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Part5「センス」を磨き、仕事力を向上させる

目次

Part5「センス」を磨き、仕事力を向上させる

センスアップはスキルアップにつながる

センスについて述べてきた本書の最終章では、ビジネスパーソンがどのようにセンスを身につけるか、すぐにできる簡単なヒントをまとめておきましょう。

現代社会において、センスとはマナーです。「美術大学などで特別な訓練を受けたわけでもないのに、〝センスがいい〟と呼ばれる人」とは、知識が豊富な人であり、知識が豊富な人とは仕事ができる人です。

知識が豊富な人であれば、上司やクライアントとの会話の際に相手の専門性を感じ取ったり、自分の普通に照らし合わせたり、「チューニング」がうまくできることは多々あります。

チューニングがうまくいけば、理解の度合いは深まるでしょう。知識とは不思議なもので、集めれば集めるほど、いい情報が速く集まってくるようになります。

知らないことがあるとき、上司なり同僚なり部下なりの知識を吸収しようとする人は、「知ろうという姿勢」が習慣としてあるので、ますます知識が増えていきます。

逆に、知らないことがあるときそのままにする人は、どこまでいってもそのままです。さらに、相手の知識を得ようとするとき、人はおのずと聞き役に回ることになりますが、これにもはかり知れないメリットがあります。

「聞く」というコミュニケーションが上手になるためです。「コミュニケーション」というと、いかに伝えるか、いかに自己表現するかに意識を向ける人が多いようですが、その真髄は、「話すこと」だけではありません。コミュニケーションにおいて話すことと同様に、もしくはそれ以上に大切なことは、「聞くこと」です。

相手の専門性に合わせて自分をチューニングし、話を深く聞き取りましょう。このような専門性はすべて、キャリアアップにつながっていく要素でもあります。

僕に言わせれば、センスがいい人がスキルアップしていかないほうがむしろ不自然です。センスがいい人は、ビジネスパーソンとしても自然に成長していくと思っています。

何度となく書いていますが、非常に重要であり、また、根深く誤解されていることなので何度でも繰り返しましょう。センスとは、研鑽によって身につくものです。

グッドデザインカンパニーのプロデューサーであり、僕の妻でもある由紀子は、「センスがないのは生まれつきだから仕方がない」という思い込みに囚われていた一人です。

かつて彼女はテレビ局でディレクターをしていましたが、「新番組にはどのロゴがいい?」「番組のセット、どの案がいい?」と聞かれるたびに、「センスがないからわからない」と言って、そうしたことに長けた先輩にお任せしていたそうです。

おそらく「センスというのは先天的なものなので、努力しても仕方がない」と思い込んでおり、当時はそれが許される環境だったのでしょう。

しかし、時代は変わりました。ほんの一〇年で、センスの必要性は変化しています。テレビ局であろうと、メーカーであろうと、これからは「センスがない」と言って許される仕事は減っていくでしょう。「わからないのはセンスがないせい」ではなく、「わからないのはセンスを磨く努力をしていないせい」です。

もしもロゴの判断を求められたら、数冊でいいから書体やロゴについての本を眺め、インターネットで情報をとれば、なにがしかの方向性は見えてくるでしょう。デザインの本を見れば、字間や行間、特殊書体についての説明がわかりやすく書かれています。知識を得ることで、センスについてのコンプレックスも消えていきます。

たとえば由紀子は、結婚して僕の会社を手伝おうかと考えたとき、「美術コンプレックスのかたまりの自分がデザイン会社で務まるのか」と非常に悩んだそうです。

ところが入社してから三カ月もすると、いつのまにかデザイナーに指示を出すまでに変わっていました。仕事のプロセスも専門用語もまるで門外漢だった彼女は、最初のうち、社内でのやりとりをひたすら注意深く聞いていたそうです。

僕がデザイナーにするアドバイス、デザイナーが自分のデザイン案の中でこれがいいと思った理由、デザイナー同士で修正の指示を出し合っているときに言っている内容……。

そのうちに彼女は「よいデザインをつくるには、満たさなければならない最低限のルールがある」ということに気付いたそうです。

Part4で述べたような「デザインの基礎知識」が、彼女の中にも蓄積されていったのでしょう。やがて由紀子は、世間から見るとデザイナーが「センス」で決めていると思われそうな部分にまで積極的に意見を出してくるようになりました。

「だったらこういうビジュアルはどう?」「○○さんの○○の写真集にあったようなトーンの写真がいいのでは?」「もっとダイナミックなレイアウトもやってみたほうがいいんじゃないかな」それらはいちいち的を射ています。

彼女の中に、デザインの具体的なアウトプットにまつわる知識も集積され、次々にアイデアが出てくるようになったのです。グッドデザインカンパニーにはもうひとりプロデューサーがいますが、彼女はかつて航空会社で働いていました。

