだけではない点を理解することがきわめて重要だ。

もうひとつ、極端なまでの不屈の精神、禁欲的なまでの決意によって、偉大な企業に飛躍させるために必要な点は何であれ実行する姿勢がなくてはならない。

飛躍を導いた指導者をどう表現するべきか、調査チームは長期にわたって論争を続けてきた。

当初は、「無私の経営者」とか「奉仕型の指導者」とかの言葉を使っていた。

しかし、チーム内にはこの表現に対して激しい反対意見があった。

「正しい言葉だとは思えない。弱いとか優柔不断とかの印象を受ける言葉だが、ダーウィン・スミスやコールマン・モックラーについてのわたしの理解はまったく違っている。偉大な企業に飛躍させるためなら、ほとんど何でも実行する人物だと思う」とアンソニー・チリコスが主張した。

そしてイブ・リーがこう提案した。

「第五水準の指導者と呼んだらどうだろう。『無私』とか『奉仕』とかの言葉を使ったら、まったく誤った印象を与えかねない。全体像を伝えられる言葉が必要だ。表裏一体の両面を理解してもらえる言葉でなくては。謙虚の面だけをみていては、全体像がみえなくなる」

第五水準の指導者は、熱狂的といえるほど意欲が強く、すぐれた成果を生み出さなければ決して満足しない。偉大な企業への飛躍に必要であれば、製紙工場を売却することも兄や弟を解雇することも辞さない。

ジョージ・ケインがアボット・ラボラトリーズのCEOに就任したとき、同社は医薬品業界の下位四分の一にあり、抗生物質のエリスロマイシンという金のなる木に何年も頼りきって惰眠をむさぼっていた。

ケインは組織を活気づかせるような個性をもった人物ではないが、それ以上に強力な点があった。

きわめて高い基準を掲げていたのだ。どのようなものであれ、凡庸には我慢ができず、無難なら良いと考える人たちにはまったく我慢ができなかった。

そこでケインは、アボットが凡庸になっている主因のひとつ、創業一族の重用を廃止する動きをはじめた。

最高の人材を探して取締役と経営幹部を入れ換えていき、家系も勤務年数も、社内で重要な職につけるかどうかとはまったく関係がないことをはっきりさせた。

それぞれの責任範囲で業界一になる能力がなければ、職を失うことを示した(39)。

このような厳しい改革を進めたのだから、経営再建のために外部から乗り込んできた経営者だろうと思えるかもしれないが、ケインは入社して十八年になる古参だし、経営一族の一員で父親は元社長だ。

休暇のときのケイン家の集まりは、何年か刺々しいものになったはずだ(「解雇を通知するしかなくなって申し訳ない。

ところで、七面鳥をもう一切れどうですか」)。

しかし最後には、一族は持ち株の利回りが好調になって喜ぶことになった。

ケインの努力で、同社は収益性の高い成長を達成できる企業に変身し、一九七四年の転換点から二〇〇〇年までの運用成績が市場平均の四・五倍になって、メルクやファイザーなどの業界の優良企業を軽く上回ったからだ。

アボットの直接比較対象企業であるアップジョンは、ケインと同じ時期にやはり一族の経営者に率いられていた。

しかしケインとは違って、アッブジョンのCEOは縁故主義による凡庸さを打ち破る強い意思を示さなかった。

アボットが家系には関係なく、最高の人材で主要な職を固めおわったころ、アップジョンでは一族の二流の人材が主要な職についていた(40)。

両社は転換点まで性格がきわめてよく似ていて、株価動向もほとんど変わらなかったが、それ以降の二十一年間にアップジョン株は運用成績がアボット株より八十九パーセントも低くなり、一九九五年にスウェーデンの製薬会社、ファルマシアに買収された。

余談ながら、ダーウィン・スミス、コールマン・モックラー、ジョージ・ケインはいずれも社内から昇進してCEOになった。

スタンリー・ゴールト、アル・ダンロップ、リー・アイアコッカは救世主として社外から華々しく乗り込んできた。

今回の調査ではこの点がほぼ一貫したパターンになっていた。

事実をみていくなら、飛躍を導くために外部から指導者を迎えて社内の大改革を行う必要があるとの見方には根拠がない。

それどころか、有名な変革の指導者の招聘は、卓越した業績への飛躍と持続とは逆相関の関係にある(付録二Aを参照)。

偉大な企業への飛躍を導いた十一人のCEOのうち十人は社内からの昇進であり、うち三人は創業一族の一員である。

比較対象企業は外部の人材を招聘した頻度が六倍も高かったが、偉大な実績を持続させることができなかった(41)。

内部の人材が変革を行った好例にチャールズ・R・「コーク」・ウォルグリーン三世の業績があり、眠ったようだったウォルグリーンズを、一九七五年末から二〇〇〇年一月一日までの株式運用成績が市場平均の十五倍を上回るほどの企業に変身させた(42)。

