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第五章単純明快な戦略──針鼠の概念

目次

第五章単純明快な戦略──針鼠の概念

汝自身を知れ。

アポロ神殿に書かれた言葉、プラトンによる(1)

読者は針鼠だろうか、それとも狐だろうか。

アイザイア・バーリンは有名な随筆「針鼠と狐」で、世間には針鼠型の人と狐型の人がいると指摘した。

これは古代ギリシャの寓話、「狐はたくさんのことを知っているが、針鼠はたったひとつ、肝心要の点を知っている」に基づいたものだ(2)。

狐は賢い動物で、複雑な作戦をつぎつぎに編み出して、針鼠を不意打ちにしようとする。

昼も夜も、針鼠の巣の周囲をうろつき、完璧の機会をとらえて襲いかかろうとしている。

狐は動作が俊敏で、毛並みが美しく、足が速く、頭が良く、針鼠ごときに負けるはずがないと思える。

対する針鼠は何とも冴えない動物で、山荒とアルマジロの間の子のような姿形だ。

短い足でちょこちょこ歩き、餌を探し、巣を守るだけの単純な生活をおくっている。

狐は針鼠の通り道のすぐ近くにひそんで、息をころしている。

針鼠は餌探しに熱中していて、狐の狙い通りの場所にやってくる。

「よし、今度こそ仕止めてやる」。

狐は地面を蹴って、目にもとまらぬ速さで飛びかかる。

ちっぽけな針鼠は殺気を感じ、目をあげる。

「またまたお出ましだ。

何度失敗しても懲りない奴だなあ」。

身体を丸めて、小さな球のようになる。

鋭い針がどの方向にも突き出している。

獲物を目の前にした狐は、針鼠の防御態勢をみて飛びかかるのを諦める。

だが森の中に引き返しながら、もう次の作戦をあれこれ考えている。

針鼠と狐の戦いは毎日、少しずつ形を変えて繰り返される。

狐の方がはるかに知恵があるのに、勝つのはいつも針鼠だ。

バーリンはこの短い寓話に基づいて、人間を狐型と針鼠型という二つの基本型に分類した。

狐型の人たちはいくつもの目標を同時に追求し、複雑な世界を複雑なものとして理解する。

「力を分散させ、いくつもの動きを起こしており」、全体的な概念や統一のとれたビジョンに考えをまとめていこうとはしない。

これに対して針鼠型の人たちは、複雑な世界をひとつの系統だった考え、基本原理、基本概念によって単純化し、これですべてをまとめ、すべての行動を決定している。

世界がどれほど複雑であっても、針鼠型の人たちはあらゆる課題や難題を単純な、そう、単純すぎるほど単純な針鼠の概念によってとらえる。

針鼠型の人たちにとって、針鼠の概念に関係しない点は注目するに値しない。

プリンストン大学のマービン・ブレスラー教授とはよく話し込むことがあるが、そんな機会のひとつに教授が針鼠の強さを指摘した。

「大きな影響を与える業績を残した人たちと、同じように優秀でもそれほどの影響を与えられなかった人たちとの間に、どのような違いがあるか、分かるだろうか。

偉人は皆、針鼠なのだ」。

フロイトは無意識の世界に、ダーウィンは自然選択に、マルクスは階級闘争に、アインシュタインは相対性原理に、アダム・スミスは分業に、それぞれ関心を集中させている。

いずれも針鼠なのだ。

複雑な世界について考え抜き、単純化してとらえている。

「偉大な足跡を残した人たちはかならず、『素晴らしい見方だが、単純化しすぎだ』という批判を受けている」(3)針鼠型の人たちはもちろん、愚かではない。

まったく逆である。

理解を深めていけば、本質は単純であることを知っているのだ。

相対性理論のe=mcほど単純な公式がありうるだろうか。

無意識をイド、自我、超自我で説明することほど単純な考えがありうるだろうか。

アダム・スミスのピン製造所と「見えざる手」ほど簡潔な説明がありうるだろうか。

針鼠型の人たちは愚かなのではない。

本質を深く見抜く力をもっているために、複雑さの奥にある基本的なパターンを把握できるのだ。

針鼠型の人たちは本質を見抜き、本質以外の点を無視する。

針鼠と狐の話が、偉大な企業への飛躍とどのような点で関係があるのだろう。

答えはこうだ。

すべての点で関係がある。

偉大な企業への飛躍を導いた経営者は、程度の違いはあっても、全員が針鼠型である。

針鼠型の考え方によって、「針鼠の概念」とわれわれが呼ぶようになったものを、それぞれの会社に合わせて確立している。

比較対象企業を率いた経営者は狐型が多く、針鼠の概念にみられる単純明快さの利点を獲得できず、力が分散し、焦点がぼけ、方針に一貫性がなくなっている。

ウォルグリーンズVSエッカード

ウォルグリーンズとエッカードについて考えてみよう。

前述のように、ウォルグリーンズは一九七五年末から二〇〇〇年までの株式運用成績が市場平均の十五倍になり、GE、メルク、コカ・コーラ、インテルなどの優良企業を軽く上回る実績をあげている。

同社のように無名で、退屈だとすらいわれそうな企業にしては、おどろくべき実績である。

コーク・ウォルグリーンとのインタビューで、わたしはこの偉大な実績をあげてきた理由をもっと掘り下げて、われわれが理解できるようにしてほしいと、繰り返し求めた。

最後に、ウォルグリーンは少々苛立ちながら、こう語った。

「そんなに複雑な話ではない。

概念がつかめたら、後はひたすら真っ直ぐに進んできただけだ」(4)ではどのような概念なのか。

じつに単純な概念である。

もっとも便利な最高のドラッグ・ストアで、来客一人当たりの利益を最大限に増やす。

これだけだ。

この戦略で突破口を開き、インテルやGEやコカ・コーラやメルクを上回る実績をあげてきた。

ウォルグリーンズは針鼠型の典型ともいえるスタイルで、この単純な概念を採用し、熱狂的ともいえるほど一貫して実行していった。

利便性が劣る立地の店舗を組織的に、利便性がすぐれた立地に移転した。

理想は角地であり、どの方向からもすぐに出入りできる店舗である。

立地条件がよく、収益性が高い店舗からほんの半ブロックのところにある角地に空きができた場合、賃借契約の解約にたとえ百万ドルかかっても、その店舗を閉じて、角地に新店舗を開く(5)。

ドライブスルー薬局という新しい業態を実験し、消費者の受けがよかったことから、数百店を開店した。

都市部では店舗を密集させ、どこからでも数ブロック歩けばかならず店舗があるようにする方針を掲げている(6)。

たとえばサンフランシスコの中心街では、半径一マイルに九つの店舗を設けている。

九店舗だ(7)。

くわしくみていくと、いくつかの都市ではウォルグリーンズの店舗が、シアトルのスターバックス店と変わらないほどの密集している。

この利便性の概念は、来客一人当たりの利益という単純な財務上の概念と結び付いている。

店舗の密集(一マイル以内に九店舗もの密集)によってそれぞれの地区で数量効果を確保し、それによって生み出した資金を投資してさらに店舗を密集させる。

それによって来客数をさらに増やす。

一時間の写真現像・焼き付けサービスなど、粗利益率の高いサービスをくわえて、来客一人当たりの利益を増やす。

利便性が高くなれば来客数が増え、そのうえ来客一人当たりの利益が増えているので、キャッシュフローが増えて、さらに便利な店舗を建設できる。

同社はこの信じがたいほど単純なアイデアに基づいて、一店舗ずつ、一ブロックずつ、一都市ずつ、一地方ずつ、針鼠の概念を徹底させていった。

経営の流行をあおる人たち、ビジョンの賢明さを売り込む人たち、大風呂敷を広げる未来学者、恐怖心をあおる人たち、動機付けの妙薬を説く経営の教祖などが氾濫しているいま、たったひとつの単純な概念を打ち立て、想像力を発揮してそれを見事に実行に移し、目ざましい実績をあげた企業をみると、胸がすくようだ。