やはりまるで畑違いの職種からやってきたわけですが、みるみるうちにデザインセンスがアップし、いまではアートディレクターと呼んでいいほどの活躍ぶりです。

デザイナーに的確にディレクションをしてくれるので、僕は彼女の「センス」を全面的に信頼しています。なぜ、デザインセンスが上がったのか?その理由について、二人は口を揃えて言っていました。

「毎日、いいデザインか悪いデザインかの判断が目の前で大量に下されていく環境の中にいたら、自分の中にデザインの知識が蓄まってきて、自然とわかるようになってきた」

これはあくまで一例ですが、わからないことがあればつぶさに見て、知るべきことを知る努力をしましょう。仕事のセンスは、日々、自ら磨いていくものなのです。

企画書は、消費者に知識、物語、価値を知らせる手紙

僕はあらゆる会社の企画書を見ているほうだと思います。電通、博報堂、サントリー、トヨタ……。ところが、どの会社も不思議なほど似ています。たぶんパソコンに入っている企画書のテンプレートが似たもので、たいていの会社はツールの都合を優先して企画書をつくっているのでしょう。

しかし僕が見るところ、それらは決して見やすいレイアウトではありません。作成した人自身も、読みやすいとは思っていないようです。「自分が読む立場だったら、たとえばどういうレイアウトが読みやすいだろう?」企画書をつくる際には、あらためて相手の目線で考えてみるといいでしょう。

企画書は内容も大切ですが、見せ方も大切です。見せ方を考えるとは、センスのいい企画書をつくるということです。たかが企画書ですが、されど企画書。企画書とは、市場へ商品を出すにあたって最初のアウトプット、いってみれば「消費者への手紙」です。

そこには知識の集積が必要ですし、その商品の物語や価値を語れるものでなければなりません。読み手の専門性に合わせてあれば、センスがよい企画書と見なされます。企画書を書く際、雑誌を真似てみるのも一案です。雑誌は順番に読みやすいようなレイアウトがなされています。

自分がいいと思う「これはいつも読みたくなるな」という雑誌をまず買ってきて、それと同じフォーマットにしてみる。スポーツ新聞が好きで読みやすいなら、スポーツ新聞を参考にしてもいいでしょう。企画書のテンプレートとは、常識の枠のひとつです。

常識の枠や思い込みの枠は、常にセンスを弾圧します。小さなことですが、まず枠を外しましょう。自分が好きなもののフィールドに企画書を一回引っ張り込んでみると、たとえ内容が変わっていなかったとしても、企画書が持つ「訴える力」が変わります。

これは企画書に限りません。定番を疑い、好きなことに変換することは、常にセンスよく仕事をするためのヒントです。ちなみにグッドデザインカンパニーの企画書はたいてい、一ページに数行の文章が書いてあるだけ、というごくシンプルなものです。

いろいろな色と書体が駆使され、長い文章がぎっしり書かれた、よくある企画書とはずいぶん趣が異なりますが、「紙芝居のように、聞き手の思考プロセスに沿う説明で進んでいくプレゼンは、わかりやすい」と言っていただけることが多いのです。

時には手紙のように、あえて「手書き」の企画書をつくることもあります。また、製本して絵本の形にした企画書を用いてプレゼンを行ったこともあります。テンプレートはいらない。それぞれの会社、部署、プロジェクト、企画の個性をもった企画書をつくる──これくらいの柔軟性があってもいいのではないでしょうか。

「好き」を深掘りしてセンスあるアウトプットをする

ターゲットの特性を掘り下げていくことも、センスを磨く上では大切です。手始めに、自分自身の特性を深掘りしてみましょう。自分の「好き」を掘り下げていくのです。

たとえば僕だったら四一歳の男性であり、そこを中心として周りに好きなものを書いていきます。好きな色は青。好きなアーティストはビートルズとサザンオールスターズ。

乗っている車はワーゲンのビートル。次に、それぞれの好きなことについて、「なぜそれが好きか」を書いていきます。青が好きなのはたぶん、子どもの頃に放映されていたテレビ番組『秘密戦隊ゴレンジャー』のアオレンジャーが好きだったから。ここからアオレンジャーの情報もメモしていきます。

たとえば、アオレンジャーはゴレンジャーの一員、サブリーダー、クールキャラ。敵となっていたのは黒十字軍というように、周辺情報も思いついたら書いていきます。アオレンジャー以外の「好きなもの」についても同様に、「なぜそれが好きか」を書いていきます。

このプロセスで注目すべきは「青が好き」ではなくて「ゴレンジャーが好き」です。深い情報が隠れているのはここなのですから。「好き」をさらに掘ったところに本当の答えが隠れているというのは、自分自身にも市場調査にも当てはまります。

仮に僕が食品メーカー勤務だとして、四〇代男性向けの新商品のパッケージを考えているとします。対象年齢の男性に対して市場調査を行い、何色のパッケージがいいのか赤、青、黄色から選んでもらった結果は、青かもしれません。「青が好きという回答が三〇%を超えていて一番多いな。新パッケージは青にしよう」というのは間違った判断です。

