序章クレーム現場の「ありえない」最前線
1クレームを超えた「カスタマーハラスメント」
5万人がストレスを感じる「ありえないクレーム」の数々私の手元に1冊のレポートがあります。
日本最大の産業別労働組合であるUAゼンセン(全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟)が、2017年10月に発行した「悪質クレーム対策(迷惑行為)アンケート調査結果・速報版」です。
その冒頭(はじめに)では、こう警鐘を鳴らしています。
「消費者の不当な要求を受け日常の仕事に支障が生じ、流通・サービス業に従事する労働者に大きなストレスを与える事例があとを絶ちません。
消費者からの不当な要求は、ハラスメントの新しい領域としても社会的な問題となっています」消費者による自己中心的で理不尽な要求は、「悪質クレーム」として、これまでもしばしばマスコミで取り上げられていますが、大きな社会問題として浮上してきました。
消費者による嫌がらせ、すなわち、「カスタマーハラスメント」が取り沙汰されるようになってきたのです。
セクハラ(セクシャルハラスメント)やパワハラ(パワーハラスメント)と同様に、「カスハラ」という呼称が定着する日も遠くないでしょう。
このレポートでは、接客対応をしている流通部門の組合員5万人以上の回答をもとに、クレームの現状が浮き彫りにされています。
クレームの実態調査として、これほど大がかりなものは聞いたことがありません。
調査票の集計結果は、私が日頃、肌で感じていることと大きな違いはありませんが、クレーム現場での過酷な状況が数字にもはっきりとあらわれています。
「迷惑行為に約9割がストレスを感じている」「(クレーム対応として)『謝り続けた』と『何もできなかった』が4割を超えている」「約5割が『迷惑行為が増えている』と感じている」また、現場からの悲痛な肉声も収められています。
「商品の場所を案内したら、遠回りさせられたと怒りだし、『バカ、死ね。辞めろ!』と怒鳴られました」「商品の在庫を尋ねられ、在庫が無い旨をお伝えしたところ、『売る気がないんか、私が店長だったらお前なんか首にするぞ』と延々怒られました」「惣菜の価格が間違っていると言われ確認に行こうとしたら、待たせるなと怒鳴られ3時間説教され続けました」「お客様が購入した包丁の切れ味が悪いとの事で返品対応した際、『高い商品買ったのに研いでも切れない』と、その包丁をむきだしでこちらの顔まで近づけてきました」「商品不良のため返金を実施した際、丁寧に謝罪しても納得されず、土下座での謝罪を要求されました」
このほかにも、人格を否定する暴言や何回も同じ内容を繰り返すクレーム、権威的な態度・説教、威嚇・脅迫、長時間の拘束などが報告されています。
さらには、近年、急増しているSNSやブログ上での誹謗中傷など、さまざまなクレーム事例が数多く紹介されています。
悪質クレームで企業の〝人手不足倒産〟が加速する雇用の安定や労働条件の向上に努める労働組合にとって、もはやカスタマーハラスメント(以下、「カスハラ」と言います)は看過できないテーマです。
カスハラが、労働者一人ひとりに強いストレスを与え、時に精神疾患も招くからです。そして、カスハラは、企業経営にとっても重大な問題です。
クレームへの対応で従業員が疲弊すれば、一般のお客様に対するサービスの低下にもつながりかねません。
また、多大なストレスを受ける職場では離職率が高まったり、人材が確保できなかったりすることが懸念され、実際にクレームを原因とした「人手不足倒産」に至る企業もあります。
労働・雇用問題は企業の経営リスクとして浮上していますが、じつは、クレーム対応も人材難に拍車をかける要因となっているのです。
1つの事例を紹介しましょう。
スーパーマーケットの事例郊外にある食品スーパーは日々、クレーム対応に追われていた。来店のたびに文句を言う男性客。
夕方、店内が混雑してレジに行列ができると「なにをノロノロやってるんだ!」と、並んでいる間ずっと大声でレジ係を怒鳴りつけたり、レジを終えても「釣り銭の置き方が悪い!」と言って、買い物かごや小銭を投げたりする。
また、「挨拶がなっていない!」と、近くにいる店員を叱り飛ばす中年の女性客や、自分の好物が見当たらないことに腹を立て、「どうして、この店に置いていないんだ!いますぐ仕入先に電話しろ!」と無茶苦茶な要求をする老人。
あるいは、生鮮食品売場でレシピを聞かれた店員がうまく答えられないと、「責任者を呼んできなさい。あなたは不勉強です!」と激高する主婦もいる。
