第三章だれをバスに乗せるか──最初に人を選び、その後に目標を選ぶ
だれかを待つわけにはいかないときがある。そのとき参加者はバスにのっているか降りているか、どちらかになる。ケン・キーシー、トム・ウルフ著『クール・クールLSD交感テスト』より引用(1)
今回の調査をはじめたとき、良好な企業を偉大な企業に飛躍させるためにはまず、新しい方向や新しいビジョン、戦略を策定し、つぎに新しい方向に向けて人びとを結集するのだろうとわれわれは予想していた。
調査の結果は、まったく逆であった。
偉大な企業への飛躍をもたらした経営者は、まずはじめにバスの目的地を決め、つぎに目的地までの旅をともにする人びとをバスに乗せる方法をとったわけではない。
まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、その後にどこに向かうべきかを決めている。
要するに、こう言ったのである。
「このバスでどこに行くべきかは分からない。しかし、分かっていることもある。適切な人がバスに乗り、適切な人がそれぞれふさわしい席につき、不適切な人がバスから降りれば、素晴らしい場所に行く方法を決められるはずだ」飛躍を導いた指導者は、三つの単純な真実を理解している。
第一に、「何をすべきか」ではなく「だれを選ぶか」からはじめれば、環境の変化に適応しやすくなる。人びとがバスに乗ったのは目的地が気に入ったからであれば、十キロほど走ったところで行く先を変えなければならなくなったとき、どうなるだろうか。
当然、問題が起こる。だが、人びとがバスに乗ったのは同乗者が気に入ったからであれば、行く先を変えるのははるかに簡単だ。
「このバスに乗ったのは、素晴らしい人たちが乗っているからだ。行く先を変える方がうまくいくんだったら、そうしよう」。
第二に、適切な人たちがバスに乗っているのであれば、動機付けの問題や管理の問題はほぼなくなる。
適切な人材なら厳しく管理する必要はないし、やる気を引き出す必要もない。最高の実績を生み出そうとし、偉大なものを築き上げる動きにくわわろうとする意欲を各人がもっている。
第三に、不適切な人たちばかりであれば、正しい方向が分かり、正しい方針が分かっても、偉大な企業にはなれない。偉大な人材が揃っていなければ、偉大なビジョンがあっても意味はない。
ウェルズ・ファーゴの例をみてみよう。
同行が十五年以上にわたって素晴らしい実績を残すようになったのは一九八三年からだが、飛躍の基礎が築かれたのは一九七〇年代初め、CEOのディック・クーリーが銀行業界でもとくに優秀な経営陣(投資家のウォーレン・バフェットによれば、間違いなく最優秀の経営陣)を築く動きを開始したときである(2)。
クーリーは銀行業界がいずれ厳しい変化の時期をむかえると予想していたが、どのような形で変化が起こるかは分からないと率直に語っていた。
そこで変化に備えた戦略を策定するのではなく、アーニー・アーバックル会長と協力して、同行に「人材を限りなく注入していく」ことに全力をあげた。
いつでもどこででも傑出した人材が見つかりしだい採用し、何を任せるかがはっきりしないまま雇用することも少なくなかった。
「これが将来を築く方法だ。今後の変化を予想する力がわたしになくても、これらの人材にはある。きわめて柔軟なので、変化に対応できる」とクーリーは語っている(3)。
まさに将来を見通した方法であった。
銀行業界の規制緩和によって起こる変化を予想しつくすことはだれにもできなかった。だが、実際に変化が起こったとき、ウェルズ・ファーゴほどうまく対応できた銀行はなかった。
株式運用成績をみると、銀行セクター全体が市場平均を五十九パーセント下回った時期に、ウェルズ・ファーゴ株は逆に、市場平均の三倍以上になった(4)。
一九八三年にCEOに就任したカール・ライヒャルトはインタビューで、同行の成功の大部分は周囲の人たちの功績であり、周囲の人たちのほとんどはクーリーから引き継いだ人材だと語っている(5)。
クーリーとライヒャルトの時期に入った経営幹部としてあげられた名前を聞いて、われわれはおどろいた。
ほとんど全員が大手金融機関のCEOになっているのだ。
ビル・オールディンガーは消費者ローン大手のハウスホールド・ファイナンスのCEOになった。
ジャック・グルントホファーはUSバンコープのCEOになった。
フランク・ニューマンはバンカース・トラストのCEOになった。
リチャード・ローゼンバーグはバンク・オブ・アメリカのCEOになった。
ボブ・ジョスはオーストラリアの大手銀行、ウェストパック・バンキングのCEOになり、その後にスタンフォード大学経営学大学院の学部長になった。
この経営陣の陣容はまったく半端ではない。
フェルズ・ファーゴの社外取締役に就任して十七年になるアージャイ・ミラーはこの経営陣について、一九四〇年代後半にフォード・モーターにくわわったあの「神童」のようだと語っている(ミラーはその一員であり、後にフォードの会長になった)(6)。
ウェルズ・ファーゴがとった方法は単純であった。
最高の人材を集め、業界一の経営幹部になるように鍛え、そのうち何人かは他社に引き抜かれてCEOになっても、それを現実として受け入れるというものである(7)。
バンク・オブ・アメリカはまったく違った方法をとった。
クーリーが可能なかぎり最高の人材をつぎつぎに採用していたころ、ゲーリー・ヘクター著『巨大銀行の崩壊』によれば、バンク・オブ・アメリカは「弱い将軍と強い部下」という方法をとっていた(8)。
強い将軍を主要なポストにつければ、競争相手だった優秀な人材が流出する。だが、弱い将軍なら(有能な経営幹部ではなくお飾りであれば)、優秀な部下が流出する恐れは少なくなる。
弱い将軍を選ぶ方法をとったために、バンク・オブ・アメリカとウェルズ・ファーゴとでは企業文化がまったく違ったものになった。
ウェルズ・ファーゴでは経営陣が対等の立場で激烈な議論を繰り広げて最高の答えを探していったが、バンク・オブ・アメリカでは弱い将軍が上からの指示をおとなしく待っていた。
弱い将軍を率いる立場になったサム・アーマコストは経営陣の雰囲気についてこう語っている。
「最初の何回かの経営会議で暗い気分になった。異論が出てこないだけでなく、意見すら引き出せなかった。皆、風がどの方向に吹いているのかをみきわめようとしていた」(9)
バンク・オブ・アメリカの元幹部のひとりは、一九七〇年代の経営幹部を、どんな形にもなる「プラスチックのようだ」と評している。
ワンマン型のCEOの命令を黙々と実行するよう訓練されていたというのだ(10)。
八〇年代半ばに十億ドルを超える赤字を出した後、経営再建のために強い将軍を何人も採用するようになった。
強い将軍はどこで探したのか。
