1人事理念は社員にも分かりやすいか~人事制度の方向性を示す「3つのキーワード」
◎人事理念が明確な会社は人事政策の軸がぶれない
企業経営を取り巻く環境の変化、特に人口減少はまだその入り口に差しかかった段階であり、今日の人材獲得競争はまだ序の口に過ぎないのかもしれません。
今後も経営環境や労働市場が大きく変化していくであろうことは想像できますが、いかなる環境の変化にも揺らぐことのない賃金・人事制度づくりを目指すことが重要であり、そのためには企業として明確な人事理念があるかどうかが決め手となります。社員に対する考え方や会社としてのスタンスを人事理念として確立している会社はそう多くはありません。
しかし、社員を大切にしている会社として世間の注目を集める会社では、社員の幸せや生きがい、人としての成長に配慮した、分かりやすい人事理念が定められていることが多いものです。
企業が新たな事業を始め、ビジネスモデルを転換する時にも、人事理念が明確に定められている会社では、人事政策の軸がぶれるということが、まずありません。
企業にとっての代表的な経営資源はヒト、モノ、カネですが、会社が扱う商品やサービスの品質にもっとも影響を与えるのがヒトだと言って良いでしょう。
◎社員の幸せにつながる賃金・人事制度を
今ここに「自社の商品・サービスを通じて、お客様の生活の質的向上に貢献する」という経営理念を掲げている会社があります。
経営理念では「お客様」が真っ先に取り上げられていますが、実は、この会社の人事理念には、「社員の幸せの追求」が最初に掲げられています。
世の中の経営理念の多くは、自社が産み出す商品や提供するサービスを通じて社会に貢献するというものですが、この会社では質の高い商品やサービスは、会社に集う社員の人間性に由来するものであり、社員の幸せの追求こそが、事業永続の核となる目的だと位置付けています。
賃金制度や評価制度が企業の実情や、特性にあったものであることはもちろんのこと、社員の幸せに直結する、社員にとっても身近に感じられる賃金・人事制度であり続けるということも大切な要素です。
日々の生活に直結する〝生活の糧〟としての月例賃金、年2回評価された個々の努力と貢献が支給額に反映される賞与など、ベテラン社員から入社したての新人まで、誰もが理解できる、筋の通った合理的な制度が求められる所以でもあります。
◎「分かりやすい」「使いやすい」「長持ちする」
人事制度の方向性を示す3つのキーワードは、「分かりやすい」、「使いやすい」、「長持ちする」です。
「分かりやすい」とは、すべての社員に正しく理解してもらえる制度であり、シンプルな制度であることを基本とします。もちろん、シンプルだということは、緻密さに欠けても許されることではありませんし、社長のさじ加減でどうにでもなるといった不安定な内容でもないことはいうまでもありません。
次に「使いやすい」とは、運用のルールが簡明で、誰が人事担当者になっても毎年の定期昇給や昇格昇進制度などの運用が、適切に行えるということです。私共のような専門コンサルタントや提携先の社会保険労務士のような専門家の手を借りなくても、安定した運用を続けられることでもあります。
そして「長持ちする」とは、10年、20年が経過しても賃金制度として陳腐化する心配のない、基本構造のしっかりした制度であることを意味します。
本書で取り上げる合理的な賃金制度が適用される正社員とは、ひとたび入社すれば定年まで勤め上げることが期待される社員です。
これだけの長期間にわたって賃金処遇に不安を感じることなく、安心して仕事に取り組めるようにするには、賃金制度が数年で制度疲労を起こすものであってはならないのです。
はたして、社員を大切にする会社の人事理念を具現化するような、シンプルかつ合理的な制度であって、しかも長持ちする制度ができるのだろうかといぶかしく思う方がいるかもしれません。
大丈夫です。これからひとつずつ合理的な賃金制度の構築に向けたエッセンスをお話ししてまいりましょう。
2賃金・処遇にかかわる問題を精査する~社員が理解できるように説明できるかどうか
◎自社の現状を徹底的に洗い出す
給与がどのように決められているのかについて、社員が理解できるように説明できるかどうかという問題は、経営者にとっても重要なテーマです。
給与体系を全面的に見直して、合理的な賃金制度を作り上げようとするとき、まず最初に確認しておきたいことは、自社の賃金制度の特徴と課題がどこにあるのかということです。
まず、人事労務管理全般について、自社の良いところと悪いところ、強みと弱みを徹底的に洗い出すことから始めましょう。
◎いま何が問題なのか?