30代前半のチェッカーチーフは、こうしたクレームやトラブルが発生するたびに、店内をかけずり回った。いつのまにか、「申し訳ございません」が口ぐせになっていた。
「ありがとうございました!」と笑顔で接客していた新人の頃を思い出すと、涙がこぼれそうになる。そしてある日。
チェッカーチーフは辞表を提出した。店長からは強く慰留されたが、もはや限界だった。張りつめていた緊張の糸が切れ、心が折れたのだ。
その後、このスーパーでは櫛の歯が欠けるように、地元採用のパート店員が次々と辞めていった。
精力的な仕事ぶりで部下からの信頼も厚かったチェッカーチーフに代わり、本社から派遣されたベテラン社員が立て直しを図ったが、パートを募集してもなかなか人が集まらない。
地域密着型のスーパーでは、口コミで職場環境のよし悪しがすぐに伝わるからだ。
「あのスーパー、パートさんが大量退職したらしいよ」「チーフはひとりで頑張っていたけれど、精神的なストレスでまいったみたい」結局、このスーパーはチェッカーチーフをはじめとする退職者の穴を埋めることができず、閉店に追い込まれた。
流通・サービス業に限らず、クレーム対応で陣頭指揮をとっていたキーパーソンが辞めると、ほかのメンバーも追随して退職することは珍しくありません。
それは、クレーム対応を「現場まかせ」「個人まかせ」にしている企業が多いからです。
長時間労働の解消など、「働き方改革」を推進することは大切ですが、同時に企業としてクレーム対応のあり方を見直すことも必要です。クレームに向き合う人々の「声なき悲鳴」に気づけないと、経営そのものが大ダメージを受けるのです。
国がクレーム対策に乗り出す時代前出のUAゼンセンは、悪質クレームが「働く魅力を阻害し、働き手不足を招く」「販売機会のロスや対応コストの負担により、賃金の源泉となる企業利益を損なう」として、事業者に対する措置義務の法制化を求めたり、悪質クレームの抑止・撲滅に向けた啓発活動を推進したりします。
こうしたなか、厚生労働省は、「職場のパワーハラスメント対策についての有識者検討会報告書」(2018年3月提示)において、はじめてクレームに言及しました。
「顧客や取引先からの著しい迷惑行為は職場のパワーハラスメントと類似性がある」として、「事業主に対応を求めるのみならず、周知・啓発を行うことで、社会全体で機運を醸成していくことが必要」「『カスタマーハラスメント』や『クレーマーハラスメント』など特定の名前やその内容を浸透させることが有効」などの意見が盛り込まれたのです。
そもそも、この検討会は「働き方改革」の一環として設置されたものです。
そのなかで、顧客からの悪質クレームについて議論し、さらに「カスタマーハラスメント」などと命名することを提案したのは、画期的だと言えます。
それほど、クレームが社会問題化しているのです。
ただ、法規制や制度、あるいは啓発活動だけで、目の前にある悪質クレームを排除することはできません。
従業員のメンタルヘルスに悪影響を及ぼしたり、長時間労働につながったり、その結果、人材の流出を引き起こしたりする悪質クレームに対しては、一刻も早く実効性のある方策を打ち立てなければなりません。
つまり、クレーム担当者個人の「スキル」を磨くとともに、組織として「仕組み」をつくっていくことが重要なのです。
このことは、本書の大きな目的の1つです。
なぜ、高齢者が「モンスター化」するのか?教師に過剰な対応を要求する「モンスターペアレント」や、医師や看護師などにくってかかる「モンスターペイシェント」など、さまざまな職業におけるクレーマーが取りざたされています。
なかでも、モンスター化した高齢者、いわゆる「シルバーモンスター」が今、大きな社会問題になっています。
『犯罪白書』(平成29年版)によれば、2016年の刑法犯検挙者のうち65歳以上の高齢者は、ほかの年齢層と比較して最も多く、全体の20・8%を占めました。
とくに、暴行で検挙された高齢者は、20年前の約40倍にのぼっています。
暴力事件とクレームを同一視することはできませんが、それらの「病巣」は根っこでつながっていると考えられます。
いくつかの事例を紹介しましょう。
病院の事例「孫に何かあったらどうするんだ!責任者を呼べ!」病院の待合室で突然、70代とおぼしき男性が大声を張り上げた。
その横では、泣きべそをかく幼児が母親に抱かれている。
若い職員があわててかけ寄り、「大丈夫ですか?」と声をかけたが、男性は「大丈夫なわけないだろう。こんなに泣いているじゃないか!」と激高。