ウォルグリーンは何年にもわたって経営幹部の間で自社の外食事業について対話と議論を進めた結果、ついに問題と方針を経営陣が明確に理解できるようになったと感じた。

自社の事業で将来性がもっとも明るいのは、利便性が高いドラッグストア・チェーンであって、外食サービスではないのだ。

一九九八年にウォルグリーンの後任としてCEOになったダン・ジョーントは、その後の動きをこう語っている。

コーク〔ウォルグリーン〕が経営計画委員会のある会議で、「よし、ここで期限を決めよう。外食事業から五年間で完全に撤退しよう」と言った。

そのとき、当社には五百店を超えるレストランがあった。ピンが落ちた音も聞こえそうな雰囲気になった。

「時計が時を刻んでいることを忘れないように」とコークが念を押した。

……六か月たって経営計画委員会の次の会議で、だれかが何かのおりに、外食事業からの撤退まで五年しかないと言った。

コークは声を荒らげるような人物ではないが、このときは机をトントンと叩いてこう言った。

「よく聞いてほしい。

残りの時間は四年半だ。

六か月前に五年と言った。

いまからなら四年半だ」。

翌日からは外食事業からの撤退がほんとうに進むようになった。

コークは動揺することはなかった。

疑うこともなく、振り返ることもなかった(43)。

ダーウィン・スミスがキンバリー・クラークの製紙工場を売却したときと同様に、ウォルグリーンのこの決定も禁欲的といえるほどの決意が必要だった。

外食事業は最大の部門だったわけではない(利益面での貢献度は大きかったが)。

問題は思い入れにあった。

ウォルグリーンズはモルテッド・ミルクセーキを発明した企業だし、外食事業は祖父の代からの家業なのだ。

CEOの名前を冠したコーキーズというレストラン・チェーンまであった。

それでも、世界で最高になれる事業、コンビニ型ドラッグストアに資源を集中させるために長年の家業から撤退しなくてはならないのであれば、ウォルグリーンはそうする。

静かに、根気強く、愚直に(44)。

第五水準の指導者の物静かで根気強い性格は、外食事業の売却や乗っ取り屋との戦いといった大きな決定にあらわれているだけでなく、職人のような一途な勤勉さという仕事ぶりにもあらわれている。

アラン・ウルツェルは二代目であり、親から引き継いだ小さな家業を成長させて家電量販チェーンのサーキット・シティを築いた経営者だが、この特徴の全体像を見事にとらえている。

比較対象企業のCEOとの違いはどこにあるのかと質問したとき、ウルツェルはこう答えた。

「見栄えのいい馬と農耕馬の違いだろう。向こうは見栄えのいい馬に近いが、わたしは農耕馬に近い」(45)窓と鏡アラン・ウルツェルが自分を農耕馬だと表現したことは、二つの点を考えるとじつに面白い。