それは表面的な「好き」であり、深い情報ではありません。団塊ジュニアと言われ、人口が多い四〇代男性向けにつくる新商品が仮にカレーうどんであるとしたら、「青が好きだから青いパッケージ」では、カレーうどんのシズルにも全く合いません。

だからこそ、注目すべきはゴレンジャーです。「ゴレンジャーの中に、そういえばキレンジャーっていうのがいたよね。キレンジャーはカレーが大好きだったよね。あの頃はカレーライスだったけど、時代を経てカレーうどんにチェンジしたら、キレンジャーは飛びつくんじゃないかな」という仮説を立てたらどうでしょう?「青が好き」というのが市場調査の結果だったとしても、黄色いパッケージが正解ということもあり得ます。

「青が好き」という入口から、四〇代の男性たちの多くが好きなゴレンジャーという基盤にたどり着き、「黄色」というアウトプットをする。これが「好き」の深掘りであり、数字で測れない事象を最適化するための目安なのです。

「好き嫌い」でなく例を挙げてセンスを磨く

センスを磨く上で、好き嫌いでものを見るのは禁物です。好き嫌いとは、客観情報と対極にあるものなのですから。ところがプロジェクトを遂行するにあたって、大抵の人はまず、好き嫌いでものを言い始めます。

新しいグラスを発売するとして、サンプル品が届いた時、みんな口々に主観的な意見を言います。「このグラスのここが好き。すごくかわいい」「このグラスの手触りが嫌い」このように好き嫌いで話し始めると、その人のセンス、すなわちその人の知識の範囲でしか会話が成立しなくなります。同じ会社の同じプロジェクトチームであっても、全員が同じ知識量ということはあり得ません。

にもかかわらず趣味嗜好で打ち合わせをしては、結論が全くでない上に時間ばかりかかってしまいます。大企業の場合、このプロセスの次に控えるのは、お決まりの「市場調査」。

しかし、ただやみくもにアンケートをとったところで思うような答えは得られません。自分の好き嫌いを外して、まずそのグラスを、「誰が、どんなときに、どんな場所で使うのか」を設定しましょう。

そのうえで、この三つを掘り下げていきます。「誰が」を掘り下げる場合は、仮に「誰」を二五歳の女性と設定したとして、「二五歳の女性」で考えはじめてはいけません。

年齢が同じでもさまざまな人がいるわけで、その中でどんなことを考え、どんな商品を好み、どんなライフスタイルを送っている人がそのグラスを買ってくれる二五歳の女性なのか、検証しなければなりません。

彼女はどんな職場で働いていて、職場の昼休みはどんな話をしていて、昼休みに話題となったドラマはどんな内容で、そのドラマに出てきた登場人物はどんな映画に出ているのか。

彼女は映画というものをどう捉えているか。このあたりまで徹底的にやると膨大なデータになると思います。マーケティング用語でいえば「ペルソナ」ですが、データからこれを導こうとした場合、大変な労力を要します。

それを「知識として持っている人」が、「センスがある人」と呼ばれます。対象を具体的に、リアリティをもってイメージできるようになるためにも、「雑誌」は効果的です。僕がいろいろな年代向けの複数の女性誌を毎月読み込んでいるのは、このためでもあります。

「二五歳のフェミニンな女性だったら、あの雑誌を読んでいるような層だな。ということは、デートのときには特集されていたあの映画を観に行こうと思うようなタイプで、あこがれの芸能人はこういう人たちで、好んで着ているブランドは……」。

ある程度の人物設定なら、即座にできるようになるからです。また、「どんなときに、どんな場所で」が「立食パーティのとき、パーティ会場で」であるなら、会場の雰囲気に合った飾りが必要かもしれないし、重すぎるグラスは困るなど、最低限の情報の収集ができます。

ここで述べたことは基本的なことばかりです。それなのに、実行されていないビジネスシーンがあまりにも多すぎる気がします。「誰が、どんなときに、どんな場所で使うのか」、対象物を具体的に思い浮かべることは、センスを最適化するためにもっとも必要な三原則であると覚えておきましょう。

「せまいセンス」でも、それを軸に仕事をすることはできる

本書で述べてきた話と矛盾するようですが、ものすごく狭い分野で豊富な知識を持っている人のなかにも、センスがいい人は存在します。

「鉄道にものすごく詳しい」「海の生物ならなんでも知っている」という人たちです。このタイプの人はしばしば、「センスがない」と見なされますし、自分でもセンスがあると自覚していないことがほとんどです。

僕に言わせると、これは実にもったいないことです。狭い分野で豊富な知識を持っている人は、すべての事象を自分の得意分野と結びつけることができる、そんな特異なセンスの持ち主なのですから。