すぐ目の前に本店があるウェルズ・ファーゴからだ。
経営再建をはかったこの時期、ウェルズ・ファーゴから引き抜かれた幹部がきわめて多かったため、これら幹部が「ウェルズ・オブ・アメリカ」を自称するようになったほどである(11)。
そうなったころには、バンク・オブ・アメリカも回復軌道に乗るようになっていたが、改革は小幅すぎたし遅すぎた。
一九七三年から九八年まで、ウェルズ・ファーゴは準備段階から突破段階へと進んでいったが、バンク・オブ・アメリカは株式運用成績が市場平均にも達していない。
以上を読んで、こう考える読者もいるだろう。
「経営の常識ではないか、適切な人材を集めるというのは。どこが新しいというのか」と。ある意味ではたしかにそうだ。
昔から説かれている経営の鉄則のひとつだ。
しかし、良好から偉大に飛躍した企業には二つの際立った特徴があり、常識とは異なっている。
はっきりさせておきたいが、この章の要点は適切な人材を集めることだけではない。
それだけであれば、新しい点は何もない。
まずはじめに適切な人をバスに乗せ、不適格な人をバスから降ろし、その後にどこに行くかを決めること、これがこの章の要点である。
もうひとつ、第二の要点として、偉大な企業への飛躍には、人事の決定に極端なまでの厳格さが必要なことがあげられる。
「最初に人を選ぶ」という原則は、きわめて簡単に理解できるが、実行するのは極端にむずかしい。そして、ほとんどの場合、うまく実行できていない。
人事の決定に注意を払うべきだと語るのは簡単だが、ファニーメイのマクスウェルのように徹底した姿勢をとれる経営者がはたして何人いるだろうか。
マクスウェルは適切な人材を集めおわるまで、経営戦略の策定を棚上げにしたが、そのとき、ファニーメイは一営業日当たり百万ドルの赤字を出し、総額五百六十億ドルのローンが採算割れになっていたのである。
ファニーメイの最悪期にCEOに就任したとき、取締役会からは会社を救う方法を一刻も早く明らかにするよう求められた。
早く行動し、それも劇的な行動をとり、ハンドルを握って車を発進させるよう強い圧力を受けていたわけだが、まずは経営陣に適切な人材を集めることに全力を投入した。
最初にとった行動は、幹部全員を対象にしたインタビューだった。幹部に坐るようすすめて、こう話した。
「これからきわめて厳しい課題に取り組むことになる。どれほど厳しい仕事になるか、よく考えてほしい。そんな厳しい仕事はかなわないというのであれば、それはそれでいい。だれからも憎まれたりはしない」(12)マクスウェルは誤解の余地のないほど明確に言いわたした。
今後はAクラスの力をもち、Aクラス上位の努力をする人にしか席はない。この基準に満たないのであれば、バスを降りるほうがいいし、それもいますぐ降りる方がいいと(13)。
ある幹部はそれまでの勤め先を辞め、引っ越しもして入社したばかりだったが、マクスウェルに面会し、「お話はよく分かった。残ろうとは思わない」と話した。この幹部は退職して、もとの勤め先に戻っている(14)。
結局、二十六人の幹部のうち十四人が退職し、金融業界でもとびきり優秀で仕事熱心な幹部が代わりに採用された(15)。
おなじ基準が上から下まで、組織のすべてに適用された。すべての階層の管理者が担当部門の実力を高めるようになり、同僚からの圧力も強まった。
ついていけなくなった人たちが辞めていき、当初は離職率が高まった(16)。
ある経営幹部によれば、「要するにこう言った。ファニーメイではその場しのぎは通用しない。自分の仕事を深く理解しているのかいないのか、どちらかだ。理解していないのなら、ここにはいられないと」(17)
ウェルズ・ファーゴとファニーメイが示しているのは、「だれを選ぶか」をまず決めて、つぎに「何をすべきか」を決める考え方である。
ビジョンも、戦略も、戦術も、組織構造も、技術も、「だれを選ぶか」を決めた後に考える。ディック・クーリーもデービッド・マクスウェルも第五水準の典型であり、こう考えている。
「会社をどこに導くべきかは分からない。しかし、適切な人材を集め、的を射た質問をして徹底的に議論していけば、偉大な企業に飛躍する道をかならず見つけ出せる」
「一人の天才を一千人で支える」方式はとらない
飛躍した企業が層の厚い強力な経営陣を築き上げているのに対して、比較対象企業では、「一人の天才を一千人で支える」方式をとっている場合が多いことが印象的であった。
この方式では会社は、並外れた人物が才能を発揮するための舞台である。
突出した天才は会社の成功をもたらす原動力であり、会社にとって貴重な資産だ(ただし、天才が会社を率いている間は)。
偉大な経営陣を築き上げることはめったにない。理由は簡単で、経営陣が優秀である必要はないし、優秀な部下を嫌うことも多いからだ。
天才であれば、ウェルズ・ファーゴのような一流の経営陣はいらない。大企業を率いる力をもった人材を何人も集める理由はない。必要なのはよき兵士であり、偉大な考えを実行できる優秀な部隊である。
しかし、天才が去ってしまえば、兵士はなすすべがなくなることが多い。あるいはもっと悪い状態になる。
天才ではない後任者が天才の方式をまねて大胆な行動をとろうとし、失敗を重ねていく。
エッカード・コーポレーションでは、「何をすべきか」を判断する点で天才的だが、経営陣に適切な人材を集める能力がほとんどない、そういう指導者が重荷になった。
ジャック・エッカードはおどろくほど精力的で(フロリダ州知事選挙の運動をしながら、会社の経営を続けた)、市場を見抜く力と取引をまとめる力に恵まれ、デラウェア州ウィルミントンの二つの小さな店舗を出発点に、アメリカ南東部に一千店を超えるドラッグストアのチェーンを築き上げている。
一九七〇年代後半には売上高でウォルグリーンズに並び、ドラッグストア業界を代表する偉大な企業になるとも思えた。
だが、ジャック・エッカードは政治に熱意を燃やして経営から身を引き、上院議員選挙に出馬し、フォード政権にくわわってワシントンに移った。
天才的な指導者を失った同社は長期にわたって低落するようになり、結局J・C・ペニーに買収された(18)。
ジャック・エッカードとコーク・ウォルグリーンの違いは鮮やかだ。
エッカードが買収する店舗を選ぶ点で天才的だったのに対し、ウォールグリーンは適切な人材を採用する点で天才的であった(19)。
エッカードがどのような店舗をどの立地に開くかを判断する能力に恵まれていたのに対し、ウォルグリーンはどの人をどの席に割り振るかを判断する能力に恵まれていた。
エッカードが経営者にとってもっとも重要な決定である後継者の選択でみじめなほど失敗したのに対して、ウォルグリーンは何人もの傑出した候補者を育て、スーパースターを後継者として選んだ(選んだ本人以上の実績をあげる力をもった後継者だ)(20)。
