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第1章クレーマー対応に疲弊していく現場の担当者たち

第1章クレーマー対応に疲弊していく現場の担当者たち

1クレーマーは、担当者だけでなく、企業全体を壊していく2クレーマーの仕掛けてくる罠に注意しよう3普通の人(被害者)がクレーマー(加害者)になってしまう背景

目次

第1章クレーマー対応に疲弊していく現場の担当者たち

いくら真摯に仕事をしていても、クレームを受ける可能性はある。クレームは、少ないにこしたことはないが、いかに注意してもゼロにすることはできない。

利用者の期待値が高いほどクレームになりやすい。クレームは、自社に対する期待の裏返しでもある。

クレーム対応をきちんとすれば、自社のサービスや商品のレベルを上げることもできる。

むしろクレームをきっかけに新たなファンを生みだすこともできるだろう。

ただ何事にも限度がある。

明らかに過大な要求や常軌を逸した要求方法は、もはや耳を傾けるべきクレームではない。

それでも「お客様だから」という曖昧な理由でクレーム担当者は日々対応せざるを得ない状況にある。

クレーム担当は、誰にとってもストレスのかかる仕事だ。

「できればやりたくない」というのが本音だろう。

とくに相手がクレーマーだとなおさら気が滅入る。

ビジネスとしてクレーマー対応をやっている私ですら、「なんでこんな仕事を選んでしまったのか」と自分を責めたい気持ちになるときがある。

それでも我々は、クレーマーに甘んじて屈するわけにはいかない。

本書では、社会的相当性を逸脱した内容及び方法で要求してくる者を「クレーマー」と定義して、具体的な対策を検討していく。

その根底にあるのは、「このような人はもはや顧客ではない」という明確な方針だ。

ここがぶれてしまうと、何をやってもうまくいかない。

本章ではクレーマーについての理解を共有していく。

相手の特性を知らなければ現実的な対応策も理解できない。

まずはクレーマーによって企業が受ける被害について概略を述べていく。

社員が抱く「何をすれば終わるのか」という徒労感が企業全体のモチベーションとパフォーマンスを低下させることになる。

そのうえでクレーマー対応を難しくさせている要因も検討していく。

次に、クレーマーがどのような罠を用意してくるかをこれまでの経験をもとに紹介する。

クレーマーの要求には、担当者を追い込むための共通パターンがいくつかある。

いずれもクレーマーが本能的に理解しているものだ。

こういったパターンを把握しておけば、「自分は攻撃されている」と冷静に自分を見ることができるようになる。

そのうえでクレーマーの個性について着目する。

最近のクレーマーの特徴は、普通の人が何かをきっかけとしてクレーマーになってしまうことだ。

普通の人とクレーマーの境界線上に何があるのかについて経験に基づいて考えてみよう。

担当者を襲う、どうしようもない徒労感「いったい、いつになったら解放されるのでしょうか」あるクレーマーの担当者がうつろな目でポツリと言った。

この一言に担当者の負担が凝縮されている。

私の事務所では、中小企業の経営者を対象にした様々な法務サービスを展開している。

相談内容として多いのは、労働問題、事業承継、そしてクレーマー対応だ。

現場に身を置いていると、多くの担当者がクレーマー対応に苦労していることがよくわかる。

誰に相談すれば解決できるのかわからないまま、無手勝流で対応し、「このような対処法で合っているのか」と悩んでいる。

これまで企業側の代理人として100人を超えるクレーマーに対応してきた。

代理人であるため、私自身が矢面に立って交渉などをしなければならない。それがコンサルタントとの違いである。つまり、クレーマー対応は、いつも「自分ごと」である。

企業からの相談で最初に受ける印象は、社長も担当社員も皆クレーマーへの対応に疲弊しているということだ。終わらない電話に繰り返される面談要求。

なかには根拠もなく罵声を浴びせられているケースもある。それでも「お客様だから」ということで、ひたすら耐える。しかし、そんなことをいつまでも続けていたら、いつかメンタルヘルスに支障をきたす。

相談は、担当者に今の自分の感情を話してもらうことから始める。こういった感情が事案の解決に直ちに結びつくわけではない。感情を吐露してもらうことで担当者に安心してもらうことが目的である。すると、いかにクレーマー対応がきつかったかを切実に話しだす。

プライベートの時間を奪われた人もいれば、何時間もクレーマーの自宅に留め置かれた人もいる。これらを「仕事だから」と割り切るのは間違っている。誰かの犠牲のもとで成り立つような事業があってはならない。こういった悩める社員に共通する感情は、どうしようもない徒労感だ。

