第八章劇的な転換はゆっくり進む──弾み車と悪循環
準備と突破贅沢な環境に恵まれたわけではない弾み車効果悪循環間違った買収すべてをつつみこむ弾み車の概念アボットVSアップジョンジレットVSワーナー・ランバート
第八章劇的な転換はゆっくり進む──弾み車と悪循環
革命とは車輪を回すことである。
イーゴリ・ストラビンスキー(1)
巨大で重い弾み車を思い浮かべてみよう。
金属製の巨大な輪であり、水平に取り付けられていて中心には軸がある。
直径は十メートルほど、厚さは六十センチほど、重さは二トンほどある。
この弾み車をできるだけ速く、できるだけ長期にわたって回しつづけるのが自分の仕事だと考えてみる。
必死になって押すと、弾み車が何センチか動く。
動いているのかどうか、分からないほどゆっくりした回転だ。
それでも押しつづけると、二時間か三時間がたって、ようやく弾み車が一回転する。
押しつづける。
回転が少し速くなる。
力をだしつづける。
ようやく二回転目が終わる。
同じ方向に押しつづける。
三回転、四回転、五回転、六回転。
徐々に回転速度が速くなっていく。
七回転、八回転。
さらに押しつづける。
九回転、十回転。
勢いがついてくる。
十一回転、十二回転、どんどん速くなる。
二十回転、三十回転、五十回転、百回転。
そしてどこかで突破段階に入る。
勢いが勢いを呼ぶようになり、回転がどんどん速くなる。
弾み車の重さが逆に有利になる。
一回転目より強い力で押しているわけではないのに、速さがどんどん増していく。
どの回転もそれまでの努力によるものであり、努力の積み重ねによって加速度的に回転が速まっていく。
一千回転、一万回転、十万回転になり、重量のある弾み車が飛ぶように回って、止めようがないほどの勢いになる。
ここでだれかがやってきて、こう質問したとしよう。
「どんな一押しで、ここまで回転を速めたのか教えてくれないか」この質問には答えようがない。
意味をなさない質問なのだ。
一回目の押しだろうか。
二回目の押しだろうか。
五十回目の押しだろうか。
百回目の押しだろうか。
違う。
どれかひとつの押しが重要だったわけではない。
重要なのは、これまでのすべての押しであり、同じ方向への押しを積みかさねてきたことである。
なかには強く押したときもあったかもしれないが、そのときにどれほど強く押していても、弾み車にくわえた力の全体にくらべれば、ごくごく一部にすぎない。
準備と突破(*)*「準備と突破」という言葉は、デイビッド・S・ランデスの『強国論』による。
第七章冒頭にこう書かれている。
「問題は実際には二つに分かれている。
第一は、なぜ、どのようにして、ある国が慣習と伝統の殼を破って、生産の新しい段階に進めたのかである。
……この点に関してわたしは、準備(つまり、知識とノウハウの蓄積)と、突破(つまり、最低水準への到達と突破)の二つを強調したい」。
われわれはこの部分を読んで、今回の調査に適用できると判断し、この言葉を偉大な実績に飛躍した企業の動向を表現するのに使うことにした。
弾み車の比喩は、飛躍に向かう動きが社内でどのように感じられたか、全体的な印象をとらえたものである。
最終的な結果がどれほど劇的であろうと、飛躍は一気に達成されるものではない。
たったひとつの決定的な動き、大がかりな取り組み、起死回生の技術革新、めったにない幸運、痛みを伴う大改革があったわけではない。
飛躍の道は小さな努力の積み重ねによって開かれていく。
一歩一歩、行動を積み重ね、決定を積み重ね、弾み車の回転を積み重ねていき、それらの積み重ねによって目ざましい業績が持続するようになる。
しかし、マスコミの報道を読むと、まったく違った結論に達するかもしれない。
マスコミが取り上げるのは、弾み車が一分間に一千回転するようになってからであることが少なくない。
このため、飛躍について受ける印象がまったく歪んでしまう。
一夜にして変身を遂げ、一気に突破の段階に入ったかのように思える。
たとえば、一九八四年八月二十七日付けのフォーブス誌にサーキット・シティについての記事が掲載されている。
同社が全米向けのマスコミで取り上げられたのは、これがはじめてであった。
それほど大きな扱いではなく、二ページのもので、同社の成長がはたして続くのか疑問だと論じている(2)。
とはいえ、この記事はサーキット・シティが凡庸さから抜け出したことをはじめて認めたものだ。
記者は好調な新興企業を探し当て、一夜にして成功を収めたかのように紹介している。
しかし、この突然の成功物語は、じつのところ十年以上にわたる努力の成果であった。
アラン・ウルツェルは一九七三年に父親からCEOの地位を引き継いだが、このとき会社は倒産寸前の苦境にあった。
ウルツェルはまず、経営陣を入れ替え、つぎに社内と社外の厳しい現実を客観的に理解する努力をはじめた。
七四年、巨額の債務に苦しみながらも、倉庫ショールーム型の店舗(ブランド商品を大量に在庫し、割引価格で販売し、ただちに配送する店舗)の実験を開始し、バージニア州リッチモンドに実験店舗を作って家電製品を販売した。
七六年、消費者向けエレクトロニクス商品で倉庫ショールーム型店舗の実験を開始し、七七年にはこの業態を発展させて、はじめてのサーキット・シティ店を開設した。
この業態が成功を収め、同社はステレオ販売店をサーキット・シティ店に組織的に転換するようになった。