では、実際に多くの会社でどのような問題が生じていて、賃金制度や評価制度を新たに構築することで、どのように個々の課題を解決できるのかについて、掘り下げて考えてみましょう。
著者の所属する賃金管理研究所に給与制度づくりの依頼をされる社長や人事総務担当からは、「社員の賃金バランスが悪く不公平感がある」「年功的な賃金カーブであるため、社員のモチベーションが上がらない」「そもそもの給与水準が低いので、新たな人材が採用できない」など、さまざまな声が寄せられます。
ただ、例えば「給与水準が低いので、新たな人材が採用できない」という場合でも、これだけでは新規学卒者の初任給の話なのか、中途採用者も含めた社内水準の話なのかが分かりません。
また、採用初任給自体はやや低めではあっても、入社後の着実な昇給や福利厚生面が充実していることから、採用には事欠かない優良企業などが多数あることを考えれば、人事制度全般が体系的に整備され、社員の目に見えるように整備されていないことが一番の問題かもしれません。
また、賃金水準以上に常態化している長時間残業が足かせになっていることも考えられます。
このように最初から問題の本質を正しく捉えることはなかなか難しいものですから、まずは今、目に見えて起こっている事柄について正しく把握することから始めることをお勧めします。多くの会社に当てはまりやすい状況を書き出してみましょう。
(次ページ図)◎目に見える問題の真因を探るまず、目の前で起こっている事柄を正しく整理してみましょう。
社内で人事上の課題の洗い出しをする場合には、社長や人事総務担当者が日頃から感じている問題点を、できる限り数多く書き出してみることをお勧めしています。
個人で紙に書き出すことでも良いのですが、何人かでそれぞれが思いつく課題を、付箋紙1枚に1項目と決めて、できるだけ多く書き出すようにし、それを大きな紙の上でグルーピングするなどして整理し、問題点を共有するのも有効な方法です。
問題点の洗い出しが終わったら、続いてそれぞれの問題点の根本原因を探る作業に移ります。
目に見える問題・課題には、その真因ともいえる「根本原因」が必ず存在します。
(次ページ図)◎賃金制度の円滑な運用を妨げる4大要因社員のやる気を阻害し、賃金制度の円滑な運用の妨げになる賃金処遇上の要因は、大きく、4つに分類できます。
【不満】賃金や賞与支給額が期待水準に達しないことに対する不満
【不平】他の社員と比べて自分の賃金処遇が低いことに対する不平
【不信】自分を正当に評価しない会社や上司に対する不信
【不安】将来の賃金処遇が見通せないことに対する不安
こうした阻害要因の解消は、一朝一夕にはいかないかもしれませんが、人事制度全体が労務管理の視点からだけではなく、経営管理の視点からも合理的(=理にかなった説明ができる)なものであれば、必ずや乗り越えることができるものです。
このような社員の負の感情を一掃するためにも、まず自社の賃金管理・人事管理上の課題について、本当の原因がどこにあるのか、根本原因を正しく認識することから、給与制度改革への第一歩を踏み出そうではありませんか。
3実際に給与制度の現状分析を行う~自社の賃金分布状況を「見える化」する
◎グラフ上に全社員の賃金をプロットする
問題点の洗い出しとその根本原因を探る作業をひととおり終えたら、賃金決定上の問題点をより正確に把握するためにも、グラフ上に全社員の賃金をプロットして、その分布状況を調べていきます。プロット図は、横軸に年齢を、縦軸に所定内賃金の金額をとります。
所定内賃金とは、所定労働時間に行われる労働に対して、毎月決まって支払われる賃金のことだと考えていただければ良いでしょう。ただし、通勤手当は除外しておきます。
次ページは、A社とB社の社員の賃金分布図です。
A社の賃金は年齢の上昇と賃金の上昇の相関関係が強く、年功的な賃金カーブを描いていることが分かります。さらに、A社については、一定の年齢を超えると上位の職位に自動的に昇格する傾向が強いということも言えそうです。