エッカードが有能な経営幹部のチームを作らず、偉大な天才を支える兵士を集めたのに対して、ウォルグリーンは業界でもっとも優秀な経営陣を築き上げた。
エッカード社では戦略決定にあたって主に、ジャック・エッカードの頭脳に頼っていたのに対して、ウォルグリーンズでは戦略決定にあたって、有能な経営陣の議論と意見交換を基礎にしていた。
「一人の天才を一千人で支える」方式は、持続できなかった比較対象企業にとくに目立っていた。
その典型例は「スフィンクス」と呼ばれた経営者、テレダインのヘンリー・シングルトンだ。
シングルトンはテキサスの牧場で育った子供のころから、偉大な実業家になるのが夢で、荒々しい個人主義の経営者を模範にしていた。
マサチューセッツ工科大学で博士号を取得した後、テレダインを設立した(21)。
この社名は「遠くからはたらく力」を意味するギリシャ語からとったものである。
広範囲に広がる企業帝国をシングルトン個人の力でまとめるようになったことを考えると、まさにぴったりの社名だ。
シングルトンは企業買収をつぎつぎに行って、小さな企業をわずか六年でフォーチュン誌のアメリカ大企業五百社で二百九十三位になるまでに成長させた(22)。
わずか十年で百社以上を買収し、希金属から保険まで、百三十もの事業を展開する大帝国を築き上げた(23)。
おどろくべきことに、この大帝国がうまく機能した。
シングルトンがすべての部分の動きをひとつにまとめる役割を果たしていたからだ。シングルトンはこう語ったこともある。
「わたしの仕事は、その時々に会社にとって最善の動きだとわたしに思える点を、自由に実行することだと考えている」(24)。
フォーブス誌は一九七八年の特集記事で、「シングルトンは謙虚さの点で賞を受けることはないだろうが、その目ざましい実績を畏怖しない者がいるだろうか」と書いている。
シングルトンは七十歳をすぎても何年も経営を続け、後継者について真剣に考えることはなかった。
自分の突出した才能を発揮する舞台にすることが会社経営の目的なのだから、後継者の心配をする必要などなかったのだ。
フォーブス誌はおなじ特集で、こうも記している。
「この素晴らしい全体像にたったひとつ弱点があるとすれば、この点だ。テレダインは組織によってではなく、ひとりの経営者がもつ希有な統率力によって動いているのだ」(25)
この弱点はほんとうに大きなものであった。一九八〇年代半ばにシングルトンが経営の第一線から身を引くと、大帝国は崩壊への道を歩みはじめた。
八六年末から九五年にアレゲニーと合併するまでの間、テレダイン株の運用成績は急落し、市場平均を六十六パーセント下回った。
シングルトンは大実業家になる子供のころからの夢を実現したが、偉大な企業を築く点ではまったく失敗している。
だれに報酬を支払うかが問題で、どう支払うかは問題ではない
われわれは当初、奨励給制度、とくに経営陣向けの奨励給制度が、企業の飛躍と密接な関係があると予想していた。
経営陣の報酬がここまで注目を集めていて、ストック・オプションが重視されるようになり、巨額の報酬が一般的になってきたのだから、報酬の総額と構造が飛躍の際に重要な要因になっているに違いないと考えたのだ。
それ以外の方法で、偉大な実績を生み出す正しい行動をとるよう人びとを促すことはできるのであろうか。この予想はまったくの間違いであった。
経営陣の報酬と飛躍とを結び付けるような一貫したパターンは発見できなかった。経営陣の報酬のある仕組みが偉大な企業への飛躍をもたらす主要な要因になるとの見方を裏付ける事実はなかった。
われわれは何週間もかけて、議決権行使勧誘書類から経営陣の報酬に関するデータを集め、百十二種類の分析を行ってパターンや相関性を調べていった。
経営陣上位五人の報酬について、数量化できる部分をすべて検討した。現金か株式か、長期的な奨励給か短期的な奨励給か、俸給かボーナスかなどなどである。
ストック・オプションを重視している企業もあれば、重視していない企業もあった。俸給が高い企業もあれば、高くない企業もあった。ボーナスが多い企業もあれば、多くない企業もあった。
経営陣の報酬のパターンが比較対象企業と違っているかどうかを分析した結果のうちとくに重要な点をあげるなら、ストック・オプションの使い方、俸給の高低、ボーナスの使い方、長期的な報酬の有無に一貫した違いは見つからなかった。
統計的に意味のある違いがあったのはただひとつ、飛躍を導いた経営陣が転換点から十年間に、凡庸さから抜け出せていない比較対象企業の経営陣よりも、現金報酬の総額が若干少なかった点だけであった(26)。
経営陣の報酬はどうでもいいわけではない。
報酬は合理的で適切でなければならない(コールマン・モックラー、デービッド・マクスウェル、ダーウィン・スミスが無報酬ではたらくとは思えない)。
そして飛躍した企業は経営陣の報酬をどうすべきか、時間をかけて検討している。
しかし、基本的な点で問題のない制度ができれば、経営陣の報酬は企業を良好から偉大に飛躍させる点で違いをもたらす要因ではなくなる。
どうしてなのだろう。「最初に人を選ぶ」原則がここにもあらわれているのである。つまり、問題は経営陣への報酬をどのように決めるかではなく、報酬支払いの対象になる経営陣をどのように選ぶかなのだ。
適切な経営陣をバスに乗せれば、経営陣は偉大な会社を築くために全力をつくす。それも、その結果得られる報酬のために努力するのではなく、偉大だとはいえない状況には満足できないから努力するのだ。
一流のものを築かなければ満足できないのであって、報酬制度をどう変えようとも、この価値観は変わらない。呼吸をするのと変わらぬほど自然なことだからだ。
偉大な企業は単純な真実を知っている。適切な人は奨励給制度がどうであろうと、適切な行動をとって最善の実績を生み出すのだ。
報酬と奨励給は重要だが、偉大な企業では、これが重要な理由が大きく違っている。
報酬制度の目的は、不適切な人びとから正しい行動を引き出すことにはなく、適切な人をバスに乗せ、その後もバスに乗りつづけてもらうことにある。
経営陣以外の報酬制度については、ここまで厳密な調査はできなかった。
経営陣の報酬については議決権行使勧誘書類に一定の書式で記載されているが、経営陣以外の報酬制度についてはここまで一貫したデータは入手できない。
だが、原資料や記事などから集めた事実をみていくと、おなじ考え方が上から下まで、組織のすべてに適用されているようだ(27)。
この点がとくに鮮明なのはニューコアだ。
同社の事業は、農民に鉄鋼生産の方法を教えることはできても、農民の労働観をもたない人たちにこの労働観を教えることはできないとの見方に基づいて構築されている。