一九八二年、弾み車を回しはじめて九年がたって、ウルツェルらの経営陣はサーキット・シティ・スーパーストアの業態に全力を投入する決定をくだした。
その後五年間、すべての店舗をこの業態に転換していったとき、同社はニューヨーク証券取引所上場企業のなかで株式運用成績が最高になった(3)。
八二年から九九年までの運用成績でみると、同社株は市場平均の二十二倍になり、インテル、ウォルマート、GE、ヒューレット・パッカード、コカ・コーラの各銘柄を軽く上回った。
意外とはいえないはずだが、この時期にサーキット・シティはマスコミの注目を集めるようになった。
転換点までの十年間には重要な記事はひとつもなかったが、転換点以降は九十七の記事があり、そのうち二十二は長文にわたるものであった。
転換点までは同社は存在すらしなかったようだ。
実際には一九六八年以降、主要な証券取引所で株式が取引されてきたし、ウルツェルらの経営陣は突破にいたる十年間におどろくほど前進していたのだが。
サーキット・シティは例外ではない。
どの企業をみても、転換点までの十年間には転換点の後の十年間に比較して記事の数が少なく、その差は平均三倍に近い(4)。
たとえば、ケン・アイバーソンとサム・シーゲルは一九六五年からニューコアの弾み車を回しつづけてきた。
それから十年間、だれも同社には注目せず、少なくとも経済関係のマスコミや鉄鋼業界の企業は注目していなかった。
七〇年に、ベスレヘム・スチールかUSスチールの経営幹部が「ニューコアの脅威」について質問を受けたとすると、同社の名前を知っていたとしても(知らなかった可能性が高いが)、笑い飛ばしていただろう。
七五年は、株式運用成績の図で転換点になった年だが、このときにはすでに三番目の電炉を作り、独特の生産性向上の企業文化をはるか以前に確立していて、アメリカ鉄鋼業界でもっとも収益性の高い企業になる道
を歩んでいた(5)。
しかし、大型の記事がはじめて掲載されたのは、ビジネス・ウィーク誌では七八年、つまり転換への動きがはじまってから十三年後であり、フォーチュン誌では十六年後である。
六五年から七五年まで、ニューコアの記事は十一しかなく、どれも長文のものはなかった。
ところが、七六年から九五年まででは九十六の記事が見つかり、そのうち四十は長文のものか、全米誌の特集記事であった。
ここで、こう考える読者もいるだろう。
それは当然ではないか。
これら企業が大成功を収めるようになった後に、記事が増えるのは当たり前だ。
その点がどのような意味をもっているのかと。
重要な点はこうだ。
通常、偉大な企業への転換が外部からどう見えるかをもとに、内部で転換を経験した人たちがどう感じたはずかを考えている。
外部から見れば、転換は劇的で、革命的ともいえるほどの飛躍だと思える。
しかし内部から見れば、印象がまったく違っていて、生物の成長に似ている。
卵があると考えてみよう。
はじめはだれも興味をもたないが、ある日、殼が割れて中から雛が出てくる。
著名な新聞や雑誌がこの話題に飛びつき、「卵が雛に変身」「卵のおどろくべき革命」「卵の目ざましい転換」といった特集記事を掲載する。
卵が一夜にして変容し、根本的な変化を遂げて雛になったかのようだ。
しかし、雛から見ればどうだろう。
見え方がまったく違っている。
眠ったように見える卵を世間が無視している間に、雛は少しずつ大きくなり、変化し、孵化したのである。
雛の観点からは、卵を割るのは長い時間をかけてたどってきた過程をもう一歩進めたものにすぎない。
たしかに大きな一歩ではあるが、外部から眺めたときの印象とは違って、根本的な変化というわけではない。
この比喩が少々馬鹿げていることは認めよう。
しかしこの比喩で、われわれの調査で得られたきわめて重要な結論が理解しやすくなるはずである。
われわれは調査の過程でつねに、「決定打」や「奇跡の瞬間」を、転換の性格を示すものとして探し求めてきた。
インタビューでは、それを明らかにするよう強く求めることすらしてきた。
ところが、良好から偉大への飛躍を導いた経営幹部は、転換期を象徴する出来事や瞬間を指摘することができなかった。
偉大さへの飛躍をもたらした要因に、重要度にしたがって順番と比率をつけるという考え方自体に拒否反応を示すことが少なくなかった。
飛躍したどの企業でも、インタビューに応じた経営幹部の少なくともひとりが、この考え方に警告を発している。
たとえばこうだ。
「いくつかの要因に分解して因果関係を調べたり、『分かった』とか『これぞ決定打』とかの瞬間を探し出したりすることはできない。
相互に関連する小さな動きを大量に積み重ねていった結果なのだから」今回の調査でぶつかった動きのうちもっとも劇的だったのは、キンバリー・クラークによる製紙工場の売却だが、これすら、生物の成長のような積み重ねの結果だったと同社の経営幹部は語っている。
「ダーウィン〔スミス〕は会社の方向を一夜にして変えたわけではない。
時間をかけて進化していったのだ」とある幹部は語っている(6)。
「変化は一気に進められたわけではない。
徐々に進められていったので、数年たってからでないと、だれの目にも明らかだといえるほどにはならなかった」と別の幹部も語った(7)。
もちろん製紙工場の売却は大きな一押しではあったが、弾み車はこの一回の押しだけで回っているわけでない。
製紙工場を売却した後も、消費者向け紙製品市場で第一位になるまでには、何万回となく強弱さまざまな力で弾み車を押しつづけ、努力を積み重ねる必要があった。