一方のB社は、年齢が進むにつれバラツキが大きくなる傾向が確認できますから、A社に比べると年功色は弱いようです。賃金カーブの水準自体は、B社はA社よりも低めで、昇格した社員についても賃金の伸びは大きくありません。
昇格昇進は適正に運用されているようでも、職位間の格差は小さく、特に時間外勤務手当の支給対象である係長と課長の賃金水準に差がほとんどないことが気になります。
B社がほとんど残業のない会社なら良いのですが、残業の多い会社で係長に多額の残業手当が支払われているようなら、課長と係長の手取り額に逆転が起こる可能性が高いといえるでしょう。その点、A社は課長と係長にははっきり差がついているため、逆転の心配はほとんどありません。
このように、自社の賃金の分布状況は、必ずグラフ上に展開して確認することをお勧めします。このとき、単に賃金水準だけではなく、賃金制度運用上の特徴や今までの昇格運用への基本姿勢などを確認することも大切です。
グラフは自社の賃金制度の問題を克明に語りますので、しっかり精査してください。
◎課題発見への5つの視点
プロット図を用いて賃金分析をするときの5つの視点(確認ポイント)を掲げておきます。
わが社の特徴と課題を発見するためにも、しっかり確認してください。
①右肩上がりの年功要素が強いのか、適度なバラツキがあるのか
先に示したA社のように、年功賃金の傾向が強い会社もあれば、B社のように職位に応じたバラツキがある会社もあります。職種や部門による格差が顕著な会社もあるでしょう。もし、性別による格差が顕著な場合は、男女別にプロットすることをお勧めします。
②分布図上の最上部のラインをたどっている優秀社員の賃金水準は、その仕事内容に見合った水準といえるか
分布の上部に位置する社員は、今後に期待がかかる優秀社員のグループです。他の社員の模範となり組織の牽引役として期待されている社員ですから、それにふさわしい水準であるかどうかを、金額ベースで確認します。また、常にA評価(ここでは上位20%から25%)を取れるような社員がいた場合、年齢とのバランスを考慮しながら、どのくらいの賃金水準が社長の眼からみて適正な額なのか、制度上の上限額とも併せて確認しておくと良いでしょう。
③役職と賃金の関係はどうなっているか(昇格運用と賃金)。一定の年齢で必ず昇格するような運用になっていないか
A社のように誰もが主任、係長、課長と順調に昇格できる仕組みの会社は意外と多いものです。ただし、社員規模の小さい会社でこのような年功運用をしていると、会社全体の仕事のレベルは上がらないにもかかわらず、給与水準だけは上昇することになり、モラールの低下につながるという問題もあります。
④平均的な成績の非監督職(一般職)の水準はどのくらいか(35歳で配偶者と子供2名がいる場合の所定内賃金の自社モデルはいくらか)
春闘などで争点となるモデル賃金は「35歳、高校卒勤続17年、事務・技能職、家族構成は配偶者と子2人」という条件で比較します。わが社の平均的な成績の社員が35歳(配偶者、子供2名)のときに受け取ることのできる所定内賃金のモデル支給額を算出し、実在社員のグラフの中でその位置付けを確認しておきましょう。
⑤非監督職(一般職)の最上位のクラス(係長など、時間外勤務手当の支給対象となる社員)と管理職の間に適正な格差があるか
このプロット図の上では、一般社員から課長や部長までがきれいにつながる賃金カーブが描かれていたとしても、残業の多い会社では、時間外勤務手当(残業手当)の支給される係長と、時間管理の対象外である課長との間で給与の手取額の逆転が起こることがしばしばあります。管理職に昇格した時に、「責任は重くなるのに賃金は目減りしてしまう」という状況は好ましくありません。もし、実際に手取額の逆転現象が起こっているようであれば、部下の残業手当込みの給与支給額とのバランスが取れるように、管理職手当を増額するなどの対策をとる必要があります。
4人事サイクルの好循環を実現する~社内に、いい意味での競争原理を根付かせる