幼児は定期検診のため来院しており、とくに体調が悪いわけではなかった。待合室を歩き回っているうちに転んだだけである。外傷もなく、男性が怒鳴っている間に、すでに泣き止んでいた。それにもかかわらず、男性は職員につかみかからんばかりの剣幕だ。
職員はオロオロするばかりだった。
なぜ、この男性はこれほどに怒りをあらわにしたのでしょうか?じつは、孫と娘に付き添っていた男性は、「自分が頼りにされていること」に満足感を覚えていました。
「孫が泣く」という事態そのものが許せなかったのです。
また、健康関連商品を扱う企業には、健康に不安を抱える高齢者からのクレームが集まりやすくなります。
食品通販の事例通信販売で購入したサプリメントについて、高齢男性からクレームがあった。
「1日4粒のはずでしょ。どうして20日もしないうちになくなるのよ?」コールセンターの担当者は、男性の購入履歴を確認したうえで、商品の説明に入った。
「○○様、お客様にお買い求めいただきましたサプリメントは、ご体調がすぐれないときに適宜、飲んでいただくものです。したがいまして、必ずしも1瓶1か月分というわけではございません」一瞬、男性の声が途絶えた。
しかし、すぐにこう反論した。
「購入する前、オタクに電話で確かめたら、たしかに1か月分と言っていたぞ」担当者は、どう返答していいのかわからず、チーフに助けを求めた。
このクレームは、男性の誤解によるものですが、高価なサプリメントだけに、自分の間違いをなかなか認めようとしませんでした。
また、高齢者が「モンスターペアレント」を演じたケースもあります。
小学校の事例
70歳の誕生日を目前に控えた男性。
現役時代は仕事人間で、わが子の運動会を観戦したことは一度もなかったが、退職後はあり余る時間を小学生の孫のために費やしていた。
「ウチの子は中学を受験するつもりです。ところが、なかなか成績が伸びない。塾にも通わせているが、学校の授業に問題はないんでしょうか?」男性は、校長室で担任教師と教頭を前にまくしたてた。
「基本的に学習指導要領に沿いながら、それぞれの児童に合った指導をしています。先日、ご父兄を交えた三者面談でじっくり話し合いました」担任が答えると、男性は眉間にシワを寄せて追い打ちをかける。
「三者面談で何を話し合ったんですか?詳しく教えてください」担任はしかたなく、進路指導の内容を繰り返し説明した。
しかし、なかなか話が通じない。男性は1時間以上、校長室に居座っている。教頭が「そろそろ職員会議が始まりますので」と面談の終了を促すが、男性はまったく意に介さない。
「いや、話はまだ終わっていない。ウチの子の将来がかかっているんですよ!だから、今の教育はダメなんだ!」本来、分別があるはずの高齢者が、なぜこれほど身勝手な行動をとり、理不尽な要求を突きつけるのでしょうか?その理由をひと言でいえば、疎外感や孤独感、焦りなどが、怒りの「火薬庫」になっているからです。
シルバーモンスターは、さびしさを抱えていることが少なくありません。仕事をリタイアし、自分の存在価値を認めてほしくても、話を聞いてくれる同僚や部下もいません。家族から疎んじられているケースもあります。その満たされない思いが、クレームという形で吹き出すことが多いのです。
「論破」しようとする団塊世代に注意「2025年問題」という言葉をご存じでしょうか?2025年には、団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となり、国民の約3人に1人が65歳以上、5人に1人ほどが75歳以上という「超高齢社会」を迎えます。
それにともない、介護・医療費などの社会保障費の急増などが懸念されています。クレームの現場では、こうした危機と混乱を先取りするかのように、団塊の世代がモンスターとして顕在化しています。
この、いわゆる「団塊モンスター」は、企業戦士として仕事に没頭し、激しい競争社会で身につけた交渉力を武器に相手を「論破」しようとするのが特徴です。
なかでも、学生運動に青春を捧げるなどの「インテリ系」や、理想が高く、社会や政治への関心も強い人は、自分の生き様に自信とプライドをもち、正論で意見しながら、しだいに説教へとエスカレートすることが多いようです。
彼らは、金品をかすめ取ろうとしているのでもなければ、必ずしも悪意をもってクレームをつけているわけでもありません。「善意」から説教しているのです。
その一方で、「自分の居場所」を失って「鬱屈した感情」を抱え込んでいるため、ちょっとしたきっかけで暴発するおそれもあります。
だからこそ、クレーム担当者は対応に苦慮することになります。
食品メーカーの事例食品メーカーで部長職までのぼりつめた68歳の男性。在職中は品質管理ひと筋でISO規格の導入なども手がけた。