何年もたって勢いが十分についてはじめて、マスコミが同社の良好から偉大への飛躍を報じるようになった。
フォーブス誌はこう書いている。
「キンバリー・クラークが……プロクター&ギャンブルに真っ向から挑戦する決定をくだしたとき、……本誌は悲惨な結果になると予想した。
なんと馬鹿げたことを考えるのだろうとみていた。
だが、それは馬鹿げた考えではなかった。
賢明な考えだったのだ」(8)。
この二つの記事の間にどれぐらいの年数がたっていたのだろうか。
二十一年である。
今回の調査を進めていた間、われわれは研究所を訪れた経営者にかならず、この調査でどんな点を知りたいのか質問することにしていた。
あるCEOはこう質問した。
「その動きをなんと呼んでいたのか。
名前を付けていたのだろうか。
その当時にどのように話していたのだろうか」。
素晴らしい質問だ。
そこでわれわれは調査していった。
答えはおどろくようなものであった。
名前はついていなかったのである。
超優良に飛躍した企業は、転換の動きに名前をつけていなかった。
開始の式典はなく、標語もなく、何か特別のことをやっているという感覚すらなかった。
大きな転換の過程にあることに気づいたのは、転換がかなり進んでからだったと語った経営幹部も少なくない。
転換の動きは内部のものにとって、後からみたときの方が、その当時よりも分かりやすいことが多い。
こうして、徐々に事実がみえてきた。
魔法の瞬間はなかったのだ(「魔法の瞬間はない」の表を参照)。
外部から眺めているものにとっては、一撃によって突破口を開いたようにみえるが、内部で転換を経験したものにとっては、印象がまったく違っている。
考え抜かれた静かな過程であり、まず、将来に最高の業績を達成するために何が必要なのかを認識し、つぎに、各段階をひとつずつ順にとっていく。
弾み車を一回ずつ回転させていくように。
弾み車を同じ方向に、長期にわたって押しつづけていれば、いずれかならず突破の時点がくる。
わたしはこの点を説明するとき、調査の対象からは外れるが、考え方を見事に示せる例を使うことがある。
その例は、一九六〇年代から七〇年代前半にかけてバスケットボールで圧倒的な力を誇ったUCLAブルーインズである。
バスケットボールのファンならほとんどだれでも、ブルーインズが伝説の名コーチ、ジョン・ウッデンのもと、全米大学選手権で十二年間に十回優勝し、あるときには六十一連勝を記録したことを知っている(21)。
しかし、ウッデンがUCLAブルーインズのコーチになって、全米大学選手権で初優勝するまでに何年かかったか知っているだろうか。
答えは十五年である。
一九四八年から六三年まで、ウッデンは地味な努力を続け、六四年の初優勝にこぎつけた。
この十五年間、チームの基礎を築き、優秀な高校生選手を発掘する組織を作り、一貫した考え方を実行し、フル・コート・プレスのスタイルに磨きをかけていった。
当初は物静かで穏やかに話すコーチにも、UCLAブルーインズにも、だれもそれほど注目していなかったが、あるとき突破段階に達し、十年以上にわたって全米の強豪をつぎつぎに打ち破るようになった。
ウッデンのバスケットボール王国がそうであるように、飛躍を遂げ、その地位を維持している企業はいずれも、準備をへて突破にいたる一般的なパターンをたどっている。
準備の段階から突破の段階まで、長い期間がかかった場合もあるし、短期間で移行できた場合もある。
準備段階はサーキット・シティでは九年、ニューコアでは十年だったが、ジレットではわずか五年、ファニーメイでは三年、ピットニー・ボウズでは約二年だった。
しかし、期間は長くても短くても、良好から偉大への飛躍はすべて同じ基本的パター
ンをたどっているのだ。
弾み車の一回転ごとに勢いを蓄積し、やがて準備段階から突破段階に移行する。
魔法の瞬間はない(経営陣のインタビューでの典型的な発言)アボット「突然のひらめきや啓示があったわけではない」(9)「当社の変化は大きかったが、さまざまな点で小さな変化を積み重ねたものにすぎない。
変革が大成功を収めたのはそのためだ。
一段階ずつ着実に登っていく方法をとり、それまでに達成した点とさまざまな意味で共通する点につぎに取り組むようにした」(10)サーキット・シティ「量販店に事業を絞り込む転換の動きは一夜にして起こったわけではない。
この業態をはじめて考えたのは一九七四年だが、店舗をすべてサーキット・シティ店に転換したのは約十年たってからだ。
その前に業態に磨きをかけ、十分に勢いをつけて、当社の将来をすべてこの業態に賭けられるようにした」(11)ファニーメイ「魔法の瞬間はなく、はっきりした転換点もなかった。
さまざまな点の組み合わせであった。
最終的な結果は劇的だが、進化の過程に似ていた」(12)ジレット「大きな決定をそうと意識してくだしたり、大がかりな取り組みを行って大きな変革や転換を開始したわけではなかった。
経営陣のひとりひとりが、そして経営陣全体が、業績を大幅に向上させるために何ができるのか、結論をだしていった」(13)キンバリー・クラーク「思われているほど唐突な動きではなかった。
一夜にして起こったわけではない。
成長していったのだ。
アイデアが膨らみ、つぎつぎにでてきて、実現していった」(14)クローガー「突然のひらめきではなかった。
スーパーマーケットの実験店がどう発展していくか、みなで注目していた。