◎適正な競争原理を働かせる
新しく賃金制度を整備し直そうとするときに、押さえておかなければならないポイントがあります。
その一つが、月例賃金、賞与、昇格昇進といった人事上の処遇決定に際して、人事評価を適正に行うことによって、社内にいい意味での競争原理を根付かせることです。
社員がお互いに切磋琢磨するような気風を社内に作り上げることだといっても良いでしょう。
一時期、わが国でも流行ったことのある「行き過ぎた成果主義」のように、「個人別の売上げや粗利を業績指標として、社員の目標達成意欲をあおり、お互いを競わせよう」ということではありません。
ただ社員の働きぶりは一様ではなく、よく「2対6対2の原則」と言われるように、おおむね優秀な社員が2割、平均的な働きぶりの社員が6割、期待を相当に下回る社員2割の比率で出現するとすれば、評価を通じてこれを正しく見極め、処遇に反映することはとても重要なことです。
◎全社員の評価を一律に扱うリスク
「社員はいつもみんな頑張っているから、評価による差はつけないで、同様に処遇したい」とか、「うちの社員の実力からすれば、五十歩百歩でほとんど差などない」などと決めつけて評価による差を敢えてつけないようにしている会社もありますが、これは人事管理のスタンスとしては間違っています。
組織の〝和〟を重視しているようでいて、マイナスの側面が強く現れることが多いものです。
「今期は業績がとても悪かったから、評価は全員Cで、A評価などはあり得ない」とか、反対に「業績がすこぶる良好だったので、全員をA評価としよう」などということも、本来あってはならないことです。
会社全体の業績が良かったときも、反対に不良だったときも、勤務成績の良い社員もいれば、悪い社員もいるのが組織の常です。
にもかかわらず、全社員を一律に取り扱うとすれば、「頑張っても、ほどほどにお茶を濁しても、結果が同じことなら、必死に頑張る分だけ損でばからしい。
ほどほどにやっておけばよいだろう」と社員に思わせることになりかねません。
◎「正しい評価」の定義を理解する
社員が、昨日より今日、今日より明日により良い仕事に挑戦していく、そんな社風を築いていくには、正しい評価を実践していく必要があるのです。
ここでいう正しい評価とは、社員のそれぞれの仕事ぶりが全く同じということがない以上、評価によって適正な差が生じることは当然のことであり、評価結果である成績評語(SABCD)にも、明確かつ適正な格差が生じるのは当たり前のことだということを忘れてはいけないということです。
社員を評価する場面は、どんな時も社員の育成につながっているべきものであり、賞与配分、定期昇給(査定差を反映した実力昇給)、昇格昇進に代表される人事処遇にも密接に関連付けられるものです。
採用時の人材評価と、純粋に個人の能力開発のためだけに行う適正評価も合わせて、その全体像を示すと次ページのように描くことができます。
まず会社は、社員に対して適材適所の人員配置を行い、半年ごとに社員の仕事ぶりを評価し、成績評語SABCDを決定して賞与支給額に反映します。
この6カ月毎に行われる年2回の成績評語を資料として、昇給のための評価を行い、昇給評語を決定します。
つまり、毎年4月期には「向こう1年間に発揮される能力への期待度を反映した実力査定昇給」を実施することができるようになるのです。
定期昇給時の昇給履歴は、昇格昇進のための評価にも反映されます。昇格昇進とは、今後、中長期にわたる能力の発揮期待度にもとづいて行われる登用・人材配置と捉えることができます。
評価の流れに着目すると、賞与に反映される半年ごとの成績評価から始まり、これが昇給評語の決定に反映され、昇格昇進への展開にもつながっていくというサイクルが繰り返されることになります。
こうした評価の積み重ねを通じて、社員全体の次世代人材育成・能力開発が図られることになるのです。
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