第一章キャッシュベースで経営する【キャッシュベース経営の原則】
1儲かったお金はどうなっているか2資産か、費用か「バナナの叩き売り」でその違いを見る3土俵の真ん中で相撲をとる4勘定合って銭足らず
第一章キャッシュベースで経営する【キャッシュベース経営の原則】
この章で述べる「キャッシュベースの経営」というのは、「お金の動き」に焦点をあてて、物事の本質にもとづいたシンプルな経営を行うことを意味している。会計はキャッシュベースで経営をするためのものでなければならないというのが、私の会計学の第一の基本原則である。高度な会計学を知らなくとも誰でも自然に身につけている収支計算がある。製品をつくり、お客さまに販売して代金をいただく。そのために使ったさまざまな費用をその中から支払う。利益とは、これら支払いのすべてが終わったあとに残ったお金を指すということは、誰でも知っていることであろう。事実、会計が生まれた中世イタリア商人の地中海貿易では、一つの航海が終わると収入からすべての費用を清算して、残った利益を分配していたそうである。つまり、現金収支の計算がそのまま損益の計算となっていたわけである。しかし、現代の企業では、その連続する活動を暦で区分して年度ごとに決算を行わなければならない。そこで近代会計では、収入や支出を発生させる事実が起きたときに収益や費用があったとして、一年間の利益を計算する。これが「発生主義」と言われる会計方法である。この方法をとると、お金の受け取りや支払いがなされるときと、それらが収益や費用となるときとが異なるようになる。その結果、決算書にあらわされる損益の数字の動きと、実際のお金の動きとが、直結しなくなり、経営者にとって会計というものがわかりにくいものになってきたのである。また、実際に社会が発展し、社会制度や商取引が複雑になると、それに従い会計も複雑にならざるをえない。どのような事実をもって収益や費用が発生したとするのかが、難しい問題となるのである。そこで、会計の原点に戻るなら、本来もっとも重要な「キャッシュ」に着目して、それをベースにして正しい経営判断を行うべきだということになる。この章では、この「キャッシュ」をベースに経営するということについて私の考えを述べたい。
1儲かったお金はどうなっているか会計学を詳細に勉強する時間がなかなか持てない経営者にとっては、経済が高度で複雑になればなるほど、決算の内容もますます把握しにくくなる。月末や期末からかなり日数が経ってからようやくできあがる決算書をながめ、経理からさまざまな会計処理の説明を受けて初めて、自分の会社の利益がいくら出たのかを把握するようなことがよくあるのではないか。ずいぶん前になるが、私も期末の決算報告を終えた経理部長に対して、「儲かったお金はどこにあるのか」と尋ねたことがある。彼は、「利益は売掛金や在庫、また設備など、さまざまなものに姿を変えているので、簡単明瞭にどこにあると言えるものではない」と答えた。そこでさらに踏み込んで、「利益から配当しなければならないというが、それだけの金がどこにあるのか」と聞いた。経理部長は、利益は手持ちの資金としてはなく、配当資金は銀行から借りる予定であると述べた。私はそれが非常に不思議に思えたので、「配当をするお金がなくて、わざわざ銀行から借りてくるというのでは、儲かったと言えるのだろうか?」と尋ねた。経理部長は、「はい、それでも儲かったと言うのです」と答えた。それでは水掛け論になるので、損益の数字の動きと、実際のお金の動きとを、はっきり結びつけて説明するように求めた。経理部長は、貸借対照表(バランスシート)の各勘定の動きを追いながら、資金の源泉と使途をあらわした資金運用表をつくり、当期利益と減価償却から出てきた資金がどのようになったのかを説明した。そこで私はやっと現金の収支のみから成り立つ会計であれば出てこないような、固定資産、棚卸資産、受取手形、売掛金などというさまざまな勘定科目がバランスシートにあらわされていることがわかった。苦労して利益を出しても、それをそのまま新しい設備投資に使えるわけではない。売掛金や在庫が増加すればお金はそこに吸い取られてしまっているし、借入金を返済すればお金が消えてしまう。儲かったお金がどういう形でどこに存在するのか、ということをよく把握して経営する必要があるとそのとき私は痛感したのである。現在の京セラでは、米国の会計基準にもとづき連結決算報告を作成しているが、米国の会計基準の発展により、資金運用表は近年「キャッシュフロー計算書」となっており、次