まじめな人ほどクレーマーに対して真摯に対応しようとする。不当な要求だと理解していても、丁寧に繰り返し説明をする。

「いつかは理解していただける」と信じてひたすら尽くすが、相手がこちらの言い分を理解することはない。

「いったいどうすればわかってくれるのか。何をやっても話が終わらないのではないか」という気持ちに次第になってくる。

無駄だとわかっていることを繰り返し実施することは、ある意味で拷問でしかない。徒労感は絶望に至る。

社員は苦しみから解放されるために、自らの判断でやってはいけないことに手を出すことすらある。

たとえば、ある社員は、家財道具を納品したときに家の壁にキズをつけたと言われた。

そのキズが本当に社員がつけたキズかどうかはわからない。

会社としては、このようなキズについて賠償をする必要はないと判断した。

それでもクレーマーからの社員への攻撃は終わらなかった。

会社からは「相手にするな」と指示される一方、クレーマーからは「どうにかしろ」と言われ続ける。

その社員は「これで話が終わるなら」と安易に考えて、会社の指示に反してポケットマネーで2万円をクレーマーに支払った。

もちろん話はこれで終わらない。

人間はいったんルールを破ると「ルールを破ること」への抵抗感が一気に下がる。

もちろんクレーマーは、そういった人間心理を本能的に理解している。

負い目を感じる社員に対しては、「会社に黙っておいてやるから」と、さらに要求を続けるようになった。

徒労感に襲われた社員は、仕事に対するモチベーションも低下していく。

こういったモチベーションの低下は、職場内に自然と伝播して、企業全体のパフォーマンスをも低下させることになる。

「あんなに大変なら、クレーマー担当だけは避けたい」という気持ちが社内に充満してくると、いつまでも特定の社員だけが負担を強いられることになる。

トラブルになったときには責任のなすりつけあいにもなる。

労働事件の根底には、こういった職場におけるギスギスした人間関係もある。

ある担当者と面談したとき、「いちばん辛いのは誰も助けてくれないこと」と言われた。

「それは大変だったね」と声をかけると、抑え込んでいた感情が一気にこみあげてきたようで担当者は号泣した。

横にいた社長は、何も言えずに下を向いていた。

我々は、大事な社員をクレーマーの餌食にするわけにいかない。

だからこそクレーマーへの現実的な戦略が求められる。

自分の〝正義〟を語るクレーマークレーマーには、「自分が不当な要求をしている」という意識はない。

「自分の要求は当然であって、誰からも否定されるべきものではない」という根拠のない自信に満ちている。

人は自信を持って対応されるとたじろぐ。

仮にそれが間違った自信であっても、だ。

実際、裁判で尋問をするなかでもっともやっかいなのは、「自分は正しい」という圧倒的な自信を持っている人だ。

人間とは、良い人が悪いこともするし、悪い人が良いこともする複雑な存在だ。

「正しい人」「間違った人」と単純に区別できるものではない。

それぞれが自分の立場をわきまえて譲歩するからこそ、コミュニティーを展開することができる。

正義を正義として朗々と語る人は、たいていの場合、他人とうまくやっていくことが

できない。

ここで語られる正義とは、「自分にとっての正義」という個人的なものでしかないからだ。

正義といっても、見方によっては様々である。

ある一面からしか眺めずに語るのは、正義ではなく独善である。

本当に正しい人は、「自分の正義」というものをあえて口に出したりはしない。

黙っていても正しい。

その意味で、クレーマーは自分を「正義の人」と誤解している傾向が強い。

「自分は正しいのに、周囲はそれを理解していない。

だからこそ自分が周囲の無知な者に教えてやらなければならない」という啓蒙的な思想が根本にある。

そのため、いつも上から目線で要求をしてくる。

要求のみならず、「教えてやる」という姿勢が態度に表れている。

駆け出しの頃、ある飲食店の依頼でクレーマーと電話で話をしたことがある。

「お前は、弁護士といっても何年やっているのか。

若造にはまだわからないから人の道を教えてやろう」というようなことを言われた。

弁護士の仕事にキャリアなど関係ないし、会ったこともない人に「お前」呼ばわりされていい気はしなかった。

「あなたに教えていただくことはないです」とあえて淡々と回答したら、かえって相手の感情を逆なでしてしまった。

当時は自分もまだ若く、今ならもう少しうまくやれたと感じているところだ。

「自分が正しい」という自信は、誰かに論理的に説得されることを許さない。

クレーマー対応に慣れていない人は、相手の矛盾や非合理性を指摘すれば問題が解決できると誤解している。

しかし、そんなことをしても、問題はよりいっそう複雑になるだけだ。

クレーマーは、自分の話に矛盾点があっても、事実を歪曲して適当に話を作りあげていく。

一方的に「自分が被害者」というストーリーを書きあげる脚本家のようなものだ。

いったん嘘をつくと、さらに別の嘘で周囲を固めていく。

嘘は嘘を呼び込み、いっそう具体的な話になっていく。

一抹の真実と嘘が混在すると、全体が真実味を帯びてくるようになり、担当者を惑わすようになる。

誰しも経験したことがあるだろうが、内容に関係なく声の大きさによって組織全体の意思決定が間違った方向に動くことがある。

たとえば、クレーマー関連で相談が多いのが、マンション管理組合におけるやりとりだ。

マンションの住民は、基本的に各自が同じ位置づけになる。

本来であれば全員で協議したうえでベストな結論に至るべきだ。

だが、実際には一部の住民が興奮気味に会議を仕切ろうとする。

しまいには「現在の理事のあり方はおかしい」と個人を公開の場で糾弾し始める。

こうなると誰も理事をやりたいとは考えない。

自分が批判の対象にならないためにクレーマーの判断に従うことになる。