たとえば、海の生物にとてつもなく詳しい人がお菓子メーカーに勤めているとしたら、彼もしくは彼女は、なんでも海の生物に結びつけて発想できるはずです。

「『ギンビスたべっ子どうぶつ』は動物のかたちをしたクッキーで、それぞれ英語で『LION』『SHEEP』といった動物名が英語で刻印されています。海の生物のチョコがいっぱい入っているチョコを発売したらどうでしょう?」こんな提案ができるかもしれません。

「海の生物の物語といえば『スイミー』が有名ですが、小さなつぶつぶのチョコがいっぱい入っている「チョコベビー」に一個だけ赤いチョコを入れたものを売り出して、『スイミー』と名づけたらどうでしょう?」こんな、「その人でないとできない発想」がたくさんできるはずです。

多くの人はセンスがないのではなく、センスが活用できていないだけです。センスを磨くには、センスを活用する技術を持つことも大切なのではないでしょうか。

狭い分野で豊富な知識を持っている人は特に、この傾向が顕著だと僕は感じます。その商品なり企業のセンスアップをはかっていくとき、自分がとても好きなこと、すなわち自分が持っている最大の武器を使うということも、センスで仕事力を向上させる手法の一つです。

得意分野があるなら、何でも自分の得意分野に持っていってみましょう。「お前、またそれか」と言われても、自分の土俵に持っていくのです。「大学受験のときにどんな課題が出ても全部ビートルズに結びつける人がいた」という話を聞いたことがありますが、その人は方向性がはっきりしているので、迷っている時間が少なくてすみ、いい成績を残せたことでしょう。

これをビジネスシーンに引き寄せて考えることもできます。「いい企画を出してやろう」と悩みすぎて時間ばかり食っているなら、自分が得意な分野から考えてみることをおすすめします。

圧倒的に仕事が楽しくなるし、効率もかなりよくなるはずです。専門性が非常に高い企画は採用されにくいかもしれませんが、仮に駄目だったとしても、次回、何かのきっかけで引き出され、活用される可能性も大いにあると思います。

日常の工夫で、思い込みの枠を外す

センスを磨く方法は、知識を集積することと客観的になること。逆に言うと、不勉強と思い込みはセンスアップの敵です。「知識は得ようと努力するか/しないか」というものですが、思い込みは無意識なのでいささかやっかいです。

そんな思い込みを外す方法とは、いつもと違うことをしてみること。大それたことでなくてかまいません。小さいことで試してみましょう。いつも手にとらない雑誌を手にとってみる、いつも見ないテレビ番組を見てみる、いつもしゃべらない会社の部下なり、上司なりとしゃべってみる。自分という人間の枠組みを決めているのは自分自身です。

しかし、自分というものをつくっている要素はまわりの環境です。そこでまわりの環境を変えてみると、自分の枠組みも変わります。ここからセンスの多様性が育まれていくのです。

たとえば歯を磨くとき、なぜかいつも左下の奥から磨いているなら、前歯から磨いてみる。お風呂の浴槽は決まって同じ向きに入っている人がほとんどだと思いますが、逆側に入ってみる。蛇口や風呂釜の位置で決めた向きを、意図的に変えるだけでずいぶん違います。自分の当たり前を一つひとつ意識し、違うことをやってみれば、いかにルーティンに取り囲まれているか、実感することでしょう。

先日、友だちに勧められて後楽園の温泉施設「ラクーア」に行ってみたのですが、「見たことねえ!」という世界が繰り広げられていて新鮮でした。またあるときは、友人とその奥さんと三人でジェットコースターに乗りにいきました。

大人になると、子ども抜きでジェットコースターに乗ることなどなくなりますが、大人三人の遊園地は不思議な冒険となりました。やったことがないことを試してみましょう。

ゴルフの打ちっぱなし、釣り堀、インターネットカフェ、行ったことのないところに行ってみること。見たことのないものを、意図的に見ましょう。

教育テレビで放映されている、興味がなくてよくわからない番組を見る、電車の中の隣の人が読んでいた本を買ってみる。男性なら女性誌を、女性なら男性誌を読んでみましょう。まったく興味がない本を読んでみると、基本的には面白くありません。

しかしどこかしら「ん?」と思うこともあるかもしれません。僕は女性向けのメイク講座のテレビ番組、根付けの本、ネイルの本など、およそ個人的な興味とかけ離れたものをしばしば眺めています。

自分と全く違う職業の人と話すことも、当たり前を外す一助となります。歯医者さんに行ったら、歯の専門的な話をしてもらう。美容室に行ったら、聞き上手な美容師さんに乗せられて自分の話をするのではなく、美容師さんの話を聞きましょう。

「そのハサミって、どういうハサミなんですか?最近、どういうところに飲みに行ったりしますか?」と、逆に質問攻めにしてみると新しい発見があります。先日僕が企画した飲み会に集まったのは、小説家、ミュージシャン、編集者、経済学者、焼酎の蔵元の経営者。

ジャンルがまるで違う人たちが「はじめまして」からスタートした会でしたが、互いの専門分野について聞く中でたくさんの驚きがあったり、異業種ながら響き合うものがあったりと、とても盛り上がりました。