衛生管理に精通しエネルギッシュな仕事ぶりだったが、口やかましい性格が災いし、彼を慕う部下はほとんどいなかった。数年前に退職した彼は、食品業界でシルバーモンスターとして立ち回った。
いわば、業界の「OBモンスター」である。「オタクの練り製品を買ったんだけど、髪の毛みたいなのが入ってたんです」食品メーカーにとっては悩みの種である異物混入のクレームだ。
男性は担当者を自宅に呼んで、事情説明を求めた。
「御社では、どんな衛生規格で製造しているんですか?検査方法は?」穏やかな口調で質問し、担当者が説明すると、「なるほど」と感心した様子で聞き入っていた。
しかし、話が一段落すると攻撃に転じてきた。「衛生管理がそんなにきちんとしているなら、なぜこんなものが混入したんでしょうかね?」クレーム担当者が衛生管理の技術者でないことを見越したうえで、いじわるな質問をしたのだ。
担当者は現品を検体として持ち帰り、異物が何であるかを特定したうえで混入経路を究明したい旨を申し出るが、男性に断られてしまう。
「異物の検査は、私がしかるべきところでやってもらうので結構です。それより、御社のISO規格や検査の頻度・レベルについて書かれたドキュメントがあるでしょ。まず、それを見せてください。そうすれば、異物混入の原因がはっきりするはずですよ」
担当者は、男性の求めているものが何なのかがよくわからなくなったが、異物混入の原因究明を、お客にゆだねるわけにはいかない。
「弊社としても大きな問題なので、しっかり調査したいんです。どうか現品の提供をお願いいたします」しばらく押し問答が続いたが、ISO規格をはじめとする資料の提供を条件に「それでは半分、渡しましょう」と男性が承諾したあと、長広舌をふるった。
「私は御社のためを思って言っているんです。僕が自前で検査すれば、御社も助かるでしょ。費用も時間も節約できるんですから。それに御社の衛生管理体制も精査してみましょう。僕はこれでも結構、衛生管理には詳しいんですよ」男性と食品メーカーは、それぞれの検査機関に検体を提出した。
担当者は「結局、この男性の目的は何だったのだろうか?」と首を傾げながらも、ホッと胸をなでおろした。
ところが、話はここで終わらなかった。
後日、男性から「検査結果が出たので、それを持って御社の工場を見学したい。再発防止のお手伝いをさせてほしい」という申し出があったのだ。
担当者は再び、頭を抱えることになった。
退職後に孤立感を深めた男性が、身につけた専門技能を社会で活かすことができないまま、いびつな形で自分の存在感を示そうとしているのです。
この男性に限らず、現役時代に大きな業績を残したり、周囲からチヤホヤされたりしていた人が、引退後に「ふつうのおじさん」扱いをされると、一種の疎外感を覚えるものです。
それが、結果的に怒りの沸点を下げることになりかねないのです。
団塊世代のクレーマーは、しばしば「店内の陳列をもっと工夫しろ!」「接客態度がなっていない!」「安全対策を怠っている!」などと、企業にクレームを寄せますが、こうした心理が働いていることが少なくありません。
このように、シルバーモンスターのしつこいクレームは担当者を疲弊させます。
事実、この担当者が「弊社では、一般の方に工場内を公開しておりません」と男性の申し出を断ったとたん、男性は敵意をむき出しにして「御社のモットーは、お客様第一じゃないのか!ホームページには立派なことが書かれているが、それは嘘っぱちか!」と罵倒し始めました。
こうしたクレームへの対処法については後述しますが、ひとりよがりな「正義感」に立ち向かうとき、担当者が強いストレスを受けることは間違いありません。
「大衆モンスター」の時代がきたクレーム現場の最前線について、「カスタマーハラスメント」「シルバーモンスター」という2つのキーワードで紹介してきましたが、ここで、現在のクレーム事情を俯瞰してお伝えしましょう。
近年は、クレームの実態を見極めることが非常に難しくなっています。なぜなら、クレーマーの属性と目的が千差万別であり、手口も多様化しているからです。
かつて悪質クレームと言えば、その多くは元暴力団やチンピラなどが金品をかすめ取ろうというものでした。クレーマーの属性と目的がはっきりしていたのです。
ところが今は、こうしたプロクレーマーは、影が薄くなっています。
1992年に暴力団対策法が施行されて以降、反社会的勢力は、クレームに名を借りた金品の要求や利益誘導ができなくなったからです。ひと目でヤクザとわかるスモーク張りの高級セダンが街中から姿を消したのも、この頃からです。