「組合がこんな状態だったら、マンションの価値も下がってしまう」と相談に来る人も少なくない。

一部の声が全体を間違った方向に導くことになる。

不当な要求であっても、自信を持って繰り返し主張されると、相手は威圧されてしまう。

最初は「無茶なことを言っている」と感じていても、繰り返されると「自分の考え方が間違っているのだろうか」という不安を抱くようになる。

悪しき自信は良き自信を駆逐する怖さがある。

担当者がクレーマー対応に苦しむ3つの理由クレーマー対応は、誰にとっても骨の折れる仕事だ。

ビジネスとして担当している弁護士ですら、「なんでこんな仕事を引き受けたのだろう」と後悔することがたびたびある。

一般の方であればなおさらだ。

これまで出会った担当者の方の話を整理すれば、クレーマー対応に苦しむ理由は以下の3つに集約される。

①「つながりを持ってしまっていること」②「ゴールのイメージができないこと」③「フラットな関係を維持できないこと」これらについて順に説明していこう。

①つながりを持ってしまっていること仮に道端で見知らぬ人から罵声を浴びせられたらどうするだろう。

普通なら怖くなって立ち去るだろうし、警察に助けを求めることもある。

相手とは何のつながりもないため、しかるべき対応をすることについてなんら躊躇はない。

自分の判断だけで選択して行動することができる。

これに対して、クレーマーの場合、「お客様としてお金をもらっている」というつながりがある。

このつながりが担当者の自由を奪うことになる。

日本の経営者は「顧客第一主義」を大事にしている。

もちろん、すべての利益の源泉は顧客であるから、「顧客のために」尽力することは当然のことだ。

だが、顧客第一主義は、ときに顧客至上主義に陥るリスクを内包している。

「お金をいただいたのであれば、とにかく大事に」というスタンスでは、いかなる不当な要求に対しても曖昧な態度でしか接することができない。

明らかに不当な要求に対して、一方的に謝罪して、とにかく相手の感情を抑えようと必死になっている担当者の姿を目にしたことがあるだろう。

「もっと毅然とした態度で接しないと」と評論家的な視点で周囲が批判するのは簡単だ。

だが、担当者として他の方法がわからないから、考えられる精一杯の対応をしているのが現実だ。

クレーマー対応は、周囲から見るのと、当事者として見るのではまったく見え方が違う。

安易に周囲が意見するのを目にすると、「会社のためにがんばっている担当者を批判してどうする」と言いたくもなる。

もっとも、担当者が「顧客だから」といってコトナカレ主義で対応していたら、さらにクレーマーを助長させるのも事実だ。

我々は、いたずらに「顧客」という言葉に従うのではなく、立ち止まって「我が社の顧客とは誰なのか」について自問するべきだ。

不当な要求をしてくる者に特別な対応をすれば、自社を信用してくれている本来の顧客を裏切ることになる。

②ゴールのイメージができないことあるメーカーの担当者が相談に来所した。

担当者は、昼夜問わず電話による攻撃を受けていた。

相手は「説明責任を果たせ」の一点張りで、まさに心身ともに疲弊していた。

その担当者は「いったい相手は何をしたいのでしょうか。

これって終わりがあるのでしょうか」とポツリと話した。

「終わらせるのがうちの仕事ですから」とはっきり回答したが、こちらに向けられた半信半疑の目が印象深かった。

彼のこれまでの苦労をなによりも物語っていた。

いかなるプロジェクトにおいても、ゴールを設定しなければならない。

ゴールが設定されなければ、歩むべき方向性と現在地からゴールまでの距離がわからない。

ゴールがなければ永遠に歩き続けることが目的になってしまう。

しかし、クレーマー対応では、このゴールをまったく設定することなく対処しているケースがあまりにも多い。

単に質問に対する回答を永遠に繰り返しているだけというパターンだ。

こんなことをしていれば、いつまでたっても電話も面談要求も終わらない。

しかも話し合って決まっていたことでさえ、「そんな説明は聞いていない」と積み上がったものを一方的に破棄されることすらある。

ゴールが設定できないのは、「何をもって解決とするのか」が明確にされていないからだ。

「クレーマーがおとなしくなって、手間がかからなくなればいい」というスタンスでやっていたら、いつまでも同じことの繰り返しである。

③フラットな関係を維持できないこと交渉は、基本的にフラットな関係を前提に組み立てるべきだ。

クレーマーを相手にする場合であっても、クレーマーと企業は同じ当事者である。

こちらとしても言うべきところは言うべきであり、聞くべきところは聞かなければならない。

あたりまえのことであるが、実際、クレーマーを相手にするとなかなかあたりまえのことにならない。

クレーマーは、自分を「かわいそうな被害者」と位置づける。

交渉においても、「被害者である自分と加害者である企業」という構造を意図的に設定する。

人は、相手から自分は被害者だと主張されると、なかなか自由に発言することができない。

「被害者」という言葉を耳にしただけで、事実に関係なく後ろめたさを抱く。

クレーマーは、自分を一方的に被害者だと設定して、担当者よりも優位な立場を作ろうとする。

ここでは事実としての被害の有無は関係ない。

とにかく「自分は被害者だ」ということを強調して、交渉を有利に展開させようとする。

ある飲食店で食事をした家族から「体調不良になった」との苦情があった。

興奮した父親からは「娘もいるのにどうやって責任をとるのか。

病院代をどうしてくれる」と荒々しい電話があった。

「責任」という言葉に狼狽した社長から「すぐに会ってほしい」との連絡があった。

社長からは「先生、(慰謝料は)いくらくらいが相場でしょうか」との質問があった。

冷静になってほしい。