そして、業界がその方向に進んでいくと納得するようになった。
ライル〔エベリンガム〕の功績は、いますぐに、きわめて意識的に変化をはじめようと言ったことにある」(15)ニューコア「理念を決定したことは一度もない。
いくつもの苦しい議論や争いによって発展してきた。
そのとき、なんのために争っているのかが分かっていたのかは疑問だが、後になって振り返り、理念を確立するために争ってきたと言えるようになった」(16)フィリップ・モリス「良好から偉大への飛躍を象徴する大きな出来事を指摘するのは不可能だ。
当社の成功は、革命的な動きではなく、進化の動きであり、成功を積み重ねていった結果だからだ。
決定的な出来事があったとは思えない」(17)ピットニー・ボウズ「変革についてそう話し合ってきたわけではない。
ごく初期に、必要なのは変革ではなく、進化だと認識した。
やり方を変えなければならないと認識したのだ。
進化は変革とは大きく違うと認識していた」(18)ウォルグリーンズ「決定的な会議や啓示の瞬間があったわけではない。
突然に電気がついてあたりが明るくなったような瞬間があったわけでもない。
ある種の進化の過程だった」(19)ウェルズ・ファーゴ「スイッチを入れたような瞬間はなかった。
方向が少しずつあきらかになり、確信が強まっていった。
カール〔ライヒャルト〕がCEOになったとき、方針の大転換はまったくなかった。
ディック〔クーリー〕が進化の第一段階を率い、カールがつぎの段階を率いた。
円滑に進み、突然の変化はなかった」(20)贅沢な環境に恵まれたわけではない弾み車による準備と突破の動きが、贅沢な環境に恵まれた結果ではなかった点を理解しておくことが重要である。
「状況が厳しいので、長期的な目標を追求するような余裕はない」と思うのであれば、飛躍を遂げた企業が、短期的な状況がどれほど厳しくても、この動きをとってきたことを考えるべきだ。
ウェルズ・ファーゴは規制緩和に、ニューコアとサーキット・シティは倒産の危機に、ジレットとクローガーは買収攻勢に、ファニーメイは一営業日当たり百万ドルの損失に、それぞれ直面していた。
短期的な業績を高めるよう求めるウォール街からの圧力にどう対応するかでも、おなじことがいえる。
ファニーメイのデービッド・マクスウェルはこう語っている。
「ウォール街の圧力があるから、偉大さを持続できる企業を築くのは無理だという意見があるが、この意見には賛成できない。
われわれはアナリストと意見を交換し、われわれが何をし、どこに向かっているのか、アナリストを教育していった。
はじめは、なかなか耳を傾けてもらえないアナリストが多かったが、それが現実なのだから受け入れるしかない。
しかし、最悪期を抜け出すと、毎年業績を向上させてアナリストの期待にこたえていった。
数年たつと、業績がすぐれているので人気銘柄になり、すべてがうまく回転するようになった」(22)。
まさに人気銘柄だ。
マクスウェルがCEOに就任して当初二年間は、ファニーメイ株は運用成績が市場平均より低かったが、その後は株価に勢いがついた。
一九八四年末に同社株に投資した一ドルが、二〇〇〇年には六十四ドルになっており、一九九〇年代後半にナスダック指数が急騰したなかでも、市場平均の六倍近い運用成績になった。
飛躍した企業は、短期的な業績向上を求める圧力をウォール街から受けている点で、比較対象企業と変わりはない。
しかし、比較対象企業とは違って、この圧力を受けながらも弾み車による準備と突破を目指す忍耐力と規律をもっていた。
そして最終的にはウォール街の尺度でみても異例といえるほど、成功を収めている。
飛躍を達成するカギは、弾み車を利用して短期的な圧力を管理することにある。
そのための見事な方法に、アボット・ラボラトリーズの「ブルー・プラン」がある。
毎年、アボットはウォール街のアナリストに一株当たり利益伸び率の目標を伝える。
たとえば、今期の目標は十五パーセントだと伝える。
同時に、社内目標はそれよりはるかに高く、たとえば二十五パーセントか、三十パーセントにすら設定する。
そして、予算をつけていない新規事業計画のリストを作り、優先順位をつける。
これがブルー・プランだ。
年末にかけて、アナリストの予想よりは高いが、実際に伸び率よりは低い数値を選ぶ。
この「アナリストが喜ぶ」伸び率と実際の伸び率の差を、ブルー・プラン用の予算として割り当てる。
短期的な圧力を管理しながら、将来のために組織的に投資する見事な仕組みである(23)。
アボットの比較対象企業には、ブルー・プランに似た仕組みはまったくなかった。
アップジョンの経営陣は「当社の将来性を信じてほしい」などの口上で自社の株式を売り込もうとし、「長期的な目標に向けた投資」という言葉を重々しく口にする。
業績が悪かったときにはとくに、この言葉を使う(24)。
そして、養毛剤のロゲインなどの一発狙いの製品に繰り返し巨額を注ぎ込み、大ヒット商品によって準備の段階を飛び越し、一気に突破の段階に進もうと試みてきた。
同社の動きをみていくと、賭けごとが好きな人がラスベガスのルーレットで赤にチップを積み上げ、「将来への投資なんだ」と言っているように思える。
もちろん、将来がやってきたとき、約束された業績が達成できることはめったにない。
意外だとはいえないはずだが、アボットが一貫して好業績を達成し、ウォール街で人気銘柄になったのに対して、アップジョンはつねに期待を裏切られる銘柄になった。