その一方で今、一般市民がモンスター化しています。
前出のシルバーモンスターはその典型ですが、もともとは「善良な市民」だった人たちが、詐欺師まがいの行動をとったり、常識では考えられない理不尽な要求を突きつけてくるようになったのです。
こうした、いわゆる「大衆モンスター」は強面のヤクザと異なり、一見しただけでクレーマーだと見極めることができないため、神経をすり減らしてしまうのです。
ここ数年、日本の刑法犯の認知件数は減少しており、2016年は戦後はじめて100万件を下回りました(『警察白書』平成29年)。
これを見る限り、治安はよくなっているように思われます。しかし、私たちはそれを実感できません。むしろ、〝体感治安〟(人々が肌で感じる治安のよし悪し)は悪化していると言われます。
その理由は、元警察官の私でさえ驚くようなちっぽけな動機によって、凶悪犯罪が次々と引き起こされているからです。
かつて凶悪犯罪は、ヤクザの抗争や三角関係のもつれ、あるいは金銭トラブルと相場が決まっていましたが、最近は、普通の人が些細な理由ですぐキレて暴力事件を起こしたり、殺人を犯したりしています。
クレーム担当者が大衆モンスターと対峙するときも、似たような恐怖を覚えるはずです。
悪質クレームに特徴的な「8つの目的」では、大衆モンスターの目的は、どこにあるのでしょうか?代表的な要求内容は、次の8つです。
- 欠陥があった商品・サービスの代金よりも高額な賠償を要求する
- 自分の過失を隠したり、自ら細工をしたりして、不正な返品・返金を求める
- 精神的なダメージを受けたとして、慰謝料・迷惑料を要求する
- 従業員の接客・接遇態度に文句をつけて、その従業員の解雇を求める
- 自分だけの特別待遇を求める
- 実現不可能な業務改善や是正措置を求める
- 過失についての謝罪文・詫び状、社告を強要する
- 謝罪として土下座を要求する
このほかにも、クレームを申し立てるなかで要求していることと、本当に求めていることが乖離しているケースもあります。
「企業を相手に一戦を交えている」ことに満足感を覚えたり、担当者を困らせることに快感を覚えたり、あるいは「担当者におしゃべり相手になってもらいたかった」というケースも見受けられます。クレームをつけること自体が目的化しているのです。
このように、大衆モンスターの対応で厄介なのは、担当者が「相手が何を求めているか」を見極めるのが難しいことです。そして、今のクレーム現場で「主役」を張るのは、この大衆モンスターなのです。
そこで本書では、「正当な要求」と「悪質クレーム」を見極める方法をご紹介します。
その前に、大衆モンスターが生まれる背景をお伝えしておきましょう。ストレスをクレームで晴らす人たち大衆モンスターが猛威をふるう背景には、さまざまな社会事情があります。
まず、社会に広がる格差意識は、クレームの大きな温床になっています。
自分が社会的な「負け組・下流」に属すると考えている人のなかには、他人への嫉妬心を抱え、不満を溜め込んで、日頃の鬱憤をクレームで晴らそうとするケースもあります。
仕事や日常生活のなかで受けるストレスをクレームで発散しようとするケースも、近年多発しています。さらに、強すぎる思い入れがクレームにつながることもあります。
たとえば、「モンスターペアレント」は、わが子の教育に対する強烈な思い入れのあらわれと解釈することもできます。また、自分や家族の健康への不安が募るあまり、暴力行為に及んだ「モンスターペイシェント(患者)」もいます。
病院の待合室で孫が泣いたのを見て激高したシルバーモンスターにも、同じことがいえます。強い思い入れの対象は「人」とは限りません。
たとえば、店舗などで「亡き夫との思い出の品」や「母から譲ってもらった愛用のバッグ」など、かけがえのない一品が破損したり紛失したりしたと言って、店側に市場価格以上の補償を求めることがあります。
また、過重なストレスを受けているという意味では、クレームを受ける担当者も例外ではありません。
私は、講演やセミナーが終わった後の懇親会を楽しみにしていますが、その酒宴が「荒れる」ことがあります。
「ビールの置き方が悪い!」「もっと早く料理を持ってきてよ!」などと、お客様相談室のメンバーがクレーマー予備軍のような振る舞いをするのです。
本書冒頭で紹介したUAゼンセンでも、「自分たちの行動も振り返ろう!」と呼びかけています。昼間にクレームを受け、夜間にクレームをつけるという「負の連鎖」が起きているわけです。
