第8章トップマネジメント
37トップマネジメントの役割
多元的な役割
トップマネジメントの役割は多元的である。
①トップマネジメントには、事業の目的を考えるという役割がある。すなわち、「われわれの事業は何か。何であるべきか」を考えなければならない。この役割から、目標の設定、戦略計画の作成、明日のための意思決定という役割が派生する。
②基準を設定する役割、すなわち組織全体の規範を定める役割がある。目的と実績との違いに取り組まなければならない。主たる活動分野において、ビジョンと価値基準を設定しなければならない。
③組織をつくりあげ、それを維持する役割がある。明日のための人材、特に明日のトップマネジメントを育成し、組織の精神をつくりあげなければならない。トップマネジメントの行動、価値観、信条は、組織にとっての基準となり、組織全体の精神を決める。加えて、組織構造を設計しなければならない。
④トップの座にある者だけの仕事として渉外の役割がある。顧客、取引先、金融機関、労働組合、政府機関との関係である。
それらの関係から、環境問題、社会的責任、雇用、立法に対する姿勢についての決定や行動が影響を受ける。
⑤行事や夕食会への出席など数限りない儀礼的な役割がある。むしろ大企業よりも、地場の中小企業のトップマネジメントにとって逃れることのできない時間のかかる仕事である。
⑥重大な危機に際しては、自ら出動するという役割、著しく悪化した問題に取り組むという役割がある。有事には、もっとも経験があり、もっとも賢明で、もっとも傑出した者が腕をまくって出動しなければならない。
法的な責任もある。放棄することのできない仕事である。あらゆる組織にとって、トップマネジメントの機能は不可欠である。
もちろんトップマネジメントが行う具体的な仕事は、組織によって異なる。それは個々の組織それぞれに特有である。
問題は、トップマネジメントとは何かではない。「組織の成功と存続に致命的に重要な意味を持ち、かつトップマネジメントだけが行いうる仕事は何か」である。
トップマネジメントの役割の特徴
トップマネジメントに課される役割は、各種の能力、さらには各種の性格を必要とする。
少なくとも四種類の性格が必要である。「考える人」「行動する人」「人間的な人」「表に立つ人」である。これら四つの性格を合わせ持つ者はほとんどいない。
トップマネジメントにはそれぞれの流儀があり、それぞれ自分なりに役割を決めればよいとの考えはナンセンスである。
誰にも流儀はある。それはそれでよい。しかし、トップマネジメントとは何であり、何でなければならないかは客観的に規定される。
引力の法則が、その朝物理学者が食べたものと関係がないように、トップマネジメントの役割はその座にある者の流儀とは関係ない。
トップマネジメントの役割が、課題としては常に存在していながら仕事としては常に存在しているわけではないという事実と、トップマネジメントの役割が多様な能力と性格を要求しているという事実とが、トップマネジメントの役割のすべてを複数の人間に割り当てることを必須にする。
38トップマネジメントの構造
チームで行うべき仕事
トップマネジメントとは、一人ではなくチームによる仕事である。トップマネジメントの役割が要求するさまざまな体質を一人で合わせ持つことは不可能である。
しかも、一人ではこなしきれない量の仕事がある。健全な企業では、組織図における肩書の如何にかかわらず、トップマネジメントの役割はほとんど常にチームで遂行している。
ヘンリー・フォードは、トップマネジメントをチームで行う必要を信じなかった。彼の晩年、フォード社が衰退し倒産の危機に陥ったのはそのためだった。
最近の研究から明らかなように、フォード社の業績が優れていた時代、すなわち一九〇七年から二〇年代初頭にいたる間、同社には真のトップマネジメント・チームが存在した。
ジェームズ・クーゼンスがフォードと肩を並べ、いろいろな分野で最終的な権限を持っていた。ところが彼が去るや、ヘンリー・フォードは完全なワンマンになった。フォード社が下り坂をたどったのはそのときからだった。
役割の分担
組織図のうえで一人のトップがワンマンに見えることがある。しかし仔細に見れば、健全な組織では、トップマネジメントの責任を担う人間が他にもいることが明らかになる。
逆に組織図のうえではトップマネジメントがチームとして存在していても、現実には存在しないことがある。そこで、チームを装った独裁の危険を防ぐための方策が必要となる。
唯一の方法は、トップマネジメントの役割の一つひとつを、トップマネジメントのメンバーに直接かつ優先的に割り当てることである。
しかも大企業においては、トップマネジメントの責任を担う者は、トップの役割ではない責任を担わなくてもすむようにすることである。
最近の大企業には、事業部グループを担当するトップマネジメントのメンバーがいる。
事業部グループという現業の長をつとめながら、時間の一部、たとえばその三割の時間を企業全体のトップマネジメントの仕事に向けている。
もっともらしく見えるが、うまくいくはずがない。トップマネジメントの役割を果たすには、日常の仕事に忙しすぎる。トップマネジメントとしての貢献ができなくなる。
トップのための組織の条件