そこで、ピッツバーグやゲーリーなどの鉄鋼の町にではなく、インディアナ州クローフォーズビル、ネブラスカ州ノーフォーク、ユタ州プリマスなど農村地帯に工場を建設している。
工場の周囲には農民がたくさんいる。夜は早く寝て、夜明けとともに起き、すぐに仕事に出ていく。
「乳絞りをしよう」「昼までに北の畑を四十枚耕そう」という姿勢は簡単に「鋼板の圧延をやろう」「昼までに四十トンの鋳造を終えよう」に変えられる。
ニューコアはこの労働観をもたない従業員をはじきとばすので、工場が操業をはじめて一年目には離職率が五十パーセントにも達する。
その後は適切な人材が長期にわたって勤務するので、離職率が極端に低くなる(28)。
ニューコアは最高の人材を引きつけ維持するために、世界の鉄鋼業界で最高の賃金を工場の従業員に支払っている。
しかし賃金制度では、きわめて高い基準を達成したチームに支払われるボーナスが中心になっており、従業員が受け取る賃金の半分以上が、二十人から四十人のチームの生産性に連動している(29)。
従業員は通常、始業時間の三十分前には出勤して工具などを用意し、始業のベルがなると同時に一斉に作業にとりかかる(30)。
同社のある経営幹部はこう語っている。
「当社の鉄鋼労働者は世界でもっとも仕事熱心だ。五人が十人分の仕事をして、八人分の賃金を受け取っている」(31)
ニューコアの方式は、怠け者が勤勉にはたらくようになることを目指してはいない。仕事熱心な従業員がはたらきやすく、怠惰な従業員がバスから降りるか放り出されるように、職場の環境を作り上げているのだ。
極端な例をあげるなら、ある従業員のやる気のなさに腹を立てて、チームの他の従業員が鉄棒を振り回して工場から追い払ったことがあった(32)。
ニューコアは「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言を否定している。偉大な企業への飛躍に際して、人材は最重要の資産ではない。適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。
このニューコアの事例をみると、重要なポイントが浮き彫りになる。
どういう人が「適切な人材」なのかを判断するにあたって、飛躍を遂げた企業は学歴や技能、専門知識、経験などより、性格を重視している。
具体的な知識や技能が重要でないというわけではない。
だが、これらは教育できるが(少なくとも学習できるが)、性格や労働観、基礎的な知能、目標達成の熱意、価値観はもっと根深いものだとみているのである。
ピットニー・ボウズのデーブ・ナセフはこう語っている。
わたしは海兵隊出身だが、海兵隊は将兵に価値観をたたき込む点で大きな成果をあげているとされている。
だが実際はそうではない。
海兵隊はみずからの価値観にあった人材を採用して、隊の任務を遂行できるように訓練しているのだ。
ピットニー・ボウズでも同じ方針をとっている。
当社にはたいていの企業より、適切な行動をみずからとろうとする従業員が多い。採用にあたって、職歴だけに注目することはない。
どういう人物なのか、どういう価値観をもっているのかに注目する。どういう人物なのかを知るために、これまでの人生でくだした決定の理由を質問する。その答えで基本的な価値観が分かる(33)。
超優良企業のある経営幹部は、業界での業務経験がない人や職歴がない人を採用して大成功を収めたことが少なくないと語っている。第二次大戦で二度捕虜になり、二度とも脱走に成功した人を採用したこともあるという。「それができた人なら、ビジネスは問題なくこなすだろうと考えた」(34)
厳格であって冷酷ではない
偉大な企業はおそらく、職場としてみた場合に厳しいところだと思えるだろう。たしかに厳しい。会社が求める資質がなければ、たぶん長くははたらけない。
しかし、これら企業の文化は冷酷ではない。厳格なのだ。この違いはきわめて重要である。
冷酷とは、事業環境が悪くなると人員を大幅に削減したり、普段でも、真剣に検討することなく気まぐれに解雇したりすることを意味する。
厳格とは厳しい基準をつねに、組織内のすべての階層に適用し、とくに上層部に厳しく適用することを意味する。
厳格であって冷酷ではないのであれば、優秀な従業員は自分の地位を心配することなく、仕事に全神経を集中させることができる。
一九八六年、ウェルズ・ファーゴはクロッカー銀行を買収し、統合の際に余分なコストを大幅に削減する計画を立てた。これ自体はめずらしくもない。
規制緩和時代の銀行の合併はすべて、保護され水膨れしてきた業界の過剰なコストを削減することを狙いとしていた。
だが、クロッカーの統合では、経営幹部と管理職の統合の方法が異例であった。
もっと正確にいうなら、クロッカーの幹部の大部分を企業文化が違う自行に統合しようと試みさえしなかった点で異例である。
ウェルズ・ファーゴの経営陣は当初から、クロッカーの幹部のほとんどがバスに乗るには不適切だとの結論を出していた。昔ながらの銀行家で、伝統と特権にひたりきってきた。
大理石をはりつめた経営幹部用の食堂があり、シェフがいて総額五十万ドルの陶器がある(35)。
これに対してウェルズ・ファーゴは質実剛健で、経営陣は学生寮用食堂の運営会社が作った食事を食べている(36)。
ウェルズ・ファーゴはクロッカーの幹部に方針を率直に伝えた。
「これは対等合併ではなく、買収だ。支店や顧客は買い取ったが、幹部まで買ったわけではない」。
クロッカーには管理職が一千六百人いたが、その大部分は統合した日に解雇した。とくに経営陣はほぼ全員解雇している(37)。
「ウェルズ・ファーゴが自行の従業員や幹部を守っただけだ」という批判もあるだろう。だが、以下の事実を考えてみるべきだ。
クロッカーの幹部の方が優秀だと判断した場合には、自行の幹部の何人かも解雇しているのだ。
そして経営陣に関しては、ウェルズ・ファーゴの基準はきわめて厳しく、しかも一貫している。
プロ・スポーツのチームと同様に、最高の実績をあげた幹部だけが毎年の査定を通過でき、地位や勤続年数は考慮されない。
ある経営幹部はこう語っている。
「成績の良い人たちに報いる方法は、成績の良くない人たちに足を引っ張られないようにすることしかない」(38)表面的には、いかにも冷酷だと思える。
だが、事実をみていくなら、クロッカーの幹部は一般的にいって、ウェルズ・ファーゴの幹部より力が落ち、業績重視の企業文化のなかではいずれ脱落したはずである。
長期間にわたってバスに乗りつづけることができないのであれば、苦しみを早い時期に受けた方がいいのではないだろうか。
ウェルズ・ファーゴのある経営幹部がこう語っている。