第一に、ウルツェルはイェール大学で法学博士号を取得しているので、農耕馬のようだといっても頭が悪いという意味ではまったくない。

第二に、農耕馬のようにはたらいた結果、見栄えの点でも最高の業績を達成できる体質を築き上げた。

あのジャック・ウェルチがGEの経営を引き継いだ一九八一年に、GE株とサーキット・シティ株に同額ずつ投資したとしよう。

二〇〇〇年一月一日まで保有しつづけたときの運用成績はサーキット・シティ株の方が高く、GE株の六倍にも達している(46)。

農耕馬にしては悪くないのではないだろうか。

ここまで素晴らしい実績を残しているのだから、自分の経営判断の正しさをウルツェルが話すはずだと思うかもしれない。

しかし、インタビューの際に会社の飛躍をもたらした上位五つの要因を順にあげるよう求めたところ、おどろくような答えが返ってきた。

第一の要因は「幸運」だというのである。

「素晴らしい産業で事業を展開していたので、追い風を受けてきた」そこでわれわれは反論した。

超優良に飛躍した企業を選ぶとき、実績が業界平均を上回っていることを条件にした。

それに、比較対象企業のサイロも同じ産業で事業を展開していたし、おそらくは帆が大きかった分、追い風がもっと有利になったはずだ。

この点をしばらく議論したが、ウルツェルは成功を収めたのはかなりの部分、よい時期によい場所にいたためだとの主張を変えようとしなかった。

後に、われわれは偉大な実績の持続をもたらしている要因は何かと質問した。

「まず頭に浮かぶのは幸運だ。

適任の後継者を選べたのは幸運だった」(47)幸運だというのだ。

何とも場違いな言葉ではないだろうか。

だが、飛躍を指導した経営者とのインタビューでは、幸運が話題になることがきわめて多かった。

ニューコアの経営幹部とのインタビューで、適切な判断をつぎつぎにくだせたのはなぜなのかと質問した。

「要するに幸運だったのだと思う」という答えであった(48)。

ジョゼフ・F・カルマン三世はフィリップ・モリスに飛躍をもたらした第五水準のCEOだが、自社の成功をもたらした功績は自分にはないと断言し、部下や後継者や前任者に恵まれた幸運を強調した(49)。

カルマンには著書があるが、社内の人たちに強く要請されて書いただけで、社外に広く配付しようとは考えもしなかったものであり、書名はなんと『わたしは幸運に恵まれた』である。

冒頭部分にはこう書かれている。

「わたしは人生の出発点から大きな幸運に恵まれてきた。

最高の両親のもとに生まれ、遺伝子に恵まれ、恋愛で幸運に恵まれ、仕事で幸運に恵まれ、イェール大学の同窓生が一九四一年初めにワシントンに勤務するよう命令書を書き換えてくれたお陰で、北大西洋で沈められて全員が死亡した艦艇への乗り組みを危うく逃れ、海軍に勤務する幸運に恵まれ、八十五歳まで生きられる幸運に恵まれた」(50)われわれは当初、偉大な経営者がなぜここまで幸運を強調するのか、不思議に思っていた。

飛躍した企業が比較対象企業とくらべて、とくに幸運に恵まれてきたことを示す事実は見当たらなかったからだ(逆に、運が悪かったことを示す事実もなかった)。

やがて、比較対象企業の経営者が逆のパターンになっていることに気づくようになった。

失敗の原因として「運の悪さ」をあげることが多く、事業環境が悪すぎたと嘆くことが多かった。

ニューコアとベスレヘム・スチールを比較してみよう。どちらも鉄鋼会社で、差別化のむずかしい製品を製造している。どちらも安価な輸入品との競争にさらされている。ところが、両社の経営陣は同じ環境についての見方がまるで違っている。

ベスレヘム・スチールのCEOは一九八三年に、同社の経営が苦しくなっているのは何よりも輸入のためだと語った。

「当社にとっての問題は第一が輸入、第二が輸入、第三が輸入である」(51)。ニューコアではアイバーソンらの経営陣が輸入品との競争を幸運、それも思いがけない幸運だと考えていた(「運に恵まれている。鉄鋼製品は重い。競争相手は重い製品を大洋の向こうから運んでこなければならないのだから、われわれはとてつもなく有利だ」)。

ケン・アイバーソンはアメリカ鉄鋼業界がぶつかっている問題は第一も第二も第三も輸入ではなく、経営陣にあるとみていた(52)。

政府による鉄鋼製品の輸入制限に反対すると公の場で発言したほどであり、一九七七年には業界の経営者が集まった会議で、アメリカ鉄鋼業界が直面している問題の核心は経営陣が技術革新のペースについていけなくなっている点にあると主張して衝撃を与えた(53)。

幸運を強調するのは、調査チームが「窓と鏡」と名付けた思考様式の一部であった。

第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す(具体的な人物や出来事が見つからない場合には、幸運をもちだす)。

結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える(運が悪かったからだとは考えない)。

比較対象企業の経営者はちょうど逆の思考様式をもっている。

結果が悪かった場合には窓の外を見て、だれかに、何かに責任を押しつけるが、成功を収めたときは鏡の前に立って、自分の功績だと胸をはる。

面白いのは、窓と鏡が客観的な現実を映してはいないことだ。

窓の外にいる人たちはみな、中にいる第五水準の指導者に視線を向けて、「指導者がカギになった。指導者の指導と指針がなければ、これほどの企業にはなれなかった」と話している。