トップマネジメントの組織構造もまた、仕事の分析からスタートしなければならない。しかる後に、それらの仕事を特定の人間に割り当てなければならない。
その者が直接かつ全面的に責任を負わなければならない。かくして、トップマネジメントがチームとして必要となる。
責任は、チームのメンバーそれぞれの資質、性格、体質に応じて割り当てる。責任を割り当てられた者は、肩書に関わりなくトップマネジメントの一員である。
単純で小規模な企業を除き、トップマネジメントとしての責任を負う者は、トップマネジメント以外の仕事をしてはならない。
チームワーク
トップマネジメントがチームとして機能するには、いくつかの厳しい条件を満たさなければならない。チームは単純ではない。
仲のよさだけではうまく機能しない。人間関係に関わりなく、トップマネジメント・チームは機能しなければならない。
①トップマネジメントのメンバーは、それぞれの担当分野において最終的な決定権を持たなければならない。
②トップマネジメントのメンバーは、自らの担当以外の分野について意思決定を行ってはならない。ただちに担当のメンバーに回さなければならない。
③トップマネジメントのメンバーは、仲良くする必要はない。尊敬し合う必要もない。ただし、攻撃し合ってはならない。会議室の外で、互いのことをとやかく言ったり、批判したり、けなしたりしてはならない。ほめあうことさえしないほうがよい。
④トップマネジメントは委員会ではない。チームである。チームにはキャプテンがいる。キャプテンは、ボスではなくリーダーである。キャプテンの役割の重さは多様である。
デュポンでは、社長は一票を持つにすぎず、精神的な権威であるにすぎない。GMのアルフレッド・P・スローンは、あらゆることに拒否権を持っていた。ただし、ほとんど行使しなかった。いずれにせよ、キャプテンは欠くことができない。
危機に陥ったときには、他のメンバーの責任を一手に引き受ける意欲、能力、権限を持たなければならない。全体の危機に際しては、一貫した命令系統が不可欠である。
トップマネジメントのメンバーは、自らの担当分野では意思決定を行わなければならない。
しかし、ある種の意思決定は留保しなければならない。チームとしてのみ判断しうる問題がある。少なくともその種の意思決定は、決定する前に、トップマネジメントのチーム内で検討しなければならない。
もちろん、それがどの問題であるかは、あらかじめ決めておく必要がある。
「われわれの事業は何か。何であるべきか」の定義、既存の製品ラインの廃止、新たな製品ラインへの進出、巨額の資本支出を伴う決定などである。
そして、主要な人事である。トップマネジメントの仕事は、意思の疎通に精力的に取り組むことを要求する。それは、各メンバーが、それぞれの担当する分野で最大限の自立性を持って行動しなければならないからである。
そのような自立性は、自らの考えと行動を周知徹底させているときにのみ許される。
39取締役会
取締役会は機能していない
トップマネジメントを監督し、助言し、その意思決定を審査し、さらにはトップマネジメントを任命する機関の名称は国によって異なる。メンバーについての規定も異なる。
マネジャーが取締役会に加わることはドイツではできないが、アメリカ、イギリス、日本ではできる。
しかし、その法的な地位の如何にかかわらず、あらゆる国の取締役会に共通することが一つある。それは、どれも機能を果たしていないという事実である。取締役会の衰退はあらゆる国で見られる。
このことは、企業の統治機関である取締役会が、企業の破局に際して、問題の発生を常に最後に知らされる集団だったという事実が端的に示している。
一九三一年の最初の世界的な通貨危機の引き金となり、ポンド暴落の原因となったオーストリア有数の銀行クレディート・アンシュタルトの倒産のときがそうだった。
ドイツの銀行システムを崩壊させ、ヒトラーの興隆さえもたらすことになった三〇年代初頭におけるドイツの一連の企業倒産のときがそうだった。
第二次大戦後のイギリスのロールス・ロイス、アメリカのペン・セントラル鉄道、イタリアのモンテカチーニの倒産のときがそうだった。
それらの企業の取締役会は、最後の瞬間まで事態の深刻さを知らされなかった。不祥事が起こると、取締役会が愚鈍だった、怠慢だった、情報を持たなかったといわれる。
だが、同じことが繰り返し起こるならば、問題は個々の取締役会ではなく、取締役会という制度そのものにあると結論せざるをえない。
取締役会は、どのような名称を持ち、どのような法的な地位を持っていようとも、一つの虚構と化している。
①今日、先進国の大企業の所有権は、少数の金持ちではなく大衆の手にある。取締役会はもはや所有者を代表しない。誰も代表しない。その結果、取締役会のメンバーの選出方法が正統性を失った。有名だから選ばれる。
取引銀行や顧問弁護士だから選ばれる。あげくの果てには他の企業のトップだから選ばれる。A社がB社の社長を取締役として迎える代わりに、B社がA社の社長を取締役として迎える。彼らは多忙である。
取締役をしている企業に、さしたる利害関係を持たない。多くの時間を割くべき理由もない。
逆に取引関係があるならば、根ほり葉ほり聞いたり都合の悪い質問はしない。批判的な態度はとらない。時折その振りをするだけである。