そもそも家族は本当に体調不良になったのだろうか。

しかも原因

は本当に提供した食事にあるのだろうか。

何も事実がわからない状況で結論を出すことなどできない。

それにもかかわらず、人は自分が加害者と指摘されると、冷静な判断をすることができずに場当たり的な対応をしてしまう。

先の事例では、「ご要望はわかりました。

ご迷惑をおかけしたかもしれません。

まずは事実を確認させていただきます」という対応が正しい。

いきなり損害賠償の話をしてはならない。

クレーマー対応においては、相手と自分はフラットな関係であることを認識しておこう。

典型的なクレーマーの罠クレーマーは、単に大きな声を出すだけではない。

声が大きいだけなら無視すればいいので対処も簡単だ。

実際には、声の大きさのみならず、いろんな罠を用意してくる。

なかには110番されて警察が事務所にやってきたこともある。

こういったクレーマーの仕掛けてくる罠は、「それが罠だ」とはなかなかわからない。

少なくとも対応している担当者は緊張もしているので、自分が静かに蟻地獄にはまっていることに気がつかない。

弁護士に相談して我に返ってはじめて、「自分は相手のペースにはめられていた」とわかるようになる。

そこで典型的なクレーマーの罠についていくつかご紹介しよう。

もしもクレーマー対応に苦しんでいたら、自分が彼らの罠に陥っていないか考えていただきたい。

その1小さなことを大きく取り上げるあらゆるクレームは、現実の結果が自分の期待値に及んでいないときに発生する。

自分のなかでの期待値が高いほどクレームが生まれやすい。

たとえば、結婚式などは期待値が高いため、わずかなことでもクレームになりやすい。

クレーマーは、自分の期待値に及ばないときに相手にミスがあるとわかると、徹底的に糾弾してくる。

ミスの程度にはいろんなレベルがある。

軽微なミスもあれば、重大なミスもある。

本来であれば、負うべき責任の範囲も、ミスの有無及び軽重に応じて検討するべきものだ。

クレーマーは、そういった緻密な判断には一切興味を持たない。

「自分は納得できない」となれば、苦情を言い放つのに十分な理由になる。

そのため、相手にわずかなミスでもあれば、鬼の首を取ったように追及してくる。

言われた側は「たいしたミスではないでしょ」と思っていても、「ミスがある」と言われると否定できない。

ましてや相手がすごい剣幕で詰め寄ってきたら、なかなか反論できるものではない。

なまじ反論すれば、「ミスをしたうえに反省もしないのか」とかえって火に油を注ぐことになる。

こちらにミスがない場合ですら、クレーマーから言いがかりをつけられることもある。

クレーマーにとっては、「不満があるのでクレームを言い立てる」ことが目的であって実

際にミスがあるかどうかはさしたる問題ではない。

こちらにミスがなければ、あるように声を上げればいいと考えている。

「ミスはない」といくら説明をしても、「嘘を言っている」あるいは「それが問題ではない」と反論されて議論はいつまでたっても終わらない。

こちらはただひたすら我慢せざるを得ない。

我慢できなくなると、「では、どうしたらいいのですか」ということになり、クレーマーに要求されるがままに従うことになる。

以下の例は、私が若いときに担当したリフォーム会社の案件である。

どこにでもあるような親子経営の小さなリフォーム会社であった。

リフォーム会社は、クレームを受けやすい業種のひとつである。

もともと経年劣化などで傷んでいる物件も多く、何か問題があっても、業者のミスなのか、あるいは建物の劣化が原因であるのか、はっきりしないところもある。

この親子は、そういった事情をよく理解しており、事前に丹念に説明をしていた。

ある独り暮らしの女性から依頼を受けてリフォーム工事を始めた。

工事期間中から女性は、いろいろ指摘するようになった。

「塗装の色が事前の説明と違う」「職人からの挨拶がなかった」「工事が遅い」など挙げだしたらきりがない。

しかも「今すぐ謝罪に来い」の繰り返しである。

いずれも問題がある内容ではなかったが、社長は女性の機嫌を損ねないように謝罪し、最大の配慮をしながら工事を終えた。

しかし、女性からは「こんな工事では代金は支払えない。

むしろ慰謝料を要求する」ということであった。

親子は、誠心誠意尽くしたものの、一向に相手の感情が収まらないので私に相談してきた。

そこで弁護士名で「根拠のない主張をされるのであれば、訴訟をする」と通告したら一気に終息した。

親子は「あれはいったい何だったのだろうか」と不思議な思いであった。

我々は、いつも心のどこかで「自分にも間違いがあるのではないか」と自分を疑うところがある。

「自分を疑う」ということ自体は、良好な人間関係を築くうえで必要な視点である。

「自分は絶対的に正しい」と考えることは大きな誤りを導くことになる。

しかし、こういった自省的な態度はクレーマーに利用されやすい。

ミスがなくても「ミスがある」と言われ続けると自分が怪しくなってくる。

こういった場合は、クレーマーの主張する問題点を紙に書いてみるといい。

頭で考えるだけでは次第に自分を追い込んでしまう。

紙に書くことで冷静になれる。

そのうえで「問題点とされるものが現実にあるのか」「問題点が発生した原因は何か」を箇条書きにするといい。

紙に書くことで「これは自分のミスではない」と自信を持つことができる。

自分で自分を疑いだしたら、何もかも自分の責任になってしまう。

紙に書きだし、事実をとらえなおすことで、弱った自信を回復してほしい。

その2クレーマーは担当者を会社から分断し、孤立させる交渉において相手を分断させることは、定石のひとつだ。

孤立させることで物理的にも

精神的にも相手を衰退させることができる。

こういった戦術は、クレーマーも多分に利用してくる。