利便性の高いドラッグストアで世界一になり、来客一人当たりの利益を着実に増やしていく。

これほど明白で単純明快な概念があるだろうか。

しかし、この方針が明白だし、単純明快なものであるとするなら、エッカードはどうして同じ方針をとらなかったのだろうか。

ウォルグリーンズが利便性と密集の概念を実現できる都市だけに事業を集中させているのに対して、エッカードでは、これに似た一貫性のある成長戦略が確立されていたことを示す事実は見あたらなかった。

エッカードの経営陣は根っからの買収屋であり、店舗をまとめて買収する機会につぎつぎに飛びついていった。

全体を統一する明確な概念をもたないまま、ここで四十二店、あそこで三十六店と、手当たり次第に店舗を買収していった。

ウォルグリーンズの経営陣は、収益性の高い成長を達成するには針鼠の概念にあわない部分をすべて取り除いていく必要があることを理解していた。

これに対してエッカードの経営陣は成長のための成長を追い求めた。

一九八〇年代初め、ウォルグリーンズが利便性の高いドラッグストアの概念の実現に熱狂的ともいえるほどの熱意で取り組むようになったころ、エッカードはアメリカン・ホーム・ビデオを買収してビデオ市場に参入した。

エッカードのCEOは一九八一年にフォーブス誌のインタビューで、「事業を絞り込むほど強くなると感じている人もいる。

しかしわたしは成長を求めている。

ホーム・ビデオ産業は急成長していて、その点で、たとえばドラッグストア・チェーンとは違っている」と語っている(8)。

この新規事業は結局三千百万ドルの損失を出した後、タンディに売却することになった。

タンディは簿価より七千二百万ドル低い価格で買収できたと自慢している(9)。

エッカードがアメリカン・ホーム・ビデオを買収した年、ウォルグリーンズとエッカードは売上高がどちらも十七億ドルで、ほぼ並んでいた。

十年後にはウォルグリーンズは売上高でエッカードの二倍になり、この十年間の累積純利益はエッカードより十億ドルも多かった。

二十年後には、ウォルグリーンズはさらに強くなり、今回の調査対象企業のなかでも偉大な業績がとくに長続きしている。

一方のエッカードはJ・C・ペニーに買収されて独立を失っている(10)。

三つの円

針鼠の概念が生まれたのは、調査チームの会議で、ウォルグリーンズの目ざましい実績の背景を理解しようと議論していたときである。

わたしは質問した。

「要するに戦略があったということではないのか。

利便性の高いドラッグストア、来客一人当たりの利益、これは要するに基本戦略ではないのか。

基本戦略がどうして、それほど面白いといえるのだろうか」両社の比較分析を担当したジェニー・クーパーが発言した。

「しかし、エッカードも戦略をもっていた。

だから、戦略を確立していただけだとはいえない。

両社とも戦略をもっていたのだから」。

この見方は正しかった。

戦略を確立していた点だけでは、飛躍を遂げた企業と比較対象企業に違いがあったとはいえない。

どちらの企業も戦略的計画をたてていたし、飛躍した企業の方が戦略の開発と長期計画の策定に時間とエネルギーをかけたといえる事実はまったくなかった。

「だったら、良い戦略と悪い戦略の違いなのだろうか」ここで全員がしばし考え込んだ。

そしてリー・ウィルバンクスが発言した。

「しかし、とくに目立つのは、信じがたいほどの単純さだ。

クローガーのスーパーマーケットの概念にしても、キンバリー・クラークの消費者向け紙製品市場への注力にしても、ウォルグリーンズの利便性の高いドラッグストアにしても、どれも単純で単純で、思い切り単純なアイデアだ」これをきっかけに調査チームの全員が議論にくわわり、各自が担当した企業でもおなじことがいえると語った。

すぐに十分に明らかになった点だが、飛躍した企業はすべて、きわめて単純な概念を確立して、これを判断基準としてすべての決定をくだしていた。

そしてこの概念の確立の時期は、実績が飛躍をはじめた時期に一致していた。

一方、比較対象企業はエッカードにみられるように、成長のための派手な戦略によって足をすくわれている。

そこでわたしはふたたび質問した。

「話は分かったが、単純なだけで十分なのだろうか。

単純だからといって、正しいとはかぎらない。

単純だが間違った考えをいだいていた企業が失敗した例は、山ほどあるではないか」こうしてわれわれは、飛躍した企業と比較対象企業の間に、経営を導く概念にどのような違いがあるのかを組織的に調査することにした。

数か月にわたって情報を選り分け、整理し、さまざまな可能性を検討しては捨て去った結果、ようやくひとつの結論を導き出すことができた。

飛躍を遂げた企業が確立した針鼠の概念はいずれも、単純でありさえすればいいという性質のものではなかった。

偉大な実績に飛躍した企業と比較対象企業との間には、戦略に二つの基本的な点で決定的な違いがあった。

第一に、飛躍した企業では、戦略の策定の基礎として、三つの主要な側面を深く理解している。

これらの側面をわれわれは、「三つの円」と呼ぶようになった。

第二に、飛躍した企業では、この深い理解を単純で明快な概念にまとめ、この概念をすべての活動の指針にしている。

これが「針鼠の概念」である。

つまり、針鼠の概念は単純で明快な概念であり、以下の三つの円が重なる部分に関する深い理解から導き出されている。

㈠自社が世界一になれる部分はどこか(同様に重要な点として、世界一になれない部分はどこか)。

この基準は、中核的能力がどこにあるかよりもはるかに厳しい。

中核的能力があっても、その部分で世界一になれるとはかぎらない。

逆に、世界一になれる部分は、その時点で従事していない事業かもしれない。

㈡経済的原動力になるのは何か。

飛躍した企業はいずれも、鋭い分析によって、キャッシュフローと利益を継続的に大量に生み出すもっとも効率的な方法を見抜いている。

具体的には、財務実績に最大の影響を与える分母をたったひとつ選んで、「X当たり

利益」という形で目標を設定している(非営利事業であれば、「X当たり年間予算」になるだろう)。

㈢情熱をもって取り組めるのは何か。

偉大な企業は、情熱をかきたてられる事業に焦点を絞っている。

どうすれば熱意を刺激できるのかではなく、どのような事業になら情熱をもっているかを見つけ出すことがカギになっている。

三つの円を素早く理解するには、企業についてではなく、自分の仕事について考えてみるといい。

以下の三つの基準に合う仕事ができると考えてみよう。

第一に、持って生まれた能力にぴったりの仕事であり、その能力を活かして、おそらくは世界でも有数の力を発揮できるようになる(自分はこの仕事をするために生まれてきたのだと思える)。

第二に、その仕事で十分な報酬が得られる(これをやってこんなにお金が入ってくるなんて、夢のようではないかと思える)。

第三に、自分の仕事に情熱をもっており、仕事が好きでたまらず、仕事をやっていること自体が楽しい(毎朝、目が覚めて仕事に出掛けるのが楽しく、自分の仕事に誇りをもっている)。