いつもと違うルートで会社に行ってみるのもいいでしょう。さらに休みの日、自分の家と駅を結ぶバスの、逆方向のバス停に並んでみる。行き先は書いてあるけれども、別にそんなものは見なくてもいいのです。

終点でも、途中下車でもいいから降りたことのない停留所で降りてみて、何かを見つけて帰ってくるのも楽しいものです。洋服を買う店を決めているなら、あえて違う店に行ってみる。女性がメンズ館に行くのも面白いと思います。

デパートの興味がないフロアに足を運び、店員さんと話をすることで、自分の世界が変わっていきます。好きな女性にプレゼントをするとき、彼女に欲しいものを聞くのではなく、彼女が読みそうな雑誌を買い、お店を覗いて品を選んでみてもいいでしょう。

ターゲットである彼女の特性を研究・調査し、一番いいプレゼントというアウトプットをするのです。彼女が「想像もしていなかったけれど、贈られてみたらとても嬉しい!」と思うものを選べたら、喜びが一二〇%、一五〇%になる可能性もあります。

まさにセンスがいい行動ができるようになるのです。行ったことのない場所に行くこと、自分と違う職業の人と話すこと、浴槽に逆に入ること、バス停を変えてみること、デパートでちょっとした「調査」をすること。これらはすべて、「旅」であると僕は考えています。

旅という学びは、感じる力を育てる一番素晴らしいものではないかと思うのです。僕にとって旅の定義は、日常から逃れること。つまり非日常であること。

裏を返すとどんなに遠くに行っても、同じような環境の中にいれば日常性が強く、旅の要素が限りなく低くなってしまいます。海外旅行へ出る必要もないし、どこか遠い街に行かなくてもいい。日常から離れる旅を、ぜひ今日から始めていただきたいと思います。

書店を五分で一周して気になったものが何かを確認してみる

僕は本屋さんにいるのがとても好きです。「ここにある本の数の分だけ人の考え方がある」と思うと、わくわくします。著名人一人ひとりに会って話を聞くなど、阿川佐和子さんや林真理子さんでもない限りなかなかできません。違う時代を生きた人や亡くなった人であれば、阿川さんだって話を聞くことは不可能でしょう。

しかし、一万冊扱っている本屋さんであれば、一万人の考え方に触れることができます。書店は素晴らしい知恵の泉です。センスの源となる知識にあふれている場所です。

僕が思うに、その国の本屋さんに行ってみると、その国の民主化具合ならびに国民のリテラシーが高いかどうかの一端が垣間見られます。国民にどれだけ知識を開放しているかが、並んでいる本から見えてくると感じるのです。国民が多様性を持っているダイバーシティの国であればあるほど、成功者や発明家が生まれています。その可能性をつくる大きな要素の一つは、知識の開放ではないでしょうか。

僕は高校生の頃から本屋さんに行くのが好きでした。毎日、アルバイトが終わった夜の一〇時から家の近くの大型書店に行き、閉店の一二時まで過ごしていました。

この頃に編み出し、今も続けている本屋さんでの過ごし方は、まず、自分の興味がある本や雑誌を見ること。ある程度見たら、店内を無作為にうろうろします。

子どもの本のコーナーからエッセイのコーナー、小説のコーナーまですべてを見て、そこで目にとまった本を手にとります。

一瞬でも気になったものには、何か理由があるのではないかと考えているためです。

僕が自分でも「ちょっと変わっているな」と思うのは、「全然見たくもない」と思う本があれば、それも「気になった本」だとして手にとること。そういう本を見てみると、「こんな世界があるんだ」という知識の大海原に向かう船を出すことができる気がします。

書店に行くのは一日に一回でいいでしょう。通勤途中にある書店に毎日足を向け、五分で一周してみる。一〇分でもかまいませんが、できるだけ高速で店内を回り、「あれっ」と思ったものを手にとってみてください。理想的にはもちろん購入し、財布に余裕がなければ立ち読みさせてもらいましょう。

この習慣によって、単純に言えば知識が一年で三六五増えるのです。続けていくうちに「知識を身につけよう」という気持ちではなく、「知りたい」という知的好奇心の扉が開かれていくと僕は思っています。

「幼児性」で新鮮な感性を取り戻す

三歳までの記憶がないのは、日常が驚きに満ちているからである。これは僕なりの説ですが、案外間違ってはいないと思います。

たとえば、僕が三八歳から四一歳になるまでの三年間、できるようになったことはいくつかありますが、大幅に変わったわけではありません。ところが〇歳から三歳までは、劇的にできることが増えています。たぶんそれは、赤ちゃんがすごい力で「感じている」ためではないかと思います。