「クレーマー対会社」という構造であるべきなのに、いつのまにか「クレーマー対担当者」という構造にすり替えられてしまう。

こうなってしまうと、クレーマーの手から逃げだすのは難しい。

ある家具店の営業担当者から「助けてほしい」という相談の電話があった。

電話で会社名を聞いたものの、はっきりと回答しない。

「変わった相談者だな」と感じつつも、相談日時を設定した。

やってきた担当者は青白く、明らかにやつれていた。

話としては、家具を設置したときに「床に傷をつけた」としてクレーマーの餌食になっているとのことであった。

本人としては、傷をつけないように養生もしっかりしていて、傷などつけていないという話であった。

話の迫真性からして嘘を言っているようにも思えない。

でも相談を聞いていて何かが引っかかる。

はたと気がついたら、彼の話からは社長や上司という言葉がまったく出てこなかった。

そこで彼に「ところで会社としては、今回のクレーマーについてどのように対応されているのでしょうか」と質問した。

彼はうつむいたまま、「会社にはまだ言っていません」と答えた。

こういうケースでは、だいたいの結末は予想がつく。

「自分でいくらかお金を渡したの」と聞いた。

しばらくしてうなずいた。

自分のしてしまったことで自責の念に駆られていたのであろう。

それからはありのままを話すようになった。

クレーマーは、営業担当者が柔和な人だと見抜いたらしく、「お前も家族を持っている男だろ。

自分のミスは自分で責任を取れ。

会社に迷惑をかけるな」と語ったそうだ。

彼としては、「自分のミスで会社に迷惑をかけたくない」との一心だった。

そのため、クレーマーからの揺さぶりとはわからずに、話を鵜呑みにしてしまった。

クレーマーは、彼に「会社や家族に迷惑をかけないよう話すな」と諭すように伝えていたようだ。

まじめな彼は言われるがままに賠償の名目で金銭を支払うことになった。

こういったとき、クレーマーはいきなり多額の請求をしてくることはない。

個人で支払えるくらいの数万円を執拗に求めてくる。

「少しずつ、ずっと」というのがこの手のクレーマーが求めるものだ。

担当者の彼としてはあとになって怖くなった。

いつまでも支払えるわけがない。

いつかは家族にばれてしまう。

そこで「なんとかしてほしい」と藁にもすがる思いで相談にやってきたというわけだ。

私は「このままではお受けできません」ときっぱり答えた。

助けを求めていた彼にとっては絶望的な響きだったかもしれない。

彼が最初にするべきことは、自分の口で事情を社長に説明することだった。

彼にしても、「クレーマーからの要求を隠蔽していた」という問題点があるからだ。

これは彼自身が自分で説明しなければならない。

弁護士が代わりに社長に説明すれば話は早いだろうが、そんなことをしても彼のためにならない。

同じことを繰り返すことにもなりかねない。

彼をかわいそうな社員としてとらえることは簡単だが、かわいそうというだけでは問題の解決にはならない。

安易な同情は、ときに問題を見

誤らせる。

彼は意を決して、自分のしたことをありのまま社長に説明した。

社長は青天の霹靂で、すぐに彼とともに相談に来た。

「会社として正式に依頼したい」とのことであった。

そうなれば、あとの行動はシンプルだ。

すぐに内容証明郵便でクレーマーに「社員には二度と連絡をとってはならない。

何かあれば弁護士が対応する」と通知した。

クレーマーからは、二度と連絡はなかった。

解決後、「社長に叱られた?」と彼に聞いたら、「厳しく叱責されました。

でもすべて話せてよかったです」と語っていた。

彼はきっと同僚や部下が同じような目にあったときにきちんとしたアドバイスができるはずだ。

人は、失敗を成長の糧にすることができる。

このように、クレーマーの担当者は、第三者が感じているよりも孤独な立場にある。

クレーマーからの執拗な電話を受けつつ、日頃の業務もこなさなければならない。

周囲の同僚は「大変だね」と声をかけてくれるが、具体的なサポートをしてくれるわけではない。

しかも、まじめな人ほど周囲に助けを求めることを躊躇して、「自分でなんとかしなければならない」という気持ちになる。

クレーマーは、そういった孤独な立場をかぎ取って活用することに長けている。

いったんクレーマーの要求に応じてしまうと、「やってはいけないことに手を出した」という歪な連帯感がクレーマーとの間にできてしまう。

結果としてさらなる不当な要求にも応じてしまうために会社の金銭に手をつけてしまうことすらある。

「会社のために」と頑張っている人が違法なことに手を染めるようなことがあってはならない。

どんなことがあっても担当者を孤独にさせてはいけない。

そのためにも担当者との綿密な情報共有が必要である。

その3周囲を使って担当者を間接的に追い込む誰かを攻めるとき、相手を直接的に攻撃するよりも、周囲の者を通じて間接的に攻撃したほうが効果的なケースがある。

これはクレーマーもよく利用する方法だ。

クレーマーは、断固とした姿勢を貫く手堅い会社をいかにして崩していくかについて思案している。

繰り返し攻めたところで芸がない。

そこで会社が信頼している者、あるいは頭の上がらない者をあえてターゲットにして、プレッシャーをかけてくる。

そうなると「あなたのところの苦情がうちにやってきて困っている。

早く解決して」と第三者から言われてしまうことになる。

こうなってくると、せっかくクレーマーに対して毅然とした対応をとっているのに後ろから矢が飛んでくるようなものだ。

人は背後からの攻撃にめっきり弱い。

「他の人に迷惑をかけてはならない」という良識を持つ人ほど、間接的な追い込みに精神的に滅入ってしまう。

たとえば、あるフランチャイズの飲食店を展開する会社では、中年男性から「買い物袋

を店舗に忘れたが、見つからないから責任を取れ」という趣旨のクレームが入った。