この三つの円が重なる部分を見つけ出し、それを単純で明快な概念にまとめて自分の指針にすることができれば、自分の人生を導く針鼠の概念を確立できたことになる。

針鼠の概念を完成させるには、この三つの円のすべてが必要である。

巨額の利益を確保できるが、世界一にはなれない事業を行っているのであれば、成功を収めることはできても、偉大にはなれない。

ある事業で世界一になれても、その事業にもともと情熱をもっているわけではないのであれば、世界一の地位を維持することはできない。

最後に、その事業に情熱を燃やしていても、世界一になれないか、財務面に問題があれば、事業を楽しむことはできても、まさに偉業といえる実績をあげることはできない。

世界一になれる部分となれない部分

「自分たちが理解している部分に全力を集中し、自負心によってではなく、自分たちの能力によって何をするかを決めている」(11)。

ウォーレン・バフェットは、銀行業界の先行きには深刻な懸念を持ちながら、ウェルズ・ファーゴに二億九千万ドルを投資したとき、こう書いている(12)。

ウェルズ・ファーゴは針鼠の概念を確立するまで、世界的な銀行になることを目標にシティコープに追随していた。

それも凡庸な追随者にすぎなかった。

その後、まずはディック・クーリーのもと、つぎにカール・ライヒャルトのもと、経営陣がいくつかの鋭い問いをたてるようになった。

どこにも負けない事業にできる部分はどこなのか、そして同様に重要な問いとして、どこにも負けない事業にならない部分はどこなのか。

そして、最高になれないのであれば、その事業にかかわる意味がはたしてあるのか。

こうして同行の経営陣は自負心を棚上げにして、国際事業の大部分から撤退し、世界的な銀行事業ではシティコープに勝てない事実を受け入れた(13)。

そのうえで、自行が世界一になりうる部分に関心を集中させた。

銀行をビジネスとして経営すること、それもアメリカ西部に事業地域を絞り込んで経営することである。

正解であった。

これが針鼠の概念になって、ウェルズ・ファーゴはシティコープに追随する凡庸な銀行から、世界有数の好業績をあげる銀行に飛躍できた。

転換点のCEO、カール・ライヒャルトは、まさに針鼠型の典型だといえる。

バンク・オブ・アメリカのCEOが規制緩和に直面してパニックに陥り、反動と革命の間を揺れ動き、複雑なモデルと時間のかかる集団療法を使う経営変革の教祖を雇ったのに対して、ライヒャルトは複雑さをすべてはぎとって、肝心要の単純な概念を提示した(14)。

われわれのインタビューでこう語っている。

「宇宙科学のようなむずかしい話ではない。

われわれの動きはきわめて単純であり、単純にしてきた。

あまりに単純で自明なことなので、それについて話すのが滑稽に思えるほどだ。

競争が熾烈な産業、規制のない産業から銀行業界に移った経営者なら、ごく並みの人でも、雀が夏虫の群れに飛びつくように、この戦略に飛びつくだろう」(15)ライヒャルトはこの単純な針鼠の概念を徹底して追求するよう求め、「カリフォルニア州モデストの方が東京よりも利益があがる」と繰り返し語っている(16)。

ライヒャルトには単純化の素晴らしい才能があると、周囲の人たちが驚嘆している。

部下のひとりはこう語っている。

「オリンピックの高飛び込みに出場したら、五回転ひねりとかはやらないだろう。

世界一のスワン・ダイブを完璧に、何回も披露するだろう」(17)ウェルズ・ファーゴは針鼠の概念に徹底して注力したので、この概念が「お題目」になったという。

われわれのインタビューでも、経営陣が皆、同じ基本について語っている。

「そんなに複雑なことはしていない。

事業の現実を直視して、どこにも負けない事業にできると分かっている少数の部分に全力を集中した。

自負心を満足させることはできても、最高にはなれない分野には、注意を分散させないようにした」ここから、この章でもとくに重要な点を導き出せる。

針鼠の概念は、最高を目指すことではないし、最高になるための戦略でもないし、最高になる意思でもないし、最高になるための計画でもない。

最高になれる部分はどこかについての理解なのだ。

この違いは、まさに決定的である。

どの企業も、何らかの点で最高になりたいと願っている。

しかし、自負心で目を曇らせることなく現実を厳しく見つめ、世界一になれる部分がどこなのか、そして、同様に重要な点として、世界一になれない部分がどこなのかをほんとうに理解している企業は少ない。

そしてこの点こそが、飛躍を達成した企業と比較対象企業とを隔てる主な違いのひとつなのだ。

アボット・ラボラトリーズとアップジョンの違いを考えてみよう。

一九六四年には、両社は売上高、利益、製品構成のどれをとっても、きわめてよく似ていた。

両社とも事業のかなりの部分が医薬品であり、主に抗生物質であった。

両社とも家族経営であった。

両社とも医薬品業界の競争で後れをとっていた。

ところが一九七四年に、アボットは突破段階に入り、その後十五年間の株式運用成績が、市場平均の四・〇倍、アップジョンの五・五倍になった。

両社の決定的な違いのひとつは、アボットが最高になれる部分を認識して針鼠の概念を確立したのに対して、アップジョンがそうしなかったことである。

アボットは厳しい現実を直視することを出発点としている。

一九六四年には、医薬品業界で最高になる道は閉ざされていた。

四〇年代から五〇年代にかけて、アボットがエリスロマイシンという金のなる木に頼りきって惰眠をむさぼっていた間に、メルクなどの大手はハーバード大学やカリフォルニア大学バークリー校に匹敵する研究機関を作り上げていた。

一九六四年、ジョージ・ケインらのアボットの経営陣が気づいたときには、メルクなどの大手に研究体制で大きく水を開けられていて、医薬品業界で最高の企業になろうとするのは、高校のアメリカン・フットボール・チームが、ダラス・カウボーイズと戦おうとするようなものになっていた。

アボットは設立以来、医薬品事業を主力にしてきたのだが、最高の医薬品会社を目指すのは現実的ではなくなっていた。

そこで第

五水準の指導者に導かれ、ストックデールの逆説のうち確信の部分を用いて(偉大な企業になって勝利を収める道はあるに違いない、その道を探してみせる)、アボットの経営陣は世界一になれる部分を理解する努力を続けた。

一九六七年ごろ、カギが見つかった。

最高の医薬品会社になる機会は逃したが、医療のコスト効率を高める製品の開発では、一頭地を抜く企業になる機会があることが分かったのだ。

同社が開発を続けてきたものに病院用の栄養剤があり、手術後の患者が体力を素早く回復できるようにすることを狙っていた。

また、診断用の機器があり、医療コストを引き下げる主要な方法のひとつは診断を適切にすることである。

アボットはやがて、この二つの分野で第一位の地位を獲得し、医療のコスト効率を高める製品の開発で世界一の企業になる道を歩むようになった(18)。

アップジョンは同じ厳しい現実を直視せず、メルクをいつか追い抜く夢を見つづけていた(19)。

後に医薬品業界の大手にさらに引き離されたとき、プラスチックや化学品など、世界一にはなれるはずもない分野に事業を多角化した。

大手にさらに引き離されるようになって、今度は処方薬に事業を絞り込んだが、巨額のコストがかかる新薬開発競争で勝利を収めるには規模が小さすぎる事実を直視しようとはしなかった(20)。

アップジョンはアボットと比較して、売上高に対する研究開発費の比率がつねに二倍近くに達していたが、利益は半分以下に低迷し、一九九五年についに買収されている(21)。