ところが第五水準の指導者は窓の外に視線を向けて、「見てくれ、このすばらしい人々と幸運がなければ、何も達成できなかった。わたしは幸運に恵まれている」と語る。

もちろん、どちらの主張も正しい。だが、第五水準の指導者はこの事実を認めようとしない。

第五水準のリーダーシップを習得する

最近、わたしは経営幹部の集まりで第五水準という調査結果について話す機会があった。CEOに昇進したばかりだという女性が手をあげて、こう質問した。

「飛躍をもたらした指導者についての話は、たしかにそうだろうと思った。しかし、不安にもなっている。鏡を見ると、自分が第五水準でないのはたしかだと思う。少なくともいまはそうなっていない。わたしがCEOになれたのは、押しが強いからでもある。そこで質問したい。第五水準の指導者でなければ、偉大な企業を築くことはできないのだろうか」わたしはこう答えた。

「偉大な会社を築くには第五水準の指導者でなければならないのか、たしかなことはいえない。わたしにできるのは、データを指摘することだけだ。フォーチュン誌の大企業五百社に入った企業、一四三五社が当初の調査対象になった。このうち、きわめて厳しい基準を満たした企業は十一社しかなかった。この十一社のすべてで、決定的な転換の時期にCEOなどの主要な地位を第五水準の指導者が占めていた」

この女性はそこで坐り、しばらく沈黙していたが、会場にいた全員が肝心の質問をするようこの女性に促しているように思えた。

ついに、もう一度立って質問した。

「学習によって第五水準の指導者になることは可能ですか」世の中には二種類の人間がいるとわたしは考えている。第五水準の芽をもっている人ともっていない人である。

第一の種類の人たちはたとえ百万年待っても、自分自身より大きく、自分の死後にも永続するものを築く大きな野心のために私利私欲を抑えようとは考えない。

これらの人たちはつねに、何よりも仕事で得られる名声や財産や追従や権力などに関心をもっており、仕事によって築き上げるもの、創造するもの、寄与できるものには関心をもっていない。

皮肉なもので、権力のある地位にまでのぼりつめる際に原動力になることが多い個人的な野心は、第五水準のリーダーシップに必要な謙虚さと矛盾している。

そのうえ、取締役会には、押しが強い並外れた人物を選ばなければ偉大な組織を築くことはできないとの誤った信念がある場合が多い点を考えれば、第五水準の指導者に率いられた組織がめったにない理由も簡単に理解できる。

第二の種類は人数がはるかに多いのではないかと思うが、第五水準になりうる人たちである。たぶん埋もれているか無視されているのだろうが、その能力がたしかにある。

そして、自分を見つめる機会、意識的な努力、指導者、偉大な教師、愛情豊かな両親、世界観が変わるような体験、第五水準の上司などの条件があると、本来の能力が開花するようになる。