一九五九年からアボットが突破の段階に入った七四年まで、二つの銘柄の値動きはほぼ平行していた。
ところが七四年以降、アップジョンは株式運用成績でアボットに六倍の差をつけられ、九五年に買収された。
ファニーメイやアボットが典型だが、飛躍した企業はすべて、準備と突破の時期にウォール街との関係をうまく管理しており、この二つに矛盾があるとはみていない。
実績を積み重ねていくことに注力し、使い古された手ではあるが、約束は控えめにし、それを超える業績を達成する方法も使っている。
そして実績を積み重ねるようになると(弾み車に勢いがついてくると)、ウォール街の熱心な支持を集めるようになる。
弾み車効果飛躍を遂げた企業は、単純明快な真実を知っている。
つねに改善を続け、業績を伸ばしつづけている事実に、きわめて大きな力があることを知っているのだ。
当初はいかに小幅なものであっても、目に見える成果を指摘し、これまでの段階が全体のなかでどのような位置を占めているかを示し、全体的な概念が役立つことを示す。
このようにして、勢いがついてきたことを確認でき、感じられるようにすれば、熱意をもって参加する人が増えるようになる。
われわれはこれを「弾み車効果」と呼ぶようになった。
この効果は、外部の投資家だけでなく、社内にもあらわれてくる。
調査チーム内の逸話を紹介しよう。
調査が決定的な段階に差しかかったとき、チームの何人かが反乱を起こしかけた。
インタビュー結果を机の上に放り投げて、「あの馬鹿げた質問を続けなければいけないのか」と詰問した。
「どの質問が馬鹿げているというんだ」とわたしは聞き返した。
「社員の意欲と力の結集、それに変化をいかに管理したかの質問だ」「その質問は馬鹿げていない。
とくに重要な質問のひとつだ」「転換をもたらした経営幹部が何人も、馬鹿げた質問だといっている。
なかには、質問の意味が分からないという経営幹部までいる」
「それは知っているが、質問を続けるべきだ。
インタビューのすべてに一貫性をもたせなければいけない。
それに、質問の意味が理解されないのなら、なおさら知りたくなる。
だから、検討を続けてほしい。
変化への抵抗をどのように克服して、力を結集したのかを理解しなければならない」わたしは、改革に向けてどのように力を結集するかが、飛躍をもたらした経営者にとって大きな課題のひとつだったはずだと予想していた。
われわれの研究所を訪問した経営者がほとんど全員、この点を何らかの形で質問したからだ。
「ボートの進路を変えるにはどうすればいいのか」「社員が新しいビジョンの実現に意欲をもつようにするにはどうすれはいいのか」「全員が力を結集するようにする動機付けの方法はあるのか」「改革への支持をどのようにして獲得するのか」といった質問である。
まったく意外なことに、いかにして力を結集するのかは、飛躍を指導した経営者にとって大きな問題ではなかった。
偉大さへの飛躍を遂げた企業はあきらかに、信じがたいほど意欲を引き出し、力を結集させ、変化を見事に管理してきた。
しかし、その点を考えるのに、あまり時間を費やしていない。
まったく自明の点だったのだ。
条件がうまく整えば、意欲や力の結集や動機付けや改革への支持は問題ではなくなる。
これらの点は自然に解決する。
この点をわれわれは学んだ。
クローガーの事例を考えてみよう。
五万人を超える従業員が、レジ、袋詰め、倉庫管理、野菜の洗浄など、さまざまな職種ではたらいている。
これらの従業員にまったく新しい戦略、それも会社の構成から食品雑貨の販売方法まで、事実上すべてを変える戦略を示して支持を得るために、どのような手を打ったのだろうか。
答えはこうだ。
どんな手も打たなかった。
少なくとも大規模なイベントを開催したり、大きな計画を発表したりすることはなかった。
ジム・ヘリングは、クローガーを変革の道に導いた第五水準の指導者だが、われわれのインタビューで、派手な宣伝や動機付けの試みはすべて避けたと語っている。
まずは経営陣が弾み車を押して、計画の正しさを示す事実を目に見える形で作っていった。
「みなが確認できるような形で、実績を示していった。
ひとつの段階を成功させてからつぎの段階に移るように計画をたてた。
こうして、従業員の大多数が言葉によってではなく、成功ぶりをみて計画の正しさを確認できるようにした」(25)。
ヘリングは大胆なビジョンのもとで力を結集するようにするにはどうすればいいかを理解していた。
そのビジョンに基づいて弾み車を回していき、二回転から四回転に、四回転から八回転に、八回転から十六回転に回転数を増やしていく。
そして、こう話すのだ。
「われわれがやっていることをみてくれ。
いかにうまくいっているかをみてほしい。
この動きを続けていけば、あそこまで行けるはずだ」飛躍した企業は、当初は大きな目標を公表していない場合が多い。
まずは弾み車を回しはじめる。
理解から行動に、一段ずつ段階を踏んで、一回転ずつ回していく。
弾み車に勢いがついてから、周囲の人たちにこう話す。
「この動きを続けていけば、何々が達成できないと考える理由はない」たとえば、ニューコアは一九六五年に弾み車を回しはじめた。
当初は倒産を避けるために努力し、つぎに、信頼できる仕入れ先がなかったことから電炉工場を建設した。
やがてどの企業よりも安価で高品質の鉄鋼を作る技術が自社にあることに気づいた。
そこで、電炉工場をひとつずつ増やしていった。