アボットとアップジョンを比較すると、「中核事業」と針鼠の概念の違いがよく分かる。

ある事業が中核事業だからといって、何年にもわたり、ときには何十年にもわたって従事してきたからといって、それで世界一になれるとはかぎらない。

そして、中核事業で世界一になりえないのであれば、中核事業は針鼠の概念の基礎にはならない。

針鼠の概念はあきらかに、中核的能力と同じではない。

何らかの部分に能力があっても、それで世界一になれるとはかぎらない。

高校の数学でつねに最高の成績を収め、大学進学適性試験の数学でも点が高く、数学の能力の高さを示した学生について考えてみよう。

この学生は数学者になるべきなのだろうか。

そうとはかぎらない。

大学で数学を学び、やはり成績が良かったが、はるかに数学の才能に恵まれている人が何人もいることに気づいたとしよう。

そういう学生のひとりがこう語っている。

「期末試験の問題を解くのに、自分は三時間かかる。

ところが同じ問題を三十分で解いて、A+をとる学生がいる。

脳の構造が違うのだ。

自分は優秀な数学者にはなれるかもしれないが、最高にはなれないことにすぐに気づかされた」。

この学生は両親や友人から、「でも素晴らしい成績じゃない」と、数学を続けるように言われつづけるかもしれない。

このようにして、自分が完全には卓越できなかったり、望みの水準を達成できない仕事に引きつけられたり、おしこめられたりする人が多い。

「能力の罠」にとらわれ、明快な針鼠の概念を確立できない状態になって、偉大な業績をあげることはまずできない。

針鼠の概念で要求される基準はきわめて高い。

強みや能力を活かすことには止まらない。

自分の組織がほんとうに世界一になれる潜在力をもっている部分、それをいつまでも続けられる部分がどこにあるのかを理解しなければならない。

アップジョンにみられるように、比較対象企業は「良好」ではあっても偉大にはなれない分野にこだわるか、それ以上に悪い場合には、最高になる可能性がまったくない分野で、楽に成長し、楽に利益をあげる機会を追求しようとする。

利益は確保できても、偉大には決してなれない。

偉大な企業へと飛躍するには、「能力の罠」を克服しなければならない。

そのためには、「何かをうまくできるからといって、利益をあげていて成長しているからといって、それで最高になれるとかぎらない」と判断する規律がなければならない。

飛躍を遂げた企業は、無難な仕事を続けていても無難になれるだけであることを理解している。

どこにも負けない事業になりうる部分だけに注力することが、偉大な企業への唯一の道である。

飛躍した企業はいずれも、どこかの時点でこの原理を深く理解するようになり、最高になりうる狭い分野に資源を集中して将来をかけている(表を参照)。

比較対象企業はほとんどの場合、この点を理解していない。

針鼠の概念のうち「世界一になれる部分」この表は、飛躍を遂げた十一社が、飛躍の基礎になった針鼠の概念を確立する際に、各社が理解した点を示している。

注──これは、転換をはじめた時点ですでに各社が世界一だった点ではない(これら企業のほとんどは、世界一といえる点がどこにもなかった)。

世界一になれると理解した点を示している。

アボット・ラボラトリーズ医療コストを引き下げる製品の開発で世界一になれる。

注──売上構成比で九十九%を占めていた医薬品では世界一になれない現実を直視した(22)。

そこで、病院用栄養剤、診断用機器、病院用資材を中心に、医療コストの引き下げに寄与できる商品ラインの開発に焦点を変更した。

サーキット・シティ大型家電製品の販売にサービス、選択、節約、満足の「4Sモデル」を適用する点で世界一になれる。

注──大型家電製品の小売りで、地域的に分散した事業を遠隔管理して、マクドナルドに匹敵する企業になれると理解した。

同社の特徴は4Sモデルそのものにではなく、このモデルを一貫して見事に実行してきた点にある。

ファニーメイ住宅ローンに関連するすべての点で、世界一の資本市場参加者になれる。

注──決定的な理解は、第一にウォール街のどの企業にも負けない資本市場参加者になれること、第二にモーゲージ証券のリスク評価について他社にはない能力を開発できることの二点である。

ジレット高度な製造技術を必要とする日用品の世界的なブランドを確立する点で世界一になれる。

注──二つの大きく違った能力を組み合わせられることを理解した。

第一が耐久性がきわめて高い製品(たとえば剃刀の刃)

を低コストで大量に製造する能力がある。

第二に、世界的な消費者ブランドを築き、剃刀や歯ブラシの「コカ・コーラ」になる能力がある。

キンバリー・クラーク消費者向け紙製品で世界一になれる。

注──紙製品で「カテゴリー・キラー」のブランドを構築する潜在力があることに気づいた。

つまり、クリネックスのように、ブランド名がカテゴリーの名前と同一視されるようなブランドを構築できることを認識した。

クローガー革新的なスーパーマーケットで世界一になれる。

注──食品雑貨店の革新ではつねに強みをもっていた。

この能力を使って、革新的で粗利益率が高い「ミニ・ストア」を一か所に集めたスーパーマーケットの業態を作り上げた。

ニューコア企業文化と技術力を利用して、鉄鋼を低コストで製造する点で世界一になれる。

注──自社に二つの大きな強みがあることを認識した。

第一が業績重視の企業文化を築き上げる点、第二が将来性を見据えて新製造技術を採用する点である。

この二つを組み合わせて、アメリカでもっとも低コストの鉄鋼会社になることができた。

フィリップ・モリスタバコで、後にはその他の消費財で、ブランド・ロイヤルティを築く点で世界一になれる。

注──転換期の初期には、世界一のタバコ会社になれるとみていた。

後にタバコ以外の分野に事業を多角化したが(企業防衛のために、すべてのタバコ会社がおなじ戦略をとったが)、同社はビール、タバコ、チョコレート、コーヒーなどの「罪深い」製品と食品でブランドを構築する能力を活かすことに注力した。

ピットニー・ボウズ高度な事務機器を必要とする「メッセージ交換」の分野で世界一になれる。

注──郵便料金メーターからの事業拡大をいかにしてはかるかの問題に取り組んでいたとき、自社の強みについて二つの点を理解した。

第一に、自社を郵便関連事業の会社だととらえる必要はなく、もっと幅広くメッセージ交換関連事業の会社だととらえられる。

第二に、高度な機器を事務部門に提供する点でとくに強みをもっている。

ウォルグリーンズ利便性の高いドラッグストアで世界一になれる。

注──ドラッグストア事業ではあるが、同時にコンビニエンス・ストア事業でもあると考えた。

そこで利便性の高い立地を組織的に確保し、狭い地域に大量の店舗を密集させ、ドライブスルー薬局という新業態を開発した。

また、情報技術に巨額を投資し、最近ではインターネット・サイトも開発して、世界中のウォルグリーンズ店を結び、巨大な「街角の薬局」を作り上げた。

ウェルズ・ファーゴアメリカ西部に事業地域を絞り込んで、銀行をビジネスとして経営することで世界一になれる。

注──二つの決定的な点を理解した。

第一に、ほとんどの銀行は自分たちを銀行と考え、銀行のようにふるまい、銀行家の文化を守っている。

ウェルズ・ファーゴは自分たちがビジネスに従事していて、その対象がたまたま銀行業務であるにすぎないと考えた。

「ビジネスのように経営する」「自分が所有しているかのように経営する」が合言葉になった。

第二に、世界的な銀行として世界一になることはできないが、アメリカ西部では第一位になれることを認識した。

経済的原動力は何か

超優良に飛躍した企業は、何とも地味な産業で目ざましい実績をあげている場合が多い。

銀行株が市場のセクター別運用成績で下位四分の一に入っていた時期に、ウェルズ・ファーゴ株の運用成績は市場平均の四倍にのぼった。

それ以上に違いが大きいのはピットニー・ポウズとニューコアであり、どちらも下から五パーセントのセクターに属しているが、株式の運用成績が市場平均の五倍を軽く超えている。

飛躍した十一社のうち、偉大な産業(上位十パーセントの産業)に属していたのは一社だけだ。

五社は並みの産業の企業であり、残り五社は低迷している産業か、悲惨な産業の企業である(付録五Aの産業分析の要約を参照)。

今回の調査によって、偉大な産業で事業を行っていなければ偉大な企業になれないわけではないことが明確に示された。

飛躍した企業は、産業がどのような状況にあっても、経済的原動力を信じられないほど強めている。

これが可能になったのは、事業の経済的な現実を深く理解しているからである。

この本はミクロ経済の動向を扱うものではない。

企業ごとに、産業ごとに経済的な現実には違いがあり、この違いをくわしく論じていこうとは思わない。

ここで強調したいのは、飛躍を遂げた十一社がいずれも、それぞれの経済的な現実を深く理解し、経済的原動力を強化するカギを理解して、この理解に基づいて事業体制を構築していることである。

