MENU

第七章透明な経営を行う【ガラス張り経営の原則】

目次

第七章透明な経営を行う【ガラス張り経営の原則】

1公明正大な経理2社内に対するコミュニケーション3フェアなディスクロージャー4経営のモラルと会計のあり方5公正さを保証するための一対一対応の原則6資本主義経済における会計の役割

第七章透明な経営を行う【ガラス張り経営の原則】

私は京セラを創業以来、心をベースにした経営、つまり社員との信頼関係にもとづいた経営を心掛けてきた。中小企業であった京セラが厳しい競争に打ち勝っていくためには経営者と社員が固い絆で結ばれ、団結していることが不可欠だったのである。そのような信頼関係を構築するためには、会社の置かれている状況を包み隠さず社員に伝える必要がある。そう考え、私はガラス張りの経営を行い、全社員が京セラの経営状況がわかるようにしてきた。また京セラが株式を上場してからは、一般投資家からの信頼を得ることが大切だと考え、ディスクロージャーを徹底してきた。私は企業経営は公明正大に行うことがもっとも重要であると考えているが、それが保証されるために経営を衆人環視の下に置くことにしたのである。ここでは、この「透明な経営」を支える経理のあり方について述べたい。1公明正大な経理経営を実態より良く見せようとするような会計処理を決してしてはならないことを、さきに「筋肉質の経営」というテーマのもとに述べた。日本の企業会計の基本ルールである「企業会計原則」の中に、「真実性の原則」というものが謳われているが、真実をありのままにあらわすことが会計のあるべき姿である。このためには、まず「お金を扱い、会計処理を行う経理部門自らが徹底して清廉潔白であり、かつフェアであることが、もっとも重要である」という考え方を浸透させなくてはならない。それゆえに経理部門のメンバーは全員、つねに正々堂々とフェアな態度で筋を通すようにすべきなのである。また経理部門内に卑怯な考え方やふるまいが決して認められないような雰囲気をつくり、社内でも一目置かれる存在となるようになるべきなのである。しかしながら、経理部門が会社のあらゆる会計処理や決算報告を正確に行い、かつ保守的な会計処理がとられるよう最大限努力したとしても、透明な経営ができるかどうかは、最終的にはトップの持つ経営哲学いかんにかかってくる。

2社内に対するコミュニケーションまず大事なことは、経営は幹部から一般の社員に対してまで「透明」なものでなければならないということである。つまり、経営トップだけが自社の現状が手にとるようにわかるようなものではなく、社員も自社の状況やトップが何をしているのかもよく見えるようなガラス張りのものにすべきなのである。会社は、決して経営者の私的な利益を追求する道具ではない。会社の使命は、そこに働く従業員一人一人に物心両面の幸福をもたらすと同時に、人類、社会の発展に貢献することである。当然、経営者は率先垂範して、この会社経営の目的を達成するために最大限の努力をしなくてはならない。透明な経営を実践すれば、この使命達成のためにトップが先頭に立って奮闘していることが、社員の目からも一目瞭然になってくる。また、逆に万が一、経営トップが会社のお金を少しでも私的なものに流用したり、また、接待だからといってゴルフや飲食に多額のお金を使っていれば、やがてはすべて社員の知るところとなる。それでは、社員から信頼されるどころか、社員の離反を生み出すだけである。透明な経営を行うためには、まず、経営者自身が、自らを厳しく律し、誰から見てもフェアな行動をとっていなければならない。次に重要なことは、トップが何を考え、何をめざしているかを正確に社員に伝えることである。たとえば、京セラの経営方針は、大きな労力を費やして社員一人一人に伝達される。年初には社長より経営方針が発表され、本社所在地域にいる中堅以上の幹部社員に対して直接発表されるが、それは同時に各地の工場には衛星中継されている。社長の経営方針を聞いた幹部は、職場でその内容を部下たちに伝える。その後、職場の全員が交代でビデオに録画された社長の話を聞く。このようにして全社員が経営方針の中で説明される、会社およびグループ会社全体の経営方針とともに、具体的な経営目標、およびそのための具体的施策を正しく理解できるようになっている。会社が何をめざしており、また現在どのような状態にあり、したがって何をしていかなければならないのか、社長の考えが社員全員にわけへだてなく伝えられ、それが各部門の目標として展開されていくのである。また、このほかに京セラでは年に二回、世界各地から京セラグループの経営幹部が集まり、一堂に会して国際経営会議が開催される。世界各地域、各分野から計画と実績、今後の方針の発表があり、議論される。幹部全員が集まって全部門、全グループ会社の発表に耳を傾け、京セラグループ全体の状況を理解し、自らのやるべきことをグループ全体の動きの中に位置づける。このようにグループ全体にわたる詳しい報告がトップのみに伝えられるのではなく、わけへだてなく二百名にのぼる出席者全員に共有されるのである。