頁の表のように利益とお金の増減のつながりをきわめて明確に示すものとなっている。この計算書では、営業活動によるキャッシュフローに加えて、投資活動や財務活動によるキャッシュの増減がトータルで計算されている。この計算書により、現金およびその等価物の合計である「キャッシュ」の総額が明確に把握できる。このような米国方式の「キャッシュフロー」の会計報告を京セラでは一九九〇年より実施している。
2資産か、費用か――「バナナの叩き売り」でその違いを見る収益と費用が、お金の動きから切り離されていくことによって、近代的な洗練された会計手法が発達したわけだが、経営はあくまで原点のキャッシュベースで考えるべきである。たとえば、あるものを資産として残すのか、費用として落とすのか、経営上これによって大きな違いが出てくる。かつて私は経理部長に次のような話をしたことがある。極端な話だが、たとえば町でバナナの叩き売りをやるとする。まず青果市場でバナナを一箱仕入れる。駅前で叩き売りをしようと、手近の八百屋に行って、「リンゴ箱を一つ分けてくれ」と言い、空いたリンゴ箱を三百円で買う。リンゴ箱の上にかける大きな布も要るので、隣の雑貨屋で一枚千円で買う。棒がないと叩き売りにならないので、二百円で手に入れる。こうして商売の道具を一式そろえる。バナナは一房五十円で二十房を仕入れた。それを百五十円で売ることにする。一房売れば百円儲かるわけだ。そこで日が暮れるまでに幸い全部売れたとしよう。売上が三千円あって、仕入れた原価は千円だから、儲けは二千円あるはずである。ところが、勘定してみるとお金はそんなにはない。リンゴ箱に三百円、布に千円、棒きれに二百円と道具に千五百円払っているので、手元には五百円しか残らないわけだ。仮にそこへ税務署が来て、「あなたは二千円儲かったから、その半分の千円を税金として払え」と言うとする。手持ちの五百円から、なぜ千円もの税金を払うことになるのか問うと、「リンゴ箱と布と棒は費用ではなく資産だ」と言う。「千五百円の資産と五百円のお金で二千円になり、それに税金がかかる」というのである。税務署はリンゴ箱はりっぱな財産だというが、明日には次の土地に移るので捨てていかなければならない。リンゴ箱を分けてもらった八百屋に行って、買い戻してほしいと言っても、「タダならもらってやるよ」と言われるのがおちである。布だって、おろしたてのパリッとしたものであってこそ、バナナがおいしそうに見え売れるのだ。結局、リンゴ箱も布も棒きれも資産としての価値はない。何度も繰り返して使えて、その価値が残るものは、会計上資産とすることになっているが、「本当に財産としての価値を持つものなのか、そうでないのか」というの
は、経営者が判断すべきものである。そして、その判断の善し悪しの結果はすべて経営者の責任である。経営者にとって捨てる以外に方法がないものは、資産とは言えない。経費で落とすべきである。リンゴ箱は三千円の売上を上げるために使った経費であって、八百屋でまたお金を払って買い戻してくれるような資産ではないからだ。この話は、あるものを費用にするか資産とするかによって会計的には大きな違いになることを、単純化した例えで示したものである。実際にはもちろん、固定資産は土地などを除いて減価償却ができるし、少額のものであれば一時に経費に落とすことが税法でも認められている。いずれにしても、バナナを売るために買った道具が使い捨てのものなら、それはすべて経費なのである。三千円の収入を得るために合計二千五百円を支払った。だから残りは五百円で、それが手元に資金として存在するわけである。これにかかる税金を払ったあとは、自由に使える。しかし、「千五百円で買った道具は資産だから、儲けは合計二千円だ」と思って、五百円以上使ってしまえば、たちまち資金繰りが行き詰まってしまう。だから、支出がなされたものは、資産としてかかえ込まずにできるだけ早く費用として処理しなければならない。そうは言っても、経営者にとってすでに使ってしまったお金が会計上ではいつ費用になるのかということを気にしなくてはならないようでは、経営はきわめて難しいものになる。こうしてみると、どのような利益が数字の上で出ていようとも、結局安心して使えるのは手元にある自分のお金(キャッシュ)しかないことになる。つまり、企業を発展させるため、新たな投資を可能にするものは、自分のものとして使えるお金以外にはないのである。ところで先ほども述べたように、儲かったお金が、どこにどのように存在するのかを明確に把握しておくというのは、経営の基本である。しかし、経理が何日もかかってまとめた決算書を見て初めて、それがどこにあるかをつかむというのでは、「キャッシュベースの経営」にはならない。すでに過去のものとなった事実に対してこれからのアクションはとれないのである。経営はあくまで「リアルタイム」で眼前の事実と渡りあわなければならない。通常、決算は経理が何日も費やしてようやくまとまる。その中での決算整理におけるさまざまな会計的な評価、判断が利益の数字に実際には大きな影響を与えるのである。たとえば棚卸資産は評価の方法によって金額が大きく変化する。しかし、現在、手元にある資金というのは、その瞬間瞬間に在り高を明瞭につかむことができる。自分で自由に使える