「これは買収であって対等合併ではないことにはだれも異存はなかった。そして、事実を率直に話さず、遠回しに分からせようとするのは無茶だとも考えた。そして、初日に実行するのが最善だと判断した。
あらかじめ計画を立てて、『申し訳ないが、ポストはない』か『ポストはあるので、心配しないでほしい』かどちらかを初日に通告できるようにした。一千人もの解雇でわれわれの文化を破壊するわけにはいかない」(39)
旧クロッカーの幹部が数か月から数年もこの先どうなるかと不安におびえる状態にし、いずれにせよ自行ではうまくやっていけないことが目に見えているのに、他に仕事を探すのに使える貴重な時間を無駄に使わせるのであれば、それこそ冷酷である。
早い時期に結論をだして、それぞれが再出発できるようにするのは、厳格であって冷酷ではない。クロッカーの統合が簡単だったというわけではない。
一千人を超える人たちが職を失ったのだから、辛い経験だったのは間違いない。だが、銀行業界の規制緩和の時期には数十万人が職を失っている。
これを前提に、二つの点に注目すべきだ。
第一に、ウェルズ・ファーゴは比較対象企業のバンク・オブ・アメリカにくらべて、大規模なレイオフを実施した回数が少なかった(40)。
第二に、同行の経営幹部など、上級幹部の方が地位の低い従業員にくらべて、経営統合にあたって解雇された人の比率が高かった(41)。
飛躍を遂げた企業では、厳格な基準はまず最上部に適用され、責任がとくに重い立場にある者にはとくに厳しく適用されている。
人事の決定で厳格な姿勢をとるとは、何よりもまず経営陣の人事の決定で厳格な姿勢をとることを意味する。
じつのところわたしは、この章を書くにあたって、「最初に人を厳格に選ぶ」という原則が濫用されかねないと恐れてもいる。
業績を向上させるために見境なく大量の解雇を実施する、そういう動きの口実にされかねないからだ。
「むずかしい決断だったが、厳格にならなければならないので」と経営者が話すのが聞こえてくるようだ。それを思うと恐ろしくなる。
そのために優秀で仕事熱心な人たちが多数、苦しむことになるうえ、事実をみていくなら、そのような戦術をとれば偉大な実績を持続させる目標とは逆方向に進む結果になる。
偉大な企業は、人員削減を戦術として使うことはめったになく、主要な戦略として使うことはまずない。
規制緩和の荒波を受けたウェルズ・ファーゴすら転換の時期に、バンク・オブ・アメリカと比較してレイオフを半分しか実施していない。
飛躍を達成した企業十一社のうち六社は、転換点の十年前から一九九八年までの間に、一度もレイオフを行っていない。
残りのうち四社も一回か二回しか実施していない。これに対して比較対象企業では、レイオフの頻度が飛躍を達成した企業の五倍にもなっている。なかにはレイオフとリストラの慢性中毒にかかっているとすら思える企業もある(42)。
どうか間違わないようにしてほしい。偉大な企業に飛躍する動きを刺激するために、無慈悲に大鉈を振るって仕事熱心な従業員を大量に解雇するべきだと考えるのは、悲劇的な間違いである。際限のないリストラや無闇な首切りは、飛躍への道筋にはなりえない。
厳格さをどのように確立するか冷酷ではなく厳格になるための実際的な方法として、今回の調査で以下の三点が浮かび上がってきた。
第一の実際的な方法‐疑問があれば採用せず、人材を探しつづける経営の不変の法則のひとつに、「パッカードの法則」がある(前回の調査でヒューレット・パッカードの共同創業者、デービッド・パッカードから学んだものなので、こう呼んでいる)。
法則はこうだ。どの企業も、成長を担う適切な人材を集められるよりも速いペースで売上高を増やしつづけながら、偉大な企業になることはできない。
売上高の伸び率がつねに適切な人材の数の伸び率より高ければ、偉大な企業を築くことはできない。
偉大な企業を築いてきた人たちは皆、企業が成長していくときに最大のボトルネックになるのが、市場でも技術でも競争でも製品でもないことを理解している。
どの要因よりも重要な点がある。それは適切な人びとを採用し維持する能力である。
サーキット・シティの経営陣はパッカードの法則を直観的に理解している。
何年か前のクリスマスの翌日、カリフォルニア州サンタバーバラ近くで車を運転していて、サーキット・シティの店舗には他社の店舗と違いがあることに気づいた。
他社の店舗には顧客を呼び込むための看板や旗があって、「いつもいちばん安い店」「クリスマス後の大安売り」「クリスマス後の買い物はここ」などと書かれている。
だが、サーキット・シティの店舗は違った。「最高の人材をいつも求めている」と書かれていたのだ。
この看板を見て、同社が偉大な企業に飛躍した時期の副社長、ウォルター・ブルカートとのインタビューを思い出した。
凡庸から卓越への飛躍をもたらした要因を重要なものから順に五つあげるよう求めたとき、ブルカートはこう答えた。
「第一は人、第二は人、第三は人、第四は人、第五も人だ。転換のかなりの部分は、適切な人を選ぶ点でしっかりした方法をとったことで可能になった」。
そしてブルカートは、同社が勢いよく成長した時期にCEOのアラン・ウルツェルとこんな会話をかわしたと話してくれた。
「あるとき、『アラン、このポストやあのポストに、まさに適切な人材がなかなか見つからないので、疲れ切ってきた。
どこで妥協すればいいのだろう』と聞いたら、アランは躊躇なくこう答えた。
『妥協はしない。別の方法を見つけて、最適の人材を探そう』と」(43)サーキット・シティのアラン・ウルツェルとサイロのシドニー・クーパーの大きな違いのひとつは、ウルツェルが当初の何年か、適切な人びとをバスに乗せることにかなりの時間を使ったのに対して、クーパーが時間の八十パーセントを買収対象になる適切な店舗を選ぶのに費やした点である(44)。
ウルツェルの当初の目標は、経営陣を業界で最高のプロ集団にすることであった。クーパーの当初の目標は、要するにできるかぎり速く成長することであった。
サーキット・シティは配達の運転手から副社長にいたるまで、すべての段階で適切な人材を採用することにおどろくほど力をいれたが、サイロは、商品を傷つけることなく配達するといった基本中の基本すらできないと言われるようになった(45)。
サーキット・シティのダン・レクシンガーはこう語っている。
「当社は配達の運転手を業界一にした。運転手には『サーキット・シティの従業員のうち、顧客に最後に接するのが君だ。
制服を支給する。
髭をかならず剃り、身体をいつも清潔にしていなければいけない。プロになってほしい』と話した。
配達のときの顧客への対応の変わりようは、まったく信じられないほどだった。
配達の運転手が丁寧だったという感謝の手紙をたくさん受け取った」(46)。