会社として調べる限り忘れ物はなかったので、その旨を店長が説明した。

それから男性からの執拗な電話や面談要求が始まった。

会社としては、クレーマーに対して「いかなる賠償にも応じない」という姿勢を貫いていた。

根拠のない要求に賠償として応じていたら終わりがない。

飲食店はもともとクレームを受けやすい業種である。

店長も自分の仕事を理解して、よしなに対応していた。

クレーマーは、自分の想定通りに物事が展開しないことにかなりいら立っていたようだ。

そこでクレーマーは作戦を変更して、間接攻撃に切り替えた。

フランチャイズの本部にクレームの矢を向けた。

「〇〇店の対応は明らかにおかしい。

本部としていかなる責任を考えているのか」という苦情を申し入れた。

フランチャイズの本部に、個々の加盟店の事情などわかるはずがない。

「顧客」と名乗る者から苦情が入れば、「承知しました。

確認したうえで早急に店舗から連絡させていただきます」といった形式的な扱いをすることが多々ある。

加盟店には、本部からの「こういった苦情が入りましたので、早急に対応してください」という連絡だけがくる。

加盟店としては「こういう事情がある」と説明をしたが、本部には相手にしてもらえなかったようだ。

本部からは「早急に鎮静化せよ」という曖昧な指示のみが繰り返された。

加盟店としては、今後の契約もあるため、本部に対して「そのような対応はおかしい」と声をあげることもできない。

結果として本部とクレーマーの板挟みになってしまう。

この事案では弁護士名で通知を出して解決した。

こういった間接的な追い込みは他にもある。

あるサービス業の会社では、加盟する上部団体の協会の窓口に苦情を持ち込まれた。

管轄する行政庁に苦情を言われたケースもある。

いずれにしても担当者は、クレーマーのみならず第三者への対応も余儀なくされるために疲労困憊する。

「なぜ自分だけ、こんなことをしないといけないのか」という虚無感に襲われることになる。

しかも第三者に対しては、事細かな報告書の提出を求められることもある。

ただでさえ忙しい担当者は、このような報告書の作成にさらに時間を取られてしまう。

あなたがクレーマーの担当者であったならば、まずどこを攻撃されたら辛いかを考えてみてほしい。

「ここから指導が入ったら大変だな」と感じるところである。

そこがあなたにとっての弱点であるし、クレーマーに狙われやすいところでもある。

それは本部かもしれないし、取引先かもしれない。

こういった間接的な攻撃は、企業が大きくなればなるほど敏感になってくる。

最近相談が増えてきたSNSなどを使った攻撃も、広い意味では間接的な追い込みのひとつである。

すでに間接的な追い込みに悩んでいるのであれば、弁護士に相談したほうがいい。

「すでに弁護士に相談しています。

ご迷惑をおかけしますが、クレーマーからの不当な要求には応じませんのでご協力ください」と説明するだけで納得してくれる関係者も少なくな

い。

しかも一般の方なら、「弁護士に依頼している」というだけで「この人も大変だな」と同情してくれる。

間接的に攻撃を受けている状況において自力で第三者からの信用を回復していくことは、相手のあることなのでなかなかできない。

こういった状況に陥らないためには、クレーマーとのやりとりが始まった早い段階で周囲にも状況を事前に伝えておくことだ。

「こういったクレーマーを相手にすることになりました。

もしかしたら、ご迷惑をおかけするかもしれません」と一報を入れておくだけで相手の対応は同情的なものになる。

いきなり苦情が来るから相手としても驚くわけであって、事前にわかっていれば心構えもできて、背後からこちらに矢が飛んでくることを回避できる。

〝被害者〟という名の加害者「クレーマー」というと、一昔前まではいわゆる反社会的勢力のようなイメージが強かった。

だが、最近はむしろ普通の人があることをきっかけにしてクレーマーになることが多い。

もともと「普通の人」であるがゆえに対応の仕方が難しいところもある。

クレーマーになる人は、とかく自尊心が異様に高い傾向がある。

あらゆることについて自分を中心にしてしか見ることができない。

「世界の中心に自分があって、周囲が自分を中心に回っている」という、いわば天動説のようなものだ。

こういった人は、自分の思い通りにいかない場合に自分を被害者として位置づけることが多い。

理由はなんでもよくて、とにかく「自分は被害者であって、弱者として保護され、尊重されなければならない」という意識が強い。

そうすることで自分が不当な要求をしても、周囲からは「被害者だから仕方ないか」と感じてもらえるように自分を演出することがある。

もちろん我々は、自分たちの社会を維持していくためにも、被害者とされる人を保護して慈しむ必要がある。

これは誰しも理解していることだ。

いろんな事故や事件の被害者が周囲の支援を受けながら元の暮らしを取り戻していくのを目にする。

まさに人間のすばらしい点のひとつであろう。

ただ、「被害者」という言葉を耳にすることで思考が停止してしまうことの弊害も否定できない。

誤解を恐れずに言えば、被害者だからといって、あらゆることが許容されるわけではない。

「本当に被害にあったのか」「その被害の原因は何か」について整理しなければならない。

それにもかかわらず、被害者からの話だけを聞いて全体のイメージを持つことは事実を歪曲してとらえてしまう危険を含んでいる。

仮に本当に被害者だとしても、要求できることや要求の仕方には自ずと限界がある。

そういった限界をきちんと共有しておかなければ、誰しもが求めるばかりの世界になってしまい、共同体としての社会を維持していくことができなくなる。

ある日気がついたら、みんなが被害者としてものを申すようになっていたということになりかねない。