お金、キャッシュがリアルタイムで把握できていなければ、激変する経営環境の中で会社を経営していくことはできない。だから、さまざまな会計上のプロセスを通じて計算されたペーパー上の「利益」を待つのではなく、まぎれもなく存在する「キャッシュ」にもとづいて経営の舵取りを行うべきなのである。ただし現実問題として、決算上の「利益」というものも、企業活動の成果としてはきわめて重要なものであり、株主への配当金も商法上の「処分可能利益」から行うことになっているので、その意味では当然、これから目を離すわけにもいかない。そうであれば、この会計上の利益と手元のキャッシュとの間に介在するものをできるだけなくすことが必要となる。私の会計学は、このような観点から、会計上の利益から出発してキャッシュフローを考えるのではなく、いかにして経営そのものを「キャッシュベース」としていくのかということを、その中心に置いている。3土俵の真ん中で相撲をとるお金のことをつねに心配していては仕事ができない。そのため、ぎりぎりの資金繰りは決してしないようにしなければならない。手形が落ちないといって必死に金策に走り回り、ようやく手形を落とし、あたかもすごい経営努力をしているかのように思い込んでいる人がいる。しかし、つねに金策に走り回って自転車操業をしているようでは、本当の経営を行っているとは言えない。マイナスの経営を、やっとのことでプラス・マイナス・ゼロの水準に戻しただけのことである。京セラを創業して間もないころ、私は松下幸之助氏の講演を聞く機会があった。その講演のテーマは「ダム式経営」というものであった。幸之助氏は会社を経営する際、ダムをつくることで川がいつも一定の水量で流れているように、「ダムの蓄え」を持って事業を進めていかなければならないと説かれた。話のあとの質疑応答の際に、聴衆の一人が、「どうやったらそのような余裕のある経営ができるのでしょうか?」と尋ねた。幸之助氏は、「その答えは自分も知りません。しかし、そのような余裕のある経営が必要だと思わな、あきませんな」と答えた。聴衆の多くは、この答えに笑ったが、私はこの言葉に深く心を動かされた。何かを成そうとするときは、まず心の底からそうしたいと思い込まなければならない。「わかってはいるけれど、現実にはそんなことは不可能だ」と少しでも思ってしまったら、どんなことも実現することはできない。どうしてもこうでなければならない、こうしたいという、強い意志が経営者には必要なのである。
このダム式経営と同じ趣旨で、私がよく使う言葉に「土俵の真ん中で相撲をとる」というものがある。土俵際ではなく、まだ余裕のある土俵の真ん中で相撲をとるようにする、という意味である。
土俵際に追いつめられ、苦し紛れに技をかけるから、勇み足になったり、きわどい判定で負けたりする。それよりも、どんな技でも思い切ってかけられる土俵の真ん中で、土俵際に追い込まれたような緊張感を持って勝負をかけるべきだ、ということである。これは企業財務に関して言えば、「つねにお金のことについて心配しなくても、安心して仕事ができるようにすべきだ」ということであり、そのような強い思いが、京セラを早い時期より無借金経営に導いたのである。
世の中の経営者には銀行から借金をして、それを元手に事業を急速に拡大していく方が良いと考えられる方が多いであろう。しかし、最近の貸し渋り問題を見てもわかるように銀行は「天気の良い日には傘を貸すが、雨が降れば傘は取り上げる」と言われている。酷な話に思えるが、お金を貸して取りはぐれたのでは銀行の経営が成り立たないので、雨が降ったら借りた傘は取り上げられるというのは当たり前と考え、どんなときでも自分の力で雨に濡れないようにしておかねばならない。つまり、土俵の真ん中で相撲をとるような経営をつねに心がけていなければならないのである。
現代は技術革新が急速に進み、わずかな間に事業環境が一変してしまうこともある。そのような中で事業を続けていくためには、予測を上回る膨大な資金を研究開発や新規設備に投入しなければならない事態に追い込まれるかもしれない。そうであっても、経営者は社員の生活や株主の利益を守らなければならないのである。