大衆モンスターがはびこる要因として、もうひとつ忘れてはならないのが、インターネットです。ネットの普及によって、個人は「情報発信のツール」という強力な武器を手に入れ、たったひとりで組織に圧力をかけることができるようになったからです。
大衆モンスターは、ネット情報で入念に下調べしてから、クレームをつけることもできます。対応する側は先手を取られ、窮地に追い込まれます。ある企業の総務担当者はこう嘆きます。
「当社のホームページを細かくチェックし、重箱の隅をつつくような質問をしてくる。嫌がらせとしか思えない」企業や団体は、社会的責任として利害関係者に対する説明責任があり、その一環としてホームページなどでさまざまな情報を公開しています。
一方、個人情報へのアクセスは、個人情報保護の見地から厳しく制限されています。個人と企業には、そうした「情報格差」が存在するのです。
ほかの一般消費者と一緒に「包囲網」を敷き、「消費者全体への裏切り行為だ!」などと、攻め込んでくるケースもあります。
SNSが浸透したいま、この傾向はいっそう強まっています。クレーム情報がSNSで拡散するかもしれないという恐怖や不安は、経営者やクレーム担当者にとって非常に大きなプレッシャーになっているのです。
クレーム関連のニュースがクレーマーを増やすネットの情報拡散力によって、一部のクレーマーの手口が広く知られるようになると、「言わないと損する」「クレームをつければ得するかもしれない」と、企業や官公庁にクレームを持ち込む人が増えます。
次の例は、大衆モンスターが情報に敏感であり、マスコミ報道やネット上に氾濫する情報を元にクレームをつけてきたケースです。
中堅スーパーの事例「オタクで買った伊勢エビに虫がついていた」
中堅スーパーに、こんな苦情の電話が入った。
電話の主は初老の男性。
声を荒げるわけでもなく、淡々と話す。
「宴会用に昨日、伊勢エビを買ったんだけれど、包みを解いてみたら、茶色の虫がついていたんだよ。みんな楽しみにしていたのに、ガッカリした。どうしてくれるんだ?」
「申し訳ありませんでした。それでは現物を確認させていただいたうえで、どのようにお詫びするのがよろしいか、ご相談させていただけますでしょうか?」
電話を受けた日の夜、店長はお詫びに男性の自宅を訪問した。
とりあえず、返金に備えて商品代金は用意しておいた。
ところが、自宅の居間に通された店長が目にしたのは、これまで見たこともない甲虫だった。
明らかに、伊勢エビに付着するものではない。
そこでいったん、店長は現物を持ち帰ることを申し出た。
すると、男性の表情がにわかに険しくなった。
「なんだよ、その態度は?返金するのは当然として、迷惑料も出さないのか?食い物に虫がついていたなんて、たいへんなことだぞ!ビラでもまいてやろうか?」電話とはうってかわって、怒声を上げる。
その数日後、店長は「虫は伊勢エビに付着したものではない」という検査報告書を持参して再度、男性宅を訪問したが、納得してもらえなかった。
そこで私(著者)はその男性に電話し、「店長の裁量で3000円分のサービス券をお渡しするが、迷惑料は支払えない」「それ以上のことを要求されるのなら、今後は本社が対応する」「すでに弁護士と警察には相談した」という旨を伝えた。
男性はそれを聞いて、ようやく振り上げた拳を下ろした。私がこのクレームの相談を受けたのは、ちょうど食品の異物混入事件が立て続けに起きていた時期でした。
この男性は昼夜、繰り返し流されるニュース映像を見て、「これも異物混入だ!」と本気で思い込んだのかもしれませんが、「あわよくば、迷惑料をせしめることができる」と考えていた可能性が高いでしょう。
いずれにしても、クレームの発生頻度がニュースや口コミによる「情報量」と相関関係にあるのはたしかです。
食品偽装問題が連日、報道された時期には、材料の原産地や消費期限を疑うクレームが相次ぎ、ヒアリ騒動が起きたときには「缶コーヒーにアリが入っていた」などというクレームが寄せられました。
サービスが向上するとクレーマーが増える「お客様は神様」「クレームは宝の山」というお客様第一主義の考え方は、多くの企業に浸透しています。
たしかに、クレームはサービス向上や商品開発に役立てられます。しかし、企業が目指す「顧客満足」を逆手にとってやりたい放題のクレーマーがいるのも事実です。
むしろ、企業努力によって商品の性能やサービスが向上し、世の中が便利になればなるほど、消費者の期待値が上がり、クレーマーが増殖するのです。
たとえば、保証期間が過ぎた製品を無料で修理させようと、メーカーにくってかかる人は少なくありません。
「購入してからまだ10年なのに、スイッチが入らなくなった。大金をはたいて買ったんだから、そちらの責任で修理しろ!」また、「待たされる」ことに過敏な人も増えています。