もしも何も感じていなければ、赤ちゃんは幾つになってもしゃべれるようにならないのではないでしょうか。もうひとつ、僕が面白いと感じているのは、大人になるとほとんどの人は、三歳までの記憶をなくしてしまうこと。四歳、五歳の記憶となると意外に覚えているのに、三歳ぐらいまではほとんどわからないようです。

まれに覚えている人もいますが、その多くは断片的な記憶です。

この仕組みについて、脳の発育という観点からいろいろ研究している専門家もいるようですが、それとは別に、僕も勝手にこんな仮説を立てています。

三歳までは、見たこともない世界が人間のキャパシティを超えるほど大量に目の前に現れるのではないか。「驚きのレベル」というものがあったとして、その針が振り切れるほど毎日が驚きだらけなので、記憶が飛んでしまったのではないか。そんなふうに思っているのです。

赤ちゃんにとっては、カーテンが揺れたことも凄まじい驚きで、途轍もなく面白い。机が白いことも、キラキラした太陽があることも、パパがしゃべっていて何かの音が出ていることも、ママの髪の毛がフサフサしていることも、全部が「すごい!えーっ!」という驚きです。

今、僕が同じくらいの驚きを得ようと思ったら大変です。突然、瞬間移動が行われ、グランドキャニオンの前にポンと立たされたら、「ウォーッ!」と思うかもしれませんが、普通の旅行でグランドキャニオンに行っても、「ふうん、YouTubeより迫力があるな」と思うだけかもしれません。

知識の集積に懸命になりすぎると、人は時として自由な発想を失ってしまいます。センスを磨くには知識が必要ですが、知識を吸収し自分のものとしていくには、感受性と好奇心が必要なのです。幼児性が創造力や発想につながっていく大きな理由は、感受性と好奇心が並外れて大きいからです。

そして、この「感じる力」が強くないと、知識というのはなかなか蓄積されていかないものです。テスト前、一夜漬けの勉強で得た知識を、あっという間に忘れてしまったのと同じように。「感受性+知識=知的好奇心」大人になったら、この公式をもつといいのではないでしょうか。大人になれば、知識は努力で身につきます。

しかし、幼い子どものような感受性を保てば、努力せずとも知識が自然と入ってくるとも言えます。幼児性が素晴らしいもうひとつの理由は、発想の制限がないことです。人は年齢を重ねると、知らず知らずのうちに鎧を着ていくかのごとく、自分というものをガチガチに固めてしまいます。

その結果、発想の幅を自ら制限してしまうのです。だからこそ、大人の知性をもって幼児性を高めれば、知識と発想の両方が豊かになります。これもまた、自分の枠を外すヒントのひとつです。時にはむき出しの子どもになりましょう。何も知らない自分、何もかもを知りたくてたまらない自分になりましょう。

人生の先輩と話してセンスの底上げをする

このところ僕がしきりに思うのは、年上の人を誘えるか誘えないかは、センスのありなしを試すテストのようなものだということ。年上の人を気軽に誘うことができる人は、実のところ、わずか一割程度かもしれません。ちょっとした勇気がいるためでしょう。僕は相手が年長者でも、飲みに行きましょうよと誘えるほうです。

しかし簡単に誘っているわけではなく、かなり緊張しています。

もしかしたらお説教をされるかもしれないし、水割りをずっとつくり続けるはめになるかもしれないし、面倒くさいことがいっぱいあるかもしれません。

けれども経験豊富な人生の先輩と時間を過ごせば、面倒くささを上回る収穫があります。

人生の先輩たちが持っている知識、知恵、経験といったセンスのかたまりを、自分の中に吸収できるチャンスです。

そもそも「年長者を誘うなんてハードルが高い」という気持ちは思い込みだったりします。

年が離れた人とよいコミュニケーションをとれるかどうかは、知的好奇心の強さで決まります。

この人は何を考えているか、この人といるとどんなことが起こるか、カラオケに行くとこの人は何を歌うのか、僕が何をしたらこの人は喜ぶのか、僕がどんなことを言えばこの人は感心してくれるのか。知的とも言えないぐらいの興味であっても、先輩たちとつき合ううちにどんどん知識が吸収されていくのです。

僕はお酒の場が大好きで、相手が年上であれ年下であれ、話を聞くのが大好き。とりわけ経験豊かな人生の先輩たちとの会話は、多くの気付きを吸収できる場です。万が一、つまらない飲み会、つまらない人に遭遇したとしても、それは反面教師という学びのチャンス。

「この人がこんなにいやなことを言うのはなぜなんだろう?」と考え研究するきっかけになり、その知識もまた自分の中でセンスへと昇華されていきます。考え方ひとつで、すべての経験は自分の人生においてプラスに働きます。

「服選び」は自分を客観視し、最適化する身近な方法

自分を客観的な視点で見るための身近な方法に「服を選ぶこと」があります。センスがいい服を選ぶには、「好き・嫌い」という定規を捨てることです。自分の体型や特徴についても、あまりに少ない情報で選んでいることが多いのではないでしょうか。