ウルツェルがCEOに就任して五年の間、サーキット・シティとサイロは基本的におなじ事業戦略をとっていた(「何をすべきか」ではおなじ答えを出していた)。
しかしサーキット・シティはロケットのように勢いよく成長し、転換点以降の十五年間に株式運用成績が市場平均の十八・五倍にもなったが、サイロは一進一退を繰り返して、最終的に外国企業に買収された(47)。
戦略は同じだが、人が違い、実績が違っている。
第二の実際的な方法‐人を入れ換える必要があることが分かれば、行動するだれかをしっかりと管理する必要があると感じるようになったのであれば、採用で間違いをおかしたのだ。
あの人材は管理を必要としない。指針を与え、教え、導く必要はある。3だが、しっかり管理する必要はない。
その後にどうなるかは、だれでも経験しているか見聞きしている。不適切な人たちがバスに乗っており、そのことは分かっている。
だが、様子を見守り、決定を遅らせ、別の方法を試し、三回目、四回目のチャンスを与え、状況が良くなるよう期待し、その人たちをうまく管理する方法を試すために時間を使い、その人たちの足りない部分を補う小さな仕組みを作る。
それ以外にもさまざまな手を打つが、状況は良くならない。
自宅に帰っても、その人たちをどうすべきか考え込み(あるいは配偶者に愚痴をこぼして)、時間をとられている。
悪いことに、その人に時間とエネルギーを費やしている分、指導や共同作業で適切な人たちとの関係を強めていくことができなくなる。
え一向に前進しない状況が延々続き、最後に本人が辞めていくか(重荷がなくなって一安心だ)、我慢しきれなくなって行動する(やはり、重荷をおろせたと一安心できる)。
そのとき、周囲の適切な人たちはみな不思議に思っている。
「もっと早く手を打てばよかったのに」と。
不適切な人物が職にしがみついているのを許していては、周囲の適切な人たちに対して不当な行動をとることになる。
不適切な人物がしっかりした仕事をしないので、適切な人たちが尻ぬぐいや穴埋めをするしかなくなるからだ。
それ以上に問題なのは、最高の人材が辞めていく原因になりかねないことだ。
すぐれた業績をあげる人たちは業績向上を強く願っていて、これを仕事の原動力にしている。自分が努力しても不適切な人たちに足を引っ張られると考えるようになれば、いずれ苛立ちが嵩じてくる。
延々待ったすえに行動を起こすのでは、バスから降りる必要がある人たちに対しても不当な行動をとることになる。
いずれ降りてもらうしかないと分かっているとき、その相手に席を与えつづけていては、相手の一生のうちそれだけの時間を盗むことになる。
相手はその時間を、力を発揮できる場所を探すのに使えたはずなのだ。
そして、もっと自分に正直になって考えてみれば、延々と待ちつづけるのは、相手を気づかっているからではなく、その方が自分にとって楽だからであることに気づくはずだ。
そこそこ仕事はこなしているわけだし、別の人材を探すとなればかなり苦労する。だから、問題を避けているのだ。
あるいは問題に真正面から取り組もうとすると一苦労だし、不快でもある。苦労と不快を避けたいので、ひたすら待ちつづける。
待って待って待ちつづける。そのとき、周囲の最高の人たちはみな不思議に思っている。
「いつになったら行動するのだろう。いったいいつまで、こんな状態がつづくのだろう」と。
ムーディーズの『会社情報レポート』のデータを使うと、経営陣交代のパターンを検討できる。
われわれの調査では、飛躍した企業と比較対象企業との間に、年当たりの離職率に差がないことが分かった。だが、経営陣の離職のパターンには違いがあった(48)。
飛躍した企業では、経営陣の離職時期が両極端に分かれていた。
バスに長期にわたって乗りつづけているか、そうでなければごく早い時期にバスから降りている。
言い換えれば、飛躍した企業では、経営陣の回転率が高いわけではないが、回転のパターンがすぐれている。
飛躍を導いた指導者は、経営にあたって「たくさんの人を試して、うまくいった人を残す」安易な方法はとっていない。
まったく違った方法をとっており、こうまとめることができる。
「時間を十分にかけて、はじめからAクラス上位の人を厳格に選ぼう。人選が正しければ、その人物が長くつとめてくれるように、できるかぎりのことをしよう。
人選が間違っていれば、間違いを認めて、われわれは自分たちの仕事を続けられるようにし、相手も自分の人生を追求できるようにしよう」しかし、飛躍を導いた指導者は判断を急ぐことはない。
席にふさわしくない人物がいると感じても、かなりの努力を払った後にはじめて、バスに乗るべきではなかった人物が乗っているとの結論を出すことが多い。
コールマン・モックラーはジレットのCEOに就任したとき、走っているバスの窓から大量の人びとを無闇に放り出したりはしなかった。
CEOに就任してから二年間、五十五パーセントの時間を使って経営陣とともに社内を調べて回り、上位五十人の幹部のうち三十八人を入れ換えるか異動させている。
「適切な人材を適切な場所にあてるために費やす一分間は、後の何週間分にもあたる価値がある」とモックラーは語っている(49)。
サーキット・シティのアラン・ウルツェルも、この章のごく初期の原稿を読んで、以下のコメントを送ってくれた。
他社と比較して「適切な人をバスに乗せる」方法をとっているとの指摘はまさに的を射ている。
これに関連してもうひとつ重要な点がある。わたしはバスのどの席にだれが坐るべきかを考え、議論するのにかなりの時間をかけてきた。これを「四角い穴には四角の杭を、丸い穴には丸い杭を」と表現してきた。
……真面目で有能な人を業績が悪いからといって解雇するのではなく、一度か二度、三度ですらも能力を発揮できそうなポストに移してみることが重要だ。
坐っている席が悪いだけなのか、それともバスから降ろすべきなのかを確認できるようになるまでには時間がかかる場合がある。
とはいえ、飛躍をもたらした指導者は人を入れ換えなければならないと分かったとき、行動している。だが、人を入れ換えなければならないと分かったことが、どうすれば分かるのだろうか。
二つの問いが役立つだろう。
第一に、バスから降ろすべきかではなく、採用すべきかが問題だと想定した場合、その人物をもう一度雇うだろうか。
第二に、その人物がやってきて、素晴らしい機会があるので会社を辞めると話したとするなら、深く失望するだろうか、それともそっと胸をなでおろすだろうか。
第三の実際的な方法‐最高の人材は最高の機会の追求にあて、最大の問題の解決にはあてない一九六〇年代初め、R・J・レイノルズとフィリップ・モリスは売上高の大部分を国内事業で得ていた。
R・J・レイノルズは国際事業について、「世界のどこかにいる外国人がキャメルを買いたいというのなら、電話をかけてくればいいんだ」という姿勢をとっていた(50)。