さらに京セラ社内において月初に前月の各部門の詳細な実績が朝礼で発表される。アメーバのメンバーは自分たちの予定や実績は当然よく知っているが、月初の朝礼でその工場や事業所さらには会社の各部門の詳しい状況を数字で明確に知ることができる。このように京セラではできるだけ多くの経営情報を、できるだけ多くの社員と共有できるよう努めている。社員が会社全体の状況やめざしている方向と目標、また遭遇している困難な状況や経営上の課題について知らされていることは、社内のモラルを高めるためにも、また社員のベクトル(進むべき方向)を合わせていくためにも不可欠なことである。社員の力が集積されたものが会社の力なのであり、社員の力が結集できなければ、目標を達成することも、困難を乗り切っていくこともできない。そのためには、トップに対してだけでなく社員に対しても経営を限りなく透明にすることが最低限の条件となる。3フェアなディスクロージャー私は企業、とくに上場している企業は、すでに社会的存在となっているので、できるだけ企業情報は開示すべきだと考えている。たとえば、京セラは一九七六年に米国でADRという株式の一種を発行して以来、米国企業と同様なディスクロージャー(情報開示)を行うという方針をとってきた。当時、米国ではセグメント別の業績開示が会計基準に含められていたのだが、ADRを発行している日本企業の多くはそれについて長い間消極的な姿勢をとり続けた。しかし、京セラは米国の証券市場における株式公開企業である以上、ごく当然のことであると考え、当初から米国企業と同様に業種別および事業地域別の二分野におけるセグメント情報を開示するようにしてきた。今でこそセグメント情報は日本においても制度化されているが、京セラはこのように二十年ほど前からセグメント情報の完全な開示を行っており、米国公認会計士より「無条件で適正」との評価を得ている連結財務諸表を公表する、数少ない日本企業となっている。その後、今日注目を浴びている退職年金の会計をめぐっても、同じようなことが起こっている。米国での年金会計の方法と開示内容が大きく改められた際に、ADRを発行している多くの日本企業は日本の厚生年金制度が米国の会計基準の想定する年金制度とは異なったものであることを理由にして、「米国流」の年金会計の適用について消極的な態度をとった。しかしながら、京セラは米国におけるフェアなディスクロージャーの観点から、躊躇なく米国企業と同一の会計方法と開示内容による年金会計を適用したのである。この

結果、年金会計について京セラは、今日でも米国企業と同一内容の開示を行っているきわめて数少ない日本企業となっている。経営者は定められた決算資料においてできるだけフェアな情報開示を行うというだけでなく、日常活動として、投資家に対するIR(インベスターズ・リレーションズ)活動も重視する必要がある。大規模な機関投資家はもちろん、会社の将来と株式価値の動向に利害や関心を持つすべての人々に、トップマネジメントの観点から企業の理念と経営状況および今後の展望を正しく知ってもらわなくてはならないからである。自社が、投資家にとって健全な財務体質を持ち、かつ大切なお金を安心して投資できる将来性のある企業であることをアピールし、自社の価値を正確に理解してもらう、その結果として自社の評価、さらには株価を高める。それは自社だけでなく、多くの投資家にも多大なメリットをもたらすことになる。そのように考えるなら、投資していただいたお金が経営の中でどのように生かされ、また将来に向けていかに有効に活用されるかを正確に投資家に伝えるIR活動は、企業経営にとりきわめて重要なものになる。バブル経済崩壊後、日本の証券市場は低迷を続けているが、それを活性化させるには、証券市場をより公正で透明なものにする必要があるが、それと同時に企業自身が公明正大で透明な経営を行い、フェアで活発な投資家とのコミュニケーションを行っていくことが不可欠なのである。ディスクロージャーとは、要するに真実をありのままに伝えるという、当たり前のことである。たとえ「良くない事態」が起きたとしても、勇気を持って社外に対し、ただちに明らかにすることによって、逆に会社に対する信頼は高まっていく。困難に遭遇したときは真正面から立ち向かい、打開策を確実に実行していることを、正直に投資家に対して訴えればよいのである。このように自社のありのままの姿をつつみ隠さずオープンにするためには利益よりも公正さを優先するという確固たる経営哲学が不可欠となる。4経営のモラルと会計のあり方私の会計学は「儲かったお金はどうなっているのか」ということから始まった。「決算の結果、今月いくら利益が出たと経理は報告してきたが、そのお金はいったいどこにあるのだろうか?」ということが、これまで述べてきた経営のための会計学の出発点なのである。この利益というものも、私の会計学の基本原則である「一対一の対応」が守られていないと、架空のものになってしまいかねない。すでに述べたように、一つ一つのモノの動きと伝票処理とが明確な対応を保ってこそ、