たとえば「足が細い」とまとめず、「太ももとふくらはぎは細いけれど、足首は太め」と細かく観察したり、「肌がすごく白いから、好きなのはこの色だけれどこっちのほうが似合う」と判断したり、自分を客観視することが大切です。

服は毎日着るものであり、センスを磨く練習にもなるので、一度検証してみてもいいでしょう。ほかの会社であればセクシャルハラスメントなどと言われかねませんが、グッドデザインカンパニーでは女性スタッフから「水野さん、私の服を一緒に見てください!」と言われ、服選びに付き合わされることがしょっちゅうあります。

女性の服についてアドバイスするなど正直なところ面倒で、ましてや休日になぜスタッフの服選びに付き合わされなきゃならないのか……と思うのですが、頼まれるとついやってしまうのは職業病かもしれません。

作業としてはパッケージデザインのクリエイティブディレクションと同じなのですから。参考までに思考プロセスを紹介しておきましょう。

①ターゲットの表面的な「特性」を正確に把握する

この場合のターゲットは、服を着る人。自分の服について考えるなら、あなた自身です。表面的な「特性」とは、ここでは体型や顔立ちのこと。できるだけ細かく観察し、数多くのプラスマイナスを見つけましょう。イメージだけに振り回されると、本当の特性は見えてきません。

「やせている」というイメージでもウエストが太いこともあります。「太っている」というイメージでも、ふくらはぎから下はとても細いこともあります。体のイメージより顔のイメージが強ければ、そこを強調してもいいでしょう。

たとえば僕の会社のあるスタッフは、とても小柄でかわいらしい顔をしています。入社した頃はふわふわした少女っぽい服を着ていたこともあり、みんな彼女について「子どもっぽいビジュアル」というイメージを持っていました。

しかしアドバイスを頼まれた時、僕は彼女の顔はむしろ大人っぽいと感じました。よく観察すると、キリッとして濃い顔立ちなのです。この特徴は小柄という特徴に埋もれていました。

②ターゲットの内面的な「特性」を把握する

人の外見は、内面的な部分の影響を受けます。自分がどのようなキャラクターであるかも考慮しましょう。明るく軽いタイプか、慎重で真面目なタイプか、自分をよく分析してみます。

③最適化の条件を設定する

特性がわかったら、最適化の条件、すなわち目指すゴールを設定します。内面的な特性である明るさを強調するのか、それともあえて抑えるのかは、どのような条件下で服を着るのかで決まります。デートであれば前者がゴールとなり、仕事であれば後者がゴールです。

表面的な特性についても、目指すゴールを加味して検証します。「子どもっぽくかわいらしい感じ」がゴールであれば、スタッフはゴールに到達していました。

しかし「仕事がデキる大人の女性」というのが彼女の目指すゴールだったので、そこに向けて最適化する必要がありました。

④最適化に向けた機能を設定していく

特性とゴールがわかったら、プラスになるところを誇張したり、マイナスになるところをカバーしたりする機能を考えていきます。

スタッフの例で言えば、小柄な体より顔立ちというプラス面を生かしたほうが、ゴールに近づくと僕は感じました。そこで、髪を後ろにまとめることで顔立ちがわかるようにし、Tシャツも、襟ぐりがやや縦に深いものを選ぶようにすすめました。

指が長くて大人っぽい手なので、ネイルをしたらきれいだろう。スカートの丈についても、長い、短い、中ぐらいというざっくりした指定ではなく、「膝が何センチ出る丈で、裾に向かってやや広がったAラインがいい」という話をしました。やはり、ほとんどパッケージデザインのディレクションです。ここまでやるかどうかは別として、できるだけ細かく客観的に考えることがポイントです。

⑤時代環境を考えて調整する

パッケージデザインの場合、機能を設定したあとは時代や環境に合った装飾のデザインを施していきます。僕の場合、デザインとは機能と装飾で成り立っており、そのなかでも機能が優先されるべきだと信じているので、装飾はほんの少し。

そのプロダクトがもつよさをありのままに生かし、ほんの少しだけお化粧をするのが本来のクリエイティブディレクターの仕事です。服もこれと同じです。最適化のための機能を優先しましょう。

機能をあまり考えず、「ツイードがはやっているからツイードが欲しい」という時代環境に合わせた装飾優先で買い物をすると、センスがある服装から遠ざかることになります。

Epilogue

「センス」はすでに、あなたの中にある〝ガラパゴス〟で生きている自分を自覚しよう。

本書のエピローグとして、こんなスローガンを掲げたいと思います。

自分という存在がいかに小さな島の中で、閉じこもった生活をしているか。それを認識することから、世界は広がっていくはずです。仕事のことなら知っている、この趣味のことなら知っている、生きていくうえで何の不便もないと僕たちは思っています。その思いこそ、僕たちをガラパゴス島にしばりつける見えない鎖なのです。