「いつ商品が届くんだ?明後日?今どき、そんな商売は通用しない!」あるいは、正論で店員を叱責する「紳士」もいます。
「釣り銭はトレイに置きなさい。お札はきちんと表裏をそろえるのが礼儀だ!」スーパーやコンビニなどのレジで見かける光景です。
高級ホテルでの会計ならいざ知らず、レジ待ちの行列ができている商店では通用しない、過剰要求でしょう。
こういう現場を経験すると、「お客様は何様ですか!」と、思わず叫びたくなることもあるでしょう。
過剰なホスピタリティに慣れすぎた消費者が「行き届いたサービス」を求め、モンスター化するケースはあとを絶ちません。
「お客様第一主義」の呪縛そうした流れに対処しようとする企業も現れ始めています。コンビニやファミレス、ファーストフード業界では、一部の店舗で24時間営業をとりやめています。
また、宅配便では、大手企業が率先して時間帯指定の配達の再検討に乗り出しています。こうした見直しは、人手不足や過重労働問題などの解決策の一環ですが、言い換えれば、顧客に利便性を訴えるだけでは企業として立ち行かなくなったのです。
クレーム対応においても、従来の「お客様第一主義」だけでは担当者の身がもちません。私は、警察官から民間流通業の渉外担当者に転身してまもない頃に、しつこいクレーマーを前にして、進退窮まる状況を経験したことがあります。
警察では、傷害・暴行、恐喝・窃盗など、「刑法に触れるかどうか」で、クロかシロを判断すればよかったのですが、クレーム対応では、そうはいきません。
いくら理不尽なことを言われても、あくまで相手はお客様だからです。クレーマーに対して、警察官時代に身につけた逮捕術は役に立ちません。かといって、つたない接客術でその場を切り抜けることもできませんでした。
しかし、ある日を境に私は変わりました。そのときの情景はいまでも忘れません。食品への異物混入を訴える高齢男性のクレームに対応したときのことです。
私は男性の自宅を訪れ、板の間に正座しました。
男性は、「責任をとれ!」「誠意を見せろ!」「オマエのようなやつは死んでしまえ!」などと、私を罵倒し続けたのです。
私は、ひたすらお詫びしていました。
時間だけがむなしく過ぎていく中で、茫然自失の状態でした。
しばらくすると、老人が私の額を小突いて、こう言い放ちました。
「おまえじゃ話にならん!出て行け!」その瞬間、私は我に返り、お客様第一主義の「呪縛」から解き放たれました。
「そうですか。それでは失礼します」と丁寧に断ったうえで男性宅から退出し、翌日、男性に電話をかけました。
「申し訳ありませんが、商品を交換したことで、私は誠意を尽くしていると思っています。これ以上の要求をされるのであれば、警察・弁護士とも相談のうえ、対応させていただきます」
受話器の向こうからは、「もうええ。なかったことにしてやる」という声が聞こえました。
私は、この経験をきっかけに、明らかに度を超えたクレーマーには、毅然とした対応をしなければならないということを学んだのです。
8か月で「1万2000回」クレーム電話を入れた常習犯大衆モンスターの中には、悪質な「常習犯」も見られます。
洋菓子店の事例2015年9月、45歳(当時)の女が詐欺容疑で兵庫県警に逮捕された。
洋菓子店やパン屋に「ケーキに髪の毛が入っていた」などと偽りのクレームを入れ、商品代金や代替品をだまし取った容疑である。
事件が明るみになったのは、大阪府豊中市の洋菓子店と神戸市北区のパン店から、それぞれ「ショートケーキ1個」「現金1085円とクリームパン2個」を詐取したことが発端だった。
ところが、捜査の過程で驚くべき事実が浮かび上がってきた。
携帯電話の通信記録を洗い出してみると、犯行が発覚するまでの8か月間で、全国各地の洋菓子店やパン店など約3200店に、計1万2000回もの電話をかけていることがわかったのである。
手当たりしだいにターゲットを物色していたのか、電話番号案内「104」にも5000回以上かけていた。
その後、女は「これまでに500回くらい(詐取に)成功した。
現金や商品で60万円以上をだまし取った」と供述。
また、「2013年の秋、大阪市内のケーキ店で商品を購入した際、『髪の毛が入っている』とクレームをつけたら、レシートや現物を見せなくてもお詫びの商品をもらえた」と、常習化のきっかけを明かしている。
この女性は、大手食品メーカーなどで名の通ったクレーマーでした。一部の報道によれば長年、生活保護を受けながら高齢の母親と二人暮らしだったようですが、年齢からいえばバブル世代。