顧客を獲得し、顧客を増やし、さらに増やしていった。
弾み車に勢いがつくようになり、一回転ごとに、一か月ごとに、一年ごとに勢いが強くなった。
そして一九七五年ごろ、ニューコアの人たちはこのまま弾み車を押しつづけていけば、やがてアメリカの鉄鋼業界でもっとも収益性が高い企業になれることに気づいた。
マービン・ポールマンが語っている。
「一九七五年にケン・アイバーソンと話し合ったのを覚えている。
『マービン、われわれはアメリカで第一位の鉄鋼会社になれると思う』。
これは一九七五年の話だ。
そこでわたしは質問した。
『いつ第一位になれるんだ』『それは分からない。
でも、いまの動きを続けていけば、第一位になれないと考える理由は見当たらない』という」(26)。
それから二十年以上かかったが、ニューコアは弾み車を押しつづけ、フォーチュン誌の大企業一千社の鉄鋼会社のなかで、利益がもっとも多い企業になった(27)。
弾み車に語らせる方法をとれば、目標を熱心に伝える必要はない。
弾み車の勢いをみて、各人が判断してくれる。
「これを続けていけば、すごいことができるぞ」。
この可能性を実現しようとみなが考えるようになり、目標はおのずから決まってくる。
この点について、少し考えてみよう。
適切な人たちが何よりも望んでいることは、何だろうか。
勝利に向かって進んでいるチームの一員になることだ。
目に見えるたしかな業績の実現に貢献したいと望んでいる。
たしかに成功を収められる何かに参加して興奮を味わいたいと望んでいる。
厳しい現実を直視して生まれた単純明快な計画をみれば、虚勢ではなく、現実の理解から生み出された計画をみれば、「これはうまくいく。
参加させてほしい」と言う可能性が高い。
経営陣が一枚岩になって単純明快な計画を推進し、第五水準の指導者に私心がなく、計画の達成に打ち込んでいるのをみれば、斜に構えていた人も真剣になる。
勢いの魔力が実感できるようになったとき、つまり、目に見える成果を確認できるようになり、弾み車の回転速度があがってきたと感じられるようになったとき、多数の人たちが弾み車を押す動きにくわわるようになる。
悪循環比較対象企業では、これとはまったく違ったパターンが目立っていた。
考え抜かれた静かな過程によって何が必要なのかを認識しそれを着実に実行していくのではなく、新しい方針を頻繁に打ち立て、それも「従業員の動機付け」のために派手に発表し宣伝することが多いが、やがて新方針でも好業績を持続できないことが分かる。
決定的な行動、壮大な計画、画期的な技術革新、魔法の瞬間など、苦しい準備段階を飛び越し、突破段階に一気に進む方法を探し求めている。
弾み車を押しはじめても、すぐにそれをやめて方針を変え、逆の方向に押しはじめる。
そしてすぐにそれをやめて方針を変え、また逆の方向に押しはじめる。
右往左往を繰り返し、持続的な勢いを作りだせないまま、われわれが「悪循環」と呼ぶ状態に陥っていく。
ワーナー・ランバートの事例をみてみよう。
同社はジレットの直接比較対象企業である。
一九七九年、同社はビジネス・ウィーク誌に、消費者向け製品で第一位の座を目指すと語った(28)。
一年後の一九八〇年、突然方向を変え、医薬品に照準を合わせた。
「当社の目標は明快であり、メルク、イーライ・リリー、スミスクラインはじめ、すべての医薬品会社を打ち負かすことだ」と語っている(29)。
一九八一年、またも方向を変え、事業多角化と消費財事業に戻った(30)。
六年後の一九八七年、またも方針を逆転させ、消費者向け事業から医薬品事業に重点を移して、メルクを追い抜く目標を掲げた(その一方で、消費財の広告に研究開発費の三倍を支出しており、メルク打倒を目指すにしては奇妙な戦略をとっている)(31)。
一九九〇年代初め、クリントン政権が掲げた医療制度改革に反応して、またしても方向を変え、事業多角化と消費者向けブランドの構築を目指した(32)。
ワーナー・ランバートではCEOが代わるたびに、新しい方針が打ち出されて、前任者が作りだした勢いが打ち消されている。
一九八二年、CEOのワード・ハーゲンが巨額を投じて病院用資材事業を買収し、突破口を開こうとした。
三年後、後任者のジョー・ウィリアムズが病院用資材事業から撤退し、五億五千万ドルの特別損失を計上した(33)。
こうして、メルクを追い抜くことに全力をあげる態勢を築こうとしたが、その後継者は事業多角化と消費財事業に方向を転換した。
このように代々のCEOがそれぞれ、独自の方針を打ち出して自分の足跡を残そうとしたため、同社は前進と後退を繰り返し、右往左往を繰り返してきた。
一九七九年から九八年までに、ワーナー・ランバートでは三代のCEOがそれぞれ一回、合計三回の大がかりなリストラを実施し、合計二万人を解雇して短期的な業績回復をはかった。
業績が急回復してもすぐに低迷するパターンを繰り返し、準備から突破に移行して弾み車の勢いが持続する状況にはならなかった。
株式の運用成績は市場平均並みになり、最後にはファイザーに買収されて姿を消した(34)。
ワーナー・ランバートの事例は極端だが、比較対象企業のすべてが何らかの形で悪循環に陥っている(付録八Aにまとめてある)。
悪循環の具体的な内容には各社で違いがあるが、広範囲にみられるパターンがいくつかあり、そのうち二つはとくに論じておく価値がある。
第一が買収の使い方の間違いであり、第二がそれまでの積み重ねを無にする経営者の選任である。