お互いに鎖でしばりあうことすらある、おそろしい状況も珍しくありません。多くの人が冒険せずにガラパゴス島に閉じこもっているのは、おそらく怖いのではなくて面倒だからでしょう。

また、人間という生きものは、自分のいる場所を肯定しないと生きづらいものです。小さな島から抜け出さないといけないという意識を持ってみてください。

大それた勇気がなくても、きっと抜け出せます。新大陸を発見したり、世界で初めて地球一周をしたりした人は、冒険心や探究心にあふれた勇気ある人たちでした。

新しい知識を得てセンスを磨くには、命をかけねばならない時代があったのです。今の時代に太平洋をヨットで横断する人も冒険心がありますが、コロンブスほどではありません。

ましてや今いるコミュニティ、今いる場所からちょっと抜け出し、新たな知識を得るという冒険は、ほんの少しの勇気です。

僕がしばしば使う言葉に、「階段を○段飛ばすぐらいの勇気」というものがあります。バックパックひとつで予定も組まずに海外旅行に行く勇気は、おそらく階段二段分ぐらいにしか相当しません。

家を買うのは階段三段分の勇気。知らない町を歩いてみるのは階段を一段飛ばすくらいの勇気。見たことのない女性誌を読んでみるのは、階段一段にも満たないぐらいの勇気。

それなら、どんどん冒険しようではありませんか。センスは知識からはじまる──。講演会でこう言うと、たいていの方が興味深そうに耳を傾けてくださいます。

ですが、限られた時間の中では伝えきれず、「でも結局は、持って生まれたセンスも大事ですよね?」と言われてしまうことも多々ありました。

それが、本書を書くきっかけになりました。確かに世の中には、なんの知識もなしに、素晴らしいひらめきと天賦の才だけで驚くようなものを生み出す、一握りの天才がいるかもしれません。

けれど、そんな才能を持っていない「普通の人」だって、センスという世界で勝負することはできるのです。僕自身が、〝ガラパゴス〟から脱出した経験者です。

もともとはグラフィックデザインだけが本業でした。ですが、知識を増やし、センスの幅を広げることで、グラフィックデザインだけでなく商品企画、インテリアデザイン、プロダクトデザイン、経営コンサルティングと僕のフィールドは広がりました。

実体験があるからこそ、センスアップはどんな人にでも可能であることを伝えたいと思ったのです。二十代で仕事のキャリアをスタートした頃、いつも葛藤がありました。

自分が関われるのは、この商品、この企業の「広告」というごく一部だけ。でも本当にそれでいいんだろうか?ブランドのことを真剣に考えたら、商品企画も売り方も店頭での見せ方も、全部をトータルにつくりあげていくほうが結果につながるんじゃないだろうか?そんな思いから、専門分野以外の知識も少しずつ増やし、仕事の幅を広げていった頃、こんなことを言う人もいました。

「餅は餅屋。グラフィックデザイナーがインテリアに手を出す必要なんてないんじゃない?」立場を変えれば、似たようなことはあちこちで起きているのではないかと思います。

自分はデザイナーじゃないから、デザインのよし悪しがわからなくても仕方ない。デザイナーじゃあるまいし、見栄えのいい企画書をつくるなんて無理だよ──。

けれど時代が変わり、単にいいものをつくるだけ、単にいい広告をつくるだけでは売れなくなってきています。ものづくりのアイデア、実際の製品のデザインやアウトプット、流通先の選び方、売り場のつくり方、宣伝の仕方……。

ブランドの川上から川下までを見て、さまざまな切り口で解決法を見つけなければ、売れない。そんなとき、幅広いセンスを持っていることは強力な武器となり、きっとあなたを助けてくれるはずです。

その武器は、誰にでも、いくらでも身につけることができる。そのことを少しでも伝えられたなら、著者としてこんなに嬉しいことはありません。最後になりましたが、本書をまとめるにあたりお世話になった編集の青木由美子さんと朝日新聞出版の大崎俊明さんに、心よりお礼を申し上げます。

お二人とのタッグも三冊目となりました。自分の中でぼんやりとしていた考えが、お二人との打ち合わせの中でどんどんクリアになっていくことに、毎回驚かされます。忙しい仕事の中でも常に「精度」を大切にしてくれるスタッフのみんなにも、心からの感謝を伝えたいと思います。

仕事が楽しく充実しているのは、みんなのお陰です。ありがとう。そして、職場と家庭の両激務をこなしながらいつも笑顔を絶やさない妻にも。いつもありがとう。この本は、あなたのたくさんの助言なしには形になりませんでした。

それから……息子へ。まだキミはわからないだろうけど、キミがいてくれるから頑張れるんだよ。ほんとうに、ありがとう。本書を手にしてくださったみなさんが「センスという恐怖の言葉」の呪縛から解き放たれることを祈りつつ、そろそろ筆をおきたいと思います。センスという宝物は、すでにあなたの中にあります。センスを磨く冒険の旅を、ぜひ楽しんでみてください。

二〇一四年春水野学

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