たとえば、交通事故を起こした若い女性から、相手がクレーマーになって様々な要求をしてくることに対する依頼を受けたことがある。

彼女は不注意からブレーキを緩めてしま

って、前の車に軽く追突してしまった。

追突といっても、当たったかどうかもはっきりしないような事故だ。

相手は中年の女性で、車両の修理費は約10万円だった。

保険会社は、修理費での示談を提案した。

これに対して、相手は新車を要求してきた。

保険会社としては、過剰な要求に応じることはできないため、要求を断った。

当然の対応である。

保険会社と協議してもらちが明かないと思った相手は、今度は加害者の家族に執拗に電話をかけてきた。

保険会社の担当者が直接の連絡を控えるように説得しても、聞く耳を持たなかった。

当初は主張していなかったケガについても言及してきた。

加害者の両親は、自分の娘が変な事件に巻き込まれるのではないかと不安になり、保険会社に対して「なんとかしてくれないか」と相談した。

しかし、保険会社としては、相手の不当な要求に応じるわけにはいかない。

両親は「お金で解決できるのであれば」とまで考えるようになったようだ。

その段階で周囲からの「弁護士に相談してから動いたほうがいいのでは」というアドバイスで、人づてに私の事務所に来所した。

こういうケースでは、一度カネを出してしまうと、まとまる案件もまとまらなくなる。

相手に、「この家族はプレッシャーをかければカネを出す」と知らせるようなものだからだ。

したがって、相手に対して「他に費用を支払う意思はない」という趣旨の書面をすぐに発送した。

すぐに相手から私の事務所に電話がかかってきた。

「自分は100%被害者であるのに、なぜ弁護士が出てくるのか。

おかしいでしょ」ということであった。

別にまったくもっておかしなことではないことを説明したものの、理解してもらえなかった。

相手には「加害者は被害者が満足するまで尽くさなければならない」という価値観が根底にあったようだ。

そこで、交渉を円滑にするために、こちらから裁判所に調停を申し立てた。

そのなかで話し合いをして妥当な額で折り合いをつけることができた。

このように、クレーマーは自尊心を維持するために不当な要求であっても容赦なく言ってくる。

しかも不当な要求をカモフラージュするために「被害者」という仮面をつけてやってくる。

仮面は周囲からの同情を引きつけるための演出である。

実際には「被害者」という名の〝加害者〟になっている。

このような不当な要求に応じていたら、本来救済されるべき被害者が救われない可能性が出てくる。

本当に苦しんでいる人を救うためにも、不当な要求には応じてはならない。

社会の成熟とともに膨れあがるサービスと期待クレームは、期待と現実の差異から生まれてくる。

期待が大きいほど、現実とのギャップを受け入れることができず、失望感を不当な要求へのエネルギーに転化させていく。

期待は、周囲の人が何を自分に提供してくれるかによって決まってくる。

周囲の人が提供してくれたものに満足せず、さらなるものを期待するほど、クレーマーの谷に落ちやすくなる。

我々は「お互い支えあいながら暮らしている」ということを何度も繰り返し教わってき

た。

それぞれが共同体のなかで自分の役割を果たすからこそ、周囲からも支援を受けることができる。

みんなが自分の欲するものを要求するばかりでは、共同体が成り立たない。

だが、社会が成熟していくと、自分の役割を果たさずとも周囲から善意のもとでサービスを受けることができるようになる。

一方的にサービスを受けるだけの関係でも暮らしていけるようになると、サービスを受けることが当然のことのように誤解する人が出てくる。

サービスを提供する人は「誰かのためになれば」と善意で動く。

慈悲深い人ほど自分を犠牲にしてまで周囲の人に尽くそうと努力する。

そういった努力が評価されればまだいいが、「あたりまえのこと」ととらえる人も少なからずいる。

そういった人は、さらに過大な要求をサービス提供者に求めてくる。

言われた側は、「自分にも至らないところがあった」と考えて、より多くのサービスを提供しようとする。

いつのまにか「サービスを受ける側」と「サービスを提供する側」が固定化されて、まるで主従関係のようになってしまう。

しかも固定化された状況があたりまえのようになると、「こんな関係はおかしいでしょ」と誰も声をあげなくなってしまう。

結果として担当者は過大な要求に応じざるを得なくなり、疲弊していくことになる。

こういった傾向は、医療・福祉の分野でとくに顕著である。

私の事務所では、医療・福祉関係施設の顧問もさせていただいている。

出会った方々は「社会をよくしていきたい」という情熱を持って現場で活躍している。

本人や家族から出てくる様々な要求にも真摯に耳を傾けて対応している。

求められるレベルは日々高くなり、負担する業務量は増える一方である。

利用者のなかには、こういった担当者の善意を悪用する者もいる。

ある施設では、担当者は利用者から「呼んだらすぐにやってこい」と何度も罵声を浴びせられていた。

他の施設では、利用者の家族から「うちの親には担当者を側に常駐させておけ」と電話越しに大声で言われていた。

こんな状況であれば、誰しも現場で働くモチベーションを維持することができない。

常軌を逸した過大な要求こそが医療・福祉を破綻させる要因になっている。

かつて、ある福祉分野の業界の会議に呼ばれたことがある。

福祉の分野では、高齢化社会のなかで矢継ぎ早に様々なサービスあるいは制度が生まれている。

いずれも高齢者の方や介護する家族を支援するためのものであるから、誰も否定することができない。

高齢化問題が語られるとき、いつも視点は「利用者」ばかりで、サービス提供者の視点が忘れられている。

新しいことを始めるのはいいかもしれないが、提供できる資源には自ずと限界がある。