だがそれだけではない。

調査の過程でさらに刺激的な事実が浮かび上がってきた。

飛躍した企業はいずれも、この深い理解をたったひとつの「財務指標の分母」という形にまとめているのだ。

この点はこう考えると分かりやすい。

自社で「X当たり利益」(非営利事業なら「X当たり年間予算」)をたったひとつ、基準になる財務指標として採用し、これを長期にわたって一貫して上昇させていくことを目標にすると想定した場合、Xに何を選べば、自社の経済的原動力にもっとも大きく、もっとも持続的な影響を与えられ

るだろうかと。

このように問いを立てれば、組織の経済的な現実がどのような仕組みになっているのか、深く理解できることをわれわれは学んできた。

たとえばウォルグリーンズは、一店舗当たり利益など、業界で通常使われている財務指標を捨てて、来客一人当たり利益に焦点を合わせるようになった。

利便性のある立地に出店すればコスト高になるが、同社は来客一人当たり利益の増加に的を絞ったため、半径一マイル以内に九店舗を設けるほど、店舗の利便性を高めていくと同時に、チェーン全体の収益性を高めていくことができた。

通常の指標である一店舗当たり利益を重視すれば、利便性という概念と矛盾する(一店舗当たり利益を増やすには、店舗数を減らし、低コストで出店できる店に絞り込むのが、もっとも簡単な方法である。

これでは利便性という概念を破壊してしまう)。

ウェルズ・ファーゴの例を考えてみよう。

同行の経営陣は、規制緩和によって銀行業務が価格勝負になる厳しい現実を直視したとき、貸出一件当たり利益、預金一件当たり利益などの通常の財務指標がもはや財務実績を向上させるカギにはならないことに気づいた。

そこで、新たな指標として、従業員一人当たりの利益を採用した。

この見方に基づいて、同行は営業網をいち早く、簡素な支店と現金自動受払機(ATM)を中心とするものに変更していった。

カギになる分母は微妙な場合もあるし、ときには明白ではない場合もある。

ここで重要な点は、分母に関する問いを使って、自社の経済的現実に関する理解を深めることである。

たとえばファニーメイは、微妙な分母を採用して住宅ローンのリスク水準当たり利益を指標としており、住宅ローン一件当たりという「明白な」分母は使っていない。

じつに見事な選択である。

ファニーメイの経済を支えているのは、住宅ローンの債務不履行リスクを判断する能力がどの機関よりも高いことである。

この理解に基づいて、民間金融機関が貸し付けた住宅ローンを買い取り、元利返済を保証した証券にまとめ、リスクに見合ったスプレッドを上乗せして金融市場で売却する。

この事業についての深い理解に基づいた単純で、賢明で、正しい分母であり、明白ではない分母である。

たとえばニューコアは、価格競争が熾烈な鉄鋼業界で成功を収めるにあたって、鉄鋼製品一トン当たりの利益を指標としている。

一見、従業員一人当たりか、固定経費一ドル当たりが分母として適切なように思えるかもしれない。

だが、ニューコアの経営陣は、自社の経済的原動力の核心が、しっかりした労働観を特徴とする企業文化と先進的な生産技術の利用との組み合わせにあることを理解している。

従業員一人当たり利益や固定経費一ドル当たり利益を指標とした場合には、鉄鋼製品一トン当たり利益を指標にした場合ほどには、この二つの強みをとらえられない。

分母は一つでなければならないのだろうか。

かならずしもそうとはいえない。

だが、たったひとつに絞り込もうとする方が、分母を三つか四つまで絞り込めた段階で満足するより、理解が深くなることが多い。

分母に何を選ぶかという問いに答えようとすれば、自社の経済的原動力を強化するカギを深く理解しないわけにはいかなくなる。

今回の調査で分母の問いの重要性が明らかになってきたとき、われわれはいくつもの企業で、経営陣にこの問いを出して試してみた。

そして、この問いをきっかけに、熱心な議論と論争がかならず起こることが分かった。

さらに、経営陣がひとつの分母にまで絞り込めなかった場合でも(あるいは、ひとつの分母に絞り込むわけにはいかないと判断した場合でも)、この問いに答えようとしたことで、事業についての理解が深まっている。

そしてこの点こそが、重要なのだ。

ひとつの分母を選ばなければならないからひとつの分母を選ぶのではない。

自社の事業を深く理解して、事業の経済性をさらに強固にし、持続するものにすることこそが目標なのだ。

財務指標の分母飛躍を遂げた十一社が転換期に獲得した財務指標の分母に関する認識アボット財務指標の分母──従業員一人当たり認識──製品ライン当たりの利益から従業員一人当たり利益に変更。

医療コストの引き下げに寄与するとの考えによる。

サーキット・シティ財務指標の分母──地域当たり認識──一店舗当たり利益から地域当たり利益に変更。

地域ごとの規模の経済を反映させた。

店舗ごとの利益も引き続き重視したが、地域ごとに業績を考えるようになった点が決定打になって、サイロに差をつけることができた。

ファニーメイ財務指標の分母──住宅ローンのリスク水準当たり認識──住宅ローン一件当たり利益から住宅ローンのリスク水準当たり利益に変更。

金利リスクの管理によって、業績に対する金利動向の影響を軽減できるとの基本的な認識による。

ジレット財務指標の分母──顧客一人当たり認識──部門当たり利益から顧客一人当たり利益に変更。

反復購入(たとえばレーザー・カートリッジ)と製品一個当たり利益の多さ(たとえば使い捨て型ではない剃刀のマッハ3)の力を認識した結果である。

キンバリー・クラーク財務指標の分母──消費者向けブランド一つ当たり認識──固定資産(製紙工場)当たり利益から消費者向けブランド一つ当たり利益に変更。

景気循環型ではなく、景気が良いときも悪いときも収益性が高い。

クローガー財務指標の分母──地域の人口千人当たり認識──一店舗当たり利益から地域の人口千人当たり利益に変更。

地域市場でのシェアが食品雑貨店の採算を決めるとの認識

による。

地域市場シェアが一位か二位になれないのであれば、撤退する。

ニューコア財務指標の分母──鉄鋼製品一トン当たり認識──部門当たり利益から鉄鋼製品一トン当たり利益に変更。

生産性の高さをもたらす企業文化と電炉技術の組み合わせに注目し、数量だけを重視する姿勢をあらためた。

フィリップ・モリス財務指標の分母──世界的なブランド・カテゴリー当たり認識──営業地域当たり利益から世界的なブランド・カテゴリー当たり利益に変更。

コカ・コーラのように世界的に力のあるブランドこそが偉大さを達成する際にカギになるとの認識による。

ピットニー・ボウズ財務指標の分母──顧客一社当たり認識──郵便料金メーター一台当たり利益から顧客一社当たりに変更。

郵便料金メーターを足掛かりに、幅広い高度な製品を顧客の事務部門に提供できるとの認識による。

ウォルグリーンズ財務指標の分母──来客一人当たり認識──一店舗当たり利益から来客一人当たり利益に変更。

利便性が高くコストが高い立地と持続可能な経済性の両立を認識した結果である。

ウェルズ・ファーゴ財務指標の分母──従業員一人当たり認識──ローン一件当たり利益から従業員一人当たり利益に変更。

規制緩和によって銀行業務が価格勝負になる厳しい現実を認識したため。

飛躍した企業はいずれも、カギになる分母をひとつ見つけ出している。

そして比較対象企業はほとんどの場合、これを見つけ出していない。

もっとも、比較対象企業のうち一社だけは例外であり、自社の経済的原動力を深く理解している。

この企業、ハスブロが業績を伸ばしたのは、GIジョーやモノポリーのような定番の玩具やゲームの方が、一時的な大ヒット商品よりもキャッシュフローを着実に生み出せることを見抜いたからである(23)。