フィリップ・モリスのジョー・カルマンは違った見方をしていた。国際市場こそが、長期的な成長の最大の機会だとみていた。
その時点には、国際事業は売上高でみて一パーセントにも満たなかったのだが。カルマンは国際市場開拓の最高の「戦略」は何かと考えた結果、素晴らしい答えを見つけ出した。「何をすべきか」ではなく「だれを選ぶか」の答えであった。
自社でもっとも優秀なジョージ・ワイスマンを国内事業責任者から国際事業責任者に移したのだ。このとき、国際事業とはほとんど名のみの存在であった。
小規模な輸出部門と、業績不振のベネズエラ事業と、オーストラリア事業、それに小規模なカナダ事業があるだけであった。
「ジョージ〔ワイスマン〕が国際事業責任者に転じたとき、どんな失敗をしたのだろうと考えた社員が多かった」と、ワイスマンの部下のひとりが話してくれた(51)。
「閑職に追いやられたのか、降格になったのか、放り出されたのか、理解に苦しんだ。会社の事業の九十九パーセントに責任を負っていたのに、翌日からは一パーセント以下を担当するようになったのだから」とワイスマンも語る(52)。
しかし、フォーブス誌が二十年後に伝えたように、ワイスマンをごくごく小さな部門の責任者にすえたカルマンの決定は、天才的だったといえる。
ワイスマンは都会風で洗練されており、ヨーロッパなどの市場を開拓するにはぴったりの人物だ。やがて、国際部門を同社で成長率がもっとも高く、もっとも規模の大きい部門に育て上げた。
たとえばワイスマンの指揮のもと、マルボロは世界市場で第一位になったが、アメリカ市場で第一位になったのはその三年後であった(53)。
R・J・レイノルズとフィリップ・モリスの違いは、一般的にみられるパターンの好例である。
飛躍した企業は、最高の人材を最高の機会の追求にあてており、最大の問題の解決にはあてていない。
比較対象企業にはその逆の行動をとる傾向があり、問題を解決しても無難になるだけで、偉大になるには機会を追求するしか道がない事実を認識できていない。この点に関連して、もうひとつ重要なことがある。
問題の部門を売却する決定をくだしたとき、優秀な人たちを一緒に売り渡してはいけない。優秀な人たちにはいつもバスに座席が確保されているようにすれば、優秀な人たちが行く先の変更を支持する可能性が高くなる。
たとえばキンバリー・クラークが製紙工場を売却したとき、ダーウィン・スミスは明確な方針を示した。
製紙事業は売却するが、優秀な人材は手放さないという方針である。ディック・オークターがこう説明している。
「当社の幹部の多くは製紙部門で育ってきた。ところが突然、花形だった部門が売却されることになり、自分の将来はどうなるのかと不安になった。
そこでダーウィン〔スミス〕は、『才能ある幹部は全員必要だ。全員に残ってもらう』と言った」(54)。
製紙部門の幹部は消費者事業の経験がないに等しかったが、スミスは優秀な幹部を全員、消費者事業部門に移した。
われわれは同社の経営幹部、ディック・アパートにインタビューをした。キャリアの大部分を製紙部門ですごしており、その部門が消費者向け事業に大規模に進出する資金を作るために売却されている。
だがアパートは、誇りと興奮に満ちた口調で同社の変身について語ってくれた。
製紙工場の売却がいかにむずかしい決断だったか、製紙事業を売却してその代金を消費者向け事業に投資する先見性のある決定をどのようにくだしたか、プロクター&ギャンブルをどのようにして追い抜いたかといった話である。
「製紙事業を解体する決定に対して、わたしはまったく反対しなかった。そのとき製紙工場を売却したが、わたしは完全に賛成だった」(55)。
この点を少し考えてみよう。
優秀な人びとは偉大なものを築く過程に参加したいと望んでおり、アパートは自分がキャリアの大部分をすごしてきた部門を売却することで、キンバリー・クラークが偉大な企業になりうると考えたのだ。
フィリップ・モリスとキンバリー・クラークの例は「適切な人」について、あとひとつ取り上げるべき点を示している。
飛躍を遂げた企業はどれも、経営陣に第五水準の雰囲気があり、転換期にはとくにそうだった。
経営幹部の全員がダーウィン・スミスやコールマン・モックラーと変わらないほど徹底した第五水準の指導者であったわけではない。
しかし、経営陣の中核メンバーはいずれも、野心を自分個人にではなく企業に向けている。この点から、これらの経営幹部は第五水準の素質をもっていたとみられる。
少なくとも、第五水準のリーダーシップのスタイルとぶつからない形で仕事をする能力をもっていたとみられる。
ここで疑問をもつ読者もいるだろう。
「第五水準の経営陣の一員と、ごく普通のよき兵士とで、どこに違いがあるのか」と。第五水準の経営陣の一員は権威に盲従するような人物ではない。
個人としてみても強い指導力をもっており、意欲と能力が十分にあるので、自分が担当する部門を世界最高級の事業に育て上げる。
そして経営陣の一員として、会社を偉大な企業にするために必要なことをすべて行う方向に、それぞれの強みを活かしていく能力がなければならない。
偉大な企業への飛躍を達成するために不可欠な要因のひとつは、少々逆説的だともいえる。経営陣が、一方では、最善の答えを探し出すために活発に議論し、ときには激論をかわさなければならない。
その一方では、方針が決まれば、自分が担当する部門の利害を超えて、決定を全面的に支持しなければならない。フィリップ・モリスに関するある記事で、カルマンの時代がこう描かれている。
「この会社の人たちはどんな点でも意見が一致することがなく、あらゆる点を議論する。相手をやっつけるまで議論し、上から下まで、優秀な人たちはみな議論にくわわる。だが、決定しなければならない時期になれば、どのような決定をくだすべきかがはっきりしてくる。これがフィリップ・モリスの核心だ」(56)。
同社のある経営幹部が語る。
「どれだけ議論しても、最善の答えをいつも探している。最後には全員が決定を支持する。議論はすべて会社全体の利益のためのものであって、各人が自分の利益を守るためのものではない」(57)。
偉大な企業と素晴らしい人生
偉大な企業への飛躍を調査した結果をセミナーで話すと、ほとんどいつも、良好から偉大への飛躍のために個人の生活が犠牲になるのではないかとの質問を受ける。
偉大な企業を築きながら、生活の面でも素晴らしい人生を送ることはできるのだろうか。できる。その秘訣はこの章で論じた点にある。
わたしは香港での経営者会議に出席して、ジレットの経営幹部の夫妻と何日か行動をともにしたことがある。
雑談のなかで、ジレットを飛躍させる点でもっとも功績があったCEO、コールマン・モックラーが素晴らしい人生を送ったのかを聞いてみた。