最終的にまとめられた数字が真実をあらわすようになる。どのような洗練された会計処理がなされたものであっても、この「一対一対応の原則」にもとづかない経理処理が少しでもあると、それは会社の実態を正しく反映することはできない。京セラは、「一対一の対応」を経理での会計伝票はむろんのこと、受注・発注のサイクルを含めて、あらゆる伝票処理の原則として適用してきた。そのため企業の規模が急速に拡大しても、幸いにして管理上大過なく今日に至っている。しかし、率直に言ってこれだけ注意を払い、万全と思える管理システムを構築してもまったく不正が起こらなかったわけではない。それでは必ずしも堅実な管理ができていない企業はどうなっているのであろうか。私は近年多発する企業不祥事を見るにつけ心配している。そのような企業では、もしかすると不正処理が行われても問題とはされず、そのまま見過ごされていることが多いのではないだろうか。みんなが大なり小なり何らかの問題を持っているため、不正や疑惑の存在に気づいても互いにあえて問題にせず、見過ごしているのではないだろうか。さらに上司の方がより大きな問題を抱えているために、何か不正が見つかっても、あえて隠蔽したままのケースもあるのではないだろうか。社員の行動にどこかおかしな様子がある場合、不正に対し厳しい社風があり、周囲の者が清廉潔白であれば、すぐに目立つようになり、必要な処理がなされるであろう。しかし、おかしいと思われることを指摘することが「裏切り」であるかのように思わせる雰囲気が社内にあれば、問題は隠蔽されてしまう。このようにして社内に少しぐらいの不正には目をつぶろうという雰囲気が生まれると、やがて組織全体が膿んでいき、いつか必ず会社の屋台骨を揺るがすほどの問題になっていく。だからこそ、不正をなくすためにはまず経営者自身が自らを律する厳しい経営哲学を持ち、それを社員と共有できるようにしなくてはならない。そして、公正さや正義と言われるものがもっとも尊重されるような社風をつくり上げ、そのうえでこの一対一の対応のようなシンプルな原則が確実に守られるような会計システムを構築するようにしなくてはならない。そうすれば企業の不祥事の大半は必ず防げるはずである。5公正さを保証するための一対一対応の原則このように企業経営を公明正大に行うために具体的に必要なことは、決して高度なものでも複雑なものでもない。不正の温床となりやすい経理処理をはじめとし、あらゆる取引を「一対一の対応」によってきっちり処理する習慣をつければいいのである。

なぜなら、「一対一の対応」による管理を確立すれば、曖昧な処理、不正な処理はすべて排除され、すべての取引がクリアになるからである。このように「一対一の対応」は、大変初歩的な手続と思えるが、情報処理や会計処理を正しく行うためのもっとも基本的な不可欠なものなのである。この「一対一対応の原則」は、一つ一つの現象と人間の認識は文字通り「一対一」で対応すべきであり、その間には決して曖昧なもの、異物は介在できないという真理にもとづいている。だから、ありのままの現実から逃避をしたり、現実を粉飾してごまかしたりすることは、その真理に反することになる。そして真理に反する行為は必ず破綻を招く。すべての経営者が人間として普遍的に正しいことを追究するという経営哲学を持ち、「一対一の対応」のようなベーシックな会計の原則を確実に実行することにより、企業経営から不正を排除することができると私は考えている。6資本主義経済における会計の役割現在、日本の企業社会の中では、これまで表面化しなかった腐敗が露呈し始めている。新聞紙上等ではこれまでは社会的な信用も高かった日本の証券、銀行などの金融機関や中央官庁での不正問題が連日のように報道されている。しかし、これらは氷山の一角でしかなく、日本社会全体が腐敗しているのではないだろうか。つまり、誰もが何が正しく何が悪いのかを考えることなく、たんに自らの利益を追求し続けた結果、日本全体がきわめてモラルの希薄な社会になってしまい、社会全体が病んでしまっているのではないだろうか。そのような社会を立て直していくためには、まず社会的リーダーたる人々が人間として正しい確固たる哲学を持ち、それをベースに政治や行政や経営を実践していく必要がある。そもそも資本主義社会は、利益を得るためなら何をしてもいい社会ではない。参加者全員が社会的正義を必ず守るという前提に築かれた社会なのであり、厳しいモラルがあってこそ初めて、正常に機能するシステムなのである。つまり、社会正義が尊重され透明性の高い社会が築かれてこそ、市場経済は社会の発展に貢献できるようになる。そのためには、まず資本主義経済を支えている経営者が高い倫理観を持ち、すべての企業がフェアで公明正大な経営を実践していく必要がある。ところが残念なことに人間はつねに完全ではない。いくら立派なことを言っていても、誘惑にかられ、魔が差してしまうかもしれない。不正を犯してしまうかもしれないのであ

る。このことは不祥事を起こした人々を調べればよくわかる。誰も最初から不正や犯罪を犯そうと思っていたわけではない。この意味で私は会計の果たす役割はきわめて大きいと考えている。なぜなら会計において万全を期した管理システムが構築されていれば、人をして不正を起こさせないからである。また、万が一不正が発生しても、それを最小限のレベルにとどめることができるからである。しかし、そのための管理システムは、決して複雑で最先端のものである必要はない。人間として普遍的に正しいことを追究するという経営哲学がベースにあれば、それは「一対一の対応」、「ガラス張りの経営」、「ダブルチェック」などの原則にもとづくきわめてシンプルでプリミティブなシステムで十分なのである。このような会計の考え方やシステムは、不正を防ぐというだけでなく企業の健全な発展のために不可欠なものであり、逆にこのような会計システムがなければ、いくら立派な技術力があろうと、また十分な資金があろうと、企業を永続的に成長させていくことはできない。京セラが順調に発展することができたのも、確固たる経営哲学とそれに完全に合致する会計システムを構築することができたからだと考えている。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次