ハスブロは比較対象企業のなかでただ一社、針鼠の概念の三つの円をすべて理解していた。

長年親しまれてきた定番の玩具を買収し、復活させ、時機を見計らって再発売し、手直しして、ブランド当たりの利益を増やしていった。

そして、経営陣や従業員は自社の事業に熱意を燃やしていた。

三つの円についての理解に基づいて組織的に事業を構築していき、今回調査した比較対象企業のなかで、もっともすぐれた実績をあげている。

針鼠の概念の力をさらに示す事例になっている。

ハスブロが偉大な企業への道を持続できなかった一因は、CEOのスティーブン・ハッセンフェルドが急逝した後、三つの円の中に止まる規律を失ったことにある。

ハスブロの事例は、きわめて重要な教訓になる。

この本に示した考えをうまく適用し、その後に適用をやめた場合、偉大な企業から平凡な企業に後退するし、もっと悪い状態に後退することもあるのだ。

偉大な企業でありつづけるには、それをもたらした原則を守りつづけるしかない。

情熱を理解する

フィリップ・モリスの経営陣にインタビューを行ったとき、われわれは事業への情熱が強烈なことにおどろかされた。

最初に人を選ぶ原則を扱った第三章で紹介したように、ジョージ・ワイスマンは同社での仕事について、結婚のとき以外では、人生でいちばん熱烈な恋愛だったと話している。

同社は消費財のなかでとくに罪深いとされている製品を扱っており、タバコのマルボロ、ビールのミラー、脂肪分六十七パーセントのチーズのベルビータ、カフェイン中毒の人が飲むマクスウェル・ハウス・コーヒー、チョコレート中毒の人が食べるトブローネなどがあるが、同社の人びとは事業に強烈な情熱をもっている。

経営陣のほとんどは、自社製品の熱心な愛好者だ。

一九七九年、同社副会長で愛煙家のロス・ミルハイザーは、「わたしはタバコが好きだ。

人生を、生きる価値があるものにしてくれる」と語っている(24)。

フィリップ・モリスの人たちは自社に愛情をもっており、自社の事業に情熱をもっている。

マルボロの広告にあるように、一匹狼で、独立精神が旺盛なカウボーイこそが自分の姿だと考えているようだ。

われわれには喫煙の権利があり、われわれはこの権利を守ると主張しているのだ。

前回の調査で、取締役のひとりがこう語った。

「フィリップ・モリスの取締役会の一員になっているのは、ほんとうにうれしい。

ほんとうに特別な集団に属していると感じられる」。

そう話して、この取締役は誇らしげに煙を吐き出した(25)。

こう思う読者もいるだろう。

「タバコ産業が追い詰められているからにすぎない。

そう考えるのが当然だ。

そう考えなければ、夜も眠れない」。

しかし忘れてはならない点がある。

R・J・レイノルズもタバコ会社であり、やはり非難を浴びている。

しかしフィリップ・モリスとは違って、同社の経営陣はタバコからの事業多角化をはかり、成長が見込める分野ならどんな分野の事業でも買収している。

その事業に情熱をもてるのか、その分野で世界一になれるのかといった点は、考えもしない。

フィリップ・モリスはタバコに近い分野に事業を絞り込んでおり、これは主にタバコ事業が好きだからだ。

これに対してR・J・レイノルズの経営陣は、タバコ事業を金儲けの手段だとしか考えていない。

ブライアン・バローとジョン・ヘルヤーの『野蛮な来訪者』に鮮明に描かれたように、R・J・レイノルズの経営陣はLBOによって自分たちが金持ちになること以外には情熱をもたなくなった(26)。

「情熱」のようにとらえどころがない心理的な点を、戦略の枠組みのなかの不可欠な要素のひとつとして論じるのは、場違いだと思えるかもしれない。

しかし、飛躍した企業ではいずれも、情熱が針鼠の概念に不可欠な要素になっている。

情熱は作りだせるもので

はない。

「動機付け」によって情熱を感じるよう従業員を導くこともできない。

自分が情熱をもてるもの、周囲の人たちが情熱をもてるものを発見することしかできない。

偉大な実績への飛躍を遂げた企業は、「会社の事業に皆で情熱を傾けよう」と呼びかけたわけではない。

正反対の賢明な方法をとっている。

つまり、自分たちが情熱を燃やせることだけに取り組む方針をとっている。

キンバリー・クラークの経営陣が消費者向け紙製品事業に移行したとき、この事業の方が情熱をもてることが大きな理由であった。

ある経営幹部は、それまでの主力だった製紙事業も悪くはないが、「紙おむつのようなカリスマ性がない」と語っている(27)。

ジレットの経営陣が技術的に高度で比較的高価な髭剃り用製品の開発を選択し、薄利多売の使い捨て型製品での戦いから抜け出したのは、かなりの部分、安価な使い捨て剃刀の事業には情熱を燃やすことができなかったからだ。

「ザイエンは髭剃り用製品について語るとき、ボーイングやヒューズの技術者ならこう話すだろうと思えるほど、技術の話に夢中になる」と、一九九六年にあるジャーナリストがジレットのCEOについて書いている(28)。

同社は針鼠の概念にぴったりの事業に固執しているときに、もっとも力を発揮している。

「ジレットの事業に情熱をもたない人は、同社に応募すべきではない」と、ウォール・ストリート・ジャーナル紙が伝えた。

この記事には、名門の経営学大学院の卒業生が、デオドラントへの情熱を十分に示さなかったとして採用されなかった例が紹介されている(29)。

おそらく、デオドラントには熱心になれないという読者も多いだろう。

医薬品やドラッグストアやタバコや郵便料金メーターに情熱をもつとは考えにくいと思うかもしれない。

銀行をマクドナルドのように効率化することに熱中したり、紙おむつがカリスマ的だと考えたりするのは、いったいどういう人物なのだろうと首をひねるかもしれない。

だが、それは問題ではない。

重要なのは、これら企業の人たちが自社の事業に情熱をもち、しかも強烈な情熱、心からの情熱をもっていることである。

とはいっても、事業の過程自体に情熱をもっていなければならないわけではない(もっている場合もあるだろうが)。

情熱は、自社の役割に対するものであってもよい。

たとえばファニーメイの人たちは、住宅ローンをまとめて市場性のある証券にする過程に情熱を燃やしているわけではない。

しかし、あらゆる階層、あらゆる出身、あらゆる人種の国民が、住宅を持つというアメリカン・ドリームを実現できるように助力する目標に、おどろくほどの情熱を傾けている。

リンダ・ナイトは一九八三年、ファニーメイにとっての最悪期に同社に入っており、われわれのインタビューでこう話してくれた。

「古くからの企業が経営困難に陥った話はいくらでもあるが、ファニーメイは特別だ。

アメリカの国民が住宅を買う夢を実現しようとするとき、その中心に位置している。

この役割は、金を儲けることよりはるかに重要だ。

だからこそ、わたしはこの会社を維持し、守り、強化することに強い使命感を感じている」(30)。

別の経営幹部はこう語っている。

「当社はアメリカ社会の構造を強化する点で主要な役割を果たしているとみている。

以前には荒廃していたが、持ち家比率が上昇して復活した地域を車で通るたびに、わたしははりきって仕事に取り組めるようになる」

虚勢ではなく現実の認識

調査チームの会議では、「針鼠前」の状態と「針鼠後」の状態の違いが頻繁に話題になった。

針鼠前の状態は、霧のなかを手さぐりで進むようなものだ。

長い遠征で前進してきたのはたしかだが、状況がよくわからない。

分かれ道にぶつかるたびに、先がほとんど見えない状態で、慎重にゆっくりと進まなければならなくなる。

ところが針鼠の概念を確立すると、霧は晴れ、見通しもよくなり、何キロも先まではっきりと見えるようになる。

分かれ道でどちらに行くか迷うことも少なくなる。

恐る恐るの前進が並み足になり、並み足が駆け足になる。

針鼠後の状態では、何キロもの道のりもあっという間になり、以前なら濃霧に包まれて判断に迷った分かれ道でも、進路に迷うことはない。

比較対象企業で何とも印象的な点は、繰り返し改革の方針を掲げ、腕を振り上げて改革を説き、カリスマ的なリーダーが活躍しているが、霧のなかの手さぐり状態からめったに抜け出せていないことだ。