②今日、取締役会は統治機関たりえなくなっている。
統治とは常勤の職務である。非常勤ではざっと目を通すだけで精一杯である。徹底的な検討などできない。
③そもそもトップマネジメントは、意味ある取締役会を望まない。意味ある取締役会はトップマネジメントに成果と業績を要求する。成果と業績をあげないトップマネジメントを排除する。
これこそ取締役会の役割である。都合の悪いことを質問する。事前に報告することを要求する。いずれも取締役会の法的な責任である。
トップマネジメントの提案をそのまま鵜呑みにしない。理由を知りたがる。人事を簡単には承認しない。他の候補者が誰だったかを知りたがる。
候補者を直接知りたがる。成果をあげる取締役会は、自ら効果的たるべきことを欲する。これがほとんどのトップマネジメントにとって、束縛、制約、大権の侵害と受けとられる。脅威とされる。
トップマネジメントの多くは、取締役会の衰退に不都合はないと反論する。彼らは、取締役会が虚構になったことに満足する。完全に消滅することさえ望む。
完全な社内取締役会になっているならば、すなわちトップマネジメントが完全に支配しているならば、取締役会はすでに消滅したといってよい。
社会の要求
トップマネジメントが意味ある取締役会を育てないならば、社会から不適切な取締役会を押しつけられる。押しつけられた取締役会は、トップマネジメントを支配し、その方向と決定を左右しようとする。
ボスになろうとする。自らをトップマネジメントに対立すべきものとする。企業のために行動しないであろうし、実際に行動できない。
すでにその兆候が現れている。この傾向を逆転するには手遅れかもしれない。
アメリカではこの数年、取締役会を適切なものにせよとの圧力、すなわち取締役会にあらゆる種類の利害集団、黒人、女性、貧困者等々の代表を任命せよとの強い圧力が見られる。
しかし、いかに優れた人間が任命されたとしても、取締役会のメンバーとしては機能できないはずである。彼らの役割は、それぞれの集団、それぞれの利害を代表することにある。
彼らの役割は、トップマネジメントに要求して、特別のプロジェクト、特別のニーズ、特別の政策を推進することにある。
企業そのものに関心を払い、責任を持つわけにはいかない。もちろん取締役会で耳にしたことを秘密にしておくことを期待するわけにもいかない。
彼らの忠誠は、企業に対してではなく、自らの属する集団や階層に対してのものである。一世紀も前に考え出された取締役会は、あまりに長生きしてしまった。
そのため有用性を失った。ということは、トップマネジメントが、いかなる種類の取締役会が必要とされているかを検討しなければならないことを意味している。
取締役会の衰退は真空状態を生み出した。いずれにせよ、この真空は埋められなければならない。
取締役会の三つの機能
機能する取締役会が必要とされるのは、三つの理由からである。
①審査のための機関が必要である。トップマネジメントに助言し、忠告し、相談相手となる機関が必要である。トップマネジメントの役に立つだけでなく、危機にあって英知と決断を持って行動する機関が必要である。企業は社会にとって重要な存在である。
したがって、そこには管理のための手段が組み込まれていなければならない。誰かがトップマネジメントをして、「事業は何か。何であるべきか」を考えさせなければならない。
目標と戦略を確認しなければならない。計画、投資、予算を批判的に検討しなければならない。人事と組織について最高裁の役割を果たさなければならない。
成果をあげられないトップマネジメントを交替させる機関が必要である。無能なトップマネジメントを交替させる力とは、一つの権力である。
しかしそのような取締役会を恐れるのは、弱体なトップマネジメントだけである。社会は、大企業のトップマネジメントの無能に寛容であるわけにはいかない。
トップマネジメント自らが、無能なトップマネジメントを除去できるだけの取締役会をつくらないときには、政府がそれをつくることになる。
あるいは乗っ取りが起こる。乗っ取り屋が狙うのは、苦境にある企業ではない。潜在能力を生かしきっていない企業、トップマネジメントが成果をあげていない企業である。
渉外のための機関が必要である。企業は諸々の利害当事者と直接接触しなければならない。今日の企業には、多種多様の利害当事者がいる。
株主がその一つである。だが株主は、伝統的な法理論が説いているような唯一の利害当事者ではない。今日彼らは、所有者ではなく投資家である。従業員も、明らかに利害当事者の一つである。
しかし従業員さえ、ドイツの労働組合が主張するような唯一の利害当事者ではない。地域社会、消費者、取引先、流通チャネルも、利害当事者である。
これらのすべてが、企業の現状、問題、方針、計画を知らなければならない。ドイツの労働組合やアメリカの消費者運動は、企業の利害当事者として、彼ら自身を取締役会に加えるよう要求する。
その要求には一理ある。彼らがまちがっているのは、自分たちだけが唯一の利害当事者であると信じている点だけである。彼らは数多くの利害当事者の一つにすぎない。
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