MENU

Prologue センスは生まれついてのものではない

目次

Prologue

センスは生まれついてのものではない

僕はたいてい、手の内をあっさり明かします。

たとえば、どうやってNTTドコモ「iD」は生まれたのか、どうして「くまモン」は黒いクマなのか、聞かれたなら、ありのままを答えます。自分のアイデアの作り方やクリエーションについてはインタビューでどんどん答えていますし、その本質やプロセスの詳細は講演会や大学の講義で詳しく解説しています。

これらに関する本も執筆していますし、クライアントの方々にも、頼まれなくても話してしまいます。いわばグッドデザインカンパニーは、〝企業秘密ゼロ〟。もしも僕が「ものをつくりだすアイデアの箱」ならば、空っぽになるまで自分の持てるすべてを、さらけだしているつもりです。

箱の中身のほとんどは、プラクティカルなものです。つまり、方法を知って、やるべきことをやり、必要な時間をかければ、皆できるようになることです。僕が特別な人間だからできる、というわけではありません。

しかし、ここにはいつも誤解があるようです。「水野さんのお話はよくわかります。でも、すごい企画を出すにはセンスが必要でしょう。ひらめきやセンスについて、教えてほしいんです」どういうわけか、多くの人がこう思うようです。

空っぽになった僕という箱の底に、たったひとつ、きらりと光る「センス」というものが残っているはずだと。僕がいくら方法論を伝え、空っぽになった箱の底を見せたとしても、その誤解は解けません。

「そんなことを言っても、結局はセンスの問題でしょう」センスというのは魔法の石で、時に透明になってしまうとさえ思っているかのように、僕の方法論の奥に解明できない何かが潜んでいるはずだと口を揃えるのです。

僕は慶應義塾大学の環境情報学部で特別招聘准教授として教鞭を執っています。あるとき学生に、『アウトプットのスイッチ』(朝日新聞出版)にも書いた「~っぽい分類」の話をしました。これは、「売れる商品のつくり方」として僕が導き出した方法。

売れる商品はどれも、その製品らしさ(シズル)を内包しているものであり、そのシズルが人々の心を掴んでいる。売れるための的確なシズルを見つけ出すためには、その製品が「何っぽい」のかを分類しながら絞り込んでいく作業が有効である──という内容です。

・熊本のクマなら、ヒグマみたいに「和っぽい」のか、テディベアみたいに「洋っぽい」のか

・和っぽいクマであるなら、「何色っぽい」のか?

くまモンにしてもこのように形にしていったのだと、かなりていねいに説明をしたつもりでした。ところが講義終了後、学生から次々とこんな質問を受けたのです。

「尖った企画やおもしろい企画を考える際、『~っぽい分類』をするのはおかしいんじゃないでしょうか?」「私は誰も見たことも聞いたこともない、斬新な企画をつくるつもりです。

だから、私の企画を今ある概念に照らし合わせたとしても、『~っぽい分類』はできないと思います」「頭で分類したり考えたりするんじゃなく、センスやひらめきがどう生まれるかを教えてください」彼らの様子を見て、「センス問題は根深いなあ」と改めて思いました。

斬新なアウトプットをするには、いまだかつて誰も考えなかったとんでもないことを、センスをもってひらめかなければいけない──これが頑固な大前提になっているようだと痛感したのです。

僕が教えている学生たちは、意識も高いし、意欲もあります。講義は一度も休まずに出て熱心にノートを取っている人も少なくありません。終了後に質問をしてくるくらいですから、真剣さもあります。そのぶん、僕の話のインプットもちゃんとなされているはずなのに、です。

講義の中で僕は、「尖っている企画と売れる企画は、必ずしもイコールじゃないよ」という話をしています。誰も見たことがない企画をつくることが大事なんじゃない。誰も見たことがなくても、狙ったターゲット層にちゃんと「売れる」企画でなければ社会からは求められないんだよ。

最初は「ちょっと面白い」程度のアイデアだって、緻密な改良次第では普通でない尖ったものにすることができる。

企画とは、アイデアではなく「精度」こそが重要なんだよ、と。

また、「世の中がびっくりするような企画を思いついてやろうという気持ちは捨てたほうがいいよ。そういう自己アピールみたいな野心が、企画が浮かばない原因になることもあるから」という厳しい話もはっきりとしています。

それでも、「アイデアとは、生まれながらのセンスによるとんでもないひらめきから誕生する」という前提で質問が出てくる──。読者のみなさんは、「彼らがまだ粗削りな学生だから、わからないのだろう」と思うかもしれません。

しかし僕が日々接する、企画や商品開発に携わっている人たちも、似たようなことを口にします。

「いやあ、水野さんみたいにセンスがよくないから、こんなの思いつかないなあ」「ひらめきの神さまが、僕にも降りて来てくれないかな」現場の人でさえ、半ば本気でこう言うのですから、誤解は早いうちに解いておいたほうがいいでしょう。

ひらめきの神さまなど、どこにもいやしないと。実際、僕のアウトプットだけ見れば、突飛なクリエーションもあるのかもしれません。突然、とんでもないことを考えたりもします。

しかしそれは、地道かつごく普通のインプットをしたり、徹底して段階的に考えたりした末での飛躍です。いきなり雲の上までジャンプしたわけでもないし、アイデアが天から降ってきたわけでもありません。

一瞬、空を舞うジャンプができていたとしても、その前には日々の筋トレもしていれば、ジャンプの直前、猛スピードで助走したりもしているのです。センスとは、なんでしょう?本書ではこれを明かしていきます。

センスとは、誰にでも備わった身体能力と同じです。健康な人であれば、誰もが生まれつき走れるし、ジャンプもできる。ただ、そのジャンプがいかなるものになるかは、日々の筋トレや助走のスピードで変わってきます。どれだけセンスを磨き、使いこなせるか──その違いが、センスがいい/悪いということです。

本書では、センスを鍛えるトレーニング法もお伝えするつもりです。センスのよさとはミステリアスなものでもないし、特別な人だけに備わった才能でもありません。方法を知って、やるべきことをやり、必要な時間をかければ、誰にでも手に入るものです。僕もあなたもセンスは等しく持っており、違いはそれをどう育てているか、どう使っているか、どう磨いているかだとお伝えしたいと思います。

二〇一四年春

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次