夫妻によれば、コールマンの人生は三つの愛するものを中心にしていたという。家族、ハーバード大学、ジレットの三つだ。
一九八〇年代に乗っ取り攻勢をかけられた最悪の時期、厳しい戦いの時期ですら、そしてジレットの事業が世界的に拡大していったなかでも、モックラーは生活のバランスをおどろくほど保っていた。
家族とすごす時間をそれほど減らしておらず、夜や週末にはたらくことはまずなかった。教会には欠かさず通った。
ハーバードの理事としての活動も手を抜いていない(58)。どうしてそうできたのかと質問すると、こう答えてくれた。
「それほどむずかしいことではなかったのだ。適切な人を集める能力が高く、適切な人材を適切な場所にあてていたので、昼も夜も長時間はたらかなければならない状況にはならなかった。
コールマン〔モックラー〕が成功を収め、生活のバランスをうまくとれた秘訣はここにある」。モックラーとはオフィスで会うのとおなじぐらい、金物店で会うことが多かったという。
「自宅や庭をぶらぶら歩き回って、あちこちを直すのをほんとうに楽しんでいた。そうやって気分転換する時間をいつでも見つけ出せるようだった」。
夫人も話してくれた。
「コールマンが亡くなったとき、みなで葬儀に行ったが、そのとき礼拝堂の中を見渡して、故人への愛情が満ちていると感じた。
時間のほとんどを愛情をもって接してくれる人たち、仕事を愛する人たち、互いに愛し合っている人たちとともにすごしてきた。
職場でも、自宅でも、社会活動の場でも」この話はぴんとくるものであった。
偉大な企業への飛躍を導いた経営陣には、うまくは説明できないが、あきらかに他の人たちと違う部分があったからだ。
フィリップ・モリスのジョージ・ワイスマンとのインタビューの最後に、わたしはこう話した。
「会社での話を聞いていると、恋愛の話をされているような印象を受けた」。
ワイスマンは笑みを浮かべた。
「そう。結婚のとき以外では、あれが人生でいちばん熱烈な恋愛だった。こんな話を理解してくれる人はそう多くはないだろうが、会社の同僚なら分かってくれると思う」。
ワイスマンらの経営幹部の多くは引退後も長く本社内にオフィスを維持し、頻繁に出掛けている。
世界本社には、「過去の魔法使いの殿堂」と呼ばれる一画がある(59)。
ワイスマン、カルマン、マクスウェルらがここにあるオフィスを頻繁に訪れている。それも大部分、仲間に会うのが楽しいからなのだ。キンバリー・クラークのディック・アパートもインタビューでこう語っている。
「キンバリー・クラークではたらいた四十一年間に、社内で不親切なことを言われた経験は一度もない。雇われたとき、わたしは神に感謝した。素晴らしい人たちとともにはたらけるからだ。尊重しあい、尊敬しあっている素晴らしい人ばかりだ」(60)
偉大な企業への飛躍を導いた経営陣に加わっていた人たちは、終生の友になる傾向がある。ともにはたらいた時期から数年たち、数十年たっても、密接に連絡をとりあっていることが多い。
これらの人たちから転換期の話を聞くと、おどろかされる。どれほど苦しい時期にも、どれほど大きな課題でも、仕事を楽しんでいたのである。
一緒にいるのが楽しく、顔を合わせる日が早くこないかと思っていた。良好から偉大に飛躍した時期が、人生のなかでいちばん充実していた時期だったと語る人が多い。
この時期にともにはたらいたことで、互いに尊敬しあうようになっただけでなく、終生の友になったのだ。
「最初に人を選ぶ」原則に忠実なことが、偉大な企業と素晴らしい人生の密接な関係を作りだしているとも思える。
何を達成できたとしても、時間の大部分を愛情と尊敬で結ばれた人たちとすごしているのでなければ、素晴らしい人生にはならないからである。
愛情と尊敬で結ばれた人たち、おなじバスに乗っているのが楽しい人たち、失望させられたりはしない人たちと時間の大部分をすごしていれば、バスの行く先がどこであろうと、まず間違いなく素晴らしい人生になる。
インタビューの結果からいうなら、飛躍した企業の経営幹部はあきらかに仕事を愛していた。そして、それは主に、ともにはたらく人たちに愛情をもっていたからだ。
章の要約最初に人を選び、その後に目標を選ぶ要点・偉大な企業への飛躍を導いた指導者は、まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、つぎにどこに向かうべきかを決めている。
・この章の要点は適切な人材を集めることだけではない。「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をすべきか」を決める。
ビジョンも、戦略も、戦術も、組織構造も、技術も、「だれを選ぶか」を決めた後に考える。「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をすべきか」を決める。
この原則を厳格に一貫して適用する。
・比較対象企業は、「一人の天才を一千人で支える」方式をとっている場合が多い。天才的な指導者がビジョンを確立し、ビジョンを実現するために有能な兵士を集める方式である。
この方式は天才が退けば崩れる。
・飛躍を導いた指導者は、人事の決定に厳格であって冷酷ではない。業績向上の主な戦略としてレイオフやリストラを使うことはない。比較対象企業はレイオフをはるかに頻繁に使っている。
・人事の決定で厳格になるための実際的な方法を三つ見つけ出した。
㈠疑問があれば採用せず、人材を探しつづける(関連する点として、成長の最大のボトルネックは何よりも、適切な人びとを採用し維持する能力である)。
㈡人を入れ換える必要があることが分かれば、行動する(関連する点として、まず、坐っている席が悪いだけなのかを確認する)。
㈢最高の人材は最高の機会の追求にあて、最大の問題の解決にはあてない(関連する点として、問題の部門を売却する決定をくだしたとき、優秀な人たちを一緒に売り渡してはいけない)。
・偉大な企業への飛躍を導いた経営陣は、最善の答えを探し出すために活発に議論し、方針が決まれば、自分が担当する部門の利害を超えて、決定を全面的に支持する人たちで構成されている。
意外な調査結果・経営陣の報酬と飛躍とを結び付けるような一貫したパターンは発見できなかった。
報酬制度の目的は、不適切な人びとから正しい行動を引き出すことにはなく、適切な人をバスに乗せ、その後もバスに乗りつづけてもらうことにある。
・「人材こそがもっとも重要な資産だ」という格言は間違っている。
人材は最重要の資産ではない。
適切な人材こそがもっとも重要な資産なのだ。
・どういう人が「適切な人材」なのかは、専門知識、学歴、業務経験より、性格と基礎的能力によって決まる。
コメント