駆け足で進もうと努力するが、分かれ道で判断を間違え、しばらくたって引き返すしかなくなる。

あるいは、道を完全に見失って、木にぶつかったり、谷底に転げ落ちたりする(もっとも、その際にも動きは速いし、堂々としているのだが)。

偉大な企業にとってきわめて単純で明快な世界が、比較対象企業にとっては複雑だし、霧に包まれている。

なぜなのか。

理由は二つある。

第一に、比較対象企業は適切な問い、二つの円で示された問いを立てていない。

第二に、目標と戦略を設定するにあたって、現実の理解に頼るのではなく、虚勢に頼っている。

比較対象企業でこの点がどこよりも目立つのは、成長を闇雲に追求していることである。

比較対象企業の三分の二以上は、針鼠の概念を確立できないまま、成長に固執している(31)。

「どれほどの対価を支払っても成長を達成する」「これだけの金額をかければ、成功を収められる」といった表現が、比較対象企業の資料で随所に出てくる。

これに対して、飛躍した企業には、成長にあくまでもこだわった企業は一社もない。

ところがこれら企業が、お題目のように成長を唱えている企業よりもはるかに、収益性の高い成長を持続させている。

グレート・ウェスタンとファニーメイの例を考えてみよう。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙がこう伝えている。

「グレート・ウェスタンは若干不格好な企業だ。

成長のためなら、どんな分野にも進出する」(32)。

同社は金融、リース、保険、移動住宅などで事業を展開し、事業拡大のためにつぎつぎに買収を進めていった(33)。

さらに大きく、さらに多くが目標であった。

一九八五年、同社のCEOはアナリスト会議でこう語っている。

「当社をなんと呼んでもかまわない。

銀行でもいいし、貯蓄貸付組合でもいいし、縞馬でもいい」(34)。

ファニーメイはまったく対照的で、単純で明快な理解に基づいて事業を展開している。

住宅ローンに関連する点で、最高の資本市場参加者になりうるし、住宅ローンの資金を調達できる資本市場を開発する点では、ゴールドマン・サックスやソロモン・ブラザーズすらも追い抜けるとの理解である。

そして、モーゲージ証券の販売ではなく、リスク管理に焦点をあてて事業を再構築し、強力な企業を作り上げた。

この企業を強い熱情をもって経営していった。

国民すべてが住宅を所有できるようにする目標に向けて、同社が

重要な役割を果している点が、ファニーメイにとって情熱の源泉になっている。

一九八四年まで、グレート・ウェスタンとファニーメイは、株価の動きにほとんど違いがなかった。

ところが針鼠の概念を確立して一年たったこの年から、ファニーメイ株は急上昇を続けるようになった。

一方のグレート・ウェスタン株はその後も冴えない動きを続け、九七年に買収される直前に急騰したのみであった。

ファニーメイは「成長」に固執することなく、単純明快な概念に焦点を合わせた結果、八四年の転換の年から九六年までに営業収益を三倍近くまで伸ばしている。

これに対してグレート・ウェスタンは、成長剤をがぶ飲みしてしてきたにもかかわらず、同じ期間に営業収益と利益が二十五パーセントしか伸びておらず、九七年には独立を失った。

ファニーメイとグレート・ウェスタンの比較から、決定的な点が浮かび上がってくる。

「成長を目指せ」は針鼠の概念ではないのだ。

適切な針鼠の概念を確立し、その概念に基づいて一貫して決定をくだしていけば、企業に勢いがつく。

最大の問題はいかにして成長するかではなく、いかにして速く成長しすぎないようにするかになる。

針鼠の概念は、偉大な企業への道筋の転機である。

ほとんどの場合、針鼠の概念を確立してから数年以内に実績の転換点に達している。

また、次章以降に論じる点はすべて、針鼠の概念を前提にしている。

第六章以降で十分に明らかになるように、規律ある人材、規律ある考えにつづく概念の枠組みの第三段階、規律ある行動は、針鼠の概念があってはじめて意味のあるものになる。

針鼠の概念はこのように決定的に重要ではあるが(というよりも、決定的に重要だからこそ)、この概念に安易に飛びつこうとすると、とんでもない間違いをおかすことになろう。

二日の予定で保養地にこもり、大量の図表を引っ張りだし、活気あふれる議論を行い、深い理解を獲得するというわけにはいかない。

もちろん、そうしてはいけないというわけではないが、おそらくは正しい結論に達することができないだろう。

アインシュタインはこう考えたのだろうか。

そろそろ偉大な科学者になる時期がきたようなので、この週末は高級ホテルにこもって、図表を引っ張りだし、宇宙の秘密を解明しよう……。

深い理解はこのような形では得られない。

アインシュタインは霧の中を十年間もさまよった後、ようやく特殊相対性理論を確立できた。

そして、アインシュタインはきわめて優秀なのだ(35)。

飛躍した企業は、針鼠の概念を確立するまでに平均四年かかっている。

科学の理論がそうであるように、針鼠の概念が確立できれば、複雑な世界を単純明快に理解できるようになり、その後の意思決定がはるかに容易になる。

この概念は、確立できた後にみれば、一点の曇りもないほど明快で、ほれぼれするほど単純だが、この概念を確立するまでの道のりは恐ろしく困難で、時間がかかることもある。

針鼠の概念の確立は、その性格上、反復の過程であって、一回で終わるようなものではないことを認識すべきだ。

針鼠の概念を確立しようとするとき、もっとも大切な点は、厳しい現実を直視し、三つの円に基づく問いに導かれて、適切な人たちが活発に議論をかわし、論争を行うことである。

世界一になれる点をほんとうに理解し、成功を収められるというだけの点との間に、ほんとうに区別をつけているのだろうか。

自社の経済的原動力と、たったひとつの分母をほんとうに理解しているのだろうか。

自分たちがもっとも情熱を燃やせる点をほんとうに理解しているのだろうか。

この過程を促進しようとするとき、とくに役立つ仕組みに、われわれが「評議会」と名付けたものがある。

評議会は適切な人たちで構成し、三つの円に基づく議論と討論を長期にわたって反復し、組織が直面する決定的な問題と決定について考えていく(「評議会の性格」の表を参照)。

針鼠の概念を獲得するにはどうすればいいのかとの質問に答えるために、「針鼠の概念の獲得」の図を作成した。

この質問を受けると、わたしは図を示しながら、こう答える。

「評議会を作って、この図をモデルにする。

正しい問いを立てて、活発に議論し、決定をくだし、その結果を解剖して学ぶ。

この過程をすべて、三つの円を指針にして進めていく。

この理解の過程を続けていけばいい」こう答えると、つぎの質問が出てくる。

「針鼠の概念の獲得の過程を加速するにはどうすればいいのか」。

この質問を受けると、わたしは「このサイクルの回転を速くし、ある期間内の回転数を増やしていけばいい」と答える。

このサイクルを十分な回数、経過すれば、そして、三つの円を絶対の指針にしていれば、やがて、針鼠の概念の確立に必要な深い理解が得られるだろう。

一日で到達することはできないが、いずれ到達できる。

評議会の性格⑴評議会は組織が直面する重要な点を理解するための仕組みである。

⑵評議会は指導的な立場にある経営幹部が組織し、利用し、通常五人から十二人で構成される。

⑶評議会の参加者は、理解を得るために議論し、論争することができ、自分の主張を通したり、自分の部門の既得権を守るといった利己的な目標を追求するために議論するのではない。