しかし、もし、資金に余裕を持っていなければ、このような問題に追いかけられるばかりで、将来をみすえた積極的な手が打てるはずはない。だから、経営者は必要に応じ使えるお金、すなわち自己資金を十分に持てるようにしなければならないのである。そのためには、内部留保を厚くする以外に方法はない。すなわち、企業の安定度を測る指標である自己資本比率を高くしなければならないのである。
欧米の企業と比べ、日本の企業はどうしても借入を前提として経営を進めるということになりやすい。自分の利益を積み重ねて、自分のお金で経営をするというのではなく、まず銀行からお金を借りて経営する。利益を出して税金や配当金を支払うよりも、借金して金利を支払った方が節税にもなり、メリットが大きいという考え方である。
ところが、借入による資金の調達は、市場における金利や資金需給の動向、政府や金融機関の政策や方針といったものに直接の影響を受ける。新しい事業や生産設備の拡大のための投資が、このような事情によって、タイミングを失いかねない。また、資金を貸してくれる銀行の意向を気にするあまり、まったく新しい事業を行うための投資は、実施しにくいものとなるかもしれない。資金を銀行から借り入れる場合には、返済計画を明らかにしなければならない。当然返済の支払いは元本に利子が加えられたものとなる。一方、企業が直接事業から借入の返済にあてることができる原資は大きく二つの源がある。それは、税金を支払ったあとの利益である税引後利益と、会計上経費としているが実際には手元にキャッシュとして残っている減価償却費である。つまり、安全に経営をしようと思えば、減価償却プラス税引後利益で返せる範囲のお金でしか設備投資をしてはならないことになる。
私がとにかく借金はできるだけ早く返そうとしたために、比較的早い時期から京セラは自己資本の比率を高くすることができた。具体的には、上のグラフの通り創業より十五年目で、総資産に占める自己資本の比率を七〇パーセント近くまで高めることができた。
これは、自己資金を蓄積し、それをもとにさらに大きな自己資金が生み出せるような経営を進めるという、「キャッシュベースの経営」の結果であると考えている。4勘定合って銭足らず前述したように、近代会計は「発生主義」にもとづいて発展し、それによって会計そのものは非常に高度で複雑なものになった。ところが、そのために計算されて出てくる利益が、実際に手元にあるお金の動き、すなわち「キャッシュフロー」とすぐには結びつかないものになった。しかし、最近この「キャッシュフロー」は、会計学でも非常に重視されるようになってきている。利益ではなく将来どれだけのキャッシュを生み出す力があるのかによって企業を評価すべきである、という考えにもとづいたアプローチが、専門家の間ではすでに一般的なものになっているのである。とくに米国では、貸借対照表や損益計算書と並んで、「キャッシュフロー・ステートメント」が正規の決算報告を構成するものとして明確に位置づけられ、決算報告書には必ず含まれるようになっている。
この傾向は、経営者にとっては歓迎すべきものであり、私の会
計学にも通ずるところがある。ただし、現在のこの「キャッシュフロー」とは、発生主義によって計算した利益に対して、減価償却費などの現金の動きをともなわない項目を調整したものである。これに対して私の言う「キャッシュベースの経営」は、経営そのものを実際の「キャッシュ」の動きと「利益」とが直結するように近づけていくことを意味している。
私はよく「勘定合って銭足らず」という言葉を使ってキャッシュベースで経営することの重要性を強調している。毎年何とか決算上は利益が出ているのに、実際の資金繰りは苦しく、いつも資金が不足しているというような会社をよく見受ける。これは、「キャッシュベース」ではなく、決算上の「利益ベース」のみで
経営している結果であろう。
会計の専門家の世界では「利益が上がればその分の現金がなければならないと考えるのは会計の素人だ」ということになるのかもしれない。しかし、本来的には事業活動から得られる利益こそが「キャッシュ」の大きな源泉である。だから、もし会計学が「キャッシュ」とは完全に切り離された決算上の「利益」を計算するものでしかないのなら、実際の経営には使えない無用の学問ということになりかねない。
「儲かったお金はどこにあるのか」というのは、経営者が決算書を見るたびにつねに胸に呼び起こさなければならない大切な問いかけなのである。
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