データをみていくと、今回の調査の対象になった指導者のうち何人かは、世界観が変わるような体験をしており、それが契機になって人間として円熟したとも思える。

ダーウィン・スミスは癌に侵されてから、能力が開花している。

ジョゼフ・カルマンは第二次大戦での経験、とくにぎりぎりの段階の命令変更で降りた艦艇がその後に沈められ、全員が戦死したことにきわめて深い影響を受けた(54)。

強い信仰や改宗が第五水準の特徴の発達を促すとも思える。

たとえばコールマン・モックラーは、ハーバード大学経営学大学院で学んでいるときに福音派に改宗した。

著書の『最先端』によれば、ボストンで企業幹部のグループを組織し、頻繁に朝食会を開いてキリスト教の価値観をビジネスに活かす方法を議論したという(55)。

しかし、残りの指導者はとくにきっかけになる体験があったわけではない。

ごく普通の人生を歩み、やがて第五水準の頂点に立つようになっている。

第五水準の指導者になりうる人材はきわめて多いのではないかとわたしは思っている(証明はできないが)。

問題は、第五水準の指導者になりうる人材の不足ではないのだろう。

周囲にたくさんいるのだが、どの点に注目すれば見つけられるのかが分からない。

では、何に注目すればいいのか。

異例なほど素晴らしい実績があがっているのに、それは自分の功績だとしゃしゃりでる人物がいない状況をさがしてみよう。

おそらくは、第五水準の指導者になりうる人材が関与している。

能力開発という観点で、第五水準になるための十段階といった形でノウハウをまとめられれば素晴らしいと思う。

しかし、たしかなノウハウを提供できるほどしっかりした調査データは集まっていない。

われわれの調査では、偉大な企業への飛躍をもたらすブラック・ボックスの内部を調べた結果、第五水準のリーダーシップがカギになることが分かった。

だが、ブラック・ボックスのなかにはもうひとつ、ブラック・ボックスがあった。

個人が第五水準に到達する仕組みがそれである。

この内部のブラック・ボックスのなかに何があるのか、推測することはできる。

だが、その大部分は推測の域を抜け出せない。

要するに、第五水準のリーダーシップはきわめて確かな概念、強力な考えであり、偉大な企業への転換をうまく進めるために、おそらくは不可欠な点である。

「第五水準への十段階」といったノウハウを作れば、この概念を矮小化する結果になるのではないだろうか。

今回の調査に基づいて最善と思える助言を記しておくなら、偉大な企業への飛躍をもたらした他の要因を実行することからはじめるのがいいだろう。

今回の調査で、第五水準のリーダーシップとその他の要因の間に切っても切れない関係があることが分かった。

一方では、第五水準の特徴があれば、他の要因を実行できる。

その一方で、他の要因を実行していけば、第五水準に達しやすくな

る。

つまり、こう考えればいい。

この章は、第五水準の指導者がどういうものかを論じている。

残りの章は、第五水準の指導者が何をしているかを論じている。

他の要因を実践していけば、正しい方向に進むことができる。

そうしても、完全な第五水準に到達できるという保証があるわけではないが、何からはじめるべきかは明確になる。

第五水準になりうる素質をもつ人がどれだけの割合でいるのか、そのうち何人が素質をのばせるのか、たしかなことは分からない。

第五水準のリーダーシップを発見したわれわれですら、自分たちが完全な第五水準に到達できるのかどうか、分かっていない。

しかし、この点について調査研究を行った者は全員、この考えに深い影響を受けている。

ダーウィン・スミス、コールマン・モックラー、アラン・ウルツェルら、今回の調査で知るようになった第五水準の指導者は、われわれ全員にとって模範になり、目指すべき目標になった。

第五水準まで達するかどうかは別にして、それを目指して努力する価値はある。

人間にとって最高のものについての基本的な真理がいずれもそうであるように、真理の一端をかいま見ることができたとき、その方向に向かって努力すれば、自分自身の人生も自分が関係するものも良くなっていくのだから。

章の要約

第五水準のリーダーシップ要点・偉大な実績に飛躍した企業はすべて、決定的な転換の時期に第五水準の指導者に率いられていた。

・「第五水準」とは、企業幹部の能力にみられる五つの水準の最上位を意味している。第五水準の指導者は個人としての謙虚さと職業人としての意思の強さという矛盾した性格をあわせもっている。野心的であるのはたしかだが、野心は何よりも会社に向けられていて、自分個人には向けられていない。

・第五水準の指導者は次の世代でさらに偉大な成功を収められるように後継者を選ぶが、第四水準の経営者は後継者が失敗する状況を作りだすことが少なくない。

・第五水準の指導者は徹底して謙虚であり、控えめで飾らない。これに対して比較対象企業の三分の二以上では経営者の我が強く欲が深く、この点が会社が没落したり低迷が続く一因になっていた。

・第五水準の指導者は、熱狂的といえるほど意欲が強く、すぐれた成果を持続させなければ決して満足しない。偉大な企業への飛躍に必要であれば、どれほど大きな決定でも、どれほど困難な決定でもくだしていく。

・第五水準の指導者は職人のように勤勉に仕事をする。見栄えのいい馬より農耕用の馬に近い。

・第五水準の指導者は成功を収めたときは窓の外を見て、自分以外に成功をもたらした要因を見つけ出す。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える。比較対象企業の経営者はその逆の態度をとることが多い。成功を収めたときは鏡を見て、自分の功績だと考えるが、結果が悪かったときは窓の外を見て責任を押しつける。

・最近の傾向のなかでとくに害が大きいものに、派手で有名な経営者を選び、第五水準の指導者になりうる人材を排除する傾向がある(とくに取締役会にこのような傾向がある)。

・第五水準の指導者になりうる人材は、どの点に注目して探せばいいのかが分かれば、周囲にたくさんおり、第五水準になりうる素質をもった人も多いとみられる。予想外の調査結果・非凡で有名な変革の指導者の招聘は、偉大な企業への飛躍とその持続と逆相関の関係にある。飛躍を導いた十一人のCEOのうち十人は社内からの昇進であり、比較対象企業は外部の人材を招聘した頻度が六倍も高かった。

・第五水準の指導者は成功をもたらした要因として、個人の偉大さではなく、幸運をあげている。

・われわれは当初、第五水準のリーダーシップやそれに近いものを探していたわけではないが、データの圧倒的な説得力によって、この概念に行き着いた。第五水準のリーダーシッブは事実から導き出された概念であり、何らかの思想に基づく概念ではない。

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