間違った買収ピーター・ドラッカーはかつて、こう語っている。
経営者が合併や買収に乗り出すのは、健全な根拠があるからというより、ほんとうに役立つ仕事と比較してはるかに強烈な興奮を味わえるからだと(35)。
まさにそうであり、比較対象企業の関係者なら、一九八〇年代に流行したバンパー・ステッカーの言葉、「調子が悪くなったら、買い物に行こう」に苦笑するはずである。
われわれは偉大な企業への道筋で企業買収が果たす役割を理解しようと、調査対象のすべての企業について、転換の十年前から一九九八年までのすべての買収と事業売却を対象に、徹底した定量分析と定性分析を行った。
買収の金額や規模についてはとくに目立った点はなかったが、良好から偉大に飛躍した企業と比較対象企業の間には、買収の成功率に大きな差があった(付録八Bを参照)。
偉大な実績に飛躍した企業で、買収の成功率が高く、大型買収ではとくに成功率が高いのはなぜなのだろうか。
成功のカギは、大型買収が一般に、針鼠の概念を確立した後、弾み車の勢いが強くなった後に実施されている点にある。
買収は、弾み車の勢いの促進剤として使っており、勢いの源泉にはしていない。
これに対して比較対象企業では、買収や合併によって突破の段階に一気に進もうと試みることが少なくない。
これがうまくいった例はない。
中核事業が苦境に陥っているとき、大型買収に取り組むことが少なくない。
その目的は、増益率を高めるため、多角化によって苦境から逃れるため、経営者の名声を高めるためなどだ。
だが、自社が世界一になれる部分はどこか、経済的原動力になるものは何か、情熱をもって取り組めるものは何かという基本的な問いに答えようとはしない。
そして、単純な真実を学ぼうとはしない。
企業買収に資金を注ぎ込めば成長を達成することはできても、偉大さへの道を確保することは絶対にできないのだ。
凡庸な二社が合併しても、偉大な一社になることはありえない。
弾み車の動きをとめる経営者悪循環でよくみられるパターンにはもうひとつ、新しい経営者が弾み車の回転をとめ、まったく新しい方向に回しはじめることがあげられる。
たとえばハリス・コーポレーションは、一九六〇年代初めに偉大な企業への転換をもたらす概念をかなりの部分取り入れ、典型的な準備過程をたどって、突破への道を歩みはじめた。
ジョージ・ダイブリーと後継者のリチャード・タリスは、印刷と通信への技術の適用で世界一になれるとの理解に基づいて、針鼠の概念を確立した。
この概念を完全に守る規律はもたず、三つの円の重なる部分から少しさまよいでる傾向がタリスにはあったが、それでも同社は大きく前進し、素晴らしい業績をあげるようになった。
飛躍を達成できそうな有力候補になり、一九七五年に突破の段階に入った。
ところがその後、弾み車は回転をとめてしまった。
一九七八年、ジョゼフ・ボイドがCEOに就任した。
勤務していたラディエーション社が何年か前にハリスに買収されて、同社に入った経営幹部である。
CEOになってはじめてくだした大きな決定は、本社をクリーブランドからフロリダ州メルバーンに移すことであった。
そこはラディエーション社の地元であり、ボイドの自宅があり、全長十五メートルのモーターボート「やくざな怠け者」号もある(36)。
一九八三年、ボイドは印刷機事業を売却して弾み車に急ブレーキをかけた。
当時、ハリスは印刷機の製造で世界一であった。
同社でとくに収益性が高い部門であり、営業利益の三分の一近くを稼ぎだしていた(37)。
この花形部門を売却して得た資金で、ボイドは何をしようとしたのだろうか。
オフィス・オートメイション(OA)事業への挑戦であった。
しかし、ハリスがOA機器で世界一になれる可能性はあったのだろうか。
あったとは考えにくい。
ソフトウェア開発で「恐ろしい」問題にぶつかり、ハリスのはじめてのワークステーションの発売が遅れて、IBM、DEC、ワングが覇を競う戦場への参入は当初からつまづいた(38)。
つぎに、別の道から突破段階に一気に達しようと、株主資本の三分の一を投じて、低価格ワープロ専用機のラニエ・ビジネス・プロダクツを買収した(39)。
コンピューターワールド誌はこう報じた。
「ボイドはOA市場に狙いをさだ
めている。
……だがハリスは、オフィス向け製品をまったくもっていない。
ワープロ機の設計と販売の試みはみじめな失敗に終わった。
……市場をまったく理解しておらず、発売にこぎつけることすらできなかった」(40)弾み車はダイブリーとタリスのもとで勢いよく回転していたが、軸を離れて空中に飛び出し、床に激突して動かなくなった。
ハリス株の運用成績は、一九七三年末から七八年末まで、市場平均の五倍以上になっていた。
ところが七八年末から八三年末まででは市場平均を三十九パーセント下回り、八八年まででは七十パーセント以上下回っている。
弾み車で勢いをつけていた企業が、悪循環に陥るようになったのだ。
すべてをつつみこむ弾み車の概念飛躍の課程をみていくとき、何度も頭に浮かぶ言葉のひとつに「一貫性」がある。
もうひとつの言葉は、物理学者のR・J・ピーターソン教授に教えられた「干渉性」である。
「一足す一はいくつだろう」。
教授はこう問いかけて間をおき、効果を狙った。
「四だ。
物理学には干渉性という概念があって、複数の要因が互いに強めあうことがある。
弾み車の章を読んでいるとき、干渉性の原理が頭からはなれなかった」。
どのような言葉で表現しようと、基本的な考えは変わらない。