⑷評議会の参加者は、互いに尊敬しあっており、この点に例外はない。

⑸評議会は見方がさまざまな参加者で構成されるが、どの参加者も、組織か組織を取り巻く環境のうちいずれかの側面について、深い知識をもっている。

⑹評議会には経営陣の主要メンバーがくわわるが、経営陣以外が参加することもあるし、経営幹部が全員、参加するわけではない。

⑺評議会は常設の組織であって、個々の課題を扱う臨時の組織ではない。

⑻評議会は定期的に会合をもち、多ければ週に一回、少なければ四半期に一回集まる。

⑼評議会は全会一致を追求しない。

全会一致の決定がしばしば賢明な決定ではないことを認識しているからである。

最終決定の責任は、指導的な立場にある経営幹部が負う。

⑽評議会は非公式の組織であり、公式の組織図や公式の文書には記載されない。

⑾評議会の名称はさまざまなものがありうるが、通常は何気ない名前が付けられている。

良好から偉大に飛躍した企業では、「長期利益向上委員会」「会社製品委員会」「戦略的思考グループ」「経営評議会」などの耳当たりのいい名前が付けられていた。

どの組織も針鼠の概念を見つけ出すことができるのだろうか。

あるとき目が覚め、厳しい現実を誠実に見つめるようになって、「世界一といえる部分はどこにもないし、これまでにもなかった」との結論に達したとすれば、どうすればいいのか。

この点にこそ、今回の調査でもとくに素晴らしい発見があった。

選ばれた十一社の半数以上は、世界一だといえる点はどこにもなかったし、世界一になれる見込みもなかった。

だが、どの企業もストックデールの逆説を信じて、こう考えた。

「世界一になれる点がどこかにあるはずだ。

それを探し出してみせる。

世界一にはなれない点がある厳しい現実も、直視しなければならない。

この点で幻想を抱いてはならない」。

そして、そのときの状況がどれほど惨めであっても、針鼠の概念を見つけ出すことができている。

自社のために針鼠の概念を確立しようとするとき、覚えておくべきことがある。

偉大な業績に飛躍した企業がようやく針鼠の概念をつかんだとき、それは比較対象企業に典型的にみられるものとは違って、苛立たしいほど退屈で根拠のない虚勢ではなかった。

「この点で世界一になれる」というのは事実の認識である。

空が青いとか草が緑色だというのと変わらない事実の認識なのだ。

針鼠の概念を正しく把握できたとき、真実をつかめたという静かな感動が生まれる。

モーツァルトのピアノ協奏曲の緩徐楽章で、満員の聴衆が静まり返るなか、最後の鮮明な単音が完璧に響いたようなものだ。

ほとんど何も語る必要はない。

真実が静かに、すべてを語ってくれる。

私事で恐縮ではあるが、虚勢と理解の決定的な違いを考えるときに思い出すことがある。

妻のジョアンナが一九八〇年代初めにマラソンとトライアスロンの大会に出場するようになった。

レースの経験を積み、レースの記録、水泳の記録、順位が向上するとともに、妻は勢いがついてきたと感じた。

あるとき、世界の一流選手が参加するトライアスロン大会に出場した。

水泳が弱く、数百位だったし、空力設計ではない重い自転車で長い坂を苦労してのぼったが、それでも十位以内に入ることができた。

それから数週間の後、朝食の席で、新聞を読んでいた妻が顔をあげ、落ちついた声で静かに語った。

「鉄人レースに勝てると思う」鉄人レースはトライアスロンの世界大会だ。

三・八九キロの水泳、百八十キロの自転車、四十二・一九五キロのマラソンでタイムを競うレースであり、灼熱のハワイ、コナ海岸で開催される。

「もちろん、会社を辞めて、大学院への進学も諦めて、練習に専念するしかないけど」。

このとき、妻はいくつかの一流の経営学大学院から合格通知を受け取っていた。

この言葉は、虚勢ではなかった。

誇張でもなく、元気づけでもなく、願望でもない。

わたしを説得しようとしたわけではない。

自分が理解するようになった点は事実であって、壁の色が白いというのと変わらないほど、衝撃的でも何でもない事実なのだと語ったのだ。

トライアスロンには情熱を燃やしている。

もって生まれた能力もある。

そして鉄人レースで優勝できれば、経済的にも潤う。

鉄人レースで勝つ目標は、妻が自分の針鼠の概念を理解した結果なのだ。

そこで、妻は優勝を目指すようになった。

仕事は辞めた。

大学院への進学も諦めた。

製紙工場を売却したのだ(ただし、わたしをバスに乗せつづけてくれた)。

三年後、一九八五年十月の暑い日、妻はハワイ鉄人レースで優勝し、世界チャンピオンになった。

鉄人レースでの優勝を目指すようになったとき、妻はトライアスロンでほんとうに世界一になれるかどうか、分かっていたわけではない。

しかし、世界一になる可能性があること、手が届く目標であること、夢に酔っているわけではないことを妻は認識していた。

そしてこの認識が違いをもたらしている。

この認識は、平凡な人生から偉大な人生に飛躍したいのであれば、不可欠なものであり、偉

大になれなかった人たちがたいていは獲得できなかったものである。

章の要約

針鼠の概念要点・偉大な企業になるには、三つの円が重なる部分を深く理解し、単純明快な概念(針鼠の概念)を確立する必要がある。

・その際のカギは、自社が世界一になれる部分はどこか、そして同様に重要な点として、世界一になれない部分はどこかを理解することである(世界一に「なりたい」分野ではない)。針鼠の概念は目標ではないし、戦略でもないし、意図でもない。理解である。

・中核事業で世界一になれないのであれば、中核事業は針鼠の概念の基礎にはなりえない。

・世界一になれるとの理解は、中核的能力よりもはるかに厳しい基準である。能力があっても、ほんとうに世界一になれるほどの能力だとはかぎらない。逆に、世界一になれる事業があるが、現在はその事業について能力がない場合もある。

・経済的原動力になるのが何かを見つけ出すには、最大の影響を与えるひとつの分母を探し出すべきだ(企業なら「X当たり利益」、非営利事業なら「X当たり年間予算」のXを探し出す)。

・偉大な実績に飛躍した企業は理解に基づいて目標と戦略を設定している。比較対象企業は虚勢に基づいて目標と戦略を設定している。

・針鼠の概念の確立は、反復の過程である。評議会が有益な手段になりうる。意外な調査結果・偉大な実績に飛躍した企業は針鼠に似ている。針鼠は単純で冴えない動物だが、たったひとつ、肝心要の点を知っており、その点から離れない。比較対象企業は狐に似ている。狐は賢く、さまざまな点を知っているが、一貫性がない。

・飛躍した企業は、針鼠の概念を獲得するまでに平均四年かかっている。

・戦略を確立していた点だけでは、飛躍した企業と比較対象企業に違いはなかった。どちらの種類の企業も戦略計画をたてていたし、飛躍した企業の方が戦略の開発に時間とエネルギーをかけたといえる事実はまったくなかった。

・偉大な実績を持続するためには、偉大な産業で事業を行っていなければならないわけではまったくない。飛躍した企業は、産業がどれほど悲惨であっても、卓越した利益をあげる方法を見つけだしている。

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