かつては、華やかな暮らしぶりだったようですが、劣等感や不満を抱えるようになり、そんな中、企業や店の丁寧な対応ぶりに優越感を覚えたとしても不思議ではありません。
そして、思いがけない「成功」で味をしめ、常習クレーマーの道を歩みだし、犯罪者となってしまったわけです。
これは極端な例だと思われるかもしれませんが、理不尽な要求を一度受け入れてしまい、クレーマーが成功体験を得て常習化するケースは、非常によくあるのです。
担当者がクレーマーを育ててしまった、とも言えるでしょう。
だからこそ担当者は、クレーム対応の原理原則を知り、一度でもクレーマーの理不尽な要求に屈してはいけないのです。
ただし、役所などの公的機関では、複雑な問題を抱えています。クレーマーであっても納税者である以上、担当者はどうしても弱腰になりがちだからです。
いわゆる「お役所仕事」は市民からバッシングを受けがちですが、今や、そんな悠長に仕事をしている職員は少数派ですし、民間企業より激しいクレーマーの被害に遭っている職場もあります。
たとえば、保健衛生に関する通知を出すと、「どうして、そんなことを行政が独断で決めるんだ!」というクレームが舞い込みます。
また、「杓子定規な対応をするな!」と定番フレーズで責め立てる常習クレーマーもいます。あるいは、「公務員でいい身分だな!」と、敵意をむき出しにするモンスタークレーマーも少なくありません。
「顧客満足」ならぬ「市民ファースト」を逆手にとって、傍若無人な振る舞いをするのです。しかし、公的機関であっても、クレーム対応の原理原則に変わりはありません。安心して、本書を読み進めてください。
グレーゾーンが急拡大しているカスタマーハラスメントが社会問題化していることからもわかるように、現在のクレーム事情は混沌としています。
そこで、クレームを「ホワイト」「ブラック」「グレー」の3つのゾーンに区分して、現状を整理しておきましょう。
【ホワイトゾーン】
正当な要求や苦情を申し立てるお客様です。
厳しい口調で問い詰めたり、報告書の提出を求める人もいますが、要求内容に不合理な点はありません。商品やサービスの提供者側に非があり、返品や返金に応じなければならないケースです。
クレームという言葉の響きからはネガティブな印象を受けますが、「お客様の声」として大切に扱うべきものです。数から言えば、企業に寄せられるクレームの大半は、ホワイトゾーンに属しています。
【ブラックゾーン】
ホワイトゾーンの対極にあるのが、金品を脅し取る目的の詐欺や恐喝まがいのブラックゾーンです。
先に述べたように、以前は反社会的勢力の「プロクレーマー」が暗躍していましたが、暴力団対策法の施行によって、その数は激減しています。暴力団排除条例が各地で制定されたことも、プロクレーマーの活動を抑止しています。
その一方で、「大衆モンスター」の一部が悪質化し、意図的に金品を狙ったり詐欺まがいのクレームを起こすようになると、このブラックゾーンに属することになります。前述の「ケーキ詐欺」は、その好例です。
【グレーゾーン】
ホワイトとブラックの中間に位置するのが、グレーです。ここまで紹介してきた大衆モンスターの大部分が、グレーゾーンに属しています。また、暴力団対策法から逃れるために属性を隠した反会的勢力も一部、混ざり込んでいます。
いま、このグレーゾーンが急激に拡大し、担当者を悩ませているのです。現在のクレームの大多数を占めるグレーゾーンを、さらに、次の3つのレベルに分けて考えてみると、対応策が見えてきます。
レベル❶はじめから悪意があるわけではなく、ふとしたことをきっかけに、怒りにまかせて大声を張り上げたり,文句を並べ立てたりするのが特徴です。
不安やストレスなどを抱え、思い通りにならない苛立ちをクレームで発散するケースが目立ちます。
レベル❷過剰な要求を執拗に繰り返すクレーマーです。
なにかと文句をつけ、「あわよくば、いい思いができるのではないか」と欲を出したり、土下座を強要するケースも見られます。手口は場当たり的ですが、グレーゾーンのなかでも急増している厄介な存在であり、私はとくに「難渋クレーマー」と呼んで、注意を呼びかけています。
レベル❸善良な市民を装っていますが、犯罪の一歩手前の手口を使って金品を詐取したり、特別待遇を求めたりする、極めて悪質性の強いクレーマーです。
なかには、元ヤクザや暴力団に所属せず、犯罪行為を繰り返す集団などもいます。常習的なクレーマーが多く、用意周到な計画を立てる「セミプロ」も少なくありません。
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