全体の各部分が互いに強めあって統合されたシステムになり、部分の合計よりもはるかに強力になっているのだ。
長期にわたって一貫性を保ち、何世代にもわたって一貫性を保ってはじめて、業績を最大限に伸ばすことができる。
ある意味では、この本で論じた点はすべて、準備から突破にいたる弾み車のパターンの各部分を調査し説明したものだといえる(「弾み車と悪循環の見分け方」の表を参照)。
少し離れて全体的な枠組みを眺め渡してみると、すべての要因が組み合わされてこのパターンが作られており、それぞれの要因が弾み車を押す力になっていることが分かる。
すべては第五水準の指導者からはじまる。
第五水準の指導者は弾み車の方式に自然にひかれる。
派手な方針を打ち出して「これぞ指導」とみられることは望まない。
考え抜かれた静かな過程によって弾み車を押しつづけ、だれの目にも明らかな「実績」を生み出すことに関心がある。
適切な人たちをバスに乗せ、不適切な人たちをバスから降ろし、適切な人が適切な座席に坐るようにする。
準備段階の初期にはこれらがいずれも決定的な一歩になり、弾み車を押す重要な力になる。
同様に重要な点は、ストックデールの逆説を思い起こすことである。
「クリスマスまでに突破段階に達することはない。
しかし、正しい方向に押しつづけていれば、いずれ、突破段階に入る」。
このように考えて厳しい現実を直視すれば、弾み車を回転させるためにとるべき手段、自明ではあるがむずかしい手段を理解できる。
最後にはかならず勝てるという確信があれば、何か月はおろか何年もかかる準備段階を切り抜けられる。
つぎに、針鼠の概念の三つの円を深く理解するようになり、その理解に基づく方向に弾み車を押しつづけていれば、やがて勢いがついて突破段階に入り、促進剤によって勢いを加速できる。
とくに重要な促進剤は、三つの円が重なる部分に直接に関連する技術の先駆的な応用である。
結局のところ、突破段階に達するには、自社の針鼠の概念に基づく正しい決定を積み重ねていく規律をもっていなければならない。
規律ある行動が不可欠であり、それには規律ある人材による規律ある考えが不可欠である。
これがカギだ。
これが突破への道を切り開くカギである。
要するに、以上の枠組みの各概念を懸命に賢明に適用していき、弾み車を一貫した方向に押しつづけ、一歩ずつ、一回転ずつ勢いを蓄積していけば、いずれ突破段階に達する。
その時期は今日ではないし、明日ではないし、来週でもない。
来年ですらないかもしれない。
しかし、いずれそうなる。
突破段階に達したとき、まったく新しい課題にぶつかる。
高まる期待に対応して勢いを加速するにはどうすればいいのか。
将来にわたって、弾み車が回転を続けていくようにするにはどうすればいいのか。
要するに、飛躍をいかにもたらすのかは課題ではなくなり、偉大さを持続するにはどうすべきかが課題になる。
この点を、最後の章で扱う。
章の要約
弾み車と悪循環要点・偉大な企業への飛躍は、外部からみれば劇的で革命的だとみえるが、内部からみれば生物の成長のような積み重ねの過程だと感じられる。
最終的な結果(劇的な結果)と過程(生物の成長のような積み重ねの過程)を混同すると、見方が歪んで、実際には長期間にわたる動きであることがみえにくくなる。
・最終結果がどれほど劇的であっても、偉大な企業への飛躍が一気に達成されることはない。決定的な行動、壮大な計画、画期的な技術革新、たったひとつの幸運、魔法の瞬間といったものはない。
・偉大さを持続できる転換は、準備段階から突破段階に移行するパターンをつねにたどっている。巨大で重い弾み車を回転させるのに似て、当初はわずかに前進するだけでも並大抵ではない努力が必要だが、長期にわたって、一貫性をもたせてひとつの方向に押しつづけていれば、弾み車に勢いがつき、やがて突破段階に入る。
・比較対象企業はこれとはまったく違う「悪循環」のパターンに陥っている。弾み車を押しつづけて一回転ずつ勢いを積み重ねていくのではなく、準備段階を飛び越して一気に突破段階に入ろうとする。そして業績が期待外れになると、右往左往して一貫した方向を維持できなくなる。
・比較対象企業は、賢明とはいえない大型合併によって突破口を開こうと試みることが多い。これに対して、偉大な実績に飛躍した企業は通常、突破段階に達した後に、すでに高速で回転している弾み車の勢いをさらに加速する手段として、大型買収を使っている。意外な調査結果・飛躍した企業の内部にいた関係者は、転換の時点ではその規模の大きさに気づかず、後に振り返ってみてはじめて、大規模な転換であったことに気づいている場合が少なくない。転換の動きには名前や、標語や、開始の式典や、特別な計画など、何か特別なことをやっていると思わせるものは何もなかった。
・偉大な企業への飛躍を導いた指導者は、「力の結集」「従業員の動機付け」「変化の管理」にはほとんど力をいれていない。条件がうまく整えば、意欲や力の結集や動機付けや改革への支持の問題は、自然に解決する。力の結集は主に実績と勢いの結果であり、逆ではない。
・短期的な業績向上を求めるウォール街の圧力は、弾み車の方法と矛盾しない。弾み車効果はこうした圧力のもとで発揮できないわけではない。それどころか、こうした圧力に対応する際のカギになる。
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