結果として新しいサービスが担当者の過重労働のもとで展開されることになるかもしれない。

これでは問題の本質的な解決はならず、むしろクレーマーをいたずらに増やすだけの結果になりかねない。

福祉の分野で現実的に必要なことは、やるべきことを減らすことだ。

そこで会議では、「必要なことは新しいことを始めることではなくて、やめるべきことを決めることだ」と発言をした。

想定外の発言に会場は静まり返った。

会議の後、複数の人々から「いつも言えなくて悩んでいたことを明確に指摘くださり、ありがとうございま

した」という連絡をいただいた。

いかに現場の担当者が苦しみながら仕事をしているのかがわかった。

我々は、より良い暮らしを送るために、より多くのサービスを求めがちである。

いったん提供されたサービスは、それが「当然のサービス」になるまで大した時間を要しない。

高度にサービス社会化したことによって、「自分は周囲に何ができるか」を考えることなく、自分の要求が叶うようになってしまった。

それがクレーマーを生み出す素地になっている。

「ほどほどの暮らし」で満足する意識も必要だ。

他人の善意をむさぼるような社会にしてはいけない。

第三者がクレーマーになることもあるクレーマーになるのは、必ずしも当事者だけとは限らない。

直接的には関係のない第三者がクレーマーとしてやってくることもある。

ある病院から「ひどいクレーマーに悩まされている」という相談を受けた。

事案の概要としては、次のようなものだ。

ある病状で高齢の女性の治療をすることになった。

担当医は、女性や家族に手術の説明をきちんとしたうえで手術を実施した。

手術は問題なく終了して退院もできた。

その後になって、女性の息子から「手術に問題があって母が痛みを主張している」という連絡があった。

担当医は、治療になんら問題がないことを繰り返し説明したが、理解してくれない。

事務局には繰り返し医師との面談要求ばかりがなされる。

しまいには「医療ミスを認めないのはおかしい」ということにまでなった。

息子は、電話だけでなく、診察時間中に病院のカウンターに来ては、大声で面談要求をするようになった。

そのたびに事務局長がなんとか場を抑えようとするものの、待合室にいる他の患者を威圧するかのように、一方的に面談を求めるばかりであった。

医師からは「事務局でうまく対応しておいてください」と指示されていたようで、事務局長も困り果てていた。

担当医は、他の病院に移っていったものの、息子からの要求は不定期に続いていた。

ほとほと対応に困り果てていた事務局長は、ある方の紹介で私の事務所に面談に来た。

こういったケースは、決して珍しいものではない。

とくに医療や福祉の分野では、当事者ではない家族などが感情的になってクレーマーになることがよくある。

内心では「あなたは当事者ではないでしょ」と言いたくなるが、言えばかえって刺激することになりかねないため、なんとなく対応してしまう。

最近は、採用した社員の親が本人に代わって会社に対して根拠のないクレームを執拗に述べてくることもある。

ある人事担当者が「いったい誰を採用したのかわからない」と頭を抱えていたことが印象的だ。

こういった第三者は、事情もよくわからずに首を突っ込んでくるから対応に苦慮する。

当事者は、とかく自分に都合の良いことしか周囲に話すことをしない。

自分で情報を選択

して自分にとってわかりやすいストーリーに仕立てあげたうえで誰かに提供する。

そのため、聞いた側も「それが真実だ」と盲信してクレームを述べてくる。

こちらが「それは事実ではありません。

これが事実です」と説明すればするほど、「不誠実な態度」という批判を受けることになる。

誤解は周囲から否定されるほど、強固なものになってしまう。

なかには当事者自身は求めていないのに、周囲がクレーマーとして不当な要求をしてくるケースもある。

ある学生が自転車で歩行中の高齢者の女性と軽く接触した。

女性は転倒してしりもちをついたが、擦り傷程度ですんだ。

学生の家族が菓子折りを持って謝罪に行くと本人から「気にしないで」と言われた。

「話はこれで終わった」と考えていたら、女性の子どもと名乗る者から「あれで責任を果たしたと考えているのか。

どういう了見なのか」という批判めいた電話があった。

本人は問題視していないのに、周囲が問題としてとりあげるパターンである。

こういった第三者が関与してくると、話し合いは感情論ばかりで空転しがちだ。

まずもって誰が何をどのような根拠で要求してくるのかを固めなければならない。

法的観点からすれば、家族だからといって何かを請求することが当然できるわけではない。

交渉の窓口が本人のみならずこの第三者も含まれてくると問題解決がさらに難しくなる。

交渉はできるだけシンプルにしなければならない。

第三者が根拠なく介入するときは、はっきりと「あなたは当事者ではないため、交渉の相手にはできない」と示す必要がある。

それで相手が文句を言ってきたからといって対処していたら終わりがない。

このような場合、「なぜ、あなたが請求できるのかを書面で明らかにしてほしい」と回答するのもひとつの手だ。

そんなことを言えば、相手がさらに感情的になることも予想されるだろう。

それでいい。

こちらが「なんとなく話を聞いて終わらせよう」と曖昧な態度で対応することが問題を複雑化させる。

断るときは明確に断る。

最悪なケースは、腫れ物に触るようになんとなくズルズルと話し合いを続けることだ。

私の事務所では、第三者が介入してきたときは交渉の相手にしない。

そのうえで調停といった裁判所の手続きを利用することがある。

裁判手続においては、基本的に本人しか関与することができないので、第三者の関与を排斥することができるからだ。

 

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